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カボチャ頭のランタン  作者: mm
09.Not Alone
198/518

198 ☆

198


 大雨は止んだ後もしばらく、大きな水溜まりとなって街に横たわっていた。

 下水が溢れた街には不潔な匂いが漂い、疫病が発生し、我が世の春が来たと顔を出した牙蛙に一時占領されて探索者がその駆除に駆り出された。

 家屋は浸水して使い物にならなくなった家具や絨毯が通りに廃棄されて交通を阻害した。

 大雨の被害はティルナバンのみならず周辺領にも及び、特に農作物は冬期とはいえそれなりの被害を受けることになった。

 市場に並ぶ穀物や野菜の価格は高騰し、それに合わせて肉類の価格もつり上げられたものだから市民の不満は高まっている。しかし安価な牙蛙の肉が大量に市場に溢れたことにより、致命的な状況には至っていない。

 迷宮特区は閉鎖が解かれた初日、予定を狂わされた探索者で溢れたが、泥濘に車輪をとられる運び屋(ポーター)無限軌道(キャタピラ)をとられる起重機(クレーン)が続発したり、迷宮口の縁が崩れて探索者や引き上げ屋が飲み込まれたり、雨に紛れて姿を現した泥男(マッドマン)と呼ばれる魔物が暴れたりと酷い有様だった。

 探索者ギルドが魔道使いを総動員して地面を乾燥させたり固定化したり、落下した探索者たちを救出している横で、なぜだか泥男皆殺し隊マッドマンジェノサイダーズという狂える探索者集団が突発的に結成された。

 おそらく起重機が降下予定時間に来ずに苛々していたのだろう。

 そんな彼らは転んで泥だらけになった善良な探索者を泥男と勘違いしこれを打ち殺してしまった。殺された探索者が所属していた探索班はもちろん報復に出て、戦火は飛び火してそこかしこで喧嘩が起こり、仲裁というか制圧のために出動した探索者ギルド治安一部隊を巻き込んで、まさに泥沼の争いが繰り広げられるというどうしようもない事件も発生した。

 しかし下街は上街のように入り組んでおらず、人も疎らで、開けているため雨の被害はほとんどなかった。

 それどころか廃棄された家具や絨毯を手に入れて、これこそまさに天の恵みだと喜んだ者も多かった。

 ランタンの近くでいえば孤児院の工事計画に遅延が出たのと、地下食料庫に水が流れ込んで食料が幾らかダメになったぐらいだった。

 雨の影響がほとんどなくなるまでに一ヶ月近い月日が必要になった。

 だが一日中、日影になるような所ではまだ深い水たまりができていたりする。

 そこに哀れな薬物中毒者の溺死体が浮かんでいたり沈んでいたりもする。時間が経っているのでかなり酷い有様だ。

 こういった溺死体や疫病による死体に死霊系魔物が取り付くことによる魔物化も発生したが、教会騎士の浄化部隊が大規模な動く死体(ムービングデッド)狩りを行ったためたいした問題にはならなかった。

 しかし打ち漏らしがあったようだ。

 ランタンとリリオンの目の前に動く死体は現れた。

 こちらを知覚すると、覚束ない足取りで向かってくる。

 腐敗し、水を吸って膨らんだ動く死体はかなりえげつない有様になっている。水っぽい足音も生理的嫌悪感をかき立てる。

 リリオンは銀刀を抜いたものの攻め気をなくしていた。しかたのないことだ。ランタンだって近付きたくはない。そして近付かないことは正解だった。

「注意一、基本的に動きは遅いからまずは落ち着くこと。深呼吸はしなくてよろしい」

「はい」

 のそのそと距離を詰めてくる動く死体から、同速で後ろに下がりながらリリオンに教える。動く死体と遭遇したのは初めてのことではない。

「注意二、近接戦闘を挑む場合は息を止めること、攻撃はかわすこと。理由は臭いから、ではなく毒ガスを発生させてる場合があるし、怪我させられると危ない病気をもらう場合があるから」

「はい」

「注意三、ああやって胴体が膨らんでる奴は、できることなら遠距離攻撃で倒すこと。その場合は火気厳禁。近接攻撃する場合は頭部と四肢を狙って、胴体は避けること」

「……どうして?」

「それはね」

 ランタンは程良い大きさの石ころを拾う。そしてそれを動く死体に投げ付けた。

 石は真っ直ぐに動く死体の膨らんだ胴体に直撃した。

 すると動く死体は、ぼおん、と半分液化した不浄の肉体を飛び散らせながら四散した。

「うええ……」

 リリオンが思わず嘔吐(えづ)く。強烈な腐敗臭が辺りを漂っている。

「ああなるから。要はおならで膨らんでるの、あれ。近付いた状態であれを喰らうと、一週間は肉が食えないし、どれだけ身体洗っても臭いが落ちない。病気も貰って最悪。ちなみに火をつけると燃えるぶん臭いは薄いけど、燃える肉片が飛び散って威力は増す」

 リリオンは鼻を抓みながら鼻声で説明するランタンの背中を押して、その場から遠ざかろうとした。

 死体に取り憑いていた死霊系魔物は、鎧たる肉体を失って陽光に焼かれている。薄ぼんやりした人の顔にも見えなくない靄が怨嗟の声を上げている。もう力はない。

 風が吹いて、声も靄も掻き消えた。

 そんなことがありながら二人は開けた場所に出た。四方はみごとに崩れた廃虚に囲まれている。もとは住宅群の中庭的な場所であったようだ。

 以前まではどうにか形を保っていたが、大雨によってついに崩壊したようだった。

 地面はすっかり白く乾いている。頂点近くから降り注ぐ陽光が暖かい。

 二人は背嚢を下ろして、適当な場所に転がした。それから思い思いに身体を動かす。

 筋肉をほぐし、筋を伸ばし、身体を温める。

 合図をするわけでもなく二人は距離を取って正対した。

 リリオンは大きく息を吸って、吐いてを繰り返す。

「手加減しなくていいからね」

 リリオンは二刀を抜いた。右に竜牙刀、左に銀刀を構える。右前の半身。左の肩に銀刀を担ぐ。

「痛くしても、大丈夫だからね」

 念を押すリリオンに、ランタンは言葉では応えなかった。戦鎚を抜いて、手首をぐるぐると回した。

「これが――」

 爪先で石ころを掬い上げ、とんとんと何度かお手玉する。

「――落ちてきたら始まりね」

 ランタンは言うが早いか石ころを勢いよく蹴り上げた。しゅるる、と風を巻いて石ころが蒼穹に吸い込まれる。

「……」

「……」

「……」

「……蹴りすぎたかな」

 ランタンの呟きが言い終わる直前に、重力に引かれた石ころが音を立てて地面を跳ねた。

 しかしリリオンはランタンの小賢しい言葉に惑わされることなく、石の落下に合わせて地面を蹴った。

 引っ掛からないか、とランタンは思う。

 リリオンは竜牙刀を前に突き出して突進してくる。極めて邪魔だ。回り込もうにも、下をくぐろうにも、どちらにも素直に刃が滑り出しそうな気がする。

 ランタンはぎりぎりまで引きつけ、リリオンの突進を利用して、竜牙刀の有効範囲のさらに内側まで一気に飛び込んだ。

 痛くしてもいいと言われても、やはり気が引ける。ランタンは肘をたたみ石突きでリリオンを打った。

 最短、最速の打突だったが、リリオンは足を引き寄せるように身を滑らせてそれを避けた。

 避けられた。予想外だ。動きが読まれていた。

 リリオンはそのまま零距離戦闘を選択する。銀刀がその長大さとは不釣り合いな、小回りを利かせて振り下ろされる。

 窮屈そうに腕をたたみ、肩を回すのではなく肘を引くことで銀刀を最小径で振り下ろす。

 最適行動だが、リリオンの最適な距離はそこではない。

 ランタンはリリオンの左に回り込む。距離は変えない。背の高さ、足の長さ、腕の長さ。この距離はリリオンには狭すぎる。本来の少女の距離は一歩半も後ろだ。

 少女の右膝が外転する。それに連動して股関節が動き、上体が追従する。竜牙刀がランタンを追いかけて回る。これを躱しても竜牙刀を追い抜くように銀刀が迫る。二重の剣撃だ。

 いつもならばそれでも躱す。

「ふっ」

 だがランタンは戦鎚で合わせた。受けるのではない。弾き返す。

 意表を突かれたリリオンの身体が捻れる。右腕の動きは止まり、だが左の銀刀は慣性によって動いたまま。それにランタンが躱すことを想像していたので、体重が前傾しすぎている。

 銀刀に体重を預けて回ろうとするが体重は上滑りしている。

 ランタンは銀刀に戦鎚を沿わせ、鍔元に滑り落ちるように少女に近付く。

 足を伸ばす。本当は脛を払いたかったが。体格差もあって内腿を蹴る羽目になった。爪先を立てず、足の甲で叩くように蹴る。

 蹴られたリリオンが体勢を崩した。

 そのまま体勢を引き込み巴に投げようかと思ったが、余計に足を伸ばしたせいで、一拍遅れる。リリオンが体を捨てた。縋り付くみたいに銀刀を握り、真下に引き落としてランタンの腿を(つか)で打った。

 肉を押し分けて、骨を痛打された。

 僕は痛くしていいとは言ってないのに。

 脂汗が滲む、痺れるような痛さだった。

 ランタンの腿を押し込んで、リリオンは体勢を立て直す。肘がまずこちらに向いた。

 ランタンが爆発を使って大きく後退するのと、その肘が伸びるのが同時だった。ランタンを追いかけて振り抜かれた銀刀が、おっかない音を立てて空を斬った。胴体が両断されかねない威力だ。

 ある種の信頼の証だった。

「痛くしていいって、わたし言ったわ」

 だからまだあまり痛くしないランタンに、リリオンはご立腹だった。

 こうやって手合わせをする時、ランタンはどうしてもリリオンを本気で攻めることはできない。リリオンを信頼していないわけではないが。

 しかしそれを上手に言葉で説明することができないので、ランタンは挑発するように手招きした。

 リリオンはむきになって二刀を開いて突っ込んでくる。

 隙だらけの胸は誘いだ。柔らかそうな胸の膨らみは、誘いとわかっていてもちょっかいを出したくなるほど魅力的だが、これに飛び込むことは断頭台に首を差し出すに等しい。

「らっ!」

 二刀が閉ざされる。

 ランタンは銀刀を弾き、竜牙刀をくぐろうとした。

 真横に振り出された剣閃が、急激に角度を変えて斬り下ろされる。ランタンは膝を胸に引き寄せるように両足を浮かせ、竜牙刀の背を踏み付ける。

 リリオンはそのままかち上げようとする。ランタンは少女の眼前に戦鎚を差し出した。

 軽く爆破する。

「きゃあ!」

 威力はない。だが光はリリオンの視界を奪った。

 混乱するリリオンが二刀をやたらに振り回す。ランタンは悠々と距離を取った。

 一種の錯乱状態だが、振り回しは悪い手段ではない。遠距離魔道があれば狙い撃ちにし放題だが、ああも暴れられては近づけない。

 ランタンは石を拾って軽く放り投げた。竜牙刀がそれをたまたま弾き返す。手応えを感じたリリオンが、石が飛んできた方を攻め、ランタンは気配を消して背後を取った。

 攻め、ない。

 ふと風が吹いた。リリオンの髪が巻き上がって、まるで手を伸ばすようにランタンに触れようとした。踏み出そうとしたランタンは慌てて身体を止める。

 リリオンの視力が戻った。目に見える範囲にランタンが居ないとわかった瞬間に、身体を反転させる。

 二刀を使って空間を円形に切り取る。

 腰が引けているランタンを見てリリオンが少し頬を綻ばせる。誇らしげな笑みだった。

 偶然じゃねえか、と思う。だが偶然だろうと何だろうと、今のは攻めきれなかったランタンの負けだ。

 こうなるとランタンは少し面白くない。年相応の、少年の部分がちらりと顔を覗かせる。

 驚かせてやる。

 ランタンは戦鎚を緩く握り、リリオンに向けると持ち手を爆破した。指向性の爆発は戦鎚の推進力となった。突如ランタンの手から発射された戦鎚に、リリオンが反応する。

 それは決して止めることができない反射行動だった。

 リリオンは戦鎚を打ち落とした。

 戦鎚の発射と同時に駆け出していたランタンは、リリオンに組み付いた。両腕ごと胴体を蟹挟みにし、頭突きをしてリリオンを組み倒す。

「ぐえ」

 リリオンが蛙のような声を上げて潰れる。

「これで少しは痛かったか?」

「……痛くないもん」

 ぎりぎりと締め付けるランタンを振り落とそうと身体を揺らすが、ランタンは少しも力を緩めなかった。嗜虐的な笑みを浮かべると、リリオンの口に指を突っ込んだ。

 少女の唇を左右に伸ばす。

「痛いだろ」

「いひゃくない、いひゃくにゃいもん」

「ふうん」

 身を捩るリリオンの力そのものが、リリオンの唇に痛みを増幅させていく。

「うう、ううう」

 リリオンが動きを止めたかと思うと、じわりと眦に涙が浮かんだ。

 やり過ぎてしまった、とランタンは慌てた。指を引き抜いて、涎に濡れていない指を選んでリリオンの涙を拭った。

「泣くな」

 ランタンが言うと、リリオンは目の端に力を込めた。必死に涙を堪えている。

「泣いてもいいよ」

 ランタンが言うと、リリオンはもっと目に力を込める。もう泣きそうにない。

「泣かないもん!」

 リリオンは少し怒ったように言った。




「わたし、ランタンよりも強くなりたい」

 屋敷に戻って、脱衣所で服を脱ぎながらリリオンは急に言った。

 ランタンは丁度シャツから首を抜くところで、言われて一秒ほど動きを止めた。

「へえ」

 思い出したように首を抜いて、シャツをたたんでから気のない相槌を打った。

「ほんとよ。わたし本気で言っているの」

「疑ってはいないけど、僕にはどうしようもないよ」

 額と内腿。リリオンの身体に痣ができていて、ランタンは落ち込んだ。額のそれはただ赤くなっているだけだが、内腿のそれは紫色の内出血になっていた。

 守るべき少女の肉体に、それをしたのだと思うと情けなくなる。

 ランタンは手を伸ばして少女の肉体に触れた。菫のような紫の痣はほのかに熱を持っている。ランタンは少女の後ろに回る。組み倒した時に打ち付けた背中にも痣がある。擦り傷にはなっていない。尾てい骨の所も赤くなっている。

 リリオンは好き放題にランタンに撫で回されながら言った。

「どうして、って聞いて」

「なんの話?」

「どうしてランタンより強くなりたいのかって、聞いて」

「面倒だなあ」

「聞いて」

「――どうして?」

 リリオンは腰に手を当てて仁王立ちになった。

「わたし、ランタンのことを守りたいの!」

 リリオンは目をきらきらさせながら宣言した。

 ランタンは、なんだいつもの発作か、とどんよりする。

「じゃあ僕は先にお風呂入ってくるね。さようなら」

「ああん、おいてかないでよっ!」

 ランタンがさっさと歩き出すと、リリオンは慌てて身を守る最後の一枚から足を抜いて、柔らかいところを揺らしながら少年の背中を追いかけた。

 浴室は湯気で満たされており、それは先月の大雨を思い出させた。だがその温かさによる安心感は比べるべくもない。掛け湯をして汗を流すと、二人揃って湯船に身を沈めた。

 リリオンは湯の入り込む隙間もないほど、ランタンに身を寄せた。逃げても追いかけてくるのでランタンはそのままにしていた。

「わたし、本当にランタンのこと守ってあげたいのよ」

 ランタンが退行薬を服薬したあの日から、リリオンは時折変になる。前から変になることもあったが、その頻度が増した。

 退行薬の効き目が出ている間、自分は一体どうなっていたのだろうか。

 精神を退行させている間の記憶はほとんどない。ほとんどと言うのは少しは憶えていると言うことなのだが、具体的な行動は何一つ思い出すことはできない。

 効果が切れてすぐの時は、夢を見ない眠りから目覚めたような時間の空白があるだけだったが、今はその空白に幸せな感覚が満たされている。

「ねえ、ランタン。わたしのここに座らない?」

「座らない」

 リリオンは湯の中に沈む細く滑らかな太股を叩いた。ランタンは一刀両断に拒否する。

「もう、あの時はあんなに素直だったのに」

「知らない。それは僕ではない」

「ランタンよ。ランタンにしかしないもの。ランタンだけよ」

 思わせぶりなリリオンの口調に、ランタンは溜め息を吐いた。

「じゃあいい加減、僕が何をしたのか教えてよ。それともリリオンが僕に何かしたの? それだけでも」

「ランタンがわたしに……、わたしがらんたんに……、――うふふ、へへ、へへへっ」

 ランタンが問うとリリオンは急に頬を染めて、にへにへとだらしなく笑った。

 この何とも幸せそうで、締まりのないこの顔を見ると、これ以上問い詰めよと言う気が急速に失せる。

 ランタンはちょっと引いていた。百年の恋も冷めそうな顔だった。

 両手を合わせて湯を掌に溜める。ランタンは水鉄砲でリリオンを撃った。半開きになった口に着弾し、目標はむせた。

「ぎゃあっ、もー、なにするの! 意地悪なんだから、ダメよ、そんなことしちゃ」

 湯を引っ掛けられたリリオンは頬を膨らませたものの、すぐに表情を取り直して叱るみたいに言った。

 自分は本当に何をしたんだ、と思う。

 少女の変化を見るに相当、碌でもないことをしたのは間違いないようだが、それ以上に自分が変になったリリオンに対して年相応の反発心と同時に、満更でもない感情があるのが、碌でもない行動の裏付けのように思えた。

 リリオンのこういった甘やかすみたいな対応は嫌には嫌なのだが、同時に安心も感じている。

 なんだこれ、と思う。

 そしてその原因を探ろうにも唯一それを見たリリオンは決して口を割らないし、かといって自力で思い出そうにも、どうしても幸福な感覚が優先して思い出されるので、碌でもない行動を思い出すことは結局できない。

 それどころか退行した時に限らず、それ以外の自らの過去を思うと、その幸福な感覚がしゃしゃり出てきて邪魔をする。

 ある意味で過去の不安は取り払われたのだが、ランタンは何だか釈然としない。

「んふふ、ランタン。気になるの?」

 それは過去のことではない。

 ランタンは程良い大きさの、形の良いリリオンの胸から視線を逸らした。

 これもまた退行薬以前、以後の変化の一つだった。

 今までもリリオンに対する、その肉体に対する欲求は抱えていた。だがそれはじゃれつくような触れ合いの中で、小出しに解消し、誤魔化すことができるものだった。

 だがこのところ、それが難しく感じることがある。

 その欲求が、大げさに言えば生命の維持に直結しているような、切実なもののように感じられるのだ。

 あの薄く色づいた先端が、甘く瑞々しい果実のようにランタンを誘惑する。

 ランタンは大きく息を吸い込むと、目を瞑って湯の中に潜った。

「わあっ! ランタンどうしたの!?」

 湯を通して、ぼやけたリリオンの声が聞こえる。

 ランタンは肺に溜めた空気を少しずつ吐き出して、身体が上手い具合に沈むように浮力を調節した、多少苦しいが、苦しい方が余計なことを考えずにすむ。

 一、二、三。

 どっどっどっ、と心臓が跳ねる。ランタンは加速する脈拍を数える。

 六十四、六十五、六十六。

 鼓膜の裏に心臓があるかのように鼓動が大きく響いている。ごうごうと血の流れる音が聞こえた。

 馬鹿みたいな欲望が、押し流されていく。

 九十八、九十九、百。

 キリのいい数字まで数えて、ランタンは顔を出した。

「大丈夫? ランタン」

「ああ、うん。もう治まったから」

「何が?」

 正直に言えるはずもなく、ランタンは曖昧な微笑でごまかした。

 欲望は押し流され、だが巡回している。一部に集まっていたものが、全身に散っただけだ。また戻ってくるかもしれない。

「ねえ、ランタン。ランタンのお膝に座っていい?」

「いいよ」

 リリオンは早熟な肉体の内に急速に母性を育みつつあると同時に、こういった幼性を年齢よりも多分に残していた。

「こっち向きなんだ」

「ランタンのお顔を見たいの」

 リリオンは対面にランタンの膝に座った。口調は甘えていたが、ランタンの濡れた髪を絞る指先はてきぱきとしている。

 リリオンは鼻歌を歌いながらランタンの髪を真ん中で分けたり、後ろに流したり、耳に掛けたりと色んな髪型を作っては変化させていく。編み込めるぐらい髪が長くなった。濡れて頭に張り付くと、毛先が肩に触れる。

 ちくちくするので短くしようかと思う。

「髪、ちょっと短くしようかな。ランタンぐらい」

「やだ」

「わたしの髪よ。ランタンの髪を切るんじゃないわよ」

「もうちょっと長いままでいて」

「髪の長いわたし好き?」

「好きだよ。髪、綺麗だもん」

 ランタンは少女の細腰に腕を回して、身体を引き寄せた。腰がぴったりと重なり合う。それに遅れて額をくっつける。頭突きした時はあんなに硬いのに、柔らかく感じる。

 ランタンは見上げて、リリオンは見下ろしていた。歯車が噛み合って回るように、ランタンが顎を上げると、リリオンが顎を引く。胸を合わせて、引き寄せられるように口付けを交わした。

「んっ、ランタン、ちゅ」

 高く音を響かせて離れる。この一瞬の間が照れくさい。同じタイミングで呼吸をしているのが、触れ合った胸から伝わってくる。

「ねえ、ランタン」

 リリオンが甘ったれた声を出した。

「なに?」

 ランタンはどんなことでも聞いてやろうという、幸せいっぱいな気持ちで聞き返した。

「わたし、――一人で迷宮探索をしてみたい」

「だめ」


困った時の戦闘シーンと風呂シーン

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