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カボチャ頭のランタン  作者: mm
08.In The Deep Haze
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「こっちよ! かかってきなさい! もうっ、こっちだってばっ! こっち見なさいよー!」

 リリオンがぎゃんぎゃんと叫び巨人の意識を引こうとしている。

 だが巨人はリリオンも、自らの足を切り刻むジャックやテスも完全に無視して執拗にランタンを狙った。ランタンは走りながら肩越しにちらと振り返る。

 大斧が大上段に振り上げられる。

 地を這う虫を叩くような中腰。傷口から青い血がばらまかれる。失った指。接地面の減少。

 巨人の足が滑る。

 だがまだ足りない。

 残った親指が地面を掴んだ。

 脛が張り詰める。

 踏み込み、ごうと斧が振り下ろされる。

 ランタンは霧の中に飛び込んだ。背後で壁を砕きながら斧が叩き付けられた。

 崩壊した瓦礫で出入り口が塞がれた。風圧で魔精の霧が渦巻くように流れた。ランタンは衝撃をまともに食らってごろごろと転がる。

「なんだよ、もう」

 悪態を吐きながら立ち上がり、ランタンは背後を振り返った。巨人の姿は見えない。戦闘音は遙か遠く、過去のことのように響いている。

 瓦礫が積み重なっていただが。発破してしまえば、最下層に戻ることは難しくはなさそうだ。

 そしてふと気が付く。

 薄い。

 視界を塗り潰すような白であるはずの魔精の霧が、数メートルも先まで見通せるほど薄くなっていた。

 ランタンは駆け足で霧を抜けた。霧を抜けたすぐ先にルーが寝かされていた。

 外套で包まれ、その脇に水筒や薬が置かれている。だがそれらを使った様子はなかった。

 ルーは眠ったままだった。その肉体に霧が引き寄せられていた。

 旋風のように螺旋を巻いて、蜘蛛が獲物を捕らえるように、いや、蚕が繭に包まるようにルーは霧に包まれていた。

 ランタンは慌てて駆け寄って、ルーの顔を覗き込んだ。

 首に触れて脈があることを確認し、頬に掌を寄せる。

 呼吸は穏やかだった。血色も悪くない。体温は低いが、変温動物系の亜人であるがゆえのことだろう。

「ルー! ルーさんっ!」

 しっとりと濡れたような肌触りだった。まさしく霧に濡れたような。だが魔精の霧は水分を含まない。

 魔精の霧は魔精によって生み出された霧ではなく、霧状の魔精だ。

 意識を失ったルー・ルゥに白く色づいた魔精が吸収されているのだ。

 迷宮を探索する探索者は、魔精を吸収し、そして超人的な能力を手に入れる。ルーに魔精が吸収されるのも不思議な話ではない。日頃は目に見えぬ魔精が白く色づいているため、魔精の流れが可視化されているのだ。

 しかし本物の迷宮の、本物の魔精の霧ではこのようなことは起こらない。これは人造迷宮であるがゆえの出来事か、それともルーの肉体に彫り込まれた魔道式の所為か。

「ルー・ルゥ!」

 声を掛けながら、さらに強く揺すると外套が緩んで肉体が露わになった。

 魔精の吸収がより多くなった。

 ルーに巻き付けたランタンの外套は、抗魔道処理が施してある。それがはだけたことで、魔道式に秘められた力を妨げるものがなくなったのだ。

 ルーの魔道式。確定している記述内容は二つ。魔精の吸収と魔精の放出。

 そして恐らくそれに加えて、彼女を迷宮核たらしめる記述もあるはずだ。

 迷宮核。

 最終目標(フラグ)を討伐することで顕現する魔精結晶の親玉。

 迷宮核の役割は迷宮の管理だと考えられている。

 迷宮そのものを構築し、魔物を配置し、探索者を撃退する。最終目標が討伐されない限り、一定の時間が経過しない限り、迷宮路の破壊は復元され、倒した魔物は再配置される。

 魔精がそれを実現する。

 つまり迷宮核は、どこからか無限の魔精を引き出し、迷宮を(あまね)く満たす。

 そして迷宮核を失うと、迷宮は崩壊する。ルーが生ける迷宮核であるのならば、このままルーを遠ざければ、この迷宮は崩壊するかもしれない。

 しかし迷宮核を失っても、出現した魔物はそのまま残るし、場合によっては新たに出現することもある。そして迷宮が崩壊しても、その魔物が生きていることは迷宮崩壊戦によって実証されている。

 この迷宮が崩壊しても巨人は生き残ったままだろうか。

 最終目標と迷宮核は同一の存在だろうか。

 ランタンはルーの肉体に指を這わせる。

 自分でもなぜそんなことをしたのかわからなかった。無意識的に、引き寄せられるように、恥ずかしがったりもせず、遠慮もせずに肉体に触れた。

 刺青をなぞる。

 彫り師の嫉妬は理解できないが、確かに美しい。ルーが望んで入れた魔道式ではないが、生まれた時からこの模様だったようにルーに馴染んでいる。

 精緻にして大胆。無機質な数式じみた魔道式もある中で、芸術的ですらあった。

 ルーの肉体が、ランタンの指に反応した。

 じわりと汗が噴き出した。本当の蛙みたいにぬるりとしている。胸の先端が硬くなって、呼吸が荒く、肺が大きく膨らんだ。

 魔精を集めることを目的にした魔道式。真の迷宮核のように、どこからかそれを得ることを可としたとは思えない。例えば不帰の森からそれを集める。

 そして迷宮とするべき空間に満たすために、集めたそれを放出する。放出したものが離散しないように、再び肉体に取り込み、再び放出し、また取りこむ。

 それを繰り返すことでルーを中心とした空間の魔精濃度を高くする。

 魔精の霧は薄くなっている。吸収は可視化されたが、放出は不可視なままだ。

 霧としての色を失ったからか、それとも放出が行われていないからか。

 意識を奪う前のルーは魔精中毒に陥っていた。

 いや、魔精中毒だと仮定しただけだ。そのように見えたから、そう思った。

 漲る魔精に、強烈な攻撃意思。

 ランタンは豊かな胸を押し分けて掌、親指の付け根を胸骨の脇、肋骨の隙間に押し当てる。

 なぜそこにそうしたのか、導かれたとしか思えなかった。

 激流のような魔精がルーの肉体を流れているのがわかった。ここが最も濃い。

 活を入れようとした瞬間、ルーがかっと目を開いた。

 汗でぬるりと掌が滑る。摩擦が失せ、体重を支えられなかった。

「うぐ――っ!」

 突如、ランタンはルーの胸の谷間に顔を埋めた。

 リリオンが背中にのし掛かってきたのかと思った。だがリリオンよりも重い。誰かに襟ぐりを掴まれて、引き寄せられたのかと思った。湖を覗き込んでいたら、水妖に水中に引きずり込まれるように。

 胸骨に打ち付けた鼻がむずむずする。鼻も口も脂肪に埋まり、呼吸ができない。

 それはルーの重力魔道だった。ルーを中心に、ランタンを巻き込んで発生した高重力がランタンを押さえつけているのだ。

 しかしそんな中でルーの四肢は、重さを感じさせず滑らかに動いた。

 腰に足が絡む。背中に腕が回される。

 加算される重力が、ランタンの背中を軋ませる。肺から空気が抜け、巨人に吹き飛ばされた時のように血液が音を立てて片寄ってゆく。視界が黒く染まっていく。

「ああ……ああ……ああ……っ」

 ルーが恍惚とした声を上げた。体温が上昇していく。心臓の鼓動が速い。発汗が激しくなった。ランタンの唇に汗が触れて塩味を感じさせた。ぬるぬるしていて滑りはよかったが、四肢での拘束が激しく抜け出せない。魔物だって絞め殺せる。探索者の拘束術だ。

 魔道は、魔精によって顕現した意志の形。

 ランタンの爆発は抑圧された感情の解放と、強烈な他者の拒否。それが爆発という形となって顕現したものだ。

 爆発という形態はそれほど珍しくはない。だが使い手は少ない。爆発は爆発でも、自爆という形で顕現するからだ。

 使い手は少ない。だが感情の暴走と攻撃性を、これほど単純に示した魔道はない。

 しかし重力魔道は、どのような理由で顕現したのか。

 重力とは万有引力だ、とランタンは認識している。そして万有引力とは、あらゆるものを引き寄せる力だ、とぼんやりと認識している。

 肉体が混ざり合うほど抱きしめられ、ランタンはルーの心を覗いたような気になった。リリオンを思い出した。

 魔道とは意志の発露。ランタンはまさしく剥き出しのルーに抱きしめられていた。

 求め、だが得られず。

 それは孤独の引力だったのかもしれない。

 傭兵探索者として多くに求められ、それでも満たされず。特定の探索班に所属しなかったのは、本当に魔精欠乏症という病の所為だろうか。

 それが彼女の性質だったのではないか。

 求められ、だが満たされず。

 求め、だが得られず。

 求められ、だが応えられず。

 欲しいものを手に入れる事への恐怖があったのではないか。

 それはかつて単独探索者であったランタンには身に覚えがある、矛盾した、けれどどうにもならない感覚だ。

 求めと拒絶。

 それこそが迷宮核として選ばれた理由なのかもしれない。

 魔精を求め、だが身の内を満たさず。魔精を拒絶し、だが離れては欲しくなく。

 まったくどいつもこいつも寂しがり屋ばかりだ。

 ランタンは塞がれた口をゆっくりと開いた。歯がルーの肉体に食い込む。

 ルーは己の意識に支配されている。魔精に支配されている。身体に刻まれた魔道式によって支配されている。

 ランタンはルーの肉体に歯を立てた。

 小さな口でルーの胸骨の脇、肋骨の隙間、乳房との境目、つまり心臓の真上の肉を噛み切った。

 身体に彫り込まれた魔道式ごと。

 ほんの一口だった。魔道式のほんの一部だった。

 たったそれだけで時間を掛け下書きを作り、幾度となく調整を繰り返し、綿密に練り上げられ、特級の技術で彫り込まれ、魔精どころか神が宿りかねぬほど細部に至るまで破綻のない、完璧な魔道式が崩壊した。

 高重力の圧力が僅かに緩くなる。

 口中に血の味がいっぱいに広がる。

 ランタンはルーのぬるぬるを利用して頭を引き抜くと馬乗りになった。噛み千切った肉片を吐き捨て、引っぱたくみたいなルーの両頬を挟んだ。

 紅を塗ったみたいに赤い唇のランタンが、ルーの眼差しに映る。

「ルー・ルゥ!」

 呼びかけた声に大きな瞬きを一度。

「ランタン、さま……?」

 ルーは太陽を見上げるように目を眇める。頬に当てられるランタンの手に自らの掌を重ねる。

 手の甲を撫で、手首を掴む。外すためではなく、頬が歪むほど押しつけるために。

「戦えるか? 僕らと一緒に」

 問いかけではあったが、有無を言わせなかった。

 ルー・ルゥは求めに応じた。




 巨人の一撃によって塞がれた入り口を、ランタンは爆発によって貫通させた。

 ランタンはルーを連れて、再び巨人の暴れる最下層に戻ってきた。

「ランタンっ!」

 リリオンが歓喜の声を上げる。

 それに応える暇もなく、ランタンが現れることを知っていたかのような斧の一撃が、地面を舐めるように迫ってくる。

 隙間は僅か。

 ランタンはその下を潜り、ルーは馬跳びするみたいに斧頭に手を掛けて跳び越えた。

 ルーが羽織った外套が翻る。

 着替えを用意する暇はなかった。傷口に当て布をしただけで、ほとんど裸の肉体が露わになる。ランタンの衣服は、外套ですらルーの身体には小さい。

「ルーさんもっ!」

「リリオンさま」

 駆け寄ってくるリリオンにルーは目を丸くした。

「――ありがとうございます、ご心配をお掛けいたしました」

「挨拶は後!」

 最下層の荒れ果てた予想を見ると、余裕はあまりなさそうだった。

 ランタンを追いかけた一撃で、施設側の壁面は大きく削り取られている。その破壊は施設の一部に及んでいた。崩壊した壁の向こう側に、崩壊した施設が露出している。

 積み重なった瓦礫の中には、研究者も混じっているかもしれない。

 巨人は右の足首から下を失っていた。

 誰がやったのか。おそらくテスが斬ったのだろう。だが彼女の予想通りに巨人は倒れてはいなかった。

 傷口で地面を踏み付けて、やや傾いてはいるが直立している。攻撃にも、力は充分ある。

 斧がランタンとリリオン、そしてルーを分断した。ルーとの間に突き立った斧の圧力も未だ失われていない。地面が割れる。

「ルー、よく戻ってきた」

「テスさま。ずいぶん、――どろどろになられまして」

「おかげさまでな。状況説明は必要か?」

「ランタンさまにして頂きました。――お話を聞いて夢から覚めた気分でしたが」

 ルーは僅かに苦笑する。

「まさか巨人が相手とは、夢のような戦場ですわね」

 ルーは意識を失っている間、夢を見ていたのだという。

 それは戦場の夢で、何かを求め仲間といっしょに戦っている夢だったのだそうだ。今まで迷宮を共にした探索者たち、自らを拾ってくれたアシュレイやテス、そしてランタンやリリオンも夢の中には出てきた。

「ずいぶんと余裕そうじゃないか」

「まさか」

 ルーの身のこなしは、舞い踊るように優雅だった。

 テスと短い会話を交わした彼女は、先程までの狂乱も暴走も、夢の中の出来事だったように見違える程だった。

 十全に身体に漲る魔精が彼女の肉体を束縛するはずの重力を、彼女の身を守る鎧としている。地面も壁も天井も、あるいは巨人の巨大な肉体すらも彼女にとっては足場にすぎなかった。

 ジャックが氷壁を登るようにナイフを突き立ててよじ登った巨体を、ルーは平地を歩くように真っ直ぐに登っていく。巨人が身体を揺らそうとも平然としていた。振り上げた腕をそのまま駆け登っていく。

 巨人が斧を振り上げ、右脚を踏み込んだ。体重が掛かり、傷口が拉げ、血が溢れる。

 巨人はランタンが現れたことで、攻撃を再びランタンに集中させた。

 人の姿をしているからか、哀れだとどこかで思う。巨人だが魔物で、極北に封じられた巨人族とは違う。だがそれでも。

 巨人族は優れた種族だった。書物に書かれる歴史はそれを否定するが、遺物はそれを裏付けている。

 巨人族の鍛冶、冶金技術の高さをランタンはグランから何度も聞かされた。リリオンと出会ってからのことだ。

 かつての大戦で巨人たちが身に着けた武具のほとんどは逸失している。巨大な武具を人間が使用することは不可能だし、今も昔も金属資源は希少だ。解体され、溶かされ、有用な資源として再利用されることになった。

 グランはその行いを悔やんでいる。

 巨人族が武具に用いた合金の中で、特に優れたものを巨人鋼と呼ぶ。それはいまでは博物館や研究施設にしかない金属であり、グランは一度見せてもらったその金属に心底惚れ込んでいた。

 製法は失われている。

 グランはそれを再現したいのではない。それを上回りたいと考えている。魔精が鍛冶に利用されるようになって数百年、経験は蓄積し、技術は高まった。

 だが魔精を用いぬ巨人鋼を超える金属は作り出されていない。

 巨人族の技術力の高さは冶金、鍛冶だけではない。王都で見かけた巨人建築も、地下に張り巡らされた地下道も素晴らしいものだった。

 千年以上も昔の巨人族に統治されたこの世界は、もしかしたら今よりも遥かに高度な文明を有していたのかもしれない。

 恐怖によって歪められているとは言え、巨人がこのような姿に思われていることがランタンには少し哀れだった。

 金属の塊そのものの大斧はいかにも未開な風情があり、毛むくじゃらの肉体は野蛮さを象徴しており、痛みさえも無視するその戦い振りは知性を感じさせない。

 暴力の化身だ。

 しかしなぜかランタンに対する執着を見せる。それはルーにも見られた傾向だった。

 夢の中に彼女は何と戦っていたのか。もしかしたらランタンは仲間ではなく、敵として登場したのかもしれない。

 ルーは振りかぶった斧の先端まで到達すると、その場で逆立ちをし、一気に体重を振り落とした。高重力を身に宿した肉体は、はたしてどれほどの重量となったのだろうか。

 斧の重さが急激に増加したことで、巨人の身体が後ろに傾いだ。

 腕に野太い血管が浮かぶ、こめかみのそれは破裂しそうで、顔色は赤黒く染まった。僧帽筋が肥大化し、大腿筋が震え、噛み締めた奥歯が錆びた歯車が噛み合うような音を立てる。

「ぐう゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛っ!!」

 唸り声を上げ、どうにか転倒を免れる。

 だが斧を振り下ろすことはできなかった。斧頭の付け根が、鶴嘴で穿った穴を起点にめきめきと悲鳴を上げた。その断末魔は爆発するみたいな音だった。付け根が砕け、断頭されたように斧頭が落下する。ルーは素早く斧頭を蹴って、巨人の頭部に取り付いた。

 斧の重量を失った巨人は、今度は前方に転倒しそうになった。

 軸となった右脚が生物から発せられたとは思えぬ音で軋む。

 体勢を立て直そうと、左足が振り子のように振れた。蹴り飛ばすみたいに大きく後ろに振り上げられる。

「リリオンっ、合わせろ!」

「任せて!」

 以心伝心、阿吽の呼吸だった。

 背後からの声にリリオンは即座に反応した。リリオンは寝物語に幾度となくランタンに、ランタンの戦闘哲学をねだった。魔物の倒し方、人体の破壊の仕方を。

 両足を肩幅に広げ、銀刀を両手で構え、肩に担ぎ半身になる。

 巨人の足が唸りを上げてリリオンに迫った。正確にはリリオンの体正面すれすれを通り過ぎようとした。

 先んじて到達した風がリリオンの衣服をはためかせる。

 リリオンは体重を後ろ足に残したまま、銀刀を始動した。糸で結ばれたように視線は外れない。巨人の左足首に、目印のような傷跡があった。寸分のずれもなく関節の継ぎ目に刃が滑り込む。銀刀は隙間に対して平行を保ったままだ。

 引き千切れるように髪紐が解けた。風圧でリリオンの髪がぐしゃぐしゃに逆立つ。全身の筋肉を、例え毛の一筋でも緩めれば銀刀もろとも身体を巨人の足に持って行かれるだろう。

 重心を落としたリリオンの腰が、持ち上げられるように僅かに浮いた。

 浮いた腰を落とすように、ランタンは背後からリリオンの頭を鷲掴みにし、押し込んで巨人の股ぐらに飛び込んだ。

 外側の踝から内側の踝へと貫き飛び出した銀刀の鋒。

 ランタンは戦鎚を担ぎ、身体を捻る。ルーのそれに感じた重力を意識する。

 重く、重く、重く。

 求め、引き寄せ。

 そして自らもまた歩み寄る。

 ランタンは鋒の背を強烈に打ちつけた。爆発の衝撃を運動力に変化させ、銀刀の剣閃を加速させる。

 リリオンを支点に銀刀が死神の鎌のような軌跡を描いた。

 巨人の足首が嘘みたいにすっぱりと切り離されて、まさしく蹴り飛ばされたように吹っ飛ぶ。運動量の全てを渡したランタンはその場で制止し、リリオンは銀刀に振り回されるようにその場で独楽のように回転する。

 巨人はランタンとリリオンを大きく跨ぎ、両の足先を失ってついに直立できなくなった。

 三人が転んだのは同時だった。

 リリオンは銀刀を取り落とし、ランタンは少女に寄りかかり、巨人は両手両膝を突き地面を揺らした。

「――借りるぞ!」

 テスが銀刀を拾い上げて、二人の脇を風のように通り過ぎた

 テスと交差するようにジャックが駆け、そして跳躍した。

 眩しいほどに白熱化するナイフを巨人の腹部に突き刺して、真一文字に切り裂いた。

 巨体に血液を循環させるため極度に肥大化した心臓に圧迫され、切れ目の入った腹膜が内側から押し破られ、内容物が滝のように吹き出た。

 そしてそれを隠すように、巨人の身体が崩れる。

 上体を支えていた両腕、その骨が竹のように割れた音がした。

 ルーが巨人の頭部に取り付いていた。両手を組んで、後頭部に叩き付けたのだ。それは極大の重力の塊だった。

 そして落下する首元にテスが待ち構えていた。

 青い血によって穢れるテスは、地獄の底からやってきたような恐ろしい姿だった。

 血塗れの髪を掻き上げて、ゆっくりと大きな呼吸を三回。

 鋭い牙だけがいやに白い。

 重たげに、だが一瞬きの内に銀刀は下から上に振り抜かれていた。

 断末魔の悲鳴はない。

 喉笛が食い破られた瞬間に、巨人の肉体に満ちていた暴力性が失われた。首が落ちる。指先がのたうつように痙攣し、血が溢れだし巨体は萎む。

 噎せ返るほどの生物特有の温かさと、鉄錆の臭いが充満する。

「わ、わ、わあ-!」

 青い血溜まりが迫り、リリオンが慌てた声を出す。少女は立ち上がれず、ずりずると座ったまま後退する。

「膝、やっぱり痛いんだ」

「戦ってる時は、平気なの」

 ランタンに引き上げられて、リリオンがどうにか立ち上がる。巨人の脚力を真っ向から迎え撃ったリリオンは握力を失っていた。手は真っ白になり、震えている。

「……ランタン?」

 ふとランタンの視線がルーに向けられた。

 ここが迷宮で、巨人が最終目標で、それが討伐されたのならば迷宮核たるルーはどのようになるだろうか。迷宮を迷宮たらしめる魔精は、最終目標に流れる血を青く染めた魔精は、どこへ行くのか。

「あ、ああ、あああああっ!」

 ルーが突如、悲鳴を上げた。

 魔精のざわめきだった。迷宮核が顕現する直前のそれによく似ていた。

 膨大な魔精がルーに引き寄せられ、無意識的に重力に変換された。あまりの高重力に周囲の風景が歪んですらいる。

「ルーさん! え、わ、わああああ、ランタン――ランタンっ!」

 リリオンが情けない声を上げてランタンにしがみついた。泣き出しそうなほど驚いている。

 なぜならリリオンの身体は浮いていたから。

 ランタンはリリオンを引き寄せ、リリオンはこれでもかと言うほどランタンにしがみつく。少女は未知の感覚に震えていた。水中に浮くのとはわけが違う。この上なく心許ない。

 リリオンだけではない。この最下層にいる全ての生命がルーに引き寄せられていた。

「――ほれ見たことか! 儂の言ったとおりではないか!」

 ツァイリンガー博士すら。

「は」

 あまりの出来事に誰もが目を見張った。気絶させた時よりも遥かにずたぼろになっているが、まぎれもなく博士だ。テスが地獄の底から現れたとは思えないほど間抜けな声で叫ぶ。

「博士、なぜここに!」

 崩壊した壁。露出している、半壊したあの一室は博士が捕らえられていた部屋だろうか。

「なぜ! 貴様、儂になぜだと!」

 博士はルーの引力に浮遊したまま、意味もなく空中で右に左にと足を動かしている。

「うるせえ! そんなことを言っている場合か! このままだとやばいぞ!」

 怒鳴り声を上げた博士に、さすがのジャックも堪らず怒鳴り返した。

 なぜ博士が無事でいられるかわからぬほどの重力が肉体に襲いかかっていた。身体は浮き、だが重く。矛盾した感覚に精神がおかしくなりそうだ。

 ある一定の距離を境に、ルーに近づけなくなった。ランタンたちは衛星のように彼女の周囲を回転している。

「誰だ、あれをやったのは!」

 博士が唾を飛ばしながら怒鳴った。老人の鎖骨と、指差した指が重力に負けて折れた。だが腕自体は浮いたままで、指差し先にはランタンが噛み切った傷口があった。

 ルーの外套は今や引っ掛かる程度にはだけ、傷口への当て布は剥がれていた。血は赤みが強いが、紫色をしていた。

 魔精中毒。無理矢理にねじ込むように、魔精が注がれている。

 迷宮核となるのか、それとも魔物化して新たな最終目標となるのか、それとも。

「半端なことをしおって! だから中途半端に魔精の流れが滞るのだ! 肉体の表裏! 精神の表裏! なぜ裏表に彫られているのかを考えん!」

 魔精の集束と解放。

 巨人すらひれ伏させた重力魔道は、肉体に十全に魔精が漲っていたからに他ならない。

「リリオン、僕を突き飛ばして!」

「え、――えいっ!」

 リリオンは願いを拒否するみたいにたらふくランタンを抱きしめたかと思うと、一切の手加減をせずにランタンを突き飛ばした。

 ランタンはルーに近づき、だがふいに加速し遠ざけられる。遠心力だった。

 ルーの周囲に楕円軌道を描き、回転する。

 だがその束縛を爆発の加速で切り離し、対抗の重力魔道を発動させた戦鎚でルーの肉体を引っ掛け、自らを引き寄せた。

 荒々しく外套を捲り上げ、ランタンはルーの背中に噛み付いた。

 心臓の真上。

 心臓の鼓動を口に含むようだった。

 ルーの肉体に魔精が流れ込み、正しく循環する。

「ほれ見ろ!」

 最下層に満ちる魔精の全てが、正しく重力に変換され、浮いていた全ての人が磁石に引き寄せられる砂鉄のように、ルーに引き寄せられた。

 いや、それは本当にルーの引力か。

 それはあるいは太陽に等しい、ランタンの引力だったのかもしれない。

「だああああああ! 何がほれ見ろなんだよ!」

 意図せず博士にしがみつかれたジャックが、自分が姉やランタンにしがみついていることにも気が付かず天井を見上げて怒鳴った。

「天井が抜けてるじゃねえか!」

「困ったな」

「姉ちゃん、何を暢気に!」

「慌ててもしかたあるまい。おい、ランタンどうにかしろ」

 返り血でどろどろになったテスがランタンの肩に腕を回した。その腕は妙に軽く、だがテスがランタンの肩に体重を預けるとずっしりとした重みを伝えた。巨人の首を落とすのが大仕事だったことを物語っている。

 迷宮との繋がりをルーは失ったが、意識は戻らなかった。汗でぬるりと滑る身体をランタンは軽々と支える。ルーこそが、まさにランタンに引き寄せられていた。

 そしてもっとも強く引き寄せられたリリオンがランタンにへばり付くように、小さな身体を抱きしめる。

「ランタン、ランタン、ランタンっ!」

 少女に名前を呼ばれる度に、むくむくと力が漲るような気がした。

 焦茶の瞳が、炎の色に染まった。

 爆発が肉体の内側で、重力に押さえ込まれる。

 心臓が熱い。

 リリオンがしがみつく手の位置がなんか変なところにある。

 この後に及んで罪悪感かもしれない。

 極度の高圧によって一度収縮した爆発力が、しかし極限まで高められて解放された。

 星の生まれに似た爆発だった。

 視界を埋め尽くした落盤は見る影もなくなり、外部の清らかな空気が大量に流れ込んできて身体を冷やした。

 見上げると星空が覗いており、ランタンは何だか少し気怠かった。


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