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蝿は。
蝿は無から自然に発生するわけではない。
瓶に腐敗した肉を入れておけば気が付かぬうちに蛆が発生するが、瓶の口を布で塞いでしまえば蛆が発生することはない。
気付かぬ内に蛆が発生するのではなく、気付かぬ内に卵が産み付けられているだけだ。
突如、背後に現れた巨人を見てランタンは思う
ならば、これは。
この質量が、この体積が、あの霧の向こうから忍び込んできたとは到底思えない。目に見えぬ存在が急激に成長したとも考えられない。
呼吸音が嵐のように荒々しく響き、口元を覆い隠す髭を揺らしている。今際の際の老人だって、この音には飛び起きるに違いない。
なんだ、これは。
ランタンはこれまで多くの巨大な魔物と戦ってきた。
その中で最も巨大な魔物は、あの多頭竜だろう。あの多頭竜とどちらが大きいだろうか。巨人は多頭竜とでなければ比べられないほどの巨大さだった。
並べて見比べれば恐らく多頭竜の方が縦も横も一回り以上も大きい。
だがそれでも同じだと思えてしまうほどの威圧感があった。
竜種が大きくても不思議ではない。あれはそういう生き物だ。だが巨人はどうだ。自らと同じ人の姿であるだけ、その巨大さには圧倒される。
人族と亜人族が共闘できた理由もわかる。毛皮の有無、角の有無、鱗の有無、牙の有無、尻尾の有無。そんなものはこの体格差の前では、差が無いに等しい。
背筋がざわつく。息が詰まりそうなほど大きい。
巨大さは強さの象徴だ。
荒々しい作りの灰色をした斧がゆるりと重く、鈍く、圧倒的な現実感とともに迫ってくる。
まぎれもなく巨人は目の前に存在している。
どこから現れたのか。
――魔精は万物の源。
どのように現れたのか。
――あらゆるものが思いのままに。
脳内の端で喚き散らす博士の言葉などどうでもよかった。
鋼の星が落ちてくるような危機的状況が今まさに迫っていた。
受けようなどという意思を根こそぎ奪われる。避けなければならない。
ジャックとテスは全身の毛を逆立てていた。生物的な警戒反応だった。
巨大な人間。
巨人族。
その存在がもたらす恐怖心は、この世界に住む人々の血肉の一部になっている。遺伝的恐怖心。それは、あのテス・マーカムにさえ根付いているものなのだ。
確かに怖い。怖すぎて、集中力が研ぎ澄まされる。
一秒が一分にも、一時間にも引き伸ばされる。その感覚は快楽的ですらある。
「はっ」
ランタンは笑った。
怖い。だがそれだけだ。単純に巨大生物と相対した時に感じるそれだ。
今までも何度も感じた。
これまでに出会った巨大な魔物に対して感じ、大型の動物にも、掌サイズの昆虫にも、あるいは大柄な男にも感じる恐怖と種類は変わらない。
慣れ親しんだ恐怖だった。
動くことは容易い。
リリオンはどうだろうか。そんな風に気を使える余裕もある。
リリオンには巨人族の血が流れている。だが人族の血も、それよりも多く流れている。
恐怖心が遺伝するのならば、やはり芯から震えているだろうか。
そんなランタンの考えもよそに、リリオンは最も早く動き出していた。考えるランタンの先を行って、この場で最も無防備な横たわるルーを軽々と肩に担いだ。
「二人ともっ!」
そして声を張り上げた。マーカム姉弟が、夢から覚めたようにはっとする。
大斧の威力はいかに。
それは壁面を濡れ紙のように破り、大瀑布のような瓦礫とともに、壁面下部に設置されたテスさえ手こずった強化硝子を飴細工のように破壊して、その内部でズボンを酷い有様にしていた研究者を影も形も残さず鏖殺した。
圧倒的な破壊力だった。
ランタンがこれまで目撃した物理攻撃の中でもっとも強烈な一撃だった。
強烈な破壊は、その余波で最下層壁面に設置された円筒の全てを打ち砕き、その中に納められていた人々は風圧によって襤褸雑巾のように壁に叩き付けられた。
彼ら、彼女らは一体何だったのだろう。複製体か、それも本人なのか。なんのために円筒に捕らわれていたのか。迷宮核たるルーの補助か、それとも別の理由か。
しかしそれを問うことはできない。彼らは一人として呻き声すら上げることはなかった。瓦礫と硝子の中に倒れ伏し、ぴくりとも動かない。
壁は崖崩れを起こしたように抉れ、濃霧よりも濃い粉塵が最下層を埋め尽くさんばかりの勢いで広がった。粉塵の中には大小様々な瓦礫が混ざっており、粉砕機のようになっていた。
その中からルーを抱いたリリオン、そしてテスとジャックが転がり出す。汚れてはいるが怪我はない。
「ランタンっ!」
「いるよ」
少女に襲いかかる瓦礫の一つを叩き落とす。そして猫の子を持ち上げるみたいに、膝を突くリリオンを立ち上がらせた。
巨人は斧を振り下ろした形のまま背中を見せている。立ちはだかる壁のような背中だった。
攻撃力は特大、耐久力も同等だろう。
「ごほっ、ごほっ――、ああくそ、乱暴な」
「――だが助かった」
豊かな毛を持つ二人がぶるると震えると白い埃が舞った。
「お目覚めはいかがでしょうか? もう八十時間ぐらい不眠不休ですから、動けないのも仕方ないですよ」
「ああ、おかげですっきりしたよ」
「それはよかった」
「ようやく、ジャックがランタンを生意気だというのがよく理解できた。たった今、よくわかった」
「それほどでもありませんよ」
ランタンは大斧が叩き付けられるその瞬間、爆発を発生させた。目的は斧を押し返すことでも、巨人への攻撃でもない。対象を焼き尽くすこともある爆炎は、広範囲への衝撃の拡散を目的としていた。
衝撃波でリリオンたち三人を大斧の破壊範囲から弾き飛ばしたのだ。
衝撃による鼓膜の破壊も内臓の損傷もなさそうだ。
しれっとするランタンに、テスはふんと鼻を鳴らした。ランタンは生意気に肩を竦める。
「リリオンは外に――」
「やあよ!」
「――ルーさんを置いてきて、それで早く戻ってきて。そっちの二人がびびってるから、リリオンが頼りだ。行けっ」
ランタンに尻を叩かれ、リリオンは耳を真っ赤にして鞭を入れられた馬のように駆け出した。
「この短時間で生意気さを再確認させてくれるとは筋金入りだ。しかし、それにしても聞き捨てならんな」
「まったくだ」
調子を取り戻したマーカム姉弟がゆらりと恐ろしげな気配を発生させる。生意気なランタンに向けられたものではない。思わず足が竦んでしまった己へと、倒すべき敵へのそれだ。
「それにしてもどこから現れたんだ」
「どこでもいい。いることだけは確かだ。それにしてもでかいな、十四、五メートルぐらいか。中央に立たれたらほぼ逃げ場はないな」
テスはぎりりと目を細めた。獣の血が濃い亜人族は顔色がわからない。
だが寝不足に空腹、疲労。
疲れている素振りを見せないが、テスはここまで働き詰めだ。ランタンたちと合流する前から、そして合流後も対人戦闘という一種の汚れ仕事を一身に引き受けてくれている。
体調は万全ではない。それに愛刀も一振り失っている。
呼吸を整え、巨人を見つめる。
「巨人を斬るのは初めてだな」
恐怖に足が竦んでいたのではなく、まさか見惚れていたのか。それは歓喜か。
テスの眼差しが狩猟者のそれになった。
ジャックはナイフの中で最も大振りな一振りを姉に投げ渡し、別のナイフを鞘から抜き、柄頭をかつんと合わせた。
一つは熱、一つは雷。
「それ、使い潰していいぞ」
「遠慮なく、もらっておく。弟の物は姉の物だからな」
「――思ってるよりも素早いですよ」
「確かめてくる」
巨人はゆっくりと振り返る。
一見すると隙だらけのように見えるが、動いているだけで脅威だった。多頭竜で嫌というほど味わった。
手数の多いエドガーも、遠距離大火力のレティシアも、魔道的拘束を可とするリリララも、物理的拘束を可とするベリレもいない。
巨人の一歩踏み出す爪先に触れるだけでも竜種に突進されるようなものだ。踏まれでもしたら地面の染みになってしまう。巨人の体重に地面がひび割れる。
それでも姉弟は果敢に攻め込んだ。ランタンは逆に距離を取る。そうしなければ巨人の全容を確かめられない。
ジャックの身長が踝に届くか届かないぐらいにある。遠近感がおかしくなる。思ってるよりも素早いのではなく、思ってるよりも近くにいるのだ。
狙える場所は足だけだったが、それこそが巨大生物への対処法だった。いかに跪かせるか。いかに頭の位置を下げさせるか。それは自重を支えられないほどに、足を痛めつければよい。
二人は右足首の腱を狙った。熱式ナイフが皮膚を炭化させ、肉を切り裂く。雷式ナイフが突き刺さり、放電する。入れ替わりにテスがその傷口を斬りつける。焦げ付きを削ぎ落とし、血を流させる。
どろりと黒いほどに青々とした血が流れた。
傍目には巨人族だが、やはりこれは魔物なのだ。
「お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛っ!!」
圧力のある雄叫びだった。傷は深そうに見えるが、痛みに対する悲鳴ではない。
傷を負った足を軸に、掬い上げるように大斧を薙ぎ払う。岩盤ごとひっくり返ったように地面が爆ぜる。
ランタンは巨人からさらに距離を取った。しかしそれでも安全圏ではない。瓦礫が真横に降る流星群のようだ。
二人が瓦礫にまぎれて戻ってきた。
「やたら硬い。お前の戦鎚だときついかもしれん」
「内側がもっと硬い。腱までが遠いし、かすった感じは鋼条だな」
「足元に行くと地震みたいに揺れるな」
「あと風圧が鬱陶しい。なかなかやりづらいな」
二人は口々に巨人に接近した感想を述べる。事態を好転させる事は何一つ言わなかった。
「本物の巨人もあんなにでかいのか?」
ルーを置いて戻ってきたリリオンにテスが尋ねる。
「うん。――うーん、もうちょっと小さいかも」
「え、前はあれぐらいだって言ってた。多頭竜の時」
「そうだったかしら?」
白を切るリリオンは、巨人を恐れてはいなかった。
巨人のいる環境は少女にとってついこの間まで当たり前のものだったし、少女の憧れた母は半巨人族にかかわらず巨人族最強の戦士だった。どこの馬の骨とも知らぬ巨人ごときを恐れている暇はないのだ。
「テスさんもジャックさんも、ランタンも! わたしに任せて!」
「巨人に弱点でもあるの?」
「知らない。でも大丈夫! わたし、怖くないから!」
リリオンは大きな声を上げて自分を奮い立たせる。
巨人を恐れてはいないが、目の前の暴れ狂う巨大な存在は怖いと言っているようなものだ。
「――あの巨体なので近距離戦闘はないです。踏み潰されることはあっても、それは事故なので。攻撃は僕が引きつけますので、攻め手をお任せしてかまいませんか?」
「かまわんが、だがどうやって引きつける?」
「こうやって」
ランタンは三人から大きく距離を取って、戦鎚を地面に突き立て、足元に転がっている瓦礫の一つを手に取った。
それは強化硝子の破片だった。断面を見ると積層構造になっているのがわかる。表面となる部分は硬質だが、内部は粘り着くような柔軟性がある。鉛のようにずしりと重い。
ランタンはそれを手に取り、全身から火柱を立ち上らせた。
挑発的な光と音は最下層内で何よりも目を引いた。巨人がぐるりと首を巡らせる。
巨人が見たのは振りかぶるランタンだった。
片脚を上げ、軸足を捻り、連動する腰の回転に合わせ利き手を引き絞る。
体重移動。腰を真横に滑らせて、巨人の頭部に向けて突きだした左手を、綱引くように一気に身体に引き寄せる。左半身の状態から、入れ替えるように右半身へ。
時間を巻き戻したように、腰が回転する。
腕の撓り、指の掛かり。
投擲。
その瞬間ランタンは再び爆発する。周囲の大気を燃焼させ、押し退ける。密度が低下し、空気抵抗が減少する。最後の一押しで瓦礫を加速させる。
瓦礫が高速で逆回転し高音を奏で、音よりも速く巨人の眉上に直撃した。狙ったのは目だったが、文句は言わない。瓦礫は巨人の肉にめり込んだ。衝撃に巨人の顎が上がった。肉が大きく抉れ、血が目の中に流れ込んだ。
憤怒に染まった瞳が、ランタンを捉える。
ランタンは戦鎚を引き抜くと、それを巨人に向けた。
「かかってこいやあーっ!」
ランタンのやけくそのような声が最下層に響く。
巨人が振りかぶった大斧を振り下ろす。ランタンは威勢のいいことを言ったのに、攻撃を引きつける素振りも見せず全力で真横に回避する。そうしなければ避けきれないほど巨人の攻撃範囲は広い。
「おえっぷ」
地面が揺れる。荒波に弄ばれる戸板の上に立っているようだ。さらに飛沫が水滴ではなく、人頭大ほどもある瓦礫である。ランタンは内臓が偏る気持ち悪さを我慢しながら身体を切り返した。瓦礫混じりの粉塵の中に身を投じ、地面をぶち割る大斧に戦鎚を叩き付け、爆破する。
跳ね返ってきた衝撃に手が痺れる。
重く、硬い。
指先から肩まで痺れる。斧は欠けもしなければ、びくとも動かない。ずるりと大斧が持ち上げられる。
武器破壊は難しい。
それでもランタンは跳躍し、鶴嘴を引っ掛けて斧の背によじ登った。斧頭を駆け抜ける直前に踏み込み、柄との境目に鶴嘴を突き立てた。
大斧の斧頭は金属で、柄は木製のようだった。だがこれは木の強度ではない。根元まで埋まって然るべき鶴嘴が、半ばまでしか埋まらなかった。爆発させる。焦げ付くが燃えはしない。
もう一撃は、巨人が許さなかった。
蝿でも追い払うように斧が振られ、ランタンは振り落とされた。
自由落下に身を任せている暇はない。切り返しが下から迫っていた。
ランタンは空中で爆発を蹴ってそれを躱す。
枯れ葉になった気分だ。風圧に煽られて、ランタンは錐もみ回転する。今度伸びてきたのは腕だった。投網のように五指が広がり、ランタンを捕まえ、握り潰そうとする。
ランタンは自分の身体より大きいかもしれない小指にしがみついた。
それを爆発を使って焼き切る。肉が吹き飛ぶ。骨を圧し折る。
肉体の一部を失った巨人が大きく左手を撥ね上げた。ランタンごと。
放り投げられて意図せず巨人の頭上を取った。
巨人は巨石のごとき歯を剥いて唸っている。夜に潜むものが、忌々しげに太陽を見上げるようにランタンを見上げている。
不潔で、野蛮で、恐ろしい形相をしている。
彫りの深い顔立ちで、黒と灰の入り交じった伸び放題の髪をして、もみあげから顎下まで繋がる髭をして、いかにも蛮族のようだった。
はたして極北の地に封じられている巨人族は、このような姿をしてるのだろうか。
リリオンは、ランタンの贔屓目も存分にあるが、それでもとても愛らしい。だからか巨人族を想像する時、ランタンは恐ろしい姿を思わない。大きくはあっても。
リリオンを知らなければ、やはりこのように恐ろしい姿を想像しただろうか。
研究者はテスに恐怖し、魔精は恐怖そのものと反応し、恐怖の象徴と結びついた。
――迷宮の魔物は、もしかして人の意識が生み出したものか。あるいは迷宮そのものさえ。
雷光のように余計な思考が脳内を過ぎった。
巨人は腕を伸ばした。小指のない四本の指が触れた瞬間に、閉ざせるように僅かに曲げられている。
既視感。
「あ――」
角質化した掌。太く短い指。ささくれ立った皮膚。白い部分が指先より飛びだした、ぶ厚く汚れた爪。
首を絞められる自分が、ランタンの視界に映った。
巨人は研究者の恐怖だけが具現化したものか。
「――ああっ!」
ランタンは背中に爆風を受けて、加速した。指が閉ざされるよりも速く、指の隙間をすり抜けて、掌から前腕へと真っ逆さまに駆け抜ける。
そうだ。
猫の次は自分の過去を探そうと思っていたのだ。記憶の底を過ぎったあの場所は、あの男は、あの出来事は結局なんだ。
そんなことを考えていたのに、それがどうしてこんなことに。
生い茂る腕毛が足に絡みつく。
どん、と爆発が焼く。
どん、どん、どんと腕を駆けるごとに炎と音があった。煙草の火を押しつけたような足跡が巨人の腕に焦げ付く。ランタンは肘まで辿り着くと、巨人の顔に向かって、自らを蹴り出した。
鶴嘴を振るう。耳上部の軟骨を穿孔し、体重を使って引き裂く。身体を捩る。戦鎚を耳穴に突っ込む。破裂させる。
「がう゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」
左の耳がなくなった。巨人はのけぞり、頭を振る。鼓膜は間違いなく破った。どろりと耳を押さえる手の隙間から血が溢れる。
絶叫の音圧がランタンを襲った。巨大な拳で殴りつけられたようにランタンが吹き飛び、そこは巨人の斧の直撃範囲だった。
偶然の一撃だった。だから避ける暇がなかった。
闇雲な横振り。視界の外からそれが迫っていた。風音は絶叫に掻き消されている。風圧は音圧にまぎれている。爆発は間に合わないし、間に合ったとしてもこの威力の物理攻撃には対抗できない。まさに風前の灯火に等しい。
戦鎚で受けるか。否、受けきれない。
ランタンはしなやかに身体を捻り、足の裏を刃先に向ける。刃先と言っても幅がある。切れ味はなく、形は斧だが打撃武器だ。
衝撃を膝を使って殺し、身体さえ丸める。殺しきれぬ威力を爆発で相殺しようとして、それでも殺しきれず、ランタンは迫り上がる血の味を飲み込み、刃先を蹴って後ろに跳んだ。
撃ち出されたような速度だった。
強烈な負荷に内臓が口から出そうだ。飲み込んだはずの血が、霧状に噴射される。血液が音を立てて身体の隅に片寄り、火を吹き消したみたいに視界が真っ暗になる。
あとは着地を。
「ランタンっ!」
高速で吹っ飛んだランタンを、リリオンが抱きとめた。
みしみしとリリオンの肋骨が軋む。このまま合体してしまうのではないかと思う。零さぬようにと少女の指がランタンの肉にめり込む。二人は一塊になって、ごろごろと転がった。
抱きとめられていたランタンが、止まった時にはリリオンを抱きしめていた。ランタンはそのまま少女を抱き上げる。小鬼が少女を攫うよう、リリオンを肩に担いで走る。
濡れている。汗と返り血だ。生臭い。
気付けにアンモニアを嗅がされたように、ランタンの意識が戻る。
「跳んでっ!」
リリオンの声に合わせて跳躍する。すぐ背後に斧が叩き付けられた。風圧を追い風にランタンは距離を稼ぐ。リリオンがもぞもぞと動いた。
「ランタンっ」
「だめ」
「ランタン下ろしてっ」
「膝は?」
リリオンは踏ん張れなかった。ランタンを受け止めた時に。それは成長痛の所為ではないだろうか。もうそれが出てもおかしくない時間帯だった。機動力を失えば、この巨人と戦うことはできない。
「痛くないよっ」
「ほんとか?」
「わたし、ランタンに嘘言わないわっ」
「――僕のことどう思ってる?」
「大大大好きっ!」
リリオンは大きな声で宣言して、ランタンはリリオンを下ろした。リリオンはその場で跳んで、どんと足を踏み鳴らした。
「僕もだよ。それで二人は? 竜牙刀は?」
「二人はまだ戦ってる。竜牙刀は刺さって抜けなくなった」
ランタンは一転して気配を消した。口元を隠して、巨人が巻き起こした粉塵の中に身を潜める。リリオンと顔を寄せた。巨人は目標を見失って暴れに暴れる。円筒に納められていた人々は、研究者と同じく瓦礫とまぜこぜになってしまった。
「状況は?」
「えっとね、足首が硬いから先に指を落とすことにして、小指から順番に四つ目までテスさんが切り落とした。ちょっと動き遅くなった。あとジャックさんが脚をよじ登って、膝の所を斬ったけど、ぜんぜん意味ないって怒っていた。あとランタンに時間かかってごめんって」
粉塵の中から巨人を観察する。ランタンを探しているのかもしれない。ぎょろぎょろとしている。
巨人の右脚は確かに血みどろになっていた、外側側副靱帯の辺りに大きな切り傷がある。
そこに辿り着くまで、ナイフを突き立てて上ったのだろう点々と蚊に刺されたような刺し傷が確認できる。脹ら脛に突き刺さって抜けない竜牙刀も。
そこから下、足首の辺りは粉塵にまぎれてよく見えないが、その中で戦っている二人は目立っていた。
しっちゃかめっちゃかに振れる鉄球に纏わり付くよりも危険なことをしている。
返り血を頭から浴び、粉塵の中で猛戦しているのでどろどろになっていた。リリオンも似たようなものだが、あの二人に比べるとまだ綺麗だ。戦闘経験の差だろう。彼らは足元に張り付きっぱなしだ。
「でもね、テスさんがもう少しだって。でも、倒れないだろうって。だからルーさんを起こして来いって」
「はあ?」
「使えるものは使うって」
ルー・ルゥは戦闘力を確かに有してした。巨人ほどではないが、この四人を相手にある程度は持ち堪えた。ランタンのそれよりも影響範囲の広い重力魔道。それは対象、そのものが重ければ重いほどに、効果を発揮する。
確かにルーが戦線に参加すれば、かなり楽になるのではないかとも思う。
まともに共闘できれば、であるが。
ランタンが眉根を寄せる。リリオンがもっと顔を近づけた。血生臭さの中にある、少女の臭いを嗅ぎ取れるぐらい。
「男なら」
リリオンはランタンに囁く。
「男なら、女一人ぐらいどうにかしろって」
テスはランタンのことをよく理解していた。リリオンに伝令を出したのはきっとそのためだった。リリオンにこんな事を言われて、ランタンはできないなんて言えなかった。
「すぐ戻る。気をつけて」
「ランタンも」
二人は頷き合って、粉塵の中から飛び出した。
ランタンは巨人に背中を向けてルーを起こしに向かった。




