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カボチャ頭のランタン  作者: mm
02.Some Day My Prince Will Come
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 腕を回した腰が細い。

 ランタンは片手で起重機(クレーン)のロープを握り、もう片方をリリオンの腰に回していた。身体を固定する安全ベルトは着けておらず、ロープの半ばのフックが自前のベルトに引っ掛けられて、そこから更に垂れた先端の(あぶみ)に足を乗せている。

 降下の際があまりにみっともなくて同情したのか、それとも呪うような心中を察してくれたのか二人用(タンデム)ベルトを寄越さなかったことに対してランタンは地上で起重機を操作するミシャに感謝を捧げていた。

 しかし朗らかなランタンに比べてリリオンは不満そうである。

 リリオンはゴテっとしたベルトを身体に巻き付けそれに備わった四本のロープで身体を釣られている。背負った盾も相まって甲羅を掴まれて持ち上げられた亀のような姿だ。

 もっともリリオンが不満そうにしているのはその愛らしくも無様な姿を晒していることではなく、骨盤から身体の前を通して二本、そして肩甲骨の辺から二本生えたロープに腕の可動を制限されているためだ。つまりは降下のようにランタンを抱え込めないと言うことである。

 最下層で目覚めてから遅めの昼休憩を経てここに至るまで、リリオンはひっつき虫と化していた。魔物が出ないことを言い訳にランタンはそれを許したのだ。

 腕を回した腰が降下時よりも、一回りも細い。

 甘やかしたのは多分そのせいだ。

「リリオン、大丈夫? 気持ち悪くない?」

「大丈夫だけど、なにが?」

 引き上げられる時に感じる内臓の浮遊感はミシャの操縦技術と言うよりは疲労と重たくなった背嚢(はいのう)の影響だと、今までは思っていたのだがもしかしたら体質によるものなのかもしれない。リリオンは最下層の出来事が嘘のようにけろりとしている。

「いや、大丈夫ならいいんだよ」

 月の光を透かすほどに色を薄くした魔精の霧をゆるゆると上ってゆく。ランタンはその薄い霧で表情を見られないことをいい事に大きく口を開いて欠伸をした。

 涙の浮いた目に星を散りばめた夜空が映る。ランタンはリリオンの腹で涙を拭いた。

「わぁ、まぶしい!」

「あぁ、疲れた」

 巻き上げ機械(ウインチ)の低く響く音が止まり、起重機が二人を揺らさずに優しく横を向いた。そして地面に下ろされて身体を吊るしたロープが(たる)むとリリオンはランタンに抱きつくようにして深く息を吐いた。

 体重をかけるのは肋骨が痛むからやめてほしい。

「お疲れ様っす――、お帰りなさいランタンさん、リリオンちゃん」

「ただいまっ、と」

 停止させた起重機から降りて駆け寄ってくるミシャに応え、ランタンは纏わりつくリリオンを押しのけた。ミシャと視線が交わるとすっと目を細めて彼女は笑い、ランタンの傍らに(ひざまず)いて手早く腰のベルトからフックを外した。

「ありがと」

 ランタンはリリオンの尻をぱちんと叩き、驚いたその隙にその側から離れた。その際にミシャの袖を軽く引っ張り、リリオンのベルトを外そうとした彼女を制した。

 まだロープに繋がったままのリリオンは鎖に繋がれた犬に等しく、その行動半径の外には出ることができない。袖を引こうと伸ばした手をするりと避けて円の外側に立つと、慌てた視線だけがランタンを追いかけた。

「ほら、ちゃんとする」

「……――ただいま」

 リリオンは一度、空気を噛むように息継ぎをすると言い慣れない言葉を口にするようにミシャに声を掛けた。

「はい、おかえりなさい」

 それにミシャは大人びた表情で柔らかく微笑んだ。

「じゃあベルト外すっすよ」

 リリオンを縛り付けているベルトは迷宮口から垂らされたものを迷宮内でランタンが手ずから装備させたものだが、これを外すのは引き上げ屋(サベージャー)の仕事である。かちんと一動作(シングルアクション)で取り外しできるフックでさえも、地上でのその取り外しは探索者の自由にしていいものではない。

 それは伝統であり、矜持である。それを外すというのは引き上げ屋の手で無事に探索者を帰還させたという証だ。

 凛々しさすら漂うミシャの横顔を眺めているうちに、リリオンの拘束具の如き安全ベルトがリボンを解くようにあっという間に外されていた。リリオンが内腿に通したベルトからするりと足を抜くと、その足が硬く地面を踏んだ。

 左右のどちらにでも避けられるようにランタンがそれを見て軽く足を開いた。リリオンの身体が力を蓄えるように小さく沈む。

「――ストップっす!」

 リリオンが放たれた矢と化す瞬間に、ひらめいた外套(マント)をミシャがぐいと引っ張ってリリオンを制した。襟に首を絞められたリリオンが呻き、恨めしそうにミシャを睨んだがミシャは平然とその視線を受け止めている。

 リリオンの挙動を制した引き上げ屋の腕力はなかなか侮れないもので、そもそも荒くれの探索者を相手にした商売に身を置くミシャの、その小躯に内包する精神力は並大抵ではない。何しろミシャは、引き上げ屋は探索者の命綱をまさに握っている。ミシャにとってリリオンの睨みつけなどぴぃぴぃ喚く雛鳥同然だった。

「帰還したばかりなのに元気いっぱいっすね、リリオンちゃんは」

 ミシャが外套を手放し皺になったそこを伸ばすように軽く叩いた。その姿は妹の世話を焼く小柄な姉のようにも見える。が、その姿に鞭を以って猛獣を調教する幻想を重ねたランタンは、その妄想を見透かすように視線を寄越したミシャに曖昧に微笑んだ。

「――それに比べてランタンさんは、またボロボロっすね。大物だったんっすか?」

「まぁね、もうしばらくは働かなくてもいいぐらいだよ」

「そんなこと言って、治ったらいつもすぐに迷宮へ潜るじゃないっすか」

「ミシャが食いっぱぐれたら困るからね」

 肩を竦めて軽口を叩いたランタンは腰のポーチから後払い分の引き上げ料を取り出し、そこに幾ばくかの色をつけてミシャに渡した。ミシャはそれを両手で丁寧に受け取ると、ありがとうございます、と頭を下げて集金箱にそれをしまった。

「あの、ミシャさん」

「ん、リリオンちゃんどうかしたっすか?」

「ランタンが、また、って」

「――あぁボロボロって話っすか」

 こくんと頷くリリオンにミシャが困りと諦めの混ざる疲れた表情を作ってみせた。

最終目標(フラグ)を取ってくるって言った帰りはいつでもこうっすよ」

「……別に僕に限った話じゃないよ」

「まぁそうなんすけどね。でもどうかしたっすか?」

 リリオンは疑るような視線をミシャとランタンに彷徨わせて、手繰り寄せた三つ編みの房を指先で弄っている。

「だってランタンはすごく強いのに……」

 ぽつりと呟いたリリオンの言葉に、ミシャは薄い唇ににやぁといやらしい笑みを浮かべてからかうような目でランタンを見た。その視線をランタンは鬱陶しげに追い払った。

「はぁ、……過大評価だよ」

「ふふふ、ランタンさんは超強いっすけどね」

 ミシャは誇るようなわざとらしい声で言い、そして少しだけ声量を落としてリリオンの俯いた顔を覗いた。

「でも、もっともっと強い探索者さんだって帰ってくるときはみんなボロボロっすよ」

「ほんとう?」

「本当だよ、って何度も言ったよ」

 リリオンはランタンに対して負い目があるのだ。自分と比較してひどく傷ついているランタンに申し訳なさを感じている。だが、そんなものはお門違いだ。

 リリオンはランタンと同じ程に傷つけば満足するのかといえばそうではないだろうし、またランタンを完璧に守りきれなかったことを悔いているのならばそれは自信過剰というものだ。そもそもリリオンの存在やその戦闘能力に関係なく最終目標と戦えばランタンは傷つくだろう。ランタンの戦い方はいつでもそういうものだ。

 だがそれをどれほどランタンが口で伝えようとも、傷ついている張本人の口から出る言葉はそのどれもが慰めにしか聞こえず、リリオンはますます気にしてしまう。だからミシャの口から語られる事実はありがたかった。この程度の怪我でウジウジとされては、遠からず神経症(ノイローゼ)になりかねない。

 ミシャの援護射撃もあってランタンは畳み掛けるようにリリオンに伝えた。

「最終目標戦に怪我なんか当たり前なんだし、それどころか未帰還だって多いんだから」

「まぁそうなんっすよねぇ。だから――、ランタンさんも本当にちゃんと休まないとダメっすよ。もし待ち惚けなんか食らわされたら、最下層まで取り立てに行きますからね!」

「はいはい、気をつけるよ」

 その時には超過料金と危険手当で尻の毛まで毟られそうだ。

 軽く受け流したランタンにミシャは大きくため息を吐いて、リリオンに肩を竦めながら笑いかけた。その諦念の表情にリリオンは救われたように微笑んだ。

「リリオンちゃん、ランタンさんはこんなんだから、ちゃんと休むように見張ってるっすよ」

「うん、わたし見張るわ!」

「……余計なこと言わないでよ。ほら、もう行くよ」

 援護射撃だと思っていたものが、いつの間にか背中を掠めていたのでランタンは大慌てでリリオンを側に呼び寄せた。

 迷宮で得た魔精結晶を換金するために、そして迷宮の攻略を報告するために探索者ギルドへと(おもむ)かなければならない。身体は草臥(くたび)れていたが探索者ギルドには終日営業の医療施設が併設されているので、はっきり言ってしまえば換金や報告はそこに寄る(つい)でだ。どうせ迷宮攻略の報告は探索者の義務なのだから、面倒事を後回しにして得をすることはない。

「じゃあよろしく頼むっすよ、リリオンちゃん。――ランタンさんもまたのご利用をお待ちしております」

「まかせて!」

「うん、またお願いね。それじゃあ」

 ミシャと別れて二人は歩き出した。

 リリオンは何時も通りに手を繋ぎたそうにしたが、ランタンの言いつけのとおりにそれを我慢していた。

 迷宮特区の帰り道は見栄を張らなければならない。どれだけ疲れていようともできるだけ背筋を伸ばして胸を張って堂々と、もし膨らんだ背嚢が重たげに見えるようでは襲撃者(レイダー)の目に留まる。それこそ、お手々繋いで仲良く帰る、なんてことをしていては襲撃者にとってはどうぞ襲ってくださいと言わんばかりの呑気さであるし、一部の探索者から要らない嫉妬を買いそうだった。

 ランタンはまだ少し鋭利な雰囲気の残る顎の輪郭をなぞるように視線を上げた。

 宵闇に白く浮かび上がるリリオンの顔はまた痩せて尖って見えるが、まぁ悪くない。この甘い顔がいつかは数多の女性探索者がそうであるように、凛々しく険しくなってゆくのだろうか。

 リリオンは視線を左右に鋭く動かしあたりを注意している。ミシャに焚き付けられたことで面倒くさくなっているな、とランタンは小さく笑った。リリオンは番犬のようで、守っているものは迷宮核ではなくランタンなのだろう。

 もっともこの距離のランタンの視線に気がついていないようではその番犬ぶりがどれ程のものかは言葉にするまでもない。だが襲撃者もそう頻繁に現れるものではないし、こうも判りやすく警戒している相手に襲いかかるような真似もしないだろう。迷宮特区を抜けたリリオンは胸をなでおろした。

「ごくろうさま、さぁギルド行くよ」

「うん、あの……ランタン」

 そんな約束をしていたわけではないが、おずおずとご褒美をねだるように差し出された手をランタンは握った。日が落ちて街灯の光が幻想的な通りには手を繋いだり腕を組んだりして行き交う男女は珍しくない。

 握った手をぎゅっと握り返したリリオンの花咲くような笑顔が目に眩しい。

 だがその時にはランタンは溺れるように思考の海へと身を投げていた。立場が逆に、あるいは身長差から与えられる印象そのままにランタンはリリオンの腕を引かれるようにして歩いている。

 やるべきことが幾つかある。傷の治療はもとより魔精結晶の換金と攻略の報告。それに加えてリリオンに銀行口座を開設させようかとランタンは考えていた。

 魔精結晶は高額で取引されるが、迷宮核はそれを更に上回る。迷宮核を換金して金貨になれば持ち運びもしやすくはなるが、常に大金を持ち歩くわけにもいかない。金貨をジャラジャラ言わせて持ち歩くというのは成金か阿呆のすることだ。金貨の音色は厄介事を呼び込む鳴子でしかない。

 とは言えランタンのような根無し草の如き探索者ばかりではなく、宿暮らしの探索者や家を持っている探索者であっても財産の保管はなかなか難しい。それは探索者の職業上、頻繁に家を空にするからだ。一度迷宮に潜りその日の内に帰ってくるというようなことはまずない。厳重な金庫を用意し鍵を掛けその輝きを隠そうとも、それを暴く時間は充分にあり、また良心の希薄な人間はこの世界に多すぎた。

 故に探索者の金遣いは荒く、宵越しの銭は持たないなどと(うそぶ)くような輩が跋扈(ばっこ)し、生きて探索業を引退することができたとしても傷つき衰えた身体ばかりが残るというような悲惨な話もある。

 もしもの時、動けなくなった時のために備える事はランタンの中にある常識だ。生きていくに充分な金銭があればよい、と考えていても自然と常識に動かされる。

 買取施設から銀行施設へと金を運ぶランタンに対する陰口もある。

 いくら貯めこんでも彼の世には持っていけねぇのによ、と。

 ランタンはあからさまに自分へと差し向けられたその陰口に怒るでもなく、まったくもってそうだと思った。この世界で成したものは、この世界にしか作用しない。それを貯金などと、まるでこの世界で年老い、死んでいくかのような。

 傷口が忠告するように傷んだ。

「くふっ」

 不意にランタンの喉奥から湧き上がった笑い声にリリオンがぎょっとした視線を寄越して立ち止まった。ランタンの瞳は一瞬だけ灯りを(とも)し、しかしリリオンの気遣わしげな視線に重なるとその瞳の淡褐色(ヘーゼル)に混ざるようにして焦茶色へと色を戻した。

 そのことに気がついていないランタンは変な声で笑ったことを誤魔化すように柔らかな笑みを浮かべて、今までもそうであったかのようにリリオンの手を引いた。リリオンのジロジロとした視線が確かめるように後頭部を撫でたが、ランタンが素知らぬ顔でそれを、そしてわずかに熱を持ち始めた傷口を無視しているとやがてリリオンは大股で一歩踏み出して隣に並び歩き出した。

「とりあえずさ」

「うん」

「今日はもう遅いから結晶を金貨に換えたら、それは一度僕の銀行口座に入れるけどそれでいい?」

「……うん?」

 リリオンが小首を傾げて返答の言葉尻を上ずらせた。ランタンがちらりと横目を向けると目の丸いきょとんとした表情がランタンを伺っていた。

「えーと、リリオンって銀行口座持ってるの?」

 リリオンはきょとんとした表情のままに首を横に振った。そしてそれどころか、ぎんこうってなに、と丸い目を何度か瞬かせた。その問にしばらく黙り、ランタンは人差し指で自分の頬を押しながらほろ苦い呻き声を上げた。

「貯金箱、みたいなものかな」

「ちょきん?」

 ランタンはゆっくりと頷いて肩越しに背嚢を指さした。

「これ換金したら、沢山の金貨になるでしょ? それを持ち歩くのは邪魔だし、――おっと」

 一瞬だけランタンが自分の指した指を追うようにして背後を振り返ったその時に、わざわざ繋がれた手を引き剥がすように男が二人の間を走り抜けた。

「なにあれ!」

 リリオンが噛み付くような顔をして声を荒げたがランタンは穏やかにそれを止めた。ただ恐ろしく冷めた眼差しが、一瞬だけ浮かび上がった。

「僕らが仲良しだから嫉妬したんだよ、ほら」

 ランタンは掌をズボンで拭って再びリリオンに差し出した。それを握り直すことでリリオンは唇を突き出し不満そうながらも怒りを収め、しかし二度と同じ事がないようにと固く指を絡めた。

「で、話の続きだけど、邪魔だし掏摸(スリ)とかに狙われたら困るでしょ?」

「う――ん?」

 頷こうとしたリリオンが再び振り返った。その視線の先にはつい先程、二人の間を抜けていった男らしきものが(わめ)いているのが見える。

「ひめいが聞こえたわ。どうしたのかしら?」

「さぁ? ――どうせ馬鹿な掏摸が指でも折られたんだろう」

 ランタンの耳にも悲鳴は聞こえていたが、ランタンは振り返りもせずに淡々と呟いて先を促すようにリリオンの手を引いた。

 急いでいるわけでもないがランタンは毛ほども関係のない掏摸に時間を()くのがもったいないと思っただけで、下手に騒ぎが大きくなって衛兵が来たら面倒だからこの場を離れたいな、などとはこれっぽっちも思っていない。

「まぁとにかく、多額の現金を持ち歩くのは不用心で現実的じゃあないってこと。で、そこで出てくるのが探索者ギルド銀行です」

「ギルド銀行」

「そっ、探索者ギルドがお金を預かって守ってくれるんだよ。なんと無料で」

「ただ!」

 無料で、と言うところでリリオンは声高く感嘆を漏らした。そして、ギルドって優しいのね、などと探索者ギルドを褒めそやしているのでランタンそれを生暖かく見つめた。

 ギルド銀行に口座を開設するにはギルド証を所持していること、つまり探索者であることと口座に預けるための金貨十枚、そしてやや小難しい書類を埋めることだけを必要とし、ギルド証の発行のように支払金を必要としなかった。預けることができるのは四半(クォーター)銀貨からであり、預けていても金利が発生しないが振込にも引出しにも手数料を取られることもない。もっとも両替には手数料が取られるが。

 あの探索者ギルドの威容の建造物がそのまま金庫に、そしてそこに働く引退した探索者を多数含む猛者たちがそのまま番兵となってくれるというのに、まるで教会のように探索者ギルド銀行は探索者たちに門戸を開け放っている。

 だがそれが慈善事業だということは決してない。

 口座から金を引き出すにはギルド証とその本人が必要となる。例えばランタンが自分のギルド証をリリオンに渡して、僕の代わりに幾らか引き出してきて、と頼んだとしても銀行の受け付け(カウンター)でけんもほろろに追い返されてしまうか、場合によってはその場で取り押さえられて有無を言わさぬ尋問に晒されることもある。

 それは盗み、あるいは殺して奪い取ったギルド証を使用し、本人になりすまして貯金を奪おうとする輩が生まれないようにするための処置なのだろうし、口座を開設する際にもそのようなことを伝えられる。

 たしかにそういう一面もあるのだろう。

 だがその弊害として探索者という命を失いやすいこの職業柄、引き出すことのできなくなった口座の数は星の数ほどあるらしい。探索者は身元不詳の者が多いし、また親族がいる場合であったとしても迷宮から帰還しなかった探索者は未帰還と称され、いずれ帰ってくるかもしれないという名目で口座を自由にはさせないのだ。明確な死亡の判定は死体が引き上げられた場合か、あるいは死者のギルド証を持ち帰りそれをギルドが精査して、死亡を認めたときだけだ。

 つまりは休眠口座を自由にできるのは口座を管理しているギルドだけというわけだ。なんとも言えない気持ちになる話だが、リリオンをなんとも言えない気持ちにさせても意味は無いのでその考えはランタンの心の内にしまったまま、それでどうかな、と声を掛けた。

「でも……わたし、お金ないよ」

「いやいやいや」

 返って来た答えにランタンは繋いだ手をブンブンと振り回した。そして、何を言っているんだ、という視線を送ったのだが、まったくもって同種類の視線をリリオンもまた瞳に湛えていた。

「え――……ぅえ?」

 ランタンは思わず瞳を逸らして、視線を足元へと放り投げた。そして石のように固まった思考を爪先で蹴り転がすようにもたくさと足を進める。

 どこから、間違えたのだろうか。

 頬を(ねぶ)るように降り注ぐリリオンの視線を感じながら、ランタンは思考の石を蹴り続ける。それはやがて角が取れて丸くなり、卵のようになったかと思うとぱかりと割れた。

 はっと仰ぎ見たリリオンがニコリと笑んだ。それはあまりにも純粋で、まるで光を見るようにランタンは反射的に視線を逸らしそうになった。だが引きつるように固まった首の肉がそれを許さなかった。

 リリオンは探索のその結果である利益を、最初(はな)っから求めてはいない。それは今回の探索で自らの働きぶりを過小評価しているからではなく、大前提としてリリオンは自らの働きへの対価を放棄しているようだった。

 今までがそうであったからか、それとも別の理由か。ランタンは唇が引きつるのを感じたが、無理やり口を動かした。声が上擦っている。

「迷宮で得た利益は、山分けだよ」

「わたし、いらない」

「いや、いるいらないじゃなくて――」

「わたしはもうもらったから」

 水を、食事を、服を、大剣を、盾を。

 リリオンは握った拳のその指を一つ一つ解きながら与えられたものを数えていった。そして指の数が足りなくなると遡るように一つ一つ指を折り、丸い拳をつくり上げる。

 リリオンはその拳に唇を当てた。まるで神の御下に跪き、その爪先に口付けるように。

 息が詰まるようだ。ランタンは掠れる喉を動かして粘度の高い唾を飲み込み、意識的に眉間に皺を刻んだ。

 間違っている、とそう強く感じる一方で名状しがたい感情が心臓の裏側に疼いているような気がした。それは小さな虫のように心臓に潜り込み、血管を泳いで全身へと広がろうとしていた。

「――っ」

 ランタンは折れた指を気にする余裕もなく反射的に頭を掻いた。頭皮に引っかかる指先が骨を引き攣らせて怪我が痛む。その痛みが深く沈み込みそうになったランタンの思考を引き留めた。

「ランタン、……だいじょうぶ?」

 ランタンはリリオンの声を無視して足を止めた。目を瞑って一秒数え、鼻からゆっくりと息を吸う。ぞわぞわぞわと血管を這いまわったその感情を肺腑に集めると、呼気に混ぜ込むようにして肩が沈むほどに深くそれを吐き出した。

 瞼を重たげに持ち上げると、睫毛が絡みそうなほどの近くにリリオンの顔があった。心配気な顔が安堵の息を漏らすと、その空気の流れがリリオンの唇を舐めた。

「リリオン、手を離して」

「え……ランタン……?」

「いいから」

 ランタンが少し強くそう言うと、リリオンはこわごわと手を離した。ランタンは開放された手をぷらぷらと揺らし、髪を掻き上げるついでにそのままぐっと夜空を掴むように背伸びをした。

 みしみしと肋骨がなっている。

 探索者はただの職業だ。探索者を目指し、また探索をこなす理由は人それぞれにあるのだろうが、多くの人々は金銭を求めている。大金持ちになりたいという者もいれば、日々を過ごす日銭を稼ぐ者もいる。ランタンだってそうだ。生活するために探索者をしている。

 ランタンは星の散らばった夜空から視線を下ろした。おろおろとした不安げな表情のリリオンがいる。彼女が探索者を目指した理由はどこにあるのだろう。いや、とランタンは(かぶり)を振った。どんな理由であろうとも金はなくてはならないもので、そこにリリオンの意志が介在する余地はない。

 ないったら、ない。

「ラ――」

 今にも泣き出しそうな震える声を遮るように、ランタンは傷口に響くほどに強引にリリオンの手を取り再び歩き出した。それは乱暴で、手を振り払われても文句を言えないような振る舞いだったが、しかし頬を緩めたリリオンにランタンは苦笑して舌で唇を湿らせた。

「家に帰るまでが探索だって言ったよね」

「うん!」

 不意に放たれた言葉に、リリオンは間髪入れずに頷いた。

 名前を呼ばれた犬のように嬉しそうなリリオンの様子にランタンは多少の自己嫌悪も覚えながらも、それを声に滲ませずに更に続けた。

「じゃあ探索中は?」

「ぜったい、ふくじゅう!」

 言葉を繋いだリリオンに、ランタンは鷹揚(おうよう)に頷く。

 正確には、()()()では絶対服従、だっただがそんな些細な間違いをリリオンは気にも止めておらず、ランタンは気づきながらも敢えて無視した。

「と、言うわけで命令です。利益は山分け――まぁ配分は考えるけどね」

 有無を言わせないランタンにリリオンは服従の、う、の形をしたままの唇を更に突き出して拗ねるように頷くのだった。

 騙し討ちのようなものだったが、口も回らなければ頭も回らないので仕方がない。それに視線の先には魔道光源に照らされる探索者ギルドが浮かび上がっている。お話の時間は終わりだ。

 ランタンは気持ちを切り替えようとして、しかし憂鬱そうにため息を吐いた。

「……どうかしたの?」

「んー、こっからが面倒なんだよ」

 迷宮を一つ攻略したのだから勇者のように迎え入れてくれても良いだろうに、この先にあるのは美貌の姫君ではなく諸々の事務手続きだ。

 ランタンは魔道によって重さを感じさせない巨大な扉をまるで内側から押さえつけられているかのようにゆっくりと押し開き、その隙間から溢れる眩いばかりの光の中へと足を踏み入れた。



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