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カボチャ頭のランタン  作者: mm
08.In The Deep Haze
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 霧の中でリリオンを抱きしめた。

 ランタンは少女の肉体に生を実感する。甘い嬌声は霧に溶け、肉体は重なった。服を着ていることが残念でならない。交わりきらない体温がもどかしい。

 そんなことを思考の片隅で考えながら、細い腰に腕を回し、力の限り引き寄せる。

 そして同時に自らの体重を与えた。

 ランタンはリリオンを横様に押し倒した。

 躓いたみたいに、霧を抜ける。

 まず感じたのは温かさだった。室内だ。

 ぱちぱちと爆ぜる音がする。それは暖炉で薪が燃える音。乾いた、そして香ばしい匂い。暖かな光は複雑に揺らめく。

 転んだ衝撃を和らげる。

 絨毯が敷いてあった。厚手で、素朴な手触り。室内でも土足で生活しているので、絨毯には細かな土汚れがあった。薪の匂いも相まって、森のような匂いがする。

 絨毯の上でリリオンが悲鳴を上げた。ぎゃん、と幼獣のような声だ。

 そして普通の女の子みたいに、転んだ瞬間に腕を引いて胸の下で腕を丸める。受け身でもなんでもない、単純な防御反応だった。膝を折り曲げ、胎児のように身体を丸める。

 自ずと紐が引かれ、繋がれて炎虎の首が絞まる。リリオンが紐を手繰り寄せて炎虎を胸の下に隠す。虎は猫のようにか細く鳴いた。

 リリオンの悲鳴よりもかわいい声だが、ランタンにとってはリリオンの方が愛らしい。

「ジャック!」

 場合によっては睦言を囁くべきランタンの唇が、色気もへったくれもなくジャックの名を叫んだ。

 部屋の中に人の気配が二つ。

 いや、三つ。

 はっきりと感じられる気配の二つは、警戒色に視界を染めるほどに激しい。

 当たり前だ。ランタンたちはまぎれもなく侵入者だった。

 ランタンの頭上を鈍く、それでいて鋭い風切り音が聞こえる。

 脛切りの太刀筋だった。

 暖かなリリオンを組み伏せ、それでいて背筋がぞわぞわと凍える。

 殺意を孕んだ剣風に後ろ髪が逆巻く。

 一、二の三で合わせている。

 待ち伏せされたような反応の良さだった。

 転移結晶はどのように霧を生み出すのだろう。例えば目的地が決定された時、目的地にも霧が発生するのだとすれば、そして発生した霧がそういうものだと理解しているのならば、この反応も理解できる。

 相手は霧を知っている。つまり、相手は。

 実力はテスとどちらが上だろうか。鋭さはテスが上回る。だが重さはこちらが上か。

 しかしテスの時のような怖さは感じられなかった。テスのそれは正体不明な怖さだった。何が自分を襲っているのかわからない、真っ黒な殺意があるだけだった。

 だがこの攻撃には明確な目的がある。

 背後に潜む意図が見えた。

 まずは確実な足止め。

 それが脛切りの理由だ。

 ランタンは張り付いてリリオンを絨毯に釘付けにし、視界が床を舐めて這い上がる。

 脚は四本。簡素なズボン。靴の大きさから一人は普通で、もう一人はランタンほどに小柄だと判る。三人目は視界にいない。ともすれば忘れてしまいそうなほど気配が薄い。

 大きい方が前衛で、小さい方が後衛。

 脛切りが空を斬り、切り返しのための一瞬の停止。

 その瞬間、魔精が暴力的な気配に染まった。

 後衛は魔道使いだ。

 暖炉の熱気の中に冷気が混じる。収束し、形を成そうとする。氷。きりきりと軋む音がする。高密度に圧縮されている。

 前衛の切り返しが動き出す。

 鋼の音。

 ランタンから間を置かず霧から飛び出したジャックのナイフが鋼の交差を奏でる。だが一合持たない。一撃で打ち負けた。

 驚きと、苦悶の声をジャックが漏らした。霧の中に押し戻されるようにジャックの影が引き下がる。

 ランタンはリリオンを右腕に抱き、腰に下げたままの戦鎚に力を込め、一纏めに重さを変動させた。左手で床を力任せに押した。

 壁際まで一気に退いて距離を取ろうとしたのだが、途中で止まった。背中をしこたま打ち付けた。硬く、ごてごてした感触。ランタンは背後に手をやって身体を起こす。掌に伝わったのは一転してつるりとした感触だった。硝子のそれだ。

 部屋の真ん中に、なぜ。

 振り返りたいが相手から視線を切るのは怖い。ランタンはリリオンを膝の上に抱え、硝子を背中に座る。

 前衛の気配が膨らんだ。追ってこようとしている。

 いや、戸惑いがあるか。だがなぜ。

 前衛剣士に黒い影が襲いかかった。

 敵としては恐ろしいが、味方になったテスは百人力だ。ジャックが素早く体勢を立て直す。リリオンがランタンの腕の中で身体を強張らせた。

 漲らせたといった方がいいかもしれない。体温が一気に上がり、筋肉が震えた。左腕に炎虎を抱き、右手が柄に掛かる。

 柔らかかった尻が、石化したみたいに硬くなる。

 刃圏に入った瞬間、リリオンは抜き打つだろう。座した状態でも相手の胴を抜くことは訳ない。ランタンが抱くのはそういう肉体だった。

 しかし入り込む余地はあるだろうか。

 テスと前衛剣士が斬り結んでいた。

 剣士はテスの二刀を、一つの刀で捌いている。そしてそれどころか、テスの相手をしながらジャックへの牽制も忘れず、ランタンたちへの警戒も怠らない。

 使用している刀はリリオンの竜牙刀を小さく、圧縮したような鋸刀だ。がり、がり、がり、と打ち合う度に鈍い音が響く。それが高速で発生しているので、回転砥石に金属片を押しつけたような異音となっている。

 火花が散って、それが花びらのように赤い。

 前衛剣士は女で、頭上に虎の耳があり、虎の尻尾もあった。暗い金の髪をした虎人族だ。

 瞳孔が縦に割れた目には重厚な激情がある。

 意外だ、とランタンは思った。

 ランタンはその女に見覚えがある。霧に飛び込む前、ちらりと頭に思い浮かんだ女だ。

 その女は王都の闘技場で半人の魔物を刻んでいた。

 それはサラス伯爵に仕える女騎士だった。

 闘技場では死体を切り刻んで、臓腑を撒き散らすように舞台を鮮血に染め上げ、観客の悲鳴と伯爵の愉悦に少しだけ顔を顰めただけの女とは思えない激情が表情に表れていた。

 テスの斬撃が肌を裂く。致命傷は避けていた。だが焦りが浮かんでいる。集中力でテスに劣っていた。

 テスの目的は一つで、彼女は違うのかもしれない。その差だった。

 反面、その背後の魔道使いはまったくの無貌だ。

 兜というべきか、仮面というべきか、銀の覆いで頭部を包んでいる。それは鏡面であり、暖炉の光と斬り合いの火花がきらきらと反射している。

 たしか、彼女もまた伯爵に仕える騎士の一人だったはずだ。

 彼女の周囲には群鳥のように氷片が浮かんでいた。それは刃であり、棘であり、礫である。群れをなしてテスに襲いかかるさまは、その一つ一つに意思があるのかと思わせる。

 ランタンやレティシアの大味な魔道とはひと味違う、リリララの渾身の魔道細工よりも遥かに精緻な魔道だった。

 それは虎の騎士の激情とは対照的な、零度の殺意だった。

 しかしテスを脅かしはしない。

 テスから余裕を奪いはしている。だが命までは届かない。二人の斬り合いに決定的な介入はできていない。

 羽虫を払うがごとく、己だけではなくジャックへのそれさえも斬り払う剣技の凄まじさよ。

 伯爵の騎士二人はよく保っている。

 違和感はどこか。

 ランタンはほとんど初対面の筈の彼女たちを、自然と高く見積もっていた。彼女たちならもっとやれるはずだ、と。

 殺しにきているが、それに徹しきれていない。

 その理由は。

 背後。

「――リリオン、どいて」

 自らが少女を膝の上に抱え込んだというのに、ランタンは邪魔だと言わんばかりの素っ気なさで告げた。

 あんまりのことにリリオンは驚いて戦士の硬さから、少女らしい柔らかさを取り戻した。ランタンはリリオンの背中を叩く。早く、と急かすように。

 リリオンが戦闘から視線を切って、思わずランタンを振り返った。

 いかにも不満だと言うように唇を尖らせている。

「……こういうの、なんて言うんだったかしら」

 淡褐色の瞳がランタンの視線と交差し、ゆるりと上がる。音がしそうなほどの、大きな瞬きを三回。

 少女の瞳に少女の姿が映り込んでいる。

 リリオンが退かないので、ランタンは少女の頭に手を置いて、よっこいしょと尻に敷かれた脚を引き抜いた。リリオンほどはっきりと戦場から視線は逸らせない。硝子を後ろ手に触る。

 緩慢な動作で立ち上がり、テスを大きく迂回して飛んできた氷片を戦鎚で抜き打つ。砕けた氷の欠片がみぞれのようにリリオンに降り注いだ。リリオンは、ひゃ、と声を出す。

 その声が消えるか消えないか、ランタンは怒鳴った。

「止まれ!」

 強い口調で言い、間を置かず続ける。

「テスさんも!」

「――なんだ」

 テスは虎の騎士に鋒を突き付けたまま、振り返りもせず冷たい声で言った。

「こいつの気を引いてくれたんじゃないのか。とどめの合図かと思ったが」

「そんな邪魔はしません。武器を納めて下さい」

 テスも、虎の騎士も納刀はしなかった。しかたあるまい。まだここは戦場で、相手は生きている。

 何かきっかけがあれば、戦闘は再開されるだろう。鏡面の魔道使いは氷片の数を増やし続けており、ランタンたちは完全に包囲されていた。

 誰も動かない中で、ランタンは少し立ち位置を変えた。

 背中にしていた硝子、それは大きな円筒の容器だった。騎士たちに正対しながら、部屋の中央をぶち抜く硝子の円筒に並んだ。

 ぺたりと掌をつけると、人肌のような温かさが返ってくる。

「触るなっ!」

 虎が吼えた。頬がぴりっとする。そして罪悪感もくすぐられる。そんな声だった。

「失礼」

 ランタンは掌を離す。

「この部屋に戦いは似合わない。それに大きな声も」

 静かに、と言うようにランタンは唇に指を当てた。

 ランタンは礼儀正しく、だが有無を言わさず振る舞う。




 思いがけない邂逅だった。

 ロベール・ベルトラン・サラス伯爵。

 肉体と精神の異形を愛する、巨人族の血族であるリリオンに執着を示す貴族。

 その近習とも呼べる騎士が二人もいた。

 普段の生活ではレティシアが守ってくれていた。伯爵と、その関係者がランタンたちに近付かぬように。正直なところ日頃は、その有り難みを認識することは難しい。

 レティシアの配慮の外に出た途端にこれだ。

 思いがけない邂逅だが、けれども想像通りのことが起こった。

 理由はなんであれ、戦闘があるだろうと確信に近い思いがあった。そして実際にそうなった。

 だが想像の中の戦闘は自分と彼女たちの戦いであり、まさか自分の代わりにテスが戦うとは思っていなかったし、その戦闘を自分が制止するとは少しも考えてはいなかった。

「何を笑う」

 虎の騎士がランタンに言った。

 ランタンは自分が笑った事を不思議がるように頬に触れる。

「いい部屋ですね」

 暖かな部屋だった。

 サラス伯爵は異形を愛する。黒い卵と繋がりがあっても不思議ではない。黒い卵の実験、その結果や過程で発生する人間の状態は、彼にとって好ましい。

 部屋の中央にある硝子の円筒は、前の施設で見たものに酷似している。

 ここが黒い卵の施設で、繋がりのある伯爵の騎士がそこを守っている。そういう可能性もないわけではない。

 だがこの部屋はあまりにも暖かすぎる。

 耐火煉瓦のくすんだ赤色。暖炉の中で炎が揺らめいている。暖炉は半円の柵で囲われていた。近付いて火傷しないように。

 絨毯には小振りな花々が咲き誇っている。蔓草の緑が鮮やかで、花びらは優しい色をしている。

 机の上には花瓶があった。瑞々しい切り花や、あるいは乾燥し甘いに芳香を広げるもの、花ではなく小さな赤い実が連なっている小枝なども飾られている。

 壁に備えられた棚には様々な本が収められているが、絵本や図鑑がほとんどだった。本だけでは棚を満たしきれず、細々とした小物も置かれている。棚から溢れた人形やぬいぐるみが、床に積み重なっている。

 どことなくリリオンの部屋を思い出させたが、リリオンの部屋よりも物に溢れていた。

 そして愛情にも溢れている。

 ここが黒い卵の研究施設である筈がなかった。

 硝子の円筒の中は、薄青に色づいた液体で満たされており、その中に一人の少女が浮かんでいる。

「それを、納めてくれませんか?」

 ランタンは虎の騎士の刀を指差す。

「断る」

「なぜ?」

「お前たちは侵入者だからだ」

 嘘つき。

 ランタンは音にせず、口の中で呟く。

「ランタン、ほうら、言葉など無粋だよ」

 テスが耳元に顔を寄せて囁く。思わずぞくっとくるような声だった。悪魔の囁きというのはこういうものなのだろう。

「ダメ」

 だがランタンは傲然と言い放つ。

 テスは子供の我が儘に付き合う大人みたいな、あるいは大人の都合に振り回される子供みたいな大きな溜め息を吐いて、刀を鞘に突っ込んだ。

「いい根性してるな」

 テスが言った。リリオンが、それだわ、と場違いに明るい声を出した。ジャックが、なにがだよ、と呟く。こちら側は最低限の警戒だけ残して、戦場から片脚を抜いていた。

 ランタンは硝子に触れず、指を指す。

「この子に何かをしようとは思っていないです。僕はこの部屋では戦いたくない。でも殺されるぐらいなら、他人の大事なものを壊すことを躊躇いません」

 鋒が微かに揺れた。だがやはり刀を納めない。

「じゃあそのままでもいいので、ちょっと質問を」

 ランタンは言ってから少し考える。

「ここはどこでしょう? 不帰の森の中ですか?」

「――そうよ」

 答えたのは鏡面の魔道使いだった。

 増え続けていた氷片はその増加をやめ、今は少しずつ減少している。

 魔道使いの声は掠れていた。鏡面の内側に声が籠もっている。

「僕らは黒い卵のある施設を探しています。ここはそうですか?」

「違うわ」

「でしょうね。あなた方のお家でしょうか?」

「――療養所よ」

「なるほど」

 それはサラス伯爵について調べると、よく聞く施設名だった。病院、治療院、療養所、診療所、廃兵院、救護院。伯爵領内にはそういう施設が数多くあり、領民に広く開放されている。

 普通の貴族が治める領地や、あるいは都市部では求めることのできない治療が、伯爵領では平民にも施される。そういう噂に誘われて伯爵領へ移住や逗留する人々は多い。

 伯爵にはそういった実績がある。

 王領である不帰の森の使用が認可されているのだ。ここはこの森の魔精を有効活用するための実験的な療養所なのだろう。

 天井には魔道式が刻まれている。棚の隙間から覗く壁にもあり、きっと絨毯を捲ればその下にもあるだろう。

 それは門を開いたあの小部屋に記述した魔道式に似ているように思える。だが専門的な知識があるわけではないので、なんとも言い難い。高度な数式にも似て、知識がなければどれも同じに見える。

 しかし部屋にある魔精の濃さは、式を解かなくとも肌身に理解できる。

「ここに来たのは偶然です。そういえば僕らが急に現れたことには、なにも言われないんですね」

「ここでは、よくあることよ」

「それはすごいというか、おっかないというか」

 ランタンは肩を竦める。

「先程も言いましたが、僕らは黒い卵の施設を探しています。そしてもう一つ、別の目的もあった。もしかしたらそれは、ここで果たされたのかもしれない」

「言っていることが矛盾しているわ。偶然だと言ったのはあなたよ」

「お喋りになれていないので。人見知りなので緊張しているんです。もう一つの目的は、これの飼い主」

 ランタンはリリオンの胸に抱かれる炎虎を撫でる。

 炎虎は落ち着かないようで、じたばたとしていた。リリオンはその行動を怖がっているからだと思っているのか、よりしっかりと抱きしめる。炎虎はさらに藻掻く。抱擁から抜け出そうとするように。

 虎の騎士の視線が、炎虎に吸い込まれた。

「飼い主はあなた? もしそうなら、これに先頭を行ってもらった甲斐があった」

「――行く先を、この子に? 馬鹿なの?」

 信じられない、と言うような声だった。それほど無謀なことだったのだろうか。魔道使いは頭を振った。

「危険を冒した甲斐があったみたいですね」

 相手を確認せず放たれた脛切りは例外として、二人の攻撃が唯一向かないのはリリオンだった。

 リリオンが主の執着の対象だからかと思ったが、そうではなかった。炎虎の存在が、リリオンを戦闘から遠ざけた。

「ロザリア、刀を納めて」

「しかし、シーリア」

 魔道使いシーリアが頷き、氷片が滴も残さず失せた。虎の騎士ロザリアはようやく刀を鞘に納める。

「リリオン、離してあげて」

「でも、あの子たちにはなんて」

「飼い主が見つかったって言うよ」

「わかった」

 首から紐を外し、床に離すと炎虎は猛然とロザリアに駆け寄って足元に纏わり付いた。

 犬みたいに尻尾を振って、ロザリアの尻尾に飛び付いて、脚を登り、落っこちて、バターになりそうなほどぐるぐると回った。

 表情に変化はないがロザリアは戸惑っているようだった。

 炎虎はそれからリリオンの方を振り返り、突進してきた。

 少しだけ寂しそうな顔をしていたリリオンはぱっと顔を輝かせる。だがそのまま素通りされるとぽかんとして、何とも言えない拗ねた顔になり、炎虎の行く先を振り返る。

 炎虎は硝子の円筒にじゃれついている。

 中の少女は身動ぎ一つしない。

 少女は何も身に纏っていない。

 ここが療養所ならば、少女は何か身体が悪いはずだが健康そうに見えた。

 下半身は獣の要素が強く出ている。

 鋭い爪のある足先に、背伸びをするように伸びた足首。ほっそりした脹ら脛に、形の良い太股に大きめの骨盤。

 液体にそよぐ縞模様の毛皮は濡れているが柔らかそうだったし、内股気味の股の間から覗く尻尾はしっかりとしている。

 下半身は虎の血が濃い反面、上半身は人族のそれだった。

 暖炉の炎に照らされた肌は、薄青の溶液の中にあって赤みを帯びている。レティシアよりも薄い色だが、もし陽の下に晒せば小麦色に輝くだろう。

 ぺたんとした腹部、浅い鳩尾、肋骨の陰影は僅かで、胸骨は豊かな乳房に覆い隠されている。

「お前は見るなっ」

「なんで俺だけ」

 ロザリアがジャックを一喝した。ジャックも積極的に少女の裸を見ようとしているわけではないだろう。みんなが振り返ったから、自分も振り返っただけだ。それを覗き魔みたいに言われさすがに不愉快そうにする。

「お前が男だからだ」

「じゃあこいつは」

 ランタンはしれっと視線を円筒から外していた。

「幼気な少年だろ」

 テスが言う。ジャックは、別に俺は見ようとしたわけじゃ、と不満そうに呟きながら腕組みをして目を瞑った。

 少女の豊かな胸の膨らみは、液体の浮力で浮かんでいた。だが上下はしていなかった。胸郭は膨らみも萎みもしていない。水中なのだから当然とは言え、少女は呼吸をしていなかった。平らな腹部に内臓の働きを確認することはできない。

 喉も上下せず、剃刀一枚ほどに浅く開かれた唇も鼻腔も気泡を漏らさない。目蓋は柔らかく閉ざされている。伸び放題になった金の髪が海藻みたいに揺らめいて、頭上に生えた虎の耳は何も聞いてはいない。

 だが生きている。

 それは間違いなかった。

「妹さんですか?」

「……そうだ」

「似ていますね」

 円筒の少女の顔立ちはロザリアによく似ていた。

「部屋を出ませんか?」

 起こしてしまってはいけないから。

 もしも少女がベッドで眠っていたら、ランタンはそう言っただろう。

 もしもうるさくして少女が目覚めるのならば、ロザリアはきっと戦い続けただろう。

 ロザリアは円筒に歩み寄り、硝子をかりかりと引っ掻く炎虎を慣れた手つきで抱き上げて顎をしゃくった。

 二人の騎士に連れられて部屋を出る。

「もう目、開けていい?」

 ランタンが聞いて、ジャックと一緒に目蓋を開いた。 


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