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カボチャ頭のランタン  作者: mm
08.In The Deep Haze
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 黒い卵の施設は不帰の森の中に幾つもあるが、その正確な数は不明である。

 そもそも不帰の森は王領であるが、入った者を帰さないというその特性から長く持て余されていた。潤沢な魔精を利用するために様々な施設が作られたのはここ二十年ほどのことであるが、それも浅い部分に限られてのことだ。

 森林全土の解明はされておらず、深部に至っては探究者である魔道ギルドの連中でさえ二の足を踏む魔境だった。

 黒い卵が巣くうにはもってこいの場所だ。もしかしたら王家の誰かから、許可を得ている可能性すらある。黒い卵の有する技術にある魅力は、そういうものだった。

 黒い卵の研究者は、それぞれ個人の研究に没頭している。

 彼らは黒い卵という集団であるが、活動は個人の欲求の追求だ。研究者というのは得てしてそういうものだ。

 黒い卵に所属する研究者は、社会からのはみ出しものである。

 一般社会よりも懐の深い研究者の世界からもつまはじきにされるような、暗い探究心に魂を支配されている。

 それでいて研究というのは個人で行えるものには限りがある。集団に所属しなければ、人も物も金も時間も何もかもが足りない。

 そして黒い卵はそんな彼らに、望むものを全て与える。

 施設、資金、人間、つまり助手と材料。そして蓄積した知識。

 不自由の枷から解き放たれ、社会から断絶した施設で研究に没頭する研究者たちは、僅かに残された道徳心を不要なものだとあっさり捨てる。

 躊躇いを忘れた研究者は、外道の研究を追求し、世界に影響力を有する大犯罪結社は彼らの研究結果を実用化することで、不死という命題へと近づき、研究者はこれまで満たされることのなかった承認欲求の快楽に溺れ、さらに生命の真理へと接近する。

 膨大な屍を積み上げて。

 研究者は一つの施設に多くても十人に満たない。この施設の研究者はたった一人で、今はもう口を利けない。彼の助手は十三名で、これもやはり口を利けない。そして彼の研究内容はというと、これもやはり口を利くことはできないのであった。

 建物は地上一階、地下一階の二層構造で、あまり大きな施設ではない。主な研究設備は地下に備えられており、一階部分は居住空間だった。

「――生肉喰いか。殺しても殺しても湧いて出てくるな、やつらは」

 テスが不愉快そうに呟きながら、地下に備えられた研究室を漁る。

 資料の散乱した大きな机と、揺り椅子で息絶える研究者。

 俯く白髪の老人は、傍目には品のよい老人に見える。痩せても太ってもおらず、眠るように閉じた目元には笑い皺があり、喉笛を裂く切れ目だけがその肉体に刻まれた傷だった。

 老人斑も、古傷も何もない。白髪の老人にしては健康的な肉体だ。

 復元、再生、融合、強化、成長。

 これがこの施設で行われていた研究だと、テスは言った。

 一階から階段を降り、この研究室に至るまでに見たものは、あまり思い出したくはない。

 地下への階段の所にジャックと一緒に、見張りとしてリリオンを置いてきたことは正解だった。

 人の形をしていないが、それは人間だった。

 手術台の上、培養液、保存液の中、檻の内。至る所に彼らはいた。肉体の一部を不足していたり、あるいは余分にあったり、一つの部位だけが実るように生み出されていたりした。

 テスのもたらした死は救いだったのだろうか。あるいは救いだとかそんなことを、考えることはもうなかったのかもしれない。

「黒い卵に流れているな。さらわれた人間は」

「……そうなんでしょうね」

「奴らにしても人間そのものを造るのは難しいようだ。前の施設では女たちが捕らえられていた」

 その女性や、生まれた子供はどうなったのか、とランタンは聞かなかった。

 七十時間以上眠っていないテスは、七十時間以上殺戮の中に身を委ねている。

 軽い言葉や冗談は、彼女の均衡を保つために必要なものだ。

 普段、テスの中に納められていて、必要な時に必要なだけ取り出される冷酷さが、今は皮膚のすぐ下まで浮かび上がり、漏れ出ている。

 今のテスの側は、少しだけ落ち着かない。猛獣の側にいるような気分になる。

「書類関係は無視していい。どうせ我々には読み解けない」

「……そうですね」

「証拠集めをしたところで、騎士は動かないよ」

 黒い卵は凶悪な犯罪結社であるが、これを積極的に摘発、壊滅に追い込もうとする動きは見られない。もちろん黒い卵が周到に姿を隠しているというのもあるが、蜥蜴の尻尾だと思って辿った先に、竜種の頭がある可能性もある。

「司書さまのお兄さんが、黒い卵と繋がりがあるって本当ですか?」

「かもしれない程度の話だ。不老不死は元々貴族連中の夢みたいな所があるからな。黒い卵の前身が、魔道ギルドの一学派だってのは知ってるだろ。金を出していたのは貴族に教会のお偉方だよ。もちろん歴史書には書いてないが」

「もし、そうだったらどうするんですか?」

「そりゃもちろん、斬るさ。くふ、ふふふ、王族殺しは初めてだな」

 どこかうっとりしたように呟く。冗談なのか、本気なのか。

「テスさんは」

「なんだい?」

「気を悪くされるかもしれませんが聞いていいですか」

「どうぞ」

「戦うことと、殺すこととどっちが好きですか」

 ランタンとテスは棚から机らからをひっくり返して、研究者の部屋を漁る。テスがその手を止めてランタンを振り返る。

「ランタンは、私の理解者になってくれるかもしれないな」

 ランタンの質問に、テスは少しも嫌な顔をしなかった。それどころか笑顔が浮かんでいる。

「私はその二つを切り離して考えたことはないよ。戦いの結末はどちらかが殺される、死ぬことだ。死は戦いの果てにある。どのような戦いであっても。そして私は戦うことが好き。――ランタン、君はそうだな、強い女は好きかい?」

「嫌いではないです」

「私もそうさ。私は私を殺せる奴が好きだ」

「そういう強さは、ちょっと」

 ランタンが苦笑いで答えると、おや違ったか、とテスも笑った。

 そして二人してまた部屋を漁り始める。

 出てくるものは書類、宝石、魔精結晶、標本、剥製、手術道具に薬品各種。

「回復系、解毒、入眠、痛み止め」

 いかにも神経質そうな針で書いたような細い字でラベリングがしてあった。

「効果はありそうだな」

「副作用が怖いですよ」

「ここにあるのは個人使用のだろう。さすがに自分に使うのは効果が確定しているものだけさ」

 貧民街に置いてきた分の補充も兼ねて、ランタンは魔精薬を回収し、名前が書いてあるわけでもないので宝石と魔精結晶も背嚢に放り込んだ。

 だが二人が探している目的のものはまだ見つからなかった。

 黒い卵の有する技術は、一般社会で実用されているものの遥か先を行っている。門などまさにそうだ。これが完全実用すれば鉄道計画はきっと破綻するだろう。

「こっちで霧を生み出したら、向こうにも霧ができるんでしょうかね」

「さあ、どうかな」

「どうして貧民街には霧が発生したんでしょう」

 霧は高濃度の魔精が具現化したものである。

「近くで大量殺人でもあったんじゃないか」

 そしてあらゆる生き物は、多少なりとも魔精を有して生まれてくる。

「あそこは入り組んでるし、行き場を失った魔精が溜まって、魔精溜まりのようなものができたんじゃないか。それがたまたまそういう反応を見せた」

「じゃあどうして僕らはここにやってきたんでしょう」

 門を使って目的地へ行くために必要なものの一つに、想像力がある。目的となるものを想像しなければならない。

「私のことを探してくれてたんだろ」

「その時は、もうテスさんのことは二の次でした」

「その正直さはいらん。まったく、つれないことを。――おい、ランタン、口よりも手を動かせ。目的のものは見つかったのか」

「はい」

 テスは絵画の裏に隠されていた金庫に突っ込んでいた顔を引き抜いて、じろりとランタンを睨んだ。

 ランタンは白水晶よりも濃く白濁する結晶を手の中で転がす。

「見つけたのなら早く言え」

「見つけました。テスさん」

「よろしい」

 ランタンは白濁結晶をテスに投げ渡した。テスは宝石を鑑定するような目付きで眺め回す。

「幾つあった?」

「三つ」

 結晶は、水の中に白い絵の具を一塊落としたようだった。中心が濃く、絵の具が水に溶け出したような、もやもやとした白が表面へと広がっている。小振りな林檎ほどの大きさで、魔精結晶らしいひんやりとした肌触りだった。

「うん、おそらく間違いないな」

 他の結晶と同じく、発動、あるいは破壊することで封じられた力、この場合は門となる霧を顕現させる。

 探していたのは、黒い卵が移動手段として使用している門を開くための魔精結晶だった。




 階段に戻ると、二人が待っていた。

 ジャックはしっかりと見張りをしているが、リリオンは階段に腰掛けて炎虎と戯れている。

「見つかった?」

「うん」

「わあっ」

 リリオンが顔を上げる。ランタンが白濁結晶を放り投げると、慌ててそれを受け止めた。

 ほっと息を吐いて、天井に光源があるわけでもないのに、光に透かすように見上げる。

「へえ、変なの」

 そう呟いて炎虎に見せるように手の中で転がす。

 炎虎はじゃれつくように前脚で引っ掻いた。まだ柔らかい爪では砕くことができないが、ランタンは結晶を取り返し、リリオンと炎虎の頭を軽く叩いた。

「壊れたらどうするの」

「はあい」

 暴発したら惨事である。白濁したものがぶちまけられてしまう。

 ランタンは結晶をポーチにしまい、リリオンの手を取って立ち上がらせた。

「こいつ、ずいぶんと馴れたな」

 腕に抱かれる炎虎を撫でてやると、目を細めてぐるぐると唸る。動物を可愛がることに不慣れなランタンでも、それが喜んでいるのだとわかった。顎の下辺りを撫でられるのが好きなようだ。

「あの子たちが餌付けしてたからじゃないの」

「そうかもね。それか、――人に慣れていたから、餌をやることができたのか」

 リリオンが首を傾げた。

 姉弟が先に階段を上がり、ランタンとリリオンはゆらゆら揺れる尻尾を追いかけた。そして再び、霧を抜けた先の小部屋に戻った。

 この施設にやってきたのは偶然かもしれないが、この部屋に出たのは必然だった。

 そのための部屋である。

 魔道光源(ランプ)で照らすと、四方の壁と天井と床に魔道式の記述を見つけることができる。壁や扉は他の部屋とは違う素材で造られている。それは魔精を閉じ込めるための処置だ。

 迷宮特区を囲う外殻壁に似たような性質があるのだろう。

 魔精を集め、魔精を閉じ込める。

「なあ、姉ちゃん、ほんとにやるのか」

「やるとも。なんだジャック、怖じ気づいたのか」

「そうじゃないけど」

 ジャックが不安げに姉を見る。テスは白濁結晶を粗雑に扱っていた。

 この部屋に戻ってきた理由は一つしかない。

 門を開き、門を利用し、別の黒い卵の施設へ移動するためだ。

 もちろんそんな無茶な発案をするのはテスである。不帰の森を不眠不休で彷徨った彼女は、しばらくは森を歩きたくはないそうだ。

「使用法はおぼえてるか」

 門の使用法はテスが聞き出していた。情報量は少ないが、その精度は、痛みを用いて聞き出した情報なので高いだろう。

 リリオンが張り切って手を上げる。

「一つ、魔精がたくさん必要! 一つ、森の中だけで使える!」

 門を開くためには高濃度の魔精が必要である。

 ゆえに不帰の森という特殊な環境内でしか門を開くことはできないし、さらにこの部屋のような閉鎖空間や特殊加工した魔精結晶などの準備も必要になる。

 心配性なジャックや、神経質なランタンはどうしても貧民街に発生した門を無視できないが、テスはそれを例外と割り切った。これこそ情報量が足りなさすぎた。

「一つ、目的を頭に思い描くこと!」

 目的地、あるいは目的となる人物や、目的とする行動を想像することが肝要だった。

 テスが相乗りした黒い卵の研究者は、門を使用する際に薬物を利用して自らの想像力に羽を与えたのだという。

 なぜなら緊張は、想像力の妨げとなる。

「一つ、リラックスすること……」

 リリオンは少し自信なさそうに言った。

 門を利用するのは、リリオンにとっては初めてのことになる。なにせ一度目は炎虎しか目に入っていなかったのだから。

「……ランタン」

 リリオンが縋るような視線を向けてくる。

 不安そうに炎虎を胸に抱いて、その温かさに勇気を貰うようにしていた。ランタンはテスとジャックの視線を横切り、リリオンの背後に回って手を伸ばした。

「ひゃあ!」

 リリオンが背筋を反らして悲鳴を上げる。そしてふにゃふにゃと膝から崩れ落ちた。俯いて床を見つめ、耳まで真っ赤にしている。

 撫でてやると頭が沸騰したみたいに熱を発していた。ランタンは腰を屈め、耳元で囁く。

「門を通る時、もう一度してあげる」

 リリオンは無言でこくりと頷き、隠れるようにランタンの外套の内側に頭を突っ込んだ。尻というか、腿というか、その辺りに額を押しつけている。

「くふふ、テクニシャンじゃないか。どれジャック、怖いならお姉ちゃんが緊張をほぐしてやろうか」

「いらねえ」

「なに、遠慮をするな」

「やめろって、やめ――!」

 姉弟は何やら小競り合いを始めたが、弟が姉に勝てる見込みはまったくなかった。

「――テスさん」

「なんだ?」

 ジャックを物理的に押さえつけ、乱暴に頭を撫で回すテスがしれっとした顔を向けた。

 ランタンは尋ねる。

「テスさんが門を通った時は、何を考えてましたか?」

「先行者の顔貌、それをどのように始末するか。そんなところだ」

 ランタンは頷く。

「ジャックさんは?」

 小脇に抱えられたジャックは、首を捩ってどうにか顔を引き抜く。

「はあ、はあ、――お前と、リリオンのこと。あと少し、ほんの少しだけ姉ちゃんのこと」

「そうですか。僕はリリオンのことだけを考えてました。リリオンは」

「わたしは、この子だけしか見えてなかった」

 外套の内からにゅっと腕が伸び、炎虎が差し出される。

「僕はリリオンのことだけを考えてたのになあ」

 ランタンが冗談めかして、それでいて女々しいことを嫌らしく呟くと、リリオンはランタンの足にしがみついて許しを請うみたいに頬ずりした。ぼそぼそ、とランタンだけに聞こえる何かを呟く。ランタンは外套を翻し、リリオンを追いだした。

 少女は真っ赤に赤面したままだった。

「なるほど。つまり、目的地のことを考えるのは先頭だけでいいと言うことか」

「たぶん」

 門の性質は不明だ。

 一つの門で一つの場所にしか行けないのか、それとも一人は彼方へ一人は此方へと複数の出口を発生させることができるのか。想像力は個人だけのものか、それともそれぞれが足りない部分を補いあうのか、反発しあうのか。

「あと、こいつはここか、ここに似た場所からやってきたのかもしれない」

 ランタンは炎虎の耳を引っ張った。ぶう、と豚みたいに鳴く。

 ランタンたちは炎虎に導かれて、この研究施設へとやってきたのだから。

「そうなの?」

 リリオンが炎虎に尋ねるが、もちろん答えは返ってくるわけではない。

 テスは顎に手をやり、少し考える。

「難しいところだな。魔物の飼育調教や、改良改造は奴らの研究の一つだが、それにしても人に慣れすぎている。奴らは実験材料をそのように扱わない。人に飼われていたというのはありえる話だが、奴らの手によってとは思えない」

 テスはそう言ってから、にやりと笑う。

「しかし面白いことを考える。ランタンは、そいつを先頭にしようと考えているんだろう」

 ジャックがぎょっとしてランタンを見つめ、ランタンは恥ずかしそうに頬を掻いた。

「まあ、実はそうです。こいつには先頭の経験があるし、テスさんにも会えた」

 それに炎虎はリリオンから逃げた結果として霧に飛び込んだ。つまりその時は安全な場所を思い浮かべていたはずだ。

 例えば追う者がリリオンよりも恐ろしい、例えば狂犬の字を冠する者であるのならば、逃げる者の想像力はさらに純化されるのではないかと思う。

 安全な場所、自らを保護する人。

 そしてこれだけ人に慣れているのならば、それが黒い卵の研究者であったとしても、話のわかる人間ではないかと思う。

 ランタンのこの考えが、ランタンの苦しみの産物であることに少年自身気が付いていない。

 人の汚い部分を見過ぎていた。

 人がそうでないことを、どこかで知りたがっていた。

「ルー・ルゥさんを助けるっていう目的は、わかっていますけど、正直なところ僕は彼女の顔をはっきりとは思い浮かべられません」

 きれのいい体術はよく憶えているが、素顔よりも襤褸布にくるまっている印象ばかりが思い出される。

「できればそうでないことを願いたいですが、すでに知っている姿ではなくなっているとも考えられます。森林内限定の移動で結晶は三つ。最大三回まで試せるなら、一回ぐらいはこいつに任せていいかなと思いました」

 外れたとしても、どこかの施設にはいける。そこでまた情報を集めればいい。テス一人では殺すことしかできなかったとしても、四人居ればかなりの情報を引き出すことも難しくはないはずだ。

 腕組みをしていたジャックが、腕を解いた。

「こいつに、ここに連れて来てもらったってのは、たしかにある。だからこいつに任せるってのは、流れとしてはいいのかもしれない。――が、やはり少し怖いな」

「なんだ、また私に可愛がって欲しいのか。甘ったれめ。問題は、一度目か、二度目か、三度目か。どのタイミングで先頭を任せるかだ。もっとも最後の一つでこいつを試すのは、さすがの私も恐ろしい」

「一番最初! 最初をこの子に任せましょ!」

 もっとも情報が少ない時に、もっとも情報に左右されない炎虎を選ぶのは間違いではない。

 だがもちろん、リリオンはそんなことを考えて結論を下したのではなかった。

 そしてだからこそ、それに誰も反対をしなかった。リリオンが大きな声で断言すると、何となくそれでいいような気になる。

「では、そうしようか。二番手はどうする。これを見ているとな。私、虎人族に一人印象の強い奴がいてそいつを思い出してしまいそうだ」

「だあああああ! 言うなよ、姉ちゃん。余計な顔思い出すから。これでダチん家に飛んだら笑えねえよ」

「あ、わたしも、ベリレくんと戦った人は――」

「血染めのサウロンは獅子人族だよ」

「あ、そっか。よくおぼえてるね」

 血染めの、ってちょっと格好いいなと思ったのだ。

 そういえば王都の闘技場で、とランタンも一人の虎人族の顔を思い出した。だがそれをすぐに頭から追い出す。

 じっとリリオンに抱かれる炎虎の顔を見つめ、戦鎚の留め紐を解き、虎の首に巻き付けた。リリオンにその端を持たせる。

 順番は炎虎、リリオン、ランタン、ジャック、そしてテスの順になる。最初に霧を抜けた時の順番で、テスには最後尾から炎虎を怖がらせる役目がある。そんなことは露知らない炎虎は、首に巻かれた紐をしきりに気にしている。

 ランタンはそれを少し緩めてやった。

「じゃあ、いきます」

 ランタンは壁には砕く結晶を投げ付けた。それは卵のように割れ、壁を染めるような重い濃霧がむわりと顕現する。それは連接する天井や床、左右の壁を伝い、襲いかかってくるように広がった。

 自らが飛び込まずとも、霧に包まれるように。

 背後からテスの冷酷な気配が駆け抜ける。ランタンはぞくりとした瞬間、そっとリリオンに手を伸ばした。

「――あんっ!」

 リリオンがびくんと反応するのと、炎虎が手脚を埋没させるほど総毛立ったのは同時だった。炎虎はこけつまろびつ、四肢を縺れさせながら霧の中に飛び込んだ。

 もし死を想像しながら、霧を潜り抜けたらどこへ行くのだろうか。

 ランタンは視界を失う直前、もう一度リリオンの柔らかさに触れた。

 リリオンのためではなく、自分のために。

「――ああんっ!」

 小部屋には霧と、悩ましげな嬌声だけが残された。


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