184
184
入ってすぐの一人を含め、ジャックはすでに四人に息の根を止めて眉一つ動かさない。
襲ってくる相手は亜人族も、人族もいた。女と子供はいなかったが、それらはまた別の手段を使うだけの話だった。
追い剥ぎ強盗は貧民街では日常の一つに過ぎず、この地でそれらは最も一般的な職業の一つであり、その仕事の成功率が高く、かつ大きな見返りを期待できる相手が正面玄関から入ってくる客である。
今のランタンたちは住人たちにとって垂涎の的である。だからジャックは手を緩めない。自分たちを襲えば、ただでは済まないと知らしめることが必要だった。
しかし死体はどこへ消えたのか。
リリオンが怖がっていたので、四人目を仕留めた後でジャックに尋ねる。
「死体が勝手に歩くかよ」
「迷宮なら歩きますよ」
「あれは警戒心の話だ。ここは死霊系迷宮じゃない。住人がどっかに運んだんだろう」
「住人って言うのは鼠とかそういうのですか?」
「鼠だったらその場で食うだろ。人だよ」
この地で死体は宝箱のようなものだった。
衣服に始まり、所持品、ある程度の長さがあれば髪も売り物になる。だがその場で死体を漁っていては横取りされかねないので、死体を人目につかないところに運ぶのだ。一人での仕事ではなく、何人かでそれをする。あるいはそもそも死んだ男の仲間が運んだ可能性もあった。
そうやって金目の物を奪い尽くした後の死体は放置して自然に処理されるに任せるか、それらを意図的に鼠や蛙に食わせて肥え太らせることをする集団もある。
リリオンは青い顔をしていた。噂には聞いたこともあるが、さすがにランタンも気分が悪くなる。
ランタン自身、人を人とも思わない時と場合はあるが、それでもこれほど極まってはいない。
「ご説明ありがとうございます。が、ちょっと、もういいです」
「――なんだ? 意外だな。びびってるのか?」
「びびってはいませんが、うんざりはしています。あと」
ランタンはリリオンをちらりと見た。あまり聞かせたい話ではなかった。
「まだ十一歳になったばかりなので」
「お前がか?」
「リリオンがです」
ジャックが少し驚いたようにリリオンを見た。それからその白い皮膚の下を流れる血を、透かして見るように目を眇める。
「それもそうか。見た目に反して言動がガキっぽいから、若干痛い奴かと思っていたけど、それを思えばむしろ大人びている方かもな」
「わ、本当? 大人なんて初めて言われたわ! わたし、大人だって。ランタン!」
「見た目はな」
「……見た目だけ?」
リリオンは喜びも束の間、腑に落ちぬように首を捻った。そりゃそうだろう、とランタンは思う。喜びも、その後の落胆の仕草も子供のそれだ。表情が瞬き一つの間に、百八十度変わっている。
「しかしまだ十一か。じゃあランタンは七つか八つぐらいか」
「怒りますよ」
「冗談だよ。同い年ぐらいだろ」
「ジャックさんと?」
「はあ? リリオンとに決まってるだろ。おまけで一つ足して、十二。どうだ?」
「十五です」
「ははっ、面白い冗談だな」
「ぶっ飛ばしますよ」
ランタンが憤然としながら言うと、ジャックは声を殺し、肩を揺らした。
「人族は俺らより老いが見た目に出やすいからな。若く見えるのはいいことだろう」
「女の人はそうかもだけど、男が若く見られたっていいことなんてないですよ。もっとこう、ごつごつして、もじゃもじゃしてた方が格好いいし、なめられないし、絶対」
ランタンは拳を握り締めて断言した。
ジャックを見上げる視線には、身長だけではなく、豊かな毛並みに対する羨望がある。
それがジャックを戸惑わせた。
同じ亜人族であるのならば獣の要素を強く発現する外見に対して憧れを抱くのも理解はできるが、人族からそんな視線を向けられることは滅多になかった。
「わたし、ランタンがごつごつもじゃもじゃしてたら、ちょっとだけ嫌かも」
リリオンが躊躇いがちに言った。
それもそうだろう、とジャックが頷く。
ジャックは自分が亜人族であることを呪ってもいなければ、誇りにも思ってはないが、せっかく人族に生まれたのに亜人族のようになりたいと願う奴もいないだろうと思っている。亜人族の身体能力を羨むことはあっても、それは亜人族になりたいと願うことではないのだ。
「ランタンはつるつるして、すべすべしているのがいいのよ。その方がさわっていて気持ちがいいもの、ランタンにもじゃもじゃなんて――。あ、でもお耳とか尻尾ならいいかも」
リリオンは素晴らしいことを思いついたように、ランタンをまじまじと見つめる。頭の中で獣の耳や尻尾を付け足しているのだろう。にへら、と頬が緩んだ。
「いいかも!」
「繰り返しても生えないぞ」
リリオンは外套を捲り上げて、ランタンに尻尾が生えていないか、黒髪を掻き分けて耳が生えてこないかを確かめる。ランタンは面倒臭くてされるままにしていた。
「生えてないなあ、ランタンに。ランタン、生えてないね」
「ちょっと、連呼しないでくれる? 自分だって生えてないくせに。それに前は自分に生えてないかなって言ってただろ。僕に生やそうとするなよ。尻を触るな、揉むな」
「尻尾が生えるおまじないよ。わたしがいま考えたの。それに、わたしそんなこと言ったかしら?」
「言ったよ。テスさんの尻尾、触らせてもらった時」
「ああ」
リリオンは懐かしそうに頷いた。
あの時はせかせかと通り過ぎただけだったが、ちょうどこんな感じの狭い路地だったような気がする。
ジャックが前を歩き、ランタンとリリオンが後ろで二人並んで三角形を作っている。あの時はテスもいて、四角形だった。
「わたしの尻尾はもういいの、だって尻尾がなくてもランタンはさわってくれるから」
ランタンは言葉に詰まった。
リリオンの身体は滑らかで、柔らかくて、温かくて、尻尾の生えていない尻は丸くてまっ白で、ランタンはたびたびその魅力に逆らえなくなって、揉んだり撫でたりしてしまう。
ジャックの耳がひくひくと動く。尻尾が小刻みに左右に揺れたのが、指差して笑われるよりも恥ずかしかった。
ランタンはおもむろにジャックの尻尾に手を伸ばす。
「触るな。わざわざ俺じゃなくて、触って欲しそうにしてるのがいるだろ。そこに」
だがあの時のようにはいかなかった。ジャックは予想していたようにランタンの手を避け、振り返りもしなかった。
恥ずかしさの行き場がない。
リリオンがうっとりとして、期待に満ちた目をしている。
「帰ったら」
ランタンはそれだけ言った。リリオンは何度も頷き、絶対よ、と囁く。
帰ったら尻尾が生えるお呪いをかけてやろうと思う。
そのためにはテスを見つけなければならない。
ジャックは適当に歩いているようにも見えたが、明確な目的地があるのか、ずんずんと進んでいく。たまに立ち止まり左右を振り返り、鼻をひくひくさせたりもする。
「ジャックさん、狩り場ってどういうこと?」
「ん? ああ、それはな」
貧民街の核となるのは、その中心にあるいくつかの建物だ。それはかつての軍事施設である。兵舎であったり、武器庫であったり、指揮所であったりする。
迷宮都市ティルナバンの四分の一を占める下街は、かつてそこにどのような街並みがあったのかを想像するのも難しいほどに荒廃しているが、注意深く観察すれば所々にかつての軍事施設の名残を発見することができる。
遺跡にも似た雰囲気を帯びつつあるそれは年々数を減らしているが、けれど軍事施設であるがゆえの堅牢な造りのため今日まで形を保っている建物も幾つもあり、今も住処を持たぬ者が雨風を凌ぐために活用されている。
そういった建物が最も状態よく残っているのが貧民街の中心部だった。
もっとも今は廃材の中に埋もれてしまっているが、もともとそれらを使っていた兵士たちが撤退した後に残された建物は、それからずっとまつろわぬ人々にとっての聖域となっている。
人が人を呼び、建物の許容量を超えて溢れた人々は空き部屋を待つようにその周辺に腰を落ち着け、身を寄せ合い、襤褸布でテントを作り、荒ら屋が建ち、やがて本格的に根を張るようになる。
貧民街の萌芽だ。
すると空き部屋を待つばかりではなく、積極的に部屋を奪う者も現れ、やがて施設の四方が包囲される頃、そこには独特の自治が蔓延り、法の及ばない不管理地帯として確立すると、一帯は後ろ暗い連中にとって格好の土地となった。
あらゆる悪徳の需要を満たす貧民街はその後、あらゆる物資の取引による膨大な金の動きを栄養源に急速に拡大、そして閉塞し完全なる悪の自治区と化す。
だが薬物と疫病の蔓延とともに混沌を極めるようになり、当局の掃討作戦を幾度か経験し、後ろ暗い連中さえもちょっと距離を置くようになった今、地上の迷宮としてティルナバンの南側に我が物顔で横たわっているのである。
「完全に距離を置いたわけじゃないのがみそだな。目隠しにはもってこいだからなあ」
その軍事施設は貧民街の富裕層の居住区となっているらしい。
「貧民街の富裕層、――冗談みたいな話ですね」
「笑えないけどな」
貧民街は下街の残酷さをさらに煮詰めたような場所だった。つい先程の手荒な出迎えは当たり前の、迷宮とはまた違う、そして迷宮と同じほどの危険な場所である。
背を見せたら襲われる。
やはりそんな場所で生きるためには個の力を伸ばすよりも、迷宮探索と同じく仲間を作ることが必要だった。
貧民街には大小様々な、幾つもの集団が出来上がっている。極少数、真っ当に生きようとしている集団もあるが、大半は屑の集まりだ。
「襲撃者とか、迷宮解放同盟とか、邪術連合とか、なんたら至上主義とか、麻薬栽培してる奴らとか、まあ色々いる。ここから抜け出そうと思うと、探索者になるのが手っ取り早い。上がりの一つだな。だから経験積むために、そいつらに喧嘩吹っ掛けるんだよ。姉ちゃんの場合はちょっと違ったかもだけど、……そんな中で姉ちゃんが特に目の敵にした奴らがいる。そいつらを狩るんだ」
生肉喰い。
それがテスの狩りの獲物の呼び名だった。
貧民街では満腹になることはできなくても、飢えて死ぬことはあまりない。その前に誰かの手に掛かって死ぬからなのだが、それはさておきタンパク源である害獣は湧き放題であるし、どこからか運び込まれた食料のおこぼれに与ることも実は珍しくないからだ。
だから死体を漁り、金目の物を奪っても、その肉を鼠などの餌にすることはあっても、それ自体で空腹を紛らわせることはない。
だが貧民街には恒常的に人肉食を行う狂人がおり、それを指して生肉喰いと呼ぶ。
ジャックが不快感も露わに吐き捨てる。
「念入りに殺せよ」
ジャックは鼻を動かし、辻の角を曲がる。
生肉喰いは大きく四つに分けられる。理性の無いとある者。そして個人と集団。
理性無いものは獣と同様だ。肉食動物が肉を食べ、草食動物が草を食むのと同じように人間を食する。なぜそうなったのかはわからない。生まれながらにしてそうだったのか、あるいは環境によってその食性を獲得したのか。しかし彼らは人のみを食する。
理性なき者の行動は単純だ。獲物を見つけ、襲い、食する。生肉食いの名の通り、調理はしない。肉を食み、血を啜り、骨を舐る。獲物を生かしはしない。
理性の残っている者は厄介だ。嗜好の一つとして人間を喰う。ゆえに単純に腹を満たすだけでは収まらず、より美味く食べるためにしばらく飼育することもあるし、仲間内で獲物を融通し合うこともあるし、充分に腹と欲望が満たされていたら獲物を外部に出荷することもある。
それらはもともと数が少ない。貧民街では様々な利害関係が複雑に絡み合っているが、生肉喰いたちはほぼ全てから忌み嫌われている存在だ。
ゆえに狡猾で、貧民街の最も暗いところで生きている。見つけようと思っても、そうそう見つけられる相手ではない。
だがジャックの鼻には、それらの独特の臭気を嗅ぎ分けられるらしい。
ジャックはナイフに仕込んだ火の魔道式を発現した。刻まれた文様から炎が滲みだし、銀の刀身が赤熱化する。からっとした熱が肌を焼いた。鉄と大気の焼ける臭いが鼻腔に触れる。頬がぴりぴりと痺れた。
路地は行き止まりだった。三方は廃材に囲まれている。二方は木材と布が絡まり、一方は一枚の金属板で覆われている。
「四人だな。一人生け捕りにする、手伝え。そっちは見張り。逃がしゃしねえが逃げたら斬れ」
ジャックは振り向きもせず二人に言うと、おもむろにナイフを走らせた。
音もなく金属板が融断される。ジャックは自らが切り拓いた空間へ飛び込んだ。
ランタンは後を追った。リリオンを見張りに残したのはジャックなりの気遣いだろう。中で何が行われているかは不明だが、もし食事の最中に出くわしたら少女の目には穢れである。
四人。ジャックの読み通り、確かにいた。
人族と亜人族が混在しているが、そんなことは気にはならなかった。
全員が暗く、だが妙にぎらついた目をして、独特の雰囲気を醸し出している。今までの中どんな魔物よりも気味が悪く感じた。
食事の最中ではなかった。獲物を探していたのかもしれない。各々、手には武器を所持している。錆たり欠けたりして年季の入った武器だ。
いきなり踏み込まれて四人は色めきだった。
ランタンの視線が滑り、一人一人の顔を見渡す。四人の内の一人だけ、雰囲気が違う。それだけが人の要素を多く残している。ジャックもその一人を標的から外した。
ジャックが一切の抵抗を許さず三人を刻んだ。焼き切られた傷口から血は零れない。
ランタンは戦鎚を抜くまでもなく男の膝を踏み折った。そして悲鳴を上げられるよりも早く、掌打を脇の下に打ち込んで肺の空気を抜いた。男は声もなく全身を痙攣させて藻掻き苦しむ。呼吸困難に陥っていた。
危なげなかったが、妙に疲れた。
「器用なもんだな。そういう方法もあるのか」
「強打すると肺が割れちゃいますけどね。話を聞くなら喉は潰せないし。話、聞くんですよね?」
「ああ」
だからもっとも話せそうな一人を残したのだ。ジャックもランタンも、極めて冷淡な瞳で苦しむ男を見下ろした。
「あとはやる。すぐ済ませるから出てろ」
「では、お任せします」
ランタンはその場を離れてリリオンの下へと戻った。
「もう終わった?」
「まだ途中。終わるまでここで待ってる」
「ジャックさんは、何してるの?」
「もう一仕事、――腹を割った話し合い、かな?」
「ふうん」
リリオンは頷いて、それからランタンの顔を覗き込んだ。
「怪我したの?」
「してないよ。なんで?」
リリオンは鼻歌みたいに軽く、ふうん、とまた呟いた。けれど大きな瞬きをして、怪訝そうにランタンを見つめ続ける。
ランタンはリリオンの頬を両手で挟み、そのまま滑らせて耳を塞いだ。
「わ、なに?」
「いいから」
聞こえてはいないだろうが、ランタンはそう言い聞かせた。リリオンは不思議そうに何度も瞬きしている。綺麗な顔してるな、とランタンがぼんやり思っていると、背後から悲鳴が上がった。
だがそれもすぐ聞こえなくなる。ランタンはぱっと手を離した。
「もうお終い?」
「うん」
「なんだったの?」
「別に、なんでも」
「抱きしめてくれると思ったのに」
リリオンは小首を傾げる。
「ランタンって、勝手ね」
「男ってそんなものらしいよ」
「ふーん」
拗ねたように唇を尖らせて、リリオンは呟く。
ジャックが尋問した生肉喰いは理性を残している種類だった。珍しい集団だと言えた。狼の中に、狼の皮を被った羊が一匹いたのだから。もっともその羊も狂っていることは狂っているのだが。
「どうでした?」
戻ってきたジャックに、ランタンは尋ねる。
「姉ちゃんの名前を聞かせたら悲鳴を上げて死んだ」
「は?」
「冗談だよ」
半ば冗談ではなかった。
生肉喰いたちにとって、自分たちを絶滅の淵に追い込んだテス・マーカムの名前は死神か、疫病かというように恐れられている。
生肉喰いたちが現在も命脈を保っているのは、その性質が遺伝的なものではないからに他ならない。
「外れだった。姉ちゃんのことは見てないみたいだ」
「……ふと思ったんですけど。彼らがテスさんを目撃して、それで生き残ってる可能性ってどれぐらいありますか?」
「……!」
ジャックが一瞬はっとした顔をした。きっとテスは一人も逃がさないだろう。
テスが狩りを目的として貧民街に入ったとするのならば、生肉喰いからその目撃情報を得ることは不可能であると思う。
「……――姉ちゃんのことはまあいい」
極めて平坦な声でジャックが呟く。
「えー」
「まあ、いい」
「痛い痛い」
ジャックがランタンの頭を鷲掴みにした。頭蓋骨が軋み、脳が圧迫される。ランタンは口答えをするのをやめた。
「奴らのアジトの情報を手に入れた。知ったからには潰しに行く」
ジャックは、どうする、と視線で尋ねた。
テスを探すという目的は早くも失われたが、もともとそれほど本気で探しているわけではなかった。
「お付き合いします。乗りかかった船ですし」
ランタンは一瞬迷ったが、そう答えた。生肉喰いを相手にするのは、あまり気分の良いものではない。テスがそれらを狙って、狩るのも理解できる。
「猫も探さないといけないし」
「ああ、そういやそうだったな。そっちは?」
「次は、わたしも戦うわ」
リリオンは力強く宣言した。
「けっこうキツいぞ」
「行きます」
ランタンはリリオンの大刀をぽんと叩いた。しかたがない、と言うように。
リリオンはランタンになんでもしてあげると恥ずかしげもなく宣言するが、こうなったリリオンはランタンが何を言っても聞かないのである。
「じゃあ行くぞ。すぐそこだ」
ジャックは小走りになって二人を先導した。
複雑に入り組んだ貧民街を駆ける。ジャックの身のこなしは見事で、ほとんど足音はない。即席のハンドサインで後ろに続くランタンたちに、無言のまま的確な指示を飛ばした。
いかにも何かがあるという感じだった。
例えば糸が張ってある。それは鳴子と連動していたり、あるいは転倒させるため、首を狩るためなど用途は様々だった。あるいは硝子片や釘が撒かれていたり、不意に手をつけば槍が飛び出すような仕掛けもある。
ジャックはそれらを躱し、壊す。
「……腐臭」
ランタンの鼻にさえ、その臭気が感じられた。強烈な錆の臭いの奥から、鮮烈な腐臭が顔を覗かせる。
「手加減するな。片っ端から殺せ」
ジャックの言葉には温度がない。赤熱化するナイフに自身の熱量を全て与えたようだった。
ランタンは答えず、リリオンをちらりと見上げる。視線が絡んだ。つい先程は威勢のいいことを言っていたが、少し怖じけずいているような感じがする。
アジトから発せられる得も言われぬ気配は人を嫌な気持ちにさせる。
どう声を掛けようか迷った。無理をするなと言えば、無理をしがちな少女である。
「まあ、ほどほどに」
リリオンはじっとランタンの顔を見た。頷きも何もしない。
正面は行き止まりで、入り口を探す気は最初から無かった。ジャックがナイフを壁に滑り込ませる。
表面は吹けば飛びそうな廃材。だがその後ろにぶ厚い補強が入っていた。まるで金庫のようだ。大振りなナイフの刀身よりも、厚い鋼材で固められている。
ジャックが壁に切れ目を入れ、ランタンと交代した。ランタンは壁にそっと寄り添う。そして爆破した。型抜きをするように鋼の壁が抜ける。
ランタンが先頭だった。戦鎚をすでに抜いていた。
「……」
そこは見覚えのある地獄だった。
視界いっぱいに暗い閃光が広がったように感じた。強烈な既視感は、ランタンを過去に遡らせる。曖昧な記憶のいくつかが昨日のことのように鮮明に蘇る。
息苦しい。
胃の底を突き上げるような臭い。のし掛かってくるような閉塞感。耳に触れる異国の言語は人間を、人間の形をした何かに錯覚させる。
人間の暗い営みは、ランタンを心細くさせる。
壁のぶ厚さからは思いもよらない広さがあった。
そこには大量の人間があった。
例えば天井から吊され、壁に繋がれ、檻にいれられ、まな板の上に寝かせられている。それらの衣服や所持品が隅っこに集められている。また別の方には食べ残しが廃棄されている。食欲以外の欲望を満たした残滓もある。
ジャックのナイフが赤熱化している。リリオンが二刀を抜刀した。
だがその時には全てが終わっている。
ほんの数秒の内に、ランタンは六名の生肉喰いと、天井から吊されていた一人の命を奪った。
その一人は生きたまま喰われていた。肋骨の隙間に包丁が差し込まれている。左の頬と、左の肩と、腰と、両の太股の肉が削がれていた。
鶴嘴を巧みに使い手首の枷を外し、地面に横たえる。首がかくんと落ちた。項もなかった。残った頬に張り付いていた滴が跳ねた。最後、痛みはなかったと思いたい。
壁に繋がれているのは、ランタンが手を下すまでもなかった。肉で覆われている箇所よりも、骨が剥き出しになっている部分の方が多い。
呻き声は痛みと陶酔。香が焚いてあった。麻酔効果のある麻薬だろうか。
ランタンは戦鎚を爆炎で焼き、返り血を焼き落とした。のっそりと腰に戻す。掌が血の気を失って白い。
「あー、ランタン」
ジャックが言葉を探した。
ランタンがそちらに向く。表情はないが、無表情ではなかった。醒めた顔をしている。
「先に、楽に。すみません」
「ああ」
ジャックが生き残っている何人かに止めを刺した。もう手の施しようがなかった。
ランタンにリリオンが近付いた。少女の目には悲惨な光景ではなく、ランタンの姿だけが映っていた。
「大丈夫。少し、苛々しただけだから」
ランタンは肩を竦め、わざわざ心配しなくてもいいと言うようにリリオンに掌を向ける。
視線は辺りを見渡していた。ランタンの腰ほどもない小さな檻が幾つもあり、子供たちが閉じ込められている。胎児のように身体を丸め、悲鳴を上げることもできないでいた。
それらの全てが自分自身の姿と、どういうわけか重なった。
「ラン――」
リリオンがランタンの手を掴もうとした。だがその手が見えない何かを平手打ちするように、大きく振り抜かれてリリオンを躱した。
ランタンの手が矢を握り締めている。
唯一の扉が吹き飛ぶように開け放たれて、そこから第一の矢を皮切りに、次々と矢が飛び込んできた。弩用の短い矢だった。
ランタンの外套が黒竜の両翼のように翻り、全ての矢を絡め取り、叩きとした。
「てめえらぁっ、仲間を返せ――!?」
叫び声を上げながら飛び込んできたのは、ランタンとそう背丈の変わらぬ少年だった。その奥から同年代ぐらいの少年たちが流れ込んでくる。貧相だが、それぞれが思い思いに武装していて、アジト内の異様な光景を目の当たりにしても血気盛んにしている。
だが。
半瞬後にはランタンが先頭の少年の顔面を鷲掴みにしていた。爪先が浮き、藻掻くように両足をばたつかせる。ランタンはきりきりと頭蓋骨を締め付ける。
「仲間? どっちのことだ」
冷えた声で問い掛けると、少年たちが冷や水を掛けられたように静まりかえった。
「くたばってる方か、それとも捕まっている方か」
「ランタンやめろ。捕まっている方の味方だ」
ジャックが割って入り、ランタンは少年を解放した。ジャックに押し退けられるようにして、後ろに下がる。リリオンがランタンを自らの外套の内側に抱える。
ランタンの身体は冷たい。
ジャックが少年たちとやり取りをしている。自分たちが彼らの敵ではないことを説明しているが、ランタンのせいで苦労しているようだった。どうやら彼らは貧民街で暮らす子供の、子供だけの集団のようだった。檻に入っているのは、彼らの仲間だった。
「……ランタン、首に」
リリオンの指が、ランタンの首に触れた。
「首?」
「あざが」
蘇った過去の記憶が、肉体に思い出されていた。
大人の男の太い指の跡が、首輪のようにランタンの首を囲っている。
「大丈夫」
ランタンは独り言みたいに呟いた。




