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カボチャ頭のランタン  作者: mm
08.In The Deep Haze
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 ついてこようとする子猫と子犬の少女たちをクレアに任せて貧民街を目指した。

 この都市で人がいなくなった時、まず最初に疑うべき場所は迷宮か貧民街だ。

 初めてジャックと出会った時を思い出す。その時は駆け足で向かい、そしてそのまま通り過ぎた。

 しかしテスを探すという目的はどうにも緊迫感に欠ける。殺しても死なないというか、そもそも殺されるところを想像できないし、問題事に巻き込まれたとしても自力で解決できそうだった。

 なので三人は肉串と交換するように、クレアに持たされた焼き芋を頬張りながらだらだらと歩く。

「美味いな。あったまる」

「あ、ランタンったら皮むいてるわ。皮だって食べられるのよ」

「おーおー、探索者にあるまじきお行儀の良さだな」

 リリオンが指摘すると、ジャックは冗談めかし囃し立てる。ランタンはあからさまに、うるせえな、という顔をした。

「皮いらない」

 芋は茶紫色の皮をしていて、中身は薄い黄色。甘さは控えめというか、素朴な味わいだった。

 孤児院で焼いたものだ。

 ランタンたちが訪れた時、孤児院では焚き火が行われていた。

 ついに孤児院に探索者の居住施設を併設するための工事が始まったのだ。その工事で出る不要品を盛大に火にくべて、子供たちは総出で火にあたって暖を取っていた。

 半裸女が浮浪児たちを人攫いのように集めたり、人攫いから攫い返したりして、孤児院は訪れる度に新しい顔が増えている。

 例えば今日は妙に渋い髭面の中年男が男の子たちに囲まれていた。

 工事の作業員かと思ったら迷宮崩壊事件の折、半裸女と肩を並べて戦っていた重装備の探索者の中身なのだという。

 彼も半裸女と同じく大きな怪我をして、年明けまで入院していた。彼は全身を覆っていた装備を売り払いその貯金を切り崩しながら過ごしていた。もう探索者として生きることはできない。

 そうした探索者の行き着く先の多くは犯罪者としての余生だ。

 迷宮探索はできずとも、一般人に相手ならばその腕力は金を巻き上げるにあまりあるからだ。そうやって人生を腐らせていく。

 しかしそれができる探索者はまだ器用な方だ。

 ランタンもその一人かもしれないが、探索者は迷宮に取り憑かれている。迷宮を攻略する力が己から失われたと知っても、迷宮に挑まずにはいられない。そして未帰還となる。

 探索者として生きられないのならば、探索者として死ぬしかないのだ。

 子供たちのために探索者生命を賭けた同士であるからか、それとも変態のよしみか、髭中年を半裸女が連れて来たのはほんの半月ほど前のこと。

 それ以来彼は、雨風しのげる寝床と食事を提供して貰う代わりに、孤児院の用心棒と子供の、特に男の子たちの相手をしているようだった。

 性癖に多少の難はあるが、大人の男がいることは孤児院にとって心強いことだった。

 慈善事業とはいえ女二人だけでは孤児院を切り盛りするのはやはり大変で、子供同士とはいえランタンと同い年か年上の男もいる。男女が一つ屋根の下で寝起きをすると不埒な行為に及ぼうとする子もでてくるのも必然だった。

 半裸女はそういった欲望の全てを自らの向けるように振る舞うことでどうにか最悪の事態だけは避けてきたが、それにも限界があった。クレアと二人だけでは目の届かないところが出てくる。

 例えば子犬と子猫の少女二人が焚き火から離れたことにもランタンたちが連れてくるまで気が付いていなかったし、もしかしたらあの二人は急に人の増えた孤児院が少し居心地が悪いのかもしれず、子供の数だけ悩みはあり、全てを同時に解決することはできない

 髭中年が男の子たちの教育係になったのは僥倖だった。男には男にしか相談できない悩みがある。

 髭中年は暴れん坊ばかりだった男の子たちから早くも尊敬と信頼を勝ち得ていた。

 髭中年の号令の下、男の子たちは率先して働いていた。火を絶やさぬように廃材をくべ、冷たい水で指を真っ赤にしながら芋を洗い、それを灰の中に埋め、程良いところで掘り返して女の子たちに配っていた。

 幼くも、覚束なくも、紳士的な振る舞いだった。そしてそうなると女の子は弱い。

 特に孤児院の子たちは優しさに飢えているからか、男の子ってやあね、とか言っていたのに、ちょっと照れながらお礼を述べたり、温かいお茶を淹れてあげたり、指の火傷に軟膏を塗って上げたりしていた。

 孤児院の雰囲気は悪くなかった。あの二人の少女も結局はクレアに構ってもらえるとわかって、その膝に纏わり付きながらランタンたちを見送ったのだった。

 あの子たちも皮ごと食べていたな、とランタンは思う。

 いや、しかし。

 ランタンは横目にリリオンとジャックの芋を見た。茶紫色の皮にうっすらと焦げ目が見え隠れしている。

「好き嫌いはダメよ」

 そして自分の芋は皮が炭化していると言って良い。皮が厚いため中身に影響はないが、それでも見間違いではなく焦げている。灰の中に浅く埋めすぎたのか、それとも取り出すのを忘れていたのか。たまたま偶然か、それとも男子連中の嫌がらせか。必死になって芋を焼いて女の子たちといい感じだったところに現れ、肉串で彼女たちの好感度を掻っ攫っていったから憎まれたのかもしれない。

 花より団子。芋より肉。現実は色気よりも食い気が勝る。

「いらないものはいらないよ」

「ちびを気にしてるんなら、なんでも食った方がいいぞ。あのガキどもにも抜かれるぞ。あ、半分にはもう抜かれてたか」

「気にしてないから食べません」

 ランタンは真っ黒く固い皮を剥いて、湯気の立つ芋に親の敵のように齧り付いた。そして悶え苦しむ。

「あ、あふ、あつい」

「……お前、素手で炎払えるだろ」

「はあっ、は、ふは、あああ、あっつう。あー、熱かった、はあ。それとこれとは話が別です」

「大丈夫、お水飲む?」

「飲む。口の中火傷した、ほら」

「わ、真っ赤っか。たいへんたいへん」

 べえ、と舌を出すと塗ったように赤くなっている。リリオンが口の中を覗き込み、背嚢から水筒を取り出してランタンに渡した。ランタンは水を口に含み、しばらく口中を冷やしてから温くなった水を飲み込む。

「僕が平気なのは火であって、熱じゃないですもん。ああ、酷い目にあった」

 魔精による肉体強化の不可思議なところだった。火竜の息吹でさえ素手で払うことができるかもしれない肉体が、ほかほかの焼き芋にひいひい言わされるのだ。ランタンは残りの芋を少しの水と一緒に口に含んだ。

「いいこと聞いた。お前と戦う時は熱湯を用意しておこう」

「熱湯って、人を乾飯みたいに」

「乾飯? ははっ、なんだそれ」

「それにジャックさんと戦う予定なんてないですし」

「――いいや、わからんぞ。俺、最近トライフェイスに誘われてるし」

 トライフェイスは迷宮崩壊事件で活躍した探索団で、その時すでに大所帯の探索団だったが、あれ以来さらに団員を増やし続けて、一大探索団と化していた。有名な探索者や探索班そのものを、あるいは名うての傭兵探索者などを次々に入団させている。

「ふうん、入るんですか?」

「入らねえよ」

 自分が話題を切り出したくせに、ジャックは不愉快そうに言った。

「迷宮探索での稼ぎだけじゃなくて、月々の給料もでるらしいじゃないですか。まさか探索者が安定職になるとは。ほら、それに副長のギデオンさんは亜人族さん方には大人気だそうで」

「それでも入らん。って言ってるのにしつこいんだよ」

 ジャックの尻尾が鬱陶しいものを追い払うようにぶんぶんと左右に揺れた。

「へー大変ですね」

「気軽に言ってくれるな」

「他人事ですもん。それにそういうのって拒否し続けるしかやることないですし」

 何気ない一言に妙な説得力があってジャックは押し黙った。闇雲に掃き掃除をするようだった尻尾がぴたりと止まり、横目にランタンを見下ろす。そして、ああそうか、とそんな目付きになった。

 一年の大半を迷宮で過ごすがゆえの生白い肌。

 その身に纏う妙な清潔感を際立たせるのは、身に纏うものにいつだって青い血が生々しく跳ね、黒い染みとなっているからだ。

 華奢な身体付きに不釣り合いな重々しい戦鎚が、しかし肉体の一部であるのは淀みない身のこなしから見て取れる。

 それはかつて単独探索者として名を馳せ、数多の探索班から破格の待遇をもって力を請われ、そしてただの一度も首を縦に振らなかった探索者の姿である。

 その実、勧誘を断る姿を見て生意気だなと思ったことがジャックにはあった。

「ランタン」

 ジャックはおもむろにランタンの頭をぱちんと叩いた。

「痛っ、なに? なんで叩いたんですか?」

「なんでもねえよ」

「理不尽すぎる」

「じゃあ芋の皮を捨てたからだ」

 意味わからん、とランタンはぶつくさ言う。

 リリオンが、ランタンを苛めないで、とここぞとばかりに乱れた黒髪を直した。二人きりならさておき、人前でこういうことをするのをランタンは嫌がる。一瞬の隙を突いた行動だった。リリオンはランタンの肩を抱き寄せた。

「……こんなことしても僕は敵になりませんよ。もちろんトライフェイスに入っても」

「でも向こうはお前を敵だと思ってるんじゃないのか?」

「さあ? 知らない。どっちにしろ敵じゃないし」

「よく言う」

 トライフェイスはめぼしい探索者に片っ端から声を掛け、勧誘をしているが、ランタンには一声も掛かってはいない。それはランタンにとっては面倒がなくて喜ばしいことだった。

「あいつらお前を悪く言ってるぞ」

 ランタンは肩を竦めた。

 トライフェイスの団長であるノーマン・ダン・ヘイリーは貴族の三男である。基本的に長子相続、爵位を継げない貴族の次男三男は探索者に身を(やつ)すというのは、それほど珍しい話ではない。

 しかし活躍した探索者を客分として迎える文化があっても、身内が探索者となれば話は別で、貴族の体面を保つために探索者となった子とは疎遠になったり、あるいは勘当することもまた珍しくはない。

 通常、家を継げない貴族の子らは家の体面を保つために学者や官僚などの知的職業、騎士や聖職者などになることが多い。だが貴族家に生まれたがゆえの権力欲の強さは、それを得られないと悟った時、ふと探索者の道を選ばせる。

 貴族の持つ力とはまた別の、純然たる暴力の魅力に惹かれるからかもしれない。

 だがこのノーマンはそういった感情とは無縁な貴族の探索者だった。

 彼の背後には生家であるノーマン家がちゃんとついており、それどころか貴族連合がついており、さらには商業ギルドまで背後霊のようについている有様で、それらから多大なる援助を受けている。それ故に大規模探索団を維持できるのだ。

 探索団としての稼ぎだけでは、維持費は紛れもなく赤字だろう。しかし月々の給料まで支払って集団を維持する理由はなんだろうか。

 それは探索者ギルド内で大きな発言力を得るためだった。

 探索者ギルドの持つ迷宮利権は枯れぬ金脈に等しい。農産物以外の商業活動を行うに必要な資源の多くは迷宮から産出された。

 貴族と商業ギルドが狙うのはそれであり、トライフェイスの団長というのは傘下の探索者全ての代弁者であり、ノーマンは貴族商業ギルド連合の傀儡である。

 そんな彼らにとって目の上のたんこぶなのがランタンだった。

 積極的に探索者たちとかかわり合いを持つことは少ないくせに、ここぞという時に影響力があり、それだけならまだしも貴族派にとっては目の上のたんこぶネイリング家を後ろ盾に、何やら探索者ギルド上層部とも懇意にしているとか、していないとか。

 一番最後のは探索者ギルド広報が広めた噂でありランタンとしては中立を気取っているが、そんなこともあってトライフェイスからは疎まれている。

 トライフェイス所属の犬人族に、ギルドの犬め、とすれ違い様に言われた時には笑ってしまった。

 ランタンは慣れっこだったが、リリオンは隠そうともせずむすりとしている。

「ランタンの悪口! 誰がそんなことを言うの、ジャックさん。わたし、こらしめてやりたいわ!」

 鼻の付け根に皺を寄せて、唸るようにそう言った。

「言いたい奴には言わせておけばいいんだよ。ほら、ジャックさんも困ってるし」

「でも」

 ランタンはリリオンの外套の中にするりと手を滑らせる。何をどのようにしたのか、リリオンはむふうと鼻から大きく息を抜き、頬を染め、どうにか溜飲を下げたようだった。

 特に困ってもいなかったジャックはそんな二人を見てさらに呟く。

「言わせておいてもいいのか? つけあがらせても鬱陶しいだけだと思うが、リリオンのこともうだうだ言ってるぞ」

「誰が何て言っていましたか? ジャックさんの知ってる人ですか? どこに住んでいますか? 焼き入れないと」

 ランタンが外套から引き抜いた手を寒風に翳した。リリオンの体温に温められ、それは指先が爪まで赤くなっていて、その赤さが染み出したように五指から爆炎が吹き、螺旋を描いて絡まり合い、掌で珠となった。

 ランタンはそれを握り潰す。心臓を握り潰したみたいに、指の隙間から紅い炎が漏れ出た。

「二重人格だな」

 言い得て妙な悪口だった。例えば日常のランタンと、戦場のランタンは姿は同じでも別人に見える時がある。

「わたしはいいのよ。だって……」

 今度はリリオンがランタンをあやした。どうしてランタンは自分を簡単に幸せにしてしまうのだろう、と少女は思う。

 リリオンはふいにランタンを抱き上げると、真っ直ぐ走った。立ち止まって振り返るとぽかんとするジャックがだらだら歩きながら近付いてくる。

 距離は五十メートルほど、三十か、四十秒ほどで追いつかれる。

 それまでは二人っきりだった。

 背中でジャックの視線を切り、リリオンはランタンを外套の中に招き入れる。自分を見上げるランタンは少し驚いている。一見するともう怒ってはいなさそうだが、針で突けば破裂し飛びだしそうなほどの炎を内に満たしているのがリリオンにはわかった。

「だって、ってなに?」

 ランタンの問いかけには答えず、リリオンは顔を寄せ、ランタンの唇を何度も啄んだ。言葉で何かを伝えるのに、三十秒は短すぎる。

 背後にジャックの気配。リリオンはそっと離れ、ランタンの唇を指で拭った。ランタンはもう怒ってはいなかった。

 ぽつりと呟く。

「芋味」

「ランタンもよ」

 リリオンは悪戯っぽく微笑んだ。

「なんで急に走ったんだよ」

「ちょっと内緒話を」

 ランタンは恥ずかしさを隠すような、すかした顔をしている。リリオンはその顔が愛おしい。

「けど本当にいいのかよ。あいつら滅茶苦茶言うぞ。お前が小鬼だとか、こっちが巨人だとか」

 愛おしい気持ちが胸一杯になると、リリオンは同時に勇気や希望に満たされる。世界が太陽に照らされ、光が満ちあふれて、世界で自分が一番幸せなんじゃないかと思う。

 リリオンは歌うように言った。

「ランタンは小鬼なんかじゃないのよ。わたしは本当に巨人族だけど」

「――正しくは巨人の血が混ざってる。四分の一」

 ランタンが注釈を加える。

 ジャックは言葉を咀嚼し、冗談か、と一度聞いた。

「さすがにこんな冗談は言わないです」

「なるほど。それを聞かされた俺はどうしたらいい?」

「できれば、今のところは内密に」

 ジャックは、わかった、と答えた。

「ジャックさんは、わたしのこと、巨人族のこと怖くはないの?」

「……難しいところだな。悪さをしたら巨人に食われるぞとか、おっかないことは言われた記憶はあるが、俺はそれよりもな」

 ジャックは頭を掻き、腕組みをした。

「それよりも、それを言う姉ちゃんの方がよっぽど怖かった。あれに比べたら巨人もなあ、なんていうか、普通だな」

 ジャックは背筋を震わせ、それから思い出したように突き出た鼻先に人差し指を当てた。

「姉ちゃんには言うなよ」




 貧民街を眼前に迎えるまで、忘れていたかのようにテスの話はしなかった。

 最近は探索者が二人以上集まれば、どこでも探索者ギルドか迷宮の話をしている。

 探索者ギルドは探索者証登録の厳格化に始まり何か変わろうとしているし、はたしてどちらが先か、迷宮もその有り様を変化させようとしていた。

 ランタンたちが以前に攻略した水棲系迷宮がまさにそうであったが、一つの迷宮に複数系統の魔物が出現する迷宮がこのところ多く確認されるようになり、探索者は口々に情報交換をしている。

「当たり前ですけど、ギルドの方も情報は掴んでるみたいです。こうやって噂になるよりも前から」

「根掘り葉掘り聞いてきやがるからな、あいつら」

 ジャックは手首で揺れる探索者証を撫でた。

「ギルドの内規が変更されるのはもうご存じですよね。正式な発表は春先、実際にそれが変更されるのは夏頃らしいんですけど、そこで一緒に迷宮の種類区分も変わるそうです。今は魔物の系統別ですけど、環境で」

「……そこまで増えてるのか?」

「みたいですね。報告数が倍々に増えてるみたいなので、夏頃には半分以上の迷宮がそうなるかもしれないかもしれないみたいな?」

 ランタンは言葉尻をあやふやにしたが、ほとんど確実なことらしい。ジャックはいちいち突っ込まず、喉元のふくよかな体毛を掻いた。そろそろ生え替わり初めなのかもしれず、抜け毛をふっと吹き散らす。

「よく知ってるな。やっぱりトライフェイスの連中が言ってるのは正しいのか? まったくこのギルドの犬め」

「探索者は等しくギルドの犬みたいなものじゃないですか。攻略だって許可制だし、攻略したら報告義務もあるし、あっち行けこっち行けって崩壊戦に行かされるし。わんわん、わーん」

 ランタンが冗談めかして吼えると、意外な一面を見たリリオンがぽっと頬を赤くした。リリオンの前では大人ぶりたいランタンが、年相応の無邪気さを見せたのが何やら少女の琴線に触れたのかもしれない。

 それはジャック相手だから見せた無邪気さだろう。ランタンには程良く年上の同性の知り合いはジャックしかいないのだった。

 しまった、とランタンは何も言っていない風をよそおう。

「僕の情報はギルドからだけじゃないですよ。ほら、レティがいるし。貴族とどっぷりですよ」

「しっぽりの間違いじゃないのか?」

「間違いです。ジャックさんだって、テスさんから話は聞かされてないんですか?」

「姉ちゃん? 姉ちゃんとはそんな話はしないな。そもそも行方不明だし」

「それ以前にですよ。テスさんの交友関係とか知りません?」

「交遊――……? ――姉ちゃんって、……友達いないっぽいんだよな」

 ジャックのそれは独り言のようだった。ランタンも自分のことを棚に上げ、なんと返していいかわからず、物凄く気まずげな沈黙が二人を押し包みそうになる。

 そんな時に強いのはリリオンだった。

 二人が何やら難しい話をしていてのけ者にされていたリリオンは、手慰みに引っ張っていたランタンの外套を手繰り寄せて間に割って入った。

「ししょさまがいるじゃない!」

「誰だよ」

「お姫さまよ」

 言葉足らずなリリオンに、ジャックは助けを求めるような視線をランタンに向けた。だがリリオンはお構いなしだ。

「ししょさまは、アシュレイさまっていって、お姫さまなのよ。きっと。それでね、わたしにこれをくれたの。おそろいなのよ」

 リリオンは自慢げにベールを取り出して広げた。黒絹ベールが風に靡き、縁取りの金糸が陽光に煌めいた。

「はいはい、ちょっと黙ってようね」

 ランタンは猿ぐつわを噛ませるかわりに、ベールでリリオンの口元を隠した。リリオンはあしらわれたことが不満なのか、頬を膨らませ、勢いよく息を吐いてベールを揺らしている。

「――と、言うわけで、どうやら司書さまはお姫さまなんじゃないかと思うんですよ」

犬人族(おれら)ならまだしも、こいつの鼻がどれだけ信用できるかあやしいもんだな。第一なんで王族がギルド勤めとなんかしてるんだよ」

「なんででしょうね。暇だったとか。王権代行官としてはお兄さんが働いてるわけですし」

「でも姉ちゃんと姫さんが……、ぜんっぜん想像できねえな」

「でも知り合いでも不思議な感じはしないですよ」

「姉ちゃんのこと買いかぶりすぎだろ」

 ジャックは肩を竦めた。

 ジャックはテスを探すために姉の交友関係を探ったが、まったく友と呼べるような相手には出会えなかったのだ。普通の友達もいないのに、王族の姫君が友人だとはとても思えない。ランタンは不思議ではないと言ったが、ジャックからしてみれば不思議以外の何ものでもない。

 テスを探すために貧民街を訪れたのは、ここがかつての姉の遊び場だったからだ。

「遊び場」

「っていうか言葉を選ばず言えば狩り場だな」

 三人は立ち止まって、廃材によって作り固められた貧者の要塞を見上げた。狩り場という物々しい呼称さえも容易に飲み込む、一種独特な雰囲気があった。

「前は壁を乗り越えましたけど、またそうしますか?」

「いや、急いでないし正面から行く。変なところから入ると出れなくなるからな」

 ジャックは振り返って二人に忠告した。

「迷宮を歩く時ぐらいに警戒しておけよ」

 そして腰のナイフをぽんと叩く。二人は察しよく頷いた。

 ジャックが暖簾のように垂れる、何枚も重なった襤褸布を持ち上げて貧民街に入った。

 あとを追ったランタンが、その布を背伸びして支える。布は何だか油っぽかったり、ごわごわしていたり、あるいは触れただけで崩れそうなほど薄かったりする。ずっしりと重たい。リリオンが腰を屈めて、布の下をくぐる。

 貧民街の中は薄暗く、狭く、濃密な臭気に満ちていた。

 埃、鉄、腐、錆、汚、油、獣、人、血。

 一嗅ぎで鼻が馬鹿になった、ランタンは眉をひそめる。リリオンのベールが羨ましくなる。

「早速だな」

 ジャックが呟いたかと思うと、ナイフを抜き打った。二人が横並びで歩くのがやっとの路地は壁も天井も薄汚い。その薄汚い壁とほとんど一体化した、薄汚い風体の男の胸にナイフを突き立てる。悲鳴さえ上げることのできない早業だった。

「変わらないな」

 懐かしげに吐き捨て、ナイフを抜いた。即死だった。刀身に血はついていなかった。傷口は炭化して、血の一滴も流れない。ジャックは男の襟首を掴んで、音を立てないように寝かせ、ナイフをしまった。

「おら、行くぞ」

「あ、ちょっと待って下さい。リリ、行くよ」

 ランタンは死体を大股で跨ぎ、リリオンの手を取って背中を追った。

「なんですあれ?」

「物盗りかなんかだろ」

 相手が何をするかが重要ではなかった。相手に何もさせないことが、ここでは重要だった。

 ランタンに手を引かれるリリオンがその手を手繰り、身を寄せて腕を組んだ。ちらちら後ろを振り返り、気味悪そうにしている。

 今さら死体が怖いのか、とランタンはちらりと少女の視線を追って振り返る。

 そこに死体はなかった。


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