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カボチャ頭のランタン  作者: mm
01.Take Me By Storm
18/518

018 迷宮

018


 胸から生える大剣をずるりと引き抜きながら嵐熊(ストームベア)がゆっくりと後ろに傾いてゆく。

 ランタンは爪先で跳ねるように大剣から飛び降りてリリオンの横に着地した。膝が柔らかく曲がり着地の衝撃を吸収して和らげたように思えたが、その瞬間に全身に痛みが走った。表情が歪む。

 折れた骨から発せられる疼痛が強く自己主張をし、乳酸の溜まった筋肉がふて腐れるように痙攣した。バネが割れるようにランタンの身体が沈んだ。

「わ」

 驚いた声にさえ張りがない。

「ランタンっ!」

 リリオンが大剣を投げ捨てて、慌てて駆け寄りランタンの身体を支えた。ランタンの代わりに地面に落ちた大剣が鈍く響き、そして更にその音色をかき消すような地響きを鳴らして嵐熊が仰向けに倒れた。

 最下層の空間が外側から締め付けられたように軋み、天井からにわか雨のようにパラパラとした粒が降った。

 リリオンに支えられてなお地面が揺れる。それは疲労によりふらついているのではなく嵐熊があまりにも重たいせいだ。どうと倒れこんだ際に巻き起こった風が、まるで嵐熊の最後の抵抗であるかのように砕かれた石塊(いしくれ)を巻き上げて吹き荒んだ。

 リリオンがランタンを抱きしめてその風から身を守った。こうして盾の内側に抱かれるのはこれで何度目だろうか、とランタンは安心感を覚えている己にふと気がついた。

 だがいつまでも身体を預けていてはいけない。暖かさや柔らかさは名残惜しいが、十歳の子供に甘えているというのは人目がなかろうと体裁が悪い。

「ありがと、もう大丈夫だよ」

 ランタンは痛み、力の入らない身体に鞭打って平然とした表情を作ってみせた。

「ほんとう?」

 心配するリリオンに頷きを返し、いよいよ震えそうになる足に力を込めた。それは見栄だとか矜持だとか、あるいは心配するリリオンを(あざむ)くためではない。

 迷宮核が顕現するのだ。

 穏やかな引き潮がやがてその勢いを増し、大きな波を連れてくるように。

 自らの身体に宿る魔精が漏れ出すように失われたかと思われたその時、吐き気を催すような痛みがランタンを襲い、また傍らのリリオンが顔を青くして膝から崩れ落ちた。

「くっ!」

 ランタンはきつく奥歯を強く噛み締めて、咄嗟にリリオンの腰を抱き支えた。痛みは全身の骨に鋭い刺が生えて内側から肉を刺すようだった。

 凝縮して形を成した迷宮核。それから零れ、溢れだした魔精が最下層を満たし、二人の身体に吸収されたのである。

 強く感じる痛みは魔精酔いによる急激な感覚の鋭敏化によってもたらされたものだ。本来は魔精により感覚が鋭敏化しようとも痛みを強く感じることはない。正確には痛みに対する耐性も同時に向上し、その上昇量がほんの僅かだが痛覚の鋭敏化よりも大きいので結果として鋭敏化されていないように感じるのだ。だが急性中毒症状である魔精酔いの場合は全ての感覚がめちゃくちゃに跳ね上がるのでこのような事が起こる。

 ずるりとリリオンの手から盾が零れ落ちて音が耳を打った。まるで鳴り響く大鐘の中に閉じ込められているようだ。視界も揺れている。嵐熊による地揺れはとうに収まっているが、心臓の鼓動、その振動ですら拡大されていた。臭いもある。生臭い鉄の臭いに獣の臭い。汗の臭いは自分とリリオンの二つのものだ。

 ランタンは深くゆっくりとした呼吸を何度も繰り返して、どうにか動くことを可能とするとポーチから気付け薬を取り出してそれを奥歯で噛み砕いた。味を感じないのは強化された味覚に対し与えられた刺激がその知覚の限界を大幅に超えたからだろう。ただぼろぼろと涙だけは流れている。

 ランタンはそっと戦鎚を手放し涙を拭いて、リリオンを地面に寝かせた。

 魔精の吸収による能力強化に対する成長率はだんだんと鈍化していく。初の最終目標(フラグ)達成したリリオンの感覚の跳ね上がり方は酷いものだろう。ランタンの初体験では内臓をひっくり返したような嘔吐の記憶だけが残ったほどだ。

 この様子では気付け薬を口に含ませては、その刺激にショック死してしまうかもしれない。可哀想だが、時間経過によって慣れてもらうしかない。最大の脅威である最終目標はすでに排除されているのだから時間はたっぷりとある。

 戦っている時には何時間も戦っているような気もしたが、時計を見てみれば実際に過ぎ去ったのは一時間弱だ。

 ランタンは無言で、しかし安心させるように柔らかく微笑んだ。それが認識されていないと判っていても微笑んだまま罅の入った硝子に触れるように可能な限り優しく、短くなってしまった髪を、そして冷たい汗の這う頬を撫でた。ただの病気ならば手でも握って安心させてやれば良いが魔精酔いの場合は放置に限る。下手に手を握れば、それは万力で手を潰すようなものだ。

 ランタンは戦鎚を、そしてさらにリリオンの大剣を拾い上げると(きっさき)を引きずりながらゆっくりと嵐熊に近づいた。

 ランタンの魔精酔いはほとんど収まったとはいえ身体は痛む。だが治療よりも先に迷宮核を得なければならない。迷宮核は最終目標から得られる魔精結晶であり、他の魔物とは違い結晶化する部分は決まっている。

 心臓というべきか、あるいはその魂である。

 解体のための狩猟刀は失われてしまった。ランタンは未練たっぷりにため息を吐いて、背嚢から保存袋や水筒を取り出して戦鎚とともに死骸の脇に並べた。

 血を流し萎み、しかし伏しながらも丘のようである嵐熊の死骸に登る。大剣の鋒を嵐熊の腹部に押し当て、死してなお身を守る強靭な毛皮に力任せに突き刺した。鍔を肩で押すようにして刃を肉に沈め、鋒が胸骨に触れるとなぞるように喉元までを裂いた。真白く分厚い皮下脂肪と弛緩した筋肉。ランタンは身体の向きを変えて鋒で肋骨から肉を削いだ。

 白い肋骨がまるで檻のようにして迷宮核を閉じ込めている。青い血溜まりの中に在ってなお青い迷宮核は、嵐熊の巨躯の動力源に相応しい巨大さだ。ランタンの頭ほどもある円錐形をしている。ブリリアントカットされたダイヤのようだった。

 ランタンは嵐熊から薫る強烈な死の臭いも気にならないように唾を飲んで、唇に垂れた汗をぺろりと舐めた。一度死骸から降りて、大剣を戦鎚を持ち替えて袖を肘までまくると再び登り、不安定な足場で戦鎚を構えた。

「よっ!」

 頑強な肋骨を砕き折り、その度に自身の折れた肋骨も傷む。だがランタンは気にした様子もなく、その折れた骨を鶴嘴に引っ掛けてどかした。戦鎚を振って付着した血を飛ばして腰に差す。ランタンは膝を付くと血溜まりに沈む魔精結晶を引き上げた。

 生暖かく粘性のある血液は、しかし蓮の葉を打つ雨水のように魔精結晶の表面を玉になって滑り落ちた。重さとしては一キロないだろう。しかし軽いからといって魔精の密度が薄いわけではない。光を反射して色の表情を変える様は、凝縮された魔精が乱舞しているようだ。

「らんたん」

 ランタンが死骸から降りもせずうっとりとそれを眺めていると、まだ滑舌の覚束(おぼつか)ないリリオンが下から声を掛けた。長く陶酔していたのか、それともリリオンの復帰が早いのか。ランタンははっとすると慌てて死骸から飛び降りた。

「――いっ、――たくないよ」 着地の衝撃が傷に響く。学習しない己を内心で罵倒しながら、ランタンは強がってみせた。

「……ほんとだよ」

 その表情は完全に嘘を吐いていたがランタンはもう一度、本当だよ、と繰り返し誤魔化すように取り出したばかりの迷宮核をリリオンの眼前に突き出した。だがせっかくの迷宮核を目の前にしたのにリリオンの表情は晴れない。魔精酔いの影響も残っているのだろうし、ランタンの嘘もバレているのだろう。

 もっと気合を入れて見栄を張ればよかった。ランタンは遅まきながら表情から一切の苦痛を消して、その迷宮核の輝きを魅せつけるような挑発的な笑みを頬に添えた。

「ほらリリオン、すごいでしょ?」

 まだ青白さの残るリリオンの頬に薄紅が浮かび上がった。

「うん、すごいおおきい! すごい、きれい」

 リリオンは瞳をキラキラとさせて、人差し指で結晶の表面に擽るように撫でた。放っておけばいつまでも撫で回していそうなとろんとした目つきである。自分が見つめられているわけでもないのに、ランタンはなんだか少しだけ恥ずかしい気持ちになった。

「撫でるのもいいけど、しまわないとね。そこに袋があるから持ってきて」

「――うん」

 返事をしてからたっぷり五秒ほど結晶を撫でてリリオンは袋を持ってきた。開いた袋に手に付着した血がつかないように気をつけながら結晶をしまう。

「この結晶も、リリオンが持っていてくれる?」

「わたしが持ってていいの!?」

「うん、――でも責任重大だよ? ちゃんとできる?」

「まかせて!」

 口を縛った袋をリリオンは強く胸に抱きしめた。

 ランタンはその様子を穏やかに眺めて、水筒の水でジャブジャブと手を洗った。青い血ばかりではなく自分の血もある。右の前腕はミキサーに突っ込んだような有様で水をかけると染みて痛んだ。左手の折れた二指は太く腫れていて冷やすと気持ちいい。

「リリオンは痛い所ない?」

「ふぇ!?」

 保存袋の上から結晶をポンポン叩いていたリリオンは悪戯が見つかったように変な声を漏らした。そして地面に保存袋を下ろして自分の身体を(まさぐ)った。

「わたし――、へいきよ!」

「左腕、痛いの?」

 左腕を揉んだ際の一瞬の違和感をランタンは目ざとく見ていた。

「隠さなくてもいいのに」

 リリオンは強烈な突進を何度も受け止めたのだから、腕の一つや二つが折れていても不思議なことではない。ランタンもリリオンによって幾つかの窮地を救われたことを自覚している。

 魔精による強化も大してされてはいないだろうに。これがきっと持って生まれた身体能力の差なのだろう、さすがは――

 そこまで考えて、ランタンは意識的に思考を停止させた。

「腕、出して」

「へいきだってば! ほら!」

 ランタンが恐喝(カツアゲ)でもするかのように腕を出すことを要求すると、リリオンはリリオンでファイティングポーズを取りしゅっしゅっと左ジャブを繰り返してそれを拒否した。打ち出した拳は霞むような速さであり、確かに大事には至っていないようだ。

「それに――」

 空を打っていた拳が不意に軌道を変化させてランタンの腕を掴んで引き寄せた。

「大変なのはランタンでしょう?」

 言い訳の一つもできない、もっともな言い分だった。すでに血は止まっているが、だからこそ剥き出しになった傷口は凄惨なものだ。その傷口をまじまじと見たリリオンの手が震える。

「大丈夫なの……?」

「へいきですけど」

「嘘だわ! かくさないでよ!」

 冗談だよ、と半ば本気で怒っているリリオンを宥め(すか)した。

 少し切れている程度ならば自然治癒任せでもあっという間に回復する身体だがこの傷は、少し、の範疇を超えているし治療しなければならない部位は他にもある。痛みに快楽を覚える(たぐい)の嗜好をランタンは持ち合わせていないし はっきり言ってのた打ち回りたいほど痛かった。のた打ち回らないのはリリオンが居るからだ。そんな恥ずかしい真似をするぐらいなら死んだほうが良い。

「これ使って!」

 リリオンは戦闘前にランタンが持たせた魔道薬の一つを献上するように差し出した。銀製円筒容器(シリンダー)に収められた水薬は魔道薬の治癒促進剤である。代謝を促進させることで傷の治りを大幅に早める効能があり、この腕の傷ならばパテで塞ぐようにあっという間に治るだろう。だが骨折した部位は歪に繋がる可能性もあり、飲むと睡魔に襲われる。また値段をリリオンに伝えたら取り落とすかもしれないほど高価なので今回は使用はしない。

「こっちで充分だよ」

 ランタンはポーチから長方形の容器を取り出した。それは黒塗りの木製で四段に分割できるようになっており四種類の軟膏薬を収めている。それをリリオンにぽいっと放り、軟膏薬の臭いをすんすん嗅いでいる姿を横目にランタンは戦闘服を脱いだ。

「貸して」

「わたしがぬったげる!」

「……」

「なんでよ!」

 ランタンは何も言ってはいないが、服を脱いでから軟膏薬を取り出せばよかった、とは思った。そうすればリリオンに軟膏薬を持たせなくて済んだからだ。だがもう軟膏薬はリリオンの手の中にあり、後悔は先に立たない。

「じゃあ、お願い……」

「まかせて!」

 腕の裂傷に触れさせるつもりはないが骨折した肋骨や指ならば多少乱暴にいじられても我慢は出来る。ランタンはリリオンに悟られないように悲壮な決意を固めて、傷ついたその身体を差し出した。

「いくわよ」

 痛み止めの軟膏を指の先に掬い取り、真珠色の軟膏よりなお白い指が忍び寄る蛇のようにランタンの身体に触れて這いまわった。氷を押し当てたように冷たく感じたのは患部が熱を持っているせいだろう。リリオンの指は肋骨の下端、淡く浮き出たその陰影を丁寧になぞり、軟膏を摺りこんでゆく。

 なんというか。

「……ん」

 予想された痛みはないが、その代わりに物凄く擽ったい。鼻にかかった甘い声を漏らしたランタンにリリオンは薬を塗る手を止めてその顔を伺った。奇妙な緊張をはらんだ視線が絡みあい、ランタンは小さく首を傾げた。

「なに?」

「……え、や。……なんでもない、わ」

 つづけるね、と言い罰が悪そうに視線を逸らすリリオンは、けれど指先へ更に軟膏を取りそれを自らの両手に広げると執拗にランタンの身体を触った。形を確かめるように這う指先はなぜか患部だけではなく、その周辺までにも及んでいる。

 ランタンは香辛料を塗りこまれる生肉の気分になった。擽ったさの代わりに薄ら寒さを感じたのは、リリオンが料理を前にしたように唾を飲んだからだろう。

「ありがとう、もういいよ」

 リリオンの指が(へそ)にまで伸びようとしたのでランタンは堪らずこれを制止した。捌いた腹の中にまで香辛料を塗りこむのは料理の味を向上させる秘訣だが、今はこれっぽっちも関係ない。

「あとは自分でやるから、大丈夫。貸して、っていうか返して」

 伸ばした手が掴まれる。

「わたしがやるから! 痛くなかったでしょ?」

 痛いかどうかを聞かれれば痛くはなかった。それどころか擽ったさには、そこはかとない艶めかしさすらある。つまりは気持ちがいいということだ。それも痛みが引くことによる気持ちよさではなく、指の柔らかさだとか手つきだとかそう言った理由によるもので。

 折れた指は熱を持って倍ほどに腫れている。その指にベタつきが無くなるまでせっせと軟膏を塗りこむリリオンの指をランタンは無表情に眺めていた。諦めの表情と言うよりは、悟りを開いた僧侶のようだ。リリオンがその視線に気が付き顔を上げると、ランタンの黒目が逃げるように横にずれた。

「痛くない?」

「うん」

「きもちいい?」

「うん」

「よかった!」

「……うん」

 ただの治療を受けているだけなのに、込み上がる罪悪感がランタンを襲った。リリオンの心底嬉しそうな笑顔がとても痛い。この痛みばかりは魔精で強化していようともどうすることもできそうになかった。

「でも、さすがにこっちの傷は自分でやるから。ありがとうね」

 開いた傷口に触れる勇気はないのか、それとも有無を言わせない口調にたじろいたのかランタンはリリオンの手から軟膏薬を抵抗もなく奪い取った。代わりに背嚢から包帯を出すように指示をして、ランタンはその間に傷薬をべたべたと裂傷に伸ばした。この軟膏は痛み止めであり、血止めであり、化膿止めでもある。

 染みて痛く、擽ったくも気持ちよくもない。リリオンにやって貰えばこの傷でも気持ちいいのかな、などと思考が暴走しているがランタンは表情を変えず差し出された包帯をグルグルと巻いて縛った。

「指は?」

「指はこのままだね。添え木すると動かせなくなるし」

 迷宮核を失ったとはいえ未だに迷宮内にはその残滓である魔精が漂っている。魔物は再出現(リポップ)していないだろうし、ランタンが最下層まで踏破した迷宮からの帰還時に魔物と出会ったことはただの一度もなかったが、絶対はない。

 ランタンは戦闘服を着直すと左手を何度か握っては開いた。痛み止めがよく効いているので痺れはあっても痛みは微かだ。だが腫れのせいもあって握力は二割減といった感じである。右手は強く握ると皮膚が引っ張られて傷口がやや痛む。無視できる痛みなので使用には問題ない。

 ランタンはその手をそっとリリオンの背中に伸ばし、ぎこちなく髪を撫でた。結いが解けた髪はゆるく波打って背中の半ばに広がっている。

「……短くなっちゃったね」

「うん、短くなっちゃった」

 申し訳無さそうな表情になったランタンにリリオンはゆっくりと首を振った。

 リリオンは髪を一纏めにすると、それを花束を差し出すかのように胸の前に持ち上げた。そしてその切り口をいっそ愛おしげに撫でる。男が身体に刻まれた傷跡を勲章として誇るように、それはまさにランタンを守った証そのものだった。

 リリオンは自分の髪から手を離すと、その手をランタンへと伸ばした。掌がうなじを覆い髪の柔らかさを確かめるようにそっと後頭部を撫で上げた。

「ランタンとおそろいよ」

 そう言って微笑むリリオンに、ランタンは一瞬たじろぎ、そして声を出して笑った。

「は……あはは! そーだね、確かにお揃いだ」

 ランタンは頭を撫で続けるリリオンの手から逃れて、また自分でも短くなったその襟足に触れた。露出した首は涼しく、火照った身体にはちょうどいいのかもしれない。

「なんにせよ首がつながっていてよかったよ」

 ランタンは冗談めかしてそんなことを言ったが、リリオンは唇を尖らせて笑わなかった。

「本当だわ。もう、……ランタン」

「ムチャしないで、って?」

 戦闘時に盾の中で言われた言葉をランタンは口に出した。

「ムチャはするよ。だって見てみなよ」

 嵐熊の死骸を指さして肩を竦める。

 腹を()かれ、魂を取り出されたその姿であるのにも拘らず、そこにはまだ重圧のようなものが燻っている。抜き取った迷宮核をぽいっと腹の中に放り込み腹部を縫い合わせれば再び動き出しそうなほどだ。

 無茶をしないで済むのならばそれに越したことはないが、無茶をせずに打倒できる相手ではない。リリオンだってそれは身を持って体感したはずだ。

「もっと――」

「ん?」

「もっとわたしを頼って! わたしがんばるから!」

 包帯を巻いた右の腕を、そして指の腫れた左の手をリリオンは白く滑らかな手でそっと掬いあげた。

「リリオンには充分助けられたよ」

 それは本心だった。だがリリオンはそれを否定するように弱々しく首を振った。

「わたしがいなかったら、ランタンはこんなに……」

 独りで戦う時と勝手が違うのは事実だった。だがそんなことは最下層(ここ)に来るまでに理解していたことで、傷ついた身体の言い訳をリリオンに求めるのは屑のすることだった。

 リリオンが居なければまた別の戦い方もあっただろう。そしてそれはもっと楽な安全な戦いだったのかもしれないし、あるいは負けて屍を晒していたかもしれない。だがそれはもしもの話でしかなく、実際にリリオンはランタンと一緒に戦い、そしてランタンは窮地を救われた。

 それで充分なのではないか、とそう思った。だがそれを口には出せなかった。

「ねぇ、わたし、もっと強くなるから……!」

「ちょっとリリオン、どうしたの? 急に変だよ」

 傷を見て不安な表情になった。迷宮核を見て目を煌めかせた。身体に触れて頬を赤らめた。髪を掲げて誇らしくなった。それよりも前、嵐熊との戦闘の時はどうだったかな、とランタンはリリオンの表情を思い出そうとしたが思い出せなかった。

 だがこんな表情はしていなかった、と思う。

「わたし、だって、あれ、わたし……おかしい?」

 頭上にあるはずのリリオンの顔を、まるで遥か深く暗い井戸の底を覗き込むようにランタンはじっと見つめた。

 混乱している。小刻みに揺れる瞳孔が小さい。様々な色を見せていた表情がすっぽりと抜けて落ちている。戦闘により昂った精神が、一度落ち着きを取り戻し、そのゆり戻しが唐突にやってきたのか。それとも。

「……魔精酔いの影響がまだ残っているんだよ」

「ちがっ――」

「ちがいません」

 強い口調にリリオンの身体が硬直した。

 ランタンは掴まれた手を振り払ってリリオンの(うなじ)に手を掛けた。そして流れるように脛を刈る足払いで体勢を崩すと、そのまま首を引きこんですっぽりと胸に抱きかかえた。

 その重さに肋骨の痛みが内側から小さくノックをするように響いたがランタンは表情を変えなかった。何事もなかったように平然と、リリオンの身体が羽毛であるかのようにすべるように歩いた。

 借りてきた猫のようにおとなしくなったリリオンをそっと降ろす。人形を飾るように壁を背にして倒れないように。リリオンはされるがままだ。その姿を立ったまま見下ろし、またしゃがむと視線が紐で繋がれているように追いかけてきた。

 手を伸ばし頭を撫でると、最初はそれが何か分からないようにぱちりと大きく瞬き、それからようやく気持ちよさそうに目を細めた。

「ちょっと荷物持ってくるから、大人しくしててね」

 撫でていた手でぐいと頭を押さえつけて無理やり頷かせるとランタンは返事を待たず立ち上がって踵を返した。

 戦鎚を腰に差し戻し、丸めて圧縮された外套(マント)を拾い上げ、切り離された頭巾(フード)と一緒に折りたたんだ。

 横たわる嵐熊を回りこむ際に投げ出された腕をまたいで、足を止めた。ランタンは少し逡巡して、嵐熊の指を一つずつ砕いてその指先から爪を引き抜き、たたんだ外套を広げるとその内側に包み込んだ。

 爪を包んだ外套を残りの保存袋の中に押しこみ、出しっぱなしのあれこれと一緒に背嚢へしまい、リリオンの盾と剣を持ち上げた。

 それはひどく傷ついている。大剣は大きく刃毀れし、盾は歪み無数の抉れた跡が刻まれていた。一生懸命戦った、その証。

「よくわからないな……」

 茫洋と呟いたランタンは、困ったように頬をかいた。

 ランタンは歪んだ大剣を盾に力任せに押し込んで、ずるずるとそれを引きずった。

「よ、っと」

 戻る途中に横たわる三つ編みから、そっと飾り紐を解いてポケットにねじ込んだ。

 引きずった盾の(わだち)が深く、足跡を削り取っている。ランタンはさも重たそうに盾を立てかけ、リリオンの隣に腰を下ろした。

 リリオンの視線を感じながら水筒から水を口に含み、(うがい)をしてそれを脇に吐き出す。それから一息ついてランタンは勢いよく水を呷った。

「――いっぱいのんだら動けなくなるわ」

「ん、そうだね。はい、あげる」

 唇の端からこぼれた水を手の甲で拭い、ランタンは水筒を投げた。

 受け取ったリリオンは天井を見上げるように、がぶがぶと水を飲んだ。それはまるで言いかけた言葉を飲み込むように、不安を押し流すように水筒を空にしてしまった。リリオンは空の水筒に口を付けたまま淡く光る天井を眺めていた。

 やがてその淡い光に耐えかねるように、眩しそうに目元を伏せて俯いた。

「――いっぱい飲んで動けないから、少し休もう」

「うん」

 戦って、戦って、戦いの果てに訪れた休息。

 リリオンはこてんとランタンの肩に頭を載せて何かを呟いた。けれどそれはランタンには聞き取ることが出来ず、ただ温かな息が耳を撫でるだけだった。やがて肩から胸へと、リリオンの頭は重みに耐えかねたように滑りランタンの腿の上に収まった。

 白い寝顔をそっと撫でる。

「……よくわからないなぁ、女の子は」

 細い髪をつまみ上げてその髪を手櫛で柔らかく梳くと、ランタンは黙々と髪を編み始めた。

 


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― 新着の感想 ―
[一言] とりあえず18話まで読んだ感想。 よくわからん。 子供を拾う→思わぬ戦力化する→いい装備が手に入ったからダンジョンに連れて行く、ここまではまぁ分かる。 道中で連携が出来てないとか色んな問題…
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