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カボチャ頭のランタン  作者: mm
07.Let Me Kiss You
175/518

175 迷宮

175


 魚人数十匹を殲滅するまでに掛かった時間は十分に満たなかった。

 だがそれはあくまでも罠に掛けることに成功したからだった。

 数を恃んでの出現であったが、魚人一匹一匹の戦闘能力も侮れない。

 それはこの場がすでに迷宮最深部に近付いていることを示している。

 現在接近中の魚人群の戦闘能力は屍となったこれらと同等以上であることは確実だ。

 迎え撃ってこれを殲滅することは不可能ではないが、極めて危険である。

 迷宮路の幅を考えると、ランタンの遊撃性は失われる。リリオンの殲滅力はむしろ増大するかもしれないが、それは相手方も同じだった。

 屍と化した魚人たちの装備から察するにその戦術は槍兵の密集陣形による突撃だ。数が増えれば増えるほど、この集団突撃の威力は倍増すると考えてよい。

 最初の衝突で打ち勝ったとしても、相手は命の連なりだ。横隊の一、二列目を打ち倒せても、その後ろが津波のように襲いかかってくる。じり貧どころではない。

 ぎり、とランタンは奥歯を噛んだ。

 ランタンの最大の攻撃手段である爆発は、閉鎖空間でその威力を最大限に高める。だが諸刃の剣である。

 周辺環境を変貌させるほどの威力は、この石炭作りの迷宮においてまず間違いなく自らを仇する。大軍を殲滅する威力とはそういうものだった。

 崩落、火事、連鎖爆発。

 意図的にそれを起こすことで魚人の進行を食い止める、という考えも浮かんだが、これは起こってしまえば迷宮攻略を不可能にするほどの災害である。

 熟考している余裕はない。

 足音は刻一刻と近付いてくる。

「退く」

「……――うん」

 ランタンの決定に、リリオンは息を飲んで、しかし頷いた。不服そうだった。どうして、という言葉を飲み込んで、胸焼けを起こしているようだ。

「でも、その前に嫌がらせだけはする」

 魚人の槍がそこかしこに落ちていた。

 ランタンはそれらを拾い上げると、足首の高さで槍を壁に突き刺した。

 迷宮は闇に包まれている。

 気が付かずに進み、躓けば転倒は必至である。一列目が踏み潰されてくれたら儲けもの。それぐらいの嫌がらせだった。転んだ先に上向きに槍を仕込みたいところだがそんな時間はなさそうだった。

 ランタンはリリオンの尻をぽんと叩いた。

「行くよ」

 鞭を入れた馬のようにリリオンが走り出した。ランタンは一度背後を振り返り、それから水を蹴った。

 最下層の確認もしていないのに、このように引き返さなければならないことは不本意の極みである。リリオンが不服であるのと同様に、ランタンもまた不服であった。

 むすっとした顔のランタンを横目で見て、リリオンの唇が緩んだ。同じ気持ちであることがせめてもの慰めだ。

「はっはっはっはっ、――どこまで、逃げるの?」

「追ってこなく、なるまで――」

 魔物には縄張りがあり、縄張りの広さを決めるのは魔物の持久力である。

 魚人の持久力はいかほどだろうか。水中ならば無尽蔵とも言える持久力を有する魚人である。だが陸に上がったからといっても、打ち上げられた魚のように無力だとは言えない。

 先の戦闘でランタンはその認識を強めた。

 闇雲に振り回された長物の威力は馬鹿にならなかった。どれほどの戦闘技術を有しているか判然としないが、あれが的確に扱われた場合、並の探索者では苦戦するのではないかと思う。それが例え陸戦であっても。

「――と、言いたい、ところ、だけど、どこまでも、追ってきそうな、気がする」

「どうして、そう、思う、の」

 走りながらの会話は息が切れる。

 なのでランタンは簡単に答えた。

「勘」

「なる、ほどっ」

 走力は魚人よりもランタンたちが上回っている。だが追いかけてくる足音は、むしろ接近してくるような気がした。それは危機感から来る幻聴なのかもしれない。

 なぜなら音が小さいから。あの地響きのような足音ではない。大軍勢の足音ではない。

 雨が水面を叩く音に似ている。軽やかで、跳ねるような、飛ぶような。

「ランタンっ、なにか、くるっ」

 幻聴ではない。それははっきりと重圧として感じられた。

 背後に迫る脅威として。

 この足音は、馬の足音だ。

「騎兵!」

 ランタンは首だけで振り返る。そこには濃い闇がある。魔物の姿はまだ見えない。だが確かにいる。すぐそこまで迫っている。

 わかるのはそれだけだった。

「迎え撃つ! 僕が――」

「わたしの役目よっ!」

 リリオンが立ち止まって振り返った。

「馬はわたしが斬る! ランタンは魚の人を!」

 数もわからないのに無茶を、と同じ無茶をしようとしていたランタンは立ち止まると光源を放り投げた。闇が払われ、足音さえも目に見えるようだった。

「まかせた。足を払え」

 リリオンの背中に触れて、ランタンは十歩ほど離れた。

 リリオンは銀刀を抜くと、両手で握り脇に構える。右前の半身。背中が大きく見えた。凜々しい横顔が深呼吸を繰り返す。

 大きく肩が持ち上がり、ゆっくりと下がる。

 闇の中から光の中へ、それは現れた。

 五騎。

 半透明の肉体を有する海馬が魚人を背に乗せて駆けてきた。海馬は水面を走っている。

 黒々とした青い瞳をいきらせて、刀を構えるリリオンに臆することなく突っ込んでくる。二人の姿を確認して、いっそう速度を増した。

 魚人は槍を構えている。突撃槍ではない。だがそれはなんの慰めにもならなかった。魚人は槍を構え、腕を固めた。

 騎兵突撃。

 リリオンが動いた。脛で水面を切るように右足を滑らせ、身体を沈める。

 一番槍と交差した。穂先がリリオンの頭上を掠める。銀刀が海馬の前脚を払った。海馬がつんのめるように倒れ、魚人が投げ出された。二度、三度転がって身体を起こそうとしたところで、ランタンに殴殺された。

 間を置かず次の騎馬が突っ込んでくる。

 払った銀刀を引き戻す。突き出された槍を払う。ちか、と火花が散った。魚人の鱗が反射する。感情のわからない魚の瞳に飛び火した。

 リリオンが返す刀で海馬の後ろ足を切りつけた。魚人が海馬の背から投げ出されるように飛び降りる。狙いはランタンだった。

「きえええっ!」

 牙を剥き吼える。

 引き絞った槍が、空気を穿って突き出される。ランタンの髪が散り、魚人の鱗が砕ける。

 命までも砕ける瞬間、魚人の肉体が跳ね、槍を薙いだ。一歩踏み出す。掌で穂先の付け根を受けた。骨が痺れる。ランタンは槍を握り続ける魚人の屍を蹴るように引き剥がした。

「やああああっ!」

 リリオンの裂帛が迷宮に響いた。

 三、四騎目は同時にやってきた。左右の壁すれすれを海馬に駆けさせ、リリオンを中央に追い込んだ。

 リリオンは大上段に銀刀を構え、魚人は穂先を揃える。

 衝突は、リリオンの勝ちだった。海馬はぐらつき、魚人は危うく落馬しかけた。だが狙いを果たしたのは魚人だった。銀刀が二槍に巻き上げられた。

「まかせろ!」

 ランタンが怒鳴った。

 魚人が馬首をリリオンの方へ巡らせようとしたが、視線が固く結ばれたように海馬はランタンに向き合って言うことを聞かなかった。

 視線を逸らせば死がやって来ることを、海馬は知っているのだ。

 銀刀が水に沈む。

 リリオンは振り返りもせず、今まで腰で沈黙していた竜牙刀を抜き打った。最後の騎馬、その魚人は槍を投擲した。それは硝子製かと思えるような透明な槍だった。

 竜牙刀と打ち合って粉々に砕けた。

 それは氷だった。魔道使いである。魚人の手の中に、新しい氷槍が握られている。

 リリオンが竜巻のように竜牙刀を振るう。氷槍が乱れ撃たれた。

 破壊音を聞きながら、ランタンは二騎に油断無く視線を巡らせた。

 ランタンは奪った槍を投擲し、さらに小鎌を追加する。

 体勢は崩れない。だが双子のように息の合っていた二騎に、半瞬のずれが生じた。

 ランタンは爆発を起こし一気に海馬に肉薄する。突き出される槍の穂先は、銀刀の圧に歪んでいた。

 槍の上に降り立ったランタンは柄の上を駆けた。

 持ち手を踏み付け、虚無の瞳に驚きを湛える顔面を蹴り飛ばし、危うく転げ落ちそうになるところを海馬の首にしがみついた。

 極薄い膜に水を満たしたような不思議な触感だった。ひんやりして、悪くない触り心地だ。ランタンは一瞬で頸椎を締め折った。

 そして倒れる海馬の身体を盾にもう一騎の槍から逃れた。

 海馬の巨体が水面を荒立て、ランタンを盛大に濡らした。舌打ちを漏らす。布が肌に張り付き、動きが阻害される。だがこれだけ濡れてしまったのなら、もう関係なかった。

 戦斧のように叩き付けられた槍をランタンは転がって回避した。海馬の背後を取り、後肢の蹴りを潜るように躱し、腹に鶴嘴を突き立てた。

 嘶き。

 引き裂くように、海馬の腸を食い破る。

 魚人が崩れゆく馬上から逃げ出した。

 腹腔に潜り込ませた戦鎚に発生した膨大な熱量が、水に等しい肉の一切合切を気化させた。海馬の肉体が風船のように弾け飛び、離脱した魚人に襲いかかった。

 海馬の姿は影も形もなく失せ、魚人は爆風に煽られて水面に叩き付けられる、と同時に頸部を踏み砕かれる。

 リリオンの方も終わったようだった、迷宮のあちらこちらが凍り付いており、そして砕かれていた。

 竜牙刀は流氷に噛み付いたかのように、その先端に氷を食い込ませている。おそらく鋒を水面につけたところを、丸ごと凍らされ、そしてリリオンはそれを丸ごと引き抜いたのだろう。そしてそのまま鈍器として使用したに違いない。

 魚人の魔道騎士は見るも無惨な有様だった。

 戦鎚と竜牙刀が打ち鳴らされる。氷が砕けた。

 そしてリリオンも見るも無惨なほどに濡れていた。素っ転んだのだろうか。

「濡れてるね」

「ランタンだって」

 走る内に乾くだろうか。乾く前に魚人どもが諦めてくれればいいのだが。

 ランタンとリリオンは魔精結晶の回収もそこそこに再び走り出した。




 それから少数の騎馬隊が、複数回にわたってランタンたちの背後に迫った。一度目の魚人は命を賭してランタンを殺傷せしめようとしたが、二度目以降の魚人はそうではなかった。

 積極的な消極性とでもいうべきか、そこに明確な目的があった。

 足止めを目的とした遅延戦闘だった。

 走る内に乾いた服がまた濡れ、濡れた服が戦う内に乾きはじめる。

 走り、戦い、また走る。それは延々と走り続けるよりも、あるいは延々と戦い続けるよりもランタンたちの体力と精神力を大幅に消耗させた。

 乾いた服が、汗で濡れる。それが乾いても、濡れた服を着ているように身体が重たかった。

 だがそれでもようやく、どうにか落とし穴の所まで戻ってくることになった。

「気のせい、か?」

「何が?」

「落とし穴が大きくなってる気がする」

 おそらくここが魚人族の縄張りの端だと考えられた。

 持久力の問題ではない。跳躍力の問題だった。

 あの魚人族の執拗さを考えるのならば、奴らはおそらく迷宮口直下にまで足を伸ばすだろう。人間に等しい執拗さであるのは、ここまでで充分身に染みた。

 獣か人か、人か魔物か。

「魚の人、か」

「え? なにランタン――ああっ!」

 行きと同じように、ランタンはリリオンを抱きかかえ跳躍し、爆発でもって砲弾のように身体を押し出した。ぐっと内臓が押される。

 足らないよりはましだ。だが思いがけず、爆発の威力が強すぎた。

 着地担当のリリオンが体勢を崩した。坂道を走るかのように前のめりに歩を進め、潰れるように転倒した。後退の疲れも影響してのことだった。

 自分も濡れたというのにリリオンは慌ててランタンを抱き起こした。

「ごめんなさいっ、ランタンっ」

 濡れた顔を拭い、髪を絞った。

「いや、僕のせいだ」

 そしてランタンはリリオンに同じことをしてやった。

 どうしようもないほど濡れてしまったが、今さらという感じだった。

 一息吐いて、ランタンは今まで引き返してきた道を振り返った。底の見えない落とし穴、その先には闇が敷き詰められ、その更に先に魚人の群れがいる。足音は聞こえない。

「ランタン、どうするの?」

「この場で待ち受ける」

 ランタンが言った。

「このまま地上に戻っても問題を先延ばしにするだけだ」

 次回の探索で落とし穴の付近で待ち伏せをされてもつまらない。

 魚人の執拗さは明白だった。漁り火を追う魚のようなものかもしれない。だがそこにある知能は侮れない。ランタンが難しく考えすぎているだけかもしれないが、侮りは容易に死を招き寄せる。

 万に一つ、魚人が落とし穴を飛び越えた場合、危険に晒されるのは坑夫たちである。

 彼らが如何に腕力に優れようとも、三匹も魚人がいれば皆殺しにされる。

 後顧の憂いを立つためにも、この場で魚人を討伐しなければならない。

「問題はどのように敵を殲滅するか」

 そして方法を決定するのは敵の数だった。

「こっちには遠距離攻撃能力がないからな」

「石投げる?」

「投げる」

 しかし百を超える数の魚人を投石攻撃で数を減らしていくのは大変だ。可能ならばもう少し楽をしたい。

 リリオンが腕を組んで、首を傾げた。濡れた服が張り付いて、少女らしい身体の曲線を浮かび上がらせていた。

 触りたいな、とランタンは思った。そして邪念を振り払うように頭を振った。

 疲れている。余計なことを考えてしまった。

 まるで邪な考えを指摘するようにリリオンが急に指差して、ランタンは慌てて目を逸らした。

「これ、使えないの?」

 リリオンが指差したのは、ランタンの先にある穴だった。

「落とし穴か」

 足元に口を開く闇はどれほどの命を飲み込んでも満たされぬほど深い。

 なるほど確かにこれに落とすことができれば楽である。だがどのように落とし穴に落とすかが問題だった。

 この罠を活用するためには、落とし穴に向かって追い込まなければならない。つまり三桁を超える魚人の背後を取らなければならないのである。

 しかしそれができるのならばここまで退いてはいない。

「このまま考えていても埒があかない。壁を崩して投擲用の石炭を用意する。用意しながら考えよう」

「わかった。わたしも考える」

 リリオンが斬り出した石炭板をランタンが戦鎚で手頃な大きさに砕いていく。壁に大穴が空いたところでようやく背嚢を下ろし、迫り来る軍勢に対応できるだけの石炭塊をさらに量産した。

「なにかいい案、浮かんだ?」

「ううん。でも、でもね。もしかしたらなにもしなくても大丈夫かもしれないわ」

「なんで」

 刀を振るっていた手を止めて、リリオンは額を拭った。

「ランタンが跳んで、わたしが着地をするでしょ? そうするとね、足がずって沈むのよ。だから――」

「――なるほど、それは確かにそうかもしれない」

 砂が流されて、今この時も落とし穴へと吸い込まれている。

 百数十、あるいは数百の魚人を支えられる地盤ではない。重さに耐えられず、落とし穴へ向かって地滑りを起こす可能性は高い。

「いける、と思う」

「ほんと?」

「くやしいけど」

「どうしてくやしがるのよ」

 くだらない意地のせいだ。ランタンは肩を竦める。

 もう少し可能性を高めたい。

 対岸の地面に戦鎚を埋めてそれを爆発させることで、確実に地滑りを起こすことも可能である。だが下らない意地を慰めるために戦鎚を喪失させるほど、ランタンは愚かではなかった。

 炭鉱では粉塵爆発やガス爆発などの、爆発事故が起こる。そういった衝撃は地滑りの追い風になる。だが任意に起こせるものではない。

 念のために持ってきてあるハンモックを解きロープとし、戦鎚を括り付け、落とし穴内で爆破する方法もある。だがロープが千切れるかもしれないし、迷宮の闇は何が潜んでいるかもわからない。

「なんか爆発物ってなかったっけ」

「お料理用のお酒は?」

「燃えるけど爆発はしないよ。油もダメ、――ってあったわ。爆発物」

「ランタンのこと?」

「お馬鹿」

 リリオンに落とし穴へ突き落とされてはたまらない、とランタンは背嚢に飛び付いた。底にしまってある、ある物を取り出す。

「それ、なあに?」

 後ろからぬっとリリオンの顔が覗き込み、ランタンと頬を合わせた。ランタンは取り出したそれをリリオンの鼻にくっつける。

「ひゃ、冷たい」

 それは布でぐるぐる巻きにして、なお封じきれぬ冷気を纏っている。

 氷の魔女から貰った爆発物だった。ネイリング領に旅立つ前に貰った餞別だが、使う機会もなく死蔵していた。

 魔女曰く、これは冷却魔道を高める際に偶然生まれた副産物であるらしい。

 ランタンはこれを液化酸素や液化水素のようなものであると推測している。あるいはそれらの可燃性気体の混合物、もしかしたら宇宙に到達する可能性を秘めているのかもしれない。

 その爆燃性は迷宮崩壊戦で確認済みだ。

「どうやってこれを爆発させるの?」

「これをあっちに投げて、燃やした石炭を投げてぶつける。容器が割れて、引火して爆発する」

「ぶつからなかったら?」

「無事に地滑りが起こりますようにって祈る」

「なるほど」

 リリオンが頷き、魚人族がついにそこまで近付いてきた。

 石炭を切り出した穴に身を潜め、用意を調える。

「まずは様子見」

「うん」

 ほどなく姿を現した魚人の軍勢は、なるほどランタンに撤退を決めさせただけはあった。

 騎馬の残りは七、その背後に軍列を組む槍兵は百数十ではなく、数百である。ひしめき合う槍の穂先が、生物じみて揺れている。

 光源を置いておいたため、落とし穴に吸い込まれる魚人はいなかった。その手前で足を止めた。獲物の臭いを探る犬のように、騎馬がうろうろとしている。

「魔道使いがいるな」

「どこ?」

「二列目、三匹」

 槍衾の隙間から、槍ではなく短杖を構えている魚人の三匹が確認できた。

 魔道使いは何をしてくるかはわからない。まさか落とし穴を飛び越える手段を発現させないとも限らない。

「優先は魔道使い。だけどぎりぎりまで引きつける。もう少し前に出したい」

「うん」

 まずランタンだけが穴から姿を現した。すると猛烈な憎悪が咆哮となって襲いかかってくる。びりびりと空気が振動し、騎馬が穂先をランタンに向け何かを喚いている。

 そして海馬を駆けさせた。落とし穴に、ランタンに向かって力強く踏み切って跳躍した。

 死をも恐れぬ跳躍である。

 ランタンは石炭を握り締め、だがそれを投げることはなかった。

 距離が足らない。

 騎馬は辛うじてこちらの岸に前脚を掛けたが、見えない手に尾を掴まれたように落とし穴へ吸い込まれていった。

「よしよし、いいぞ」

 ランタンは手に持った石炭を投げつけた。それは魚人を手前に引き出すための策である。石炭塊はなだらかな放物線を描いて対岸のかなり手前で失速した。

 もう一つ投げる。それも同じように届かない。さらに投げる。

 魚人はまんまと戦列を前進させた。

 再び騎馬が駆け、それを援護するように槍が投擲された。投げられた槍の威力は凄まじかった。親指と人差し指の間にある水掻きが投槍器の役割を果たしているのだ。

 ランタンが堪らず後退し、リリオンが我慢できずに飛びだした。

 槍を切り払った。

 そして騎馬はついにこちら側へ着地をする。足らない距離は魔道使いが撃ち出した氷槍が補った。空を踏むはずだった後肢が、発生した氷槍を足場にしたのである。

 ランタンは騎馬の影に入り槍を避け、力任せに騎馬を殴り倒す。爆発を使用して、魚人を落とし穴へ押し出した。

 リリオンが石炭を投げた。それは見事に魔道使いの頭部を割った。

 しかしそれでも魚人は退かなかった。むしろさらに殺意を昂ぶらせたかのように、ぎりぎりまで前進する。

 残った騎馬が次々と駆け、槍が雨あられと降り注ぎ、氷槍がこちらの岸に幾つも突き刺さって、桟橋のような足場を形成する。

 これ以上の誘引は不可能だ。

 ランタンは槍雨の中を進み出た。

 井戸に毒を投げ込むように、容器を落とし穴へ放った。リリオンの援護を背後に受け、ランタンは石炭塊を握り砕き、振りかぶって投げた。

 散弾となった燃える礫が容器を打ち据えた。

 容器に罅が入り、漏れ出した気体に引火し、炎は罅をこじ開け、紅蓮の破壊を撒き散らした。

「あ……!」

 対岸近くで爆発した衝撃は、あちらもこちらも関係なく地盤を崩した。

 引き抜く暇もなく、ランタンの足が臑が砂に埋まった。身体が持って行かれる。

 ランタンは爆発を駆使してそこから抜け出し、伸ばされたリリオンの手にしがみついた。

 リリオンが人形を引きずるみたいに走る。

 ランタンは頬を引きつらせて、数百の命を飲み込んでいく落とし穴を見ていた。慌てふためく魚人たちは、その群の巨大さ故に容易に転進をすることができなかった。

 迷宮を真っ二つに引き裂くように、落とし穴が広がっていった。

 全ての音が消えたとき、初めから敵などいなかったかのようにランタンとリリオンだけが残されていた。

 二人して、呆然と落とし穴を見る。対岸が遥か遠くにある。

「……どうするの、ランタン」

「引き返す」

「今回の探索は、ここでお終い?」

「そう」

 ランタンが頷くと、リリオンは声もなく項垂れ、やがて肩を振るわせて、濡れるのも構わず座り込んでしまった。

「うう、――、ランタンと。ちゅうしたいよう、ちゅうしたいよう……!」

「それは、僕もだよ」

 慰めのような、そして本心からランタンが言う。

「じゃあ、なんでそんなに平気そうなの」

「この可能性も考えてたから。落とし穴があんな風になるなんて、思ってなかったけど」

 リリオンは顔を上げ、目をきっとさせる。

「だから、あそこで退こうって言ったの? わたしは、わたしとランタンなら、きっと――」

 リリオンは魚人の群を倒したら、再び進もうと考えていたようだった。もちろんランタンはその可能性も考えていた。安全策として後退を選んだだけで、落とし穴が広がっていなかったら再び前進しただろう。

 ただ結果として、この現実があるだけで。

 退かずに軍勢を迎え撃っていたら、違う未来があった。

 僕は間違ったのだろうか、とランタンは唇を結んだ。




 爆発を用いても落とし穴を飛び越えることはできない。

 今や落とし穴はそれほどの大きさになってしまった。向こう側へ渡るには横壁をくり抜いて道を作り出すしかなかった。

「落とし穴、ですか。単純なだけに厄介ですね、迂回路もないですし」

 探索日数を二日残して迷宮口まで戻ってきたランタンは、全身を真っ黒にしたケイスに相談した。汗さえも黒く、ケイスは額を拭った。

 歩いて一日半程度の距離であるが、ランタンたちが探索をしている間に石炭採掘も進んでいた。

 ケイスと責任者が難しい顔をしている。次回の探索までに採掘が落とし穴まで到達しているかは微妙であるらしい。

 採掘は可能な限り左右対称に行われている。右の壁、左の壁の二カ所で同時進行している。この坑夫をどちらか一所にまとめれば、作業量は増えるが、だからと言って、作業量が単純に倍になるわけではない。採掘効率を考えると現状が最良である。

 それに迷宮環境のバランスを崩すと迷宮崩壊が早まる可能性が高まる。そして崩壊した場合、もっとも巻き込まれる危険があるのは坑夫たちだった。

「取り敢えず正確な距離は測らせる。だが探索者の足で一日半ってのは、生半な距離じゃないからな。前後から掘るって方法もあるが、掘り出した石炭の処理がなあ、二度手間なんだよ」

 それらを諦めるという選択肢はない。迷宮攻略はランタンたちの目的であり、彼らの目標は石炭を予定量以上に地上に運び出すことだった.

 ケイスは顎に手をやって、遠慮がちな視線を送ってきた。

「……お二人に手伝っていただければ、あるいは可能かもしれません」

 元探索者であるケイスは探索の疲労を承知している。自分の言ったことが、どれだけ非常識なことかと恥じるような響きがあった。

「やる。わたし、やるわ」

 黙って話を聞いていたリリオンが、少し怖い目をしてそう言った。それはケイスへの苛立ちではなかった。ランタンと唇を交わせないことが、少女の心を荒ませていた。

 だがそんなことを知らないケイスは慌てる。

「えっと、その。本当に……」

「僕もやります」

 ランタンも手伝うことにまったく躊躇いはなかった。

 最終目標用に残しておいた体力が、丸ごと余っているのだ。それに不甲斐ない自らへの苛立ちを、せめて物言わぬ石炭にぶつけたかった。

 それからランタンたちは残りの時間を石炭掘りで過ごした。時には荷運びすらし、休憩時には炭鉱夫と言葉を交わした。

 彼らは出現した魔物のことを気にしていた。再出現した場合、鉢合わせになる可能性がある。

「魚人、魚人か、かあー、気味悪いな。ぞっとするぜ」

 そんなことを言いながら炭鉱夫は笑っていた。出現魔物を予想して、賭け事をしていたらしい。払い戻しは大した金額にはならない。魚人の出現は一番人気だった。

「ま、一杯奢りになった程度だな。へっへっへ、それで最終目標は見たんか?」

「いや、そこまでは辿り着けませんでした」

 ランタンの表情に何かを察したのか坑夫が気まずげに顔を見合わせる。ランタンは肩を竦めた。ランタンの背後では、リリオンがランタンに背を向けて眠っていた。少なくとも眠っているように見えた。

「ちなみに最終目標の一番人気は?」

「ん、ああ――」

 少し躊躇ってから、蛸だよ、と坑夫は答えた。

 ふうん、とランタンは頷く。

「たこちゅう」

 ランタンが呟くと、寝ているはずのリリオンの肩が微かに反応した。


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