173 迷宮
173
背嚢をぱんぱんに膨らませて、一日ぶりに迷宮に戻ってきた。
「じゃあ使わせてもらいますね」
「ああ、気をつけてな」
採掘を手伝わなくても探索者が一言、通らせろ、と言えば坑夫たちはそれを拒むことはできない。だが手伝ったという事実一つだけで、気持ち良く坑道を使わせてもらえるようになった。
ランタンは忠告したが坑夫たちは、兜もマスクもしていない。しかたあるまい。それがこの世界での危機管理意識であるし、探索者よりも坑夫の方が採掘については詳しいという自負がある。
正しければ全てが受け入れられるわけではないのだった。だからランタンは、行ってきます、とそれだけを言った。
採掘は進み、坑道は先が見えぬほどに伸びている。
すでに本格的な採掘作業が始まっていた。
迷宮はたった一日二日で、人の営みに侵されている。
端に寄せられた寝具、火に掛けられた大鍋、洗濯物、黒く濁った水で身体を洗っている坑夫もいる。
戦闘能力はさておき、身体付きだけ見ると単純な腕力だけなら一般的な探索者ほどもあるのかもしれない。
魔精による強化は魔物に打ち勝ったときばかりに起こるのではない。迷宮の空気に身を晒すだけで、大小はあれどその恩恵を受ける。坑夫たちは採掘能力に、その恩恵を受けているように思えた。
どれほどの石炭が採掘されたのだろう。
点々と光源が置かれていた。
軌条が光に照らされて、何度も車輪が往復するたびに磨かれる銀の輝きが、道案内の誘導灯のように黒い地面に浮かび上がっている。
たったそれだけで迷宮らしさが薄まり、ランタンさえも緊張感を持ち続けるのが難しかった。
リリオンが軌条の上をバランスをとりながら歩いている。案山子みたいに両腕を広げて、ほんの数センチの段差を、まるで落ちたら崖底に転落するかのように、慎重に歩いていた。
ある意味緊張感を持っているが、それは迷宮に対する緊張感ではない。
しばらく歩くと採掘音が聞こえてきた。鶴嘴の音だ。音は壁に反射して、左右の坑道合わせて八名ほどしかいないはずの採掘人を、何十名にも錯覚させる。
「車が来るわ」
「ちょっとダジャレみたいだな」
リリオンがぴょんと軌条から飛び降りた。ランタンはリリオンの手を取って、坑道から水の流れる迷宮路へと降りる。
ほどなく、ごう、と荷車が石炭を積んで駆け抜けていく。
それを引いているのはケイスだった。相変わらずの怪力で、山のように石炭が積まれていたが空の荷車を運ぶような軽快な足取りだった。
二人に気が付いた様子はなく、声を掛ける暇もなく走り去って行った。
坑道の終わりはその少し先だった。坑夫が鶴嘴を振り下ろして、石炭壁を掘り崩している。真っ黒な塵芥が光の中で、幽霊のように漂っている。ランタンとリリオンは足早に塵芥を突っ切った。
人力であることを思えばとてつもない作業量であるが、前回ランタンたちが歩いた距離の半分にも満たない。
そこから先は光源の設置もなく、相変わらずの闇が広がっている。
ここからが探索の始まりだった。
持ち手をつけた光源をランタンとリリオンはそれぞれ手に持った。
いざという時のために両手を空けておきたかったが、水に浮かべるやり方は前回で懲りた。波は寄せては返しており、浮かべた光源を進行方向に進めるためには、歩くときに水を蹴立てて波を起こさなければならない。
これは思いのほか大変なことだった。
水の重さが脚への負担となり、また光源に波を当てるという作業も神経を使った。いざという時のために両手を空けて、肝心の脚が動かなければ意味がない。
昨日はいろいろな店を回り、光源を積める蒸気で動く船の玩具も見つけたのだが、これは風呂場で試したところあっという間に転覆したので採用を見送った。
二人はまず前回の野営練習地まで足を進めた。掛かった時間は三時間を切った。
歩きやすい坑道と、波を蹴らずに済んだおかげだった。
水分補給のための十分の小休憩を挟む。
前回と違って光源が二つある分。壁に穿たれた金具の穴も容易に見つけることができた。
そして足元を見れば水底に沈み、探しきれなかった金具の一つも見つかった。
ランタンはそれを拾い上げる。
「珍しい。消失までに余裕があるのか」
迷宮に放置された物体は、それが生命を持たない限り、ほどなく迷宮に取り込まれる。
前回の探索から二十四時間以上経っていた。こういった物が再び所有者の手に戻ることは稀だった。特に同じ迷宮内でとなると、稀も稀なことだ。
例えばネイリング家の宝剣のように別の迷宮で見つかることは、珍しいがあり得ることだった。
まったく同じ存在として現れることもあれば、魔精によって鋼が強化されていたり、魔道が付与されていたり、あるいは魔物の所有物になっていることもある。
付加価値をつけるため、過去には迷宮に大量の装備品を放置していくという実験があった。
成果は良し悪しである。
生命と人への敵意を宿した飛ぶ剣や踊る剣、動く鎧などが大量発生したり、人型の魔物が完全武装で出現し、探索者に多大な被害を与えた。
一方で確かに人の手では生み出すことのできない、魔剣妖刀の類いも持ち帰られた。
割合は数百本に一本、あるいは数千本に一本である。
そもそも割に合わないし、どの迷宮に現れ、誰が手にするかもわからないので商業的には失敗に終わった。
今では肥やしにもならない汚物や、土壌や水源の汚染が懸念される有毒廃品などが迷宮に捨てられるぐらいであり、それが有毒魔物の出現に影響を及ぼすかは目下不明である。
ランタンは金具を手の中で弄んだ。錆びてもいなければ、戦鎚で打ったゆがみが直ってもいない。もちろん魔道具に変質もしていない。
「どうして?」
「迷宮にいる人の数か、迷宮が改造されているから、かな?」
坑夫たちが迷宮に影響を与えているからこそ、迷宮の落とし物が消失しなかったのかもしれない。
迷宮は、迷宮を維持するために魔精を消費している。
討伐した魔物が再出現する。戦闘の余波が、数日経てば元に戻る。元の状態を取り戻すというのは、失ったものを補填するだけではなく、余分を取り除くと言うことでもある。
坑夫たちが迷宮の余裕を奪っているのかもしれない。
「生き物みたいね」
「じゃあこれは胃酸か」
迷宮には自然を再現した迷宮もあれば、あるいは人工物を模した迷宮もある。
だが生き物の内臓のような迷宮はない、と思う。思いたい。
しかしリリオンの考え方も一理あった。
探索者は迷宮を蝕む病原菌で、魔物はそれに対する免疫細胞のようなもの。そして同時に探索者は食料であるがゆえに、迷宮は口を開きこれを呼び寄せる。
迷宮核、心臓であり脳を奪われることで滅び、あるいは寿命が来て崩壊する。元に戻ることは治癒で、ならば迷宮は成長するのだろうか。
「リリオンは学者になれるかもしれないね」
「やあよ。わたしは探索者なんだから」
リリオンは照れくさそうに胸を張った。
ふとした仕草が愛おしい。そして愛おしさは容易に欲望に結びついた。生き物であるのならば、迷宮も欲望を持つのだろうか。
そんなことを考えて誤魔化そうとしたが、自分の欲望から目を逸らすことはできなかった。
一度外れた、そして外した箍は、再びそれを締め直しても元通りにはならない。強固に締め直されることもなかった。
中迷宮の探索が決まり、実際に迷宮の攻略が始まれば腹が決まるかと思ったが、なかなかそんなこともないようだった。
これを忘れられるのは、戦闘だけだった。
休憩を終えて歩き出す。二人は口を効かなかった。魔物の出現頻度は前回で身に染みている。
二人は光源を壁に突き刺し、後退して各々獲物を手に取った。
それは鰻か、あるいはうつぼか。前回出現した魔物を剣頭魚と呼ぶのなら、これは鞭魚と呼ぶべきかもしれない。
頭の付け根の最も太いところでランタンの腕ほどの太さであり、一メートル以上有る胴体は尾に向かうにつれて細まっていく。
蛇のように身体をくねらして横様に移動し、身体を捻り尾の先が頭を追い越したかと思うと破裂音が響いた。
水面に触れれば銃弾を撃ち込んだように水柱が立ち、壁に触れれば石炭が崩れた。
それは水中を泳ぐだけではない。砂の中を移動していた。
ランタンが気付いて跳躍すると、まさに鞭のように飛んだ尻尾が足首に巻き付いた。思いがけず強い力で引っ張られ、ランタンが蹴り上げるように鞭魚を砂の中から引きずり出すと、尾に身体を引き寄せるように戦闘靴に噛み付いてきた。
円形の口が、吸い付くように戦闘靴に牙を突き立てる。
体表面はぬるぬるとした体液に覆われており、しかし滑ることなく足首をへし折りそうなほどしっかりと巻きついている。
ランタンは左手に小鎌を構えた。
それはカボチャ頭の幽鬼が残していった小鎌である。
見た目は草刈り鎌のようであるが、最終目標が装備していた武器は生半な品質ではない。ランタンは刃の先端を、戦闘靴に触れるか触れさせないか、そっとあてがうと一気に引いた。
鞭魚が抵抗無く切断され、竜鱗にわずかなひっかき傷を生み出した。
なかなかいい切れ味だ。だが頭部だけになってまだ噛み付いている。ランタンは削ぎ落とすようにそれを払った。
「ランタン、――下がってっ!」
リリオンが二刀の平を使って、盛大に水を巻き上げた。その中に三匹の鞭魚が姿を現す。
飛沫の中で身体をくねらせ、リリオンを打ち据えようとしていた。
「ふ」
身体を引く。
尾の先端がリリオンの鼻先を掠め、水滴が眦で弾けた。しかし目を閉じない。下がってなどと生意気な命令をするだけあって、凄まじい集中力だった。
引いた身体を追いかけるように銀刀が斬り下がった。長大な胴部に比べてあまりにも小さい頭部を正確に切り裂く。
一匹、二匹。
三匹目はランタンの獲物だ。
リリオンが下がったのに合わせて、ランタンが再び前進した。まな板に縫い止めるように、鶴嘴が翻ったかと思うと、鞭魚は目を貫かれて壁に縫い止められた。
激しく身体をくねらせて抜け出そうとし、柄に伝って、ランタンの腕を締め付けようとした。ランタンは自らの最大の武器である戦鎚からあっさりと手を離した。鞭魚が身体を伸ばして、尾から追いかけてくる。
それを見計らって、鎌の刃を白い腹に突き立てた。
かり、と背骨に触れる。ランタンは一気に鎌を引き、腹を開いた。内臓が剥離し、平べったくなった鞭魚は、しかしそれでも生きていた。
だが止めを刺すまでもなく、息絶えるのは時間の問題だ。
「……ランタン、あれ」
「同じ種類か……?」
二人は獲物を構えたまま足を止めて、眉をひそめた。
迷宮の奥にある闇が固まったかのような、巨大な鞭魚が横たわっていた。鞭と言うよりも縄である。胴の直径が一メートル程もある。
浅瀬に打ち上げられた鯨が身悶えているかのように、それは無力に見えた。だが尾を振ると迷宮が震動し、壁が崩壊する。通路を埋め尽くすかのような巨体である。
「わたしがっ!」
二刀を交差させて、リリオンが前に出た。泳ぐほどの水深はない。それは這いずった。
ぬるぬるの体液を溺れるほど身に纏って、それを潤滑油にして滑り迫った。尾を振り落とした重さを、突進力に変換する。
金属を打ち合うような衝突音が響き、リリオンが歯を食いしばった。砂に足が埋まり、じりじりと押し返される。体液と水が混じって白く濁り、リリオンの足が摩擦を次第に失ってずるずると滑った。
リリオンが足を動かすが、その場で足踏みするようだ。力負けではない。だが押し負けている。
どう攻めるか。
正面はリリオンがどうにか抑えた。
その左右に回るのは危険だ。壁に挟まれて圧死する可能性が極めて高い。かといって背後はより危険だ。尾はもう一つの、そして自在に動く頭部のように獰猛だった。
ランタンは勇気づけるようにリリオンの尻を一つ引っぱたき、その脇を駆けた。
ランタンの小躯ならば、あるいは鞭魚の左右に回り込むことができるかもしれない。だがそんな危険を冒さなかった。
小鎌の柄を口に咥える。
壁を斜めに走り、天井まで達した。逆さまになって二歩走り、天井から足が離れる。
背びれのない、ぬらぬらとした黒い背中。やはり鰻のようだ、とランタンは思う。
万有引力に身を委ね、足先から掌に体重を落とし込む。
そして双掌を背に打ち込んだ。
ぬめりが弾け、脂の乗った皮が波打つ。
打撃系は、少なくともランタンの素手程度では、ほぼ無効。
だが爆発の衝撃を殺すことはできない。熱波にぬめりが剥がれ、皮が焦げてひび割れ、脂が溶けて流れ出した。肉を焼き崩し、骨を炭化させ、巨大な鞭魚が真っ二つに引き千切れる。
体重の半分を失った鞭魚をリリオンが押し返した。
リリオンは一歩下がり、勢いをつけて前進する。
叩き付けるように竜牙刀を振り下ろすと、刀身のぎざぎざが頭に突き刺さり、掻き毟るようにぬめりに覆われた硬質の皮を引っ剥がした。
そして剥き出しになった白い頭骨に、銀刀を振り下ろす。
頭部の半ばまで切り裂き、リリオンは頬を膨らませると力を込めて押し切った。
鞭魚は頭側と尾側、それぞれがしばらく暴れ続けたが、ほどなく尾の付け根にある瘤を結晶化させた。
魔物は総じてしぶといが、水棲系の魔物はその中でも群を抜いてしぶといように思えた。
ランタンはリリオンに結晶を回収させながら、警戒を緩めなかった。
戦鎚を壁から抜いて、ぬめりを水で洗い流す。そして鶴嘴を地面に打ち込んで、軽めの爆発を発生させた。砂中に魔物が潜んでいる可能性があった。これから先の道中、目に見えるもの以外も気をつけなければならない。
「ランタン、集めたよ」
「ありがと。こっちも大丈夫そう。もういない」
ランタンは額の汗を拭った。
「んふふ、ランタン。よかったね」
「なにが?」
「これなら食べられるわよ」
リリオンは見透かしたように言った。結晶をしまったその手には、腹開きにした鞭魚が握られている。
ネイリング領で出された鰻料理をランタンが気に入ったことを憶えていたのだ。
「あっちを見ると、ちょっと食欲失せるけどね」
成長しきった鞭魚はたっぷりと脂の乗ったまっ白な身を晒している。流出した油は水面に膜を張っていた。
しかしせっかくである。戦場から少し離れ、油膜がなくなったところで、鞭魚を洗った。青い血と皮のぬめりをしごくようにして洗い流す。タオルで挟んで水気を切り、塩を振った。
ランタンは戦鎚を赤熱化させ、リリオンが頭と尻尾を持ってあぶり焼きにした。半透明の身が白く染まり、脂がふつふつと浮き出し、ぽたりぽたりと鎚頭に落ちて火を吹いた。
「指、気をつけてね」
「うん、いい匂いがしてきたね」
リリオンが唇をぺろりと舐める。焦げ目がつき始めると、香ばしく食欲をそそる香りがしてきた。
「多少でかいけど、見た目は鰻だな」
ランタンは戦鎚を水につけて冷やす。
リリオンに尻尾を持たせ、ランタンは頭を持った。白焼きだった。二人同時に、がぶりと噛み付いた。
さく、と皮が小気味いい音を立てる。
「あ、美味い。ああ、でも小骨が」
脂の量に反して淡泊だが味は悪くない。だが小骨が硬く、量が多かった。リリオンですら、恐る恐る咀嚼し、一噛みごとに口をもごもごして、骨を選り分けていた。
「上手に飲み込めない……」
「同意」
二人とも一口食べただけで、もう食欲を失ってしまった。面倒くささに対して、もう一口食べたいと思うほど味が良いわけではなかった。
もったいないが二人はそれをその場に捨て、肩を落として歩き出した。
「せっかく味も鰻に似てたのに、残念だったね」
「こっちじゃ、出回らないしな。けど鰻食べるんならたれがほしくなるな」
「たれって?」
「たぶん醤油とか味醂とかお酒を煮詰めたもの」
「しょうゆ? みりん?」
「あと白飯。どんぶりで食べたいな」
リリオンが不思議そうに首を傾げ、手を叩いた。
「わかった! ここではないどこかのお料理ね」
「まあね」
わたしも食べてみたいな、とリリオンはごくりと唾を飲んだ。
「ね、そういうのもっとお話しして。きっといつか、ランタンにごちそうしてあげるから」
「期待してる」
「うんっ」
「でも、そういうお話は迷宮の外でね。さあ、進むぞ」
「おー!」
次から次へと魔物が出現した。
水弾を放出する海老が出現し、砂中から襲いかかってくる人食い二枚貝が出現し、壁を埋め尽くすような巨大フナムシが出現した。
「――はあ、はあ、はあ」
ランタンは肩で息をする。
常ならば爆発によって一網打尽にするところなのだが迷宮の性質上、爆発の行使は躊躇われた。
単体攻撃程度の爆発ならばいいが、大規模爆発は賭けである。
炭鉱火事など起きたら最悪だ、もうこの迷宮を攻略することは不可能であるし、場合によっては帰還することさえできないかもしれない。
「海老のお腹と同じね」
ひっくり返ったフナムシを鋒で突きながらリリオンが言った。
「あー、聞きたくない聞きたくない聞きたくない」
ランタンは耳を塞いだ。できることなら目をつむって座り込みたいぐらいだったが、足元を流れる水がどうにかそれを堪えさせた。
小規模爆発によって、ほんのりと香ばしい匂いがしているのも腹立たしい。
第一フナムシは水辺の生き物だが、水に棲んでいるわけではない。なんで水棲系迷宮に出てくるんだよ、と思う。そういう現象はそれほど珍しいことではなかったが。
そろそろ腹が空く時間だった。歩きながら摂取した携行食の昼飯は、もうすっかり消化されてしまっている。
魔精結晶を回収し、フナムシの臭いが届かないところまで歩いた。そこからさらに三十分進み、その間に魔物の出現がないことを確認して、再び三十分後退した。
そこが一日目の宿営地だった。
「さあ、風呂場で確かめたけど上手くいくかな」
「いかなかったら?」
「濡れながら寝る。立って寝る。もしくは泣いて帰る」
持ち込んだ荷物、ランタンとリリオンを合わせた分の三分の一をそれが占める。背嚢の中に入りきらないので、筒状に丸めて括り付けてあった。
それはの防水布で作られた野営用の絨毯だ。三メートル四方の無地の絨毯であり、箱形をしていた。
「えっと、向きはこっち」
角を水の流れに合わせて地面に設置する。四隅に重石兼立ち上がった布の支えとして荷物を置いて、ランタンとリリオンはしばらくそれを外から観察した。
絨毯によって作られたのは、一種の人工的な中州だった。
布壁は波に合わせて少したわむが、それが乗り越えてくることはない。
「風呂場では良かったけど直接、波が当たるのは微妙だな」
「どうするの?」
「リリオン、石炭壁をこれぐらいの大きさで切り出して、板状に。僕は砂を積む」
ランタンは小鎌で壁に線を引いた。リリオンがその大きさで石炭壁を切り出しているあいだに、ランタンは進行方向側に砂を集めた。
「貝殻拾っとけばよかった」
人食い二枚貝を思い出す。大皿ほどの大きさの貝殻があれば、砂集めも楽だっただろう。
鶴嘴でせっせと砂山を形成し、高く積む側から波に掠われていっても、それでも辛抱強く砂を集め続けた。濡れた砂の重さに、戦闘とは違う粘ついた汗が額に浮かんだ。
「ランタン、これぐらいでいい?」
「おー、上等上等、素晴らしい」
「えへへ」
ランタンはリリオンの額に浮いた汗を拭ってやった。両手に嵌めた手袋は真っ黒だ。切り出した石炭板と砂山を組み合わせて消波堤を作っていく。
「どうしてデコボコにするの? ふさいじゃえばいいのに」
「まあ、それはそうなんだけど。塞き止めるには手持ちの道具だけじゃ無理、とは言わないけど時間が掛かるよ。簡単にすると強度が足らない。波がけっこう強いから。で壊れたときは、それまで塞き止めていた勢いが一気に噴出するから、もっと波の勢いが強くなる。そしたら寝てるときに溺れちゃうよ」
「じゃあ、こっちの細い方を波に向けるのはどうして?」
「波の力は結構大きいからね。面で受けるとたぶん倒れる。だからこうして波を切る」
「はあー……、いろいろむつかしいのね」
「よし、こんな感じだな」
作り上げた消波堤のおかげで、絨毯の中州はなかなか居心地がよかった。
十二時間以上ぶりに腰を下ろし、靴を脱ぎ、寝っ転がった。
「あー、疲れた」
「うん」
「戦うより疲れた」
「ランタン戦うの好きだものね」
絨毯の下は砂で、水だ。波は失せたが、流れが消えたわけではない。寝転がると、背中に不思議な感触があった。ふわふわした生き物を下敷きにしているかのようだった。
リリオンが擽ったそうにもぞもぞした。
仰向けに寝ていたのに、ころんと身体の向きを変えた。
視線が頬にくすぐったい。手が伸びて、ランタンの手を握った。ちょんちょんと引かれる。大した力ではなかったが、ランタンは半分身体を回転させた。
「なに?」
「不思議な感じだなって思って」
「そう?」
「うん」
確かにリリオンが今まで探索した迷宮とはまるっきり雰囲気が異なっていた。
ネイリング領で攻略した花咲く植物系迷宮も変わった雰囲気だったがそれよりも、どことなく地上にあるあたりまえの自然を感じさせる。
水の流れる音が、心を落ち着かせるからかもしれない。
「ふあ……」
リリオンが欠伸をして、猫のように目を擦った。それを見ているとランタンも眠たくなってくる。
「寝る前に、食事しとこう」
ランタンは顔を振って、億劫そうに身体を起こした。リリオンを抱き起こす。
背嚢の中から迷宮食を取り出し、栄養ビスケットを一つ口に含んだ。
不味いと言うほど不味くはないが、味気ない食事だった。ビスケットにチーズを乗せたり、蜂蜜を掛けたりする。乾燥肉をしゃぶったり、齧ったりもする。
食事は迷宮では、栄養補給以上の役割を持つ。それは緊張を解すための娯楽でもあった。
酷い食事と言うほどではないが、楽しみからはほど遠かった。
だが二人してもそもそと腹を満たし、せっかく水が豊富なので足を洗い、それから寄り添って身体を横たえた顔は不思議と満足気である。
ランタンは食事をしているときのリリオンが好きだったし、リリオンはランタンに見てもらうことが好きだった。
これでキスできれば申し分なかったが、二人は律儀で頑なだった。
迷宮についての話をしながら、ほどなくリリオンが大あくびをしたので毛布を被った。リリオンがランタンにくっついてきて、足を絡め、落ちつかなげに内股を擦りあわせた。
「お漏らししないでよ」
「……しないわっ、ランタンってすぐそういうこというんだから!」
「水音聞いてると催すって言うしね」
「しーなーいーっ!」
ぷんぷんと怒ったけれどリリオンはほどなく眠りにつき、二時間後に目を覚ました。
ランタンも一瞬で覚醒するが、リリオンがこそこそと毛布を抜けたので眠ったふりをした。ぱしゃぱしゃと水辺を歩く音が聞こえ、すぐに立ち止まった。
もっと遠くに行けばいいのに、とランタンは思う。絨毯から二メートルぐらいしか離れていないだろう。目をつむっていたが、リリオンがこちらをじっと見ているのがわかった。
警戒しているのか、そこにランタンがいることを確認することが、恐怖を和らげるのか。
恐らく後者だった。下街の廃虚で寝泊まりしているとき、ランタンは何度かリリオンのトイレに付き合わされた。
その時に比べればずいぶんと進歩した。強がりと、恥じらいが生まれたのだ。
そして聞こえた水音は、はたして波の音だろうか。
ランタンは寝返りを打つ振りをして毛布に潜り、耳を塞いだ。




