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夏の暑さのせいです。
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リリオンがランタンを見つめているとき、またランタンもリリオンを見つめていた。
それは末端から始まる。足先や指先に視線を触れさせ、四肢を辿って、視線は首筋を上る。唇を見るといけないことをしているように、慌てて顎の輪郭へ逃げ、耳を撫でて、中空を彷徨った挙げ句、ようやく視線を合わせる。
すると恥じらうように頬を染めて、ぎこちなく視線を伏せた。
二人きりになって不意に沈黙が訪れると、このところ二人はこのような状態に陥るのだった。
唇を重ねたことは遥か過去のように感じるが、その感触はつい先程のことのようにありありと思い出せる。
手を繋いだり、抱きしめ合ったりするのとはまた違う。
特別なことをしているのだという感覚は幸せで、快楽的なことだった。
リリオンはランタンを求めることに躊躇いを持つことは少ないが、口付けにかんしては奥手のようだ。
どうしよう、とランタンは思う。
きっと今までもリリオンに触れたいという欲求はあったのだろう。だがそれはリリオンの積極性によって、知らずに解消されていたのだ。受け身でいることは、楽をしていると言うことだった。
キスしたいな、と思う。
だが戦闘の興奮が、感情の昂ぶりと同一であり、その勢いのままにしたあの時とは状況が違った。
雰囲気もへったくれもない。ただ欲求があるだけだった。こういう時にしていいのだろうか、とランタンは葛藤する。
シドに連れて行かれた娼館で、恥ずかしからずにもっと詳しく聞いておくべきだった。
何か作法みたいな事はあるのだろうか。いや、だが、それを守る守らないという悩みでは、以前の自分と変わらないのではないか。
欲求に素直になって何が悪い。しない理由を見つけようとするな。
よし、するぞ。
ランタンは自分に言い聞かせる。
「……――リリオンっ」
「は、はいっ」
ランタンは自分でもびっくりするような大きな声でリリオンを呼んだ。リリオンが負けないぐらい大きな声で返事をする。そして二人揃って深呼吸をした。発声機能まで緊張している。
「リリオン」
「はい」
ベッドの上でぺたんと座っていたリリオンは、なぜかきちんと正座をして背筋を伸ばした。ランタンは揺り椅子から立ち上がり、ベッドに近付く。
たった四歩の距離が長く感じた。ベッドに向かうという行動が、口付けのその先を連想させた。睡眠以外の行動を。リリオンはきっと男女の営みを知るまい。だが求めれば、拒むこともしないだろう。
リリオンは自分の何もかもを受け入れてくれるという確信があった。
だからこそ年長の、そして男である自分は、きちんと欲望を律し、少女の身体を思いやらなければならない。求めることも与えることも愛情だが、堪えることもまたその一つである。
室内履きを蹴り飛ばすように脱いで、ベッドに上る前に息を吐いた。
ベッドの軋みが生々しい。膝行して近付くと、リリオンはゆっくりと目を閉じ、尖らせると言うには幾分も控えめに唇を突き出した。
触れた顎が、抱いた肩が細い。顔を近付ける。どれほどの至近で見てもきめの細かい肌は破綻がない。淡く閉じられた瞼に、淡緑の血管が透けていた。睫毛が長い。鼻梁が涼やかだ。体温が上がっていく。
小振りな唇は桜色で、ふっくらと、つやつやとしている。
そして見た目以上に柔らかい。
「んっ」
触れると、閉じた唇をこじ開けるような甘いと息が漏れた。それを恥じらうみたいに唇がきゅっと結ばれる。
その頑なさが唇に触れ、ランタンにも少女の緊張が伝染した。
肩を抱いた指先が少女の骨に触れた。痛がるかもしれない、と頭の片隅に思う。だが指を開くことはできなかった。
しばらくそうやって唇を合わせるだけだった。
互いに息を止めて、探索者の肺活量は長時間の無酸素運動を可能にするはずなのに、三十秒もたたずに二人とも顔を真っ赤にした。
柔らかいと苦しいが、同時に押しよせてくる。
薄目を開けたランタンの瞳に、ぎゅっと目を瞑ったリリオンが反射した。思わずランタンの唇が綻ぶと、リリオンの小鼻がぷくりと膨らんだ。
「ぷはあっ、――ふあっ、はあ、んっ」
唇が離れ、リリオンは水面に上がったように息を吐き、そして再び長時間の潜水をするように息を吸った。もっと深く潜るように、リリオンが深く唇を重ねた。危うく歯がかち合いそうになる。暴れる獣を押さえ込むような荒々しさでランタンを抱きしめた。
物凄い力だ。
ランタンの息が先に苦しくなっても、リリオンはまるで気付かず唇を離さなかった。
先程が唇を合わせると形容するなら、今度は押しつけるようだった。
「――はあ、んっ」
そして二度目の呼吸から、工夫が生まれた。
「ランタンっ、ちゅ、ランタン、ん、ちゅ、んっ」
押しつけ、離れ、名を呼んで、啄み、重ね、呼吸をし、再び触れさせて。
幼い獣が獲物に何度も柔らかい牙を突き立てるように、リリオンは執拗にランタンを求めた。くらくらするのは酸欠の所為だけではない。理性の鎖がぎしぎしという。
リリオンの体重が、ぐっとのし掛かってきた。比喩表現ではなく、このまま食べられてしまうのではないかと思う。
「んっ、ちゅっ、ううんっ」
ランタンをついに押し倒し、馬乗りになった。甘い声を上げ、唇を噛んでみたり、舌先でなぞってみたり、本能的に色々試しているという感じだった。
「ちょ、ちょっと、リリ――」
唇で黙らされた。
理性を失っていた。必死な感じの眼差しが官能的に潤み、同時に獰猛だった。
リリオンが本能に従うのならば、またランタンも本能に従った。それは戦う者の本能だったのかもしれない。
やられっぱなしでは立つ瀬がない。ランタンの瞳が、危うげな炎を宿した。
リリオンの髪に指を絡めると、洗い髪の湿り気が指先に感じられた。そのまま項を掴む。
「んんーっ!」
そして舌を入れた。
リリオンは初めての感触にびっくりして、慌てたように手足をばたばたさせたが、ランタンは逃がさなかった。上下を逆転して馬乗りになり、ランタンが舌を動かすと、リリオンはぴんと手足を突っ張って、ようやくぐったりと身体を弛緩させた。
ランタンはゆっくりと唇を離した。涎が糸を引き、一仕事終えたかのように乱暴に唇を拭った。
見下ろすリリオンは、顔を真っ赤にして、涙で瞳を潤ませていた。
「はあ、はあ、はあ……っ」
奇妙な満足感はある。だがなぜこんなに疲れなければならないのか、とも思う。ロマンチックさの欠片もない。
満足感。
満たされたのは愛情だけではない。征服欲や、あるいは所有欲といったものもだった。
ベッドに横たわるリリオンは、ワンピース型の寝衣を乱し、捲れ上がったスカートから、軽く折り曲げられた脚を露わにしている。ランタンはスカートを整えて、脚を隠した。
ロマンチックでなかろうと、疲れていていようと、見ているとむらむらする。
すぐに冷静になれ。十五の少年には酷なことだったが、ランタンは恐るべき精神力でそうあるように努めた。
「はあ、はあ、ねえ、……ランタン」
そんなランタンの努力を嘲笑うように、リリオンの声が甘い。どこか媚びを含んでいるような気がしたのは、ランタンの心が邪さの表れだろうか。リリオンはそろそろと腕を伸ばして、ランタンの袖をちょんと摘まんだ。
「もっと、して」
小悪魔め、と思う。リリオンは瞼を下ろして、じっと待っていた。
ランタンははっきりと襲いかかりたくなった自分を認識した。太股を抓る。抓りながら言葉を絞り出した。
「……今日は、もうお終い」
「やだ。もっと、ちゅうしたい」
言ってから、リリオンは恥ずかしげに顔を覆った。それはとても愛らしく、蠱惑的だ。ランタンはリリオンの腕を掴まえて、身体を起こした。
「んー」
期待に唇を尖らせる。ランタンは息を吸った。
「わあっ!」
「――うひゃあっ! びっくりした!」
色気もなければ格好良くもない。だがこうでもしなければ耐えられなかった。
驚いてひっくり返ったリリオンを横目に、ランタンはほっと胸を撫で下ろした。大きな声を出して少しだけ欲望が発散された。リリオンがランタンに飛び掛かった。腰に腕を回して、腹に顔を押しつける。
「ちゅうしたい。ランタンはいやなの?」
「嫌ではない。むしろしたい」
ちらと見上げリリリオンが照れたのがわかった。臍に息が触れる。
「だけど、このままじゃダメだ」
「なにが?」
「このままだと一日中してしまう」
「わたし、それでもいいよ」
「いや、それはあまりにも退廃的すぎる。よろしくない」
「たいはいって……?」
「不健康ってこと。このままじゃ、身体が持たない」
リリオンはランタンの言葉にしばらく黙りこくったが、納得がいったのか姿勢を正した。
「わたしさっき、真っ白になっちゃったの。ランタンのちゅうがすごいから」
リリオンが真面目くさって言い、今度はランタンが照れた。
絡めた舌の感触は、形容することができない艶めかしさだった。
「でも、じゃあ、どうするの? いつちゅうするの?」
「それを決めよう」
そうしないと歯止めがきかない。寝食を忘れて求め合いそうな気がする。女に溺れるとか、男に溺れるとか、愛に溺れるとか。そういう言葉の意味がランタンにはようやく理解することができた。
ランタンは自分の欲求に対してある程度開き直りはしたが、いくら何でも限度がある。
二人は角を突き合わせながら、うんうんと唸って考えた。
いかに節度を保つかという話なのに、いかにその機会を生み出すかと本末転倒も甚だしいことばかり考えてしまう。おはようからおやすみまで、しようと思えばいくらでも理由を作ることができる。
これではいけない。きちんと間隔を開けなければ。
「――迷宮を攻略したら、にしようか。探索者だし」
探索のモチベーションにもなる。ランタンがなんとなしに言うと、リリオンがベッドの上でおもむろに立ち上がった。マットのばねに足を取られてふらふらし、ぴょんとベッドから飛び降りた。
「ミシャさんにお願いしてくる!」
「ちょい待て!」
呼び止めたが、リリオンにはまるで聞こえていなかった。リリオンは押して開く扉を、必死で引っ張ってがたがた鳴らしている。壊しかねない勢いだった。
「あれえ? あれえ?」
「リリオンっ、――行ってらっしゃいのキスは?」
都合のいい耳をしているリリオンはくるりと反転して、ランタンの胸に戻ってきた。突き出された唇をランタンは指で抓んだ。
「まだ迷宮を選択してないし、そもそも夜だし、起重機もまだ届いていない」
王都から戻ってそろそろ一週間経つ。ランタン発案の飛行船が実働段階に入るのは、まだ当分先だ。起重機は地上輸送の真っ最中である。到着はあと三、四日だろうか。
ランタンは自分で提案したのにもかかわらず、次の機会が訪れるのはいつだろうかと考えて、少し落ち込んだ。
そしてさっそく、お休みのキスはありだろうか、と思う。
年が明けてすぐベリレの騎士叙任式が行われた。
エドガーは自らの有する影響力を存分に行使して、王都の大聖堂で教皇から祝福を、王から佩剣を、と盛大な儀式を執り行おうと画策していたようだったが、ベリレたっての願いでネイリング領首都メリサンドの聖堂で儀式は行われた。
ベリレの故郷は遙か西にあったが、育ったメリサンドこそがベリレの故郷だった。
エドガーの親心も理解できるが、ベリレも恥ずかしかったのだろう。その親心が。
何だか不思議だった。人の腹から生まれていないかもしれない。そういう悩みを抱えていた己が、過大な親心を向けられる息子の恥ずかしさを想像できることが。
大聖堂にはさすがに及ばないが、それでもネイリング様式とでも言うのかあっちこっちで彫刻の竜種が睨みをきかせている聖堂は充分に立派だった。
その中で騎士となるベリレも、負けず劣らずの立派さだった。
領主一族が、騎士団が、そして多くの市民も聖堂に駆けつけた。
多くの人たちに見守られる中で儀式は粛々と進み、ベリレは祝福され、剣や鎧、槍や盾を授けられた。そして最後の騎士を騎士たらしめる立派な馬を与えられた。竜種の都メリサンドであろうとも、騎士にはやはり馬なのである。
それはベリレの巨体に相応しい魔馬であり。まだ若馬だったがすでに首や四肢が牛のごとく太く、鋼を削り出したかのような黒光りする鬣が豊かで、毛色は深い湖のように青ざめていた。
肝も据わっていて、儀式後にランタンが近付いたり、触ったりしても暴れ出すことはなかった。不愉快そうに身体を震わせてはいたが。
儀式の後はすぐにベリレのお披露目もかねて馬上試合が行われた。なんと大通りを使用した試合である。
竜種が三頭も四頭も並んで通ることができる大通りに、騎士たちが各々馬に跨がり、それぞれが武勇を競い合った。
夢のような舞台だった、とはとても言えない。馬上試合は騎士の持つ優美な印象からはかけ離れた、泥臭く荒っぽい戦いだった。
二名の騎士が差し向かい合い、互いに槍を構え、同時に馬を駆けさせるのだ。勝利条件は相手の継戦能力を奪うこと。つまり馬から突き落としたり、槍を砕いただけは終わらないのである。騎士は馬から落とされると、おもむろに抜剣して斬りかかるのである。
斬、打、投、極、締。魔道以外は何でもありで、最後の最後は相手の首に短刀を突き付けて、首を切り落とす素振りすら見せる。
年明け早々、年末に清められた大通りは血に染まり、市民たちは振る舞い酒を片手に盛大に盛り上がった。
騎士たちはベリレが新たな仲間になることを心から喜び、市民たちは新たな秩序の担い手に期待と尊敬を惜しむことなく与えた。これもきっとベリレの人徳なのだろうと思う。
あの日のベリレの誇らしい顔といったらなかった。
ベリレは名実ともに大人になったのだ。
そんな大人になったはずのベリレが、真面目くさった顔でままごとに興じている。
場所は迷宮都市ティルナバンの下街にある孤児院である。
ランタンからの寄付は何に使ったのだろうか、教会を囲む柵は古いままで、シスター、クレアは痩せたままで、無事に退院した半裸女は冬だというのに半裸だった。ただランタンの見間違いでなければ、子供たちの数が倍ぐらいに増えている。寄付は食費に消えたようだ。
もとからいる子たちはそれなりに躾がなっていたが、新しく入った子たちはまだまだ獣である。教会内は無法地帯といった感じだった。
どうやら退院した半裸女が、拾い集めてきたらしい。半裸女は迷宮解放同盟の手に掛かり、自ら迷宮口に身を投げた子供たちを目撃している。それにもともと身を削って施しをするような女である。
変態だが、冬の寒さに凍える子供を見て見ぬふりができる女ではないのだった。
悪ガキを追いかけると、たわわな胸が揺れた。ランタンは無意識にそれを視線で追った。半裸女が視界から失せると、溜め息を吐いた。
ベリレは大人になり忠犬のように子供の遊びの付き合っているというのに、自分はまるで盛りのついた犬のようだ。
土産話に叙任式の話をしたらおもむろに始まった、ままごと騎士叙任式に参加させられながらランタンはそう思う。
跪くベリレに、シーツを法衣のように巻き付けた少女が歩み寄る。布はだぶだぶにあまり、足が埋まっているので転びそうだった。跪こうとベリレは大きい。埋まった足で精一杯に背伸びをして、ベリレの頭に手を置いた。
「ベリレさまが、ええっと、神さまをしんじている人、かなしんでいる人、こまっている人、さみしい人、おなかがぺこぺこの人を、助けてくれる騎士さまになりますように」
心温まる一場面だった。
たどたどしく、それでいて真に迫った祝福がベリレに与えられた。祭壇に飾られていたのだろう花輪を流用した、花冠を頭に被せた。
無事に花冠を乗せられてほっとしたのだろう、少女が背伸びついでに踏み付けたシーツに足を取られて転んだ。ベリレがはっと身を起こし、身体を支える。
だが柔らかい首ががくんと揺れ、少女は転んだ勢いのままベリレに頭突きをした。
ランタンにはそれがキスしたように見えたし、きっとリリオンも同じように見えただろう。
ぴいぴい泣く少女をあやすこともできずに、ベリレがおろおろしていた。
土産が話だけではなんなので、ランタンは孤児院に石鹸と香油を持ってきた。
石鹸の方はネイリング領で購入した、嘘か真か竜種の脂肪を精製して作ったもので、香油の方は王都で購入した、嘘か真か教皇が祝福をした聖なる香油だった。
ランタンに妙に懐いてくれる犬人族と猫人族の少女は、早速石鹸で手を洗い、脱脂のし過ぎで毛並みをぱさぱさにしていた。ランタンは掌に香油を伸ばし塗り込んでやった。
「ほら、後は自分でやりな。僕らはもう帰るから」
ランタンが言うと二人はそれぞれ、ランタンとリリオンの膝の上に乗った。毛皮に包まれた身体がもこもことしている。冬毛なのかもしれない。
「ちょっと、降りてよ。探索者ギルド行くんだから」
聞こえない振りをして、香油でせっせと幼く鋭い爪を磨く。ランタンはリリオンと視線を交え、溜め息を吐いた。
「なにしているの?」
「戦いの用意よ」
リリオンが尋ねると、犬の少女は答える。そして頬を膨らませながら、新顔の男の子たちを睨みつけた。
「あの子たち、乱暴なの」
「だから、きらい」
「仲良くしないとダメよ」
子供なりの好き嫌いだが、ミシャの例もある。この世界は孤児院の中でさえ弱肉強食だ。特にどこにも属さずに逞しく下街を生きてきた新顔たちは、まだ下街の流儀が抜けていない。下街の流儀とはつまり暴力だった。
監督者としてシスターの他に、半裸女も復帰したが、これだけの数の子供全てに目を光らせるのは難しいだろう。今のところひとまとまりになっている古株の方が強いが、いくつかの集団に分散している新顔たちをまとめる器量の子供が現れたら、力関係が逆転するかもしれない。
「すぐに叩いたり、引っ張ったりするのよ」
「押したり、スカートめくったりするの」
「ませてるな」
どの口が言うのかランタンが言った。
二人の口調から察するにまだそれほど深刻ではなさそうだった。
「爪、つやつやになった。ほら」
「わたしもー」
「ああ、ほんとうだ。よかったね」
ランタンが適当に褒めると、二人はむくれた。幼くとも女の子の勘は鋭い。爪と同じぐらいに。ランタンの膝の上で身体を揺らして抗議してくる。
「ランタンさまは、騎士さまにはならないの?」
「なれないよ。探索者だけで精一杯。それにベリレみたいに優しくないしね」
ランタンは走り回る悪ガキの足を引っ掛けて転ばせた。
「こら! 人の物とっちゃだめでしょ!」
「うるせー!」
追いついたクレアが、少年を抱き起こし怒った顔をしているが、これっぽっちも迫力がない。腕を振り解かれて、少年は再び走った。
クレアは頬を赤くし、息を荒らげていた。髪を乱し、シスター服が走ったせいで身体に張り付き、細い身体の輪郭を浮かび上がらせている。背徳的な感じがする。
「すでに破綻してない? 世話ができないんなら、これ以上増やすべきじゃないよ」
「……お恥ずかしい限りで」
クレアは子供が増えたことを半裸女のせいにしなかった。拾い集めてきたのは半裸女でも、受け入れたのは結局クレアなのである。
「すでに去って行った子もいるのです。反抗しても、それでも残っているということは、きっと助けを求めているのだと思います」
「にしてもね。溺れるものを助けて、自分も溺れて死んだら元も子もないよ」
「……おっしゃる通りです」
「お金、足りてる?」
「今のところは……、それにあの子も無事退院できましたし」
クレアの視線の先で、半裸女が子供たちと遊んでいる。犯罪すれすれの格好だ。
ちょっとませた少年たちを意識的か、無意識的かはさておき誘惑している。少年たちの手が偶然や、事故をよそおって剥き出しの肌に伸びている。
だがあくまでも半裸女は探索者であって、商売女ではない。半裸女は探索者のみのこなしで、それらの手を躱した。
触れそうで触れない少年たちはどんどんと露骨になり、煮詰まった欲望で視線がぎらぎらしている。そしてその視線に晒されることで半裸女は興奮しているようだった。少年たちを焦らしているように見えて、自分を焦らしているのだ。高度な変態だった。
最終的な欲望の発散はどうするんだろうか、とランタンは思う。それとも発散せずに煮詰めた結果があれなのかもしれない。
ならば早く迷宮を攻略しなければ。
「あの人、今まで通りに探索者として働くのは無理だよ」
クレアがまさかと言う顔をした。半裸女は苦しい顔を見せないのだろう。
「まだ無理なのか、もう無理なのかは微妙なところだけど、動きがぎこちないもん。それにこれ以上の人数を一人で背負うのはきついだろうな」
ランタンが支えてもいいが、それではきりがないし、義理もない。
「本部からの運営費が増えればいいのですが」
「いや、一番いいのは他所に頼らずに、きちんと運営できることだよ。お金って命みたいなものだもん。他人に委ねるべきじゃないね」
「つまり、商売をはじめろと? でもいったいどうやって」
例えば悪徳な孤児院は、孤児院それ自体が娼館をかねていることがある。孤児たちは文字通り自らの身体で食い扶持を稼ぐのだ。それに孤児院でなくとも、個人で身体を売っている少年少女も少なくない。
前者は孤児院という庇護があるが稼ぎは少なく、後者は丸儲けだが客によってはやられ損ということもある。
もちろんそれは悪例だが、この世界では子供も立派な労働力だった。この世界では人口の七、八割方が農民である。よちよち歩きの頃から家の手伝いをして仕事を学び、残りの二、三割だって上流階級でもなければ十歳前後で徒弟として下働きに出る。
「わたしもはたらくもん」
「はたらく……!」
難しい話をしているというのに、少女二人はなかなか敏い。
だが孤児の子供にできる仕事などたかが知れている。屑鉄拾いも、屋台皿の回収も丸一日働いたって運営費の足しにはならない。焼け石に水だ。
「そうか、働くか」
「うん」
「うん」
「じゃあ色々考えておく」
「……? やったー!」
二人はきょとんとしたが、意味もわからず喜んだ。クレアはきょとんとしたままだった。
「これ以上、子供を増やすなら変わらないと無理だよ。ここって教会関係なんだよね。正式な教会の」
「ええ、あの」
「じゃあ土地の権利関係は大丈夫だな。でも一応レティに聞いとくか。エーリカさんにも相談して」
ランタンはぶつくさと呟く、そしてクレアの手を取った。
「あの、なにを」
怯えるような目を覗き込む。
「悪いようにはしないから」
「ああ、いけません私は神に身を捧げておりますっ」
何を勘違いしているのか、クレアが顔を赤らめる。ランタンの目はぎらぎらしていた。
「ちゃんと稼がせてあげるから、僕に任せて」
熱っぽい言葉にクレアがふらりと頷いた。悪い男に騙される女のように。
「よし、じゃあその算段をつけてくる」
ランタンは少女二人をクレアに預けた。大義名分があるので今度は引き止められない。その代わり、帰ろうとするランタンに三人組みの悪童がぶつかった。
「んだよ、邪魔だよ!」
悪態にランタンを知っている子供たちが顔を強張らせた。
ベリレは子供たちの相手をしていて、騎士姿のおかげで皆言うことを聞いているようだったが、この三人だけが別だった。ベリレは自分が指導されたときのように、げんこつは落とさなかったようだ。優しいというか、甘いというか。
「僕の邪魔をするなよ」
ランタンは問答無用で三人の子供たちを投げ飛ばした。ベリレが襟ぐりを槍で突き通して受け止めなければ落下死していただろう。三人は水の滴る洗濯物のように、小便を漏らした姿を晒した。
「命の恩人の言うことは聞けよ。じゃないと次がないからな。ベリレ、先に行くから」
「ああ、おう。なんか怒ってるか?」
ランタンは答えず、足早に孤児院を出た。
ランタンとすれ違い様に、半裸女ががくがくと膝を震わせて、腰が砕けたように座り込んだ。
「はああ、あんなに幼いのにすっかり男の子の顔になって……!」
呟きは、ランタンの独り言に掻き消えた。
「小迷宮だ。高難易度だろうと、虫系だろうと、小迷宮を攻略する」
脳が茹だる。




