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カボチャ頭のランタン  作者: mm
06.On The Origin Of Species
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 轟音が残る中でランタンはミシャの耳を塞いでいた手をそっと外した。そして甘い言葉を囁くみたいに、小さな声で語りかける。

「気絶した振り、し続けて」

 ミシャは言う通りにした。脱力して、ぐったりと床に倒れたまま、息をひそめる。

 ランタンは毒が回り、特に下肢が痺れて一向に力が入らない。身体を支えていた腕の力を抜いて、ランタンは力尽きたようにミシャに覆い被さり、少女の意識的な呼吸を隠した。

 ミシャからは冷たい汗の匂いがする。心臓の音も速い。

 蒸し風呂のような高温が渦巻く室内に、足音が響いた。

 確認しなくてもわかる。カンテラ男だった。

 フーゴに不定型生物をしかけたのがカンテラ男なら、ランタンの生け捕りを命じ、これの結果を確認しに戻ってくることは道理だった。

 あるいはカンテラ男が研究者であるのならば尚更だ。この手の人種は自らの目で確認したことしか信用しない。

 それは淡々とした足取りで、ランタンに近付いてくる。他にも二人、知らない足音があった。こちらは少し浮ついている。

「うわ、すごい熱だ。靴底が焦げそうだ」

「蛇男くん、見当たらないですね。欠片でも残ってないかな……、残ってたら波形を復元できるのに。これじゃあわざわざ純粋培養の不定型生物をくれてやった意味がないですね。調教も進んでたし、おしかったなあ」

 まだ若い声だった。観光地に来たみたいな暢気な口調で、死地に踏み込んでくる。

 足運びは素人のそれだ。あまり運動が得意ではないのだろうか踵の内側を擦るような歩き方をしている。

「無駄口を叩くな。所詮は供試体だ。不定型生物も充分に役目は果たしてくれた」

 ただカンテラ男の足音だけが、重たかった。見た目に反して完全武装の重装騎士ほどの重量があるのかもしれない。

「――素晴らしい」

 カンテラ男の低く落ち着いた声が、その時だけ高く上ずった。

「下の女の子は、――おや、爆発による外傷は無しすか?」

「みたいだな。焦げ目の一つもない。聞きしに勝る魔精の制御能力だな」

 褒められているようだがまったく嬉しくはない。それに炎虎の毛皮が熱量のかなりを防いでくれていた。

「あの規模の魔精発現体にこれだけの指向性を与えるとは、まさに迷宮の落とし子、魔性の子と呼ぶに相応しい。この支配力さえあれば」

 ランタンの近くで立ち止まり三人は好き勝手にランタンに言う。

「どうします? 罠張って巨人族の娘も捕らえますか?」

「竜の公子もいますよ。三人纏めて捕らえられたら、ずいぶんと豪華な研究ができますね。前はミスってるらしいじゃないっすか」

「回収は落とし子だけだ」

「おしいなあ、これだけの材料が目の前にあるってのに」

「二兎追う者は一兎も得ず。兎なら逃げられて終いだけど竜に、巨人に、これだ。騎士団もわんさと入ってきた。現状じゃさすがに無理だよ。この子がのこのこやって来なけりゃ、もっと周到に用意ができたんですけどね。毒持ちは希少だけど、竜種や巨人に比べたらなあ」

「言っても始まらん」

「ですよね。最優先目標が手に入るんですから。これさえ手元にあれば巨人娘を釣るのも容易いでしょう。巨人娘といる時は警戒度が高すぎでしたからね。この人間不信くんは」

「人間不信て、俺らには言われたくないだろうな。ははは」

「俺は人間好きだよ。可能性に満ちてるからな」

「俺だってそうさ。ああ、早くバラしたいすね」

「馬鹿、焦るなよ」

「わかってるよ。でも繁殖して数増やしてじゃ、いつになることやら。人間の成長速度だけは嫌いだな。複製技術の精度も上がらないし、さてと」

「どんっ――って急に爆発したら如何する?」

「ぐっすりだよ、ほら――あ」

 状況を問わず、ランタンに勝てる人間はあんまりいない。

 例え毒が回っていようとも、その所為で下肢に力が入らずとも、それは変わらない。もしも爆発能力を有しておらずとも、それでもランタンはいつ破裂するとも判らない爆弾である。

 彼らは不用意にランタンへ近付くべきではなかったのだ。

 若い男がうだうだと言いながらランタンに手を伸ばしたその瞬間、ランタンの手が床を滑るように払われた。腕振り一本で男の足首を破壊し、返しで膝を割る。傾ぐ身体の胸ぐらを掴んで引き倒し、頭部を地面に打ちつけると同時に腕の力で跳ね飛んでカンテラ男に取り付いた。

 首に腕をフックし、ぐるりと背面に回り、一切の抵抗を許さず締め落とす。

 そして反応できていない最後の男は、ランタンの一睨みで一切の余裕を失ったが、逃げる間もなくその足元の戦鎚が遅延地雷のように炸裂して膝から下を失った。衝撃の余波で失神し、内臓もかなり損傷しているだろう。

 カンテラ男は重い音を立て倒れる。さすがに自身に不定型生物を寄生はさせていないようだが、締めた感触から身体をかなりいじっていることがわかる。少なくとも骨は普通の骨ではない。ランタンは念入りに男を締めあげた。

「ふう――、まあ、こんなものだろう。ミシャ起きていいよ」

「……ランタンくん」

 爆発の勢いで手元に戻ってきた戦鎚を杖のように使いランタンは立ち上がる。腰のポーチを探り鎮痛剤をミシャに渡し、自分は解毒剤を服用した。

「怪我の様子がわからないから、それで我慢しな。あとでちゃんと治してもらおう」

 あいにく水はなかった。ミシャは自分の唾だけでどうにか錠剤を飲み込んだ。

 三人を確認する。若い二人は見るからに不健康そうな青白い顔をしており、文弱の徒と言った感じだった。

 カンテラ男のフードを外すと、そこにあるのは真っ黒な顔だ。

 レティシアのような肌をしているのかと思ったがそうではない。

 針で書いたような、まさにそれは刺青なのだが、細い文字が刻まれている。それは顔だけではなく首にも、指の先にも、そして恐らく服に覆われた至る所にも刻まれているのだろうと思われた。

 魔道式だろうか。魔精に意味を与えるそれを使って、魔物を制御しているのかもしれない。ランタンは念のため男たちの手足の関節を外し、膝下の傷口をしっかりと縛ってやった。

 一仕事終えたというようにランタンが額を拭ったところで、リリオンがやってきた。

 どれぐらいの速さで階段を下ってきたのだろう、部屋に中に入るとそのまま壁の向こう側まで走り続けて、跳ね返るようにしてランタンに飛び掛かった。

「ぐえっ」

 ランタンは抵抗を許されず押し倒されて、リリオンの尻を追いかけるみたいにやって来たシーロに間抜けな姿を見られてしまった。シーロはランタンとリリオンを見て、感情を押し殺し、それから部屋の中に視線を巡らせた。

 カンテラ男、若い二人、そして最後にミシャを見る。

「フーゴというのはどれだ」

「……いません。もう」

「そうか」

 しゅんとして告げるミシャの襟首に、リリオンの手が伸びる。

「きゃあ!」

「ミシャさんも無事だったのね! よかった!」

「ちょっと怪我人、怪我人だから」

 ミシャを引き寄せてランタンごと抱きしめるリリオンは、ちょっと臭いことになっていた。それでも涙に目を潤ませている少女には何も言えない。リリオンはひとしきり無事を喜ぶと、ミシャにずいと顔を寄せる。

「ミシャさん」

「なに」

「どうして一人で行ったの」

「ごめん」

「すっごく心配したんだからね。みんな、すっごく心配したのよ」

 ミシャ再び謝ろうとするのを遮って、リリオンは再びミシャに抱きついた。

「本当に、本当に心配したのよ。本当の、本当だからね」

 ミシャはもう謝りっぱなしだった。

 少女二人が友情を確かめている間、ランタンはせめてもの意地で立ち上がった。

 シーロと口を利くことはなかった。互いに視線を合わせはしても、すぐに逸らすだけだ。

 助けに来てくれてありがとう、などとは口が裂けても言えなかったし、自分がシーロの立場だった場合、リリオンのことに対して感謝を言われようものなら怒りのあまりにのたうち回ってしまう。

 ランタンは騎士に状況説明をし、騎士はシーロにそれを伝え、シーロは騎士に命令を出した。

 黒い卵と聞いて、カンテラ男たちは厳重に拘束されて運ばれていった。

 念のための騎士たちを十名ほど残して、ランタンたちは護衛されながら地上に戻った。入れ替わりに応援の騎士たちが下水道に入っていく。井戸の入り口だけではない、ほかの下水口に分散して下水道に入り、近隣一帯を隈無く捜査するのだ。

 黒い卵の残党がいるかもしれないし、魔物が潜んでいることが確認されたし、ランタンの無茶のせいで地盤が陥没してしまう可能性もある。

 地上ではレティシアとリリララが待っており、ランタンたちは医療馬車に乗せられてネイリングの屋敷に運び込まれた。

 毒抜きをしてもらいながら、さらに詳しい状況説明を行った。

 何故ミシャが一人でフーゴの下へ行ったのか、という話ではない。騎士たちにとってそれはまったく関係のないことで、彼らが知りたがったのはフーゴの行っただろう悪事と、肉体の異変と、三人の男たちの会話だけだった。

 毒を抜き終わると、治癒魔道で傷を塞いでもらった。

 それは確かにベリレの言った通りに気味の悪いものだったし、体力を奪われることと言ったら重力の魔道の比ではなかった。

 だがそれによって肉体が異形とかしてしまうことはなかった。すっかりと元通りになった。

「着いたら起こして」

 ランタンはそう言って屋敷までの僅かな間、眠りに落ちた。




 我が儘を聞いてもらって風呂を用意してもらった。下水道を這いずり回った挙げ句の果てに、風呂に入らずベッドに横になるなどランタンにはとても耐えられない。

 まさか大浴場を開放してもらえるとは思っていなかったが。

「あー」

 翡翠で作られた湯船に飛び込んで、三十秒か一分か、長々と湯の中に潜ったランタンは髪をぺたりと貼り付けた顔を出した。投げやりな呼吸をして、よたよたと座り込んで、背を預けた。

 髪を掻き上げるのも面倒臭げに、のそのそと額を露わにし、半分眠るようなだらしのない表情を誰に見せることもなく晒した。

 さすがに疲れた。ミシャを失うかもしれない、という心理的な圧迫感はランタンの精神を削った。黒い卵の男たちの会話も、ランタンの心に引っ掛かるものである。あれらはもしかしたら自分の出自を知っているのかもしれない。

 ランタンは深く考え込む。

 迷宮の落とし子と言う自らを示す異称。ここではないどこか。引き寄せられるような迷宮探索の渇望。自我への疑い。魔物の発生について。

 脳が酸素を求めていた。大きな欠伸はむしろ深呼吸の意味合いが大きい。湯船の底に設けられた湯口から噴き出す湯に、湯面は絶えず揺れている。白い塊のような湯気を吸い込んだランタンは咳き込み、ざぶざぶと顔を洗った。

 タオルを頭の後ろに当てて、縁に体重を預け、しばらくそうやってぼうっとしていた。

 冷気。

 旋毛の辺りに冷たさを感じた。湯気が白さを増して霧のように辺りを覆い、空気の流れをはっきりと可視化させた。

 誰かが脱衣所の扉を開けたのだ。

 どうせリリオンだろうとランタンは思う。屋敷で状況説明を済ませている間に先に入らせたが、あの少女には関係がない。ランタンと一緒に入る風呂と、それ以外をまったくの別物として認識している。そしてランタンが風呂に入っていることを察知するためだけの感覚器官を恐らく有しているのだ。

「――ちょっと、入るんなら早く扉締めて。寒いよ」

 少しすっきりしたのも事実だったが、ランタンは笑いながら文句をつける。そして振り返って、壁際まで飛び退いた。顎先まで湯に沈めた。扉がさして大きな音も立てずに閉まった。

 湯気の中、タオルを身体に巻いたミシャがそこに立っていた。

 恥ずかしげに下唇を噛んでいたが、慌てた様子のランタンを見て小さく笑った。

 頬の腫れは失せている。治癒魔道を拒否した脇腹の傷はタオルに隠されている。髪は何十本も抜けるか千切れるかしたが、こうして見るかぎりミシャの髪型に変化は見られなかった。

 ランタンの目が泳いだ。

「一緒に入ってもいい?」

「だめ」

 勇気を出したのだろうミシャの言葉を、ランタンは一考の余地なく拒否した。

 恥ずかしい以上に、意味がわからなかった。目を離していた隙に、不定型生物に寄生されたのだろうかと勘ぐってしまう。

「じゃあ一緒に入ってくれなくてもいい。でも、でもね」

 ミシャは言いながら、ランタンの拒否をお構いなしに足を進める。湯船の縁から滔々と溢れる湯が、床を瀬のように濡らしている。歩く度にちゃぷちゃぷと音を立てる。

「でも、私のこと、見てほしい」

 立ち止まったミシャはランタンに向かって真っ直ぐ言う。

「私のことを知ってほしい、もっと」

 ミシャはタオルを緩めた。真っ白なタオルがミシャの足元に折り重なり、湯を吸ってみるみると濡れそぼった。下着から足を抜くみたいに、ミシャはもう一歩ランタンに近付く。

 私を見て、とミシャが言う。思わず逸らしかけた視線が、抗えぬ力に引き戻された。

 女の身体だった。

 例えば見慣れたリリオンの裸身は、どこか現実味に欠ける。

 頭が小さくて、手足が長くて、びっくりするほど華奢で、どこか妖精のような雰囲気がある。触れることで、初めてその存在を確かに感じられるような。

 対してミシャの身体は生々しかった。触らずとも、触れた感触が手に想像できてしまった。

 右の脇腹に痛々しい傷跡が残っている。

 そしてミシャの身体には蛇が巻き付いている。ランタンは一瞬、そう見間違えた。

 思えばミシャは肌を露出しない。

 茹だるような暑さの夏日でも、起重機の操縦席が蒸し風呂みたいになる酷暑でも、男の引き上げ屋がパンツ一枚の有様になるようなどうしようもない日でも、ミシャは襟が立ち上がり、袖は手首まで、裾は足首まであるつなぎをいつも身に付けている。ばったり出会った休日でも、ミシャは肌を見せない。

 初めて目にするミシャの肌には、白い鱗があった。

 きっと、ずっと人目から隠してきたのだろう。

 鱗は陽の光を知らぬミシャの肌よりもずっと白い。色が抜けたような青白さで、湯気に触れて濡れると硝子のような硬質さを帯びて艶めき浮かび上がった。

 鱗は足首の辺りから螺旋を描いて、内股に伸び、臀部へと回り込んでいる。かと思えば腋の下から再び現れ第四肋骨と第五肋骨に沿って胸の下を覆い、胸骨を通って胸元に抜け、鎖骨に散った。

「私、蛇人族なの」

 ミシャはなに一つを隠さず、ランタンに告げた。

「どう、かな?」

 不安を押し殺したような、それでいて気丈な声でランタンに尋ねた。

 馬鹿なことを言うな、とランタンは自分を戒める。だがそれ以外に言葉が出てこなかった。

「……えっちな感じ」

 男である自分が嫌になる瞬間の一つだった。ランタンは下睫毛が湯面に触れるほど身体を沈めて、ぶくぶくと泡を吐き出した。

 今まで隠していた秘密を明かすミシャの気持ちはいかなるものか。それはとてつもなく勇気の要る告白だ。

 それをこんな衝動的な欲望に繋げてしまうことは嫌だった。

 だがミシャの身体付きは、男の目から見て魅力的だった。

 鱗は肌よりも硬いのだろう。

 その鱗によって下部を覆うミシャの胸は、なんだかとっても大きく見えた。そういう趣味の下着を身につけているみたいに鱗が胸を支えて、見せつけるかのように突きだしている。

 毒抜きなんてするんじゃなかった、とランタンは自己嫌悪に陥る。自制心は強い方だと思う。だがランタンは物理的に抑え込むように、湯の中でぴったりと内股を閉じた。

 ぎこちなく、もぞもぞと動くランタンにミシャは少し驚いたようだった。だがその感想にも、反応にも嫌悪感を見せることはなかった。

 頬を赤く染めて恥ずかしがり、それを誤魔化すみたいに言う。

「ランタンくんって、そんな普通の男の子みたいなこと言うんだ」

 言い訳は泡となって、弾けて消えた。再びぶくぶくと泡を吐き出し、湯面を揺らし続けるランタンにミシャは、なに言ってるかわからないよ、と笑う。

 それからもう一度言った。

「ねえ、一緒にお風呂、入ってもいい? 私だって、恥ずかしくないわけじゃないのよ」

「……いいよ」

 じゃあこんなことしなけりゃいいのに、とは言わない。

 ミシャは子供ではなく、ランタンだって子供ではない。ミシャは決心を抱いて裸身を晒したのだ。

 ミシャは一瞬、床に落ちるタオルに意識を向けたが、それを拾いはしなかった。そうしている必要があるというように、一切を隠さず湯船の側まで来て、きちんと掛け湯をして、それから湯の中に足を入れた。

 ゆっくりと身体を沈める。

「痛む?」

「うん、でも、少しだけよ」

 脇腹の傷が湯に触れて、ミシャは中腰のまま動きを止めた。

 ランタンは湯面を漂っていたタオルを掴むと、そろりとミシャに近付いた。傷は処置されているが、完全に塞がれているわけではない。擦過傷と火傷を併せたような傷跡に、ランタンは目を逸らしながらきつく絞ったタオルを押し当てた。

「完全に沈めちゃえば、ましになるよ」

 それは気遣ってのことでもあるし、その体勢が目の毒だったからでもある。

 まったく自慢できることではないが、傷だらけでの風呂の入り方にランタンは一家言を持っている。

 包帯でもタオルでもなんでもいいから傷口にあてがって、痛みに耐えながら肩まで浸かるのだ。そしてじっとする。

 するとやがて痛みは熱と溶け合って、じんじんとした痺れに変わる。

 それは妙な気持ちの良さがある、と思う。

 ミシャはタオルを押さえるランタンの手に自分の手を重ねた。ランタンはちらりと視線を向ける。ミシャは眉間に皺を寄せていた。薄い唇から単純な痛みとも違う、悩ましげな息を吐き、ランタンの言いつけ通りに肩まで身体を沈めた。

 波打つ湯面に身体が隠されて、ランタンはようやく真っ直ぐミシャを見ることができた。

 風呂だから裸なのは当たり前のことだ。だがやはり、そわそわしてしまう。いけないことをしているような罪悪感と焦燥感をランタンはどうにか隠した。

「気になる?」

 ミシャがランタンに尋ねた。

「うん」

 近くで見ると、ミシャの鱗は肩や項のあたりにも見られた。銀を塗したように細かな鱗がきらきらしていて、火照った肌はさっと赤くなるのに鱗は白いままだった。

「嫌だった?」

「ううん、知ってほしいって、言ったでしょ」

 ミシャはランタンに近付いた。

 胸が浮かんでいる、とランタンはどうしようもなく思う。血は繋がらずともアーニェの娘だけのことはある。ランタンは顔ごと視線を逸らす。ミシャは言う。

「見て、ランタンくん。ほら、鱗だけじゃないのよ」

「何が」

「私に有るもの。――ほら、私には牙があって、毒があるの」

 ミシャはそう言って口を開いた。少し躊躇いがちで、ランタンが覗き込むような素振りを見せると、意を決して大きく広げた。

 歯並びは綺麗だった。だが牙は見えない。ひくりと喉奥が動き、舌の付け根辺りが震えた。すると上顎に張り付くように折り畳まれていた、細く鋭い牙がすらりと立ち上がった。

 やはりフーゴとの戦いで見た牙は、見間違いではなかったのだ。

「すごい、かっこいいな」

 ランタンは本心からそう言った。舌先で自分の犬歯を舐める。もう少し尖ってたらいいのに、と思う。

「角はないの? 怒ってる時に見た気がするんだけど、気のせいだったかな」

「んもう、ランタンくんったら」

 口を閉じると、自動的に牙が折り畳まれていくのがわかった。その可変機構もランタンは格好いいと思う。

 なんとなく起重機に通じるものがある。

 ミシャは呆れたような笑みを浮かべたかと思うと、はっとして手で顔を覆った。

「あ――、ああ……」

 気が抜けたみたいに背中を丸めて、ミシャは涙を流した。

「ちがうの、ちがうのよ……」

 震える声で繰り返すミシャに、ランタンは寄り添って皮膚と鱗の入り交じる背中を撫でる。

 人の肌のすべすべとした柔らかさと、鱗のつるつるとした滑らかさが決して混じり合うことなく掌に感じられた。


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