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カボチャ頭のランタン  作者: mm
06.On The Origin Of Species
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 見失った。不定型生物の膜壁に挟まれていた時間は一分に満たない。だが追いかけた先に人の姿は影も形もなかった。

 あり得ない。

 ランタンはそれを察した瞬間に、問答無用の爆発を発生させた。

 急激に膨張する大気が強烈な衝撃波となって下水道の一区画を蹂躙する。汚水が沸騰する間もなく押し流され、汚泥の溜まる底を露わにし、それが高熱に晒されてひび割れる。轟音はいつまでも響き、壁や天井が強烈な圧力によって押し広げられて崩壊した。

「そこか」

 ランタンの眼差しが、崩壊した壁の一部を睨んだ。その先に空間があった。きっと壁に偽装した扉があったのだろうが、すでに壁も扉も瓦礫と化している。

 崩れた壁の隙間から光が漏れ、瓦礫と巻き上がる土埃を浮かび上がらせていた。その先は階段になっている。ランタンは転がり落ちるような速度で、それを進んだ。

 罠があるかもしれない。カンテラ男は不定型生物を呼び寄せた。魔物を使役しているかもしれない。

 竜種を飼い慣らせるのだ。ファビアンは迷宮産の竜種を家畜化するためには魔精が肝要だと言っていた。ならば他の魔物であっても、その理論を応用すれば家畜化とは言わずとも、ある程度なら飼い慣らすことも可能だろう。

 ランタンはだが慎重さよりも、速度を求めた。

 何が出ようと突き進み、ミシャを取り戻す。

 ランタンの両目はすでに煌々と赤く燃えており、全身から陽炎を揺らめかせるほどの熱を放出していた。階段を下ると、その背後に黒い焦げ付いた足跡が置き去りにされている。

 再びの扉をランタンは蹴破った。

 ミシャ。フーゴ。そして不定型生物(スライム)

 カンテラ男はいない。

「やれっ!」

 フーゴに向かってすっ飛んでいく扉が、前に進み出た不定型生物にどぷん飲み込まれる。

 不定型生物は四つに分かれた。一つは扉を内包しながら、フーゴの盾になるためにその場に留まり、残りの三体が左右と天井に別れてランタンに襲いかかってきた。

 ランタンは息を吸い、止める。

 バケツの水を浴びせかけるように飛び掛かってくる三体がランタンに触れることはなかった。それが陽炎に触れた瞬間、揺らめきが青白く燃え上がる。

 不定型生物の肉体が昇華し、みるみる体積を減少させた。ランタンは足元に転がった三つの小さな核を硝子片のように踏み潰してフーゴに向かった。

 ミシャはフーゴに捕らえられている。幼子がお気に入りの人形を抱くみたいに乱暴に首に腕が回されていて、フーゴの手が黒髪の中に突っ込まれていた。

「寄るなあっ!」

 フーゴの声に反応して、不定型生物が内包する扉をランタンに向かって吐き出した。戦鎚が逆袈裟に振り抜かれ、扉がランタンの頭上を飛び越える。

 扉を目隠しにして、不定型生物は触手を伸ばした。先端が鋭く尖ってランタンに向う。

 ランタンは振り上げた戦鎚を力任せに振り下ろした。触手の一切を叩き潰し、床をしこたま打ちつけて陥没させる。

「ミシャを放せ」

 ランタンははっきりと怒気を込めて言った。だがそれ以上は進まなかった。それを見てフーゴがにやりと笑う。

「ばぁか、人質を放す阿呆がいるかよ。それ以上近付いたら、こいつにミシャを食わす」

 不定型生物が伸びたり縮んだりした。まるで餌を前にした躾のなってない犬のように。

 最優先目標はフーゴを殺すことでも、これを捕らえて悪事をあばくことでもない。

 ミシャの救出である。

「やめろ!」

 不定型生物が触手を伸ばし、ミシャの脇腹に触れた。触れた部分の服が焦げてぼろぼろになり、肉が焼けた。焼きごてを押し当てられたようにミシャの身体がびくんと跳ねた。

 呻き声を上げて、意識を取り戻す。

「うぐっ、きゃああああっ!」

 ミシャが悲鳴を上げた。

 触手は傷口を押し広げようとするようにぐにぐにと脈動し、暴れるミシャを押さえつけるようにフーゴが首を締め上げる。

 ミシャは悲鳴すら上げることができなくなった。

「そいつを捨てろ。首をへし折るぞ」

 ランタンは戦鎚を足元に転がした。

「やめろ。それ以上したら、祈る暇も与えない」

「おーこわ、わかったよ」

 フーゴは不定型生物を引かせた。ミシャの脇腹が黒々と焼け、内からじくじくと血がにじみ出してた。

 首の拘束も緩められるとひゅっと息を吸い、ミシャは引きつけを起こしたように肩を震わせる。粘つく唾液が滴り落ちてフーゴの腕を汚した。

 ぼんやりとした瞳が何によって痛みをもたらされたのか探すように、そして救いを求めるように動く。

「……――ランタン、くん?」

「ミシャ、助けに来たよ。もう少しだけ、我慢して」

「ランタンくんっ!」

「うるせえな」

 フーゴは首の拘束を強めた。

 ミシャの生き血を啜った不定型生物は、どういう訳かミシャを干涸らびさせてたりないほどの大きさに体積を膨張させた。そして震えたかと思うと胡桃ほどの大きさの液弾をランタンに発射した。だがやはりそれがランタンの熱波を貫通することはできなかった。

「抵抗してんじゃねえよ!」

「こういう能力だ」

 フーゴが怒鳴り、だがランタンは無表情に答えた。

「能力だと?」

「自動防御。僕の意思とは関係ない。背後から襲われようと、寝込みを襲われようと、近くに仲間がいても問答無用で発動する」

 もちろん嘘だった。だがランタンは淡々と言い放つ。フーゴはその言葉を疑うことはできる。しかし否定することはできない。

 己と不定型生物。力を合わせてもランタンに敵わないことは理解しているようだった。

 ミシャが生きている限りランタンはフーゴを攻められない。

 だがミシャがいなければ、宣言通り祈る暇も与えられない。

「もう一人の男はどこだ?」

「――なんでそれを知りたがる」

「あれ、黒い卵の関係者だろう。取引だ。ミシャを解放し、男の居場所を言えば見逃してやる」

「そんな言葉信じられるか!」

「――悪人の言葉よりは信じられると思うが」

 ランタンの言葉は、しかしフーゴの逆鱗に触れたようだった。

「どの口がっ!!」

 それまで怒鳴ったり、脅したりしながらも、どこか余裕を失わなかったフーゴの表情が一変した。きりりと目が吊り上がって、歯を剥き出しにして唸り声を上げた。顔面がどす黒く充血し、頭部を覆う鱗だけが色を変えず、ささくれるように逆立った。

「奴らはいかれた狂人の集団さ。だがな、奴らの要求に応えれば、俺が蛇人族だろうとなんだろうと、奴らしっかり金を払ってくれた! 他の奴らみたいに難癖付けて支払いを渋ったり、駄賃を値切ろうなんて事はしなかった。それにこいつを貸してくれた。奴らは狂ってる、だがよっぽど公平だ!」

 凄まじい怒りだった。蛇人族であるという事で受けた差別が男の行動を支えている。

 ひゃはははは、とフーゴは怒りに酔っ払うように笑った。

「知ってるか? 人生ってのは不公平に見えて公平なんだ。人は不幸な分だけ幸せになれるんだ。俺は今まで不幸だった、てめえらは今まで幸福だった! だからお前らは俺のために不幸になるべきなんだよ!」

 フーゴは口角に白い泡をため、どんどんと興奮していく。

「ミシャも、お前も、旦那が買い取ってくれるってよ。あののっぽの女もだ。意外だったぜ。お前の値段がいっとう高いなんてな。貴種だってよ。鱗も牙も毒もないただの人族のガキが、まさか馬鹿みたいな値段さ。その能力のせいか、ああ、くそ、むかつくな。すげえ値段なんだよ。人族のくせに、ああ、くそ、お前を売れば、俺はもうこんなことしなくてもいいんだよ――」

 フーゴは腰の剣を抜いた。

「――だがお前は殺す! 手足を落として、目の前でミシャを犯して、刻んで糞と一緒に流してやる!」

 行けっ、とフーゴはランタンに向かって不定型生物をけしかけた。

 だが。

 不定型生物は伸ばした触手をフーゴの口腔に突き込むと、それを橋頭堡として全身を体内に滑り込ませた。間近でそれを見ていたミシャの顔が凍った。ランタンですら、あまりのことに一瞬行動することができなかった。

 カンテラ男は不定型生物をフーゴに貸した。だが全ての指揮権をフーゴに付与したわけではなかった。

 しかしなぜこのタイミングでフーゴを裏切ったのか。そして侵入されたフーゴはどうなってしまうのだろうか。

 ランタンは半秒の意識の空白の後、思考の空の部分にありったけの命令を突っ込んだ。戦鎚を拾い上げて踏み込み、逆袈裟でミシャを捕らえるフーゴの左腕の肘を削ぎ飛ばし、鳩尾に蹴りを入れる。

 それでフーゴの前腕付きだが、ミシャを助けられるはずだった。

 削いだ肘が、ある。鳩尾への蹴りが妙な手応えを残して吸収された。

 フーゴの左右の瞳が、まるでそれだけが独立しているようにじっとランタンを見下ろしている、ぷくりと頬が膨らんだ。ランタンは体勢低く横に回る。だがフーゴの首がそれに追従し、すぼめられた唇から液体が噴射された。

 水竜もかくやという高圧の水砲だった。ランタンを追いかけた水跡は鋭利な刃物で斬りつけたように床を切り裂いた。その上で更に腐食性の毒液である可能性が高い。つんとした臭いがする。

 液を放射した口から、フーゴの言葉が吐き出される。

「おい、おいおいおいっ、おかしいだろっ! 俺は違うだろうっ!」

 声は極めて切迫した様子だった。だが身体はぴくりとも動かず、冷え冷えとした眼差しはずっとランタンから逸らされることはない。

 カンテラ男の立場は不明であるが一つ確かなことは、カンテラ男を通じてフーゴが犯罪結社である黒い卵と直接的、あるいは間接的な繋がりがあったと言うこと。

 黒い卵が求める人材をさらい、それを彼らに供給していた。そしてもしかしたら、血染めのサウロンがそうであったように、力を求める者を紹介していたのかもしれない。

 フーゴの言うように、黒い卵は公平だったのかもしれない。

 彼らにとって人間は不死の研究のための材料でしかないのだ。己も他人も、世の中の全て、一つ残らず。

 フーゴは己の知らぬ所で、被験者の一人にされていた。

「不幸だったんだ! 俺は、ならっ、幸せになってもいいだろう!」

 フーゴの自我が急速に崩れつつあった。幸せになること。人生の主題たるそれに、フーゴは強く執着している。それだけが残っているのか。それともそれに縋ることで自我を保っているのか。

 ミシャは、フーゴにとってどのような存在だったのだろう。

 この状況下においてフーゴはミシャを手放そうとはしなかった。人質としての意識はすでに無いだろう。

 ミシャはすでに左腕を使用不能にする邪魔者に過ぎない。だが不定型生物を飲み込んだフーゴは、決して、決してミシャを手放そうとはしなかった。

 ミシャは脇腹の傷や、一切の手加減なく鷲掴みにされる髪の痛みよりも、フーゴから吐き出される血の塊のような言葉に傷ついているようだった。

「ランタンくんっ!」

 ミシャが叫んだ。ランタンは真っ直ぐ目線を合わせて頷き、再びフーゴに突貫した。

 フーゴはミシャの声に反応することはなかった。邪魔だと捨てるのなら僥倖だが、邪魔だと殺すことも考えられる。まず何よりも先に、ミシャを取り戻さなければならない。

 ランタンが戦鎚を振りかぶる。ミシャは表情を強張らせて、首に筋が浮くほど力を込めた。戦鎚が少女の顔のすぐ横に叩き付けられる。

 肉も骨も一緒くたに砕き、右鎖骨を破壊する。

 だがフーゴはお構いなしにその右腕を使った。

 引き胴。しかし退き足の一歩が大きすぎる。ランタンがあえて避けなくとも、鋒が拳一つ分の距離を空けて通り過ぎるはずだった。ランタンは危うく鍔元が胴に食い込む瞬間に、その剣線をかいくぐった。

 腕が伸びた。

「……ラン、タンくん」

 先程の肘は気付いた時には治癒されていたが、今度の鎖骨は今まさに治癒される最中だった。寄生した不定型生物が体内を駆け巡っているのだろう。砕けた骨を溢れるほどたっぷりの糊で繋いだかのように、フーゴの右鎖骨が瘤状に膨らんでいる。

「変、よ。フーゴの、からだ」

 ミシャはカチカチと歯を鳴らした。声が震えている。

「心臓の音、しない、の」

 ミシャは背中をフーゴの身体に密着させている。これほどの戦闘行動をおこなえば、心拍数は激増するはずだ。恐怖と混乱で、認識できていないのかもしれないが、きっと本当のことなのだろうと思った。

「ミシャ、余計なことは考えなくていい。すぐに助ける」

 フーゴの変化は尋常の変化ではない。

 水砲と交互に吐き出される言葉は記憶の残滓でしかなく、肉体は治癒の名の下に異形へと変じていく。

 剣の握りは棒っきれを握るような乱雑なものだったが、そこから繰り出される剣技には努力の跡が垣間見られた。それに異形の肉体が加わる。

 ぱき、と肘関節が外れ、見間違うことなく腕が伸びた。フーゴはそのまま肩を振り回すようにして辺り一帯を薙ぎ払った。ランタンが跳んで躱すと、中空に縫い止めるように水砲が発射される。

 ランタンは身体を捻り、さらに爆発を行使しそれを避ける。

 フーゴそのものに爆発を使用することはできない。フーゴに影響が及ぶ威力を放てば、まず間違いなくミシャが耐えられない。

 ランタンは狩猟刀を引き抜き、爆発の勢いのまま伸びきったフーゴの肘に叩き付けた。

「ぐ」

 今度は硬い。刀身が半ばまで埋まり、切断には至らない。それどころか万力で挟み込まれているように引き抜くことさえ困難だった。ランタンは狩猟刀を諦めて、フーゴの背後に着地した。

 ずるりと狩猟刀が抜け落ちる。

 フーゴの首が梟のように反転し、水砲。ランタンはフーゴの背に身を寄せ、脊椎を砕く。




 右腕を畳み鳩尾に肘打ち叩き込み、左の人中の二指を右の眼窩に突っ込んだ。そしてそのまま顔を引き倒して、側頭に膝蹴りを打ちつける。

 眼窩内の二指に、まるで舐られるかのような不快感があった。ランタンは眼球ごと指を引き抜く。

 眼球は本人のものだが、血はすでに食われている。

 ランタンの指を汚す液体は不定型生物の構成物質だ。それは首をもがれた昆虫のような、半端な痙攣を繰り返す。核を有さず、体積も少ない。放って置いても身体を乗っ取られることはないだろうが、ランタンは眼球ごとそれを焼き払った。

 眼球を抜かれたフーゴの眼窩には、すでに代わりのものが嵌め込まれている。気泡をたくさん含んだ氷球のような白濁の義眼がきょろきょろと動いている。

 フーゴの肉体はほとんどが不定型生物に支配されているが、完全に不定型生物に取って代わられたわけではないようだった。

 少なくとも脳はまだ無事で、側頭への膝蹴りは致命的ではないにせよ軽い脳震盪のような症状を発現させ、またフーゴの行動は視力と聴力の影響を感じさせる。

 この不定型生物は、まず宿主ありきの存在だ。

 これは損傷を負った肉体を修復することを目的として作られている。

 黒い卵という不死を求道する犯罪結社は、それを実行するためならばあらゆる悪逆非道、下劣外道な行いをも是とし、他者を顧みることなく、何一つ躊躇うことをしない。

 それ故に黒い卵は圧倒的な経験と知識を有し、膨大な手段と先進、先鋭的な技術を確立させている。

 特定の形状を持たないがゆえに、あらゆる部位の代替品となりうる不定型生物の寄生による不滅の肉体。

 なるほどそれは彼らの求める結果を構成する一要素である。

 擬似的な不死、いや不滅だけならばまだましだ。

 どうやら不定型生物それ自体に仕込んだ命令を宿主に強いているようだった。かつてリリオンが装備させられた奴隷首輪(スレイブチョーカー)をよりいっそうおぞましくした存在だ。

 カンテラ男がこれに仕込んだ命令はおそらくランタンの生け捕りだろう。かなり攻撃的ではあるが、致命傷すらいとわないランタンの誘いには乗ってこない。

 フーゴの意思が残り、不定型生物の行動を阻害しているふしも見られた。不定型生物の寄生は、完全に確立した技術ではない。

 ミシャの意識はほとんど失われてしまっている。

 高速戦闘によってフーゴが動く度にミシャの身体は人形のように振り回される。これ以上に戦闘が激しさを増せば意識を放り出されるだけではなく、肉体も損傷してしまうのではないかと思わせた。

 それがランタンを躊躇させる。

「じゃあああああああ!」

 フーゴは先程まで自らの精神を繋ぎ止めるような様々な言葉を口走っていたが、今やすでに言葉の体を成してはいない。

 水砲をばらまき、剣を振り回す。剣はすでに折れていて、半分ほどの長さになっていた。

 それを握る右手はランタンによって叩き潰されているが、骨肉が柄を巻き込んで治癒してしまっている。

 それもまたミシャを救い出せずにいる理由だった。

 さっきは大丈夫だった。だが次は。

 無理にフーゴの腕を破壊して、ミシャを巻き込んで治癒してしまったらと考えると二の足を踏まざるを得ない。切断するなら上腕から上。手首は後頭部に隠れているし、肘では傷口とミシャの距離が近すぎる。

 また別の問題も考えられる。治癒不能なほどフーゴの肉体を損傷させた場合だ。不定型生物の取る行動はいかなるものか。それでも修復しようとして宿主とともに滅びるか、あるいは宿主を捨てて逃げ出すか、手近な対象に寄生し直すか。

 腐蝕毒液が噴霧された。それは水砲と違ってその場に漂い、ランタンに近接戦闘に没頭させることを許さない。

 ランタンは視線を右に逸らす。そして死角となった左側からの攻撃を、まったく見ることなく躱した。そしてがら空きになった右の脇腹に鶴嘴を突き立てる。たっぷりと根元まで穿孔し、腹腔を引き裂くように鶴嘴を引き抜いた。

 皮と骨だけ。中身の臓器は不定型生物に食われている。血が溢れることも、内臓が溢れることもなく、皮を剥いた果物みたいに不定型生物が腹部に収まっていた。

 核が見当たらない。

 内部の確認のために一瞬だけ立ち止まったランタンに、剥き出しになった腹部から触手が伸びた。ランタンはそれを叩き潰す。

 同時にフーゴが滑るような足運びでランタンに接近した。緩くなった肘関節が、折れた剣の断面を床に引きずる。影を斬るように火花が弾け、かちんと何かに引っ掛かって剣が跳ねたかと思うと、フーゴは肩を回して大上段に打ち下ろしてきた。

 戦鎚で肘を挫く。振りの勢いで肘関節が逆に曲がり、ランタンは拾っておいた狩猟刀で前腕と二の腕を纏めて串刺しにして、刃を肋骨に噛ませて縫い止める。

 首をねじ切る。

 ランタンが諸手を伸ばして掴みかかろうとした瞬間、義眼が触手を伸ばし、体勢を崩したランタンからフーゴは全身を使って距離を取った。

「――ミシャぁっ!」

 蛇ならぬ、蜘蛛のような身のこなしでフーゴは天井に張り付いた。

 首だけで支えられるミシャが図らずも首吊りするように宙に身体を投げ出す。ミシャは途端に藻掻くように足をばたつかせて、狂ったようにフーゴの腕にやたらめったら爪を立てる。爪が剥がれた。

 ランタンは跳躍し、フーゴの身体に鶴嘴を突き立てた。ランタンの体重が加わろうとも、フーゴはまるでびくともしなかった。

 それどころか戦鎚が飲み込まれていく。蛇が獲物を丸呑みにするように、ずるり、ずるりと。

 ランタンはひゅると息を吐く。

 内臓の全てが鉛に置き換わったかのように、重い疲労が全身を襲った。

 戦鎚に仕込まれた重力の魔道が、戦鎚で結ばれるランタンとフーゴの肉体を一塊と認識して重力を変化させる。天井に張り付くフーゴの足、その膝がゴムが引き千切れるような音を立てて断裂した。

 ランタンは戦鎚を手放し、ミシャに取り付く。

 無駄と判っていてもフーゴの胸骨に膝をあて、墜落の勢いのまま背骨まで潰した。

 落下の衝撃で腕の中でミシャの髪がぶちぶちと音を立てて千切れる。

 フーゴはびくんと大きく痙攣したが、それは死の間際のものではない。

「ランタンくん……」

 ミシャが涙を流している。怖い夢を見たように。

 ランタンは腰から竜紋短刀を引き抜いた。そして未だにミシャを捕らえて放さない腕の付け根、左肩に刃を突き入れた。力任せに、鋸を挽くように、行けるところまで押し込む。

「ランタンくん!」

「わかってるよ」

 フーゴの首が伸びていた。フーゴの牙が深々とランタンの肩に食い込んでいる。

「もう少しだから、我慢して」

 流れる水を切っているようだった。完全切断に至る前に、どうしても切断面が癒着してしまう。

 ランタンは肩の半ばに楔のように短刀を突き入れると、その柄を放した。そしてフーゴの二の腕を掴み、胴体を踏み付け、肩関節を引き千切るために立ち上がった。

 それは同時に、自らの肩をフーゴに食い破らせることを意味している。

 フーゴの腕がようやくミシャの首から緩んだ。ミシャの首にはまさに首吊りから生還したかのように、黒々とした痣が浮かび上がっている。だが髪がまだ掴まれたままだ。

 ミシャは泣きながら首を振った。ランタンが自らの肩を食い破らせるように、ミシャもまた自らを犠牲にしようとしていた。ぶちぶちと、髪が抜ける。毟り取るように皮膚が。

「やめろ、ミシャ。もう済む」

「だって!」

 ミシャはとめどなく涙の溢れる目を見開き、そして事もあろうにフーゴの腕に噛み付いた。ランタンが止める暇もなかった。

「ひいああああああああああああああああ!」

 フーゴが叫んだ。それはまさにフーゴの叫びだった。

 ランタンの肩から牙を抜き、有らん限りの声で苦痛を叫んだ。どれほどの攻撃を受けようとも呻きの一つも漏らさなかったフーゴが、不定型生物に寄生されて自我を失ったフーゴが、ミシャに噛み付かれて恐怖を感じていた。

 いや恐怖を取り戻したのだ。

 あまりの絶叫に鼓膜が痺れて、音が消える。

 ランタンは歯を食いしばり、力を振り絞ってフーゴの腕を引き千切った。腕一本分、この中に不定型生物らしき液体が詰まっている。ランタンはミシャの口に指を入れ、噛み付いたまま固まった口を解した。

 歯列をなぞり、舌に触れ、ミシャに生える細い牙を優しく撫で、腕からそれを引き抜いた。牙の先からぽたりぽたりと、涙のように透明な滴が垂れる。

 どうしてミシャに牙が生えているのかなんて、少しも気にしなかった。

 ランタンは腕をしごき、肘を伸ばして、傷口を可能な限りミシャから遠ざけてその断面を爆発で焼き潰す。

 そして立ち上がったフーゴの胸板に祈る暇も与えず強烈な蹴りを突き入れて、今まで我慢していた分の爆発を見舞ってやった。半身を消し飛ばさんばかりの爆発に、さすがのフーゴも吹っ飛んでいく。

 ランタンは熱を帯びたその手でミシャの涙を払い、この状況下でなお髪を掴んで放さない指を解きにかかった。

 関節を潰し、逆に曲げ、巻き付けるように絡めた髪を丁寧に外した。

 ようやく外れた。ぼとりと、腕が落ちると、それは蛇のように、あるいは芋虫のように這って本体に向かった。

「遅くなった」

 言いながら、ランタンは炎虎の毛皮を腰から外してミシャに巻き付けた。

「書き置きぐらい残していってよ」

 ミシャの足が震えていた。支えようとして支えきれず、ランタンはミシャを押し倒す。

 急に膝から力が抜けた。不定型生物に寄生されたわけではないだろう。腕は、本体に向かっていった。これはおそらくフーゴ自身が有している毒の為だ。

「泣くなよ、ミシャ」

 ランタンはミシャに覆い被さり、乱暴に顔を拭った。

 ミシャの目がランタンを見て、それからその背後に焦点を合わせた。危険を伝えるように、だが空回ってしまったように声もなく唇を戦慄かせる。

 ランタンはしっかりとミシャを炎虎の毛皮で包む、そして少女の両耳をそっと塞ぐ、その間際に囁いた。

「閉鎖空間で、僕に勝てる奴はそんなにいないよ」

 背後に迫ったそれがどのような形をしていたのか、ランタンはついに知らない。

 だが振り向かずともタイミングは容易に計れた。

 戦鎚は相棒で、肉体の延長である。新しい相棒は大飯ぐらいの暴れ馬だが、これでどうしてなかなか素直な奴である。フーゴに飲み込まれた戦鎚が、ランタンの意思を正確に汲み取った。

 ミシャの目に浮かんだ恐怖が、その涙ごと、真白い閃光によって焼き尽くされる。

 空間の全ては熱と光によって埋め尽くされた。


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