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カボチャ頭のランタン  作者: mm
06.On The Origin Of Species
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 たかだが銀貨の三枚で、露天商たちはフーゴの情報をあっさりと売った。

 フーゴは剣闘士で、その副業として用心棒をしているのは確かのようだった。

 雇い主はあの辺りをシノギにしている地元の犯罪組織で、露天商たちから所場代や一方的な用心棒代をみかじめ料として巻き上げている。そういった不満も口を軽くした要因かもしれない。

 あの露天商たちは夢売りと言われており、扱っている商品は合法、違法を問わずもっぱら薬物ばかりのようである。

 以前の用心棒たちは用心棒代と称して売り物に手をつける破落戸だったが、フーゴに変わってから薬を要求されたことはないと商人は語った。だが金には汚いとも証言した。

 用心棒として働き始めたのは半年近く前のことで、だと言うのに闘技場の舞台で戦うよりも、用心棒として戦った回数の方が多いかもしれない。闘技場での序列は真ん中よりもかなり下であるが、それなりにやるようだ。

 笑いながら人を刺せる。そういう評価だった。

 孤児院の出だから、と言う言い方をしたくはない。

 だが育ちの悪い男であることは間違いないようである。あの快活そうな笑顔は本心を隠す仮面である。

 ミシャは黙ってその話を聞いていたが、表情には苦みがあった。

 ミシャが語ったのは、フーゴが孤児院の先輩でありミシャの世話役だったことと、その当時は武闘派ではなかったということ、そしてミシャがアーニェに引き取られる時にはまだ行く先も、貰い手もなく孤児院にいたということだけだった。

 ほどなくその孤児院は取り潰しとなり、今日という日まで会うことはなかった。

「ミシャ、これ」

「なんですか?」

「あげる」

 ランタンはミシャに小箱を押しつけた。ミシャは小箱の蓋を開けると、驚いたように目を丸くした。フーゴと出会ってから、ようやく表情が和らいだ。

「気を使わなくたっていいのに」

 ミシャは香水店で母への土産として香水を購入したが、自分の分は買わなかった。だから、と言うわけでもないがランタンは隠れて香水を購入していた。

「気を使って買ったわけじゃないよ、似合うかなって思っただけだし。――今渡したのは、少し気を使ってのことだけど」

「ありがと、うれしいわ」

 シンプルな透明の硝子瓶に、淡い桃色の香水が満たされており、銀細工の蓋がしてあった。ミシャは蓋を付けたまま瓶に鼻を近づけて香りを確かめる。いい匂い、と独り言みたいに小さく呟く。

「できるだけ早く戻ってくるよ」

「小さい子のお留守番じゃないんだから。レティさまに付き合ってあげて。私はもう寝るだけよ」

 ミシャはわざとらしく欠伸をして見せた。手を添えて口の中を隠した。

 まだ夜は深くない。だが歩き回って疲れたことは確かだった。

 ランタンは頷き、ミシャに見送られて馬車に乗り込んだ。後ろ髪を引かれるように振り返ると、ミシャは胸の前で小さく手を振った。馬車の扉が閉められ、馬が走り出した。

 レティシアと夕食を摂る予定になっていた。

 隣に座ったリリオンがさっとランタンの片手を取って自分の太股の間に挟んだ。犬や猫が、尻尾を股の間に挟むみたいに。

 肉の薄い太股に挟まれて、二人の体温が混ざり合った。ランタンが引き抜こうとしても、リリオンは膝をぴったりとくっつけて足を開こうとはしなかった。

 終電車はすでに通り過ぎた後で、線路を底に敷く堀には沈黙が満ちていた。堀にかけられた橋を通り過ぎると、その向こうは行政区だ。

 行政区は清潔で明るいが人の気配は稀薄だった。屋台や路面店などあるはずもなく、建物はどれもいけ好かないほど立派で、人々はその中に閉じこもっているような感じだった。

 道行く人はいない。金持ちは自分の足では歩かない。行政区に入るには許可証が必要だった。

 馬車に運ばれてやって来たのは宵の明星(イブニングスター)という名前の料理屋だった。陽のある内は仕込みに終始して、夕暮れから夜半に掛けて店を開ける。完全個室制で、客の機密を守ることから貴族の密談に重用されているらしい。

 店内の装飾は控えめで落ち着いた雰囲気だった。それでいて光源が絞られている。顔を隠すための演出だった。他にも一方通行の通路や、複数の出入り口など素性を隠すための細工が店内には施されている。

 給仕に案内された個室は、恐らく一番深いところにある。

 扉の前には二人の女騎士が立っている。

 リリララが騎士から見えないように、ランタンとリリオンの背中を押した。自分はこれ以上先には進めない、とそう言うように。

「中でお待ちだ」

 男言葉で女騎士が言った。ランタンたちは個室へ入った。

 通路とは裏腹に扉の内側は白々として眩しい。中にいるのはレティシア一人だった。

「お待たせ、レティ一人?」

 レティシアは微笑んで、頷いた。

「何だかすごいお店だね」

「お父さまは同席したがったが、――邪魔だからな。遠慮してもらった」

「あ、ひどい。ドゥアルテさん、きっとかなしむわ」

「かもな」

 レティシアは立ち上がって、百年ぶりに会ったかのように二人を抱擁した。レティシアはいつもいい匂いがする。だが今日は少し香水の匂いがきつい。

「話って?」

「その前に料理だ」

 扉がノックされて、給仕が台車を押して料理を運んできた。

 次々と円卓の上に並べていき、一番の主役は海鮮の鉄板焼きだった。

 台車そのものが鉄板になっていて、煙が出るほど熱した鉄板の上に魚、蛸、鮑、海老、蟹などの海産物を盛大にぶちまけた。ばちばちばちと油がはね、香ばしい油煙が立ち上った。蟹や海老の殻が、鮮やかな赤に染まる。

 王都から海まで、王都からティルナバンと同程度の距離がある。保存やら輸送やらを考え得ると金貨を炒めているのと同じだった。

 酒を振りかけると天井近くまで炎が上がり、リリオンが驚きに歓声を上げた。料理人が炎に蓋を被せそれを鎮め、再び蓋を開くと閉じ込められた香りが一気に広がった。

 鉄板から大皿へ海鮮が移される。

 どうぞごゆっくり、と料理人と給仕一同が部屋を出て行くと、リリオンはすでに腰を浮かせている。

「だれも盗らないから、落ち着いて。ほら、乾杯」

 リリオンは一息で酒を空にして、まず拳ほどの大きさの鮑を、大皿からそのまま口に運んだ。頬を一杯に膨らませながらもりもりと咀嚼して、ごっくんと飲み込む。

「すごい美味しい! これなに?」

「たぶん鮑」

「あわび美味しい!」

「それは良かった。ランタンはどうだい?」

「おいしい!」

「いつから僕になったんだよ。――おいしいよ、これは少し渋いけど」

 軽い味の酒はそれなりにおいしいと思うが、こくやら深みやらをランタンは渋いとしか捉えられない。レティシアは小さく笑った。

「王都はどうだった?」

「大きくて迷子になりそうだったよ、おもにこの子が。あと巨人の建築技術ってすごいんだね。迫力があってよかった。それに列車にも乗ったし、劇場も見たし、競売も覗いたし、ソーダ水ってのも飲んだ」

「ソーダ水もおいしかったの! しゅわしゅわしてて、おもしろかった」

「ソーダ水?」

 レティシアはソーダ水を知らないようだった。機械っぽい屋台で売っていて、と説明すると思い当たる節があるようで頷いた。

「きっと学院の成果物だな。泡を封じ込める容器か。へえ、私も飲んでみたいな。まあ今はこれで我慢しよう」

 そして王都観光の話をしながら食事も半ば終えると、今度はレティシアが話をする番だった。

 わざわざ人払いをして食事をすることにはそれなりに意味がある。

「王さまとの会食はどうだった?」

「光栄なことだったよ。あらためて父の偉大さを思い知らされた」

 レティシアは水で口を潤した。リリオンも何かを察したようで料理を取る手を止めた。

「二人を呼んだのは他でもない。現状と、これからの話をしたいと思う。まず現状の巨人族の話だ」

 巨人族のほとんどは海を隔てた向こう、極北にある氷の大陸に与えられた巨人族自治区に封じられている。自治区というのは建前であって、実際は巨人族管理区である。

 戦争に勝って、巨人族の支配から逃れた人族、亜人族は、今度は支配する側に回った。

 当時は巨人族を根絶しようと言う話もあったが、追い詰めすぎては暴発する可能性が高かったためにこのような形態を取ったらしい。

 もう五百年以上の昔の話で、その間には人間同士の戦争もあり、多くの資料が散逸してしまっているため真実は定かではない。

 現在ある事実は、巨人族は隔離されているが、完全に接点がないわけではないと言うことだった。

 人間と巨人は貿易関係にある。

 自治区は常冬の地である。人間たちは巨人族に食料を輸出する代わりに、彼の地で産出する木材、鉱石、石炭等の資源を輸入している。言うまでもなく不平等貿易だった。

 リリオンが難しい顔をしている。故郷に対して罪悪感のようなものを感じているのかもしれない。

 リリオンの母はリリオンを飢えさせるようなことはしなかっただろうが、それでもリリオンは満腹という状況を、あるいは食べ物があるという状況を特別な幸せだと考えているようだった。

 だからランタンはリリオンに好きなだけ食べさせてやる。

「彼らには人権が与えられていない。そして許可なく大陸の地を踏むことも許されていない。だから一般市民にとっては御伽噺の怪物のように、現実感を伴わない恐怖でしかない。暢気な貴族たちも似たようなものだが、国や教会の重鎮たちは未だに巨人を最大の脅威であると考えている。――当たり前のことだ。我々にとっての五百年は途方もない過去だが、彼らにとっては三、四世代、つまり祖父や曾祖父の話なんだ」

 人の世の繁栄は戦争の結果であるが、巨人族の苦しい生活は戦争のただ中であるからだった。人の巨人への怨みは虚構に近いが、巨人の人への怨みは現実のものだった。


「わたしのお家はね、村の外れにあったの。わたしもママも人間がまざってるからって……」

 巨人族の地では人の血が、人の地では巨人族の血が、リリオンにはこれが常に付きまとった。

 人の世は彼女を受け入れない。

 シーロの言葉が耳元で再び囁かれたような気がした。シーロはなんの確信があって、あのような言葉を言ったのだろう。

 あの強烈な自負心を持つ男が、その点にかんしては絶望しているような気がしてならない。

「リリオン、君の存在はとても難しい。私はリリオンのことが好きだよ、大好きだ。でもそうでない人もいる」

「……うん、大丈夫よ。わかってる」

 その物わかりの良さが、ランタンやレティシアをやるせなくさせた。

「宮中にリリオンの存在はすでに知られている。認識はやはり巨人族としてのようだ。そしていずれ、リリオンの存在は公になる。これは覆せない」

「ドゥアルテさんでも封じ込めることはできない?」

 ランタンにしては弱気な言葉だった。これにおいては全てをドゥアルテに委ねなければならなかった。その無力さが、言葉尻を掠れさせる。

「宮中には反ネイリング一派というのが公然として存在するんだ。近衛統率のフィンチ公爵家、これを筆頭にした反ネイリング連合があってね。我々が力を求める理由を、いつか謀反するためだと嘯くような連中だ」

 レティシアは忌々しげに呟いた。

「とは言え彼らも馬鹿ではないし、無策でうちと正面切ってやり合おうとは思わないだろう」

 公表は覆せない。だが時間はまだある、とレティシアは言った。

 理由がなければ貴族からリリオンが糾弾されることはないと言うことも。

 つまりリリオンの排除を目的として動く貴族は少ない。貴族が率先して動く時は、家に利がある時だけだった。そしてネイリング家と真っ向から敵対して、利を得るのはかなり難しい。

「中央議会はしばらく静観してくれるだろう。問題はティルナバン議会、王権代行官のブリューズ王子だ。アシュレイさまからの話では、迷宮利権をギルドから取り上げようと目論んでいるらしい。リリオンはその手札の一枚に数えられている」

 巨人族を匿っている、と言う名目だけでギルドの権利を奪うことは難しいが、他の手札と組み合わせて使えばかなり強力な役となる。

「ブリューズ王子は商業ギルドと密接な関係にある。議会も商業ギルドは探索者ギルドの迷宮資源の独占がかねてからの悩みの種だからな。そしてサラス伯爵も商業ギルドと深い繋がりがある。ティルナバンの食料の多くはサラス領から商業ギルドを通して市場に出回っている。嗜好は許しがたいが、貴族としては一角の人物だよ、彼は」

 例えば輪栽式農業と呼ばれるものは、人族に比べて力に勝る亜人族や傷痍探索者の集団運用による大規模農業の発展系としてサラス伯爵が考案したもので、これにより食料生産は増大した。他にも肥料や作物の病気、あるいは動物の家畜化や去勢方法、人工交配などでも一定の成果を上げている。

 それを彼の趣味の賜だ、という人もいる。だが国への貢献度は無視できない。

 頭が痛くなってきた、とは言ってられない。

 リリオンは膝の上で拳を握っており、拳の中では掌に爪が突き刺さっていた。震えるほど強く、握り締めている。

「もし、もしも、わたしが巨人族だってばれちゃったら、どうなるの?」

「……巨人族を対象にした法は整備されていない。だからといって見逃してもらえるとは考えられない」

「うん」

「考えられる国の対応は三つ。軟禁、送還、そして」

 レティシアは包み隠さずに言おうとしたが、どうしても最後の一つを口には出せなかった。リリオンは首を横に振った。

「ううん。わたしは、いいの」

「よくない」

「いいのよ、ランタン。わたしじゃなくて、ランタンやレティはどうなるの?」

「抵抗さえしなければ、余程の罪にはなるまい。先の貴族の横やりが入れば別だがな。もっとも抵抗しないなんてことはありえないが。これは絶対だ」

 ランタンの気持ちをレティシアが代弁した。

 二人に怒りすら感じるような目付きで睨まれたリリオンは肩を小さくしてはにかんだ。

「安心おし。ティルナバン議会は私がコントロールする」

「コントロール?」

「そう、コントロールだ。今日の会食で褒美として、陛下に一つの願いを聞いていただいた。ティルナバン議会の議員にデュアー男爵という貴族がいる。領地はなく、息子もない。もう七十になる、養子を取る予定もなく今代で途絶える家だ。だから彼の議席を私が買い取った。それを陛下に認めていただいだ」

 これが目的だったのだ。レティシアが急に里帰りを口に出したのは。

 ランタンは感謝と、心強さと、そして申し訳のなさに身を締め付けられるような気がした。

「ありがとう」

 レティシアは気にするなと腕を振った。

「でも、大丈夫なの?」

「ちゃんと自分の小遣いで買ったさ」

「そうじゃなくて、政治のこととか。それに退去命令も」

「ひどいな、これでも貴族の娘の端くれだよ。それなりに勉強はしているさ。退去命令だって、今こうしてきちんと実行してるだろう。戻ってくるなとは言われてはいない。問題はないさ」

「すっかり政治家みたいな屁理屈だね」

「だろう」

 レティシアは悪戯っぽく笑った。

「議会の方は私と、――アシュレイさまも助けて下さる。アシュレイさまは迷宮についての考えでブリューズ王子と対立されている。リリオンの言う、ししょさま、のことはどうにもはぐらかされてしまったが、二人のことを気に掛けて下さっている」

 敵は多い。だが味方もいないわけではないのだ。その事実がランタンとリリオンを勇気づけた。

「問題はサラス伯爵の動向が見えないここと、市民の反応だな。サラス伯爵の目的がリリオンならば、軟禁も追放も望むところではないだろう」

「正攻法でこないなら、僕がどうにかできる。っていうかする」

 さらに言えば正攻法できたとしても、諦める気はなかった。ランタンは遵法意識が比較的高いが、それでも法の名の下にリリオンが虐げられるのならば、法を踏み付けることに躊躇いはない。

 ランタンが真に恐れているのはそれではなかった。

「問題は市民の反応だ」

 ランタンは頷く。

「急に巨人族だと言われても、彼らはぴんとはこないだろう。疑惑が、確信に変わるのはおそらく教会がそれを認定した時だ。市民に最も大きな影響力を持つ。そして教会は巨人族を大地を蝕む悪魔だと考えている」

「教会を変えれば、状況は変わる?」

 それはランタンがかねてから考えていたことだった。ダニエラによる歴史教育は、ランタンに一つの希望を与えた。教会は頑迷だが、不変の存在ではない。

 かつて亜人族は人間ではなかった。教会がそう定めていたが、教典の解釈を改め、そして声明を出すことで人間として認められた。

 何様だ、と思う。亜人族への差別も残っている。だがその発表により亜人を取り巻く状況は、天地がひっくり返ったと言っていいほどに好転したのも事実である。

「大いにな。だがそう簡単には変わらない。過去は共通の敵がいたが、今はな」

「いざとなれば僕が敵役をやっても」

「やだっ! わたし、それなら一人でもいい」

 リリオンが立ち上がって椅子が倒れた。ランタンに詰め寄ると、膝から崩れるみたいにしてランタンの足元に縋り付いた。

「……冗談だよ」

 リリオンはランタンの股に顔を押しつけている。涙を隠すみたいにそうして、いやいやと首を振った。

「冗談でも言ってはいけないことがあるぞ」

 レティシアも半ば本気で怒っていた。ランタンはリリオンの頭を撫でで、脇に手を添えて身体を起こした。そしてリリオンを膝の上に乗せた。リリオンはランタンの首に腕を回した。

 その姿は身体の大きさがちぐはぐで様にはならなかったが、それでもリリオンの重みはしっくりきた。

 僕が背負うべき重さだ、と思う。

 リリオンに対する感情や責任感の由來にランタンはまだ名前を付けあぐねている。だがこれは、そういうものだと、疑わなかった。

「これから二人がすべきことは、今までと変わらない」

「どういうこと?」

 ランタンはリリオンを抱きかかえながら尋ねる。

「探索者として活躍をして、名を上げてくればいい。教会が市民に影響力を持つように、市民もまた教会に影響力を持っている。今まで以上に名声を得て、教会が無視することができない存在になるのが近道だ。お父さま曰く、三十年ぐらい前ならエドガーさまの鶴の一声でどうにかなったかもしれない、とのことだ」

 レティシアは立ち上がった。

「私はその土台作り。ティルナバンはあらゆるものを受け入れる。少し節操がないことは確かだが、あそこはいい都市だ」

 レティシアは今までは外様の貴族だった。一時的に逗留しているだけの貴族にすぎなかったが、議席を得ることによりレティシアは議会への影響力を確かなものにした。

 そしてそれは同時に、レティシアが大きな責任を抱えることになったということであり、また海千山千の老獪な議員たちと戦わなければならないことを意味していた。

「レティ、ありがとう」

 どう礼をして良いか、という言葉はレティシアの指に封じられた。

「礼が欲しいわけではないよ」

 レティシアは顔を近づけた。リリオンはランタンにしがみつき、レティシアからは顔を背けている。

「できれば当たり前にこれを受け止めてほしいな」

 私は君のものだよ。

 レティシアの唇が、音もなく言葉を紡いだ。

 当たり前に受け止められるわけがなかった。

 レティシアの積極性にランタンは戸惑い、リリオンに対する後ろめたさや、答えられぬ自分の愚かしさを感じた。

 レティシアは形の良い唇に、確信を思わせる笑みを浮かべる。そしてランタンの唇に触れさせた指を、自らの唇に触れさせるのだった。




 それからリリオンも落ち着きを取り戻し、しばらく話をした。

 リリオンと出会ったからこその政治や差別問題に興味を抱いたことや、王権代行官補佐であるアシュレイ姫が探索者ギルドの運営方針を極めて高く評価していること、宮中では王位継承についての噂が半ば真実として語られていること。

 それからシド以外にどんな人材をティルナバンに連れて行くかと言うことや、リリララやベリレのこと、シーロの話や、ミシャの話を。

「……昔なじみか」

「言いたくはないけど、悪い奴っぽかったしちょっと心配」

「ミシャは世話焼きだからな、昔の知り合いがそうなっている現状に心を痛めてるのかもしれない」

「世話焼きってのは同意だけど、なんか、そんな感じじゃなかった。昔、何かあったのかなって」

 人の過去に思いを馳せることが苦手だった。人の心は好奇心などという野次馬根性で暴いて良いものではないと思う。だがレティシアはあっさり言う。

「気になるなら、聞けばいいじゃないか」

「……簡単に聞いてもいいものなのかな、そういうのって」

「簡単に聞けるんなら、こんなふうにぐじぐじ悩みはしてないだろ」

「ぐじぐじって、……まあ、それはそうなんだけど」

「言いたくないことは聞いても言わないよ。それに言いたくないと聞いて欲しくないは同じ意味じゃないんだぞ」

「政治家だけじゃなくて、哲学家にもなるつもり?」

 ランタンの眉間に皺が寄り、視線が考え込むように上向いた。レティシアはそれを見守っている。

「ミシャはもしかしたら待っているのかもしれない」

「僕が聞くのを?」

「あるいは自分が言い出すきっかけを」

「ほうよ、ほうよ」

 ランタンの膝の上でリリオンがしきりに頷いた。デザートのシャーベットを一口で食べて、さっきまで頭痛で悶えていたが、話はしっかりと聞いていたようだ。

 だが冷えて痺れた口は、まだ上手に言葉を紡ぐことを許さなかった。

 リリオンやレティシアは何かを知っているのかもしれない。竜籠などで女同士の親睦を深めていた時に、何かを打ち明けられたのだろう。

 リリオンには伝え、だがランタンに伝えない。けれどレティシアの言いようでは、ランタンに知られたくないことではないらしい。

 謎かけや、本当に哲学のようだった。

 知って欲しいけど、知られたくない。

 例えばランタンが未だ明かせずにいる、ここではないどこかの世界の話。

 自分がそれを言えない理由は。

「――しかし、そうか。それなら今日はもうミシャの所へ戻っておやり」

 レティシアは少し名残惜しそうにしながらも、そう言った。ミシャへのお土産に料理を包んでもらう。冬だから、朝食にしても料理が傷むことはないだろう。

 別れ際にレティシアは二人を目一杯抱きしめて、頬にキスし、馬車に押し込めた。

「おやすみ二人とも。愛してるよ」

 日付が変わるまでまだ二時間近くもあった。娯楽区の方はこれからと言ったように明るかったが、居住区はすっかりと静まりかえっている。

「ミシャさん、もう寝ちゃったかな?」

 沈黙する家を見上げてリリオンが呟いた。焼き石代わりに料理を胸に抱いている。

 鍵を開け、家に入り、灯りを付けた。階段を上がり、扉を開ける。

「ねえ、ランタン……、ミシャさん、どこ?」

 胃の腑が一気に冷たくなった。

 家の中には香水の香りだけが残されていて、ミシャの姿はどこにもなかった。


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