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シーロが謝り、リリオンは許した。
探索者の世界は斬った張ったの世界である。
リリオンはたかだか尻を張られただけだ。たかだか一度泣いただけだ。大騒ぎするようなことではない。
だからリリオンが許すと言ったのならば、もう終わりにするべきなのだ。これは許すとか、許さないという解決をする話ではないのかもしれないが、それでも。
ランタンは心の中で苛立ちを圧縮する。
小さく、小さく、小さくして、心の奥底に閉じ込める。自らの気持ちを優先してシーロに詰め寄ることは、むしろリリオンに嫌な気持ちを思い出させる行為かもしれない。
そんなランタンの肩に、リリオンは寄り添った。
小さな頭部が肩に乗っかり、銀の髪がさらさらと流れる。髪と同じ色の睫毛は、肌が白いので驚くほど濃く目元を縁取っている。
ランタンは背筋を立てて、少女の寝息がこぼれ落ちてしまわないように、肩を張った。
「王都に着くまでずっとそうしてるつもりっすか?」
ネイリング領メリサンドから王領へ、そして王都アストライアへの道中である。
飛竜を使ってぶっ飛べば二時間ほどの道中であるのだが、もろもろの諸事情により今回の移動は竜車を使用することになって、片道はおおよそ六時間だと聞かされている。竜種は土埃を巻き上げ、大地を揺らし、猛烈な速度で進行する。
用意された竜車は三台で、前二台にネイリング一家とその重臣が乗車している。
「肩、貸してあげようか」
「よおし言ったな。じゃあ遠慮なく」
ミシャの隣に座っていたリリララが、あっという間にランタンの隣に移動して、兎人族の種族的特性なのかぱつんと張った尻をねじ込んだ。そして迷惑そうな顔をしたランタンの頬を、ぺたんと垂れた兎耳で引っぱたき、頭突きするみたいに頭を肩に乗せた。
「口は災いの元っすね」
「あたしは災いかよ。いいじゃねえか。一時の休息に、これぐらいの役得はよ」
リリララはへっへっへっとミシャに笑いかける。
馬車の周囲にはネイリング騎士団の精鋭数百名と、空に六名の竜騎士が随伴していた。護衛がこの半分でも襲う気にはならないとランタンは思うが、この倍であっても襲われる時は襲われるらしい。
リリララはレティシアの付きの侍女で、その役目は日常生活の世話と護衛である。だがリリララの立場は、その出自のせいもあって微妙だった。リリララの護衛の仕方は、基本的には裏からだった。
これだけ公的な護衛が付いている場合こそ、リリララの本領が発揮されるのだが、現在その場所には出自確かな精鋭が詰めている。暗部の仕事であるからこそ信頼の置ける人間を用いるべきだ。そういう理論だった。
ヴィクトルが生きていた頃は封じ込められていた不満が表面化しているのだ。レティシアから引き剥がそうとする一派もいる。
レティシアはあえて自分から遠ざけることで、リリララを守ろうとしていた。この兎の少女はそれを理解しつつ面白くないと思っているのだろう。だから絡んでくる、とランタンは思っている。
ランタンは迷惑そうにしながらも、好きにさせておいた。肩に掛かる重さは大したものではない。
ネイリング家が一家総出で王都に向かっているのは、王家との会食の予定が入っているからである。一貴族の、一族内でだけ伝わる宝剣を取り戻したことを労うためだけに声がかかったのだ。
それだけネイリング家は贔屓を受けていた。
贔屓を受けるだけの役割を国政運営において担っていたし、権力ではなく武力を、それも軍事力ではなく個の力を追い求める武人気質が王家にとってはありがたいのだろう。彼らは絶大な権力を有しており、それに対しての責任感を伴っていたが、さほど執着があるわけではない。
ランタンたちは当たり前だが会食には参加しない。ドゥアルテだけでも緊張するのに、王族と食事など水だって喉に詰まってしまうだろう。
「大変だね、レティは」
「お嬢だけか?」
王家との食事で、はたしてシーロは大丈夫なのだろうか。心配ではなく、ただ単にそう思った。
一家の中でシーロだけ気質が違うように思うのは、ランタンの色眼鏡だろうか。
「ミシャ」
「なんっすか?」
「シーロさんって、どう?」
ランタンの問い掛けにミシャは僅かに首を傾げた。それからほんの数秒だけ考えるような仕草を見せる。
「ちょっと怖いかな」
ミシャはそう言った。
「独特の雰囲気がありますし、目付きがいつもキッとしてるし、私にはまったく興味がないって感じですし」
シーロは顕著だが、ミシャは客人としてランタンよりも一つ、二つ下に見られている節があった。使用人たちはあからさまではなかったし、ミシャ自身も気にしていないようだったが。
「でも探索者さんにもそういう人って多いですよ。仲間の人以外にはまったく口を利かないっていうか、他の人は存在しないみたいに振る舞う人。そういう人にちょっと似てるっすね」
「こいつみたいな奴か?」
「ランタンさんは、避けるけど結局は反応するじゃないっすか。むっとしたり、つんとしたり、あからさまに無視してますって顔したり。ランタンさんにちょっかいを掛ける探索者さんって、そういうところが面白いみたいっすよ」
ミシャの方もさしてシーロに興味がないのだろうか、そう言って笑った。
するとリリララはランタンの肩から頭を外し、前のめりになってそれに同意を示した。そしてランタンのことを褒めているのか貶しているのかわからない話題で盛り上がり始めた。
ランタンは溜め息を吐き、肩を落とした。リリオンが僅かに身じろぎをし、頭だけではなく身体ごとランタンに寄りかかってきた。
「リリララ、席戻って」
「んだよ、もう」
「いいから」
ランタンはリリララを追いやって、彼女が座っていた位置に尻をずらした。リリオンの身体が横倒しになり、上手い具合に少女の頭が太股の上に滑り落ちる。リリオンは眠ったままで、ランタンは少女の髪を撫でながら車窓に視線を投げ出した。
ミシャとリリララはずっと話している。変な距離感もあるのだが、それでも二人は仲が良くなった。
車窓には騎士の姿と、南下する景色が瞬きを許さないような速度で流れていく。
大きな麦畑だった。秋に芽生え、越冬し、春に生長し、夏に実る。大麦はこの世界の主要穀物の一つだ。
それが過ぎると別の作物を作っている畑があった。背が低く、蔦が地面を這うように伸びている。芋類だろうか。他にも冬だというのに畑になにかしらが植え付けられていて、畑の一面一面がかなりの広さがある。畝の間を農夫が腰を屈めながら歩いている。
牧畜も盛んに行われていた。休耕地だろうか、放牧された羊が冬の牧草を食んでいる。
すでに王領に入っていたが、道程はネイリング領とさほど変わらないのどかな田園風景だった。
ただ雲を突くような大都市が冬景色の向こうに見えた。
「……あれって蜃気楼?」
「んなわけあるか。あれが王都だよ」
「どれっすか?」
「あれだよ。ほれ目を開いてみろ田舎者ども」
「あなただって王都の出じゃないでしょ」
うんざりしたように言い返しながらもミシャは興奮した様子を押さえられないようで身を乗り出している。
ランタンはリリオンの肩を揺する。
「ううん、なあに……?」
「ほら、王都見えてきたよ」
「見る、……どこ?」
窓を開けてやると、リリオンはその風の冷たさに目を開いた。ランタンはその必要もないが指をさしてやった。
「あれが王都……! すごい、にせものみたい!」
「どんな感想だよ。ったくこれだから田舎者は」
だがリリオンの言わんとすることはよくわかった。
距離はまだ離れている。冬の澄んだ空気の中で、けれどその都市はどこか霞んで見えた。
周囲に都市と比較できるものはなく、その都市の異常なほど巨大さは現実感を喪失させた。にせものみたい、とはよく言ったものである。
「噂には聞いてたっすけど、本当なんっすね」
王都アストライア。
それはかつて巨人族が作り上げた都である。
かつて世界を支配した巨人族が作り出した都市も、いくつもの戦火と、長い年月によってその土台を残すばかりでほとんどの建物は失われてしまっている。
いくつか残る巨大な建造物は人の身には明らかに大きい。王城などがそれの最たるものだが、居住区に残される建物の大きさも半端ではない。
まず扉からして人力では開くことができないような大きさをしており、自分が小人になったように思える。
そういった建物と建物の間に、ミニチュアみたいな人の建物が建ち並んでいる。巨人族の建築物を横壁にすることによる高層集合住宅だった。
竜車から馬車に乗り換え王都に入り、それに揺られて眺める景色でさえ、言葉を失わせるほど発展していた。
ランタンたちが滞在するのは王都にあるネイリング邸ではなく、ネイリング家が所有する空き家の一つだった。集合住宅ではなく一軒家である。
レティシアは家族と一緒にすでに登城している。
家の大きさや内装の豪華さはメリサンドの離れと比べると何段も落ちるような、いわゆる普通の家だった。それがむしろランタンたちをほっとさせる。
扉を開けると廊下があり、広間に繋がっている。右手に行くと台所や洗い場などの水場と食料庫があり、左手に行くと物置みたいな小さい部屋が二つと階段がある。二階には三部屋備えられていて、内二つに寝台が備えられている。
人の気配はまるでなかったが家全体が綺麗に掃除されており、食料庫には食料が、台所には炭や薪が、ベッドもすぐに使えるようにされていた。
だが田舎者三人は、一休みする気など全くなかった。
数少ない荷物をベッドに投げ出すと、案内役のリリララをせっついて一秒でも惜しいとばかりに王都見学へと出かけるのだった。
王都はその中央に王城を構え、公共施設や貴族の邸宅、例えばネイリング邸などを内包する行政区から七方に広がりを見せている。
広がった先は居住区や商業区、工業区、迷宮特区というように役割がはっきりと区別されていた。行政区の外縁を縁取るように幕壁が聳え立ち、ぐるりと掘が巡らされている。
その掘の底に軌条が二線、敷設されていた。
「ねえ、ランタン。これ、森の中にあったやつ?」
「そう、軌条」
おそらくファビアンが言った、王都で見られる面白いものとはこれのことだろう。
「都市の中を竜種が走るの?」
「いや、そうじゃないよ」
起重機のそれに似て、だがそれよりも遥かに高速で力強いクランクを回転させる音が近付いてくる。
堀の縁には柵が設けられており、三人はそこに身を乗り出して音が聞こえる方を首を長くして目を凝らす。
リリララだけが余裕の様子で肩を竦めるが、ランタンたちと同じように身を乗り出している人々の姿も少なからず見られた。
「何が来るの?」
「田舎者発見器」
リリオンが声を上げ、リリララが答えた。
「列車だよ」
それをランタンが訂正する。
軌条と車輪が擦れる甲高いブレーキ音を響かせながら、緩やかな曲線の向こうからそれは現れた。
リリオンとミシャが思わず、おお、と男っぽい歓声を上げる。
蒸気機関車ではない。
ランタンはそれが黒い煙をもくもくと吐き出す姿を想像したが、姿を現したその列車は正面を馬や竜種のような流線型の、なかなか素早そうな洗練された姿をしていた。
黒い鉄に真鍮色の線が入っていて格好良い。
「向こうに駅があるから、次の列車で商業区まで行こうぜ」
「あれ乗れるの! わあ、すごいっ!」
「引っ張らないでよ。乗る時ってどうするの? 乗車券とかいる?」
「ランタンさん、乗車券って何っすか?」
「あたしが教えてやるから、ほら、歩いた歩いた」
掘の横壁をくり抜くように作られた駅は、列車を待つだけの吹きさらしの歩廊があるだけだった。
駅の上部に券売所があり、そこで駅への入場券を兼ねた乗車券を購入する。
列車は七つの駅を右に、左にとぐるぐると回っているらしい。
ランタンたちの宿舎がある居住区は南東に位置し、駅近くには富裕層の住宅が立ち並んでいる。左に回れば大聖堂や墓地や病院などの宗教施設が多く建つ宗教区に、右に回れば商業区に着く。
ランタンたちが乗るのは右回りの列車だった。
乗車賃は乗合馬車よりかなり割高で乗客は少ない。
だが列車はランタンの想像よりも遥かに狭いため、乗客が少なかろうと混雑する。ランタンたちが乗る車輌には座席というものが無く、立ち乗りとなる。
「はやく乗ろ。ねねね、ランタンっ、はやくはやくっ!」
「ぐずぐずするなよ」
急かすリリオンや、慣れているはずのリリララもランタンは引き止める。歩廊から客車へと殺到する乗客を横目にランタンは諭すように告げた。
「一駅だけなら最後の方がいいよ」
「なんでっすか?」
「扉の前を取れるから、最初に降りられる」
「……お前、天才かよ」
盲点だというようにリリララが半ば本気でそう言った。鉄道の一般利用が可能になったのは、レティシアたちがティルナバンに来る半年ほど前である。実動を開始して約一年しか経っていないのだ。
先頭は動力装置を内包する機関車で、その後ろは鉄道それ自体の観測車輌である。
この鉄道は軌条から列車に至るまでが実験途中である。安全性の不確かなものを実際に稼働して確かめるというのは何とも乱暴であるように思えるが、これに勝る試験もないだろう。
ファビアンと懇意にしているというウィリアム王子主導の計画である。どうやら人命よりも、科学の発展を優先する人物であるらしい。今のところ脱線事故は起きていないようだが、車輌は線路内に立ち入った何名かの命を奪っている。
観測車輌の後ろは貴族や富裕層のための一等客車が連なり、その次がランタンたちの乗車する二等客車、これ以後は貨物車だった。
一通り乗客が乗り込むと、二等客車はほとんど満員となる。
「隙間に落ちないようにね」
「あたしの台詞がないな」
リリララが車体と歩廊の隙間をひょいと跨ぎ、ミシャがその後ろに続いた。あれほど急かしていたリリオンは、しかし満員の車内を見て躊躇った。ランタンのように人混みに辟易している、と言うような感じではなかった。
最近は形を潜めていたがリリオンの躊躇いは、出会った当時の男性を怖がる素振りに似ていた。ランタンは微笑みながら、心の中でシーロを殺してやりたいと思った、
「おいで」
ランタンが先に乗り、手を掴んでリリオンを引き寄せる。
腰ほどの高さしかない扉が閉められ、列車が動き出した。車窓の景色は掘の壁だけだ。吹き込んでくる風はどことなく機械油っぽい匂いがする。リリオンは車窓の景色と向き合って、ランタンは背後に自分がいることを伝えるように背中に手を添え、ついでに髪を押さえてやった。
「手、出したらだめだよ」
「そんなことしないわ」
ほどなくして緊張が解れたようでリリオンはころころと笑った。
列車の揺れは気になるほどではなかったが、線路が円状に構築されているため遠心力で車体が常に傾いている。それが何とも言えない気持ちの悪さをもたらす。
緩やかに滑り出した車体は、速度が上がると遠心力が増大する。車内で誰かが転倒して、悲鳴と罵声が上がった。
ランタンの差し出した腕にミシャが掴まった。
「ありがとう。結構、混んでるっすね」
「檻の中みたいだ」
二等客車は箱形の枠組みに格子を嵌めたような軽量構造で、壁と呼べるような壁はない。まず貨物車ありきで、それを改造して作られているのが一目でわかる。風通しが良すぎるほど良く、激烈に寒いが、人の臭いが籠もらないことだけは評価できる。
「――ひ」
リリオンが小さく悲鳴を上げて、背筋をぴんと伸ばした。
「何かあった?」
「壁に、人がいた」
怖々と振り返ったリリオンにランタンは何の根拠もなく笑いかけた。リリオンはそれだけでほっとしたように緊張を緩める。
「都会の壁には人がいるんだよ」
「ほんとう? 都会ってすごいのね」
「――おう、こらこら、嘘教えてるんじゃねえよ」
「ちがうの?」
「壁に人がいて堪るか。リリオンも、ランタンの言うことなんでも信じるの止めろよ。っと、そろそろ駅だ。降りたら教えてやるから」
前につんのめってしまいそうなブレーキをどうにか堪え、ランタンたちは背中を押されるようにして列車から降りた。ランタンは預かっていた乗車券をリリオンの手に握らせて、慣れた様子で乗車券を駅員に渡し改札をくぐった。
先に改札を抜けているリリララは腕組みをして不満そうだ。
「戸惑えよ」
「戸惑うところないし」
ランタンが言うと、改札から逃げるように飛び出してきたリリオンがランタンに抱きつく。
「――出れたよっ!」
「そりゃ出れるよ。監獄じゃないんだから」
「なんかちょっとドキドキするっすね、止められるかもって」
リリオンどころかミシャまでもが胸に手を当ててほっと息を吐いた。二人は顔を見合わせて笑いあった。
「ほれ見ろ、この初々しいこと!」
商業区の目抜き通りを目指して歩きながらリリララはそんな初々しい二人を怖がらせるように、いいかよく聞け、と小声で囁いた。
「リリオンが見たって言う壁の人、あれはな」
王都は巨人族の都を基礎として作られている。地上の建造物の多くは失われているが、地下は別だった。
その昔、人族は巨人族に使役される一種族でしかなく、その仕事の一つには下水道の管理があったらしい。
王都の地下にはその当時の下水道が現存しており、今現在も使用されている。がその全てを管理できているわけではなかった。
人目を逃れることができ、雨、風、寒さをしのげる地下施設は、地上を追われた者たちにとっての楽園である。
迷路状に違法拡張された下水道の一部は麻薬窟や貧民窟と化しており、表社会から弾き出された者たちを取り込みながら今もなお肥大化を続けている。
無数に枝分かれした終端の数を把握している人間はおらず、あるいは魔物の跋扈する迷宮と化している可能性も否定することはできない。
実際に迷宮産に近しい疫病や害獣が大発生して王都近郊の農場や牧場が大打撃を受けたこともあるし、過去にはマンホールから不定型生物が這い出てきた事例も確認されている。
定期的に捜査を行っているようだが、根絶には至らない。
それらは王都の守護を司るドゥアルテの悩みの種の一つだった。
堀に空いた穴は違法拡張の結果ではなく正規の工事によるものだが、地下の住人に目を付けられたのだ。
「奴らはああやって獲物を探して、鉤や網で乗客をさらっちまうんだ。下水道に連れ込まれたらもう太陽は拝めないぜ」
リリララに散々脅かされたことでリリオンはランタンにぴたっと身を寄せた。
「ランタンさんは怖がらないんっすね」
「下水道の内部がどうなってるのか知らないけど、閉鎖空間で僕に勝てる人間はそんなにいないよ」
「たいした自信だな」
「事実だもん」
閉鎖空間はランタンの爆発能力を十全に発揮することができる。ランタンが余裕の様子で言うと、何故だかリリオンが誇らしげに鼻を鳴らした。
「まあ掠われるとしたらサイズ的にリリオンよりもこっちだし。こっちを掠ったら、掠ったやつに同情するしかないな。さ、どっかで飯食おうぜ」
時刻は昼の少し過ぎで、昼食を取るには少し出遅れた感じがある。ちらりと覗き込んだ店はどこも混雑しており、空いている店は空いているだけの理由があった。
「昼間っから飲んだくれてるなあ。あれ、探索者じゃない?」
「ここの迷宮特区も相当でかいからな。探索者も結構、組織化してる。酔っ払うことは罪じゃないし」
「それはそうだけど」
ティルナバンでも見かけた光景であるが、日も高い内から大人の男が酔いどれている姿は健全とは言い難い。
一目見て探索者とわかるが、顎や腹の辺りがじわりじわりと贅肉に侵食されている。探索者の暴飲暴食は常であるが、摂取した熱量は探索によって相殺されるはずだ。あまり真面な探索者ではないのかもしれない。
ランタンは彼らから視線を引き剥がした。
街並みは清潔で、活気があり、行き交う人々は裕福そうだった。
屋台で売っている料理の値段はティルナバンよりに二割増しと言った感じである。
「なにこれ?」
「……これなに?」
リリオンに尋ねられたランタンは、その質問をそのままリリララに渡した。リリララは視線を逸らす。
それは飲み物屋台のようだったが普通の飲み物屋台は樽を並べ、注文を聞いて樽からコップに飲料を注ぐという乱暴な商売である。
だがその屋台は何か機械っぽかった。金属製のタンクから配管が伸びている。店主は若い男で、身綺麗にしている。屋台の主という雰囲気ではない。小綺麗な酒場のカウンター内に収まっていそうな感じだ。
ランタンたちが指差しているのに気が付くと、白い歯を見せて笑った。
「健康増進、食欲倍増、喉越し爽やか、ソーダ屋だよ! ソーダ屋は初めてかい? ――ええっと」
呼び込みをしようにも四人は一纏めにしがたい風体である。
ランタンは黒染めの外套でぴったりと身体を隠しているし、リリオンは顔こそ隠しているが銀刀と竜牙刀は隠しきれない。ミシャは虎の毛皮を肩に羽織っているし、リリララは拘束具じみた革の装備で身を固めている。
探索者と言えば探索者だし、暗殺者と言えば暗殺者だし、変質者と言えば変質者である。
「観光客です」
ランタンはリリオンの手を引いて近付いた。
「ソーダ屋って、炭酸水屋さん?」
「そんじょそこらの炭酸水と一緒にしてもらっちゃあ困る。まあ、どうだい。一杯。呑ってくかい?」
「じゃあ四つ」
ランタンが銀貨を渡すと、男は背後の装置を振り返った。それを見てリリオンが、鉄砲みたい、と呟く。
男が手にしたノズルは確かに銃身に見えなくもなかったし、引き金も付いていた。ノズルの先をコップに突っ込み、引き金を引くと勢いよく液体が注ぎ込まれる。
「わっ、あわあわしてる! せっけんみたい!」
渡されたコップの中を覗き込んで、リリオンが目をきらきらさせた。ちょろっとベールを捲って、一口飲んでみると口の中で弾けた強い発泡に目をぱちぱちさせた。
麦酒などの炭酸飲料はあるが、それらは自然発酵であるためにそれほど炭酸は強くない。これは炭酸がはっきりと感じられる。ともすれば痛みとも感じられるほどの刺激にミシャはむせている。
「爽やかだけど、ちょっと苦いね。砂糖でも果汁でもいいから入れたいな」
「口の中ぱちぱちする」
リリオンはこの刺激を受けて、好奇心を抑えられなくなった。
今度はランタンの手を引っ張ってあちこちの屋台を覗き始めた。ランタンは文句を言わずにそれについて行き、ミシャたちと少し距離が空いてしまう。
「――あーっ、どーしてくれんだよっ!」
背後から相手をするに値しない手合いの声が聞こえた。
突然の大声は獣と同じ。まず声の大きさで相手を圧倒し、優位に立とうとするちんぴらの手口だ。
ランタンが振り返るとミシャが絡まれていた。
こういうのは僕の役目の筈なのに、とランタンは思う。
ランタンの隣ではリリオンが外套から物騒な獲物を覗かせているので、ランタンを避けてお上りさん丸出しのミシャを狙ったのだろう。観光客狙いのたかりだった。
ミシャの足元に赤い液体が広がっている。葡萄酒である。
二人の男が、お前がぶつかったせいで高級な葡萄酒が台無しだよ、と状況説明丸出しの脅し文句をミシャに怒鳴っているが、探索者相手に商売をしているミシャにはそれほど効果がない。
だが言葉に効果がないとわかると、脅しは次第に激化し、それの行き着く先が暴力であることは明白だった。
そしてミシャには暴力に対抗する手段はない。リリララに任せてもいいが、それは男のすることではない。
ランタンはするりと男とミシャの間に割って入った。
「なんだあ? お前?」
突如現れた場違いな子供の姿に、男が頓狂な声を上げた。ランタンはもちろん無視する。
「ぶつかった?」
ランタンが尋ねるとミシャは首を横に振った。
「怪我は?」
「ないっす」
「そっか、よかった。じゃあ行こうか」
ランタンはミシャの手を取って、呆気に取られる二人の脇を通り過ぎた。
「おいおいおーいっ! なに無視してくれてん、だ……よ?」
振り返った男が見たものは、身の丈を超える竜牙刀をよっこらしょと抜きはなったリリオンの姿だった。
ぎざぎざに並んだ竜牙はこの上なく獰猛である。目元以外を隠したリリオンの姿は、なかなか様になっている。
探索者と言えば探索者だし、殺し屋と言えば殺し屋だし、狂戦士だと言われれば狂戦士である。
身体の細さが、竜牙刀の巨大さをことさら強調する。ランタンは牙の一つをあやすような手つきで撫でた。
ランタンはもう探索者と言われても探索者には見えない。狂戦士を従える、もっと恐ろしい何かである。
男たちは引き攣った笑みを浮かべた。
ランタンは赤い水溜まりを指差す。
「割れた瓶、危ないから片付けようか」
二人の男は服に染みができるのも構わず、慌ててそれを掻き集めた。