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カボチャ頭のランタン  作者: mm
01.Take Me By Storm
15/518

015 迷宮

015


 つつがなく探索は進む。

 ランタンが苛立ちのままに大猿を挽肉へと変えたり、その強烈な一撃にリリオンが再び興奮したり、リリオンが転んだり、その際にランタンの外套(マント)を引っ掴み転倒に巻き込まれたり、散発的に現れる魔物とも何度か戦ったり、それに勝利したりもしたが怪我らしい怪我もなく迷宮の最奥へと近づいていた。

「よーしよし! いいよ、リリオン!」

 ランタンは戦鎚を腰にぶら下げたまま、リリオンを鼓舞するように手を叩いて声援を送った。

 リリオンはしっかりと盾を前に押し出し、大剣は鋒を地面につけるような脇構えにして、その声援を背中に受け止めている。リリオンの視線の先には大きな猿の魔物がいる。ランタンが挽肉にしたものと同種の魔物だ。

 大猿(ヒュージエイプ)はその巨大な手に迷宮の地面や壁を抉り取って作り出す石塊(せっかい)を握り締めて、リリオンと一定の距離を保ちながら機を伺っている。リリオンがじりじりと前進すると、石塊を投げ牽制しリリオンに攻めいる隙を探っているのだ。

 ぱあん、と盾に防がれた石塊が爆ぜる。石塊はきらきらとした粉塵と無数の礫となってリリオンの視界を邪魔した。それはもう何度も繰り返されるやりとりだったが、リリオンの集中は途切れることなく続いていた。

 リリオンは冷静だ。ランタンは小さく頷く。

 これまでのリリオンの働きぶりは初探索ということを鑑みれば十分に及第点だとは思えたが、だが同時にリリオンの身体に備わっている身体能力というところだけを見れば、少し物足りない、と言う気がしなくもなかった。少なくとも装備一式を整えて探索に同伴をすることを許す程に、ランタンはリリオンの能力を買っていることもあって少しばかり欲が出てきた。

 だが幾つかの戦闘を経験したことで、リリオンの潜在能力は開花し始めていた。

 リリオンは高速で飛来する人頭大の石塊を、まるでそれが水風船であるかのように軽く受け止めた。最初の投石攻撃はただ盾に身を隠していただけだったのが、今では当たる瞬間に盾を押し出し迎撃すらしている。向かってくる攻撃を恐れず、攻めの姿勢も忘れない。ランタンはその姿を、少しハラハラもするが好ましく思った。

 また石塊が爆ぜた。足元が砂利道になりかけている。

「気をつけるんだよ!」

 そこそこの知能がある大猿のことだ。いい加減リリオンの隙を見つけようとも投石攻撃だけでは埒が明かないことに気が付くだろう。魔物は基本的にはいくら不利になっても逃走行動を起こさない死兵である。そろそろ行動に変化が出る頃だ。その変化はより積極的で攻撃的なことだろう。

 大猿が再び石塊を投げ、そして強靭な指先で地面を掻き込むように走りだした。投げつけた石塊を追いかけるようにリリオンに向かって突撃してきている。

 リリオンはどうするだろうか。ランタンはそっと戦鎚の柄に手を掛けた。

「はぁぁッ!」

 リリオンは向かってくる石塊に、大猿に、盾を前に構えたまま突っ込んでいった。足元に散らばった礫が踏みつけられて癇癪玉のように破裂した。限界まで引き絞られた弓から放たれたかのような素晴らしい加速だ。

 石塊など何の牽制にもならなかった。盾の表面で爆ぜた石塊はまるで柔らかく握った雪球のようで、リリオンの突撃に何の影響も与えていない。しかしそのまま大猿に激突するかと思われたが、大猿は四足をバネのようにして真横に跳んだ。

 剣を構えた側に跳んでくれればその刃が大猿を二分割にしただろうが、残念ながらそんなに上手くはいかない。ランタンが小さく舌打ちをした。

 大猿が着地と同時に地面を掴んだ。抉って石塊を補充したのではない。大猿は地面を砕き取り、手の中に散弾を作ったのだ。そして叩きつけるようにリリオンの横姿へ投げ付けた。

「――らぁ!」

 リリオンが裏拳を放つように盾を振り回すと突風が巻き起こる。その突風を受けて散弾が力を失い、また盾によって散弾が打ち壊されると、粉塵となったそれが風に煽られて大猿の瞳を襲った。

「……よし」

 ランタンが小さく呟くのと、リリオンが大剣を振るうのはほとんど同時だった。

 大猿は一瞬怯み大剣を避けるために大きくバックステップし、迷宮の壁に指を突き立てて張り付いた。

 だがそこは、まだ大剣の刃圏内だ。

 リリオンの身体の影に隠されていた大剣が、鋒が地面を撫でるように滑り出し、そして鋭く浮かび上がった。掬うように斬り上げられた逆袈裟は大猿の両足を切断した。大猿の顔がまるで人間のもののように驚愕を表し、そして苦痛を浮かび上がらせた。

 耳をつんざく悲鳴を上げて大猿が壁から剥がれ落ち、仰向けに転がって痛みに藻掻いている。リリオンは大猿に素早く近づいた。

「えい!」

 リリオンは盾をギロチンのように大猿の喉に叩きつけてその息の根を止めた。頚椎を砕かれた大猿は一度大きく跳ねて動かなくなった。ランタンは、リリオンが最後まで気を抜かずにきちんととどめを刺したその光景に満足気に大きく頷き、まるで自らが戦闘を終えたように大きく息を吐いた。そしてリリオンもまた大きな安堵を漏らしている。

「はぁぁぁあ……――やったぁ!」

 リリオンが振り向いて大剣を掲げて喜びを露わにした。

 リリオンが満面の笑みをランタンに向けると、ランタンもそれに応えて頬を緩めた。リリオンが最初から最後まで一人で戦闘を終えたのだ。それも完勝といってよい内容だった。手塩にかけて、などとは決して言えない短い付き合いだが、ランタンはなんだか親鳥の気分だった。

 大剣を盾に収めるリリオンにランタンは駆け寄りたい衝動を堪えて、余裕ぶりながら歩み寄った。

「やったね」

 ランタンが掌を差し出すと、リリオンはその手に自らの手をぱちんと叩き合わせた。

 その拍子にリリオンの手首に巻き付けられた深度計が跳ねる。その色は青と呼べなくもないような青色だ。気の抜けた色だが、もうずいぶん深い所まで来た証拠だった。

 ランタンは一瞬だけその深度計に視線をやり、すぐにリリオンへ戻した。そして腰から狩猟刀を抜くと、くるりとリリオンへ柄を差し向けて渡した。

「魔精結晶の剥ぎ取りもやってみようか」

「う、うん」

「盾はちょっと邪魔だね、僕が持ってるよ」

「ありがとう」

 狩猟刀と引き替えにするようにひょいと渡された盾を、ランタンはずしりと受け取った。よくもまぁこんな重たい物を振り回せるものだ、とランタンは呆れ半分称賛半分に思ったが、そんなことを思うランタンも片手でその盾を支えて、逆の手では戦鎚を引き抜き鶴嘴を大猿に引っ掛けて、その死体を血溜まりから引きずり出していたりもする。

 大猿の身体に現れた魔精結晶は、右手の指だった。小指の退化した大猿の手をむんずと掴んでその指を伸ばした。四本指の内の一つ、人間で言うところの人差し指の先端が青い結晶と化している。毛むくじゃらのゴツい指が、第一関節から急に宝石のようになっている様子は悪趣味な義指を嵌めているようだ。

「ここ? ここでいいの?」

「もうちょっと上だね。結晶の下側を削るように刃を当てて」

「うん」

「で、一気に、叩きつけるように」

「えいっ」

 刃の根元を大猿の指にあてがって位置を確かめると、リリオンは鉈で薪を割るように狩猟刀を振り下ろした。きん、と硬質な音を立てて魔精結晶が切り落とされる。リリオンは太く息を吐くと額を拭った。

「完璧だね」

 ランタンが転がった魔精結晶を拾い上げて、リリオンに手渡した。

 その魔精結晶は(まむし)のように太く、第一関節だけだというのにランタンの中指の全長以上もある。

「はぇー、うふ」

 魔物がその身に貯めこむ魔精が多いほど結晶は高純度となり、その色を深める。

 大猿の魔精結晶は透き通る水青色(シアン)である。純度は高くもないが低くもないという所だろうが、そこに金銭的価値以外を見出したのかリリオンは魔精結晶に見惚れて口をぽかんと開けてにへらと頬を緩めた。

「見惚れるものいいけどね」

 美しい宝石に憧れるのは女の(さが)なのだろうが、残念ながら切り落としただけの魔精結晶は外気に触れさせていればやがて氷のように溶けてしまう。魔精が溶け出さないように結晶を加工して装飾品として販売するような店もあるが、装飾品としての魔精結晶は同重量の金よりも高価だ。

「早くしまわないと台無しだよ」

 ランタンが言葉で尻を叩くと、リリオンはあたふたと背嚢を下ろそうとして混乱していた。まるで自らの尻尾を追いかける犬のようだ。

「慌てなくていいから。ほら、狩猟刀を返して、袋も取ってあげるし、――それを落とさないようにね」

 手を切り落としそうな狩猟刀を奪い取り、お手玉するようになっている魔精結晶をしっかり握らせて、リリオンを中腰にさせると背嚢に手を突っ込んで保存袋を引きずり出した。

「はい、しまって」

「あぁ、私の結晶……」

 ランタンが袋の口を広げて無慈悲に告げると、リリオンはまるで指先の皮膚が結晶に張り付いたかのように、名残惜しげに結晶を袋に入れた。ランタンは未練たっぷりに袋口を覗き込むリリオンの視線を締め出すように保存袋の口を三つ折にした。

 換金する時もこの調子だと面倒くさいな、などとランタンは思いながら保存袋を縛ってリリオンの背嚢へと放り込み、代わりに水筒を取り出した。リリオンは気にしていないようだったが指先が少し青く汚れている。

「あっ。ありがとう、ちょうど喉乾いてたの」

 戦闘を終えたのだから喉も乾いているだろう。だが差し出された手に水筒は渡さない。

「手、洗ってからね」

「これぐらいへーきよ?」

 リリオンは自分の手を確かめてそう言い、再び手を差し出したが、ランタンはその指先に無言で水を垂らした。リリオンが平気でも、ランタンは平気ではないのだ。リリオンは急に注がれた水に驚いて頬を膨らませたが、思いがけず強いランタンの視線に負けていそいそと指先を擦り合わせた。

「きれいになったわ」

「うん、じゃあ……」

 ランタンはポーチから布切れを取り出そうとしたが、リリオンはぱぱっと濡れた手を服で拭いて、ランタンの手から水筒を抜き取った。

「……まぁ、別にいいけどね」

 美味しそうに喉を潤すリリオンを横目に、ランタンはぼそっと呟いた。迷宮内で気取ったように、実際使用しているのは端布(はぎれ)だが、ハンカチーフで使用するランタンの方が変なのだ。

「リリオン、深度計見てみて」

「ん?」

 水筒から口を離して、ぺろりと唇を舐めた。リリオンは水筒ごと手首を持ち上げて、深度計を眼前に揺らした。リリオンはその淡青色をようやく気がついたようにはっとした瞳で見つめた。

「これって……?」

「そろそろ底が近いね」

「底?」

「最下層さ。ま、見ればすぐに判るし、そんなに身構えなくてもいいよ。……それとその色よく覚えておいて」

「色? うん、わかった」

「じゃ、行こっか」

 神妙な面持ちで深度計の色を目に焼き付け、ぶるっと身体を震わせたリリオンを安心させるようにランタンは軽く言った。荷物をしまうと寄り添うようにして探索を再開する。

 最下層に到達したからといって、そのままそこに踏み入り最終目標(フラグ)との戦闘を開始するわけではない。とりあえず今日の目標は最下層の確認までであってそれ以上は、挑むにしろ逃げ帰るにしろ明日の仕事だ。

 ランタンは時計に目をやった。迷宮へ入ったのは一四時丁度で、今の時刻は二十一時を回ろうとしている所だった。これまで何度か小休憩を挟んだが、そろそろ空腹を感じ始めていたし疲労もあった。肉体的な疲労よりもリリオンの前で気取っていたこともあり精神的な疲労のほうが大きい。ランタンは欠伸(あくび)を噛み殺して、眼をこすった。

「ふぁ……」

 噛み殺したはずの欠伸がリリオンに伝染したようで、リリオンは声もなく吠えるように大きく口を開いて欠伸をして、顔を洗うように目をこすり、ついでにその手で腹を押さえた。リリオンも空腹なのだろう。

「たぶん、もうすぐだよ。ほら、深度計見て」

 魔物も現れず三十分ほどをひたすらに歩いた所でランタンがリリオンに言った。

「あ、色が……薄い」

「うん、それが最下層が近い証拠」

 周囲に漂う魔精の濃さに反応してその青の濃淡を変える深度計が色を薄くしている。

 基本的に最下層へと近づくということは、迷宮内の魔精の供給源である迷宮核に近づくことと同意であるので、本来ならば魔精は濃くなって深度計も色を濃くするはずなのである。

 ならば何故、深度計がその色を薄くしたかというと、その原因は最終目標にある。

 最下層にその身を構える最終目標が周囲の魔精を貪っているのだ。

 リリオンは今のところ深度計を見ることでしか魔精の濃さを判別できないが、ある程度探索をこなせば一般的な探索者であればその身一つで魔精の減少を感じ取ることが出来るようになる。それほど最下層付近の魔精の減少は急激なのだ。

「魔精の減り方も、最終目標の強さの基準になるんだよ」

「へりかたが早いほうが、つよい?」

「うん、正解」

 ランタンは周囲に漂う魔精が薄くなっているのを肌で感じ取っていた。その感覚は冬の風が身体から体温を奪ってゆく寒々しさに似ている。どうせまた阿呆みたいに強いんだろうな、と嫌な気分になった。

「ランタン、ランタン」

「ん?」

 うんざりとしていたランタンの腕をリリオンが引っ張って、迷宮の奥を指さした。

「行き止まりだわ!」

 指の先には灰白色の地面、横壁、天井がずるりと筒状に伸びていて、突き当りが白い壁によって閉ざされているように見えた。それは突き当りで直角に曲がっているわけでも、どこかに抜け道があるわけでもない。

 ランタンは足を止めて、胸に手を当てて息を整えた。

「――もう少し近づこうか」

 ランタンは袖を引いたリリオンの手を掴んで、ゆっくりと行き止まりに近づいた。

「あっ……」

 リリオンはそれが何であるのかに気がついたようで、小さく声を上げた。そこで足を止めると、リリオンがぎゅっとランタンの手を握り締めた。

 白い壁の正体は、濃い霧である。

 迷宮口からミシャの手によって迷宮に降下する際に通過したものと同じ(たぐい)の魔精の霧だ。雪花石膏(アラバスター)のように白く、あまりに濃密で滑らかなので通路を埋める霧が壁のように見えるのだ。

 近づくことによって霧がほんの僅かだが、巻くように流れているのがわかる。

 迷宮口の霧が地上と迷宮を隔てる門であったように、この霧も今までの迷宮と最下層が別のものである証明だった。

「これって、どうやって、最終目標を確かめるの……?」

 リリオンは目を凝らして霧を眺めていたが、当たり前だがそんなことをしても霧の奥を覗きこむことはできない。視線は濃く厚い霧の幕によって遮られた。ランタンは、目の上に手を翳して背伸びまでしているリリオンを見てくすりと笑った。

「これを使います」

 ランタンは背嚢を下ろし、その中から円筒を取り出した。筒の中には魔道的な処理を施された特殊なレンズが嵌めこまれており、これを通して見ると薄ぼんやりとした青い紗がかかったようにものが見える。その青さは魔精の濃さだ。魔精鏡と言う道具である。

「へぇー、ふぁー」

 手渡された魔精鏡をリリオンは早速覗きこんで、キョロキョロとあたりを見渡たした。そしてランタンの姿を捉えると残念そうに魔精鏡を目元から外す。

「……ランタンはあんまり青くないのね」

「そらそうだよ」

 ランタンは見栄を張る様子もなく肩を竦めて笑った。

 魔精鏡には様々な種類があるが迷宮内で使用する物に限っては、そのどれもが感度の低く設定された言うなれば意図的な粗悪品であった。そうしなければ地上よりもずっと魔精の濃い迷宮内では、視界の全てが青く染まり何の役にも立たないのだ。

 そして霧の奥に、最下層に存在する最終目標を確認するための魔精鏡は、廃品(ジャンク)と言っても良いほどに魔精を捉える感度が低くなっている。そうでなくては霧に含まれた魔精を透かすことができず、またあるいは、そうであったとしても青く見えるほど最終目標がその身にまとう魔精は濃いとも言えた。

「ま、そのおかげでこいつは安いんだけどね」

 ランタンは魔精鏡をリリオンの手から奪い、霧の奥を覗きこんだ。

 どんな貧乏な探索者であっても粗悪品であるがゆえに廉価である魔精鏡は所持している。魔精鏡を通す事によって得られる最終目標の情報は決して多いとはいえないが、それでも無情報で最終目標に挑むよりはずっとずっとマシだ。

 場合によっては挑むことをせず、逃げ帰る理由を得られるのだから。

「……――ふぅん、……でかいなぁ」

 ランタンが舌打ちを漏らして魔精鏡から目を外すと、今度はリリオンがその手から魔精鏡を奪い返して霧の奥を覗きこんだ。その瞳には薄水色に染まった霧の奥に潜む、鮮明な青が映っていることだろう。

 リリオンは騒ぎもせずに、魔精鏡を構えたまま微動だにしない。恐怖に固まっていると言うよりは、鼻筋に皺の寄ったその顔は拗ねているように見えた。どうしたんだろう、とランタンがぼんやり顔を眺めていると、急に飽きたように魔精鏡をランタンへ返した。

「……よくわかんないわ、ぜんぜん動かないし」

 魔精鏡を通して得られる最終目標の情報は基本的に四つだ。それは大きさ、形、動作、魔精の濃さであるが、その四つですら確実に得られる情報ではない。この霧の奥にいる最終目標は少なくとも三メートルを超える体躯を持っていて、見る限りでは丸い。けれど丸い形をした獣と言うわけではなく、ただ丸まって身を横たえているだけだろう。それは青い小山のようであった。

「ふふふ」

 リリオンが飽きるのも無理はない。子供にとって動かない青い塊なんて見ていても何も面白くはないだろう。魔精の霧によって遠距離攻撃は届かないので、ここからではちょっかいを掛けることもできない。

「これ以上は無駄だね。引き返して野営の準備をしようか」

「戻るの?」

「戻るよ」

 得られた情報は、丸まった状態で三メートル以上の大きさと、魔精の濃さ、それと恐らくは羽が無い、無ければいいな、と言う程度のものである。充分とは言えないが、珍しいことではない。ランタンはさっさと魔精鏡をしまうと、来た通路を引き返した。

「――別にあれが起きたからって最下層から出てくるわけじゃないけどね。気分的に落ち着かないでしょ?」

 十分と少し歩いて開けた場所まで戻るとランタンは立ち止まり、背嚢を下ろして大きく呻きながら背伸びをした。

「今日はここで休むよー」

「わたし、お腹ぺこぺこ!」

「僕もだよ。さー、さっさと食べて、さっさと寝よう」

 背嚢の中から折りたたんだ毛布(ブランケット)を取り出して、そのまま座布団代わりに尻に敷いた。リリオンもそれに倣って同じようにランタンの隣にぺたんと座る。リリオンはランタンが背嚢から携帯用調理器具を取り出すのを、最終目標を眺めるよりもずっと楽しそうに眺めていた。

「これに、こぼれない程度に水入れて」

 眺めているだけより、自分でもやったほうがもっと楽しい。ランタンは円形の飯盒(はんごう)をリリオンに手渡した。

「これなぁに?」

 飯盒の中には炊いた米を乾燥させたものと、刻んだ乾燥野菜と干し肉が入っている。米はアルファ化米などと呼べるような上等な代物ではないが、これを再び炊いて粥にするとなかなか旨い。

「水入れたら、軽く混ぜて蓋するんだよ」

 ランタンはランタンで火精結晶コンロを弄っていた。折りたたまれた四つの足を立てて円形の五徳の下に嵌められている橙色の火精結晶に衝撃を与える。そうすると火精結晶は衝撃を与えられた部分から光と熱を発するのだ。それはすぐに火精結晶全体に広がった。

「あっつい!」

 ランタンは慌ててコンロを地面に置き、熱を持つ指先をちろりと舐め、コンロの足に反射板を立てかけて火精結晶を覆った。これによって辺りに撒き散らされる熱が、効率よく上に立ち上るのだ。リリオンが陽炎揺らめく五徳の上に飯盒を乗せた。

「すぐ出来る?」

「うーん、これなら十五分ぐらいかなぁ」

 ランタンが出来上がり予想時間を告げると、リリオンは十五分が永遠と同意であるかのようなげんなりした表情を見せた。ランタンは聞かないふりをしたが、リリオンの腹がぐるるると鳴っている。

「出来あがるまでこれ食べようか。どうせ粥だけじゃ足りないし」

 取り出したのはビスケットと塊のチーズだ。いつもならば探索者ギルドで安価で販売している簡素(プレーン)なビスケットを買うのだが、これは中に砕いた木の実(ナッツ)が練りこまれている。

「おいしいねぇ」

 薄く切ったチーズを乗せて食べるとリリオンは頬を緩ませた。ビスケットは相変わらず口腔の水分を奪っていったが、値段帯が上がっただけあって味の方は悪くない。ランタンもビスケットをもそもそと齧っては水筒から水を呷った。

 ランタンが二枚食べる間に、リリオンは四枚を腹に収め、さらにチーズを気持ち厚めに切り取りそれだけでも齧っている。遠慮が無いようにも思えるが、身体の大きなリリオンが両手でチーズを持って少しずつ齧っている様は妙にいじらしい。

「ねぇ、ランタン」

「んー?」

「ランタンさ、お風呂の時に、こう……ボンって、ほら、ボンってやってたでしょ?」

「まぁ、やったね」

 要領の得ない言葉だったが、言わんとする所はわかる。ランタンはこくりと頷く。

「ランタンって、……魔道使いなの?」

「ちがうよ」

 魔道使いとは体内の魔精を、体外へ様々な現象として放出する技術を持った人間のことだ。

 ランタンがリリオンを洗うために湯船に溜めた水を熱した時、水に漬けたランタンの手の周囲では高熱を伴った小爆発が起きていた。普通に考えて水を温めるためには何かしらの道具が必要になるはずで、無手のランタンが一瞬で水を湯へと変えた様子は確かに魔道を行使したように見えるだろう。

「ちがうの?」

「うん、あれはねぇ、……うーん」

 ランタンは指先についたビスケット屑を払い落とした。やや俯きがちになり眉根に深く皺を刻むと、むっつりと黙り込んだ。組んだ指の上に顎を乗せてしばらく言葉を探していると、リリオンがじっと見つめていることに気がついた。視線が質量を持つように肌を触った。

 視線を上げてそちらを向くと、リリオンは言葉を待っているとは到底言えない顔をしていた。罪を犯してそれを悔いるような、あるいは罰を恐れるようなそんな顔だ。

「どうかした?」

 そう聞いてから、なんとなく気がついた。

 聞かれたくない事を聞かれた時の、言いたくないことを言う時の心の機微をリリオンはよく知っているのだろう。要はランタンの爆発を、リリオンにとっての巨人族の血のようなものだと、沈黙を深読みして勘違いしたのだ。

「上手く説明できないだけだよ。まぁ、例えばさ……あぁえぇっと、蜥蜴人族とか蛇人族の中には毒を吐く人達もいるでしょ? あんな感じですよ」

 あんな感じ、をランタンは知らなかったが、そう早口で捲し立てた。

 リリオンの不安を晴らすために嘘をでっち上げたわけでも、説明が面倒くさくなって誤魔化したわけでもない。ランタン自身も自分の力を正確に理解はしていないのだ。便利なので日常生活にも戦闘にも利用しているが、生まれ付き身に備わっていた力ではなくこの世界に来てから発現したものだった。

「でも急にどうしたの? 気になっちゃった?」

 僕のこと、とランタンはいたずらっぽく片目を閉じて微笑んだ。するとリリオンは頬を赤くして、わたわたと手を振りその表情を隠そうとした。

「ちがうわ! あの、ちがないけど……ちがうの! あのね、えっとね。ランタンがボンってやれば、そのすぐに、ごはんできるかなって、……思って」

「……――ぷ。あっはっは。あー、そうだね。そうかもしれないね」

 ランタンは珍しく大きく口を開けて笑って、ひとしきり笑い終えると飯盒を指さした。

「でも、もうほとんど出来てるよ」

「えっ、ほんと!?」

 飯盒がコトコトと鳴って蓋の隙間から汁が吹き零れはじめている。ランタンが袖の中に手をしまって熱対策をし、その蓋を外すと米の甘い香りが湯気とともに立ち上った。

「いい匂い! もう食べれるの?」

「んー、もうちょっと水分飛ばそうか」

 ランタンはスプーンで粥をぐるりと掻き回し、その先端に乗せるように粥を一掬いしてリリオンに突き出した。

「ふぅふぅ、……はい、味見して」

「あむっ、んっ。――んぅー、うすい」

 出汁は干し肉によって充分に賄われているが、塩分もとはいかなかったようだ。ランタンは岩塩の欠片を指先で潰して粥の中に入れた。乾燥している状態の見た目は微妙だったが、出来上がりはまた別だ。薄黄色の柔らかく溶けた米と、水を吸って膨らんだ乾燥野菜の緑黄色が目に美味しい。

 ごくり、とリリオンが喉を鳴らした。

「さ、できたよ。お椀貸して」

 新品の木製の椀にたっぷりと粥をよそってやるとリリオンは目を輝かせた。片手に椀を、片手にスプーンを構えて準備は万端だが、それでもランタンが自分の分をよそうまでは手を付けることはなかった。

「はい、いただきます」

「ます!」

 ふぅ、と一つ息を吹きかけただけでリリオンはスプーンで粥を口に運んだ。スプーンを口に咥えたままリリオンは目尻を蕩けさせる。

「――んー、おいしい!」

「うん、よく出来てるね」

 肉の出汁が米によく染み込んでいるし、乾燥野菜もほっとするような甘さがある。

「チーズ入れても美味しいかも」

 熱さなど感じていないようにリリオンは一心不乱に粥を掻き込んでいたが、ランタンの一言によりぴたりと停止した。そして少なくなった椀の中とランタンの顔を何度も見比べている。

「おかわりはあるから、大丈夫だからね。あとゆっくり食べな」

「うん」

 明日は最下層に入り最終目標と戦闘を行う。

 目覚めた時に熱でも出ていればまた別だが、口腔の火傷程度では探索を中止する理由にはならない。リリオンの存在も、やはりまだ不安は残るが、それも引き返すための理由としては不十分だ。

「……」

 いや、ここまで来たのだ。

 リリオンは最下層に踏み入るだけの資質も、資格もある。

「どうしたのランタン? おかわり、よそってあげようか?」

「――うん、ありがと」

 空になった椀に粥が山盛りに盛られて帰ってきた。手の中でずしりと重たく、暖かい。まるで心臓(いのち)のようだ。

「リリオン」

「なに?」

「明日は、がんばろうね」

「――うん!!」

 明日は、もうすぐそこに近づいてきている。


戦闘シーンばかりがもう少し続きます。

ごめんなさい。

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