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四日ぶりの地面である。
時刻は夕刻で、飛行場を囲む森は今なお残る紅葉と夕陽によって燃えているようだった。これほど大地に足を付けなかったのは迷宮以来だが、迷宮から帰還した時よりも懐かしさが強く感じられた。
揺れない地面の何と心地良いことか。
「あー、すばらしい」
ランタンは籠を下り、久々の地面を堪能する。堪能したかったが、そんな暇は与えられなかった。
「ラーンー」
大きく伸びをして気を抜いていると先に着陸したリリオンが脇腹に突っ込んできた。
「タンっ!」
「うぐっ!」
ランタンは再び籠の中に押し戻されてしまった。危うく口から蛙が飛び出す所だった。
「なにをやっとるんだ」
エドガーが呆れた様子で言い、重なり合って倒れ込む二人を一瞥する。
「試してみろとは言ったが、時と場合を選べよ」
リリオンはまるで聞いておらず、夢中で猫のようにランタンの胸に顔を擦りつける。
ランタンは目を白黒させて、久し振りの温かさに腕を回した。
「ランタンっ、ランタンっ、んー、ランタンだわ。さみしくなかった?」
「なかった」
「わたしはさみしかったよ。ランタン、少しお酒の匂いがするね。いい匂い、いい匂いね」
リリオンは胸に押し当てた顔を、首筋に、頬に擦り上げた。
竜籠に風呂はなく、迷宮と同じく濡らしたタオルで身体を拭くぐらいしか身体を清潔に保つ方法はなかった。上空は凍えるほど寒いので汗を掻くことはほとんどないが、リリオンは甘酸っぱい体臭を濃くしている。髪も肌も、ぺたぺたとして脂っぽかった。
「少し飲んだから、そんなにくさい?」
「くさくないよ、美味しそう。わたしたちもお酒飲んだのよ。お酒飲んで、お菓子食べて、お喋りして、お化粧したり、着せ替えっこしたり、色々したのよ」
「なんか華やかだね。僕らとは大違いだ」
「わたしからもお酒の匂いする? ほら、どう? くんくんして」
「酒臭くはないよ」
「……いっぱい飲んだのに」
「おねしょしなかった? ベリレみたいに」
「嘘吐くな! 漏らしてないからな!」
蛙一匹以来、ベリレは便秘に悩まされたのである。蛙の呪いではなく、干し肉と酒中心の乱れた食生活によって。
「わたしだっておねしょしてないもん! もう失礼しちゃうわ」
リリオンは頬を膨らませてむっとしたが、その怒りは長続きしなかった。再びランタンに覆い被さって、すんすんと鼻をひくつかせる。ランタン、ランタンと何度も名前を呼んで、久方ぶりの小躯を堪能しているようだった。
「エドガーさま、もう放って行きましょう」
「それもそうだな」
二人は横たわる身体を跨いだ。
ランタンは抱擁から抜け出そうと藻掻いていたが、リリオンは巧みに抵抗を封じ込める。
ランタンは表面上は困っていたが、内心はそれほど悪い気はしていないのである。
揺れぬ大地と同じぐらいに、変わらぬリリオンの存在にほっとしている。
「ほらな、こんなものさ。男にはどうすることはできんのだ。口でどうこう言った所で」
「なるほど勉強になります。あ、エドガーさま、足元お気を付けください」
「この歳になってもやはり大地は格別だ」
エドガーとベリレはさっさと籠を下り、二人は誰もいなくなった籠の中でしばらく寝転がっていた。
「そろそろ離れろ」
「やだ。もっと一緒にいたい」
「背中痛くなってきた。離れろって、どっか行けって意味じゃないし」
ランタンが押し返すと、リリオンはいかにも仕方なくというように身を離した。
離れる前の最後の一嗅ぎは、リリオンの胸を破裂しそうなほどに膨らませた。惜しむようにゆっくりと息を吐いた。
「たかだか四日で大げさな」
「四日分のランタンを、補給するのよ」
意味不明であるが、ランタンは何も言い返せなかった。リリオンは大真面目な顔をしている。
籠を下りると、遅いと咎めるように籠牽き竜種が鳴いた。
「悪いね、ご苦労さま」
四日間飲まず食わず不眠不休で飛び続けた竜種は一回りも小さくなっている。氷点下の空を泳いだ鱗は、水分を失って乾いている。
この飛行場はネイリング家所有の軍用飛行場である。
レティシアは責任者らしき男と何やら話し込んでいて、リリララはメイドらしく大人しく脇に控えていた。男の背後にはずらりと兵が並んでいる。
ミシャは少し離れた位置で居心地が悪そうにしていて、ランタンに気が付くと慌てて駆け寄ってくる。
「ぜんぜん出てこないから、何してたんっすか?」
「ランタンを補給していたのよ」
ミシャは首を傾げる。
「無視していいよ」
「はあ」
レティシアがランタンに気が付いて、大きく手を上げた。
「ランタン、私は少し話をしてくる。そこの宿舎を好きに使ってくれ」
「はい、ありがとうございます」
レティシアが案内されて、司令部を兼ねた兵舎へと向かっていった。
「レティさま、大変そうっすね」
「実家に戻ったらもっと大変なのかもね」
呟きを吹き飛ばすような、強烈な横風が吹いた。
兵士たちの手によって竜種から籠が外されていく。四日ぶりに身軽になった竜種は妙に人間臭く、肩が凝ったとでも言うように大きく翼を動かした。一頭が羽ばたくと、その羽ばたきが他の竜種に伝播し、四方八方から風が吹いた。
空で体感した冷たい風が、ここまで下りてきたようだ。
「温かそうっすね」
だがミシャはそんなことを言う。
ミシャが肩に羽織る炎虎の毛皮も温かそうで、寒がりの彼女は頬を赤く上気させている。
そして毛皮に負けず劣らずリリオンも温かい。リリオンがぴったりと身を寄せていた。
「毛皮と交換する?」
「しないよ、もうっ」
リリオンは交換されまいと、強引にランタンと腕を組んだ。
「甘えんぼさん。夜一人で寝られなかったし、ランタンさん、少し甘やかし過ぎじゃないっすか?」
「そうなの?」
リリオンは恥ずかしげに唇を噛んだ。
「一人でも寝られるわ」
視線を逸らしたままに呟く。
「でも私のベッドに入ってきたじゃない」
「寒そうにしてたから、あたためてあげようと思ったの」
寂しそうにしていたから、と聞こえた。ミシャは甘い笑みを口元に浮かべる。
「じゃあ今日は一人で寝るのね」
「今日はみんな一緒に寝るのよ。その方があったかいもの」
リリオンはミシャも引き寄せた。二人に挟まれて満足気にする。そういう顔を見ると何も言えない。
一緒に寝るのかはともかくとして、二人は顔を見合わせて笑いあった。
「ランタンさんって、リリオンちゃんといつもあんな風に寝てるんっすか?」
「あんな風って?」
反射的に聞き返してから、ランタンはしまったと思う。
「リリオンちゃんにぎゅってされて」
「……」
「えっとね、ランタンと寝る時はね――ひゃん!」
余計なことを言いかけたリリオンの脇腹をこっそりと擽ると、少女は長身を折り曲げて悲鳴を上げた。しなだれかかるようにミシャに抱きつく。
ミシャはリリオンを支え、じとりとランタンを見つめ、ぽつりと呟く。
「いやらしい」
「いやらしいことなんてしてません。普通だよ、普通に寝てる」
ランタンは素知らぬ顔で竜種を見つめた。
「まあ、リリオンちゃんって温かいっすもんね」
「子供って体温高いって言うしね」
竜種が湖まで近付き、首を伸ばして水を飲み始めた。蛙がざわめき、湖面に幾重もの波紋が浮かんだ。竜種は水も蛙もお構いなしに飲み込んでいる。
「わたし、もう子供じゃないわ。立派なレディなんだから!」
「孤児院のちびちゃんも同じこと言ってたよ」
「むう、失礼しちゃうわ」
「それも言ってた」
リリオンは子供だ。むうう、と変な唸り声を出しながらむくれた。
「わたし、子供じゃないもん」
なおも食い下がるリリオンを、ランタンは無視する。
「ランタンさんって、リリオンちゃんのこと侮ってるっすよ」
ミシャの言葉にも反応せず、竜種を眺める。
「もう、――男の子ってなんかやたらと竜種が好きっすよね」
「そうなの? ランタンも好き? ねえねえ、ランタン、ねえねえねえ」
「……別に好きって程じゃないけど、まあ格好いいとは思うよ。角とか牙とか強そうだし、翼は便利そうだし、でかいし。蛙を丸呑みにしたら背が伸びるのかな」
「そんなことしたらお腹でげこげこ鳴いちゃうわよ」
「そりゃ大変だ」
どうして探索者はこれに挑もうなどと考えるのだろうか。
頭がおかしいんじゃなかろうか。
ランタンは自分のことを棚に上げて、探索者に呆れてしまう。竜種は水を浴びせかけられながらブラシを掛けられ、気持ちよさそうに欠伸をした。だが首から上だけを見ると牙の凶悪さばかりが目につく。
「空よりはマシだけど寒いな」
「もう宿舎に行きますか?」
「いや、もう少し見てる。ほら、餌の時間だよ。よく働いたから豚を食べさせてもらえるみたい。うわ、生き餌だ。豚の生食は危険だよ、寄生虫がいるから」
「――やっぱり好きなんじゃないっすか」
「そんなことはないよ」
竜種の前に引き出される豚は狂ったように嘶いている。
竜種が顔を近付けると、耳を劈くような悲鳴が鳴り響き、ぱたりと止んだ。恐怖のあまり失神したのか、死んでしまったのか。どちらにしろ遅かれ早かれだ。
「迷宮で会いたくない魔物筆頭だもん。あ、今、鱗落ちた。拾いに行こう」
竜種の足元が血溜まりと化してる。
首筋から剥がれた鱗は、爪先に当たって血溜まりを跳び越し、地面をころころと転がり、やがてぱたんと倒れた。
「え、ちょっとそんな。せめて食べ終わるまで待ちましょうよ」
「あれだけ距離があれば大丈夫だよ」
「そうそう、行きましょ。もしもの時はわたしが助けてあげるから」
「もしも!? もしもってなんなんっすか!」
「大きい声出さないでよ。襲われるよ」
「ほら襲われるって、今、襲われるって言いましたよね! ちょっと二人ともそこになおりなさい!」
ミシャは二人を一喝すると、これだから探索者はと言うように腰に手を当てて仁王立ちになって立ち塞がった。
「どこ見てるのランタンくん!」
ミシャの背の向こうで、兵士が鱗を拾い上げて懐にしまった。
リリオンが目を覚ました。
ランタンの身体にぎゅっとしがみついて、耳元で欠伸をして、それからくすくす笑って、ベッドから下り、寒そうにしながら急いで着替え始めた。ランタンはそれをベッドの中から見つめる。シャツを前後ろにすることもなかったし、髪もあっという間に纏めてしまった。
「……どこに行くの?」
その背中に呼びかけると、リリオンは驚いたように小さな悲鳴を上げ、ランタンの半分眠った顔を覗き込んだ。
「ないしょ」
頬にキスをして、そしてもう一度キスをしてリリオンは部屋を出た。
ランタンは再び眠りにつき、再び目覚めた時、目の前にあったのはミシャの顔だった。
「おはよう」
「おはようっす」
結局、みんなで一緒に寝る、と言うリリオンの願いが叶えられることはなかった。
レティシアやエドガーには士官用の部屋が用意されており、そこに押しかけることもできたがランタンたちは予め用意された下士官用の部屋をありがたく使わせてもらった。
用意された部屋は四人部屋で、軍用の二段ベッドが二つ用意されている。ランタンとリリオンで一部屋、ミシャで一部屋を使用した。ランタンとリリオンは一つのベッドを使った。上段は使用せず、下段一つにランタンとリリオン二人が収まった。
まったく使われていないベッドを見てミシャは何かを思っただろうか。
「早いね」
「職業柄、早起きは得意なんっすよ。でもリリオンちゃんに負けちゃったみたい。どこに行ったんっすか?」
「さあ、どこだろう」
ランタンが欠伸をすると、息が白んだ。目を擦り、ベッドの上に胡座を掻いて、寝癖の付く髪を掻き回し、それから骨を鳴らして伸び上がった。
ミシャは肩から炎虎の毛皮を羽織っていたが、その下はまだ貸し出された寝衣だった。
「何しに来たの?」
ランタンが尋ねると、ミシャは少し戸惑った。自分が何をしにやってきたのかを、自分自身で理解していないように。
竜籠ではリリオンたちと一緒にいた。初めての旅先で一人、ミシャは心細くなったのだろう。
「寒いね」
「うん」
ミシャは頷いた。
「リリオンちゃんが恋しい」
「じゃあ探してこようかな。ついでにお湯持ってくるよ。その間に着替えでも済ませたら?」
「ありがとう。そうさせて貰うっす」
ミシャはランタンの肩に毛皮を羽織らせて、自分の身体を抱きしめながら部屋に着替えを取りに戻った。
毛皮はお気に入りになったのか、すっかりとミシャの匂いが染みついている。それは昔のことを思い出させる。
腰の緩いズボンに、柔らかく使い古されたシャツはちょうど良かった。きっと今、ミシャのシャツを着たらならば胸元が緩いだろう。そしてそれを告げない分別を覚えた。
ランタンは探したと言えるほどリリオンを探しはしなかった。何も言わずに消えたのならば慌てたかもしれないが、頬に触れた感触は夢ではない。ランタンは兵舎の外に出てその寒さに震え、指を赤くしながら桶いっぱいに水を汲んだ。
部屋に戻ってきた時、開け放って出てきた扉が閉ざされていた。ランタンは戻ってきたことを告げるように、部屋の前で水を温めた。
「――びっくりした。今の、ランタンさんっすよね」
爆発音で竜種が嘶き、恐る恐る顔を出したミシャが桶から立ち上る湯気を見て尋ねる。飛び散った飛沫に顔を濡らしたランタンは、袖で顔を拭いながら頷いた。
「久し振りにしたから失敗した。ちょっと嵩が減っちゃったな」
「足りますよ。昨日しっかり洗ったから、顔洗うぐらいですから」
ミシャは着替えを終えて、首まであるセーターを着ていた。リリオンやレティシアは嘘くさいほどのスタイルをしているが、ミシャはそうではなく腰元の肉付きが何となく生々しい感じがする。リリララよりも胸があるから、いっそうそう思った。
ランタンはミシャに毛皮を返した。肩にそれを羽織り桶を覗き込むミシャは、虎に変じる途中であるようにも見えた。
ミシャは眠気を拭い去るようにごしごしと顔を洗い、濡れた手で寝癖を直している。ランタンは一休みするようにベッドに腰を落ち着けて、ぼんやりとその姿を眺めた。
「あの、ランタンさん」
「何?」
「女の身支度をじっと見るもんじゃないっすよ」
「ごめん、珍しくて」
ランタンはそっと視線を外し、そのまま背を向けて着替え始めた。ミシャはその背中に声を掛ける。
「珍しいって、リリオンちゃんがいるでしょう?」
「見てる暇なんてないよ、一人だともたもたしてるから。どこほっつき歩いてんだろ。食べられてなきゃいいけど」
「竜種よりも強いんでしょう?」
「まあ、そうだけどさ。この量を相手にするのは骨だな。寝起きだし」
「竜籠じゃあ、朝も元気いっぱいでしたよ」
「ほんと? 迷惑掛けなかった?」
「ぜーんぜん、寝る時は温かいし、可愛いし、いい子ですよね。とっても」
「うん」
「しっかりしてるし」
「……うん?」
「あ、ひどい。しっかりしてますよ」
ランタンはシャツから頭を出して、わざわざ首を捻って見せた。するとミシャは低い声で、しっかりしてます、と念を押した。
「はい、ランタンさんお次どうぞ」
「あいよ」
振り返り、しっかり絞られたタオルを受け取った。
ランタンは薄皮を削ぎ落とすように顔を洗う。寒さに硬く強張った皮膚がふやけるような気持ちよさがある。顔を洗い終え。ランタンはごく自然にタオルをミシャに返した。ミシャはそれを桶の縁に掛け、水差しからコップに水を注ぎランタンに渡した。
「美味しい」
「私は温かい方がいいな」
「……そのサイズを温めようと思うと、飲む分は残らないだろうな」
ランタンが、ぼん、と口で言うとミシャは小さく笑った。
ランタンはふと思いだしたように尋ねる。
「ねえミシャ、縁談どうするの?」
「たぶん、断ると思います」
ミシャは溜め息のような声で言う。ランタンはその答えにほっとして、だがまだわだかまるような気持ちがあった。
「たぶん、なんだ。相手のことってどれぐらい知ってるの?」
「あんまり知らないっすよ。歳は八つ上だったかな、人族で、初婚、元操縦士、今は経営に回ってるみたいですけど、会合は母が出てますから実際に会ったことはないっす。だから顔も知らない」
ミシャはランタンの一つ上で、十六歳である。
女の十六は、もう結婚適齢期内であり、今すぐに結婚しても早過ぎると言うことはない。愛情は結婚に至るために無数にある要素の内の一つでしかなく、ともすれば優先順位も高いとは言えず、また必須要素でもなかった。
結婚は親の意思が大きく影響する。多くの場合、それが女であればより多く、子は親の支配下にある。
「ミシャは結婚したいの?」
「考えたことなかったっすよ。でも、いざお話が来ると、やっぱり意識しますね。……憧れてたんだなあって」
同じベッドの隣に座ったミシャは、どこか他人事のように呟いた。
「ミシャは、人を好きになったことある?」
ミシャは驚いて顔を上げ、目を丸くした。呆気に取られた表情のまま、口を開く。
「――そりゃあ初恋ぐらいは済ませましたよ」
「じゃあミシャは――」
「ストップ!」
矢継ぎ早に質問を重ねようとすると、ミシャはコップの冷気に冷えた指をランタンの頬に押しつけた。ランタンは質問を飲み込む。
「ランタンさんばっかり、次は私の番っすよ。はい、ランタンさんの初恋は?」
「わかんない。覚えてない、回答不能」
「ずるい答えっすね。覚えてないって」
「そんなこと言われても覚えてないものはしょうがないだろ」
ランタンが困ったように眉を下げるとミシャはひとしきり笑う。
呼吸を落ち着けるように息を吸い、胸を膨らませた。
「じゃあ、好きになった人は?」
ミシャは答えが返ってくることを期待してはいないようだった。
「ランタンさんの周りって魅力的な方が多いじゃないっすか」
答える暇もなくミシャは続けた。
「リリオンちゃんにレティさま、リリララさん、この前の魔女みたいな人とか裸の人とか、孤児院のちびちゃんたちとか、うちの母だってランタンさんのことお気に入りっすよ。さすがランタンさん、もてもてっすね」
ランタンが後ろめたくなったり、不機嫌になったりしていくと、ミシャは明るく笑った。
「そんな顔しないで、リリオンちゃんは可愛いし、レティさまはお美しいし、リリララさんなんてちょっと口が悪いけど、すごく面倒見がいいっすよ。世の男性は羨みますよ。何かご不満でもあるんですか?」
「別に不満なんてないよ。僕もそう思うし、みんな魅力的だよ。もちろんミシャも」
「あら嬉しい、でもみんなと比べたら私なんて。レティさま、ご実家にいた頃は毎日のように求婚者が門の前に集まったみたいっすよ。貴族のお姫さまはやっぱりすごいっすね」
ランタンは相槌を打ったがそれ以上の言葉も思い浮かばず、気まずい沈黙が這い寄る。
「……リリオンちゃんのこと考えてる?」
「なんでリリオンが出てくるの?」
「何でって、なんとくなく?」
「別にリリオンのことだけじゃないよ。色々考えてる」
ミシャはランタンの横顔を見つめて、眦を下げた。
それにランタンが気が付き訝しむと、ミシャはぷっと噴き出した。
「なに?」
「なにって」
ミシャは肩に羽織った毛皮を外すと、それで包むようにランタンに抱きついた。
「な、なに?」
「悩み事多そうだなって。ランタンさんって、欲張りなんっすよね」
「だからってこんなこと」
「何も言わない人には、なんて言っていいか判らないっすから。リリオンちゃんの気持ちがよくわかるっすよ」
「……面倒臭くてごめん」
「そう言うところ、嫌いじゃないっすよ」
ミシャはそう言って、ランタンの背を撫でると身を離した。ベッドから立ち上がるミシャに、ランタンは毛皮を返す。ミシャは跳ねるような足取りで二歩離れて、大きく背伸びをした。
ランタンは抱きつかれて乱れた襟を整える。深呼吸と、扉が開かれるのは入れ違いだった。
「ねーぼすーけさん!」
顔を出したリリオンは、すっかり起床している二人に驚いて目を瞬かせた。
「おはよう、リリオン」
「おはよー」
「なんでえ、なんで起きてるの?」
リリオンはつまらなさそうに肩を落として、がっかりした。唇を尖らせて恨めしげな視線を向けてくる。
「わたしが起こしてあげようと思ったのに」
「ほら、おはようは?」
「……おはよう」
「ふふ、リリオンちゃんいい格好してるね」
リリオンは髪をベリレの耳のように、頭上で二つの団子にしていた。そして職人が身に付けるような革製のエプロンを着けている。
ミシャに指摘されると、表情を一変させてにっこりと笑って、くるりと回った。エプロンの紐が腰で結ばれているが、今にも解けそうに歪だった。
「えへへー」
「朝っぱらから何してたの?」
もうわかっているだろうに、ミシャはまったく思い至らないと言うように尋ねる。
リリオンは待ってましたとばかりに胸を張った。
「朝ご飯のお手伝いをしてきたのよ」
差し出された手をランタンは握る。リリオンは、よいしょ、とランタンをベッドから引っ張り起こした。
「もう用意できているから、食べに行きましょ」
「メニューは?」
「竜の卵のオムライス! 卵一つでみんなの分が作れるのよ。こーんなに大っきいの、こーんな!」
リリオンは大げさに腕を目一杯広げ直径二メートル以上の大きさを作って見せた。
「本当は?」
「……これくらい」
リリオンは胸の前で大玉西瓜ほどの見えない卵を抱え、すぐに嘘を誤魔化すように二人の手を取り、はやくはやくと急かして笑いながら走り出した。
食堂にレティシアたちはすでに揃っている。リリオンの笑みも、オムライスの湯気も消えてはいないが、なぜかランタンだけが遅いと怒られた。




