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竜籠は北北西に飛んだ。
雲よりも低い高度で、しかし窓は霜付いている。外気温は零下だろう。籠の中に冷気が染みこんできていた。
「服を着ろ、漏らす前に行って来い」
ランタンは外套の前をぴったり閉じて、ベリレは汗が冷えたのか震え、急いで上着を羽織り立ちがある。エドガーが追い払うようにして中座を促すと、ベリレはばたばたした足取りでトイレへと向かった。
「なりはでかくなったが、まだ子供だな。お前は大丈夫か?」
「おじいさまこそ。年を取るとおしっこが近くなるって言いますし」
「余計なお世話だ。生意気な奴だな。俺はまだ現役だぞ」
「うんざりするほど聞きましたよ」
エドガーの話の多くは探索譚であり、女の話はそれに付随する要素に過ぎない。
近くに迷宮が生まれた村を救いそこの娘と結ばれたとか、迷宮を経験したいと我が儘を言う貴族の娘は寝所では素直だったとか、不死系迷宮をともに攻略した聖職者が思いのほか乱れたとか、そう言ったことを軽く流す程度である。エドガーは所帯を持たない。話に出てくる女性との関係は一夜、あるいは一迷宮だけのものである。
「探索者の女はがさつに見えてよく気が利く、優れた探索者であればあるほどな」
性別混合の探索班は珍しくはないが、性別統一班に比べれば数は半数以下である。
混合班は統一班よりも揉め事が目立つ傾向にあった。
探索者全体における女探索者の数はエドガーの全盛期に比べて増大したが、それでも探索者は男の仕事である。
混合班では、男の中に女が一人と言うことも往々にしてある。そしてそんな班の女の立場は複雑怪奇だった。対等の仲間であったり、守るべき対象であったり、あるいは肉体を対価に班に置いてもらっていることも、それを駆使して君臨していることもある。
「男のことをよく見ておる。いらんことにも気付きがちだが、まあそこは男の腕の見せ所だな。気は強いが、強引さに弱いのも多い。――試してみたらどうだ」
エドガーの、あるいは男の目線での話だからだろうか。
男ばかりではなく、女も性に放縦なのである。話の流れで、なんだかよくわからない内に結ばれてしまっている。それで成立しているのがランタンには不思議だった。愛などと言う言葉は一度も使われることなく肉体を許していた。
だがエドガーの武勇伝は不誠実さを感じさせなかった。しかしエドガーを自分に置き換えた途端、ランタンは眉を顰めた。幾人もの女を取っ替え引っ替えするなど不潔だ。獣の所行だ。
だがエドガーと女の間に、喜びは確かに生まれていた。別れの時、女は涙を流すほどに。
「誠実さは美徳だが、それが正しい行動とは限らんぞ」
「なぜ」
「お前は袖にされた女の恥を考えたことはあるか? 受け入れてやることも男の度量だろう。できることなら求めてやれ」
ランタンははっとし、だがどうしても頷くことができない。
そんなランタンを見てエドガーは諭すように言う。
「求められるよりも、求めることを好む女もいる。男も然り。人によって喜びは違うな。だが心は読めん。結果に至る道も一つではない。――数をこなせとは言わないが、何もしないようでは何も始まらんし、学びもできない。喜びを与えることも、傷つけることも。なに、命を取られるわけでもない、……まあ痴情の縺れということもなくはないが」
探索者同士は特に、とエドガーは結んだ。
ランタンは深く考え込んだ。
何をしてやれば喜ぶのか。喜ぶことだけをすればいいのか。相手が喜ぶのならば何をしてもいいのか。
誠実さ。人として正しくあることに囚われている。
傷つけることが怖いのか、傷つけられることが怖いのか。
拒絶されることが恐ろしいのか。
自分の振る舞いは他人のためか、自分のためか。
ランタンは容易く混乱しそうになる思考を断ち切った。
「おじいさまは、どうして結婚なされなかったんですか?」
ランタンは顔を上げ、低い声で問い掛けた。エドガーが珍しく虚を突かれたようで言葉に詰まった。
「相手がおらんだろ、機会も――」
「ありましたよね。お話の中だけでも三つ、四つ」
「――枕話を真に受けては身体が持たん」
老いて、若さと肉体を失った。たった一つの視線が泳ぐ。遠くの過去を見つめた。目も、左腕も、若さもあった時代を。
「ダニエラ先生といい仲だったと聞きましたが」
「どこでそれを」
トイレの扉の向こうから聞こえる唸り声を確認したエドガーは、声を一つ小さくした。
ダニエラはネイリング家の侍女長であり、現在はランタンとリリオンの教師役であり、一昔前はレティシアの教育係であり、それよりももっと昔はエドガーと肩を並べて戦う探索者だった。
エドガーのような男になるな、と言うのがダニエラの決まり文句だった。日頃は謹厳な老婆であるが、その言葉を言う時は女探索者の目になる。怖い目だと思う。
エドガーは渋い顔をする。
トイレの扉をじっと睨みつけたかと思うと、その厳しい眼差しをそのままランタンに向けた。溜め息は重い。しぶしぶと言った風に口を開いた。
「あれは――気性は激しいがいい女だった。今こそ皺だらけだが、当時は美しかった。豹の足がすらりと長くてな、男たちはみな振り返った。探索者としても一級品だ。風の魔道の使い手だったが、白兵戦が好きでな、頭に血が上ると無謀な突撃を繰り返すから、仲間たちはよくお守りをさせられたものだ。いや、こぞって護衛役になりたがっていたかな」
「おじいさまも?」
「風の魔道の中でも、大嵐の魔道は圧巻だった。一発で戦況をひっくり返す。発動に時間も集中力も要するが、何より渦巻く魔精が魔物を引き寄せた。俺はその間、あれに付きっきりだった」
男と女の仲になるまで、そう時間は掛からなかった。
戦闘の役割が、そのまま男女の関係へと横滑りしたのだ。
極限状態における信頼関係を恋愛感情と錯覚したのか、それとも正しく発展したのか。それは当人にしか判らない。
「それは愛と呼ぶものでしたか?」
「――聞いたのがお前でなければ斬っている所だ」
「……申し訳ありません」
血の噴き出すような剣気だった。ランタンはそれを真面に浴びたが、開き直ったかのように平然としていた。ただ耳の先を赤く火照らせている。視線を逸らさぬ顔は切実だった。
それに気が付いたエドガーは苦笑し、剣気を霧散させた。
「当時の俺たちはそれを疑っていなかったはずだ」
「でも、ならどうして?」
四、五十年も昔の話である。だが未だにダニエラはエドガーを許してはいない。エドガーを語るダニエラからは枯れて硬さを増した棘と、枯れてなお散らぬ花のような気配がある。二人で話をしている所を見たこともあるが、和気藹々という雰囲気は微塵もない。
「いつだったか、あれが子を欲してな。初めは冗談かと思ったが本気だった。俺はそれを拒んだ」
一瞬の沈黙は、老人に対する気遣いだった。だがそれでもランタンは聞かずにはいられなかった。
「なぜ?」
エドガーは淡々と答えた。
「死ぬべき時に、死ねなくなるような気がした」
どのような感情とも判らない声だった。目の前の隻腕隻眼の年老いた白髪の大英雄が、新鋭の探索者の姿に重なって見えた。
探索者には死ぬべき時がある。目的を達成する時だ。命を賭して魔物に立ち向かう時、探索班を生かす時だ。班全体が未帰還にならないために、死ぬことも探索者の役割の一つだった。
単独探索者だった頃のランタンにとって、誰かのために死ぬことは頭の片隅に思い浮かぶこともない他人事だった。
かつてのランタンにとっての戦いは、全てが自分のためにあった。
自分のために戦っており、それは生き残るためであり、死を考えることはあっても目的ではなかった。
命を捨てるように危険へ飛び込むこともあったが、それはあくまでも生を掴むための行動である。
今もそうやって踏み込める自信はある。だがその踏み込みを躊躇わせるものは存在している確信があった。
だがエドガーに対して、わかります、とはとても言えなかった。
「敵も多かったからな」
若いエドガーが言い訳がましく呟く。
「どこの誰だろうと、おじいさまの敵ではないでしょう」
「ああ、そうさ。俺を負かせる奴などおらん」
声が次第に老いを取り戻す。
「く、く、く、結局臆病だったのだろうな」
老犬のような眼差しがランタンを捉えた。
「リリオン、あの子は茨の道を歩かなければならん。そしてお前はお前で人目を引く。あるいはリリオン以上にな。……それが少し、羨ましくもある。――そんな目で見るな、老いぼれの負け惜しみだ。お前を見ているとどうにももどかしい」
「すみません。でも、そんなに想っていたのならばどうして他の女と?」
「お前はやけにそこにこだわるな。どうしてだ」
「どうしてって、浮気はいけないことでしょう。好きな人がいるのに、色んな女の人に気持ちが浮つくことはいけないことですよ」
「ふうむ、お前にそれを言われると腹が立つが、まあよい」
エドガーは不愉快そうに顎に手をやったが、それからふと頷いた。
「おい、童貞坊主」
「……なんですか女殺しの英雄さま」
「紙上の迷宮を攻略す、だな」
探索者が使う慣用句だった。実体験のともなわないことを嘲る時に使う言葉だっただろうか。
ランタンは外套の中で、膝を抱えて小さくなった。
「女という生き物は不思議でな。奴ら一度肌を合わせただけで、男の一から百までを知ったような顔をするんだ。自信満々にな、俺という人間を決めつけてくる。時には鬱陶しいが、そうすると男ってのは単純でな、自分に確信が抱ける。安心感とでも言うのかな。その誘惑にはなかなか抗えん、もちろん肉体の快楽にも。お前がそうやって疑問でいっぱいなのは、興味があるからだろう? それは悪い事じゃない。一度やってみればうじうじ悩んでるのが馬鹿らしくなるぞ」
「結局そこなんですね」
「そうだ。男と女は結局そこだ。坊主どもじゃあるまいし、後生大事に童貞守って何になる。新品ぶら下げてたって自慢にはならんぞ」
これ以上いっても無駄だと言うようにエドガーは腕組みをして、ふんと鼻を鳴らした。
「まあいい、お前は俺とは違う。好きに生きるがいいさ。俺がどう言おうとも、お前は好きに生きるのだろうからな」
見捨てると言うよりも、人だと思っていたものが木石か何かだと気が付いたようにエドガーは独り言のように呟いた。
ランタンはその場でこてんと横になった。ずいぶんと酒が回っている。
目を瞑ると暗闇の中に白くぼんやりとした女の裸身が浮かび上がった。酒のせいか罪悪感は少なかった。
暗闇の中の裸身が、見知った輪郭を帯び、よく知った肌の感触を伴うのにさして時間は必要なかった。火精結晶の温かさを、人の体温と錯覚する。
匂いは。
目を開ける。
「ああ出た出た。蛙一匹分ぐらいでした」
「わざわざ報告せんでいい」
用を済ませたベリレがすっきりとした表情で戻ってきた。
干物となった蛙はそんじょそこらの蛙ではない。竜種の餌として魔物と交配された牙蛙の干物である。最大まで成長したものは中型犬ほどの大きさにもなる。
「扉をしっかり閉めろ」
ランタンは起き上がり、ふり返りもせずに言う。
「ああ、悪い。まったくランタンは細かいな。あれ? エドガーさまのお話は」
「今日はもう終いだ、喉が疲れた」
「そうなんですか、ありがとうございました。またお願いします。……どうしたランタン? ぐったりして、トイレ空いたぞ。入るか?」
竜籠が男女別となった理由の一つにトイレの問題がある。
排泄したものを上空から投げ捨てるわけにも行かないので、トイレは汲み取りに式になっているのだ。その上狭く、壁も薄い。うんうん唸る声は筒抜けで、状況によっては排泄音も聞こえるし、臭いだって完全に封じ込めることはできない。
女性陣にとって男女共用は耐えがたい屈辱なのである。リリオンでさえ、ランタンと一緒の籠に乗るのをすっぱりと諦めるぐらいには。
「お前の後に入りたくはない。あと手を洗うまで僕に触るな。手を洗ったらこれ食べていいよ」
皿の上には解すだけ解して手をつけてない干物がある。
想像上の裸身は跡形もなく消え去り、腹立たしさと罪悪感が膨らんだ。ベリレと入れ替わりに立ち上がる。足元が少しふらついた。酔いと眠気の区別がつかない。
「ちょっと寝る。おじいさま、おやすみなさい。ベリレもおやすみ」
ランタンはベリレの耳を意地悪く引っ張って、倒れ込むようにベッドに横になった。
「ごめん。八つ当たり」
「おう」
ランタンは頭から毛布を被った。
「手洗えって言っただろ」
「お、おう。……毛布被ってるのに何で判ったんだ?」
空の旅は快適ではないが安全だった。
不満は振動と寒さとトイレだ。
竜種は風を切って進み、羽ばたくことは少なかった。だが羽ばたきは眠りを妨げるほどの振動を籠内に伝えた。天候不良は雲の上まで出ることで回避可能だったが、雲の上はすこぶる寒く、毛布を被っても足らなかった。
生身で先導するシドたちを思えば籠の中は極楽だが、ランタンはリリオンの温かさが恋しくなった。離ればなれになって四日目である。今日の午後に飛行場に着く予定だ。
籠の中では食べるか眠るか、ベリレと戯れるか、エドガーの話を聞くぐらいしかやることがなかった。
ベリレは左右に鋭く曲がる変化球を身につけ、ランタンは両手投げの精度が向上した。
エドガーはさすがに年の功と言うべきか、武勇伝以外でも尽きることがなかった。様々な土地の話を聞かせてくれたし、世界の理の話も聞かせてくれた。
例えば教会の話。
教会の権力は大きく、それを担保する物の一つに土地がある。
竜種の中には飲まず食わずで一ヶ月以上も飛行し続けることが可能な種類もいるらしいが、人工飼育の竜種は一週間前後が限度である。人工飼育の竜種に求められる素質で最も重要なことは肉体の頑強さでも優れた飛行能力でもなく、飼育のし易さにある。
野生種に比べれば体格は小さく、気性も比較的穏やかなのはそう言う個体を交配させたからだ。
籠という重量物を牽引する竜種は、数を増やせばその限りではないが、一週間も連続で飛行することは難しい。
そのため飛行場は各地に点在する。だがその所有者は限定される。それは領地を有する貴族であり、ひいては王家であり、そして教会だった。
巨人族を極北後に追いやった後、人々はしばしの平穏を過ごした後、世界に再び戦火を投じた。
力を合わせた人間同士の争い。群雄割拠の戦国時代である。
幾百幾千もの国が興り、それらは殺し合い、奪い合い、手を結び、欺き、縮小し、拡大し合っていた。
国はそうやって幾つも生まれては消えていたのだが、宗教は一つだけだった。
もちろん新興宗教は今も昔も存在しているが、教会からしてみればそれは無いも同然の勢力でしかなかった。教会はその頃から存在を確固たるものにしており、生まれたばかりの国であっても教会の一つはあって、民衆は祈りを捧げていた。
中立の誓いを抱く教会の役割は、国同士の対話が行われる際の代理交渉人であったり、仲裁役や保証人であったりする。金貸しも仕事の一つであり、教会が保有する土地はその担保の結果であり、また滅亡の危機に瀕する小国の王は土地を寄進することで教会に保護を求めた。
戦火によって多くの国が焼かれ、滅び、数を減らすにつれて教会の権力は増大した。
教会は戦わずして、保護によって領土を拡大していった。
何か一つ選択が違えば宗教国家が誕生していたかもしれない。そして戦乱の世を生き残った強国によって滅ぼされていたかもしれない。生き残った国々が危機感を覚えるほど教会は力を付けてしまった。
時の教皇の決断は中立の理解を破るものだった。
生き残った強国の一つに肩入れをしたのだ。教会の後押しを得たその国は無事に周辺国を滅ぼし、統合し、戦乱の世を治めたのだった。現在いる貴族は、亡国王家の血を引く者が少なからずいる。
教会は、そして保有していた土地の大半を、真の王へと返納した。
教会によって王は認められ、王もまた教会を認めた。
教会が残した土地は一種の軛である。そこは交通の要であり、水源であり、豊饒の地である。そして教会が建つ土地は、教会の所領となった。
貴族の所領は王によって賜られた物であり、言わば借り物だった。建前上、王家はこれを自由に取り返すことができる。
だが教会の土地は神の座であり、これを侵すことは何人たりとも不可能だった。
「今の教皇は安定志向で、過去の教皇と比べると珍しく欲のない男だ。何か偉大なことを成し遂げたわけではないが、失敗しないことで教皇になった。調整能力はピカイチだな。しくじらないことは、時に成功することよりも難しい」
そう言う話になった理由は、教会が巨人族を悪としているからであると思う。エドガーはわざわざそんな前置きをしなかったが、ランタンは多分そうだと思った。
大地を信仰する教会は、大陸の資源を使い潰した巨人族を悪としている。それは一部で形骸化し、だが人々の胸に根付いている思想だ。
「新年には大聖堂でありがたいお話をしてくださるんだ」
「ふうん、ベリレは聞いたことあるの?」
「何度か。ちょっと太ったおじいちゃんって感じの御方だよ。話は、――……あんまり覚えてないけど」
「不真面目だね。まあ僕もあんまり興味がないな。説法ってどうにもつまんないし」
「罰当たりだな。大聖堂は毎年超満員で、外まで溢れ出すほどだぞ」
「大聖堂ですか。それは見てみたいな」
見てみたいと言えばレティシアの家族もそうである。ネイリング領に近付きつつあって、実際に会うのだとようやく実感が湧いてきた所だった。
「ほう、お前が男に興味を持つとは」
「男ではなく、レティの家族です。少しは聞いたけど、なかなか詳しくは聞き辛いですから」
「二人ともいい若者だ。ヴィクトルの喪失からも、もう立ち直っておるだろうよ。生前は、あれを立てすぎるきらいがあったが、隠れ蓑がなくなった今はどうなっておるかな」
エドガーは懐かしそうに言う。
「ファビアンはお前と気が合うかもしれんな。少し神経質な所があって、博識で面倒見がいい。いざとなればあれが後を継げば問題は起こらんだろうよ」
「俺も槍術の手解きをしてもらったことがある。優しくはないけど、いい人だよ」
「シーロの方は、まだ子供だな。良くも悪くもヴィクトルの後を追いすぎた。武に関しては追えるほどの天稟だった。ネイリングという意味では、これはその本質に迫る種だ」
「強いですか?」
「滅法な。お前と同じく敵には容赦がないが、お前よりも質が悪いとも言える」
「……ランタンは、あんまり好きなタイプじゃないかもしれない」
ベリレは遠慮がちに、だがはっきりと言った。ランタンはじろりとベリレを睨んだ。
「僕の好きなタイプとか判るの?」
「素直なのが好きだろ。リリオンみたいな」
反撃ですらない、ただ当たり前の事実を告げただけだった。だがランタンは言い返すこともできずに黙り込んだ。
何を今さら、と師弟はランタンに呆れた眼差しを向ける。ランタンはそれにすら気付かない。
「さて、もうネイリング領だ。飛行場ももう見えるはずだ。どうせだ、ランタン、外を見てみるか?」
小突かれて、ランタンは我に返った。
「――……窓、曇っていますけど」
竜籠は雲の下を飛んでいたが、窓は内外の温度差によって曇っている。そもそも小さな窓から見る景色は代わり映えがせず、初日にもう飽きてしまったほどだ。
エドガーは意味深に笑い、やおら立ち上がる。ベリレに促されてランタンも立ち上がった。そしてエドガーは籠の扉を開いた。籠内の空気が一気に吸い出され、ランタンはベリレの身体に掴まった。
「何考えてんですか!?」
気温差が失われる。一瞬にして零下近くにまで室温が下がった。まだぼんやりしていた意識が覚醒した。一歩間違えれば外に吸い出されていた。
「ほれ、ランタン顔を出せ。顔洗う代わりになるぞ」
ベリレにベルトを掴んでもらい、ランタンは四つん這いになって外へと顔を出した。
「ひい、寒い、冷たい、痛い」
容赦なく叩き付けられる風が、顔いっぱいを抓られるような痛みを感じさせた。髪や睫毛が凍り、唇がくっついた。ごうごうと流れる風の音以外何も聞こえない。
ランタンは縁を掴む手を一つ外して顔を隠して、どうにか遥か眼下に広がる大地を見た。
急に音が消えた。
高い。
霧に霞むように白む景色が広がる。色褪せた森。ちらほらと積もった雪。緑を残す草原。動く雪原は、羊の群か。
ランタンは息を止めて、冬の大地を眺めた。飛行場は、あの森がそうだろうか。小鳥の影かと思ったそれは、哨戒飛行する竜種である。それほどに小さく見える。
圧倒されるほど広い。
胸が苦しくなって、ランタンは水面から顔を上げるように顔を引っ込めた。
「ぷは、はあ、耳千切れそうだ」
真っ赤になった耳を温める。
「ネイリング領って、どこから、どこまでが、そうですか?」
息も絶え絶えにランタンが尋ねると、ベリレが笑った。睨むと慌てて口を押さえる。だが目が笑ったままだった。
「お前の目に映る全てがそうだ」
レティシアは、ランタンの想像を遥かに上回るお姫さまである。
ランタンはもう一度、大地を見下ろした。
「そして、それで全てではない」
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