表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カボチャ頭のランタン  作者: mm
06.On The Origin Of Species
141/518

141

141


 寒中水行をした少年たちが風邪を引かないようにランタンは火を熾してやった。そして少年たちは火に当たりながらランタンとベリレとの格闘戦を息をするのも忘れて見つめていた。

 少年たちがすっかりと震え上がった所で、ランタンは戦闘を切り上げ、したくもない説教を行う。

 クレアに頼まれたのだ。

 ここの孤児院の男の子は、下街でたくましく生きる少年たちと比べると育ちがいい。だがそれでも血気盛んであることに変わりはない。

 力を得たらそれを使いたくなるのが人の性だ。ベリレの訓練を乗り越えることで身に付いた自信は、過信へと容易に変じる。

 騎士への復讐。その想像は甘美なものだ。

 だが正規の訓練を受けた騎士の実力は、探索者には及ばずとも、少年たちを蹂躙して余りある。

 小さなレディたちの盾となって死ぬのならよい。だが返り討ちに遭うだけの復讐など自殺と同じだ。遺恨を再燃させない分、自殺の方がまだましかもしれない。

「素直でよかった。エドガー老曰く、言うこと聞かない場合は見せしめに一人ぐらいは斬っていいらしいから」

「いや、言ってたけど、状況が――」

「頭が重くて困ってるならいつでも言ってね。軽くしてあげるから。あれ、俯いてるけど大丈夫? 頭が重いのかな?」

 ランタンは散々少年たちを脅して、それからリリオンも手伝った昼食を一緒に摂った。

 働きに出ている年長組を引いて二十名弱の子供たちとの食事はなかなかに壮観だ。

 賑やかと言うべきか、喧しいと言うべきか。食べることがそのまま生き死に直結するのだから、行儀よくなどとは言っていられない。嵐のような食事である。

 食後、各々食器を洗うと自由時間で、幼子たちはもっぱら昼寝の時間になる。

 だが小さな子たちの勘は鋭かった。寝ている間に帰ってしまおうと思っていたのだが、勘づかれてしまった。

 ランタンはすっかりと困った顔をする。

「やだ。かえっちゃ、やだ」

 猫の少女がランタンにしがみついて離れなかった。涙声でランタンを引き止めて、涙を隠すように顔を押しつけてくる。

「大丈夫だよ。寝るまでいてあげるから」

 ランタンは少女の頭を優しく撫でる。ぴんと逆立った毛並みと尻尾が、抗えぬ力に押さえ込まれるように弛緩した。少女は尻尾を股の間に挟み、やがてすうすうと寝息を立てる。犬の少女と抱き合いながら眠っている。

「ランタンさま、すみません」

「いいえ、なかなか楽しかったです。ちょっと都市まちを離れますので、しばらくは会いに来ることができませんが、また寄らせてもらいます」

 ランタンたちは忍び足で孤児院を後にした。

 強盗騎士は責任者である貴族の領地に送還される。報復されることはないだろう。

 だが下街で暮らす以上、大丈夫という言葉は慰め以外の何ものでもない。無垢な心を騙したも同然だ。ランタンがそんなことを考えていると、リリオンがランタンの顔を覗き込んだ。

 子供たちといた時は大人びていた表情が、今は幼く見える。

「大丈夫よ、ランタン」

「何が」

 淡褐色の眼差しが黄金の色合いを帯びた。疑いや不安のない、確信に染まった色だ。

「ランタンの大丈夫は、本当に大丈夫なんだなって気持ちになるのよ。大丈夫じゃなくても大丈夫になって、大丈夫がもっと強い大丈夫になるの。だからランタンの大丈夫は大丈夫なのよ」

「……慰めてくれてるのか、混乱させようとしているのかどっち?」

 ランタンが頭を押さえて渋い顔をすると、リリオンは不満そうに頬を膨らませた。そんな二人の様子にベリレが笑いを堪えるように低く喉を鳴らした。

「そんなに心配なら、俺が泊まってもよかったな」

「可愛い子でもいたか?」

「そんなんじゃない。――そもそも、俺はもうちょっとこう身体付きが、いや、なんでもない」

 ベリレは両手を何か丸みを帯びたものを掴むような形にしたかと思うと、リリオンの視線に気が付いてそれを硬く握り潰した。眉間に皺を寄せて何やら凜々しい顔になっているが誤魔化しきれていない。

「こう、なに?」

「なんでもないから、聞くなって」

「ランタン」

「僕にも聞かないでよ。まあ、リリオンは()()()()みたいだから関係ないことだよ」

 ベリレの大きな手が作った大きな半球はレティシアのそれでも足らないだろう。

「わたし、だめなの?」

 ベリレはぎくりと顔を強張らせてランタンを見た。

 ランタンが白々しい顔をしているので、ベリレはいかにも勇気を出したというような感じで、ダメではないけど、ともごもごと言う。リリオンはよくわからないようで小首を傾げ、ベリレはあからさまな咳払いをした。

「――それで今からどこ行くんだ?」

「取り敢えずグランさんとミシャの所に寄りたいとは思ってるんだけど」

「こっからだと工房の方が近いな」

「でもこの時間帯だと工房は忙しいからね、どうしよう」

「ミシャさんの所行きましょ! それでミシャさんも一緒に工房に行くの!」

 なんでだよ、とランタンは心の中で呟いたがリリオンの案を採用することにした。

 ミシャを工房へ連れて行くかどうかは別として、引き上げ屋で最も忙しいのは起重機が出発する朝と、起重機が帰還する夜である。昼は比較的暇をしているはずで、ミシャはおらずともアーニェはいるはずだった。

「あれ? 閉まってる」

 詰め所の明かりは落とされていて、扉に鍵も掛かっていた。だが車庫も閉ざされているが、朝方に起重機が出かけた名残が地面に刻まれている。

「なにかあったのかな?」

 リリオンが心配そうに暗い店内を覗き込んだ。息が窓を白く曇らせるぐらい顔を近づけていた。

「……起重機のことで、組合にでも行ってるんじゃないか? 引き上げ屋も結構ごたごたしているってエドガーさまが言ってたし」

「しょうがない、また明日、出直そう」

 踵を返し、グラン工房へと向かう。

 工房への道すがらに、見知った顔があった。

 そこには魔女と、彼女の兵隊の一人がいた。兵隊は片腕を失い、右の袖が風に吹かれてゆらゆらと揺れている。魔女は兵隊を無視するように歩いていて、兵隊はそんな彼女に追い縋っている。そんな二人をランタンばかりではなく、色んな人が見ていた。

 兵隊は、見捨てないで下さい、とか、あなたのお役に立ちたいんです、とかそんなことを人目も憚らずに言っている。

「あ、ランタンと戦った人ね」

「……見なかったことにしよう」

 例えばランタン一人であったら、見て見ぬ振りをすることができたかもしれない。

 だがその隣にいるリリオンとベリレの長身巨躯は物凄く目立つ。そしてリリオンの存在は、そのままランタンがそこにいることを伝える灯台の役割も果たすのである。

 魔女が大股歩きでずんずんと近付いてきて、ランタンの腕を取った。

「ちょうどよかったわ」

「え、あの」

「私は用事があるの。今日はもう帰りなさい」

 戸惑うランタンなどお構いなしに、魔女は一方的に兵隊に告げる。兵隊は哀しそうな顔をして、ランタンと魔女の顔を見比べると、萎むように肩を落として背を向けた。

「いいんですか?」

「頭を冷やす時間が必要なのよ。腕を無くして、探索者なんてできるわけがないじゃない。――悪かったわね、巻き込んで。熱は下がったみたいね」

 魔女はランタンの熱を測り、リリオンとベリレに軽く会釈をする。二人とも少し緊張しているようだった。魔女と兵隊の修羅場は子供には刺激が強かったようだ。

 別れ話である。

 男と女のそれではなく、探索者としての別れ話だ。

 探索によって怪我を負った探索者は、一時的、あるいは永続的に探索から遠ざかることになる。

 班員が一時的に離脱した場合、探索班は傭兵や友誼を結んでいる探索班から人員を借りて戦力を整え、離脱者の復帰までを間に合わせる。

 離脱者が、班員ないし班全体と何かしらの問題を抱えている場合、復帰を待つことをせず新規班員を補充することもあったが、極限状態を共にした探索者同士は憎悪であれ何であれ、硬く結びついており、泥沼の別れ話になることもしばしばだった。

 だが上手くいっている探索班でも、その結びつきを解かねばならない時が、残酷なまでに確かに存在した。一つは未帰還、探索中に死亡した場合。そしてもう一つが重い後遺症が残った時だ。

 エドガーという例外中の例外もいるが、四肢の欠損はそれが四つある内の一つだけだったとしても、探索者としての寿命は尽きたに等しい。

 探索に最も重要な戦闘能力はどう足掻いても半減では済まないし、それは自らの命だけではなく、仲間の命も危険に晒すことになる。

 だがそれでも探索者は探索者以外の生き方を知らない。自らの探索者人生に、自ら終止符を打つことは難しい。

 ゆえに指揮者が引導を渡すのである。

「あれはまだ二十六だから、田舎に帰るように勧めたんだけどね。腕が無くなって探索者はできないけど、探索者として鍛えた身体があれば畑仕事ぐらいはできるでしょうし」

 とは言え兵隊は探索者に未練があると言うよりは、魔女と別れることに未練があるように思えた。

 ランタンはわざわざそれを口にするつもりはなかったが、魔女はうんざりしたように溜め息を吐く。

「田舎は捨てたなんて親不孝なことを言っていたけど、それならサラス領にでも向かえばいいんだわ」

 魔女の言葉にランタンは苦いものを飲み込む。

「そこは、いい噂を聞きませんが」

「あらそうなの? 傷痍探索者の仕事が多くて、それなりの扱いを受けるって聞いているけど。お金稼ぎが上手な貴族の領地はいいわよ。社会保障もしっかりしているし、傷痍探索者を喜んで迎える貴族なんてそうそういないわよ」

 魔女はサラス領をかなり評価しているようだった。

 伯爵は自らの欲望を満たすために金を惜しむことはない。元々が豪農であったためにそのノウハウを活かして、農産物の輸出でかなりの利益を稼ぎ出している。その労働力は人族よりも肉体的頑強さに優れる亜人族や元探索者であり、彼らには充分な賃金が支払われていた。そしてその噂が、更に亜人族や傷痍探索者をサラス領に呼び寄せるのである。

 伯爵の趣味は、そういって集めた者たちの中からほんの一握りを選りすぐって行われる。それはどこの領地でも見られる支配者の息抜きかもしれない。兵隊がそこへ行ったからと言って、伯爵に選ばれる確率は低いだろう。他の領地よりも被害者の実数や、比率だけ見ればマシなのかもしれない。

 だがランタンは想像するだけで、胃の腑が溶岩で満たされるような気分になる。

「あなたがそう言うなら、なにかあるんでしょうね。なんにせよ、今は私の言葉は届かないわ。――人間性は吟味したつもりだったんだけど、面倒なことね」

「そんな言い方ってないわ」

 リリオンが咎めるような口ぶりで呟いた。魔女の怜悧な視線が向けられると、慌ててランタンの背中に逃げ隠れる。だって、と魔女にも聞き取れる大きさの声で言い、あなたのことが好きなのに、と消えそうな声で囁く。

「私の研究には不要な要素よ」

 ランタンは哀しそうな、悔しそうなリリオンを撫でてやり魔女の短杖をちらりと見た。

「研究って何をされてるんですか?」

「物質を凍らせる魔道の研究よ」

「ああ、確かにすごいですもんね」

「それと魔道付与(エンチャント)装備の遠隔操作」

「遠隔操作?」

「肉体の強化を得意とする探索者は魔道の才能がからっきしで、上手に魔道具を扱えないことも多いでしょう」

 魔女はランタンを横目に見る。ランタンはその視線を受け流すようにリリオンを見た。

「魔道具は探索者の戦力を大幅に向上させる。本来それを使えない者でも、遠隔操作が可能ならば指揮者次第で強力な力を得ることができる。才能ある指揮者が、魔道具を適切に運用することによって探索班全体の戦力を大幅に向上させることができる」

 例えば意識の喪失、あるいは痛みによる行動阻害、不意を突かれることによる反撃不能、距離による援護遅延。

 不意の事態であっても指揮者さえ状況を把握していれば生を繋ぐことが可能になる。そればかりではない。ただの前衛戦士が全距離での戦闘可能な魔道戦士になるだけではなく、遠距離攻撃可能な強力な媒介を所持することによって実質的な魔道使いとなることも可能なのである。

「操作は、……魔道具だけですか?」

「ふふ、勘がいいわね。究極を言えば、他人の支配下にある魔精の操作に行き着くんでしょう。でもそれは研究が禁止されているの。その研究は人間をただの魔精結晶にしてしまうもの。あるいは人間そのものを操ることもできるのかもね」

「怖いですね」

「――全ては使う人間次第よ。私は遠隔操作を戦闘での使用に絞って研究しているけど、例えばこれを情報の伝達として研究している人もいるわ」

 魔女の言葉に、ああなるほど、とランタンは頷いた。リリオンとベリレは首を捻っている。

 魔女はたった一言で納得したランタンに驚いているようだったが、同時に知ったかぶりをしているんじゃないかと訝しんでいるようにも見えた。

「どういうこと?」

 リリオンがランタンの肩を揺らした。

「例えば魔道は意志に形を与えて発現させるよね。炎とか水とか雷とかで。それを考えていることを言葉にするみたいに、そのまま魔道にする、のかな。攻撃範囲が、そのまま意思伝達の範囲になる。遠く離れている人に、言いたいことを言える。――あ、意志を読み取るんじゃなくても音声振動を再現してもいいのか、どうやって再現するのか知らないけど」

 ランタンが冗談めかして魔女に笑いかけると、魔女は何とも複雑そうな顔つきでランタンを見下ろしている。

 魔女はランタンの頭を鷲掴みにした。

「頭蓋骨の中にあるものを見てみたいものだわ」

「ダメよ!」

 半ば本気でそんなことを言うものだから、リリオンが慌ててランタンを掻き抱いて、外套の中に包み、魔女の視線を遮った。

「隠さなくたっていいじゃない。冗談よ。切り刻むなんて勿体ないことはしないわよ」

 リリオンの体温に包まれてなお、ランタンは何故だか寒気が止まらなかった。

「するなら綺麗なまま冷凍保存して観賞用ね」




 研究者は一癖も二癖もある人物が多い。

 ランタンはグランもそんな人物の一人だと思う。だが親方職人(マスター)を冠するこの老職人は、ランタンが工房を訪れると破顔して迎え入れてくれた。相変わらずもじゃもじゃの髭をしており、髭から覗く顔が炉の熱に炙られて赤々としている。少なくとも冷凍保存されることはなさそうだ。

 新しい戦鎚をリリオンに手渡されてから、ランタンは病気をしたこともあり工房に顔を出すのが遅くなった。

 ランタンはグランに小言を言われる前に、ベリレの背中をせっついて彼に担がせた酒樽を職人の前に差し出した。

「皆さまでどうぞ」

「おお、こりゃ良い酒だ。気が利くじゃねえか。――おおい、坊主たちからの差し入れだ。奥に運んどいてくれや。味見ぐらいならいいが、仕事に障るほど飲むんじゃねえぞ!」

「うえいっす!」

「俺の分は残しとけよ」

 職人は樽を斜めに傾けると、慣れた様子でそれを転がして運んでいく。ベリレが苦労して担いできた酒樽が、まるで空樽であるかのように軽々と運ばれていった。

 ベリレが少し驚いた様子でそれを見つめて、見えない敵を相手にするように身体を捻った。胴払いの動作だ。樽転がしを極めれば、竜種だって投げ転ばせるかもしれない。

「お忙しいですか? 今」

「人生暇なしよ。長生きしたってあと二十年ぐらいしかねえんだから。おいこら、帰ろうとするんじゃねえ。仕事の効率を高めるには無駄な時間も必要なんだよ」

 回れ右したランタンの襟首を引っ掴んで、グランは放り投げるように強引に座らせた。

「なんだか大変だったみてえだな」

「まあ、それなりに」

「はっはっはっ、勲章働きをしてそれなりたあ、言うことが違うな。お、なんだか立派になったんじゃないか?」

「あんなもので立派になれるんだったら、世の中悪人は存在しないですよ」

「それもそうだな。背も伸びねえし」

 ランタンが肩を竦めると、グランは豪快に笑った。そしていつもみたいに腰の物を要求する。ランタンが戦鎚を渡すと、一通りに検査が始まった。

「欠けも歪みも無し、我ながらいい仕事してるな。使い勝手はどうだ?」

「少し重い感じがします」

「それは身体を鍛えろ。こいつはな――」

 始まった、とランタンは思うが顔には出さない。リリオンは隠しきれず身構え、ベリレはエドガーで慣れているのか勘づいたようで、背骨を立てて精神を統一させた。

 まず戦鎚の素材説明から始まった。

 柄は多頭竜の皮や腱を乾燥させ、細く引き裂き繊維状にしたものを魔道鋼で皮膜し、縒り合わせたものであるらしい。いわゆる鋼索(ケーブル)に近い造りをしている。これを縒り合わせる際に特殊な粉末をまぶし、棒状になったところで焼結することで、鋼索の柔軟性と折れず曲がらずの硬度を両立することができるらしい。

 目を凝らせば、極々うっすらと複毛細血管のような繊維の流れを確かめることができる。これによって装備者の魔精が効率的に先端の鎚頭に送られるようだ。魔精にも毛細管現象が働くとは驚きである。

 グランは毛細管の、も、の字も口にしなかったがランタンは適当に頷く。

「へえ、そうなんですか」

 言っていることの半分も理解はできていない。だがランタンの相槌にグランは満足そうにしている。それが如何に摩耗、破断、屈折、熱変形、熱劣化等々の耐性を持ち合わせているかを自慢するように語った。

 そしてついに鎚頭である。だがグランは不意に、先程までの弁舌を潜めさせた。

「鎚頭の設計は、実は俺じゃねえんだよ」

「え、そうなんですか?」

「もちろん俺が手直しをしたが、最初から魔道式ありきとなると専門家が必要になるだろ。俺だって門外漢って程無知じゃねえけど、実際に魔道を使えるわけじゃねえからな。それで、あー、なんだ」

 ちょっと紹介しておきたいんだが、とグランは落ちつかなげに髭を揉んだ。

「構いませんけど」

 グランは自らが提案したくせにどうにも気乗りしないようだった。職人は腰も重たそうに立ち上がると、おおいちょっといいか、と階上に声を掛ける。弟子を呼ぶ時とは違う声の出し方だった。

「リリオンは知ってる? 前来た時とか」

「知らない。だって急いでたもの」

 迷宮崩壊事件の時、リリオンは血相を変えてグラン工房に飛び込んで、出来上がったばかりの装備を奪い取るみたいに装備したらしい。自らの振る舞いを思い出したのか、リリオンは恥ずかしそうにしている。顔を真っ赤にして泣いてたもんなあ、とベリレが呟くと噛み付くみたいな顔で睨みつけた。

「言っちゃダメでしょ、もー!」

「う、すまん」

 リリオンが唸り、ベリレは肩を小さくする。そしてグランの何度目かの呼びかけで、設計者にして魔道式の記述者が階段を下りてきた。この工房の親方であるグランの呼びかけに、こんなにゆっくりと応える人間がいることが不思議だった。

「大きな声を出さないでちょうだい。聞こえているわ」

 そしてこんな風な口を聞くことも。

 億劫そうな、低く枯れた女の声。年老いていると言うよりは、久々に口を開いたというような感じだった。現れたのは、ぱさついた金の髪を無造作に垂らした女だ。ゆったりとした黒い法衣ローブを身に纏っており、だが袖は複雑な意匠が施された腕輪で絞っている。

 不健康そうに白い肌、充血した白目、濃い色の隈が女が寝不足であることを伝えてくる。眦や口元の皺に年齢を感じさせるが、グランよりもだいぶ若い。四十前後ぐらいだろうか、疲労が抜ければもう少し若く見えるかもしれない。

「エーリカさんに似てる」

「そう?」

「……いや、似てるよ」

 リリオンの呟きにランタンは首を傾げたが、ベリレは同意した。グランがランタンたちを振り返る。

「あー、紹介しよう」

「ふうん、これがあなたのお気に入りね。それに巨人族の娘」

 グランの言葉を無視して、女が観察するような視線をランタンに向けた。そこには悪意も敵意もなく、ただ冷静さだけがあった。グランが、おい、と声を掛けるがまるで聞いてはいない。

「娘が世話になったようね。カーリナ・グラン・ヤニシュカよ。工房では魔道式の記述を、たまに手伝わされたりしているわ」

「娘って、え?」

 ランタンがぽかんとした声を上げると、カーリナは首に巻き付く金髪を面倒そうに払った。

「エーリカよ」

「ほら、やっぱりそうじゃない! だって似ているもの、わたしすぐわかったわ!」

「え、は。ってことはグランさんの奥さん?」

「そうなるわね、――はじめまして」

 ランタンが驚いている横で、リリオンとベリレが挨拶をしている。ランタンが困惑の視線をグランに向けると、グランはバツの悪そうな顔をして、そういうことだ、ともじゃもじゃの髭の下で口を動かした。

 説明好きのグランだが、これについて説明する気はないらしい。新しく生まれ変わった工房は、カーリナを迎え入れるためだったのだろう。

 夫婦となり、娘を授かり、だが別居していたグランに、そしてカーリナにどのような心の変化があったのか。ランタンにはまるで判らなかった。ただ他人事なのに、少しだけ嬉しい気持ちが湧く。

「それで私は、あなたのお気に入りを紹介されるために、作業を中断させられたのかしら?」

 カーリナも、魔女と同じく魔道ギルドに籍を置く研究者だった。彼女の研究内容は物質への魔道付与(エンチャント)。ランタンの戦鎚、その先端を包む三重の環の内側には、爆発を補助する魔道式が記述されている。

「重さに違和感? それは違和感ではないわよ、正しく式が作動している証拠だわ。その三つの円環に刻んであるのは重力の魔道式よ。最近、重力魔道のいいデータが公開されたから、使ってみたかったのよ。いいこと? 爆発の威力を高めるには如何に内部圧力を――」

 カーリナはぴんと指を伸ばした。指先は魔道式を刻む際に出る鉄粉によって黒く汚れていた。グランとお揃いの、職人の証だ。

「お父さん、ランタンさまが来てるって――」

 カーリナの説明を遮って、エーリカが顔を覗かせた。金の髪を一纏めにしてエプロンを着けていた。エーリカは柔和な笑みを浮かべる。カーリナは立てた指を、行き場無く彷徨わせ、ゆっくりと降ろした。

「いらっしゃいませ、お身体はもう大丈夫? お父さんも来てるって言ってくれればいいのに、――あ、母の紹介は」

「していただきました。並ばれると親子じゃなくて姉妹に見えますね。若く――」

「もう若くはねえよ」

 笑いながらグランが言い、カーリナは冷ややかに返した。

「あなたよりも十五若いわよ。永遠に」

「じゅうごさい!」

 ランタンもリリオンも驚いたように声を上げた。自称十五歳と、まだ十歳の少年少女にとっての十五年は千年に等しい時間のように思えた。リリオンは丸く口を開けたままで、ランタンはおそるおそる尋ねる。エーリカは二十台半ばぐらいの筈だ。

「結婚は、お幾つの時に」

「三十年ぐらい前だったか。俺が三十ぐらいで、これが十五の時だ、あれ十四だったかな」

 ランタンが絶句すると、グランはその様子がさも面白いというように笑う。

「ああそうか、坊主と同い年だもんな。けどそんなに珍しいこっちゃねえぞ。三十年前の十五の女っていやあ、行き遅れに片脚突っ込んでるみたいなものだからな」

「悪かったわね。未だに結婚しない、親不孝な娘で」

「いや、そういう意味で言ったんじゃ」

 人を愛する、その先にあるものは結婚だとランタンは思う。それを考えると緊張してしまう自分がいた。十五歳で結婚したと聞いて、結婚が現実的に行われる営みの一つだと、ようやく理解したというように。そして目の前の十五歳差という存在が、リリオンとの差を無意味な物のように感じさせた。

「あのっ」

 リリオンがわざわざ真っ直ぐに手を上げて質問をする。

「どうして二人は結婚したんですか? 一緒にお買い物したり、お風呂に入ったり、探索したりしましたか?」

 リリオンは目をきらきらさせて、頬を薄紅に昂揚させていた。

 だが返ってきた答えは、リリオンの望むものではなかった。

「所帯持ちじゃないと親方株がもらえんからな。俺は自分の店がほしかったんだよ」

「私は私の研究のためね。この人の所に嫁げば、研究資材に困らないもの。成果を出さないと予算が下りないのよね」

「……えっと」

「この人は石ころや鉄くずにしか興味が無くて、私は私の研究にしか興味がなかった。それだけのことよ。結婚前なんて、一度顔合わせをしてそれっきり。必要なものは感情ではなく理由だわ」

 リリオンは途端に不思議そうな顔をした。

「どうして? 結婚は、好きな人が一緒になることなのよ。ねえ、ランタン、そうでしょ?」

 ランタンは頷く。リリオンは夫婦に間違いを教えるみたいに、ほら、と言った。はきはきとした答えが返ってこずに、リリオンはしゅんとする。

 エーリカは気にした様子もなく、ベリレはエプロン姿のエーリカに見惚れてなにも耳に入っていない。

「さて、説明の途中だったわね」

 カーリナはぴんと指を立てる。

 幸か不幸か、リリオンの哀しみは長くは続かなかった。

 十五年が一瞬に思えるほど長い、意味不明の専門用語に塗れたカーリナの講釈によって、哀しんでいるどころではなくなったのだ。グランの説明に輪を掛けて、カーリナの言葉は難解だった。

「そうなんですか」

 白々しい相槌を打ちながら、似た者夫婦め、とランタンは心の中で悪態を吐く。

 リリオンも、もしかしたら同じようなことを思っているのかもしれない。

 眠らぬようにと太股を抓る少女の真面目さに、ランタンは笑いそうになった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ