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カボチャ頭のランタン  作者: mm
01.Take Me By Storm
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014 迷宮

014


 ランタンは手の中で戦鎚を弄びながら、リリオンと赤錆狼(ラスティウルフ)の戦闘を眺めていた。

 リリオンは剣を袈裟懸けに斬り落とし、殴りつけるように盾を振り回し、更に止まることなく剣を横に薙ぐ。一つでも当たればその瞬間に生命の灯火をあっけなく吹き消す暴風のような攻撃をリリオンは休むことなく繰り出している。

 頬が赤く上気して、後退のギアが壊れたようにひたすらに攻め続けて、剣撃は更に激しさを増してゆく。

 リリオンの体のキレはなかなかいい。が、ランタンの目には自らの力に振り回されているように見えた。反面、狼は攻撃を避ける事だけに専念していて、それは最後まで残った実力か、あるいは幸運によるものか、リリオンを翻弄しているようにも見える。

 弄ばれていることにリリオンは気がついていないだろう。

 頑張って戦ってはいるが、決め手にかける。

 狼がリリオンの一撃を避けて飛びかかった。だがそれは攻撃ではない。叩きつける盾を柔らかく蹴ると大きく後ろに跳躍したのだ。ゆっくりとリリオンを観察するために。

 リリオンからしてみれば身体の調子が良く、盾も剣も手の延長のように扱えて、尚且つ一方的に攻めているのだから自らの疲労の蓄積に気が付かないのも無理はない。リリオンは後退した狼に盾を構えて突っ込んだ。走るつま先が何度か地面に擦るが、勢いに任せて前進している。今にも転びそうだ。

 敵の眼前ですっ転ぶリリオンと颯爽とそれを助ける自分の姿をランタンは幻視して、ゲンナリとした表情を作った。加勢しようと思っていたやる気がみるみると減衰していく。足を踏み出したが最後、青臭い英雄願望が心の内に芽吹きそうな気がしたのだ。

 だがそんなものは加勢をしない理由にはならない。やりたくはなくても、やらなければいけないのだ。

「はぁ……」

 溜め息を一つ。

 リリオンには経験と自信を積ませたいが、そろそろタイムリミットが近づいている。これ以上の体力の消耗は以後の探索に支障を来す可能性が高かったし、飛び出すタイミングによっては幻視した陳腐な英雄譚に出てくるダサい勇者の登場場面が現実のものとなる羽目になりそうだった。リリオンの一撃の剣先が泳ぎ始めて、狼は少しずつ回避から攻撃へ転じようとしている。

 ランタンはきょろりと地面を見渡して、リリオンが砕いた地面の一欠片を持ち上げた。拳大ほどの大きさで硝子質なそれは砕けやすそうだが、それなりに硬度はある。ランタンは地面に戦鎚を突き立てると、それを手の中で転がしながらタイミングを見計らった。

 狼はリリオンに集中しているが、リーダー格の死やランタンの存在に気がついていないわけではない。ただ闇雲に石片を投げつけても躱されるのがオチだろうし、そもそも動きまわる標的に直撃させる自信がなかった。狙うのならばリリオンの攻撃を避けた直後の硬直だ。

「よっ――」

 ランタンは大きく振りかぶり、リリオンの上段斬りを躱した狼に向かって石片を投げつけた。石片は目にも見えない速さで着地点に目掛けて真っ直ぐに向かっていく。そして狙った位置にぶつかって爆ぜた。

「――し、……じゃない」

 ランタンはグッと握り締めた拳を緩めて戦鎚を地面から抜いた。

 ランタンの投擲した石片は、狙った位置はちょうどよかったのだが、その速度が早すぎて狼が着地するより先に地面にぶつかってしまった。弾けた時の爆発音にリリオンが少しびっくりしただけだ。

 ランタンはむくれた顔付きで、爆発音に一瞬止まったリリオンの剣の脇を軽やかにすり抜けて、狼に接近した。その狼は巨躯の狼よりも一回り以上小さく細い。いかにも俊敏そうで、急に近づいたランタンに反応して爪を振り回した。

 ランタンはタイミングをずらして左右から襲いかかる爪を一つは躱し、もう一つは戦鎚で受け止める。そのまま狼は体重をかけて噛み付こうとするが、巨躯の狼に比べれば半分ほどの体重しか無い細身ではランタンの動きを封じることはできない。

 ランタンは狼が伸し掛かる戦鎚を片手で保持しながら、狼の鼻頭に無造作に左のフックを叩き込み、前蹴りで狼を吹き飛ばした。

「リリオン、止めを!」

「はいっ!」

 元気の良い返事をして爆発音の驚きから立ち直ったリリオンがランタンを抜き去ってもんどり打つ狼に駆け寄った。大剣を肩に担いで、狼が間合いに入ると勢いよく大剣を振り下ろした。

 狼は吹き飛んだ勢いを利用するようにその一撃を避けようとしたが、ランタンの前蹴りによって腰椎を砕かれていた。身を捩ろうとする上半身とは裏腹に、狼の下半身はピクリとも動かない。

 そしてリリオンの一撃は狼の身体を両断して止まらず、地面をも切り裂いた。

「うん、上出来」

 ランタンは痙攣するように藻掻く上半身だけの狼に歩み寄ってその首を踏み折り、リリオンに労いの言葉を掛けた。ぽん、と叩いた肩が熱い。まるで肩甲骨が放熱板であるかのように熱気が立ち上っている。

 リリオンは大きくゆっくりと息を吐いて、地面に刀身の半ばまで埋まった大剣を重たそうに引き抜き、それを盾にしまうとその重さに耐え切れなくなったようにがくりと膝から崩れ落ちた。

「あ、あれ、……ランタン。わたし……おかしいな……」

 膝を突いたリリオンは戸惑ったように笑い、だが立ち上がれないことに気がつくと不安そうな瞳をランタンに寄越した。さっきまでイケイケで立ち回っていたのだから、まだ脳が自らの疲労に気がついていないのだ。しばらく経てば自らの身体が泥になったかのように感じるだろう。

「ほら、盾寄越して――掴まって、よっ、と」

 ランタンは戦鎚を腰に差すとリリオンから盾を奪い、手を差し出した。その手に縋りつくように握り締めたリリオンを引き上げた。そのまま肩を貸しても良かったが、ランタンは自分の身体から臭う狼の体臭を嗅がれることを嫌って、リリオンの手を引くだけにした。

 ランタンは辺りに散乱する狼の死体と青い血溜まりを避けて、通路の脇にリリオンを座らせた。背負わせていた背嚢を胸に抱かせるようにして、そこから水筒を取り出して差し出してやる。

「ごめんなさい……ランタン」

「怪我もなく勝ったんだから、謝ることはないよ。この辺りの魔物の排除もできたし、先に休んでいて。……でもあまり沢山水は飲まないように、お腹ちゃぷちゃぷだといざという時に動けないからね」

「……うん」

 申し訳なそうな表情をしたリリオンの頭をぽんと撫でて、ランタンは腰から狩猟刀を抜いた。

 とりあえずは魔精結晶が迷宮に還る前に、これを採取しなければならない。狼の死体は十一個もありなかなかの手間だが、第一陣の三匹の狼の魔精結晶はもう色を薄くしつつある。残念ながら魔精が抜け出し品質が下がっているようだ。巨躯の狼の爪はランタンが砕いてしまったのでこれは端から勘定に入れていない。

 魔精結晶は鮮魚のようなものだ。処理をせずにいたらあっという間に無価値になってしまう。ランタンは狩猟刀を巧みに操り次々と狼の爪を刈り取って、死体を脇に寄せてゆく。

 ある探索班には倒した魔物の迷宮結晶の品質を高めるために戦闘中に結晶を刈り取る役がいたり、あるいは高位(ハイクラス)探索者には特殊な手法により魔物を生かしたまま動きを封じ、絶命させると同時に魔精結晶を刈り取るというようなことをするらしいがランタンには縁のない話だ。

 ランタンは袖口で額を拭い、パキパキと首の骨を鳴らした。

 状態の良い魔精結晶は四つで、残りの三つは少し魔精が失われていたり結晶自体に欠けがあったりといった様子だった。収穫状況としては良くもなければ悪くもない、と言ったところだろう。少なくとも今の内に迷宮を引き返せば、収支が赤字にはならないだろう。

 ランタンは青い血でべったり汚れた狩猟刀と手を狼の毛皮で拭った。

「リリオン、――そうそれ、その袋に入れるから」

 ランタンが魔精結晶を抱えてリリオンの前に立つと、リリオンはランタンが指示するより早くに背嚢から一枚の布袋を取り出していた。金属を薄く伸ばしたような特殊な布の内側に耐衝撃性のある柔らかな素材を縫いつけた魔精結晶用の収納袋だ。いくら魔精結晶を高品質の様態で刈り取ったとしても、これにしまわなければ魔精が結晶から溶け出し迷宮に還ってしまうのだ。

「結構乱暴に扱ってもそれに入れとけば壊れないからね。――それと」

 ランタンは言葉を区切るとリリオンにお尻を向けて、それをちょこんと突き出した。

「ポーチに布切れ入ってるから取って」

「ぬの?」

「うん、それそれ。ん、ありがと、で。しめらせてー、しぼってー」

 歌うように指示するランタンにリリオンがおっかなびっくりポーチから布を取り出して、野生動物に餌付けするようにおずおずと湿らせた布を差し出した。ランタンは布を受け取るとそれを広げて勢い良く顔面を押し付け、そのまま気持ちよさそうな呻き声を上げながら皮膚を削ぎ落とす勢いで汚れを拭った。

 顔面から首筋を拭い、指先から手首までを清める。それだけで濡らした布はぼんやりとした紫に染まった。ランタンはそれを折りたたむと戦鎚と狩猟刀を汚す血脂を丁寧に拭いとり、もう使うところがなくなった布を四つ折りにすると迷宮の脇にぽいっと捨てた。

 そして自分の手や首筋の匂いを嗅いで、少し不満気だが納得するとリリオンの隣に腰を下ろした。

「まだいっぱい布あるけど、リリオンも使う?」

「……だいじょうぶ」

 リリオンがふるふると首を横に振ると、それに合わせて首から鎖骨を流れるように垂らした三つ編みが揺れた。リリオンは隣に盾を立てかけていて、足を投げ出すように座っている。かと思ったら、ランタンがわざわざ一人分開けた隙間に尻を滑らせて、肩が触れるほどの傍に寄った。

「熱いんだから寄るんじゃないよ」

「わたしは平気よ!」

 ランタンは嫌そうな顔をしながらリリオンから離れようとしたが、リリオンは気にした様子も見せずにランタンを追いかけた。戦闘のせいで身体が熱くはなっていたが、ランタンはそれ以上に戦闘服に擦り付けられた狼の獣臭が気になっていた。

「……僕、今くさいから。においが移るよ」

 ランタンが犬でも追い払うように手を振ったが、リリオンはその手をくぐり抜けてランタンの首筋に鼻を寄せた。そしてくんくんと鼻を鳴らし匂いを嗅ぎはじめた。首筋に当たる鼻息が擽ったく、また服に染み付いた獣臭ではなく、正真正銘の自分の体臭を嗅がれているかと思うと恥ずかしい。

「すぅー、はぁー、すぅー、はぁー」

「やめて」

「すぅ――はぁ……ランタンって全然においないのね」

 ランタンがリリオンの顔を押しのけると、リリオンは不満気にそう呟いた。それは体臭を嗅ぐことを止めさせられたせいか、あるいはランタンの体臭が薄いせいなのかもしれない。だがその真意を尋ねて、変な返答が返って来たら恐ろしいので口を(つぐ)む。

 ランタンはリリオンの息の生暖かさが残る首筋を手で拭い、襟元を摘んで服をはためかせた。リリオンは臭いがないと言ったが、ランタンの鼻にはやはり獣臭を感じた。

 ランタンはリリオンの手から水筒を奪うと、鼻呼吸を止めて、水を呷った。味もへったくれもないが冷たさだけが心地よい。

 だがせっかくの小休止も水分補給も、獣臭とともにでは満足できない。不潔への耐性も探索者にとっては必要な能力だが、ランタンにはどうにもそこが欠けていて、またそれを克服しようとする意志も積極的ではなかった。

 ランタンがぽいっとリリオンに水筒を返すと、それを受け取ったリリオンは勢いよく水を喉の奥に流し込んだ。

「あんまり飲んじゃダメだって、動けなくなるよ」

 ランタンがそう叱るとようやく水筒から口を離して、濡れた唇を袖で拭った。

「やっぱり、疲れちゃった?」

「うー……わかんない。けど足が重いわ」

「それを疲れてるって言うんだよ」

 ランタンが小さく笑うと、リリオンは納得いかないというような顔付きで自分の太腿をとんとんと叩き(ほぐ)していた。運動による疲労だけではなく、むしろ多くは無意識下の緊張のせいだろう。

「ま、考えてみれば猪は一撃で終わったし、まともな戦闘は今回が初めてだしね」

 リリオンが浮き足立っていたと言うことを差し引いても、消耗しているのはしかたのないことだ。

「うぅ、ごめんなさい」

 ランタンも一応の探索計画を立ててはいるものの、例え単独で探索していたとしてもその予定通りに探索を進められたとこは一度としてない。この程度の足止めは、いちいち謝るほどのことではないのだ。もっともこのまま疲れただの、歩きたくないだのと泣き言を漏らすようではその限りではなかったが、幸いなことにリリオンには根性が備わっている。

「それで猪の時は、わからない内に終わったけど、……今回はどう? まだ、やれそう?」

「だいじょうぶ!」

「そら良かったよ」

 万歳するように両手を上げて声高く宣言をしたリリオンに、ランタンは煩そうに眉をしかめてそう言い放った。そして、よいしょ、と一声上げながら立ち上がりリリオンに手を差し伸べた。

「大丈夫ならもう行こうか。魔物と戦う度にダラダラしてたらミシャに超過料金取られちゃう」

 ランタンに掴まって立ち上がったリリオンはその手を離すと何度か屈伸をして、そして盾を担ぎ今度はその場で兎のように跳ねた。垂直跳びのその高さに目を丸くするランタンに、リリオンはにっと笑った。これだけ動くことが出来るのなら、探索を再開しても支障はない。回復の速さは熟練の探索者のようだ。

 行くよ、とランタンが手招きをすると、リリオンは頷いたもののぐるりと周囲を見渡した。

「狼の毛皮いっぱいあるのに、ぜんぶ置いていっちゃうの?」

「置いていっちゃうよ」

 探索前にランタンは迷宮結晶以外を採取しないことを伝えていたがこうして現物を目の当たりにすると、もったいなさが沸き立つのだろう。狼の赤茶けた毛皮は女性好みしそうな美しさはないが、いかにも丈夫でいい防具になりそうだった。

 ランタンは狼の死骸を惜しそうに眺めるリリオンを急かして先に進んだ。

「素材採取はねぇ、いろいろ大変らしいよ」

「そうなの?」

「そうだよ」

 ランタンはもっともらしく宣言して、大変なことなんだよ、とでも言いたげに肩を竦めたが、その実ランタン自身は魔物の素材採取をしたことはほとんどない。

「例えばさ、さっきの狼の毛皮を剥ぎ取るとするでしょ?」

「うん」

「それをどうやって持って帰る?」

「え? えっとねぇ…………」

 ランタンは隣を歩くリリオンの沈黙を聞きながら、考えこんで疎かになった足元を躓かないようにと目線を下げた。リリオンの足取りはしっかりしていて、疲れは見えない。大きな戦闘が一段落し、また他愛もない軽口の方に思考を裂いているということもあり、冷静になってきているのだ。

「えーと、ね。こう折りたたんで、ぎゅうってして、背嚢に……」

「血とか体液とかいっぱい付いてるのに? 僕はヤだよ、そんなの」

 背嚢の中には探索での食料や、各種薬も詰め込まれている。口に入るものや、傷口に使う物とそれらを一緒くたに纏める真似をする者は粗忽な探索者といえども少ない。

「それに迷宮の空気に触れさせていると、魔精結晶ほど早くはないけど、せっかく剥ぎ取った素材も何時の間にか無くなってる、なんてことになるよ」

 ランタンが通路の脇に放置した狼の死体も、おそらく明日には姿形もなくなっているだろう。迷宮と言う臓腑の中で溶かされ消化吸収されるのだ。

「魔物だけじゃないよ。迷宮で落し物したら急いで取りに帰らないとまず見つからない。人の手から放れたら、迷宮はなんだって飲み込んじゃう」

 ランタンがそうやって脅かすと、リリオンがぎゅっとランタンの袖口を引いた。我ながら甘い、とランタンは思ったがこの程度ならば、何かあってもすぐに振り払えるのでそのままにさせた。

「だから専用の道具がいるんだよ。リリオンに持たせたあの布袋の素材版だね」

「へぇー」

 ランタンが持ち合わせていない物は保存する容器ばかりではなく、魔物の肉と皮を綺麗に剥ぐための技術であったりもしたのだが、それは素知らぬ顔で黙っておく。とりあえずはリリオンの感嘆の声に満足したのか、ランタンは訳知り顔で言葉を続けた。

「本職の運び屋(ポーター)には、すっごい大きい保存箱を持ち歩く人もいるんだよ。そういった人は大抵大手の探索班お抱えだけど」

 ランタンが所持している魔精結晶の保存袋は安物とまではいかないが比較的手頃な品である。収納量も少なく、そこそこの耐衝撃性しか持ち合わせていないが、個人携帯用とするのならば問題はない。折り畳めば荷物にもならないのでランタンも三袋ほど常備している。そういった探索者の荷物の一つとしての収納容器に対して、大保存箱などはと言えばまるで大型冷蔵庫を背負うような様子であるので、それを探索者が背負うということはまずない。

「じゃあ、じゃあ! にく、お肉は?」

 リリオンが摘んだ袖口を破るような勢いで引っ張った。ランタンはそんな乱暴なことをするならば、と無言で摘んだ指を払うとリリオンはしゅんとして、しかしまたおずおずと袖口に指を伸ばして摘む。

 ランタンは悪戯をする子供を見るような呆れと微笑ましさの混じった視線をリリオンに向けて、肉ねぇ、と呟いた。

 魔物の皮だろうが爪だろうが、それこそ肉であっても保存容器がいることには変わりない。魔物の肉は精がつくとかで、味の方はさておき一般庶民にもそれなりに需要はあるし、それこそ心臓を始めとする五臓六腑や眼球に舌、脳などは魔道薬を含むさまざまな薬の原料となる物も多いのでそういった物は魔精結晶よりも高値が付くこともある。

 だがそのかわり保存容器も特別製でべらぼうに高価であるし、魔物の仕留め方や臓腑を切り取る際の刃の入れ方一つに高度な技術を要するらしい。ランタンにはまったくもって縁のない話だ。器用ならば戦鎚など使っていない。

「そうじゃなくて、……ここで食べるの!」

「ここって、迷宮で?」

「そう!」

「魔物の肉を?」

「うん!」

「うーん、まぁ、ない話じゃないけど」

 どうだろう、とランタンは視線を(かし)げた。そんなランタンにリリオンは、私食べたことあるよ、と自慢げに胸を張った。

「前の、……探索の時、とか……」

 リリオンは勢いで胸を張ったが、その思い出が良いものではないことを思い出したのか声をしょぼしょぼと(すぼ)ませて、背中を丸めた。リリオンの言う前の探索は、つまるところの奴隷のように扱われていた時のことである。ランタンは食べたことがある、という言葉に納得をすると同時になんとも言えない気持ちになった。

「そもそも火の用意がね……、上層ならまぁ炭を担いで来てもいいかもしれないけど、はっきり言って荷物になって邪魔だしね」

「火精結晶は?」

 水精結晶はその名の通り水を生み出すが、火精結晶は火ではなく熱を生み出す。火精結晶の放つ熱に可燃物を近づければそれに依って火を起こすことが出来るし、火精結晶自体に肉を触れさせればその部位に火を通すことは出来るだろう。

 だが水精結晶に比べて、火精結晶は大きさに対しての熱量がどうにも不安定だ。ランタンの背嚢にも湯を沸かすための、決して安物はない携帯用火精結晶コンロとでも言うような品を持っていたが、それにしたって嵌めこまれている火精結晶は拳大でありながら、コップ一杯の水をきちんと沸騰させることも出来れば、極希にだが温める内から冷めてゆくなどということもある代物である。

「阿呆みたいに高価な料理用火精結晶もあるけど、ほんとうに阿呆みたいに高価だよ。でかいし」

 それを買おうとして値段を見て諦めたような、実感の篭った面白くなさそうな顔でランタンは更に続けた。

「最初の猪ならまだマシかもだけど、狼の肉ってあんまり美味しそうじゃないなぁ」

「食べてみないとわからないわよ!」

 好き嫌いの無さそうなリリオンはそう言ったが、肉ならば鳥豚牛という先入観があるランタンはその言葉に頷くことは出来なかった。ただでさえこの世界の食用肉の品質や食肉の調理技術はランタンの知る平均よりも随分と下なので、一般的な料理屋で出てくる家畜肉でさえ香辛料塗れである。肉食獣の肉ともなるとその臭みは想像に難くなかった。

「わたし、料理得意だから! 帰ったら美味しい料理作ってあげるわ!」

 そう言えば、そんなアピールを前に聞いたような気がしなくもない。ランタンは、すごいね、と口に出したもののあまり期待は抱かなかった。

「料理か……」

「ランタンは料理しないの?」

「まぁ……しないね」

 ランタンも誇れるほどではないが料理技術(スキル)を備えてはいた。だが捻るだけで衛生的な水を吐き出す蛇口と火力管理の容易な三口コンロ、それにテフロン加工のフライパンやあれこれの道具がなければランタンの料理技術は振るうことはできない。

 結果として屋台飯や料理屋などの外食ばかりになってしまった。はじめの頃は肉の獣の臭さに食べる度にうんざりしていたが今ではそれも許容範囲であるし、探索業が肉体労働のせいか塩味の強い濃い味付けにもだいぶ慣れ、また旨いと思える料理を出す店にも出会えたので食事に困ることはほとんどない。

 だがたまに故郷の味も恋しくなる。

「でも料理もいいかもしれないね」

「ね、ね、ね! わたし教えてあげる!」

「僕はしないだけで、料理できないわけじゃあないよ」

 ランタンが望む水準の調理用具を揃えることは無理かもしれないが、ランタンが料理を行うに可能な最低水準の調理用具程度ならば揃えるだけの貯金はある。だがそうなるとそれを持ち歩くことは不可能なので、きちんとした家がいる。今まではなんとなく踏ん切りがつかなかったが、文字を読めるリリオンもいることだし、上街で家を賃貸するということもいいかもしれない。

 そんなことを上の空で考えていたら、どこからか風を切って石塊(せっかい)が飛んできた。歪な形の石塊はシュート回転しながら、ランタンの顔面に向かってきている。当たれば痛いでは済まなさそうだ。

 ランタンの手が反射的に戦鎚の柄に伸び、それを掴んだ。だがランタンが戦鎚を抜くよりも早く視界が影に覆われた。

 リリオンが盾を、その内側にランタンを抱き込むようにして構えたのだ。

 花火が鳴るように痺れる音を弾けさせて、石塊は盾によって防がれた。

 ランタンはリリオンに色々と先輩風を吹かせていた手前、魔物の襲撃に気が付かず恥ずかしい気持ちもあるが、そう言った余計な感情は後回しにして意識を戦闘に向かわせた。が、その前に人として伝えておかなければいけない言葉だけは発声した。

「ありがと、リリオン。助かったよ」

「えへへ」

 ランタンは盾の脇から顔を出して、投石攻撃を行った魔物の姿を確かめた。

 その魔物は大きな猿だ。歯茎を剥き出しに牙を見せつけ、赤い瞳を煌々とさせ笑うように吠えた。太く短い足が地面を掴むように発達しており、だがそれ以上に太く長い逞しい腕が目を引く。凶悪な指が投石用の石塊を補充するために、豆腐のように地面を抉った。

「料理もいいけど、あーゆーゲテモノ系は嫌だよ」

「……わたしもあれはちょっと」

 ランタンの軽口にリリオンも顔を顰めた。

「それは良かった。――じゃあ遠慮無く行こうか」

 呟いた声は底冷えしている。

 ランタンは腰から戦鎚をもったいぶるようにゆっくりと抜くと、猿の投石と同時に盾の内側から飛び出した。

 リリオンには申し訳ないが、この戦闘でリリオンの出番はもうない。この猿はランタンが殺さなければならなかった。

 恥をかかせてくれた礼に死を与えなくてはならないのだから。


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