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「やだやだ、やめてえ!」
「にげたぞー! おえー!」
庭でリリオンと少年たちが遊んでいる。
子供たちはリリオンの細く編んだ三つ編みを掴まえようと取り囲み、リリオンは戸惑いの表情で逃げ惑っている。
傍目に見れば大人と子供。身長差は大げさに言って二倍ぐらいあるのだが、実際の年齢差は大きくても三つほどだろう。
少年たちは少し大きめの冬服に身を包んでいる。だがなかなか俊敏で、疲れというものを知らなかった。白い息を蒸気みたいに吐き出して、裾や袖を捲り上げてリリオンを追い詰める。
ランタンは礼拝堂の扉に背を預け、リリオンの大刀を膝に置いて時折、扉の隙間を覗き込んだ。
中は少女の園である。少年たちに清潔にしようなどという意識は塵ほどもなく、襤褸の上から冬服を着ている。だが、少女たちはそうはいかない。
中ではランタンが作った大量の湯を使い少女たちが身体を綺麗にしている。
湯を沸かすほどの火を熾すのは無料ではなく、孤児院では結晶を砕けば水が湧き出るわけでもない。あまり汗も掻かないこの季節に風呂なんてもっての外で、湯浴みをすることすら贅沢だった。
風呂は日常の一つではなく、偶の娯楽である。
少女たちは扉に隙間があるのを承知しているのに、恥ずかしげもなく裸になって湯で絞ったタオルで身体を擦りあっている。
そんな中でミシャが先頭に立って年長の少女たちを取り纏め、年下の少女たちの世話を焼いたり、不満が出ないように服の組み合わせを考えたりしている。
ミシャに少女たちを任せたクレアが扉を挟んだ向こう側で地べたに座った。
クレアは元は黒だったのだろうが、色褪せ紺に見える修道服が重たげに見える。痩せすぎているわけではないが線が細く、どことなく生気が少ないような雰囲気があった。いや、ただ疲れているのだ。色々なことに。
先程の涙の影響で、白目がまだ充血している。
「あらためて、申し訳ありませんでした。わざわざ来て下さったのに失礼なことを」
私がもっとしっかり出来ればいいのですが、とまったくしっかりしていない声で囁く。
「そうですね」
ランタンは視線を内から外へと戻した。
この孤児院にも事件は深い傷跡を残していた。
事件に先立って子供が二人消息を絶ったのだとクレアは言った。
その子が迷宮に身を投げたのかを確かめる術はないが、事件に巻き込まれた可能性は否定することができない。事件解決後、回収できた死体は一時下街に安置された。
シスターは身元確認のためにそこへ足を運んだが、その二人が見つかることはなかった。
昨日まで枕を並べた友人が消息不明になったことで子供たちには動揺が広がり、そしてクレアはそれを説明することも出来ない。死体が見つかればあるいは、事実をありのままに伝えることが出来たかもしれない。
孤児院にある日常的な死とは、また別の死である。
そして半裸女の生死も、つい先程ミシャに聞かされるまでクレアは知らなかった。動揺する子供たちを置いて、長く孤児院を空けることができなかったのだろう。
半裸女はクレアの友人であり、よき相談相手であった。
優しく繊細な人なのだろうがその性格では下街の生活も、孤児院の管理者も辛いだろうと思う。
クレアと半裸女は、同時期にこの孤児院に身を預けていた。だが立場は違う。半裸女は捨て子で、クレアは当時の管理者の手伝い、シスター見習いとしてだ。そして二人は友人となり、一人はシスターに、そして一人は探索者となった。
クレアは半裸女の代わりに、子供たちに言えなかった苦しみをランタンに吐き出した。
「あの子には、もうずっと世話になりっぱなしなんです」
孤児院の運営権は教会にあるが、教会から与えられる月々の運営費だけでは三十名以上の子供たちの腹を膨らますことは出来ない。子供たちは恒常的に肋を浮かせている。
覗き見る少女たちの裸体は、容易にあの頃のリリオンを思い出させた。
子供たちはやがて工房の徒弟となったり、商家の手伝いとなったり、司祭や修道士を目指したり、人生を腐らせ犯罪に手を染めたりもするのだが、少なからずの男の子が探索者を夢見たり、目指したりする。
だが探索者になることは出来ても生き残ることは難しく、世話になった孤児院に恩を返せるほど大成することは更に難しい。
半裸女は傭兵探索者だ。
固定の探索班に入ってしまえば、仲間に余程の理解がない限りあのような捨て鉢な格好は許されないし、そもそも仲間に迷惑は掛けられないという意識も生まれる。孤児院へ寄付する前に、まず班の戦力を上げることを考えなければならない。
半裸女が自らの装備と孤児院への寄付を天秤に掛けたように、探索者というものは羽振りがいいように思えても、その内実は何かと物要りが多く、暮らしに余裕はない。
もちろん経験を積むことによって安定した暮らしを継続できるようにもなるが、それは見せかけに過ぎない。探索者は常に綱渡りの状態であり、一歩踏み外せば地獄の底まで真っ逆さまだ。
その身一つで何十人もの食い扶持を稼ぐことは並大抵の努力ではない。
実際に子供たちに会い、孤児院の暮らしぶりを目の当たりにすると、半裸女の苦労が身に染みて、淫猥な願いの一つでも叶えてやろうかと思わなくもないのである。それぐらいの褒美があっても罰は当たるまい。もっとも実際に願いを叶えることはないのだが。
「これを」
ランタンは声を小さく扉の隙間から、クレアに革袋を差し出した。受け取ったクレアがその口を解くと黄金の輝きが溢れる。
その輝きを理解できなかったクレアは、けれどすぐに音を立てて立ち上がった。
ランタンが隙間から覗き込むと少女たちと目があった。薄い肌着は、着古されていっそう薄くなり肌が透け、年長の少女たちは寒さに胸をつんと上向かせ、幼子たちは下着一枚で、どうしたの、とクレアの方へとてとて寄ってくる。
「だだだ大丈夫よ、どうもしてないわ」
「だだだだだだ、だってー。せんせいへんなのー」
「隙間風が寒いから、早く服を着なさい」
きゃらきゃら笑う女の子をランタンは優しく追い払い、クレアに視線で座るように告げる。
「あの人は年内はどうにもなりません。取り敢えずこれで当座をしのいでください」
「でも、こんなに」
「少なければいいということでもないでしょう」
クレアは両手に金貨を乗せて、壊れ物でも持っているみたいに震えている。
「ですが、こんなにはもらえません」
「他の寄付と、この寄付の違いは何? 教会って寄付を受け付けてますよね」
ランタンが面倒くさそうに尋ねるとクレアは言葉に詰まった。
困り眉をいっそう困らせて、ランタンの姿を穴が空くほど見つめ、それでも目の前の存在が半裸女よりも何倍も稼ぐ探索者だと認識することが難しいというように、溜め息にも空咳にもならない変な息を吐き出した。
年長の男の子たちよりも体格に劣るのだから仕方のないこともかもしれないが、あまり面白くはない。
「僕からお金を巻き上げることよりも、あの子たちを飢えさせることに罪悪感を覚えてください」
「……そう、ですね。ええ、そのとおりです」
クレアは扉の向こう側で居住まいを正し、地に額を擦りつけた。
「このお金は大切に使わせて頂きます」
「ぜひそうしてください。さしあたって条件をいくつか」
「はい、なんでしょう。なんでも言うことを聞きます」
大げさなことだな、とランタンはもう一枚金貨を取り出した。
「あの人にまともな装備を買い与えてください。あれではいつか風邪を引く」
ランタンは自分の行いがどうにも偽善的に思え、着慣れぬ服を着ているような気恥ずかしさを感じる。
これだけのことで有能な探索者の生存確率を上げることができ、なおかつ変態を一人抹殺できるのだから些末な出費だ。そんな風に考えた。
「ええ、はあ、まあ、それでよろしければ」
ランタンが金貨を押しつけるとクレアが肩透かしを食らったような気の抜けた返事をした。クレアは再び礼をすると、金貨をしまいに立ち上がった。
「ねえ、おはなしおわった? はだかのお姉ちゃんのことしってるの?」
ようやく暖かそうな服に身を包んだ女の子たちが扉の隙間からランタンを窺った。ランタンはこういった子供たちに安心感を与える姿をしているが、彼女たちにとっては急に大きな音を出してびっくりさせる人でもある。
少女たちは身を寄せ合って一塊になり、何度も目をぱちぱちさせながら、少しの怖さと好奇心たっぷりの視線を向けてくる。ランタンが冗談で手を叩いて音を出すと、小鳥みたいに逃げ去って、そして再び近寄ってくる。
「詳しくは知らないよ。けどその裸のお姉さんに頼まれて、その服を持ってきたよ。あったかそうだね、それ」
「うん、あったかい。けどすこしちくちくする」
素肌に直接身に付けているらしく女の子はスカートをぺろんと捲り上げて脂肪の少ない腹をランタンに見せた。お臍の少し上を小さな指で擦っている。
「わたしはへいきー」
別の子の腹は細かな毛に覆われている。少女は猫人族で、真っ白な短毛で全身を覆っていた。ちくちくするのは平気かも知れないが、セーターを直に着ては毛玉だらけになりそうだ。
「下にもう一枚、何か着なさい。ほら回れ右、きみも、きみも、きみも。全員回れ右して向こうへいけ」
ランタンが指をくるくる回すと、少女たちは催眠術に掛かったみたいにくるりと回ってミシャの方へと走って行った。その代わりに年長者の中から一人が代表してランタンの下へとやって来た。
「ここの女の子はみんな、あれなの。あの人に感化されているの? 服を着なさい。覗かれるよ」
「大丈夫です、ランタンさんがいるので。ミシャさんから聞きました。ランタンさんは探索者のランタンさんなんですよね」
女の子はランタンよりは年下だが、リリオンよりも年上だ。
強い癖のある髪が細かく波打っており、勝ち気そうな瞳がきっと吊り上がっている。淡く陽に焼けた肌にそばかすが浮いていて、女になりつつある身体を肩から吊すような下着で覆っている。
少年たちは今なお飽きずにリリオンを追いかけ回しているが、年長の何人かは扉の前を陣取るランタンを悔しそうに睨み付けている。着替えを覗きたい年頃なのだろうが、一番身体の大きい子でさえランタンに歯が立たなかったので手出しができない。
「あの、お洋服、ありがとうございます」
「僕は頼まれて運んだだけだよ。っていうか君はまだ着てないし」
「いいんです。私はみんなが選んだあとで」
「いや、そうではなく……」
「私、一番お姉ちゃんだから」
そう言った時、少女の瞳に力が入った。
「しっかりしないといけないんです」
少女は二人消息不明になったことによって、女の子の中で最年長になった。クレアが詳しくを語らずとも、何が起こったのかを理解できるのだろう。けれどまだ子供であることに変わりはない。
「しっかりするのはいいことだけど、無理はしないようにね。例えば服を届けに来た人にいきなり襲いかかってきたりとか」
「ごめんなさい。でも孤児狩りが怖くて」
「孤児狩り?」
ランタンは不穏な言葉に眉を顰めた。
建前上はさておき下街の実態は治外法権の無法地帯である。様々な思惑と利害関係が複雑に絡まり合って出来た都市の暗部は、脛に傷を持つ者にとっては住みやすい悪徳の楽園であり、また同時に都市に見捨てられた弱者にとっては自らを受け入れる揺り籠であり、墓場であった。
下街での生活で警戒をし過ぎると言うことはない。
自分の身は自分で守らなければならない。それが掟だった。
孤児院から消息を断った二人の孤児、それ以外にも多くの孤児が事件に先だって姿を消した。事件が一応の解決を見せた現在も、孤児狩りという言葉が孤児の間で噂に上っているようだった。
さらわれた孤児は殺されてしまうとか、奴隷として売られてしまうという暗いものから、孤児狩りという不穏な響きとは裏腹に貴族の養子として屋敷に招かれるとか、実の親に会えるとか希望に満ちたものまで噂の中身は様々だった。
事件の影響でやはり不安になっているのだろう。いなくなった子供たち。その事実だけが確かにあり、その話題を子供たちが口にする度に、色々な話が真実のように語られるようになったのだろう。
それに事件後、騎士が下街の警戒に当たっている。その姿がまた噂に真実味を帯びさせている。
治安維持や、あるいは保護の名目で騎士が孤児をどこかに連れて行っている可能性をランタンは考えた。
少女から話を聞いてランタンでさえ、そういった想像をしてしまう。
だからあの男の子は少し過敏になっていたのだろう。
現時点ではランタンは何も言うことが出来ない。根拠のない言葉は不安を煽るだけだ。
「まあ下街は物騒だから、気をつけるに越したことはないよ。知らない人にはついて行かない。危なそうなものは避けて通る。シスターは少し頼りないかもしれないけど、あれでも大人だし、困ったことがあったら相談しなさい」
扉の隙間を少し広げて、吹き込んだ風に身を竦めた少女の頭を撫でた。乾燥した髪に指を入れて、それを揺らすみたいにして。少女は少し照れくさそうにはにかみ、ランタンが手を引くと少し寂しげにした。
「――やめて!」
庭の方で切迫したリリオンの声が響き、ランタンが視線を向ける。少女が扉を大きく開いて顔を覗かせ、きっと目尻を吊り上げる。
「あいつら! いつも、ああ、なんです。乱暴で、ほんっとう最低! こらー! やめなさい!」
少年たちが泥団子を持ってリリオンを追い回している。類い希なる反射神経で逃げ続けるリリオンに痺れを切らしたのか、泥団子を投げつけたようである。リリオンは必死になって逃げ惑っている。
探索者と孤児である。だが子供同士でもあった。いくら何でもやり過ぎだ。
「大人なのに泣いてるー! だっせー!」
興奮した様子の少年が泥団子を投げつけながら囃し立てる。
「でかいのに泣いてる-!」
「泣いてないわ!」
でも泣きそうだった。
「もうやめてっ……きゃあ!」
言い返したリリオンに一斉に泥団子が投げつけられ、それを避けた隙を突いて少年の一人が三つ編みを乱暴に掴んだ。引っ張られたリリオンが頭を振ると、一本釣りされたみたいに少年の身体が吹っ飛んで転がった。
「あーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
リリオンの腰ほどしか身長のない少年は火がついたように泣き叫んだ。大粒の涙を流して、泥まみれの手で顔を覆っている。仲間たちが敵を討とうとするみたいにリリオンを睨んだ。
不可抗力である。だがリリオンはとんでもないことをしてしまったと言うように立ち竦む。
「なにすんだよ! おとなのくせに!」
「やりすぎだぞ!」
興奮して、手に持っているものは泥団子ばかりではなくなってしまった。足元の土を握り、石を握り、立ち竦むリリオンに投げつける。
だがそれがリリオンに当たることはなかった。
気が付けば戦鎚を抜いたランタンがリリオンを庇うように立っており、リリオンに向かった泥や砂や石を打ち落とした。弾け飛んだそれらが投げつけた子供たちの身体を汚していた。
「なんだよ!」
引っ込みのつかない少年たちを一瞥し、ランタンは戦鎚を腰に戻した。そして適当な一人の頬を鷲掴みにする。
「苛めるんじゃない。次やったら、わかってるな」
ランタンははっきりと脅すような口ぶりで少年に言い聞かせると、返事を待たずしてしょげているリリオンの手を取った。
「わたし、泣かせようなんて……」
「わかってるから。ミシャ、濡れタオル用意して」
ランタンは礼拝堂に入り、ふと思い出したように扉の外に顔を覗かせた。傍観していた年長組の男の子たちが、邪魔者がいなくなったとばかりに近付いてきていた。
「覗いたらぶっ飛ばすからな。あとそいつらの躾をしておけ」
それだけ言って扉を閉めて、祭壇の側、湯を張ったタライの脇に腰を下ろす。
「外套は私が」
「頼む」
外套を脱がせ、ランタンは三つ編みを解いた。先端辺りがべっとりと泥で汚れている。
ランタンはきつく絞ったタオルでリリオンの髪を拭いてやって、それから髪を梳かし、また再び編み直した。
子供同士で遊んでいる。ただリリオンが受け入れられていると安心していた。泥を投げつけたのは無邪気さゆえか、それとも人族の巨人族に対する本能からか。
リリオンはすんすんと鼻を鳴らしていた。けれどランタンの指が髪を幾つもの房に分けたり、地肌に触れたりする度に少しずつ笑った。
少女たちは外套の泥を拭うのを手伝ったりしながら、男の子たちへの悪口に花を咲かせた。その囀りを聞きながらランタンは少年たちの手が髪に届かないように、複雑に編み込んで短く纏める。
外套を拭う少女たちの手が止まり、囀りが次第に静まりかえっていく。みるみる編み込まれていく髪は、銀や硝子の細工のようだ。
少女たちは羨ましそうに見つめていた。
「いいな、いいな」
一番小さな少女がリリオンの膝を揺すった。リリオンはその手を握れないでいる。どれぐらいの力を入れたらいいのかが、わからないというように。
「大丈夫だよ」
髪を編みながら耳の先や裏を擽るとリリオンの身体から力が抜ける。もぞもぞと腰を震わせて、それから少女の手を優しく握った。
「お願いすれば、ランタンはしてくれるよ。他の男の子と違って、優しいもの」
少しだけ得意げにリリオンが答える。少女はリリオンに手を握られながらランタンを見上げた。
「わたしのかみもくるくるにしてください」
「リリオンが終わったらね。他の子もしてほしい子はしてあげるよ。――順番を守れる子だけね」
ランタンが銀の髪に触れながらそう言うと、特に小さな少女たちは明るい声を上げて、カルガモの子供のように一列に並んだ。
「女の子に甘いっすよね、ランタンさんって」
「可愛い子だけにね。それとも厳しい方がいい?」
ミシャと軽口を交わしていると年長の子たちが興味深そうに二人を見つめた。
「ランタンさんって、噂とぜんぜん違うね。もっと怖い人だと思ってた」
そしてそんなことを呟くと、列に並ぶ少女が手を上げる。
「わたししってるー。ランタンはね、悪いことをするとおしおきをしにやってくるのよ。まっくろいマントをしてて、目がぼうぼうもえてて、ハンマーで悪い子をたたくのよ。せんせいが言ってたんだから」
下街で噂されるランタンの武勇伝やら悪評やらをクレアは躾に利用しているようだった。
「へえ、もっと詳しく聞きたいな。ねえ、シスター?」
金貨をしまって戻ってきたクレアに尋ねると、彼女は何のことかわからずにぎこちなく小首を傾げた。きょとんとしたクレアに子供たちがきゃっきゃと笑う。
その時、乱暴に扉が開けられた。大きな音に少女たちがビクリと肩を振るわせ、ランタンが振り返ると扉の所に男が二人立っている。
騎士だ。孤児狩りの噂がすぐに思い出される。
ランタンはリリオンの髪を仕上げて、耳元で小さく囁く。
「大人しくしてな」
リリオンの手が、そろりと大刀に伸びている。子供に泣かされたくせに、こういう時は積極的だった。
クレアは怯えていたが、少女たちを安心させるように幾つもの小さな身体を背中に隠している。
騎士二人は横柄な様子で礼拝室を無遠慮に睥睨したが、ランタンの存在に気が付くと忌々しげに顔を歪める。
ランタンが皆の前に立った。
「ノックもなしに失礼じゃないか?」
「ランタン、か。こんな所で何をしている?」
「子供の世話と、急な騎士の来訪への応対。お茶でも用意しようか?」
「結構だ」
騎士はふんと鼻を鳴らした。探るような視線はランタンを通り過ぎて、クレアや孤児たちに向いた。騎士の鼻に皺が寄り、あからさまに見下すような視線に晒された少女たちは嵐が過ぎ去るのを待つように息を潜める。
「それでこんな下街くんだりまで何の用?」
「迷宮崩壊事件の調査である。邪魔しないでもらおう」
「邪魔なんてしてないでしょう。逃げも隠れもしていないんだから。それで何をどのように調べるの? 協力したいからぜひ教えていただきたいな」
「口の減らん。いつからそんなお喋りになった」
「応対役が無口じゃ、そちらが困るでしょ?」
「ふん、血を見せてもらうだけだ。理由は、わざわざ言うまでもないだろう」
迷宮解放同盟は迷宮を崩壊させるために、孤児を魔精中毒にし、生きた迷宮崩壊剤を作りだした。
騎士の言葉に、なるほど、とランタンは頷く。
「やめ、ろっ、そいつらに乱暴するなっ!」
騎士の後ろから、少年が叫んだ。少年は鼻血を垂らし、口の端が切れていた。その血の色は赤い。扉にもたれ掛かっているところを見るにしこたま痛めつけられたようだ。
泣いている小さな男の子たちが、その足に縋り付いている。少女たちがざわめくような悲鳴を上げた。
ランタンは冷ややかな視線で騎士を見つめる。
「どういうこと?」
「調査に抵抗したからだ。大人しく従えば痛い思いをせずに済む」
騎士というものは本来、高潔なものであるべきだ。ベリレはたまに騎士の規範をランタンに教えてくれた。
それは勇気であったり、優しさであったり、公平さであったりする。だが目の前の彼らにはそれを感じられなかった。職務への、あるいは封主への忠誠心はあるのかもしれないが。
しかし振る舞いは気に入らないが、調査の内容は理解できるものである。
「わかった、調査には協力しよう。それでどうやって血を見る? まさかそれを使いはしないよな」
ランタンは腰の剣を指差した。少年には刃物傷もある。命を奪うための傷ではなく、脅すための浅い傷だ。着替えたばかりの冬服が切り裂かれて血が滲み、ランタンは舌打ちをするのをどうにか堪える。
騎士は、あたりまえだ、と吐き捨てて細い針を取り出した。それを指先に刺すらしい。
小さい子は状況を飲み込めずしくしくと泣いている。クレアはそんな少女たちを細い身体で優しく抱きしめて、落ち着かせようとしている。
「僕らの血も確認するか?」
「いらん。――さっさとしろ、我らも忙しいんだ!」
「じゃあ、まず私が」
一番年上の少女が前に出た。騎士は細い腕を鷲掴みにして、テーブルの上に押さえつける。少女の顔が強張った。騎士の顔が嗜虐的に歪む。
「大丈夫よ。ちょっとちくっとするだけだから」
恐怖に震えたが、その一部始終を見守る年下たちを安心させるように無理に笑った。
「――ああ、そうだ。いいお守りがあるんだった」
ランタンはわざとらしく声を上げた。
「これを持ってたらお姉ちゃんは痛くないよ。この模様をあっちに向けて、そうそう」
少女がその言葉を信じてぎゅっと握り締める。それは竜紋の短刀だった。
ネイリング家の紋章である竜紋を見た騎士がぎょっとする。
「肩の力を抜きな。乱暴にはしない。協力してるんだから、約束は守ってくれるよ。絶対にね」
少女を安心させるように、そして騎士に釘を刺すようにランタンは言う。
「……――っ、はあ」
ちくりと刺された針は、小さな赤い膨らみ少女の指先に作りだした。
「痛くなかった。ランタンさんの言う通り、痛くなかったよ」
騎士が腕を放すと、少女は指先をぱくりと口に咥える。
「次」
少女たちは従順に調査に協力をした。
針が刺さる痛みはそれほどのものではないが、小さな子たちは針が刺さるという事実が恐ろしくて、いざその時になるとやはり泣き出す子もいた。クレアやリリオンが手を握って勇気づけている。
調査を先に終えた年長の少女たちはミシャと一緒に男の子たちの手当をしている。小さな子は無事だが、年長組はしこたま痛めつけられていた。
ランタンは調査から片時も目を離さず、世間話をするみたいに騎士に色々と尋ねた。
「もし魔精中毒者がいたらどうするの?」
「教える必要はない」
「どこかに運ぶのかな?」
「教える必要はない」
「孤児狩りの噂があるんだけど知ってます?」
「教える必要はない。無駄口を叩くな」
「無駄ではないと思うけど」
ランタンは肩を竦める。騎士の表情は仮面を被ったように動かない。
騎士たちは最後にクレアの指に針を刺し、全員の血が赤いことを確認するといくつかの質問をした。建物内も一通り調べ、それからどかどかと足音を立てて去って行った。
「感じ悪いっすね」
「やな感じだな。とりあえずシスター、しばらくは気をつけておいた方がいいよ。変な難癖をつけられてもつまらない」
「はい、気をつけます。ランタンさまが居合わせて下さらなかったと思うと……、きっと神さまが遣わしてくれたんだわ」
クレアが大げさに、それでいて心から真面目に祈るとそれを真似して少女たちも祈った。
リリオンは指に針を刺されて泣いてしまった少女を肩車しているし、抱っこもしている。その少女も銀の髪に額を擦りつけてむにゃむにゃと感謝を口にし、またリリオンの足元に身を寄せる少女たちも同じようにむにゃむにゃと呟いている。
冬服に身を包む子供たちはまん丸で冬毛の雀を思わせた。
そんな雀たちが寄り添うリリオンはまるで銀の若木のようにしなやかで、真っ直ぐだった。