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カボチャ頭のランタン  作者: mm
06.On The Origin Of Species
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 蜘蛛の糸(スパイダーズライン)

 その店の名前を読めるようになったのはつい最近のことだ。

 店主に肖ったのであろうその名前の響きにランタンは何か引っかかりを覚えるが、それが何かを思い出すことは出来ない。ただ何となく皮肉気な気持ちになり、ランタンはそれが愉快でもある。

 引き上げ屋、蜘蛛の糸の主、六腕の蜘蛛人族アーニェはあでやかな笑みを浮かべ、玉虫色の髪をゆっくりと掻き上げて、胸の下で腕を組む。

 豊かな胸がぐっと押し上げられて、ランタンは視線を逸らした。アーニェのそれは何か見てはいけないものを見ているような気になる。

 アーニェの隣にミシャがいるから、そう思うのかも知れない。

 ミシャも気まずげな視線を落としている。いたたまれなさを誤魔化すように爪を弄っている。

 アーニェはそれを面白がった。

「ありがとう、ランタンくんの申し出はとても嬉しいわ。この時期に急の出費は痛手だし」

 だけどね、とアーニェは小さい子供に言い含めるように続けた。

「けれど、そこまでして貰うのは申し訳ないわ。お店を畳まなければならないほど追い詰められているわけじゃないもの」

「けど、ミシャに助けられたことは事実です。その恩を返させてください。起重機を失ったのは僕のためだし、僕の力が足りなかったからです」

「随分と責任を感じてくれるのね。あなたの働きは聞いたわよ。それに勲章を貰うところも。立派になったわね」

「あの、ええっと、ありがとうございます」

「それで、そんなに貸し借りがあることが嫌かしら?」

「いえ、そう言うことでは」

「じゃあいいじゃない。恩があるってことは繋がりがあるって事よ。縁を切りたいというのなら別ですけれど」

「そんなことは、絶対無いです」

「よかったわ。ランタンくんに恩を貸しておけば、いつかもっと大きくなって返ってきそうですもの。うふふ、そんなに簡単には返させないわよ」

 ランタンが断言すると、アーニェは声を上げて笑った。手の甲で口を押さえる。美しい女の、だが使い込まれた掌が見えてランタンはそっと目を伏せた。

「ああ、そうだ」

 アーニェはわざとらしく手を合わせ、三つの腕を使いミシャを強引に引き寄せるとランタンに突き出した。

「ちょ――」

 危うくぶつかりそうになるミシャをランタンは抱きとめる。そして重みに一歩下がったランタンを、さらにリリオンが受け止めた。

「もっと強く縁を結んでくれてもいいのよ?」

 アーニェの言葉には不思議な重みがあった。

「綺麗どころを侍らせてるランタンくんには物足りないかも知れないけれど、そんなに器量は悪くはないし、働き者よ。家事はあまりだけど、起重機の操縦技術は私が仕込んだから、どこに出しても恥ずかしくはないわ。どう、ランタンくんのお嫁に? あなたの専属にしてくれてもいいわ。それなら今、恩を返してもらってもお釣りがくるわね」

「ちょっと、変なこと言わないでよ!」

 ミシャが耳まで真っ赤にして怒鳴った。

アーニェに飛び掛からんばかりの勢いで、ランタンは慌ててミシャの腰に抱きついて引き止める。

 一瞬、牙が見えたような気がしたが、それはすぐに少女のおかっぱ髪に隠れてしまう。怒気が見せた幻だろうか。できるだけ怒らせないようにしよう。

 そんなことを思うランタンの腰にリリオンが抱きつくので、ミシャはまったく身動きが取れずじたばたしている。

 ランタンの腕から身を乗り出すミシャの頭をアーニェが撫でた。

「変なことなんて言ってないわよ」

 それからランタンをじっと見る。

「探索者が引き上げ屋に起重機を贈るって、そういうことよ」

 言われてランタンは言葉が出ない。少しの気恥ずかしさと戸惑いを隠すように曖昧な笑みを浮かべ、肯定でも否定でもない小さな頷きをアーニェに返した。

「ランタンくん、ミシャをよろしくね。リリオンちゃんも仲良くしてやって。この子、あんまり友達いないし。ほら、さっさとお行きなさい。お世話になった方のお見舞いに行くんでしょう?」

「……行ってきます」

「行ってらっしゃいな。遅くならないようにね」

 ミシャは珍しくむくれたような顔でアーニェに言うと、二人の手を掴んで引き上げ屋から出た。

 ミシャは戸惑う二人を引きずるようにずんずんと歩くが、冬の冷たい風に次第に冷静さを取り戻し歩みを緩めた。

「急に変なこと言って、ごめんね。うちの母が」

「いや別に、――ん?」

 ランタンは首を横に振って、それからミシャの言葉を聞き返した。

「母?」

「そう、母」

 びっくりして何度も瞬きをするとミシャは頷く。そして天気の話でもするみたいに言った。

「生みの親じゃないけどね」

 冬の厚い雲が立ちこめる空に目を向けて、ただ肩を竦める。ランタンは、ふうん、と相槌を打った。

 この世界に養子は多い。人族と亜人族、そして亜人族の数多の種族。そういった異種族同士が愛をはぐくみ夫婦となることは珍しくはないが、けれどそれは血を分けた我が子を諦めるところから始まる。

「でも口元が似てる気がする」

「ほんと? 同じ物食べてるからかなあ。でも私には――あー」

 ミシャが何かを言い淀んだ。。

 リリオンがはらはらするような眼差しで二人を見つめて、だが二人はそんなリリオンをお構いなしに、何でもなかったようにふと日常を取り戻す。

「起重機のことありがとうございます」

「断られちゃったけどね。補償、出ないんでしょ?」

「出ますよ。原動機(エンジン)の賠償はギルド持ちになりましたし、これからの貸与も継続してもらえるそうですし。痛い、痛い、リリオンちゃん肩抜けちゃうよ」

「もー!」

「何、怒ってんの?」

「わたし、言わないもん」

 リリオンがぷんぷんと頬を膨らませ、ミシャの腕を振り回している。謎の怒りにランタンが尋ねるが、リリオンはミシャに向けるように言って口を閉ざした。真ん中にミシャを挟んで歩いているので、宥めるために尻を撫でてやることもできない。

 起重機の車体は引き上げ屋の所有物であるが、原動機は魔道ギルドからの貸与品である。

 原動機の製法は厳重に秘匿されている。原動機の紛失はもちろん、意図的に損傷を与える行為、つまりは分解するなどはもっての外で、した場合には厳罰が与えられる。引き上げ屋の免許を取り消される可能性もあった。

 ミシャが行った蛆の王への突撃は、意図的な損傷に当たる場合があったが、状況が状況だけに見逃されることになった。ミシャを裁いた場合、起重機を消し炭に変えたレティシアを裁かなければならない。

 引き上げ屋としてのミシャは九死に一生を得た。もしミシャの免許が取り消しになったらアーニェの問いに頷いただろうか。ランタンはふと思い浮かんだ自問自答を心のどこかへ追いやる。

「無茶するものじゃないね」

「ええまったく」

 引き上げ屋は隔壁の外周沿いに立ち並ぶ。歩いていると探索者とよくすれ違った。だが起重機とすれ違うことはなかった。

 迷宮崩壊事件の被害は尾を引いている。

 迷宮特区はこれまで来る者拒まずで誰でも立ち入ることが出来たのだが、事件の影響もあって現在は探索者と引き上げ屋以外の立ち入りが制限されている。探索者はギルド証が、引き上げ屋は起重機が立ち入り許可証の代わりになっている。

 多くの探索者の命が失われたように、引き上げ屋も何名か亡くなった。

 破壊された起重機もあり、整備から未だ戻らない起重機も多い。けれどその反面、一週間も迷宮特区が封鎖されていたために、特区内には未攻略迷宮が溜まっていて、引き上げ屋には引きも切らない仕事の依頼が押し寄せている。

 運良く事件を回避することが出来た引き上げ屋にとっては年末に舞い込んだ特需であるが、起重機を失った引き上げ屋はてんてこ舞いだ。余程の大店でもなければ起重機の余裕はない。

 アーニェはランタンにああ言ったが、営業は苦しいはずだ。

「起重機も頼めばすぐに買えるわけではありませんからね」

「あー、やっぱり」

「そうそう買い替える物でもないですから受注生産ですし」

「なら、なおのこと早めに注文しないとダメなんじゃないの?」

「作ってる工房が限られてますからね。どこも一斉に注文を出してますよ。整備依頼も。どうせうちみたいな小さい店は後回しにされるんですよ。早くても年明けですかね」

「……レティシアさんから口利きして貰らおうか?」

「いーえ、結構です」

 ミシャは何故だかつんとする。

 それが怒気でないことはランタンには明白だったが、リリオンが宥めるようにミシャの手を握った。ミシャは安心させるようにその手を揺らす。

「起重機が来なければランタンさんは、探索に行けないでしょう? 病気明けなんですから、もうしばらく養生してくださいよ」

「養生しすぎて弱くなりそう」

 ランタンの言葉に大小の少女たちが顔を見合わせた。

 愛おしむでも呆れるでもない複雑な表情になって、それから二人だけで笑いあった。

「別にミシャを頼らなくったって迷宮には行けるよ。こんなに引き上げ屋があるんだから」

 ランタンは歩いてきた道を振り返り、ずらりと並ぶ看板を目で示した。

「どうぞご自由に。ランタンさんが望めば断る引き上げ屋はおりませんよ」

「……ミシャ、少し意地悪になったね」

「心配してるだけよ。それにね、さっき言ったことも本当。別に他の人を頼ったって怒らないよ。色んな経験を積むことは、きっと良いことだわ」

「そうかな」

「ええ、楽しいことばかりじゃないでしょうけど」

 ミシャは挑発的な眼差しで脅すように言った。ランタンは格好をつけて笑う。

「誰に言ってんの?」

「あなたによ、ランタンくん」

 ミシャは声を低く、ランタンを指差す。

 ランタンが言葉に詰まるとリリオンが尊敬の眼差しでミシャを見つめ、真似して呟く。

「ランタンくん」

 意識して出した低い声はなかなか迫力があって、ランタンはぞくりと身体を震わせた。

 リリオンはにんまり笑い、ランタンくんランタンくんと何度も繰り返す。




 どこでも事件の噂話をしている。

 事件は迷宮解放同盟と貴族の仕業だという陰謀論や、迷宮を取り巻く社会制度の話、ただ単純に事件を思い出して怖がったり、立ち向かった探索者や貴族を褒めたり、あるいは仕掛けさせてしまったことをなじるような話だ。

 主戦場の一つとなった探索者ギルドは、表面上の傷を綺麗さっぱりと消し去っていた。

 ギルドに襲撃を掛けた迷宮解放同盟の第一目的は、おそらくギルドの主戦力である治安維持局を釘付けにする事だったと言われている。ギルドに損害を与えることは第一目的に付随する結果に過ぎない。

 襲撃に参加した解放同盟員のほとんどは命を落とした。彼らの用いた戦法は命を惜しまぬ自爆戦法で、また一人目の自爆を合図に息の掛かった探索者や職員が内部蜂起するというものだった。

 なりふり構わない戦法で先手を取られたギルドが取った対応は、いつも通りの、問答無用の力による解決だ。

 建物内にいる全ての人間にギルドは不動を命じた。襲いかかる解放同盟員を前に、応戦姿勢を取った探索者も含めた命令である。

 命令を無視した人間を片っ端から行動不能にすることで、探索者ギルドは場を収めた。敵味方の区別は全てが片付いた後に行った。

 探索者ギルド治安維持局員、――通称、武装職員たちは改めてその恐ろしさを探索者に刻みつけたのだった。特に隊長格は、口にするのも憚られるような苛烈さであったらしい。

 探索者にとって力は正義である。だがあまりにも強引なやり口に不満も上がっている。貴族に後れを取ったことへの不満も、貴族の陰謀論の一因となっている。

 ギルドの建物は完全に修復されていて、知らなければここが戦場になったとは思えない。

 だが全身鎧の武装職員がそこかしこに立っていて、兜の隙間から鋭い眼光を覗かせている。

 探索者は基本的に野蛮で、喧しく、豪快である。魔道による防音がなされていてもギルド内は常に喧噪が溢れていた。そんな探索者が大人しい。

 監視の目に萎縮しているのだろうか。それとも肩を並べる友人が、あるいは同盟員であると疑心暗鬼になっているのか、事件で失った友人のために喪に服しているだけか。どうにも表情が暗い。

 探索者は特に信頼し合った者同士で小さな集団を作り、これからのことを語り合っている。

 静かで良い、とランタンは思う。けれど同時に物足りなさを感じているのも事実だった。

 これがかつてランタンを恐れさせた探索者か。

 無駄に自信に溢れ、乱暴で、粗野で、不潔で、喧しく、そして強い探索者がこの様か、と思う。

「あっ、ランタン!」

 探索者の一人が目敏くランタンを見つけると大きな声で名前を呼んだ。

「ついに探索再開か!?」

「いや、今日はお見舞い。いっしょに戦った人がまだ治ってないから」

「ああ、なんだそうか。これからどうなるんだろうな、俺ら」

 探索者はがっかりしたように言って、溜め息と一緒に肩を落とした。

「どうなるって、どうにもならないよ。探索者であり続けるなら、戦う以外の選択肢はないでしょ」

「そりゃそうだけど、もし探索中に、また……」

「まあ信頼するしかないよ、ギルドを」

「信頼できるか? 貴族とどっちがましだと思う?」

「さてね。どっちにしろ僕は迷宮に行くよ。そんな心配するぐらいなら、魔物に殺される心配したら? 弱気は死を招くよ」

 取り囲まれたランタンは肩を竦める。

「まあ僕はもう少しお休みだけどね」

 いいだろう、と自慢するように笑うと場が照らされたように明るくなった。

「おれら明日、獣系迷宮行くんだ」

「ふうん、お気をつけて」

「二週間ぐらい空いちゃったからぜってー、再出現(リポップ)してるよ。また虫地獄だぜ」

「嫌だよね虫って」

「ねえ、わたしたちの手伝ってくれない?」

「お姉さんたち僕より腕太くて強そうだし、いらないでしょ」

 探索者は口々にランタンに相談を持ちかける。軽い口調だが不安が付きまとっているのは明白だった。ランタンが適当に言葉を返すだけで、探索者は勇気づけられたように身体を膨らませた。

 事件があっても探索者としてのランタンは変わらず淡泊だった。人当たりは柔らかくなったが、それでもいつも通りの冷淡さに日常を思い出しているのかも知れない。

 探索者の中には竜種から飛び降りるリリオンを目撃した者も居て、彼らはリリオンの勇敢さを褒めていた。戸惑いながらも照れるリリオンは、その容貌の良さもあって男の探索者へ無駄に好印象を振りまいている。

 下心ある者が不埒な誘いを掛けていてランタンは面白くない。

 リリオンに対する探索者からの好意は、ランタンが望むものであるはずなのに。

「じゃあ僕らは急いでいるから」

 ランタンは穏やかな、それでいて有無を言わせない断りを入れる。にっこりと浮かべた笑顔に勘のいい者が震えている。

 ランタンはリリオンとミシャの手を取って、無人の野を行くようにギルドを出た。

「頼られてますね」

「邪魔なだけだ」

「みんな、不安そうだったわ」

 リリオンが、その不安に感化されたように呟く。

「仕方ないとは思うけど、いい大人がいつまでもぐちぐちとみっともない。あんなでかい図体して」

 ランタンは辛口だった。

 不安だろうが何だろうが迷宮を探索しなければならないし、どうせ行く者は止めたって行くのだ。ランタンがそうであるように、探索者とはそういう生き物だ。

「あの人も、早く迷宮に行きたいって言ってましたね」

「あれはあのままベッドに縛り付けといた方が世のためだと思う」

 ランタンはつい先程、見舞った半裸女のことを思いだして呟く。

「いやまあ、ちょっとご自分の快楽に素直ではありますけど悪い方では」

 起重機との合体攻撃で蛆の王を吹っ飛ばした女の傷は未だ癒えない。四肢を包帯でぐるぐる巻きにしていた。真逆に曲がった両腕は未だに使い物にならず、汚泥の沼を素足で駆けずり回った両足も重傷だった。

「あの人はいい人よ! わたし尊敬しちゃった!」

 身動きの取れない女は見舞いを大変に喜んだが、腕が使えないことをいいことにランタンを困らせるようなことばかりを言った。

 包帯がキツいから脱がせて欲しいとか、胸に汗疹が出来たから掻いて欲しいとか、トイレに行けないから云々とか、熱冷ましの座薬をどうのとか。

 もちろん全てを拒否したのは言うまでもないが、それはそれで悦ぶのだから手に負えない。悪人ではないかもしれないが、変態であることは間違いない。

 汚泥の毒によって半裸女の爪は朽ちてしまった。だがそれだけで済んだのは僥倖だった。彼女は危うく膝から下を切断しなければならなかったのだ。そんな汚泥の毒が頭にまで回ったのではないかとランタンは思う。

「早く治ると良いね!」

「頭がね」

 女の際どい発言をいまいち理解していないリリオンだけが純粋に彼女の完治を願っている。

 ランタンの世話を焼くことによって看病慣れしたのか、リリオンは女にとてもよくした。

 血行障害を起こして感覚のない足をせっせと撫でてやったり、喉の掠れをいち早く察して水を飲ませてやったり、頭を洗ってあげもした。女はリリオンには変なことは言わなかった。

「だからランタンだってお願いを聞いてあげたんでしょう?」

「だからって訳じゃないけど、まあ恩があるし。脚のことは僕の責任みたいな所もあるし」

「言い訳しなくってもいいのに」

 リリオンはランタンの物言いに唇を尖らせる。

「あ、ここっすよ」

 ミシャが看板を指差した。

 それは古い造りの、あまり繁盛してなさそうな古着屋だった。埃と水垢で白く曇った窓を覗き込むと店内は薄暗く、古着屋と言うよりは古布屋のように思えるほど衣類が雑然と積み重ねられている。

「うわ埃っぽい。くしゃみ出そう」

「私たちで貰ってきますから、ここで待っててください」

 嫌そうに呟くランタンにミシャは言い、たった数歩の距離なのにリリオンがミシャの手を取った。

 初めての店だから怖がってるな。

 ランタンはミシャの背にしがみつくようなリリオンの長身を見て笑う。




 半裸女からのあらゆる願いを拒否したランタンであるが、ただ一つ受け入れざるを得ない物があった。

 半裸女は孤児院の出であり、己と同じ境遇の子供たちをとても大切にしているらしい。彼女はそんな子供たちが凍えないように毎年冬服を大量に届けているそうだ。事件に巻き込まれたために服を届けることが出来ないのが、子供たちが凍えることが彼女は何よりも辛いのだと言った。

 子供たちに服を届けて欲しい。

 たったそれだけの願いを断るほどランタンは非道ではない。

 彼女が世話になった孤児院というのが下街にある。

 事件によって下街への抜け道として特区を使うことが難しくなってしまったので、ランタンたちは工業区側から下街に入った。そちら側の通用門は集積場や解体場と混ざり合って、一つの巨大な工場の体を成している。

 迷宮から持ち帰った資源は鑑定に掛けられて探索者の手を離れ、その多くが一度この工場に集められる。そして解体され、分解され、精製され、成型され、選別され、素材としての形を整えられて職人や商人の手に渡り、再び探索者の手に戻るのである。

 工場で出た廃棄物は焼却されたり、迷宮へ投棄したりもするのだが、そこへ辿り着くまで下街に山積みにされる。堆積したそれは廃棄物の山となり、そこは孤児だけではなく貧者たちにとっての仕事場と化していた。

 今にも崩れそうな塵山は、無機物も有機物も混然一体となりすえた臭いを放っている。だが大人も子供もその山に上り、まだ使えそうな金属や硝子などを掘り返している。

 有機物は腐敗し毒となり、金属はささくれとなって指を裂くだろう。棒のように細い足の子供が籠の重みに耐えかねて急な斜面を転げ落ちていく。

 ランタンも、あるいはリリオンやミシャも、そういう生活をしていた可能性は充分にあった。

 孤児院は廃棄物の山からは程良く離れたところにあった。

 元々は教会か、修道院だったのだろう。三角屋根の建物は手入れが回らず古ぼけていたがそれなりに頑丈そうで、その隣には平屋の建物が併設してあった。木の柵で囲まれた庭はかなりの広さで、雨水の溜め池があり、野菜を育てているのだろう耕された土地があり、ローソクや草花で飾られた十字架があった。

 教会や孤児院の前に捨て子があるのは珍しいことではなく、それらがすでに息絶えていることもまた同様に珍しくはない。

 貧困の中で死はすぐ側にある。迷宮の中と同じぐらいに。

 庭では子供が駆け回っていた。追いかけっこなのかもしれないが、追う者と追われる者の区別がつかない。擦り切れた服を着て、何が面白いのか判らないが、ひたすらに走り回っている。そうすることしかできないというように。

 木の柵はランタンの臍ほどの高さしかなく、だが門扉だけは背伸びをしたように顎ぐらいの高さがあった。ランタンの頭を飛び越えるリリオンの長身は、庭で駆け回る子供たちの注目を引くには充分だった。

 冬の風に銀の三つ編みを揺らすリリオンは銀の大刀を肩に担いでいる。鞘に納められたそれは大きな風呂敷が三つも括られていて、その中身こそが頼まれた冬服だった。

 だが子供たちにとって、突如現れた大女は恐怖の対象だったのだろう。

「ぎゃあああああああああああ!」

「歓迎されてるね」

 物凄い悲鳴を浴びて傷ついた顔をしたリリオンを慰めるようにランタンが笑い、門扉を押し開いた。門扉までもが大きな悲鳴を上げる。呼び鈴か、一種の警戒装置の役割も兼ねているのかもしれない。

 子供たちは建物の中へと一目散に逃げ込んで、ランタンたちは獲物を追い詰める肉食獣のようにゆったりとした足取りで庭を横切った。

 ミシャが建物の扉に手を掛けようとするのを制して、ランタンがそれを開けた。

「どうかしましたか?」

「した、いや、するのか」

 扉の隙間から突き出された棒の柄を軽く掴まえる。それはランタンの頭上を通り越してリリオンを狙ったものだ。

「ほんと歓迎されてるみたいだ」

 扉が押し返されそうになるのをランタンは吹き飛ばすように蹴り開いて、怯えと敵意を綯い交ぜにして睨みつける少年に視線を向けた。背はランタンよりも高い。だが二、三歳下だろう。頬にニキビを潰した赤い痕があって、止められてなお棒を突き入れようとしてくる。

「やめてくれない? じゃないと痛いよ」

 ランタンは棒の先を握ったまま軽く手首を返し、少年の重心をずらした。少年は棒を放せないまま、前につんのめって膝を突く、ランタンはそのまま棒を奪い取った。

 それは良く使い込まれたモップの柄だ。経年による乾燥と人の手脂でなかなかいい感じに仕上がっている。人を打ち殺すことも出来るだろう。

 建物はやはり教会だったようだ。そこは居住空間と化していたが、礼拝堂の名残をありありと残していたし、今もまだ祈りのために使われているのだろうと思われた。真正面の突き当たりに祭壇があり、十字架が掲げられ、蝋燭の炎が揺れている。

 そして雨宿りするみたいに十字架の下で少女と幼い子供たちが身を寄せ合っており、それよりも少し年長の子が警戒心の強い視線を向けてくる。一人だけ歳が二十を超える女性がおり、彼女は修道服に身を包んでいる。

「あなたがシスタークレアですか?」

 ランタンの問い掛けに、けれど応えたのは膝を突いた少年だった。

「何しに来たんだ! こいつらは誰も連れて行かせないぞ! 先生!」

「もう止めて、ギム! この子たちは悪いことはしていません!」

 シスターは立ち上がろうとして、修道服の裾を幼子が掴んでいる物だから盛大に転び、足蹴にされてそれでも縋り付くみたいに手を伸ばしてランタンに訴えかける。

 下街には強盗や人攫いも多い。そういったものと勘違いされているのかもしれない。

「……盛り上がっているところ悪いのだけど、人の話を聞いてもらっていい? リリオン、それ下ろして。ミシャ説明お願い」

「面倒くさがらないでくださいよ。――皆さん、こんにちは、怖がらなくても大丈夫ですよ。急なことでびっくりさせちゃったみたいですね。実は頼まれごとをされまして――」

 ランタンはうんざりするみたいにモップの柄を杖代わりにして寄りかかり、ミシャが商売っ気の強い笑顔でシスターに、そしてその後ろにいる子供たちを安心させるみたいに明るい声で状況を説明する。

 半裸女の名前を出すとシスターが飛び上がってミシャに駆け寄り、急にぼろぼろと涙を流し出した。

「無事、あの子は無事なんですか!」

「ええ今はギルドに入院しています。命に別状はありませんよ」

「ああ、神さま、ありがとうございます。ありがとうございます!」

 まるでミシャがその神であるようにシスターは跪き、ミシャの膝に額を擦りつけて何度も感謝を口にする。

 半裸女の生に驚いているのか、シスターの取り乱しっぷりに驚いているのか少年を初めとする年長組はぽかんとしている、年少組はシスターの涙に誘われてわんわんと鳴き始めた。

「状況が判らん」

 ランタンが呟くと、ミシャは無言で二の腕を抓ってくる。黙ってろ、と言うことなのだろう。ランタンは従順に口を噤んだ。

「シスターしっかりしてください。君もいつまでも座ってないで、お兄さんなら子供たちを安心させなさい。リリオンちゃん、ぱーっと広げてあげて」

「はーい!」

「ほら、みんなおいで、あったかい服がいっぱいあるよ!」

 リリオンが風呂敷の中身をぶちまけるように広げると、色取り取りの衣服が満開の花木のように広がった。

 十字架の影の中から一人の子がおっかなびっくりと這い出ると、それにつられたみたいにぽつぽつと後を追い、年長たちも動き出すと、あとはもう花弁を食い散らかす小さな生き物みたいな勢いで残りの子供たちも我先にと影から飛び出した。

 衣服の山の中に頭から突っ込んで、まだ開いてない風呂敷を破るように解き、どっちが先に手に取っただのと奪い合いになっている。

「これじゃあ収集つかないじゃん」

「そこでランタンさんの出番ですよ」

「がんばって!」

 さっき抓ったばかりの二の腕をミシャは撫で、リリオンが無責任に応援する。

 ランタンは無言で腕を前に突きだし、そこに出来るだけ小さな爆発を握り込んだ。

 それの音と衝撃は礼拝堂を満たし、蝋燭の炎を吹き消して、神の座に沈黙をもたらした。

 子供たちは何が起こったのか判らず、びっくりして動きを止め、不思議そうにランタンを見つめた。まん丸く見開かれた視線が幾つも突き刺さって、ランタンは嫌そうに視線を逸らした。

「シスター、あとはあなたの役目だ」

「え、あ、え、あっ、はいっ! はいっ、みんな、おちついてっ!」

「……まずあなたが落ち着いてください」

 ランタンがもっともらしく言うと、シスターがしゅんとして肩を落とした。


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