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カボチャ頭のランタン  作者: mm
05.Sunrise
134/518

134 番外編

飛行場へ行く何日か前の話


 リリララはリリオンのことをかなり気に入っている。

 それは名前に同じ響きを持っているからか、それとも己にはまったく縁のない天真爛漫さが羨ましいからか、あるいは真っ直ぐに親愛の情を見せる瞳が嬉しいからか。

 幾つもの理由が次々に沸き上がり、リリララはやるせなく溜め息を漏らした。

 なんにせよ好ましく思っている。身体付きは生意気になってきたが、世話の掛かる可愛い妹分だ。

 そんなリリオンが最近寂しげにしているのだ。そうなると姉貴分であるリリララは黙っていられない。

 それになにより寂しさの理由が、数少ない内の別の一人にあるのだった。

 迷宮特区の一区画でランタンが何やら探索者と会話をしている。下手な笑みを浮かべているのを見てリリララは眉根を寄せた。

 聞きたくもないがリリララの耳に会話の内容が飛び込んでくる。

 この魔物を仕留めたのは誰か、というよくある話だ。魔物は仕留めた人間に所有権があるが、戦いの最中にその権利は曖昧になりがちだった。相手の指揮者が強く自分の所有権を主張している。ランタンは一人で、相手は五人組の一般的な探索班だ。

 堂々と相対しているが、結局ランタンが引いて終わった。

 大人の対応をしたと思う。だが立派だと思う気にはならない。

 リリララは悔しさに唇を歪める。

「へらへら笑ってんじゃねえよ……」

 ランタンの様子でも教えてやろうかと思いやって来たのだが、これをリリオンに話す気にはならない。嘘八百を並べてもいいが、それでリリオンは慰められはしないだろう。

 リリララは踵を返そうとして、ふと自分と同じように、あるいはそれよりも真剣にランタンを見つめる視線に気が付いた。

 少しだけ苦手なんだよな、と頭を掻いて、だがそちらに近付いた。

「なあ、ちょっと話いいか?」

 声を掛け見上げると、起重機から丸い瞳がリリララを見下ろす。

「あいつの事で話があんだよ」

「――構いませんよ」

 ランタンの最も古い知人、引き上げ屋のミシャが頷く。




134




 それは商業区の、馬車の通れぬ小路の中でもことさら狭い路にある。

 路地にはみ出し椅子が並べられ、目隠しの暖簾は継ぎ接ぎで、振り返れば路を挟んだ向こうの壁に触れることができそうだ。一見すると屋台のように見えるそれは、こぢんまりとしているがきちんと届け出の出された酒家である。

 六人座れるカウンター席が店の全てで、そこに四人の女性が座っていた。

 右からミシャ、リリララ、リリオン、レティシアである。

 カウンターの向こうには縦に細い厨房があり、店主が鉈のような包丁で骨ごと肉をぶった切っており、幼い少女が独楽鼠のようにちょろちょろと忙しなくしている。店主と同じく濃い砂色の肌は親子の証か、それとも同郷のよしみで雇っているだけか。砂漠地方の出身であろう二人は極めて寡黙で、妙な組み合わせの四人に興味を示す素振りは見せない。

 このような場所にはまるで縁のないレティシアが落ちつかなげにきょろきょろしやや不安げで、その隣でリリオンもきょろきょろとしていたがレティシアとは違いはち切れんばかりの興味がある。

 リリララが慣れたようにカウンター向こうの酒瓶を勝手に取り寄せ、濁酒を椀に注ぐ。

「本当に、よかったんでしょうか?」

「かまやしねえよ。これも社会勉強、社会勉強。お前も飲みねえ」

「それならいいですけど。どうも」

 適当な乾杯をすましミシャは注がれた濁酒を、ちびりと舐める。原始的な米酒でとろりとした粉っぽさが残っている。ほのかに甘みがあるが癖も強く、白っぽい見た目に騙されがちだが度数はなかなかだ。

 ここで出てくる料理は煮込んだ肉と付け合わせの(かぶ)の酢漬けだけだ。手を伸ばせば届く距離に大鍋が二つ煮えている。一つは白濁スープで、もう一つは唐辛子と脂が蓋をするように浮いた濃紅スープである。

 濃紅スープを穴の空いた大きなお玉で底から浚うと、真っ赤に煮込まれた肉が姿を現す。大盛り一杯を鉢に盛りつけて、それを摘まみながら酒を飲む。蒸気が赤く染まるほど辛いそれはそのまま食べてもいいし、辛さが苦手ならば白濁スープで薄めてもいい。

 とろとろに煮込まれた肉、小腸だか大腸だかのぶつ切りを口に入れるとじゅわっと汁が出て舌から喉までがひりつき痺れる。ぶわっと額に汗が浮き、冷えていない濁酒が冷たく感じる。

 ミシャとリリララは頬を赤くしながらそれをぱくぱくと口に運び、リリオンとレティシアは一口食べると麦酒(エール)を一気飲みし、残った牛肉に白濁スープをたっぷりとかけた。恐る恐るともう一口。

「ううむ、まだ辛いな」

「でもスープかけると美味しいわ。辛いけど」

「うむ、酒が進む」

「わたし、もう飲んじゃった。かってに注いでいいのかしら」

 二人とも何だかんだで手が止まらない。

 時折、甘酢で漬けた蕪でぱりぱりと小気味よい音を立て、酒がどんどんと進んでいった。リリオンは好奇心旺盛に色んな酒を試し、褐色肌のレティシアさえ肌の赤みがまし、四人はほろ酔いから一歩足を踏み出していた。

 リリオンはすでに踏み外している。地獄の底まで真っ逆さまだった。

「探索前、以来だな」

「ええ、そうですね。あの時も――」

 ミシャがくすりと笑った。

 あの時はもう少し女性が好みそうな料理を選んだのだ。甘いデザートをつまみながら、けれど結局、話題は今と同じだった。

 リリオンがカウンターにべったりと頬をつけて、ぐじぐじとランタンに文句を垂れている。

 寂しい寂しいと嘆く少女を慰めるのも三周りしたところでもう飽きてしまった。ランタンの前で寂しさを隠す健気さを愛おしく思ったが、飽きてしまったものはしょうがない。

 レティシアが少女の髪が鉢に入ってしまわないように気をつけることだけが、唯一の気遣いと言ってよかったが、酒を飲み、肉を食い、蕪を摘まむその片手間である。

「そういう人ですしね。しょうがないですよ」

「んだよ、冷てえ言い方しやがって」

「実際そうなんだからしょうがないでしょう」

 リリララがミシャに突っかかっていこうとするが、急にリリオンが身を起こして飲み()しの麦酒を飲み干した。どん、と叩き付けるようにジョッキを置いたのは、ただ目測を誤ったからだろう。自分でやったのに、びっくりしている。据わった目がはっと見開く。

「――昔の、ランタンのこと聞きたい。ミシャさんが会った頃の、ランタン、知りたい、わたし」

「カタコトだな。すまんが店主、水を頂戴したい」

「ランタンさんのこと? 凄い嫌がりそうだなあ、あの人。意外と格好付けだし」

 リリオンの前では特に、張り切っている。あの姿を見ているとミシャは微笑ましく思う。

「お、その言い方だと昔は格好悪かったのか?」

「ふふっ、今は格好いいっていう言い方ですね」

「うるせえ、ちゃかすなよ」

「ランタンは格好いいよ! いい匂いもするわ! わたし、辛いの食べる、ランタンは甘い味する」

「おお、食え食え、食って太ってしまえ。いや、ランタンは食うなよ」

「からいっ!」

「ああ、もう立ち上がるな。ほら水をお飲み」

 そもそも人が多く来るような店ではないが、それでも常連を持つ店である。時折、暖簾をはらりと捲って顔を覗かせることもあった。だが客たちは管を巻く女たちの異様さに何も見なかったことにして踵を返し、二つ余っている席が埋まることはない。店主が注意をしないのは酒を空けるペースが尋常ではなく、かなりの金を落としてくれるからだった。

 ミシャは蕪漬けを口に放り込み、懐かしく頬を緩めた。

「――最初見た時は、陰間から逃げてきた男の子かと思いましたよ」

 陰間とは、いわゆる年若い少年が身を売る男娼館の事である。娼館は公然と存在しているが、男娼館はそう言うわけではなかった。そこを利用する客はもっぱら聖職者や貴族であり、人目から逃れるように存在している。高級男娼ともなれば下手な貴族よりもいい暮らしをするが、そうでもない者は人目につかない分だけ手酷い扱いを受けることも多い。

「そっちにすげえ人気あるよなあ、あいつ。なあレティ」

「まあ、そうだな」

 レティシアを訪ねてくる貴族の中に、そういう目的でランタンとの対面を望む者が実は多い。だがランタンはその事実を知らない。レティシアがそういった話を全て遮断して、ランタンの耳を汚さぬようにしているからだ。そのためレティシア自身がそうである、という噂も社交界では流れている。

「今と身体付きはそんなに変わらないですよ、もっと痩せてましたけど。ただ、こう、ぼろぼろの服を着ていて、けど何か妙に小綺麗で、こう、ほら、わかりません?」

 ミシャは両手を広げて、もどかしげに何かを表現しようとしている。リリララもミシャもぴんときているが、言葉にしない。

「ほら、変な感じあるでしょう? あの人」

「わからんではない」

「あー、まあな」

 言うべきかどうかの牽制が三人の間で行われる。リリオンだけが正直に言葉にした。

「ランタンに、さわりたくなる、感じ?」

「……有り体に言えば。いやまあ、そんなことはどうでもいいんです。そんな男の子がいきなり仕事帰りの私の所に来て、迷宮に行きたいと」

「二つ返事で了解したわけじゃねえよな」

「そりゃもちろん。お金持ってるようには見えなかったし、足りなかったし、なによりすぐ死んじゃいそうな感じがしましたし、棒きれ一つ装備していなかったんですから。だから言ってやりましたよ、自殺なら余所でやって、って」

「……」

「まあ、もう少し優しい言い方はしましたけど」

 少しどころではなかったのはミシャの秘密である。

 見かねてご飯も食べさせてやったし、自分の古着も与えた。渡したズボンに足を通し、少し緩い、と呟かれた時はさすがに怒ったが、探索者になる方法も教えたし、その危険さも教えたし、脅しも掛けたし、引き止めもした。

 どうしてそこまで親身になったのか、理論的に説明することは出来ない。引き上げ屋の勘で物凄い探索者になると思った、と言えれば格好がつくのだが、今のランタンをその時のミシャは想像できなかった。

 結局はランタンが妙に可愛かったからだろう。

 所在なさげに佇む少年は、女の母性や庇護欲を絶妙に擽るのだった。そしてその時の雰囲気をランタンは今も残している。

「でも結局は迷宮に送り出したんだろう?」

「私が断っても、他の引き上げ屋に向かったでしょう。頑固ですよね、なんだかんだで。どうやったのかはわかりませんがお金を作ってきましたし」

「身体でも売ったんじゃねえの?」

「それが出来る人なら探索者してないですよ」

「ちょっとした冗談だよ。怖い顔すんなよ、ミシャちゃん」

「なんですか、ミシャちゃんって。酔ってるんですか?」

 リリララの杯を空けるペースは早い。濁酒を一瓶全部飲み干したらしく、赤ら顔でミシャに絡んでいる。

「酔ってるよ。いいだろ、ミシャちゃん。てめえだって二人っきりん時はランタンくんって言ってるじゃねえか。やらしいな、おい」

「盗み見なんて趣味が悪い。そっちの方こそいやらしいじゃないですか」

「見たんじゃなくて聞いたんだよ。それにあたしはこれが仕事なんだ。いやらしくて悪かったな」

「まあまあ二人とも、その辺で」

 この場で最も正気を保っているレティシアが、叱るようにリリララの耳を摘まんだ。

 ふらふらと揺れながら昔話を聞いていたリリオンがとろんとした目付きでミシャを見る。

「ランタンくんって呼ぶと、ランタンはよろこぶ?」

「んー、どうだろうね。たぶん嫌がるんじゃないかな。そう呼ばないでって言う約束だったの。今でもはっきり覚えてる。ちゃんと帰ってきたら子供扱いするなって」

 ミシャは酔いの回ってきた頭でふと思う。

 あの強がりこそが、ランタンの本質なのかも知れない。力もなく、頼る者も少なかったあの時、それでもランタンは誰かに頼ることを良しとしなかった。

 ミシャはランタンを心配した、ランタンにもわかる形で。

 きっとランタンが望めば、アーニェに引き上げ屋で働かせもらえるように頼んだと思う。もしかしたら自分の稼ぎで養ってあげていたかも知れない。いや、それはさすがに今だからこそ、そう思うのだろうか。

 ランタンは値引き交渉の一つも口にしなかった。提示した引き上げ代をきちんと用意してミシャの前に再び現れ、他の探索者とまったく同じ客としての立場を望んだ。

 不器用である。けれどそれ以上に気高い。時折、胸が苦しくなる。

「ランタンさんって、なんなんでしょうね?」

「ランタンは、ランタンよ。やさしくて、つよくて、ちっちゃくて、いいにおいがするの。かっこうよくて、あったかくて、どおんって火がでて、すごいの。すごく、やさしいの」

 リリオンが尽きぬほどにランタンの良さを列挙していく。酔いに舌が縺れるのがもどかしいと言うように捲し立てる。

「リリオンちゃんは、ランタンさんのことよく知ってるね」

「――ううん。ランタンの、弱いところ、わたし知らない、見せてくれない」

 急に酔いが醒めたみたいに白い顔で、リリオンが寂しげに呟いた。レティシアがその肩を抱いてやった。

「しょうがねえよ、そうやって生きてきたんだから。染みついた習慣は、そうそう抜けねえよ」

「リリオンちゃん」

 ミシャはぽつりと、優しく声を出した。

「リリオンちゃんと出会って、ランタンさんは変わったよ。すごく柔らかくなった。知ってる? ランタンさんって人に触られるのがあんまり好きじゃないの。だからリリオンちゃんと手を繋いでるところ見て、私びっくりしたんだから」

 ランタンは捨てられた子猫のように、全てに対して警戒心を抱いていた。ミシャの方から触れることはあっても、ランタンの方からミシャに触れることはまずなかった。信頼されていないわけではない。だが一定以上の距離が詰まらなかったことも確かだ。

 ミシャがゆっくりと築き上げてきた関係性を、リリオンがあっという間に追い抜いていった時は少し悔しくもあった。だがランタンを変えた純粋さに一度触れれば、それに納得してしまう。それどころかミシャは一気にリリオンを好きになってしまったのだ。

「ランタンさんって、すっごく大人びて見える時がありますけど、すっごく幼く見える時もありません?」

「たしかにあるな。妙に専門的な知識があるかと思ったら、当たり前の常識を知らなかったり。隙がなさそうだけど隙があるというか」

「たまにリリオンちゃんよりも下かと思う時がありますよ」

「わたし、おねえちゃん、ランタンの、うふふ……へへへへ」

 あやしげな妄想をしてだらしのない笑みを浮かべるリリオンの表情はこの上なく幼い。

 さすがにこれより幼くなることは少ない。ミシャはちらりとリリララを見る。赤錆の瞳と視線が絡み、同じランタンを見た物同士、やるせなく肩を竦める。

「あいつ、自分に自信がないんだよ。自分を知らねえんだ、どんだけ自分が凄いのかを」

「……過去を知らないことが、関係しているのかもな。ミシャは聞いてるか?」

「記憶障害のことですよね。ちらっとは」

 ランタンはその事になると口籠もる。知らないことを語ることは出来ない、だから口を噤むのかもしれない。

「どう思う?」

 ミシャは思案するように杯に唇を預けた。

 まったく何も覚えていないわけではないと思う。それを口にしない理由は、説明が面倒だからかもしれないし、本当に覚えていないからかもしれないし、口に出来ないような過去だからかもしれないし、彼自身があまりその事に興味がないからかもしれない。

「言いたくないことは、誰にでもありますよ」

 ミシャは汗ばんだ襟元を小さく広げ、風を送り込んだ。

「タイミングを逃すと、身の上話ってし辛いですしね」

「自分のことか?」

「ええ、まあ」

 人の心に踏み込むことは怖い。そして同時に心をさらけ出すことも。

「そんな風にあっさり認めるんなら、言やいいじゃねえか」

 リリララが唇を曲げて不満げにミシャへと言った。けっこうな世話焼きだな、とミシャは微笑ましくなる。見聞きすることが仕事の、このメイドはきっともう知っているのだろう。

「おはようございます、今日はいい天気ですね」

「はあ?」

「ところで私には()が生えています、なんて馬鹿みたいじゃないですか? それにランタンさんと会うのは基本的に仕事中ですし、探索前に余計なことに気を使わせるのも」

「きば?」

 リリオンがきょとんとした声を上げた。

「うん、私には牙があるのよ。ええっと、ずっとしまってたから、どうやるんだったかな。――ほら」

 ミシャは口を開いて、咽頭の辺りに力を入れた。すると折り畳まれていた細く鋭い牙が立ち上がり、リリオンは驚いたように目を丸くして、ミシャの真似をするみたいに口をぽかんと開いた。

 ミシャは蛇人族である。

「すごい」

「ありがとう。……――毒もあるのよ」

「すごい、すごいっ!」

 リリオンがきらきらした視線で、ぱちぱちと拍手をしている。

 だが有毒種は同種間でも忌まれる存在だ。例えば生みの親に捨てられ、そうと知られれば孤児院でこっぴどく苛められるぐらいには。

 過去も今も、闇社会にその体質は重宝される。

 ミシャは飲み込むように牙をしまう。

 隠すのが上手くなった。隠していることが普通になって、ランタンにそうと悟られないほどに。だがその分、どうやって口にしていいのかわからない。怖さも、きっとあるんだろう。

「ランタンも、きっとすごいって言うわ!」

「そうかもね」

「って言うか気にしねえんじゃねえの」

「ええ、あの人、母を見てもびっくりしてただけですからね。リリオンちゃんと同じで」

「え? あ、アーニェさんがミシャさんのママ?」

 例えば血の濃い亜人種であっても、アーニェのような複腕は異端だ。

 かつて、あるいは今でも人族が亜人族を獣扱いするように、人族の姿から離れるほどに人間から遠ざかっていくと言う考え方がある。二足二腕こそが人間であり、自在に動く六腕や、ましてや額の複眼などもっての外だった。獣どころか魔物扱いされることも、過去には公然とあった。

「そう。私、養子なの」

 ミシャは笑った。あやうくしまった牙が引き出されてしまうところだった。気分がすっとしている。リリオンの反応はただ素直で、優しい。

「は? あ、お前もしかしてそんなことも言ってないのか!」

 そしてリリララは厳しく、だか彼女も優しいのだろう。

(うち)に来たランタンさんに、こちらが私の母です、って? 嫁入りみたいね」

「ごまかすなよ」

「……わたしが、言う?」

「――リリララ、リリオン」

 レティシアが窘めると、リリララは不満げな表情で唇を結んだ。リリオンも叱られたみたいに口を噤む。

「自分で決めることさ。人にとやかく言われる事じゃないし、自分の口で言いたいんだよ」

 リリオンがはっとしてリリララにのし掛かるように身体を伸ばした。ミシャに顔を近づける。

「うわ、やめろよ、重い、あたしの耳で口を拭くなっ!」

 リリララが怒鳴り散らし、リリオンはお構いなしにミシャの耳に口を寄せた。囁きはミシャにしか聞こえず、カウンターの向こうでは変わらず店主が肉を切り、娘が働いている。

 ミシャはただ驚いた顔をして、それから納得したように頷く。告白された少女の秘密に現実感はない。だが嘘を吐く必要もないのだから真実なんだろう。だからランタンは、これほどリリオンに対して過保護なのだ。

 ミシャの頷きに、リリオンがほっと息を吐く。ほんの僅かな間でさえもが怖い、その気持ちはよくわかる。

「私、鱗もあるのよ。見せてあげるね」

 ミシャは悪戯に笑って襟元を引っ張ると、リリオンは顔を突っ込むみたいにその隙間を覗いた。

「わ、白い、きれい」

 リリオンはすんすんと鼻を鳴らす。

「ありがとう。リリオンちゃんも、背が高くて綺麗よ。羨ましいわ」

「じゃあ、わたしも見せてあげる!」

「なにを? って、あ、けっこう大きい」

「もっと大きくなるって、シュアさんがいってた。うふふ、ママみたいになれるかな?」

「うちの母だって負けてませんからね」

 二人はくすくすと笑って、潰れたリリララはもう諦めの境地である。レティシアがリリオンの髪を引っ張って助け出すと、兎の少女は襟元を正す振りをして自分の胸元を確認し、肩を落とした。ミシャがぽんぽんと肩を叩いた。

「秘密暴露大会でもします?」

「しねえよ。レティが実兄に懸想(けそう)してたとかそう言うのしかねえから」

「お前、リリッ、何をっ! お前も似たようなものだろうが!」

「はあ? 誰があんな薄情な筋肉ダルマっ!」

「人の兄を筋肉ダルマだとぉ!」

 今度はリリオンを挟んでその頭上で取っ組み合いになっている。レティシアの目が血走ったり、リリララの頬が真っ赤なのは酒の所為ではないだろう。

「けんかはだめよ」

 リリオンが首を縮こませて、おっかなびっくりと呟いた。二人は酒臭い息を吐き、組み合った両手を解く。

「――ランタンさんの話でもしましょうか」

「それがいいわ!」

「おう」

「うむ、そうだな」

 四人は乾杯しなおし、口直しに麦酒を空にすると、今度は蒸留酒に手を伸ばす。瓶の中には鋏の大きな蠍が沈んでいる。味の方はそれなりだが、麦酒でも流しきれなかった濁酒の甘ったるさを打ち消すにはちょうどいい。

「ぽっぽしてきた」

 辛みによる発熱効果とはまた別の、身体の奥底から湧くような熱がもたらされる。リリオンが服の裾を引っ張りだし、臍が見えるのも構わず身体を扇ぐ。

 ミシャは探索者らしく引き締まった腹部に一瞬見惚れた。

 探索者には自らの肉体を誇る者が多い。はち切れんばかりに膨らんだ力こぶや割れた腹筋を見せびらかしたり、触らせてくれたりと。探索前にそういうのを褒めるのもミシャの仕事だった。

「――探索者さんって、聞いてもいないのに自慢話してくれるんですよ、皆さん。こんな困難な迷宮に挑むんだぞ、こんな強い魔物をやっつけたんだぞって。でもランタンさんって、そういう話をあまりしないんですよね。……この業界って、強いことは偉いじゃないですか。ランタンさん、あれだけ強いのに、それが、こう、根本的な芯にはなっていないというか」

 なんて言うのかな、とミシャは言葉を探す。

 こんな風にランタンを語る時が来るとは思わなかったから、ここぞと言う時に言葉が出ない。

「探索者さんたちとは違う、えー、うー、いや、私たちとも違うんですけど、ええっと」

「価値観が違う」

「それだ! ――それです、すみませんレティさま、生意気な口を」

 思わず指差してしまったミシャは慌てて指を引っ込めた。レティシアは苦笑して、首を振る。

「気にするな。酒の席でのことだし、私はもう友人だと思っているよ。それにこれなんてメイドのくせに呼び捨てだからな」

「ああん? あたしはレティの魔道の師匠だろうが」

「ほら、お師匠、水を飲め、リリオンもだ。――ランタンはどこから来たんだろうな。実は今でも探ってはいるんだが、余程の辺境から流れてきたのか。――いや、こちらの方が辺境かもな。力に価値がないと言うことは、争いが少ないと言うことだし」

「ほんと、どこから来たんでしょうね」

「……どこでもいーよ」

 冷やを飲んで落ち着いたのかリリララが小さく呟く。

「ランタンは、いるわ。ランタンは、いるの、ここに」

「あいつ、すげえ強いのに、どうして、どうしたらいいと思う」

 二人揃って沈んだような声を出した。

「弱音は吐かない、人に頼らない、悩みも傷つきもするけど、立ち止まらない。なら、彼と向き合う時、正しくあるしかないですよ」

 自分に言い聞かせているようにミシャは言った。

「必要な時に、正しい言葉を伝え、正しい行動を取ることが出来るように」

「めんどくせえ男」

「そこが可愛いんじゃないですか」

 ずいぶんと酔いが回っている。

 誘われた時は少し不穏な気配を感じたが、気が付けばずいぶんと楽しんでいる自分がいる。ランタンが居たらと考え、きっとこの場に彼が居ないから楽しいのだろうと思った。

 はっきりと言ったミシャにリリララはぐうの音も出ない。ミシャがにっこりと微笑むと、負けん気が強いのだろう不敵に笑った。

「でもっ、わたしは、たよってほしい。ランタンに、ランタンから」

「そうだな。ランタンが頼りたくなるぐらい、その時に応えられるぐらい、強くあらねばならんな」

「ランタンが、わたしにしてくれるみたいに、ランタンのこと、ぜんぶしてあげたい」

 リリオンは料理の辛さと酒と色んな感情に顔を真っ赤にしており、うわごとのように呟く。興味半分、悪戯半分、ミシャは白々しく尋ねた。

「ランタンさんは、どんなことしてくれるの?」

「してくれるんじゃなくて、したいの! あさおこしてあげて、かおあらってあげて、おきがえさせてあげて、ごはんたべさせてあげて、おみずのませてあげて、おくちふいてあげて、てをつないで、だっこして、だきしめて、たんさくして、ごはんつくってあげて、いっしょにおふろはいって、からだあらってあげて、きがえさせてあげて、おやすみのきすをして、いっしょにねるの」

「……」

「半分ぐらいだぞ、実際してるのは」

「いやいや、半分の半分ぐらいだろう。それに最近はほら、忙しくしてるから、あ」

 リリオンは肩を落とした。また寂しい寂しいと呻き、寂しさを我慢するように歯を食いしばった。

 だが歯の隙間から声が漏れる。

「わたし、らんたんを、あまやかしたい」

 ばっと立ち上がって、顔を上げた。

「わたし、らんたんをっ、あまやかしたあいっ!」

 馬鹿みたいな、それでいて正々堂々とした宣言だった。三人はすっかり酔いが醒めて、ありがたい言葉を聞くみたいに背筋を伸ばした。リリオンは拳を握ったまま、ふと表情を緩める。

「――おしっこしたい」

 三人が慌てて顔を見合わせた。暖簾をくぐって入ってくる冷気に、リリオンが身体を震わせる。酒気の混じる汗が風に冷やされ、これはちょっとまずいんじゃないのか、と三人の思考がぴったりと一致する。

「うわ、どうする。その辺でさすか?」

「馬鹿言うな、そんなはしたないことさせられるか。ネイリングの名折れだ!」

「誰も見ちゃいねえよ!」

「そこで争ってる場合ですか、取り敢えずお会計! ああ、リリオンちゃん我慢よ!」

「馬車まで走れっ!」

「はしるとでる」

「早歩きだっ、屋敷まで、いやせめて馬車まで我慢しろよ!」

「らんたんに、おみやげかう」

 レティシアとリリララに前後を挟まれて、内股で小路を早歩きするリリオンを見てミシャは笑みが抑えられない。

「これ包んでください、――はあ、ランタンさんが甘やかしたくなるのわかるなあ。でもちょっとやりすぎかな、お風呂って、あの身体で……ランタンくんとお風呂」

 リリオンと出会ってランタンは変わった。

 あんな風に色んな人に心配をしてもらっている。それを自覚したら、律儀な人だから、きっと心配をかけまいとまた頑張ってしまうのだろう。

 だが頼られることを知り、やがて頼ることを知るのだろう。

 頑なに隠していた幼さが、リリオンと一緒にいて顔を覗かせるようになった。

 それはつまり気を緩めたと言うこと。

 あのランタンが肌を触れさせるのは、気を許している証拠だ。

 リリオンは気付いていないかもしれないが、ランタンはリリオンに甘えているのだと、ミシャは思う。

 リリオンが甘えてくるから仕方なく。リリオンはそんな言い訳をランタンに与えている。

 いつの日かランタンが触れた頬、思い出せば今も熱くなる。

 人の温かさは癖になる。

 リリオンに感化されている。いつか甘えん坊の少女のように、ランタンも甘えん坊になるかもしれない。

 ミシャは肩を振るわせてくつくつと笑い、いつか来るかもしれないその日を想像して頬を赤らめた。


ランタンを甘やかし隊

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[一言] 甘やかし隊(一個大隊)
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