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迷宮の解放。
彼らの掲げる題目の、その答えがこれであるとはランタンは思えなかった。
彼らは迷宮の解放が世界のあるべき姿だと、そう考えていたはずだ。希望によってその信念を支えていたはずだ。
こんなものが正しい姿であるはずがない。眼前には地獄よりもおぞましい光景が広がっている。
まず溢れ出たのは骸骨兵。骨の戦士は朽ちた装備で身を固め、肋骨の隙間から青昏い光を覗かせ、それは鼓動に合わせて明滅している。そして腐人や屍食鬼、穢れを纏う獣どもが続き、大蝙蝠や食人蝿、実体を持たない死霊までもが飛び交っている。
なによりもおぞましきは最終目標だった。
闇色の聖衣を纏うそれは一見すると骸骨に見える。フードの中にある髑髏や拗くれた杖を握る手は骸骨兵と同じく白い。
だがそれは柔らかく蠢いている。最終目標は幾千幾億の蛆によって身体を覆っている。
苗床の支配者、疫病の大司教、妖蛆の王。そんな風に呼ばれる魔物である。心の弱い者なら視界に入れただけで発狂しかねない。対峙するだけで心が削れる。
身を投げた者たちの、絶望が形を成したのかもしれない。
王は聖衣の裾を沼地のように広げ、ランタンたちが打ち倒した亡者を沼に引きずり込む。それは墓地であり母胎である。沼からまた新たな亡者が生み直された。
蛆の王は呪詛を唱える。
口を動かす度に噛み潰された蛆が液体を散らして聖衣を汚した。どこから現れたのか、亡者どもの足元から無数の蛆が這い上がって、その身を白く包んだ。腐肉を纏う亡者はそれを食われ、骸骨兵も腐人も区別はなくなる。蛆は肥え、亡者どもは一回りも巨大になった。
不死系の魔物は、陽の下では長く存在を保てない。だがここはすでに妖蛆の王の力場だった。局所的だが、世界の理を支配するほどの力を秘めた最終目標だった。
ランタンは奥歯を噛み締める。多くの迷宮を攻略してきたが、これほど冒涜的な戦場は初めてだった。
蛆の鎧を身に纏った亡者はよりいっそう激しさを増してランタンたちに襲いかかる。
「寄るなあっ!」
ランタンが吠えると地獄すらを焼くような業火が吹き荒れる。
ジャックが赤熱する二振りを構えて駆け抜けると、白い蛆鎧が黒々と炭化し亡者が頽れる。半裸女が鎚を振り回すと、蛆鎧が千切れ飛び、骨子が粉砕された。
間断なく降り注ぐ魔道は実体を持たぬ死霊を打ち祓い、十重二十重の腐肉の壁を飛び越えて蛆の王を狙った。
蛆の王が杖を掲げる。蝿の薄翅じみた障壁が、魔道を完全に遮断する。
「ランタン、出過ぎだ! 無茶するな!」
ジャックの制止を無視した。このままではじり貧で、無理をしてでも突破口を開かなければ、絶望の波に飲み込まれることは明白だった。
汚泥の沼がじわりじわりと広がっている。蛆の王との距離は、時間が経てば経つほどに遠のいていく。探索者たちの猛攻に亡者の数は一時的に減少させるが、王へと接近する間に蘇る。
ランタンはポーチを漁った。
何時までも後生大事にとっておいては意味がない。ミシャを守るため、魔女はこの場にいない。彼女から譲り受けた小瓶をランタンは手の中に握る。
半裸女が強烈な一撃を沼の縁に叩き付けた。
花咲くように地面が捲れ上がり、ランタンはその中心に飛び込んだ。
瓶を砕き、そのまま強く拳を握る。膨張する気体を拳の中に閉じ込め、けれどそれは指と指の隙間から勢いよく溢れ出した。燃えろ。それはただ唯一、蛆の王へのみに向けられた指向性の破壊。その直線上にいる亡者が消し炭と化し、沼は枯れてひび割れ、轟炎は障壁ごと蛆の王を包み込む。
炎の中で蛆の王が身を捩った。聖衣を翻し、杖を回す。沼が巻き上がり蛆の王を囲んだ。炎の道の左右から、亡者が覆い被さるように殺到する。ランタンは閉ざされつつある道を飛ぶように駆けた。
醜悪なる気配。蛆の王は健在。
戦鎚を振りかぶって全力で叩き付ける。
「くっ、そっ!」
思わず吐き捨てた。その一撃は杖によって受け止められる。王を構成する蛆が吹き飛び、その下から現れたのは食い荒らされたやせ細った純白の骨。
ランタンの打撃を受け止めて崩れることがない。
骨が覗いたのは一瞬。猛烈な勢いで蛆が骨を覆い、杖を伝い、戦鎚に乗り移った。
黒い戦鎚が瞬く間に白く、軽く。
蛆は戦鎚を喰らい、その勢いのままランタンに迫る。
消し飛べ。
声を出す暇もなく、ランタンは爆発を放った。熱と衝撃に蛆は死滅し、だが次から次へと夥しい数のそれらはランタンの肉体を狙って押し寄せる。押し切られる。
心の奥の方が悲鳴を上げる。だがランタンはそれを無視し、選んだのは更なる前進だった。
抗い、進み続けなければならない。
腕を十字に交差し顔を隠し爆炎を纏って蛆の群に突っ込んだ。産衣のように身を守る炎が、蛆を焼き払い、王に近付くほどに削り取られる。
だが近付けば、全力で爆発を放てば。
「あ」
腕の隙間からランタンの喉が覗く。骸骨の虚ろな眼窩に仄暗い光。
「――か……っ」
怖気。
蛆の鎧を脱いだ細い骨の指先が、ランタンの白い首を。
ランタン。
少年の名が叫ばれる。
「野郎っ!」
ジャックが熱式ナイフに仕込まれた魔精結晶を活性化させる。結晶はひび割れ、炎を吹き出しジャックの手を焼いた。ジャックはそれをしっかりと握って振りかぶった。超過活性に刀身を白熱化させたナイフが飛ぶ。
障壁を貫通し、白刃が蛆の王に深々と突き刺さった。骸骨の虚ろな眼窩から炎が溢れる。
魔道使いが障壁に空いた穴をこじ開けるように、修復されつつあるそこに魔道を集める。個人の力で突破することを出来なかった己を呪う彼らは、恐るべき集弾率で魔道を放ち続けた。
「ランさまっ!」
半裸女が沼を渡る。超重の鎚が水面を切るように跳ね、女は脛まで汚泥に浸しながら再誕する亡者を粉砕して蛆の王へと接近する。
「――ランタンくんっ!」
原動機の唸り。名を叫ぶ声。
入り口を破壊して現れた起重機にはミシャと、そして魔女の姿があった。
「滅びなさい!」
魔女の指が真っ赤に染まった。霜焼けし、ひび割れる。凍てつく波動が吹き荒れ地獄が氷に覆われる。亡者どもが動きを鈍らせ、それらを覆う蛆の鎧がぼろぼろと剥がれていく。
氷の装甲を身に纏った起重機が氷土を踏み割って地獄を駆けた。問答無用に亡者を轢き、貫き、砕き、潰し、ミシャの意志を具現化したような鋼鉄と氷の塊が猛進する。
名を呼ばれる度にランタンの首筋がひくついた。
骨の指先にはそれほどの力が込められているわけではない。だがランタンの身体は持ち上げられ、幾千の針束を神経に突き立てられたようなざらついた激痛に呼吸もままならない有様だ。裂けた皮膚から血が溢れ、純白の指先を真っ赤に染めた。
「ふ……」
辛うじて漏れた呼気が音をなす。ランタンの眼差しは今なお気高く燃え続けている。腹の底から沸き上がる力は、爆発の前兆に感じるものだ。だがそれが頸動脈の所で遮られている。呼吸、血流、魔精、生命力を押さえつけられている。
抗え、抗え、抗え。
耳はありとあらゆる音色を聞いた。憎悪、怨嗟、百億の蛆が蠢き表皮が擦れ会う細波のような擦過音。蛆の王から吐き出される腐臭漂う呪詛。
心音。
ランタン。
名を呼ばれる。声は空から。
「触れ、るな……!」
眼前に迫り来る蛆の波が焼失する。骨が黒々と炭化し、だが首は絞められたまま。妖蛆の王がその指先に力を込める。ここで仕留めなければならない、表情を変えることのない王の骨相がはっきりとそう告げていた。
ランタンは王の腕を掴む。地に着かない足を揺らした。骨の指が首に食い込む。鋸を当てられたように深々と肉が抉れ、だがランタンはお構いなしに振り子の勢いを増し、反動を使って王の肘を引き折った。
だが骨の欠片が蛆となり、それらが互いに喰らい合い修復される。指先に黒い気配。闇の魔道。
空から降る――
「ランタンをっ」
――銀の一撃。
「放せえっ!」
陽の光がそのまま形を成したのだと思った。
銀の髪、銀糸のドレス、白染めした竜鱗の篭手は真新しく、不断の骨を完全に切断した銀の大刀に見覚えはない。だがランタンは少女を見間違えるはずがない。
太陽の鼓動はどこまでも響いたのだ。
「リリオン」
未だ首を絞める骨の指を首肉ごと引き剥がし、ランタンが掠れ声で名を呼び返す。するとリリオンは喜色に笑い、その笑みを獰猛な色に染め真後ろに大刀を斬り払った。
王はそれを杖で受け止める。沼が沸騰するように波打ち、脚を浸す亡者どもが朽ち、蛆の王へと還っていく。力を奪い、己の力としたのだ。片腕でリリオンと結び合っている。
「ランタンくんっ!」
その真横から起重機が蛆の王へと突っ込んだ。すでにボロボロにひび割れた氷の装甲は直撃の衝撃で砕け、剥き出しになった本体正面が激しく拉げる。起重機の後部が跳ねるように浮いた。無限軌道が猛烈な勢いで空転し、泥を巻き上げ、起重機の突進でさえ蛆の王を吹き飛ばすことが出来ない。
起重機の先頭に半裸女が大鎚を構えていた。素足で、足の指が起重機を確りと掴んでいる。
大鎚が振り抜かれる。半裸女の両肩が脱臼し、激しい音を立て腱が千切れ、両肘が曲がってはならない方へと曲がった。掌の皮を毟り取り、指から離れた大鎚が蛆の王を巻き込んで吹っ飛んでいく。その様を見て半裸女は歯を食いしばり、頬が裂けるような笑みを浮かべた。
「ぐっ、はあっはあっ、痛みこそ、生きてる証明よ……!」
ぐらりと半裸女が崩れ、魔女が意識のない身体を受け止めた。だが体重を支えきれずに魔女も片膝を突く。
「まったく、世話を掛けないでちょうだい」
ランタンを見上げた魔女が見たものは、少年の首筋に顔を埋めるリリオンだった。
「何をしてるのよ!」
振り返ったリリオンの口元が真っ赤に染まっている。ぴゅっと吐きだしたのはランタンの血だった。血と一緒に腐毒を吸いだし、傷口を丁寧に舌でなぞったのだ。
「怪我はこうして治すのよ」
そしてもう一度口付けようとしたリリオンの脇をすり抜け、ランタンは起重機に飛び乗った。ハンドルを握ったまま身体を強張らせているミシャを軽々と肩に担ぎ、魔女と半裸の女を纏めて片腕に抱き上げる。
「わっ、ランタンくん――」
「ちょっと、お尻――」
「リリ、寄れっ!」
魔女とミシャの文句を無視し、ランタンはリリオンを呼ぶ。少女はランタンにぴったりと身を寄せて、それから周囲の状況をようやく理解したようで少しだけ震えた。
地獄はまだ続いている。
聖衣の内側から王の体積を遙かに上回る蛆が生み出されていた。蛆の大群がまるで大蛇のようにのたうって王を守り、またランタンたちを取り囲んだ。
鷹揚に身を起こした王を大雷が打った。晴天を無数の竜種が飛んでいる。一際目立つ赤い竜種、カーリーの背でレティシアが剣を構えていた。
「焼き払え!」
竜種の赤い口腔が空に幾つも乱れ咲く。その喉奥から瀑布のように炎が吐き出され、地上を焼き払う。
ランタンたちまでもが炎に飲み込まれ、だが炎は意志を持ったようにランタンを避けた。
「他人の炎まで自分の支配下に置くなんて、やっぱり傲慢だわ」
ランタンを中心に両腕を伸ばしたほどの小さい円の中、そこはただ暖かい。
ランタンが空を見上げると、冠角の竜種が太陽の中から舞い降りる。長い尻尾を器用に使ってランタンを掴むと、炎の上昇気流を利用してそのまま一気に空へと戻った。
「よく来た」
背には二人乗り用の鞍。だが四人の女性を抱えるランタンにそれは少し狭苦しい。ランタンは魔女とミシャ、それにまだ意識の戻らない半裸女をそこに座らせた。
「助かりました、ありがとうございます。ミシャもありがとう」
ランタンに降ろされる時、少しだけ怯えたミシャに笑いかけて安心させる。甘く頬に触れ、してやったりと呟く。
「でもあんまり無茶しちゃダメだよ」
それはミシャから耳にタコができるほど言われた台詞だった。
蛆の王。その姿を直視して正気を保つどころか、突っ込んでいくなんて並の探索者では真似できない。
「それはランタンもよ」
リリオンが叱るような口調で言った。両の頸動脈に触れる傷からは、鼓動に合わせて染み出すような出血が続いている。血液凝固作用を阻害されているのかも知れない。
「ランタン、すまない! 遅くなった」
レティシアがカーリーの背で叫び、竜騎士隊に指揮を飛ばした。騎士団の中でも選りすぐりの人員なのだろう、人馬一体ならぬ人竜一体の動きを見せる。シドがレティシアの命令を受け大張り切りに魔道を放った。竜種の息吹を遥かに上回る炎熱が残る亡者を焼き払う。
空から迷宮特区を見渡すと、一帯が下街の廃虚よりも酷い有様になっていることがわかる。未だに激しい戦闘がそこかしこで繰り広げられていた。だがはっきりと人が押している。騎士とトライフェイスの連合軍が津波のように前進している。
東の方で無数の飛竜が飛び回っていた。それは別働隊が向かった竜系迷宮の崩壊を意味している。
「あれは、おじいさま?」
地上から竜種を拘束するそれは、一足先にグラン工房で出来上がった竜骨槍に他ならない。柄の内側に鋼線でも仕込んでいたのだろう。棘鎖よりも長大な射程を誇るそれは、容易く飛竜を引きずり下ろす。ベリレの仕業だ。
そればかりか飛竜から飛竜へと飛び移る人の姿もある。それはまさしく竜殺し、大英雄エドガー以外に考えられない。だがどう見ても両腕が揃っている。滑らかに二刀を振るい、瞬く間に飛竜をなます切りにしていく。
歓声がここまで聞こえる。命をかけて現場に向かった探索者は、きっとそんな気持ちすら忘却の彼方に追いやって空を見上げているはずだ。
「まどうぎしゅって言うんだって、目にもきらきらの宝石が入ってるのよ」
陣地では怪我人でさえ身を起こし、子供たちは背伸びをし、探索者すら童心に返ったように壁上によじ登り、目を凝らしていた。
「負けてられないな」
彼らはランタンの方を見て、声を嗄らして声援を送っていた。
「リリオン」
ランタンはリリオンに手を差し出した。リリオンはその手を反射的に握る。
「お手じゃないんだから。――自分一人だけ、そんないい格好するはずないよね」
銀糸のドレスはレティシアからの贈り物。竜鱗の篭手は大盾の代わりだろう。王の腕を断った銀の大刀の他に、もう一刀を腰に吊っている。それらがリリオンの新しい装備だった。
二刀流。
「よく似合ってる」
それは少女の母の姿である。
リリオンは嬉しそうに微笑み、それから隠すように背後に忍ばせていた戦鎚をランタンに渡した。
「ありが――って重っ!」
度重なる戦闘に疲労していることは確かだが、それにしたって重たい戦鎚だった。
柄の握りの雰囲気は以前と同じ。全長は少しだけ長くなり、鶴嘴は三角錐が優美に弧を描き刃の厚い鎌のようにも見えた。
鎚頭は天球儀を思わせる三つの帯によって囲まれている。帯はギルド証の素材、輪状結晶で作られている。だが帯は打面を避けるように組み合わされて配置されているのが不思議だった。硬度という点において、これに勝る素材をランタンは知らない。
右手の革手袋に血が染みていて、強く戦鎚の柄を握ると絞ったように血が滴った。
「ああ、起重機が……」
地表は炎に焼かれて、あれほど蠢いていた亡者の一匹も見当たらない。ジャックや魔道使いはすでに待避しており、黒々と焼け焦げた起重機が白い煙を吐き出していた。ミシャの切なげな声にランタンは振り返る。
「買ってあげる」
「……とんでもなく高いっすよ」
「買ってあげるよ。そのためにも終わらせないと」
ランタンの言葉に戦いが終わったと思っていたのかミシャが意表を突かれたような顔をした。魔女が肩を竦める。
「私はもうすっからかんよ」
「大丈夫です。一番いいところは僕が頂戴しますので」
焼けた地上の中で闇を孕む蛹があった。一見すると焼け焦げた瓦礫の一つのようにも見える。だがそれは羽化の時を待ちどくんどくんと胎動している。あの猛炎にすら耐えたのだ。
多くの力を、あるいはランタンの血さえ喰らって、蛆の王は蝿の王ならんとしていた。
ランタンは外套を外し、ミシャへと放った。上空高くの風は冷たい。リリオンがそれの真似をして、ミシャは外套に埋もれる。
「わたしも行くよ」
「知ってる」
「先に行ってもいいのよ」
「ほんとに?」
「すぐに追いつくんだから」
冠竜が隼のように高度を下げ、蛹は包帯が解けるように環状に解け、複雑な模様の薄羽が闇のオーロラのように広がった。
巨大な蝿。
塵芥じみた鱗粉を撒き散らし、生白い死者の腕を無数に生やしている。
「ミシャ、見るな」
色取り取りの複眼が音を立ててぎょろぎょろと蠢き、ランタンに焦点を結んだ。
「回避っ!」
冠竜が身を捩った。螺旋を描くように横転し、弾丸のように突っ込んできた蝿王を辛うじて回避する。
ミシャも魔女も悲鳴を上げ、だがそんなものにはお構いなしに冠竜は急上昇を開始した。五人も乗せて、ランタンとリリオンの装備も含めれば、さすがの竜種と言えども重量過剰だ。動き鈍く、蝿の王に引き離される。
「生まれたばかりだというのに」
レティシアが雷撃を、シドが光弾を幾つも放つが、蝿王を捉えるに至らない。
だが低空に釘付けにはしている。竜騎士隊が連携し合い巧みに蝿王の頭上を抑えている。一定以上の高度を取られたらお終いだった。塵芥鱗粉は街に死病をもたらすだろうし、蝿王の姿は蛆の時よりも冒涜的で、それをみて正気を保つことは難しい。
地上に落ちる蝿王の影がいびつに歪む。
隆起する大地が腹下から蝿王を狙った。リリララの魔道だ。赤錆の瞳が空を見上げ、にやりとウィンクを飛ばした。隆起は驚くほどの柔軟さを見せて、蝿王の胴をぐるりと括った。それは枷だ。
火炎息吹が鱗粉を焼き払い、雷撃が直撃し、光弾が羽根を貫く。
「ランタンくん、リリオンちゃん」
「見るなっていったのに」
「見送るのもお仕事よ。二人とも行ってらっしゃい」
「ちょっと行ってくる」
「いってきます!」
ランタンは身を躍らせ、リリオンは躊躇なくそれに続いた。
追いつくどころか、リリオンはランタンを追い抜かした。
銀の大刀を構え大気を切り裂いているのか、それとも一度冠竜から放り出されたので落ち方を知っているのか。
銀の大刀が蝿王の障壁に阻まれ、受け止められた。その時、リリオンは腰のもう一振りを抜きはなった。
竜牙の並んだ鋸のような刀だった。それを勢いよく大刀の背に振り下ろした。
「てえい!」
銀の軌跡が、障壁ごと蝿王の頭部を斬り裂いた。
声なき咆哮を、音なき呪詛を吐き散らすように蝿王が身を悶えさせた。裂けた複眼からどす黒い体液が止めどなく溢れ、光を染める闇を纏った。
蛹に、闇の孕む卵にまで戻り、絶望を再び孵化させるかのように。
闇がリリオンを取り込もうとするように急速に肥大化する。
「させるかっ!」
ランタンは全霊を込めて戦鎚を振りかぶる。
手袋を染みた血が柄を伝い、鎚頭を濡らした。
戦鎚に血管が通ったように魔精が流れる。傷口から血が流れ出すように。
ランタンは牙を剥いて笑った。
じゃじゃ馬だ。
それは強引に奪っていくようなもの。だが不快ではないのは、これがすでに同時に肉体の延長でもあるからだろう。
力が先端に流れ込み、輪状結晶に押さえつけられる。圧縮される。鎚の内側で、解放の時を求めて荒れ狂う。明い光が洩れ出した。鎚表面に罅が入っている。崩壊ではない。殻を破るための罅だ。
眩い。
生まれたばかりの星のようだ、とランタンは思った。
希望を照らし、闇を祓う陽炎の一撃。
初めから何もなかったかのように蝿の王は消滅し、ただランタンの姿を誰もが目に焼き付けた。
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