132 1/2
2話連続更新 1/2
132
小さな太陽の下にぞくぞくと人々が集まる。
探索者、引き上げ屋、商人、孤児、その中でも医者の存在はありがたかった。集まった内、怪我をしていない人は一人もいなかった。まさしく野戦病院だった。死にゆく者を引き止める技が、ひたすらに振るわれ続けている。
探索者は常備している傷薬を出し合い、渋る商人を小突いて物資を提供させ、孤児たちから買い取った何かしらの黒焼きを肴に、隠し持っていた酒を景気付けに回し飲みをしたり、談笑したりと一息吐いている。
そしてまたすぐに戦場へと向かっていくのだ。
人が集まれば物資も情報も集まる。
有力な探索者が車座になって情報を交換する。
その中にランタンは当たり前にいて、探索者ばかりの中でミシャが隣に寄り添っていた。ランタンの右手は握り慣れぬロープを振り回して、ヤスリを掛けたようにボロボロだった。
他の人も怪我人なのに、一人だけ手当をされていて少し恥ずかしい。
ちょっと治療に、とランタンが中座しようとすると、お前がいなくちゃ始まらないと袖を引かれてしまう。
地べたに座る。席次の区別がない車座だが、ランタンがその頂点であることは誰もが当たり前に認めていた。
ミシャが汚れを落としたランタンの掌に唇を深く押しつける。縒り合わせた鋼線が解け、千切れた一筋が掌に深々と食い込んでいた。
ミシャは前歯を使ってその端に噛み付くと、ゆっくりとそれを抜き取った。出血が白い歯を汚した。ミシャは傷薬を丁寧に塗り込む。包帯はランタンの望みで巻くことはない。
話し合いの邪魔をしないように、ミシャはこっそりと聞く。
「痛くない?」
「平気」
崩壊した迷宮は全迷宮の一割近く、一〇〇ほどだろうと推測された。迷宮は思い出したように一つ二つ崩壊したが、ほとんど収まったと言ってよかった。
北側は騎士団とトライフェイスの合同軍により三日月型に制圧がされているようだが、それが満月に、あるいは半月になるのもまだまだ時間が掛かりそうだった。
ギデオンを慕う獣系の探索者が多く集まっているようで、ノーマンは自慢話に偽りなく貴族騎士に顔が利くようだった。探索者ギルドの動きが遅いのは、迷宮崩壊に平行してギルド本部を攻め込まれたからであるという噂がまことしやかに流れている。騎士団に先手を取られて、門を閉ざされて入ることが出来ないのだとか。
「正気の沙汰じゃないね」
「まともな考えの奴はこんな真似はしねえよ」
どれ程の探索者が迷宮崩壊に巻き込まれて死んだだろうか。一騎当千の実力者だろうと探索中に起こった崩壊に抗う術はない。
「しかし本命は本部か? それならこっちは、あとはもう地道に魔物をぶっ殺してきゃお終いだろ」
現にランタンたちは確実に制圧範囲を広げて、怪我人を保護し、戦力である探索者を取り込んでさらに制圧範囲を広げている。だが範囲が広くなればなるほど必要となる防衛戦力は加速度的に増え、また怪我人の増加も制圧速度の遅延に拍車を掛ける。
集団となることで安心感も生まれたが、陣地内では揉め事が大小起こっているのが実情だ。口で聞かない相手を、ランタンは見せしめに実力で黙らせることもした。
「そんな単純な話ではないはずよ。どちらもきっと本命だわ」
立派な二本角を生やした山羊の探索者が荒々しく言うと、魔女が冷や水を浴びせるような声音で告げる。
探索者の数を減らすことは、そのままギルドの戦力を減らすことに繋がる。
「お姉さんの言う通りかと。僕ならだめ押ししますね、もうないって油断したところを狙って。消耗してますし、やるなら徹底的にやらないと意味がないし」
「相変わらず性格悪いな」
「用心深いと言ってください」
「執念深いだけだろ」
「慈悲深いんです。見てください、僕を見る孤児たちの表情を」
「怯えてるぞ」
ジャックとランタンの軽口に重くなりつつあった空気が軽くなった。ミシャがそっと肩を触れる。
「ランタンさん。あの、何か言いたそうにしていますけど」
車座に加わっている半裸の女が、正座した内股を擦り合わせるように身体を揺らしていた。ランタンは嫌そうな表情をすると喜ばれてしまうので、努めて無表情に発言を許可した。
ランタンの、黙れ、を女は忠実に守っているのだ。
「子供たちは一種の洗脳状態にあったみたい。きちんと話は聞けていないけれど、崩壊が収まったのは、すでにほとんどの子が役目を終えたからよ。成功、失敗も、私たちは充分に混乱させられた。――私たちの目は子供たちに向きすぎているわ。次はきっと探索者よ」
探索者たちが顔を見合わせた。迷宮解放同盟の中に探索者がいないとも限らない。孤児たちが派手に動くことで、警戒対象を限定させられた。一見すれば探索者は被害者で、同じ苦しみを共有する仲間だ。
皆が目配せを交わした。そして車座の外へ、思わず意識を向ける。
「俺らの中に裏切り者が居るってか?」
「この場にはどうか、私にはわからない。居ないと信じたいわ。でも相手が探索者なら、敵味方を区別するのは難しい」
「監視迷宮か……! 確かに止めの一撃になり得る」
迷宮の中にはいくつか常時監視されているものがある。高難易度迷宮の中でも難易度の高い、崩壊してしまうと都市に甚大な被害が予想される迷宮がそれである。竜系迷宮を代表とするそれらの迷宮は四六時中、監視されており、不用意に近付くことは許されない。
解放同盟はそれを崩壊させようと言うのだ。
「だが監視迷宮でもかなりの数があるはずだぞ。それを全部、カバーするのは無理だ」
「そりゃ向こうも同じだろう」
「……上街近くは無視していいと思う。騎士団も広く展開してるし、下街に近い方を僕らは回ろう」
「ちょいしゃくだが手を組むってのは? ギデオンさんいるし」
「ない。どうせ取り込まれて終わりだ。自由に動けなくなる」
全域を守ることは不可能なのだから、どこかで線を引かなければならなかった。
「だが自由に動けたところで迷宮の位置が――」
「それは私が」
ミシャが名乗りを上げた。引き上げ屋として迷宮特区の地図は頭の中に入っているらしい。監視迷宮は、場合によっては近隣の通路を封鎖することもあるため事前確認を忘れることはないと言う。
「でもそれでもまだ数はありますよ。中心から北側にかけて高難易度迷宮は出やすい傾向がありますから」
探索者が己の苦手とする系統の迷宮を羅列し始めた。それは完全に趣味と言ってよく、解放同盟の狙いを絞り込む手立てにはならない。そんな中で魔女が断言した。
「不死系よ。亡者が保有している瘴気が街に広がればお終いだわ」
瘴気は病をもたらす。実際に病原菌やウィルスを保有しているし、不死系特有の汚染された魔精は人の精神を蝕む。それで都市が滅んだ例もある。
探索者はこぞって渋い顔をした。不死系魔物との接触は、本来はそれ相応の事前準備が必要だった。
「そこには僕が行く」
「ランタンさん、不死系は今、四つあります」
「一番大きいところに行く。小迷宮なんて落としても割に合わない。皆はその周辺の高難易度迷宮に行って。撹乱のために狙うはずだから。ミシャ、場所教えて」
「私が連れて行きます」
「だめ」
「ランタンくんを連れて行くことが私の仕事よ!」
ミシャの丸い目が鋭くランタンを見つめ、ランタンは気圧されてしまった。ランタンは何も言えず、ミシャも黙って見つめ続けている。
そんな二人を目の当たりにした皆が堪えきれずに噴き出した。
「流石のランタンも引き上げ屋には適わんよなあ」
「女にそんなに啖呵切られちゃ俺らの立つ瀬がねえよ」
「男って、ほんと女をわかっていないわ」
皆、口々に好き勝手言い合って、よっこらせと重い腰を持ち上げた。
「俺も行くよ」
先んじてジャックが言うと次々に俺も私もとその後に続いた。
「……そんなに要らない。適当に選んで、部隊編成しておいて」
ランタンはぷいと顔を背け、ミシャの手を取った。からかわれるのを嫌ってその場を逃げるように離れ、ミシャと顔を見合わせる。
「デートの邪魔されちゃったね」
「きゅ、急に変なこと言わないでよ。もう、ランタンくんはすぐそうやって」
「ミシャが先に恥ずかしいこと言ってきたんじゃないか」
ランタンは常に視線に晒されている。歩けば声を掛けられてしまう。手を繋ぐミシャは決まりが悪そうに首を縮める。
傷だらけの、応急整備済みの起重機に隠れるように背を預けてほっとランタンが一息吐くと、ミシャは繋いだ手を離して起重機に乗り込んだ。何やら座席を漁っている。
「これ、ちょっと汚れてるけど使って」
それはよく使い込まれた革手袋だ。機械油が染みついていて、関節の輪郭やミシャの癖が付くほど使い込まれていた。
「僕が使ったらダメになっちゃうよ。たぶん燃えてなくなる」
「いいよ、ランタンくんなら――匂い嗅がないで!」
「そんなことしてないよ、ほんとだよ」
ただちょっと中を覗き込んだだけだ。
「もう、リリオンちゃんみたいなことを」
「だからしてないって」
ランタンはぶつくさ言いながら右手だけに手袋を嵌めた。指の辺りがさすがに細いが、よく慣らしてあった。
「ミシャは手が小っちゃいね」
「きつかった? 無理はしなくていいからね」
「ううん、いい感じ。もう手袋の季節だしね」
探索者が神妙な顔をして列を成しランタンに足蹴にされるのを待っている。そんなことはしたくなかったが、こんな時だから縁起を担ぎたくなる気持ちもわからないではない。ランタンは渋々、探索者の装備に靴底の赤を刻んでいく。
半裸女もその列に並んでいて物凄くわくわくしていたが、ランタンは彼女を蹴らなかった。
「女の人がむやみやたらに肌を晒すものじゃないよ。身体も冷えるし。あなたの実力ならそれなりに稼いでいるでしょ? 服を着なさい、服を」
「私、稼ぎは全部寄付してるから……」
いい人だった。いや、だからといって蹴るわけにはいかない。何せ彼女は胸と下半身の極めて限定的な部分しか覆っていないのだから蹴る場所がない。彼女も戦力の一つだ。こんな事で余計な怪我を負わせるわけにはいかない。
「おい、ランタン行くぞ!」
ランタンが困っていると、鎧に赤が刻まれていない探索者の一人であるジャックが助け船を出してくれた。
「もうお終い。こんな馬鹿みたいことしてる暇があったら働け!」
ランタンは未だ形成される列を散らして、逃げるように起重機に飛び乗った。
今や陣地には起重機が十台以上もあった。その内の五台を使い、本命の不死系迷宮と、その付近の高難易度迷宮に主力の探索者を輸送する。ミシャばかりではなく、引き上げ屋は肝が据わっているのだ。
「では皆さん、死なないように死ぬ気で頑張りましょう」
「応!」
ランタンの軽い言葉に、全員が大げさに返してくれる。
不死系大迷宮にはランタンとジャックと半裸の女の前衛職三人と、魔女を中心にした魔道使い四人そしてミシャの八名で挑むことになった。ミシャは迷宮の側までであるが。
高難易度迷宮に出現する不死系魔物相手に、半端な探索者では足手まといにしかならない。本来なら物理的な接触を避け、魔道によって遠距離で押し切ることこそが不死系相手の最善策だが、使える魔道使いは少なかった。この四名は陣地に集まった、極めて貴重な使い物になる魔道使いの内の半数だった。
全体的に戦力が足りないのが現状だ。半裸女が骸を晒す孤児に歯噛みしている。奇跡的に生き残り、保護されなかった子供に向かって声を嗄らし、陣地の方を指差し叫んだ。いちいち助けている余裕はない。
「間に合うかな?」
「さあ、あなたが馬鹿みたいことしてるから、間に合わないんじゃない?」
「好きでしたんじゃありません」
「戦ってる時はいっそ傲慢なのにね。ねえ、あなたはどう思う?」
魔女が冷ややかな声でミシャに問い掛ける。
「ランタンさんは、優しい人っすよ」
「ミシャうるさい」
「それに照れ屋さんなんですよね」
辿り着くまでは焦っても仕方がない。
拭いきれない緊張感を巧妙に隠した他愛のない会話は、けれど唐突に打ち切られる。
「どこ?」
「あっちは獣系迷宮です。時間的には、ちょうど到着した頃だと」
一つ、崩壊の音色が響いた。
「あなたのせいじゃないわよ。どちらにしろ間に合わなかったわ」
「向かわせた奴らも手練れだ。崩壊も織り込み済み、特に問題はないだろう。それに読みはほぼ当たってるしな」
魔女は先程と変わらぬ声でランタンとミシャの二人に言った。それにジャックが続く。
ミシャはもうペダルを目一杯に踏み込んでいて、これ以上に急ぐことは出来なかったし、ランタンが探索者を蹴っ飛ばしていたのもランタンがいち早く用意を済ませて、出発までの時間を持て余していたからだ。
「信じて任せておけばいい。俺らは俺らの仕事をこなすぞ」
何体かの魔物が進行上に出現したが、ミシャはペダルを緩めない。砲台と化している魔道使いがそれを粉砕する。起重機には魔女によって排障板も装備されていた。魔物も、人の死体もはね除けて進む。
「間に合いそうね」
未攻略の不死系大迷宮は二重の壁によって囲われている。外壁は破壊されていたが、内壁はまだ健在だ。入り口は一つだけで、二名の武装職員と二名の教会騎士によって守護されていた。
足元には無数の死体。襲いかかった探索者はもちろん、抗戦した武装職員も含まれていた。傷ついた鎧を汚す返り血の紫が、死者が重度の魔精中毒者であることを示している。
四人の守護者は起重機に掌を向けた。ジャックが慌てて声を張り上げる。
「俺らは敵じゃない! 助けに来たんだ――!?」
「ミシャ、退けっ!」
紫は返り血ではない。鎧の内側から染み出している。
「解放の邪魔はさせんぞ! 侵略者よ!」
光弾の魔道が風を切り裂いて迫ってくる。ランタンはそれに向かって飛び出し、戦鎚で一つを砕き、全身で放った爆発により一つを散らした。背後、魔女が氷壁を生み出してそれを防ぐ時、ランタンは自らの爆炎を突き抜けて守護者に迫った。
孤児が敵だという認識に囚われていた。そして半裸女の言葉によって他にも敵が居ると気付くことが出来た。だが今度は探索者のみが敵だという認識に囚われてしまっていた。
その認識により油断が生まれた。この四人は敵である。それもかなり手強い。少数の狂信者の集まりかと思っていたが、迷宮解放同盟は教会関係者の中にも、探索者ギルドの内部にもその魔の手を伸ばしていたのだ。
ランタンの戦鎚を剣で受け、もう一人が近距離から光弾を放つ。ランタンは身体を捩ってそれを回避し、だが体勢が酷く崩れる。
斬突。
ランタンを狙った縦突きを半裸女が素手で握り止めた。守護者は押すことも引くことも出来ない。超重量の鎚を振り回す女の握力あってこその荒技だった。
ランタンは即座に身体を起こした。
騎士の鳩尾に掌を触れさせ、強烈な爆圧で胴を吹き飛ばした。骨肉が散弾に、紫の血が霧と化してもう一人の目を潰す。
ジャックが闇雲に剣を振り回す守護者の背後に音もなく迫った。延髄を切り裂く。
「おどき!」
魔道使いたちから放たれた魔道が残った二人の怒濤のように守護者に襲いかかる。喰らえば形も残らない強烈な魔道に、守護者の一人が立ち向かうように身を晒した。皮膚がひび割れ、その下から紫光が漏れる。
守護者の全てを使った強烈な閃光が探索者たちの目を灼いた。視界に僅かな揺らぎ、耳鳴りもする。自爆したのだ。
守護者は二人とも影も形もない。内壁の入り口が硬く閉ざされている。
「一人逃がしたわ!」
「おねえさん、ミシャをお願い!」
身軽なランタンとジャックが内壁を軽々と越える。目にしたそれは果たしてなんだったのか。
「やめろ!」
ジャックの叫びに反応すら示さない。
彼らの工程はあと一つだけだった。
武装職員と教会騎士、探索者、人族、亜人族、男、女、老人、子供、胸に抱かれた赤子。
大きな迷宮口を取り囲み、彼らはぱらぱらと身を投げた。闇の底から見えない手で裾を掴まれたように。掴まれることを知っていたように、ふらりと。
迷宮を崩壊させるのならば一人でいいはずだった。だが十数名もがその命を迷宮へ投じた。
一体何のために。
残されたのは静寂と、迷宮口と、それを縁取るような複雑怪奇な魔道式だ。魔道式を満たすのはまだ熱を持った血液だった。赤、紫、青、黒。完全には混じり合わぬそれらが、グロテスクな斑模様を作り上げている。
それらが微かに波打ち、混じり合い、不完全なまま、けれど迷宮に何かしらの影響を与えていた。
もう止めることはできない。迷宮口から腐臭が漂う。
「なにか、もやもやする。腹立ってきた」
「ああ、まったくだ。思い通りにはさせねえよ」
ジャックがナイフに仕込んだ魔道を発現させる。
刀身が真っ赤に赤熱し、またランタンの瞳も紅蓮を宿した。