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カボチャ頭のランタン  作者: mm
05.Sunrise
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 大鷲の頭部に、大きな翼。前腕は獅子で、後肢は鉤爪。蜥蜴の身体が長い尾の先まで続き、左右の顔は狒々。人面にも見える狒々の顔がにたりと笑って、猿吠を響かせながら探索者たちの頭上を駆けた。

「なんと醜悪な! 引きずり下ろせ!」

 機械弓(クロスボウ)隊が次々に射かけたが、混合獣(キメラ)の羽ばたき一つで矢は明後日の方へ逸らされてしまった。矢を触媒に発動した乱風の魔道は、炎虎を上回る巨体には全くの無力だ。

 混合獣がランタンへと振り向いた。

 狒々のにたにた笑いが腹立たしいが、しかしそれはランタンに向けられたものではない。混合獣は機械弓隊に尻を向けたのだ。

「避けろ!」

 尻尾が鞭のように振り下ろされた。

 ギデオンの怒声に射手たちが機械弓を放棄して、それでも回避はぎりぎりだった。尾の一撃は盾も機械弓も纏めて破壊し、地面は割れて捲れ上がった。射手は余波に巻き込まれて地面を転がる。

 追撃の薙ぎ払い。半円に並べられた機械弓の大半が見るも無惨な有様に成り果て、射手は這いつくばって逃げるが、恐怖に手足が竦んで赤ん坊よりもぎこちない。

「むうんっ!」

 ギデオンの巨体が滑り込み、逃げ遅れた射手を庇った。大剣で受け止め、押し返す。

「ギデオン、勝手なことを! 弓を壊され、あれをどのように引きずり下ろすんだ!」

「弓ではどうにもならん。投げ槍を用意しろ! だが(あれ)は邪魔だな」

 苛つくノーマンに、けれどギデオンは冷静だった。

 機械弓を失って、魔道隊が代わりに対空攻撃を始めたが、それらが混合獣に届くことはなかった。

 猛烈な風圧の壁。それに加えて狒々が呪詛を唱えて何かしらの魔道障壁を発生させているのだ。いよいよ落とすのは難しい。

 けれど混合獣も決め手に欠ける。今のところ見せているのは巨体を活かした滑空突進と尾による打撃。魔道は防御に特化しているようでたびたび低空へ降りてくるが、障壁は物理攻撃も減衰させるようだ。

 ギデオンが尾と切り結んでいる。一合、二合と激しい火花が散り、仲間たちも迂闊に近寄ることが出来ない。

「行くぞ!」

 ギデオンは吠え、鋒を地面に突き刺して攻撃を受けると、剣の背を駆け上がって跳躍した。柄を跳び越える、その瞬間。両手で柄を握り締め、体重を使って鋒を引き抜く。全ての重さを使った上段斬り。そのまま一回転するような勢いで振るわれた大剣は障壁を破壊し、尻ごと尾を切り落とした。

 間髪入れずその傷口に二本の槍が深々と突き刺さった。鯨狩りの銛のような返しのついた投げ槍には、鎖が括り付けられている。

 大鷲と狒々が吠え、障壁を張り直す暇もない。

「引け引け引け引けっ!!」

 びいん、と鎖が張り詰めて軋む。探索者たちが揃って鎖を引き、混合獣はそれに抗った。大きな羽ばたきを繰り返し、空へと逃げようとする。何十という探索者の引力に対抗している。

 探索者が鈴なりに連なった鎖の道。

 ランタンは鎖を掴む手を踏まぬように気をつけながら、我が物顔でその道を駆け抜ける。

 ランタンは短槍と化した戦鎚を構えて鎖を蹴った。

 奇妙な抵抗。向かい風に似ている。障壁とも呼べぬ薄い膜が混合獣を包んでいる。

 短槍を濡らす炎虎の血が見えない何かに削り取られた。切り立った先端は膜を破り、ランタンは混合獣の後肢にそれを打ち込み身体をよじ登る。

 羽ばたきにうねる背中は竜と同じだ。

 狒々が(ふくろう)のように真後ろまで振り返りランタンを睨み呪詛を唱える。もう一本の戦鎚を握り背骨上を走り、ランタンは()()ごと鼻っ柱を陥没させた。

 なるほど()()は攻撃魔道だったようだ。鼻の奥で暴発したそれは狒々の頭蓋を破裂させる。

「うわっ……!」

 ただでさえ暴れていた混合獣がよりいっそう暴れ出した。狒々を一つ潰した影響か。ランタンは舌打ちして体勢を整える。けれど混合獣は体勢を持ち直すことが出来ない。

「好きにはさせんぞ」

 翼の片方が切り落とされていた。

「けち」

 ギデオンは返す剣で残った翼を切り落とし、ランタンは混合獣の首を蹴って飛び降りた。

 横やりに、さらに横やりを入れられてしまった。ランタンは唇を尖らせて落下する最中に景色を見つめる。

「あ、ミシャだ。ん? ……あの子。逃げろって言ったのに」

 ランタンは着地の衝撃をぐるんと受け身を取って殺した。ギデオンは着地のついでに、落下の勢いそのままに残った狒々面を刎ねた。探索者が群がり四肢を潰し、弱り切った大鷲にノーマンが歩み寄る。

「我が剣により、死を与えてやろう!」

 綺麗に頸椎の隙間を通した。なかなかの腕であるし、手慣れている。ノーマンは突き入れた剣を勿体ぶって引き抜き、青い血に濡れた剣を高々と掲げて勝利を宣言した。

「皆のものよく働いてくれた! この勝利は我々全ての勝利である! はっはっはっ、手伝いご苦労!」

 それはランタンに向けられた勝利宣言だった。止めに執着があるわけではないが、それを言われるとお膳立てをしてしまったようで少し腹立たしい。

「まだ生きてるけど」

「!?」

 慌てて振り返ったノーマンに、ランタンは薄ら笑いを浮かべる。

「嘘だよ」

「こ、のっ、ガキ……っ!」

 ランタンはべえと舌を出して、戦鎚を腰に戻した。

「そんなことばっかりしてると弱くなるよ。――僕ちょっと気になることあるから、もう行くね。他のは要らないけど、炎虎(あれ)、僕のだからね。泥棒したいんならしてもいいけど」

 ランタンはそれだけを一方的にノーマンに告げ、ギデオンを始めとする他の面々に適当な労いの言葉を掛けて、一足先に戦場から離れた。

 混合獣からの落下中に見知った顔を二つ見つけた。一つはミシャで、もう一つは先程の孤児である。孤児の方をいちいち気にする自分が不思議ではあったが、目に入ってしまったのだからしかたない。

 その孤児はすぐ近くの区画で、嘔吐でもするように四つん這いになって迷宮口を覗き込んでいた。

「落ちたら死ぬよ」

 ランタンが声を掛けると慌てて振り返り、迷宮口の縁から右手が滑り落ちた。闇に手を引かれたように身体が傾く。驚きの表情、恐怖は認識する余裕もないのだろう。ランタンは戦鎚を抜き、細い首に鶴嘴を引っ掛けた。

 ランタンは孤児を軽く引き上げる。孤児は熱っぽい赤い顔をしてランタンを見上げた。本当に嘔吐していたのかも知れない。咳き込み、焦点の合わない目は重い風邪の症状だろうか。

「体調が悪いのなら、大人しくしてなよ」

 ランタンは腰を屈めて目線を合わせる。孤児には風邪だからと言って休む余裕はない。家もなければ、その日の食事はその日に見つけなければならない。医者に掛かる余裕はもちろん、薬を買う余裕もない。

 ランタンは孤児の額に掌を当て、ふと鋭く目を細めた。

「お前、これ、……魔精酔いか?」

 探索者ならば風邪薬の代わりに魔精薬を飲むこともあるだろうが、孤児には身体を売っても手の届かない高級品である。盗みでも働いたのか。

「……なんだ?」

 靴底の震動は、ここ数週間で肌に馴染んだ感覚だった。

 迷宮崩壊。地震の余震にも似ているそれは、けれど次第に肌に、全身に感じられるほどの大気の震えとなった。つい先程の大迷宮崩壊ですら、これほど酷くはなかった。

 ランタンはふと顔を上げる。迷宮特区にいる人々が、あるは市街にいる人々すら立ち止まるほどだった。

 どおん、と鐘や銅鑼や太鼓を力任せに叩くような音が連続して巻き起こった。

 その音色によってランタンは猛烈な既視感に包まれる。

「連鎖崩壊!」

 竜系大迷宮から帰還したあの日に発生した迷宮の連鎖崩壊が今日もまた起こっていた。

 数はあの日よりも確実に多い。すでに崩壊音は、聞こえるだけでも二十を超えている。怒号や悲鳴がそこかしこで鳴り響き、魔物の遠吠えが混乱に拍車を掛けた。

「ごめんなさい、……ごめんなさい、……ごめんなさい……」

 魔精酔いの最中、迷宮崩壊によって大気に放出した魔精に追い打ちをかけられたのだろう。孤児が朦朧としながら何度も呟く。目は虚ろで、ぐったりとしている。ランタンは舌打ちをした。

 ミシャの下へ行かなければならない。だがこの孤児をどうするかという問題もある。この迷宮が崩壊しないとも限らないし、孤児はもう自ら動くことも出来ない。魔物が襲ってきたらお終いだ。

 ランタンは名も知らぬ孤児よりもミシャの方が大切だった。それを違えることはない。

 孤児の顔をぱちんと両手で挟み込んだ。孤児の目に生気が戻る。

「僕はあまり優しくない。死にたくなかったら身体を丸めてろ」

 子猫を掴むみたいにランタンは孤児の首根っこを鷲掴みにした。石壁に飛び上がる。そして見慣れた起重機の首に目がけ、配慮など何もなく爆炎を背負って飛翔した。

 周囲の景色が溶ける速度。だが、ミシャの顔色の悪さがすぐにわかった。起重機の車上は地上よりも多少安全だ。けれどミシャはそこから降りようとしている。

「ミシャ!」

 失神した孤児を放り投げ、ランタンはミシャの下へと駆け寄った。魔物の接近はない。ミシャは探索者を迷宮に送り出し、後始末を済ませて帰るところだったのだろう。起重機は迷宮口に尻を向けている。

 転げ落ちそうなほど身を乗り出すミシャをランタンは座席に押し戻した。

「落ち着いて」

「ランタンくんっ、今、子供が――」

 ミシャは迷宮口を指差して悲痛な声を上げた。ランタンはミシャを落ち着かせるために指差す手を握って、そのまま両手で包み込んだ。

「珍しいことじゃない。そう教えてくれたのはミシャだよ。落下事故はよくあることだって。今は、状況が状況だし」

「違うの!」

 ミシャはランタンの手に額を擦るように首を振った、

「落ちたんじゃないの。その子、自分で身を投げたの!」

「大丈夫」

 ランタンは手を離し、ミシャの顔に触れた。ひんやりとしてすべすべしている頬を、優しく両手で挟んだ。

 その手は暖かい。

 ミシャの頬に赤みが差して、ランタンは頷き、それから強く声を発した。

「ミシャ、大丈夫だからね。でもまずい、ここも崩壊する」

「そんな、だって、今送り出したばかり――っ!」

 ミシャは奥歯を噛んで、起重機を動かした。叫んだところでどうにもならない。このまま場に留まれば崩壊に巻き込まれてしまう。ランタンは孤児を拾い、車上へ押し上げた。

「ランタンくん!」

「そこで見てて、取り敢えずここ片付けるから。すぐに終わらせるよ」

 ランタンはミシャの頭を撫で起重機から飛び降りる。

 一人で戦うのは久し振りだ。

 誰に気兼ねすることなく力を振るい、そして見ている誰かを安心させるために力を発揮するランタンが、湧いた魔物を全滅させるのに時間はそれほど掛からない。




 湧いて出た魔物の数は二十と一。種族は植物系で、最終目標はなし。相性はいい。生きた植物、まさしく生木であるそれらは燃えづらいのだが、ランタンの力の前には無力である。

 発表会みたいなものだった。

 ミシャに見送られ、遅刻することなく帰還するのは己の力の証明だ。けれど迷宮という闇の中をミシャは見ることが出来ず、暗闇の中を想像していつも心配している。

 迷宮特区で働くミシャが、崩壊戦に参加するランタンを目にする気配は少なからずあったのだろう。ようやく見たその姿はきっとみっともなかったはずだ。

 探索者に好かれようとして足掻く姿は、我ながら情けないものがある。

 いやだな。はずかしいな。

 ミシャの脳内からその記憶を焼き消すように、その目に今を焼き付けるように、ランタンは戦鎚を振るい炎を発した。

 その一六〇秒間、ミシャは瞬きを許されず、幼身を象る炎から目を逸らすことが出来ない。

 ランタンはミシャの目の前に火の粉みたいに戻ってきて、自慢げに笑った。

「なかなかのもんじゃない?」

「――言ってる場合じゃないでしょ! 一体何が起こっているの!?」

 最後の一匹に止めを刺す頃には、ミシャはある程度だが落ち着いていた。恐慌に近い状態からは脱し、混乱もなくただ焦りがあるだけだった。場違いにふざけるランタンを叱る声に、ランタンは反省するでもなく懐かしく微笑んだ。

「僕に聞かないでよ、って言いたいところだけど、予想でいいなら」

「もったいぶらないで」

 ランタンが言葉を区切りながらゆっくりというと、ミシャはすっかりと冷静さを取り戻す。丸い瞳が強くランタンを見つめた。

「たぶんあれだね、迷宮解放同盟辺りの攻撃」

 ミシャの目の前で身を投げた孤児は、おそらく迷宮に対する毒薬、生きた迷宮促進剤だ。

「そんな、酷い。どうやって――」

「さすがに知らないよ。予想だって」

 生き物ならば何でもいいのか、人間でなくてはならないのか、子供でなければならないのか。そもそもとしてどうやっているのか。わからないことは多いが、けれどあの助けた孤児も恐らくそうだったのだろう、と不思議な確信があった。

「似たような状況が最近もあったよね。僕らの帰還日」

「あれも、人為的に? でも発表じゃ不幸な偶然だって」

「だから聞かないでって」

 ランタンは肩を竦めた。

「わかってるのはあの日よりも多い数迷宮が崩壊していること。魔物がたくさん地上に出ててけっこうやばいこと。あの日と違って、手隙の探索者は少ないし、おじい――エドガーさまも居ないから威光を借りて混乱を収めることも出来ないこと。一カ所に集まってたら、まだどうにかできたかもしれないけど。困ったね」

 崩壊の音色は今もまだ続いている。一つの崩壊から次の崩壊までの間隔こそ長くなったが、今もまた一つ響いた。びくりと震えるミシャを撫でる。崩壊促進剤に関係なく、崩壊は周囲に伝播する可能性もある。状況はあまりよくない。

 迷宮特区の最大戦力は、そこを仕事場にする探索者だが、その内の半分は疲弊した迷宮帰還者である。

 残りは騎士と衛士だが、彼らが取り締まるのは人であるから装備は魔物向きではない。探索者に次いでの戦力はギルドの武装職員で、特区を囲む隔壁内部には常に一定の戦力が待機している。

 現に壁上から魔道が雨あられと放たれている。

 ギルド職員の第一目標は魔物の都市侵攻を防ぐこと。中心部にまで出張ってくる戦力はどれ程だろうか。

「打てる手は三つ。一つは逃げる。門はもう閉じられてるだろうから壁際までだけど、ギルドの保護を得られる、と思う。もう一つはこの場に留まって向かってきた魔物だけを相手する。あんまりお勧めできない。僕は一カ所に集まってる魔物を蹂躙するのは得意だけど、一カ所に集まってくる魔物を相手するのは苦手だ。リリオンでもいれば二分割できるけど、一人で全周防御はきつい、手数が足りない。助けが来るまでの持久戦だしね。あ、そうだ」

 ランタンは背嚢から大きなサンドイッチを取り出すと、狩猟刀でそれを半分に切った。

「今のうちに食べておこう。半分こね」

「ありがとうございます。そう言えばリリオンちゃんは……?」

「うるさかったから留守番させた。嘘だよ。今日は僕だけギルドからの呼び出しだったの。すぐ帰るって言ったのに。拗ねてたら面倒だな」

 ランタンが唇の端を曲げると、ミシャが微笑ましそうに頷いた。

「三つ目はここから打って出る。目につく魔物を片っ端から殺して回る」

 ランタンは大口を開けてサンドイッチに齧り付いた。厚切りのベーコン、スライスしたチーズ、目玉焼き、トマトに辛い玉葱。鼻に抜ける玉葱の刺激に涙目になり、ランタンは水で辛みを飲み下し、ミシャに水筒を差し出した。ミシャはそれを受け取って、ストックしてあったチョコレートバーを半分に割って水筒と交換した。

 それはとびきり甘くて、歯が全部溶けそうだった。二人はぺろりとそれを平らげる。

 ミシャは乱暴に唇を拭い、ランタンに触れて貰ったことを思い出すように、自らの頬を叩く。

「行くっすよ」

「僕はまだ何も言っていないし、それに危険だよ」

「ランタンさんの行くところはいっつも危険で、でもきっと一番安全っすよ」

 いつもの口調に戻ったミシャはランタンに笑いかけて、迷宮に飲み込まれてしまった探索者と孤児の魂に祈りを唱え、起重機の待機状態を解除した。孤児に視線を向ける。

「それで、その子は?」

「拾った。捨てるわけにはいかないし、ほっといたら迷宮に落っこちそうだし」

「……助けて、あげないと」

 原動機(エンジン)が回転数を上げ、獣を追い立てるように唸り声を上げた。

 ランタンは背伸びをし、腰の戦鎚を確かめる。ランタンの所有する武器は戦鎚に、狩猟刀、竜紋短刀の三つだ。正直なところ少し心許ない。

「ねえミシャ、このロープ貰ってもいい?」

「いいっすけど――」

 嵐熊の爪より作った狩猟刀を鉈のように使い、ランタンは鋼線を何重にも編んだロープを切断した。

「げ、欠けた」

「探索者さんの命綱っすから、あたりまえっすよ。サンドイッチとは違うんですからね」

 ランタンは狩猟刀を鞘に戻し、ロープ代の担保にミシャへと預けた。

「でも、そんなのどうするんですか?」

「武器の代わり」

 断面から解けてしまわないように爆発で溶かし固める。

「今、戦鎚(これ)一本しかないし、っと」

 ランタンが戦鎚をぽんと叩くと、起重機がその巨体からは思いもよらない速度で走り出した。

「おお、速い。凄いな」

 迷宮特区は石壁によって迷路状に区切られている。それは魔物の進行を遅らせる為でしっかりと機能していた。通路を彷徨く魔物は分かれ道に分断され、散兵と化していた。起重機は小型、中型の魔物なら苦もなく轢き殺していく。さながら新種の物質系魔物のようだ。

「でかいのと硬いのは避けなよ」

「わかってます」

 ランタンは機上からロープを振り回す。先端に握り拳みたいにゴツいフック、長さは五メートル以上もある。ベリレほど上手に扱うことは出来ないが、それでも充分な凶器となった。

 ランタンは視線を左右に振る。

 人と魔物の戦いはそこかしこで行われていた。区画の内で奮戦している者もいれば、追い詰められている者もいる。通路で追っている者もいれば、追われている者もいる。晒された骸は人も魔物も無惨なものだ。

 薬化している孤児も、そうでない孤児も居て、ランタンはそれらを拾い上げては起重機に積み込む。孤児らは状況がわからず、怯えた目をしてランタンを見上げる。

 ランタンの風貌は子供に安心感を与えるものだが、装備がいけなかった。

 ランタンは戦況の有利不利を問わず戦闘に介入し、宣言通り目についた魔物を片っ端から殺して回った。すでにロープはじっとりと青い血が染みこみ、毛や鱗や肉片が付着している。

「ミシャっ!」

「はい!」

 交わす言葉は少なく、けれど意思の疎通は完璧だった。

 急制動。無限軌道(キャタピラ)が地面を削り、横滑りして急激に速度を落とし、ランタンは投げ出されるように車上から飛び降りる。肩から腕を振り回し、頭上でロープが渦を描き回転する。

「伏せろっ!」

 ランタンの声に、まるで重力変動でも起こったように探索者たちが潰された。

 戦場に降り立ったランタンは探索者にとっての天使であり、魔物にとっての死神だった。

 濡れた分より重い。身体を引きずられる。ベリレはよく扱えるな、と感心してしまう。ランタンは自らを支点にして、爆発によって更に加速し、肘を伸ばして回転した。

 手元に速度を殺しかねない粘りがある。重さは戦鎚とは比べものにならない。上手に使おうという思い上がりは疾うに捨てていた。ランタンは手首を倒して固め、一本の棒のようにロープを使った。

 重低音を奏でロープが薙ぎ払われる。それは切れ味の悪い大鎌の如くだった。突端のフック、ロープの編み目、触れた魔物の尽くが力任せに引き千切られて臓物を撒き散らした。

「無事か?」

 探索者たちはどうして自分たちが伏せているのかも理解できず、ぶちまけられた臓物の臭いと熱気に怯えながらランタンを孤児と同様に見上げる。

「無事か、無事じゃないのか。どっちだ?」

「あ、……ああ、助かったよ」

「そうか、ならいい。子供はいないな。ミシャ、次行くよ」

 ランタンは死臭の濃いロープを引きずって起重機に飛び乗った。

「どこへ……!?」

 探索者の問い掛けに、ランタンは一瞥すら返さず独り言のように答えた。

「戦い以外にあるのか?」

 ミシャはペダルを踏み込む。




 最後の崩壊音が鳴り響いてもう一〇分ほど経つだろうか、それでも殺しても殺しても終わりが見えない。怒号に悲鳴、怨嗟に魔物の鳴き声、刀槍剣戟の奏でる戦闘音楽はその激しさを増している。

 ランタンは高く伸ばした起重機の首の、その天辺によじ登り、鷹のように特区を見渡した。

「ギルドの動きが遅い……?」

 集結した戦力が上街に接する壁面を沿うように展開していた。戦力はそれなりに集まっているのかも知れないが、広く薄く半円に広がっているせいで制圧力は低いだろう。都市防衛に特化した陣形と言える。

「主導権を騎士に取られたのかな。ふん、情けない」

 魔物の封じ込めこそが、彼らの目的だ。探索者と魔物が潰し合うのは、もしかしたら本意なのかも知れない。

「なんにせよ取り敢えずあっちの方は大丈夫か――っ!」

 比較的近くで赤い爆炎が吹き上がり、爆音が身体に叩き付けられた。孤児たちが悲鳴を上げる。

「ランタンさん!?」

「びっくりした。僕じゃないよ、凄い迫力だな」

 探索者は強いが、凄腕は少ない。だがその少ない凄腕の近辺に、知らず探索者が引き寄せられて奮戦している。寄せ集めの烏合の衆だが、探索がそうであるがゆえに団体行動には慣れているのだろうし、混乱からはすでに脱している。しかしその反面取り残され孤立している者たちもいる。

 特区には探索者以外の人々もいるのだ。慌ただしく走り回っている起重機もあるが、炎上したり、沈黙したりしている起重機の姿もある。商人や孤児たちは無力だ。

 近く、無数の悲鳴と泣き声。

「ミシャ、少し首下げて!」

 物質系の魔物、探索者は二人、それ以外に多くの人。

 ランタンは戦場に飛び込んだ。

 飛来する無数の石槍。重装の探索者。回避は無理。

 ランタンは探索者の肩口を蹴り飛ばし、自らを斜めに回転させてロープを振り上げた。石槍が粉砕される。

「ちぃ、硬い!」

「――ああ、ランさまっ! 私も蹴って!」

 重装鎧に靴底の赤がべったりと刻まれているのを見て、もう一人の探索者、半裸の女が喚いた。

 ふざけたことを言っているが、二人でどれ程の魔物を殺したのだろうか、周囲は物質系魔物の残骸の山だ。それでもまだまだ魔物の数が残っている。

「助けるんじゃなかった」

 ランタンはげんなりとして呟いた。

「しかも鞭だなんて……! ああ、はああっ! うらやましい!」

 重装は全面兜から髭と一緒に喜悦の声を漏らしている。半裸はランタンの冷たい視線に身を震わせていた。

 非常に気持ちが悪い。だが変態二人の背に多くの命が守られていた。孤児や商人が身を寄せ合って、縋るような目をして二人を見ていた。

 半裸は水着みたいな鎧を着ている。露出した肢体は汗と血で濡れている。ふざけた言動は一種の自己暗示なのだろう。もちろん趣味でもあるのだろうが、女はすでに満身創痍だった。

 ランタンは舌打ちを一つ吐き出して、女の背中をぴしゃりと叩いた。

「ああんっ! 叩くだけじゃなくて、つ、唾も」

「うるさい。あいつ()かすから潰してこい」

「命に――」

「代えなくていい。あと黙れ。できないなら僕がやるだけだ」

 有無を言わさぬ命令に女が震え立った。

 女は馬鹿みたいな武器を握っている。それは巨大な鎚だ。攻城兵器みたいなそれは並大抵の探索者では持ち上げることも出来ないだろう。

 岩石巨像が拳を振り上げた。動きは緩慢。足元は隙が多い。

 ランタンはロープを横振り、足首を破壊し、巨像は背中からゆっくりと転倒した。半裸の女は背筋を膨らませて鎚を担ぐと、苦役をこなすような重く苦しげな、それでいて確実に進む足取りで巨像に接近し、鎚の重さをそのまま核に叩き込んだ。

 振り下ろすと言うよりは、ただ落としたような重い一撃だ。一撃の重さだけならリリオンに匹敵するかも知れない。

「ご褒美に唾を」

「うるさい。まだ他が――」

 ランタンがボロボロになってしまったロープから戦鎚に持ち替えようとした時、多くの探索者が石獣に向かっていった。彼らは探索者の例に漏れず、疲労し、傷つき、それでも妙に戦意旺盛に魔物を破壊していく。

「……どっから湧いて出た」

「ひでえな、人を魔物みたいに」

「誰?」

 一人の探索者がぼりぼりと頭を掻いた。乾いた血が大きな雲脂みたいに散らばった。

「お前さんに助けてもらった(もん)だよ。俺ら全員な。助けるだけ助けてさっさと行っちまうから、追うのが大変だったぜ。礼ぐらいは言わせてくれよ」

「助けたつもりはないけど」

「そう言うなよ」

 石獣どもはあっという間に殲滅された。追いかけてきた探索者は四十名以上、その場その場に座り込んだりするほど消耗しているし、そもそも動くことが出来ずに背負われてきた者もいた。元々場にいた商人や孤児は合わせて二十名、拾った孤児は六名。

 この場にいる半分以上は身動きが取れない。

 どうするべきか。連れて行くことは出来ない。置いていくことは見捨てることになるのだろうか。

「――なんでそいつらがいるんだ! 元凶はそのガキどもだろうが!」

 ランタンが思案していると、探索者の一人が憎悪の声を上げ、欠けた鋒を薬化した孤児に向けた。

「この子らは関係ない!」

「俺は見たんだ! ガキが迷宮を崩壊させるところを!」

「この子たちはそんなことはせん! お前が見た子も、きっと騙されただけ――ぐえ、げほっ、げえ」

 重装が錆び付くような咳を吐いた。右肩にはランタンの赤い蹴り痕。兜からはみ出る髭を伝い血が滴り、ぶ厚い鋼はひび割れ、左腕は拉げて右腕の半分の太さしかない。脚も痛めているのだろう。だが立ち上がり子供たちを守ろうとしている。

 ――子猫だ。

 どこから現れたのだろう。重装の足元で子猫がしゃあしゃあと威嚇声を上げていた。薬化した孤児が抱いていた子猫に似ている。毛色も記憶にないが、たぶんあの子猫なのだろう。

「やめろ」

 ランタンは諍いを見守る探索者を押し退け、鋒に対峙する。

「いちいち争っている場合か」

「でも、俺の仲間が!」

「そうか、それは残念だった。ご愁傷様。それで、それがどうかしたのか。探索者なんてそんなもんだろ。あなたが見た孤児はたぶん使い捨てで、解放同盟辺りに唆されたんだと思う。こんな風に揉め事になるのも見越している」

「だからって、そんな……!」

「じゃあ例えば、あなたが騙されて同じような状況になったとしよう。斬られても文句は言わないか?」

「そんときゃ自分で死ぬさ! 仲間に迷惑を掛けるぐらいなら!」

「良い仲間だね。なら、ならきっと、あなたの仲間はあなたを助けてくれるし、許してくれるよ。そしたら嬉しいんじゃない?」

 ランタンは鋒を手で払い、男の方をぽんと叩いた。

「仲間のことは残念だった。でもまあ、喜ばれることをしよう」

 そして子猫の首根っこを掴み、猫がやはり暴れたので薬化した孤児に押しつけた。まだ口を聞けるほど回復はしてないが、薄ぼんやりと目蓋を開けている。子猫は孤児の首筋に顔を擦りつける。

「拾ったんなら最後まで面倒をみな。ほったらかすんじゃない」

 きっと自らが居なくなった時のことを考え、レティシアに子猫を預けようと思ったのだろう。

 ランタンは顔を上げる。炎の瞳に探索者たちの顔がはっと照らされた。

「――さあ、休んでる暇はないよ! しかたないからここに陣地を築く。足手まとい、じゃないや、うそうそ冗談。戦えない者はここでお休み、戦えるけど怪我してる人はそのお守り、ちゃんと戦える人は戦いに行くよ。団体行動、無理は禁物。取り残されている人たちを保護して連れてきて――」

「連れて来たぞ」

「ジャックさん!」

 振り返れば大理石(マール)模様の毛並みを持つ犬人族の探索者ジャック・マーカムがいた。彼もまた巻き込まれてしまったようだ。口元に微かな笑みを浮かべランタンに拳を差し出した。ランタンはごつんと小さな拳をぶつけて答える。

「どうしてここが?」

「起重機の天辺で変な物振り回してりゃ盲目(めしい)でも振り返るさ」

 ジャックを先頭に亜人族の探索者集団が区画の中に入ってきた。起重機も四台いる。ジャックは後ろを振り返る。

「パック、ゲインズ! 壁を作れ! 兎人族で働けるものは見張りに、怪我人は適当に転がしておけ。心得がある者は怪我人の手当を頼む」

 ランタンが、よろしくお願いします、と言うと彼らは自らが出来ることをしはじめた。

「私もお邪魔していいかしら? 兵隊が使い物にならなくなったの」

 それはいつぞやの魔女だった。杖からロープが伸び、氷のソリに彼女の兵隊が横たわっている。一人は酷い怪我だ。右腕が焼けただれ手と魔道剣が癒着してしまっている。包帯の代わりか薄氷が右腕を覆っている。

「氷が入り用な場合は言って頂戴、用意するわ。これも全て好きに使って」

 魔女は手持ちの魔精薬を治療班に渡してランタンに振り返った。

「元気そうで何より。――少し大人びたかしら?」

「だといいですけど」

「背は伸びていないわよ」

 自分の旋毛を見るみたいな上目遣いのランタンに魔女は冷たく告げた。

「休憩する暇がないのはわかるけれど、情報交換ぐらいはするわよね。――その前に、これあげるわ。私には扱いきれなかったから」

 魔女はランタンに霜付いた小瓶を二つ渡した。それは肌に張り付きそうなほどに冷たく、中は液体で満たされている。ほのかに青いだろうか。けれど魔精とは少し違うように思う。

「これは?」

「爆薬よ、たぶんね。偶然の副産物みたいな物だから私にもよくわからないけど、あなたなら扱えるでしょう。あなたの炎は遠くからでもよく見えるわ」

「ああ、そうだな。知らせてやれば人も寄ってくるだろ。派手なの頼むぞ」

「人を灯台みたいに――ミシャ、起重機の首伸ばして」

「はいはい、ちょっと待ってねって、もう!」

 ランタンは起重機の破損を調べているミシャの腰を抱きかかえて座席に放り込み、立ち上がる首の天辺に足を掛けた。

 魔女から貰った小瓶を左手に握ったのは、ロープを振り回した右手がボロボロだったからだ。中身はわからない。けれど傷口に染みそうな気がした。

 ミシャがレバーを操作すると、起重機の首がゆるゆると伸びていく。ランタンが空に近付くのを、誰もが見上げていた。太陽を見上げるように。

 ランタンは左手を高く掲げて、小瓶を握り砕く。

 掌を押し広げるような急激な体積の膨張。極低温の液体は低温のまま一瞬で気化する。同時に体温を奪われるような感覚。それが魔精が抜ける感覚に似ている。

 ランタンは左手に力を注いだ。

 聞け、見ろ、届け。

 光は迷宮特区の隅々にまでを照らし、熱を伴う衝撃は隔壁にまで到達し力強い音色を谺させる。

 音色は心音に似て壁を越え、青空から降り注ぐように都市に響いた。


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