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カボチャ頭のランタン  作者: mm
05.Sunrise
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「巨人じゃなくて吸血鬼なんじゃないのか」

 ランタンは首筋に付けられたリリオンの噛み痕を撫でながらぶつくさ呟く。足にしがみつくどころか噛み付いてきた。結局リリオンの機嫌が直る事はなかったので、昨日の望み通り蹴っ飛ばして屋敷を出てきた。

 機嫌は直らなかった。

 蹴られてちょっと嬉しそうに見えたのはきっと幻覚だ、とランタンは思い込む事にする。

 リリララもそうだが、きっと昨日の事ではしゃいでいるのだろう。

 招請はランタンのみを指名していた。

 だがリリオンを連れて来なかった理由はそれだけではなく、やはりそれがリリオンのためだと思ったからだ。

 その昔ベリレが訓練の鉄剣をぱきぽき折ったように、リリオンの臂力もそれに匹敵する。訓練ならば手を抜いて対処すればいいが、実戦ではそうはいかない。今のベリレのように壊さぬ技術もなければ、ランタンの爆発のような力もリリオンにはないのだから。

 さっさと用事を済ませてグラン工房に行こう。もうそろそろ仕上がる頃だろう。

「おはよう。今日はあまり寒くないね。うん。おはよう、おはよう」

 ランタンはすれ違い、声を掛けてくる探索者たちに軽く挨拶をしながら迷宮特区を目指す。挨拶を返された探索者が後ろ髪引かれるようにランタンを目で追った。

 挨拶一つ取っても、一昨日までとはどこか違う雰囲気があった。

 動作の一つ一つが自然なのだ。肩肘を張らぬそれは驚くほど柔らかな雰囲気をもたらして、本人こそは気が付かないが、確かに歯を立ててみたくなるような魅力があった。

 迷宮特区の門前で商人が露店を広げていて、売り口上をがなり立てている。

「――今日の天気は晴れ、所々矢の雨が降るぞー! 探索前に針鼠になりたくなければこの鍔広兜がお勧めだ!」

帷子かたびら、帷子はいらんかー! 細鎖の帷子だよ、斬撃刺突どんとこい! 軽くてしなやか! 鎧の上からでも装備できるよ!」

「最新式の機械弓(クロスボウ)が今だけなんとこのお値段で! 誰でも名人! 練習不要! 百発百中! 一撃必殺! 現品限り! 整備はアイアンウッド工房に持ち込めば格安だよ!」

 広げられた商品に足を止める探索者がいるので人の流れが滞り、それによって門周辺の人密度が高くなっている。

 機械弓か、と横目に見たのは自分の投擲能力の低さをあらためて知ったからだ。

 副装備として持ち歩くには大型だが、その分威力は高そうだ。それなりに鍛えている探索者ならば大型機械弓を片手で扱う事も出来るし、荷車に括り付けて運び屋でも運用出来るようにすればそれなりに役立つかも知れない。

 いらないけれど。

 寄ってらっしゃい見てらっしゃいと手招きされるのを無視し、邪魔だなと思いながら、掏摸と痴漢の指をへし折って、ランタンは人混みをすり抜けていく。

 こういう時、小回りの利くこの身体は便利だと思うし、誘蛾灯のごとく変態やら小悪党を寄せる体質を不便だと思う。

「銀貨一枚、元気百倍! 独自配合、効果絶大! 景気付けに一杯どうだい!」

 混ぜ物がしてあるのを隠そうともしない濁った魔精薬が樽に満たされている。まだ稼ぎの少ない探索者たちがそれを一杯引っ掛けて迷宮に向かっていく。

 孤児が肩から蛙やら蜥蜴やら鼠やらの黒焼きを提げて売り歩いていた。それを買う探索者は黒焼きの効能を求めたと言うよりは、善行を積む事で運を得ようとしているのだろうか。

「ん……? あ、おい、そこの」

 ランタンは一人の孤児を呼び止めた。後ろ姿に既視感があり、振り返った顔はやはりレティシアに子猫を献上しようとした子供である。今日はそいつを連れていない。やはり小道具の一つだったのか。

「この辺りは矢が降るらしい。商売するにも怪我したくなかったら別のところへ行きな」

 この前見た時よりも血色がいいようで、目蓋や頬に赤みがあった。孤児らしい不健康さや汚れが失われて、表情の変化がより目立った。

 怯え。

「怪我は治ったしもともと気にしてないよ。っていうか熱あるんじゃ――」

 ランタンは孤児に手を見せて、その赤い額に触れようとした。孤児は慌てて踵を返して逃げていった。足取りはふらついていない。怯えの中には弱気より生気の方が強くあった。

 まあ大丈夫だろう。

「竜種とは違うし、しかたないか」

 ランタンは軽く肩を竦めると、今日の戦場に向かっていく。

 高難易度獣系大迷宮である。

 より正確に言うのならば獣系ではなく、鳥獣系迷宮であるらしい。

 露天商が矢の雨が降ると言ったのは、どこからかその情報を得たからだ。開けた場所で飛行能力を有する魔物を相手するには遠距離魔道が一番だが、魔道は弓術よりも才能に左右される。

 大迷宮崩壊戦の為に区画が整理され、戦場が広い。

 すでに集まっている探索者たちが何やら作業をしている。どうやら陣地を構築しているようだ。

 設置型の大盾が西側から北側へ半円を描くように設置されていた。盾は機械弓の台座も兼ねているようで、のぞき穴があり、探索者たちが射角を確認していた。仰角を高く取っている。対空攻撃に特化しているようだ。

 矢が地面に突き立てられていた。直径が五ミリ以上もある金属製の矢だ。それが迷宮で散った探索者の墓標のように膨大な数用意されている。

「機械弓が三十、規格も揃ってる。これは――」

 探索者は通常五、六名からなる探索班を組んで行動する。それ以上になると統制を取る事が難しくなるし、班の維持費も馬鹿にならないし、個人の取り分も減っていくからだ。戦力が足りない場合は傭兵探索者を雇うか、友誼を結んでいる探索班に一時的な助力を請う。

 だがそうではなく、恒常的に大人数を保有する探索班もある。員数が二桁になると探索団と呼ばれる事が多い。

 おそらくこの場にいる探索者は全員一つの組織、探索団に所属している探索者だ。

 機械弓と設置される大盾以外に装備に統一性はない。だが注意深く観察すれば、揃いの紋章を装備のどこかしらに刻んでいることに気付くことができる

 三顔の紋章。真ん中に騎士の兜、その左右に山犬と山猫。蠍の尾を噛む蛇がそれらをぐるりと囲んでいる。

「指揮者は――、あなたか?」

 体毛がくすんでいるのは、白髪が混じっているからかもしれない。それは壮年の狼人族の男で、歴戦の探索者といった雰囲気があった。目付きが鋭く、口が大きく、肩幅が広く見えるのは首回りの毛が豊だからだろうし、しっかりと鍛えられているからでもある。

 濃い灰色の獣毛に包まれた上半身は剥き出しで、身の丈ほどもある大剣を背負っている。

 ランタンに近付き、立ち止まると腕組みをして、吟味するような視線で見下ろしてくる。

「自己紹介は必要?」

 相手は年上で、探索者としての経験年数も上で、けれどランタンはふてぶてしくそう告げた。

「いらんよ、ランタン」

「それは手間がなくていいですね」

 相手は大勢の探索者を率いる指揮者である。対するランタンはリリオンと二人組の探索班の指揮者である。

 礼を忘れる必要はないが、四角四面に礼儀正しく振る舞う事だけが正しいとは限らなかった。互いが対等であるのならば尚更にそうだ。

 一人だろうと負ける気はない。二人ならその気持ちはより強くなる。

「こっちに手間はありそうだがな。トライフェイスと名乗らせてもらっている」

「……?」

 どこかで聞いた事のある名前だ。ランタンは乏しい記憶力を駆使して、朧気な記憶を探る。たぶんリリオンと出会う前に耳にした事があるような、ないような、気がしなくもないような。

 思い出そうと眉根を寄せるランタンに狼男は苦笑した。今ここにいる探索者の数は五十を優に超え、あるいはそれで全勢力ではないのかもしれない。これほどの規模の探索団となれば通常の探索者は知っているはずだった。

 ランタンの世間知らずさは、そのまま少年の世界の小ささでもある。

 ランタンはふてぶてしさ一転、気まずげに視線を逸らした。

 トライフェイスの面々には、目の前の狼男然り亜人族が多いようだ、だが獣系亜人族だけではなく爬虫類系も昆虫系もいる。それに人族も。これほどの混成は珍しい。まず人族と亜人族の間に差別があり、また亜人族間にも差別があるからだ。

 だが統制は取れているようだ。

 この狼男は見た目の通りさぞ勇猛な探索者で、有能な指揮者なのだろう。

「あ」

 一人の探索者の腕に三つ首の山犬の刺青があった。

 それを見てふと思い出した。

 三つ首の山犬の紋章、トライフェイスとは群犬(トライフェイス)ではなかったか。三顔の紋章の山犬と刺青の山犬の顔は一致している。あの刺青をした探索者に二、三度勧誘を受けた記憶がある。

 だがこれでは群犬ではなく、騎士に従う獣ではないか。

「何か勘違いをしているようだが、俺はトライフェイスの指揮者ではない」

「え、そうなんですか?」

「指揮者はあれだ」

 狼男が親指を立て、自らの背後を指した。

 精悍そうな人族の若者が折りたたみ式の椅子に腰掛けていた。脇に置かれた小さなテーブルに青く発光する魔精薬で満たされたグラス。側近を二人背後に控えさせて、自らはふんぞり返って剣を弄っている。

 武器の手入れと言うよりは趣味の美術品を磨いている、といった風情がある。探索者にしては品がいい。これが探索者だったら娼婦を膝の上に乗せて、そう言った行為をしていることすらある。リリオンを連れて来なかった理由の一つだ。

 若者はランタンに気が付くと不遜な感じで顎を動かした。おそらく、来い、と言っているのだろう。

 ランタンはもちろんそれを無視する。

「おじさまのお名前は?」

「ギデオンだ。うちの指揮者が呼んでいるが……」

「ギデオンさんの指揮者でしょ? 僕のじゃない。――ちょっと聞きたいんだけど、ギルドからの手紙だと五十人ぐらいって書いてあったけどそれ以上いますよね。これはすべてトライフェイス所属の探索者たち?」

「ああ、そうだ。見習いどもを連れて来ちゃいけねえなんてことは書いてないからな。矢の補給、応急処置、死体拾い、牽制、時には盾役にな」

「ふうん」

 討伐した魔物は基本的に止めを刺した探索者の得物だ。仕事を受けていない探索者が権利を主張すれば普通は問題が発生する。単一組織で受注した仕事だからこそ出来る事だろう。

「混成部隊って大変じゃないです?」

「まあ、それなりにはな」

 ランタンが見るに探索者見習いにこそ雑多な種族が入り交じっているが、実戦部隊は後衛が人族、前衛が亜人族で分けられているように見えた。

 血が濃い亜人族は、場合によっては引き金を引くに支障がある指の造りをしている場合もある。そういった種族的な問題もあるのだろう。

「あの機械弓ってどうですか? 迷宮で運用は」

「難しいな。制圧力を出すには数を用いなければならん。貫通力はそこそこだが、それも魔物によるしな。硬い奴にはなかなか徹らん。矢は使い捨て、一戦ごとに整備もいる、金は掛かる。威力を高めようと思えば最大の利点を捨てる事にもなる」

「利点?」

「誰でもそれなりに使える事だ。これ以上威力を求めれば、俺やお前でないと弦を弾けない。それに射出の反動で自壊しかねん。なんだ? にやついて」

「いえ、別に」

 つまりそれは弱者を見捨てないという事ではないだろうか。団員を厳選する方が、おそらく利になるはずであるのに。紋章の趣味はあまりよくないけれど、なかなか好感の持てる探索団だ。

「しかし、これだけの数を揃えるのも大変そうですね――」

 振り向く。

 指揮者の若者が腕を伸ばした姿のまま、あと一歩ランタンに足りぬ距離で足を止めた。

 歳は二十ぐらいだろう。やや癖のある金の髪、濃い眉、余裕の感じられる目付き、薄ら笑い。それでもなかなか精悍な顔立ちをしていて、気品溢れるとまでは言わないが、探索者らしからぬ品の良さは気のせいではなかった。

 胸当てに金細工の紋章。円月型の盾篭手を左腕に嵌め、先程まで磨いていた剣を腰に帯びている。指揮者らしく立派な装備だ。鎧に着られているような雰囲気はないが、しかしギデオンほどの力強さも感じない。

「なに、貴様の腰の物と同じさ。ふん、馬鹿な奴め。ボグウッド商会を袖にするとはな。所詮は無学無礼な探索者という事か」

 ランタンは二本の戦鎚を腰に差している。それはエーリカに用意してもらったグラン工房の物だ。おそらくこの若者は、ランタンが全て壊してしまった以前の戦鎚、戦棍の事を言っているのだろう。

 どこぞの鉱業業者から押しつけられるように頂戴した物だが、どうやらその業者は指揮者が口にしたボグウッド商会なる組織に属する一企業であるらしい。

 ランタンだけ特別に、と言うわけではなかったのだ。もちろん探索者ならば誰彼構わず、と言うわけでもないが。

 なるほどトライフェイスがこれほどの部隊を維持できるのは出資者(スポンサー)がいるからだった。指揮者の素質の一つ、集金能力をこの若者は備えているのかもしれない。

「しかしネイリングも外れを引いたな。このような小僧を囲うなど。ふふふ、ギルドも何を考えているのか」

 指揮者は腰に手を当てて胸を張り、どこか小馬鹿にしたような視線をランタンに向けた。芝居がかった様子だが、なかなか様になっている。

「だがまあよい。貴様が子供であろうと大人であろうと、次代の英雄が俺である事に代わりはないのだから! ははははは、唆されてのこのこと現れたようだがランタン! 貴様の出番はないぞ! そこで指を咥えて見ているがいい、この俺の活躍を!! ふはははは!」

 気分良さそうに高笑いをしている。

 英雄、英雄、英雄ねえ、とランタンは口の中で何度も言葉を転がした。

「一つ、聞いてもいいか?」

 指揮者の高笑いを中断させる。ランタンは一瞬ギデオンに視線を向けた。渋い顔をしているのは、どちらの所為だろうか。

 ランタンは細い指で、無遠慮に指揮者の顔を指した。

「誰?」




 迷宮崩壊が刻一刻と迫っていた。区画の外周に三面の紋章を染め抜いたのぼり旗が林立している。

 トライフェイス指揮者はノーマン・ダン・ヘイリーと言うらしい。ヘイリー子爵家の三男坊で、なんとかかんとか伯爵と懇意にしており政事では都市税制に冠して重要な役割を云々かんぬん、とまるで戦場には似つかわしくない自分語りをランタンに聞かせ続けた。

 ランタンはそれを聞き流しながらノーマンの一言を反芻していた。

 英雄。

 ノーマンの口から出たその言葉に、少しの腹立たしさと、自分の甘さと、同時に気が楽になるのを感じていた。

 探索者ギルドは英雄を求めている。近年の探索者の減少と質の低下を憂いてのことだ。その御旗となる物の一人としてランタンに白羽の矢が立ったのだが、それはおそらく複数の候補の内の一人だったのだろう。

 つくづくランタンは真面目だったのかもしれない。リリオンへの責任感もあったが、無意識の内に押しつけられた期待に応えようともしていた。もちろん間近で感じたエドガーの力に魅力を感じた事も事実であったが。

 エドガーほどの傑物はそうそう居ないのだから、候補を複数立てる事はそれほどおかしな話ではない。

 ノーマンにその素質があるかどうかはランタンにはわからないが、ランタンの単独迷宮攻略の実績と同様に、トライフェイスの指揮者というのもまた一つの実績であることは確かだ。なかなか由緒ある探索団らしい。ノーマン曰く、自分が引き継ぐに相応しい程度には。

 ギルドには、あるいはギルド長にはエドガーという英雄を作り上げた前例もある。エドガー自身にもその考えがある事をランタンは知っていた。ランタンと比べて、造られた英雄、とエドガーは自分を評する。

 ギルドはある程度の素質があるのならば、あとはどうとでも操作できると考えているかもしれない。

 英雄自身も、世間も。

 そしてボグウッド商会は英雄候補に出資をする事で迷宮利権に影響力を持とうとしているのだろう。またヘイリー子爵家に恩を売る算段もあるのかもしれないし、子爵家、あるいは貴族はノーマンを利用し探索者ギルドから迷宮利権を取り上げようとしているのかもしれないし、ギルドはノーマンを介して貴族社会を操作しようとしているのかもしれない。

「政治だな」

「なにか言ったか?」

「いいえ、独り言」

 ギルドはランタンを、そしてノーマンを試している。競わせようとしている。より優秀な芽を残すために。

 それに囚われてはいけない。けれど戦いに手を抜く必要もない。

 ランタンは自慢話で詰まった耳の穴を小指で穿(ほじく)り、ふっと指先を吹いた。グラン工房に行ったら耳かきを作ってもらう。

「それにしても気が利かない。なぜレティシア嬢や、ほれ、お前のいつもつれている銀髪の女を連れて来なかったのだ。この俺の輝かしき活躍を見れば、レティシア嬢も考え直す事だろうに。このようなどこの馬とも知れん小僧に肩入れするなど。まったくこれではなんのためにギルドの要請を呑んだかわからんではないか」

 何時ぞやレティシアを訪ねてきた貴族の中に彼もいたのかもしれない。公爵家と子爵家では格が違うが、本人が居なければ言いたい放題だった。もしくはすでに英雄気分なのか。

 自分に自信があっていいことだな、とランタンは氷のような視線を向ける。

「なぜ僕かって、そんなのは簡単な理由だよ。僕があなたよりも強いから。――ギデオンさん、そろそろ?」

 口をぱくぱくさせて言葉を失っているノーマンを無視して、ランタンはギデオンに問い掛けた。ギデオンは頷きで答える。

「わざわざお願いされて来てるんだから、僕は僕の好きなように動くよ。邪魔するつもりはないけど、指図は受けない。早いところ終わらせてご機嫌取りをしないといけないしね。もっとも先に依頼を受けたのはそっちだから、一撃目は譲るけど」

 大きな迷宮口をぐるりと取り囲むように魔道式が刻まれている。それはシドが一撃のもと迷宮崩壊戦を終了させた大規模魔道のそれに類似している。

 差異は式がシドほど洗練されていない事、式に流し込んだ触媒が液化金属ではあったが黄金ではない事、そして魔道使いが四人がかりであった事。

 迷宮口に、崩壊促進剤を投下する探索者に見覚えがあった。まだ治りきらぬ傷が頬から唇の端に繋がっている。それはまだ若いやんちゃな雰囲気に、なかなかの凄味を与えた。

 ランタンの初めての迷宮崩壊戦を共に戦った新人探索者だ。

「へえ、傘下に入ったのか」

 生存確率を上げるにはいい事だ。残りの新人も戦場のどこかにいるのだろうか。もう顔も覚えていないので探そうとも思わないが。

 ランタンは自らの薄情さに苦笑する。

「さあ、我が探索者たちよ! 諸君らの勇戦こそが、我が栄光の礎となろう! 恐れる事はない、歴史に名を刻み、この小生意気な小僧に目に物を見せるのだ!」

「がんばってね」

 ノーマンの演説に注目が集まり、果たして探索者を鼓舞したのはどちらの言葉だったのか。おおう、と野太い声が地の響きに溶け合った。緊張が一気に張り詰める。

機械弓(クロスボウ)隊、焦る事はないぞ! 岩石が失せてからでよい! 岩石は重いから早く落ちるからな! はっはっはっ!」

「……」

 重力ってそんなんだっけ、とランタンがやるせなさそうに小首を傾げた瞬間、迷宮は音を立てて崩壊した。

 崩壊と同時に魔道使いが魔道を発動させる。氷嵐が吹き荒れて、湧出する魔物に襲いかかる。

 また一つ、シドとの違い。

 氷嵐の魔道は持続型で十秒近く吹き荒れたが、威力の方はそれなりだった。迷宮崩壊の影響を受けながらも力を保ったのは賞賛ものだが、確実に仕留めた魔物は先頭切って飛び出した数匹、後続は致命傷にはほど遠く手傷を負わせただけという感じだった。

 それでも魔道使いの消耗は激しい。その場から動けない魔道使いを探索者見習いが後方へ運んでいく。

 さすがは大迷宮、うんざりするような魔物の数だ。

 岩石に混じって空に飛び出したのは陽炎を纏う燕、炎燕(フレイムスワロー)を主体とした鳥型魔物の群だ。

 炎燕は中型犬ほどの大きさながら俊敏で、太陽を翳らせるほどの岩石をひらひらりと避けている。赤い嘴をカチカチ鳴らして、その度に火花が散っていた。

 炎燕が火を吐いた。氷嵐が溶けて、むわっとした湿気が辺りに漂う。

 重力は正しく働いたが、翼のない岩石群が先に落ちた。

「構え――、撃てえっ!」

 号令を発したのはギデオンだった。

「おお、こわ」

 さながら獣の遠吠えだ。朗々と尾を引いて響くその号令に、金切り声にも似た金属音が付き従う。機械弓が半円を描くように配置されたのは味方への誤射を防ぐためもあったが、放った矢を交差させる事で全天を制圧するためでもある。

「なるほど、上手いな」

 矢はそれのみに威力を頼っているわけではない。

 機械弓隊よりも後方に待機している魔道使いが、矢を触媒に魔道を発動させている。おそらく矢の周囲に乱流を巻き起こす程度の魔道だが、炎燕たちは吐き出した炎を散らされ、体勢を崩され、次々に射貫かれていく。

 鳥獣系迷宮とは言え、全ての魔物が鳥型なわけではない。

 濛々と立ちこめる砂煙の中にもおぞましい獣臭が渦巻いている。透ける影は多種雑多。駝鳥のような影もあれば、鹿のような影もある。超大型の犬か猫か。あの小さいのは迷宮兎か。

「地上部隊は俺に続け! 頭上は気にするなよ。ぶつけたところでこれ以上馬鹿にはならん。行くぞ、馬鹿ども!」

「うおおおおおおおお!」

 なんという戦意の高さ。ギデオンの大剣に導かれるように亜人族の探索者たちが馬鹿みたいな勢いで突進していく。一見するとどちらが魔物かわからないほどだ。大群同士が衝突し、地面が見る見ると青い血に、そして探索者の血が混ざり紫に染め上げられていく。

 トライフェイスが押している。ギデオンを筆頭に、突出した力を持つ探索者が数名いるようだ。

「邪魔、邪魔っ、邪魔あっ!」

 ランタンもそれらに容易く比肩した。

 血溜まりを踏み、血飛沫に足元を汚しながら一撃必殺に魔物を屠る。

 人族よりも身体能力に勝る亜人族に引けを取らない運動量は、魔物の密集する内側へとランタンの小躯を押し進める。爆発。その制圧力は他の追随を許さない。

「ふふ、ふふふっ、今日はどうにも調子がいいな」

 きっと昨日一日、休んで、遊んだからだろう。竜種の背から見下ろした景色を思い出すほどに、己の視野が広い。

 トライフェイスの戦法は見事だった。亜人族の突進力で魔物の群を割り、内から外へと二分していく。頭上は機械弓に任せ、無防備な機械弓隊を守るのは動員された探索者見習たちだ。突き出した長柄の槍と小型機械弓の水平撃ち。彼らの攻撃は魔物が盾になって内で戦う味方には当たらない。

 また探索者見習いは戦場から怪我人を運び出し、そうして失った戦力の補充要員も兼ねていた。

 とは言え第一陣の探索者こそが戦闘上位者であるのだろう。入れ替えによって、じりじりとだが戦力は低下していく。だが魔物の戦力減少はそれ以上に早い。

 頭上より降り注ぐ炎燕の火炎放射を左手に絡め取り、爆発によりそれを消し飛ばす。爆炎を以て炎を制す。ランタンは煙る左手で、見知らぬ亜人探索者の背中を叩いた。

「右が押されてる。助けに行って」

「こいつは――」

「僕が()る」

 ランタンの瞳に炎が宿り、探索者が場を任せて右辺に仲間を引き連れて駆けていく。

 のそりと現れたのは炎虎である。炎燕と同じく陽炎を纏い、だが炎燕とは比べものにならない熱量を発している。その足跡が黒く焦げ付き、血溜まりは乾きひび割れる。赤炎の体毛に真っ黒な縦縞。体高がランタンと同程度、体重は十倍を下るまい。

 竜種に匹敵する強敵だ。だが子猫の相手をするよりもましだ。

 炎の鬩ぎ合いだった。両者の間で炎熱だけが先を制するように迸り、血に泥濘んだ大地が熱に炙られて固まっていく。

 どす黒いそれを先に踏み割ったのはランタンだった。酸素が着火するような速度で炎虎に肉薄し、その横っ面に戦鎚を叩き込む。衝撃の半分を虎の頸椎が相殺し、威力に吹き飛ぶままに爪を薙ぐ。大振りの胴薙ぎを紙一重に躱すと黒々とした爪跡が服に刻まれる。

 焦げ臭い。

 身に纏う高熱の余波でこの威力。防御力では炎虎に分があるようだった。だが退くランタンではないし、見逃す炎虎でもない。炎毛がその勢いを増し、虎は火だるまになって襲いかかってくる。

 ランタンは戦鎚を槍のように構え、爆発でもって自分の身体を押し出した。

 機械弓で撃ち出される矢よりも早く、ランタンは炎の中に飛び込んで虎の口腔に戦鎚を突き入れる。鍵を回すように戦鎚を捩り、喉の奥へ鶴嘴を引っ掛けた。

 炎虎が堪らず怯み、それを吐き出そうと背を丸めた。ランタンは勢いよく戦鎚を引き抜いた。鶴嘴が食道から内頬をざっくりと切り裂き、炎虎はげえげえと青い血を吐き出す。

 炎虎は苦しみに身を捩り、凶悪な爪を闇雲に振り回した。受けた戦鎚の柄に火花が散ったのは摩擦のためではない。柄の金属が瞬間的に沸騰したからだ。

 ぞるり、と柄が溶断された。赤熱する爪が顎先を掠めて、熱波が肌を赤く炙る。飛び散った溶鉱と炎虎の腕を潜り抜け、ランタンは巨体の側面へと回った。

 戦鎚の間合いよりも近付いたのは、隙を守るために吹き上がった炎が邪魔だったからだ。まるで荒れる毛並みを撫で梳かしてやるようにランタンはその炎を手で払った。

 さすがに焼けるか。

 火傷をした指先にごわごわとした毛皮としなやかで太い肋骨の感触。先端を失った戦鎚は、けれどその断面が鋭利に尖っている。

 ランタンはそれを肋骨の隙間に通した。肺を刺し貫いて、心臓まで遠い。ランタンは虎に身を預ける事で爪を躱し、右手の手首までを肉の内側まで押し込んだ。青い血が沸騰したみたいに熱い。

 いまだ戦鎚は身の一部ではない。だからこそ、そうする必要があった。

 爆。

 炎虎は一回り大きく膨らんだが爆圧に耐えて原形を保持し、だが形を残すだけで精一杯だった。内から押し広げられた肋骨は砕け、肺は破れ、炎を身に纏う虎と言えど体内を蹂躙する炎には耐えられず、黒々とした煙を吐き出して息絶えた。

 その瞬間まで炎虎はランタンを狙った。

 ランタンは右手を引き抜き、重く息を吐き出した。下手に呼吸をすれば肺が焼ける。それほどの熱量だった。

 強敵だったが、これは最終目標(フラグ)ではない。

「さてあとは――」

 地上に現れた最終目標(フラグ)は奇しくも三面の獣である。

 混合獣(キメラ)が大鷲の羽を広げ、ノーマンが指揮棒のように剣を構えている。

「――どう手出しをしようか」

 ランタンは右手にこびり付く乾いた青い血を払い、ちらりと唇を舐めた。


たぶん20日も投稿します。

したい。

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