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カボチャ頭のランタン  作者: mm
01.Take Me By Storm
13/518

013 迷宮

013


 迷宮の道は平坦にも見えるがその実ややなだらかに傾斜していて進めば進むほどに下っていく。深度計なる物を使用し尚且つ迷宮を探索することを、潜る、と形容するにもかかわらず坂道であることを失念する者は後を絶たない。慣れない者は気づかない間に膝を痛めたり、疲労によって足を縺れさせて転んだりする。

 いつ背後から悲鳴が聞こえるかヒヤヒヤしていた。

 だが意外なことにリリオンは足取りも軽く疲れた様子も見せてはいない。先の戦闘から軽い興奮状態をずっと維持しているのだ。いや、自らが興奮していることにも気がついていないのかもしれない。

「ねぇ、ランタン! これ見て!」

「んーどうしたの?」

 リリオンの手首にぶら下がる深度計が色を濃くしている。秋空に似た淡い色だが、中層に入ったばかりの頃と比べれば一目瞭然に色が濃くなっている。この色が意味するのはここが中層を抜けた先、つまり下層であるということだ。

「もう下層に入ってたのか……よく気づけたね」

 ランタンはリリオンに向かって微笑み、思考を巡らせた。

 ランタンも何だかんだとリリオンの足取りに急かされるように進行のペースを早めていたようだ。ランタンは時計を取り出して時間を確かめると、予定よりも随分と余裕を持って下層へと入ることが出来た。

 猪を屠った後に一度の小休憩を挟んだが、ここらへんでもう一度休憩してもいいかもしれない。下層はまだ半分以上が未踏破で、魔物の掃討も済んでいない。ここから先は複数の魔物との連戦になるだろうし、もしそうなればリリオンの体力は本人が気がついた時には底を突いている可能性が高い。

 そうなればリリオンはただの護衛対象でしかなく、動く事もできなければそこに、足手まといの、と言う形容詞を付けなければいけなくなる。そうなればせっかく芽生えたリリオンの自信は猪の頭のように粉々になるだろう。

 一度、完全に、とはいかなくとも冷却時間を取ったほうがいい。とは思うのだがいつ魔物が襲ってくるかわからない下層でいきなり腰を下ろすわけにはいかなかった。まずは安全を確保しなければならない。

「ランタンどうしたの?」

 あからさまに歩調が遅くなったランタンにリリオンが並んで顔を覗きこんだ。血色の良いその顔をランタンはじっと見つめた。

 リリオンをここで待機させて、自分が斥候を、だがしかし浮かれているリリオンから目を離すのは正直な所恐ろしい。地上ならば持ち前の素直さで言うことを聞いてくれるだろうが、迷宮という異界では普通では考えられないような思考に陥ることは侭ある。それならばやはり目の届くところに置いておくのが良いだろう。共に戦うとしても、守るとしても。駆け抜けた思考を、継ぎ接ぎしてゆく。

「ここからは、ふつうに魔物が出るよ。少し進んで、魔物を見なければ、またここまで戻って、もう一度、休憩を取ろう」

 ランタンは一つ一つ区切るように考えを口に出した。

「わたし、まだぜんぜん疲れてないわ!」

「……僕は疲れたよ」

 今まで一人で好き勝手に探索をしていたツケが一気に肩に伸し掛かかっているような気がして、ランタンはうんざりした顔で呟いた。その顔にリリオンが手を(かざ)した。熱を計るように掌をおでこに当てる。

「大変! だいじょうぶなの!?」

「そんな大げさなことじゃないよ」

 肩を竦めて手を退かす。リリオンの掌のほうがよっぽど熱い。遠足熱だな、ランタンは小さく笑った。

「休める内に休んどかないと、魔物は疲れてても待ってはくれないからね。喉も乾いたし」

 だが喉を潤している暇は無さそうだ。

 ランタンとリリオン、二人はほぼ同時に通路の奥に目を凝らした。複数の足音が壁に反響して近づいてくる。魔物の群れだ。軽快な足音は猪のような大物では無さそうだったが、もっと接近するまで数が判別できない。

 ランタンは舌打ちを一つ吐き出して、身振りでリリオンに下がるように伝えた。大盾持ちを後ろに下がらせる愚行を他者が見たら笑うだろうが、ランタンは至って真面目だ。盾を持っていようとも危なっかしい奴を前には出さないし、大剣を振るうリリオンと並んで戦闘を行えば魔物もろとも両断されてしまいそうだ。

 後ろから斬られやしないだろうな、と嫌な想像をしてすぐにそれを振り払った。

 魔物が見える。

 狼の魔物だ。地面を這うように駆けてくる。数は四。くすんだ赤い毛並みと前足に備わったやすり状の爪から赤錆狼(ラスティウルフ)と呼ばれている魔物だった。菱型の陣形を保ちながら駆けていて、最後尾に周りの狼よりも一回り身体の大きな個体がいる。これがリーダーだろう。

 狼は群れで動き群れで狩りをする狩猟者だ。数が揃っていれば厄介だが、単品での脅威度は比較的低い。特にリーダーから切り離してしまえば。

 こいつらの内の一匹にリリオンの自信を育む生贄になってもらおう。

「一匹任せた!」

 ランタンはニヤリと唇を歪めて叫ぶと向かってくる狼に向かって駆けた。と同時に先頭を走る狼が撃ち出されたようにランタンに飛びかかった。

 大きく開いた口には鋭い牙が立ち並んでいる。だが最も恐ろしいのは前足に備わった爪だ。三本の爪が癒着し、一つの大きな鉤爪となっている。やすり状のそれは人間の肉を削るように切り裂き、肉体に深く埋まるとまるで(かえ)しのように作用する。

 ランタンは狼の前足を沈みこんで(かわ)して、飛びかかった狼の腹下に潜りこむといつの間にやら抜いた戦鎚(ウォーハンマー)を肩を回すように振り回した。背中の影から飛び出した鶴嘴が、鋭い弧を描いて狼の首元に埋まった。ランタンはさらに戦鎚を押し込み、鶴嘴を肋骨の内側を引っ掛けると槌頭と化した狼を力任せに振り回した。

「ちっ!」

 外向きに折れた肋骨が肉を突き破り、狼の身体が引きちぎれる。金属を乱暴に擦り合わせたような悲鳴と一緒に青い血が宙に零れた。後続を巻き込もうと思っていたのだが、狼の身体は中空を舞い後続二匹を飛び越えてしまった。そして運良くリーダー格に当たるかと思われた瞬間に、巨躯の狼は軽やかにそれを避けた。そう上手くはいかない。中空を舞った狼は叩きつけられるように地面に落ちると、しばらく藻掻いてやがて動かなくなった。

 残り三匹、だが巨躯の狼を後ろに通すわけにはいかない。

 狼は仲間の一匹を失っても怖気づくことなく、更に向かってくる。今度は二匹がいっぺんに襲い掛かってきた。左の狼は滑るように足元を狙い、右の狼が一瞬遅れてランタンの腕を狙った。

 ランタンは跳んで左の狼を躱し、戦鎚を突き出して右の狼を牽制した。ばきん、と音を立てて右の狼の顎が閉じられ、その口腔に槌頭が咥え込まれる。その更に奥から巨躯の狼がランタンに目掛けて飛びかかってくる。

「ランタンっ!」

 武器を封じられて空中で身動きの取れないランタンに、リリオンが悲鳴を上げた。がちゃんがちゃんと金属の音が迫ってくる。ランタンは唾液が格子のように糸引いた狼の大口よりも、背後から迫るその音に顔を歪ませた。

 狼は自分を狙っている、動きを読むことは容易(たやす)い。リリオンは自分を助けようとしている、どのような方法でかは皆目検討もつかない。リリオンもどのようにランタンがこの窮地を脱しようとするか、いやそんな面倒なことはいちいち考えもしないだろう。

「ぐぅっ!」

 戦鎚を咥えた狼が首を捻ってランタンの手から武器を奪いとろうとした。掌の皮膚が引っ張られて痺れる。痛みと思考が絡まり合ってランタンの頭の中は混乱している。前門の狼、後門のリリオン。とりあえずは狼のほうが楽そうだ。ランタンは判断を下すと同時に、痛みごと狼ごと戦鎚を身体に引き寄せて、足元に這う狼の頭を踏み台にして巨躯の狼に向かって跳躍した。

 戦鎚を咥える狼は前足を振り回したが、懐に入ることでその残忍な爪の脅威は届かない。ランタンと巨躯の狼が空中でぶつかり合うが、巨躯の狼の爪や牙は、その間に引き寄せられた哀れな狼の盾によって遮られた。

 しかし踏ん張れもしない空中では、質量の差は如何ともし難い。巨躯の狼によってランタンはそのまま(もつ)れ絡まり合うように戦鎚を咥えたままの狼ごと地面に押し倒された。だがただで倒されたわけではない。ランタンはいつの間にか戦鎚から手を外しており、心臓マッサージのように両手を重ねて、巨躯の狼がぶつかった衝撃を利用して盾にした狼の肋骨を()し折っていた。痛みに暴れようとする狼を、さらに巨躯の狼に押し付けた。好都合だ。

「ふっ!」

 ランタンは地面に押し倒されたまま、圧力を掛ける巨躯の狼の体重を利用して折れた肋骨を内臓深くに突き刺した。狼は悲鳴を上げて藻掻き、肺腑から這い上がる青い血とともに戦鎚を吐き出した。だがすぐには拾えない。巨躯の狼は相変わらずランタンを押さえつけ、身体のすぐ上で痛みに暴れる狼は駄々を捏ねる幼児のように全身を振り乱している。すぐ耳の横で鋭い爪が地面を削った。かと思えば巨躯の狼が首を伸ばして噛み付こうとしてくる。ランタンは巧みに身を(よじ)り暴れる狼の影に隠れた。

 頭を踏み台にしたもう一匹は、リリオンはどうしているだろう。

 ランタンは頭を振って爪や牙を避けながら、視線を伸し掛かる狼どもから一瞬だけ外した。その瞬間に青い憎悪に濡れた牙がランタンの視界を覆う。今まで闇雲に空を噛んでいた牙が偶然にもランタンの顔を捉えようとしたのだ。鉄の臭いの混じった生臭く生暖かい息が顔面に吹きかけられて、青い血の混じった涎が頬を濡らした。

「汚いっ」

 ランタンは怒りのこもった声で鋭く呟くと、狼と自分の腹の間で潰されていた手を無理矢理に引き抜いて眼前に迫り来る狼の顔を挟み、そのまま親指を狼の眼球に突き刺して力任せに頚椎を捩じ切った。断末魔の悲鳴も上がらない。

「リ――」

「ランタンっ!!」

 リリオンの名前を呼ぼうとした瞬間にそれに覆い被せるように自らの名が叫ばれる。影が差し、硬質な地面を踏みつける戦闘靴の音が耳の側で響く。ぼっ、と空気が逆巻く音が聞こえる。かと思うと死んだ狼が逃げ出そうとするように、顔を掴んだままの腕が引っ張られた。ランタンは咄嗟に爪を立てるように遠ざかろうとする顔を締め付けた。同時に太い紐が千切れるような音が聞こえ、不意に伸し掛かる圧力が消えた。手の中にある顔だけとなった狼が妙に重たく感じた。

 ランタンは首から下を失った狼の顔を眺めて、振り抜いた蹴り足を踏みつけるように下ろしたリリオンに視線を移した。リリオンはランタンを守るように立ちふさがっている。どうやらリリオンが伸し掛かる狼を二匹まとめて蹴り飛ばしたようだ。それも身体を引きちぎるほどの勢いで。

 ランタンは狼の首をポイっと投げ捨てると、まるで温かい布団から出るかのようにゆっくりと体を起こして、袖で顔を拭うと戦鎚を拾った。

「ランタンっ! 大丈夫!?」

 リリオンは蹴り飛ばした先に向けた視線をついとランタンに向けた。

「大丈夫だよ、リリオン。ありがと」

 ランタンにダメージは殆ど無い。怪我らしい怪我は一つもなく、倒れた時に打ち付けた背中が多少痛む程度だが、その衝撃も外套と背嚢に依って軽減されている。

 巨躯の狼は通路の先で身を起こしていたが、不利を悟っているのか闇雲に襲い掛かってくるような真似はせずにこちらを伺っている。リリオンもその挙動に目を光らせているので、ランタンは踏み台にした狼の姿を探して振り向き、すぐにまた前を向いた。

 背後には狼の屍が在った。

 先程と同様に蹴り飛ばしたのか、それとも盾で引っ叩いのたのかは分からないが、壁には狼が激突して弾けた血痕が青い薔薇のように広がっており、地面には全身の骨が砕けて敷物のように薄っぺらになった屍が横たわっていた。一瞥しただけでそれが死んでいると理解できる凄惨さだ。

 もっとリリオンを信用してもいいのかもしれない。

 ランタンは狼と自らを隔てるリリオンの大きな背中を眺めた。今更だが、探索者として迷宮へ連れてきたのだから、本来ならばそれ相応の扱いをするべきなのだ。それをまるで一つの怪我もさせないようにと立ち振る舞うことは、自分の意志でここに立っているリリオンへの侮辱であるのかもしれない。

 だがそう頭で考えても、いざそのように立ち振る舞えるかというと難しい。ままならないものだ。ランタンはゆっくりと息を整えながら、ぐるりと手の中で戦鎚を回転させた。

 臭い。深呼吸をするとランタンは眉根を寄せた。顔を濡らした唾液と血の臭いだけではなく、身体を擦り付けられたせいで戦闘服から獣の臭いもする。そういえばリリオンと出会ったばかりの時に同じようなことを考えたな、とランタンは思い出した。こうして比べてみればリリオンのほうが幾分マシだ。さっさとこの汚れを拭き取りたい。

 だが巨躯の狼を殺せばすぐに休憩できるわけではない。近隣に奴らの仲間がいないとも限らないからだ。臭い身体のまま斥候に出なければならないのは勘弁願いたい。

「ランタン!」

 その時リリオンが叫んだかと思うと、巨躯の狼が遠吠えを放った。喉を震わせて壁に何度も反響して迷宮の奥へと響いてゆく。ランタンはリリオンの切迫した叫びとは裏腹に、唇にいやらしく笑みを浮かべた。狼は仲間を呼んでいるのだ。

「好きに吠えさせな。リリオン、一網打尽だ。――近くにいる狼は全部来る、皆殺しだ」

 ランタンは背後からリリオンの腰に垂れる三つ編みを優しく撫でた。

「危なくなったら守ってあげる。自由に戦っているところを僕に見せて」

「……――うん! まかせて!!」

 色々と難しく考えすぎていたのかもしれない。

 先の猪との戦闘でも、たった今もリリオンは十二分に迷宮の魔物と戦える戦闘能力を示しているのだ。余裕を持たせた安全な戦闘ばかりを任せるのではなく、多少の危険があってもそれを切り抜けることはきっと出来る。そうでなければリリオンは何時まで経っても殻のついた雛鳥のままで、もし本当に危なそうならば、その時こそランタンが手を出してやればいいのだ。

 決して身体にこびり付いた臭いをさっさと拭い去りたいから、などという理由で狼に仲間を呼ばせたわけはないし、リリオンを戦わせるわけでもない。ランタンは手の中で回していた戦鎚をしっかりと握り締めると、リリオンの斜め右後ろに位置を構えた。この位置ならばリリオンの盾に視界を遮られることもない。

「よっし、来たよ」

 迷宮の奥深くから同種の狼が這い出てくる。やはり巨躯の狼がリーダー格のようで集まってきた狼はどれも一回り小さい。だが思ったよりも数がいる。這い出てきた数は七匹。巨躯の狼を護衛するように、一塊になっている。くすぶる巨大な火の玉のようだ。

「全部で八匹か、こわい?」

「ううん、ランタンがいるから平気」

 リリオンの後ろにいてよかった。思わず赤面したランタンは、ふっ、と熱の篭った息を吐いて目を伏せる。それと同時に巨躯の狼が叩きつけるように吠えると、群狼が一斉に駈け出した。

 まず七匹が、そしてその奥から追うように巨躯の狼が、八匹全てがこちらへ向かって来る様はなかなかに壮観で恐ろしげだ。だがリリオンはどっしりとその場から動かず盾を左前に構えて、脇に構えた剣の握りを落ち着いた様子で直している。

「はァっ!」

 裂帛の、しかし甘やかな声とともにリリオンは盾を突きだしたまま狼の群れに向かい、だん、と強く踏み込むと同時に盾を薙ぎ払った。その動きが妙に緩慢に感じられたのは盾の大きさによるものだろう。避け損ねた二匹が、耳障りな衝突音を奏でながら吹き飛んだ。だが残りの六匹が左右に分かれて回りこもうとしている。左に一、右に五だ。

「あぁァっ!!」

 リリオンは踏み込んだ左足を軸に身体を捻り、(きっさき)が迷宮の壁を切り裂きそうなほどに腕を目いっぱいに伸ばして剣を振るった。鋒から鍔に向かってまるで刀身が溶けたように銀の尾を引いた斬撃は、避けた内の一匹の頭部を裂いて地面に埋まった。

 迷宮探索前の組手ではリリオンはもっと剣撃を連続して繰り出していた。あんな風に地面を斬りつけるような真似は珍しいのだが、猪戦から続いている。リリオンは無防備だ。

「力み過ぎかな……?」

 ランタンはぽつりと呟いて、ゆっくりと走り出した。その面倒を見るのがランタンの仕事だ。

 狼たちはリリオンの盾を避けるために散開し、追撃の剣撃によって牽制されている。だが巨躯の狼と、もう一匹が地面に弾けた土埃の奥から飛びかかってきていた。

「せい、やっ!」

 ランタンが戦鎚をまるでバットでも振るかのように、両手で柄を握り振り抜いた。轟音とともに槌頭に白い衝撃波が纏わり付き、その瞬間に狼の頭蓋骨は弾け飛んでいた。頭部を失った身体がきりもみ回転しながら吹き飛び、バラバラに砕けた骨や牙の欠片が散弾銃のように巨躯の狼を襲った。

 散弾は柔らかそうな脇腹に当たったが、さすがに致命傷を与えることは出来ない。骨は幾つか突き刺さってはいるものの皮膚の表面までだ。巨躯の狼の突撃は止まらない。

 ランタンはつまらなそうに顔を歪めながらリリオンの様子を確かめた。

「ええいっ!!」

 リリオンは半ばまで地面に埋まった刀身を力任せに斬り上げると、同時に岩の塊を掘り起こし、それらを纏わり付かせながらの一撃を巨躯の狼に叩きつけた。だが刃の角度が悪い。切り上げた一撃は狼を斬り裂くに至らず、吹き飛ばしただけだ。さすがのリリオンも蹌踉(よろ)めくように後退した。

 巨躯の狼はリリオンの剣撃を叩きつけられたにも拘らず外見上はほぼ無傷のように見える。骨に罅ぐらいは入っているのかもしれないが、吹き飛ばされた後、空中で見事に体制を立て直し着地した。

 巨躯以外の狼たちはランタンが巻き起こした衝撃波と、降り注ぐ岩の塊に怯んでいる。

「ふっ!」

 ランタンはその岩を避けるように壁を蹴って飛び出した。

 狼の群れの脇を抜けて一瞬で背後を取ると、リリオンの盾に吹き飛ばされてよろりと立ち上がろうとしていた二匹の首を砕いてとどめを刺した。狼の向こう側でリリオンが盾を構え直しながら目をぱちりと瞬かせている。巨躯の狼が唸るように吠えた。

 巨躯の狼の一声に無事であった狼達がひと纏まりに集まった。すでに半分を殺したので残りは四匹だ。振り出しに戻ったな、とランタンは目を細める。背後を抑えたので狼達は警戒しながら渦を巻くように彷徨(うろつ)いている。その瞳を染める憎悪にランタンはとろんと笑う。

「――リリオン」

 ランタンのほんの呟きはしかし奇妙なほどはっきりと響いた。呟きと同時に地面を蹴る。ランタンの瞳が仄かな燐光を引いて狼の塊に最短距離で跳んでゆき、戦鎚を叩きつけた。狼は避けて地面が割れる。急な攻撃に狼は後ろに跳躍したが、そちらにはリリオンが構えている。

「はいっ!」

 リリオンは空中で身動きの取れない狼を一撃で両断し、また別の狼に盾を叩きつけた。ランタンは吹き飛ばされ向かってきた狼を戦鎚ではたき落とし、リリオンの視界の外から襲いかかる巨躯の狼の爪を戦鎚で受け止めた。

「そっちはまかせた!」

「うん!」

 これで残りは二匹。巨躯の狼をランタンが受け持てば、もうリリオンは大丈夫だろう。

 巨躯の狼は太く凶悪な爪を()に押し付けた。体重を乗せた鉤爪がじりじりと()を削ぐように滑る。狼との押し合いはバランスを上手く()なさなければ、爪が一気に滑って(つか)を握る手を切り裂くだろう。ざりと靴底が音を立てて、ランタンは牙を剥く狼を睨みつけた。

「重いんだよっ!」

 ランタンは一度小さく沈み込むと、脹脛(ふくらはぎ)が爆発したかのように膝を伸ばし狼を押し返した。そしてそのまま追撃の一撃を繰り出した。だが振り下ろしの一撃を狼は身体を捻って避けて、身体を沈めると足を刈るように飛びかかってくる。

 跳んで避ければ、飛びかかられそうだ。これ以上、服が臭くなるのは嫌だ。

 ランタンは敢えて一歩前に踏み出し、戦鎚を地面に突き刺すようにして横薙ぎの一撃を受け止めた。ギザギザの爪が火花を散らし、熱の臭いが鼻を刺した。しかし狼は止まらず噛み付き攻撃が更に向かってくる。

 がぎん、と狼の牙が空を厳しく噛み、欠けた歯が零れた。ランタンが下顎を蹴りあげたのだ。蹴りの衝撃で足首が痛い。

 だがチャンスだ。狼は怯んでいる。

 ランタンは蹴り足を踏み込んで、足元から戦鎚を振り上げた。しかし狼はそれを避ける。鶴嘴が右耳を裂いただけだ。舌打ちが零れ、戦鎚を切り返すが牽制にしかならない。

「ふぅー」

 狼が大きく後退し、ランタンは太く息を吐いて呼吸を落ちつけた。

 狼は、あの巨躯のくせに素早く、思いの外小回りが利く。一撃一撃は外見に偽りなく重たいし、防御力もなかなかだ。ランタンはまだじんじんと痺れる足首を回した。

 背中越しにリリオンの戦闘音が聞こえる。数が揃っていたときは盾や剣を振るえばそれが当たったが、なかなかどうして苦戦しているようだ。

 ランタンは乾いた唇を舌で潤し、戦鎚を担いた。

 まずは爪を狙おう。爪は攻撃の要だし、爪を地面に突き立てることによって体の制動を操っている。言うなればスパイクシューズのようなものだ。爪は左右のどちらか一つが魔精結晶になるので今までは狙うのを避けていたが、いい加減服に染み付いた獣臭も我慢の限界だった。二分の一の賭けに勝つことが出来れば魔精結晶も得られることだし、さっさと終わらせて、リリオンの加勢でもしよう。

 ランタンは酷薄に唇を歪めた。その瞬間にはランタンは狼の目の前に存在していた。元いた地面が足跡の形に陥没しておりその周囲に陽炎が揺らいでいる。狼は魔物の反射神経を以ってランタンの脇を抜けようとしたが、あまりにも遅すぎた。鶴嘴が狼の左足を地面に縫い止めている。

 狼の悲鳴がランタンの耳を打った。

 魔物の鋭すぎる反射神経が仇になったのだ。縫い止められた瞬間とほとんど同時にその場から遠ざかろうとしたため、自らの力に依って自らの足を引き裂いたのだ。肉の付着した鋭く大きな爪だけが鶴嘴の傍らに転がって、狼は青い血で地面を汚しながら激しく暴れた。

 ランタンは闇雲に振るわれる牙を、爪を、踊るよう避け戦鎚で受け流す。痛みと自慢の爪を奪われて発狂した狼の攻撃は激しいが、ただそれだけだ。噛み付くにしろ右の爪を振るうにしろ、傷ついた足で健気にも踏みしめなければならないのだ。どうしたって力は逃げる。攻撃に鋭さが足りない。

 ランタンは視界の外から首を狙って飛んできた右の爪を予知したかのように掻い潜り、そのまま更に踏み込んで戦鎚を振り上げた。頚椎を狙った一撃は、しかし狼の口腔に囚われてしまった。

「よい、しょっ!」

 だがランタンは両手で柄を握り囚われたままの戦鎚をそのまま地面に叩きつけた。背骨が逆に折れて、叩きつけられた衝撃で口腔側から脳を破壊された狼は鼻から眼から涙のように青い血を溢れさせて、動かなくなった。残念ながら爪は結晶化しなかったが、まぁいい。

 ランタンは狼の喉を踏みつけて力の抜けた口から戦鎚を抜き取り、槌頭を汚す唾液と血液を狼の毛皮で拭う。

「さて、リリオンはどうかな」

 ランタンは呟くと未だ鳴り止まない戦闘音に振り向いた。


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