121 ☆
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主賓が帰った大食堂は、そのいくらかも前から食事は済んでいたのだろう、食器はあらかた片付けられていた。飲み止しのグラスが人数分と、酒のつまみなのだろうか果物の盛り合わせ、そしてランタンの分らしき綺麗に整えられた一席が使われることもなくぽつりと取り残されているだけだ。
ランタンはつまみ食いするために大食堂に入った。総菜の類いは下げられているので果実で我慢するしかない。
「お姫さまは何しに来たんですか?」
早摘みの葡萄を皮ごと口に放り込み、レティシアを振り返った。葡萄は一粒がとても大きくて甘く、結露するほどに冷やされていた。瑞々しくて、皮を破ると水風船を割ったみたいに果汁が溢れる。
甘いのに口の中がさっぱりするのは多少の緊張に渇きを覚えたからだろう。
さすがは王族、そんじょそこらの魔物よりも存在感があった。
「何って、さっきも言ったろう。労いに来て下さったんだよ。実は探索の前に、ランタンたちに会うよりも前にご挨拶に伺ったんだ。私から出向くべきだったんだが」
「本当に、それだけですか? それだけのために……」
呟くランタンは自らを黙らせるようにもう一粒、葡萄を口に放り込んだ。
「料理を用意させようか?」
「いらない」
レティシアの言葉に素っ気なく首を振り、汚れた指先をズボンで拭った。紫の染みが返り血のようだった。
使っていないグラスの一つを手にとって、シャンパンのボトルを傾ける。
いくつかの果物を混ぜ合わせたような複雑な香りがする。ちくりと鼻の奥を刺すように、酒気が鼻に抜けた。細かな泡が舌の上を転がった。
酒を嗜む方ではないが、それでも良い酒だとわかる。
「どうしたの、ランタン?」
リリオンはいつものようにランタンの後ろに立って、ランタンの胸に両腕を垂らした。白い両腕が硝子細工の首飾りのようにランタンを飾った。ランタンはその手を無意識に撫でている。
「どうもしないよ」
「うそ、うそよ」
頭上から、なんでもお見通しよ、とでも言いたげな柔らかい声が降り注いだ。ランタンは黙ったままで、ただ抵抗するように後頭部をリリオンの鳩尾に擦りつけた。リリオンは、どうしたの、とランタンごと身体を揺らした。揺り籠のように。
「どうもしないって」
再び繰り返したランタンに、リリララが腕組みをして嘆息する。
「お前の分の飯、全部食っちまったけど、帰ってこないのが悪いんだから臍曲げるなよ」
「曲げてないです。別にお腹空いてないし」
ランタンは腹が鳴りそうになるのを察知すると、ぐっと腹筋を固めて内臓を締め付ける。
なんでこんなに自分はつんけんしているのだろう、と思う。
「それに食ったのは姫殿下なんだから、文句はあっちにつけてくれよ」
「――わかりました。今から追いかけてきます」
真面目くさった顔でランタンが言うと、さすがのリリララも慌てた。
「リリオン、捕まえてろ! 冗談かわかんねえよ。本気だったらあたしの首が飛ぶぜ。あっぶねえ」
「リリララ、アシュレイさまにあっちとは口が過ぎるぞ。けれど、どうしたんだい、ランタン? アシュレイさまに何かあるのか」
「いえ、別に――」
アシュレイに対して感じた既視感はなんだろうか、とは思う。どこかで見かけたことがあるのかもしれない。
だが病弱な姫君であるアシュレイはあまり人前に出ることはないらしい。彼女の兄君が都市議会の最高位、王権代行官であり、彼女は副官という立場だがそれでも議会に現れることはないと聞いている。
それに既視感を覚えたのはその外見にではなく所作や雰囲気にだ。
見たことがある、どころではなくもっと身近に触れ合ったことがあるのかもしれない。だがそれならば、あの驚くべき美貌を忘れることはないはずだ。
とは言えアシュレイへの感情はそんなに深刻なものではない。既視感はただの違和感程度のものである。
「じゃあギルドで何かあったのか? 気分を害するようなことが」
だが昼中に探索者ギルドでのギルド長とのやり取りがランタンの腹の中で燻っている。ギルド長は、あるいはギルドはと言ってもいいのかもしれないが、彼は自らの思惑にランタンが乗ることが当然と思っているような節があった。
エドガーという前例あり、またそれが成功例であるからこその傲慢なのかもしれない。
けれど自らの意思を無視されるのは不愉快であるし、ランタンが踏み込まなければそれを明かさなかったであろう態度も気にくわない。
ギルドへの不信感が、どこかで世界への不信感に繋がってしまった。
アシュレイに感じた違和感が、そういった感情と綯い交ぜになって猜疑にすり替わったのだろう。
「いいえ、特にそのようなことも」
赤ん坊のように、上手に感情が制御できない。
ランタンは必要なことならば、ギルドの思惑に乗ることを躊躇いたくはなかった。
探索者ギルドの思惑に乗ることは、用意された英雄という立場は、リリオンを守るためにも必要なものであると思う。エドガーを見て感じた、探索者への影響力は感嘆すべきものである。
英雄になりたい、などとはベリレのことを笑えない。だがそう思ったのは真実だった。
真実なのに。
けれど心の片隅に軋むような感覚があって、ランタンはそれを無視できないでいる。
リリオンのために出来ることをしたいと思う。そう思っているはずなのに。
「――ただ、すごく美人だからびっくりしちゃっただけですよ。手も柔らかかったし」
やるべきこと。やりたいこと。やりたくないこと。
テスの言葉は明快だった。
だが自らの心がこれほど複雑だとは思わなかった。
ランタンは平静を装って、肩を竦めて軽口を叩いた。ベリレは思い当たる節があるようで納得したように頷いていたが、女たちの視線は妙に厳しかった。
疑るようにほんの少し目を細めて、ランタンの穏やかな鉄面皮を見つめる。その仮面を剥がせないと悟ると少し哀しげに唇を歪めた。
背後のリリオンがランタンの髪に鼻を擦りつける。
「血と、汗の匂いがする」
髪の毛を掻き分けるように鼻を動かして、頭皮を食むようにリリオンが呟いた。
「探索者だからね」
ランタンは答えて、リリオンの頬を撫でた。肉付きの薄いすっきりとした頬は、骨の白さを透かしたように滑らかだった。銀の雨のように絡みつく少女の髪を払って、ランタンはリリオンの抱擁から抜け出した。
「僕、明日から働こうと思いますので」
ランタンは酒を一息に飲んで、グラスとテーブルに戻すと天気の話でもするみたいにそう言った。エドガーだけは平気な顔をしているが、みんな驚いたような顔をしている。
「そんなに驚かなくても。レティシアさんに甘えて、屋敷に置いてもらっているから、それが普通の事みたいに過ごしてたけど、怪我だってもう治ったのに大人しくしてる意味なんてないでしょう?」
「でも武器は?」
リリオンが慌てて身体を揺すった。揺り籠だったら赤ん坊は泣いている。
ランタンはひっくり返るみたいに背後のリリオンを見上げた。
「適当なのをグランさんのとこで買うよ。働くって言っても迷宮探索するわけじゃないし、簡単な依頼仕事をするだけだよ」
ギルドの思惑に乗るとしても、流されるのは嫌だ。向こうから与えられた仕事をこなすのではなく、自らが進んでそれをすることがせめてもの抵抗のように感じた。
「低難易度の迷宮崩壊戦の依頼を受けたから、明日はそれをする。知らなかったけど結構面白いね、依頼仕事って。色んな種類があるし。依頼書もさ、すっごい色々書いてあるんだよ。地上への最終目標出現率とか、予想される最終目標個体情報とか、出現魔物の数とか。どうやって調べてるんでしょうね。魔物の個体数はさておき、最終目標なんて霧を抜けるまで何かわからないのに。それに崩壊予測時刻ってのもなかなか高精度みたいですし」
言い訳でもするみたいにランタンがぺらぺらと喋っていると、リリオンが抱擁を解いて肩を握った。そして巨大な独楽でも回すようにランタンを振り向かせる。
「わたしもっ!」
「リリオンはダメだよ」
リリオンを、ランタンは一蹴した。けれどそんなことでめげるリリオンではない。なお食って掛かるようにしてランタンを問い詰める。
「どうして!?」
「武器がないでしょ」
「わたしもグランさんにお願いする! わたしだっておこづかい貯めているのよ」
貯めていると言うよりも、貯まっていくというのが正しい。
この世界の暦は一年が十三ヶ月に分けられている。一ヶ月は四週、つまり二十八日間であり、一年は三百六十四日と定まっている。そこに去年にも、今年にも、来年にも属さない七十二時間が足されて、一年は巡る。
年間十を超える迷宮を攻略する探索者は少ない。低難易度小迷宮ならば、諸々の諸経費をさっ引いた戦果もたかが知れるというものだが、これが中難易度であったり、中迷宮であったりすると一気に収入も増えていく。迷宮攻略は二ヶ月、三ヶ月に一度、それに少しの依頼仕事をこなして生計を立てる探索者は多い。収入の余裕だけではなく、体力的な問題もあってのことだ。
大迷宮を攻略しようものならば、その年はそれっきり探索をしないと言うことも少なくない。
そんな探索者の中にあって一ヶ月に二つも三つも迷宮を攻略するランタンと行動を共にするリリオンは、散財する機会が極めて少ない。
攻略祝いの御馳走もランタンが金を払わせるようなことはないし、そもそもとして二人っきりだったので質素である。他の探索班のように娼館を貸しきりにして干涸らびるまで放蕩の限りを尽くす、と言うようなことはまるでしない。
それにリリオン自身、無駄遣いをするような少女ではなく、また山分けする戦果を自分の働きに対する当然の対価であると捉えるのではなく、ランタンから頂戴していると感覚が未だに強い。そのことが貯蓄に拍車を掛けた。
屋台飯を買い食いするぐらいでしか、お金を使っていないのではないだろうか。
「ダメだよ」
「……どうして?」
ランタンが再び言うと、リリオンはしょんぼりとして肩を落とした。目をしょぼしょぼとさせて見つめられるとどうにも弱い。それでもランタンは首を横に振る。
「だって依頼を受けたのは僕だけだもん。リリオンは依頼を受けてないでしょ? 緊急時以外の飛び入り参加は御法度だよ」
「じゃあ、わたしも依頼を受けてくる」
「もう締め切りは過ぎちゃってる」
リリオンは今からでもギルドへと駆け出そうとするように振り返ったが、ランタンがスカートの端を掴んで引き止める。
よく見ればリリオンは綺麗なドレスを身に纏っていて、髪も結い上げてある。ランタンが髪結いをしてやると解れた後れ毛がちらほらあったりするのだが、アシュレイに失礼はないようにと完璧に仕上げられていた。
「綺麗な服着てるね、それに髪も」
褒めたというのにリリオンは頬を膨らませて唇を尖らせる。今まで気付かなかったことを拗ねているのだろうか。
「……一緒に、強くなりたいのに」
「うん、でも別に強くなるためにではないし」
「じゃあ、どうして?」
「どうしてって、仕事することがそんなに不思議? ああ、そうだ。ベリレ。明日の朝から騎士団の調練にも参加するから連れてって。いきなり実戦に戻るのも何だし」
「――別に構わない、はずだけど」
「じゃあよろしく」
ベリレは急に話しかけられて驚き、それから遠慮をするようにリリオンに視線を向けた。リリオンはベリレに嫉妬したかのように膨らませた頬をもっと丸くして、じっとランタンを見つめた。
「朝練ならリリオンも参加していいんじゃないの? 朝早いから起きれたらだけど」
リリオンは頬を膨らませたまま、ふて腐れたように頷いた。
リリオンはなかなか機嫌を戻さなかった。
頬を膨らませて、唇を尖らせて、ランタンの肩に噛み付いたりした。
骨付き肉の骨をばりばりと噛み砕くリリオンであるが、肩に触れる犬歯の痛みは甘痒い。がぶがぶと何度か顎を動かして、溢れた涎が肩に濃い染みを作り、吐き出される呼気の熱っぽさが無言の抗議そのものだった。
「うー」
「うー、ではなく。あ、そうだ。戦うとき噛み付いたりしたらダメだよ。一気に噛み切れるならいいけど、噛み切れないと歯が持ってかれちゃうからね」
ランタンがどうにか宥め賺すように項のあたりを撫でたり揉んだりしてやると、リリオンは渋々と言った様子で口を離した。ランタンは項から手を外して、涎っぽいリリオンの唇を拭ってやる。
「ランタン、最近わたしと一緒にいてくれない」
「そんなことないよ。ご飯も一緒に食べてるし、散歩もしてるし、いっしょに寝てるでしょ。っていうかいい加減一人で寝られるようになりなよ。リリオンの部屋、今日もベッドが綺麗なままですねってメイドさんにからかわれたよ」
「ほら、また。そういうこと言う」
遠ざけているなんて意識はない。四六時中一緒にいた頃と比べれば、もちろん一緒にいる時間は減った。だがそれでもランタンは他の誰よりも多くの時間を過ごしている。
レティシアや、リリララ、あるいはエドガーにお願いしますと預けることも少なからずあったが。
「そんなこと言われても……じゃあ、どうすればいいの?」
「お風呂、一緒に入って」
ランタンが嫌そうな顔をすると、リリオンは哀しげに目を伏せた。
ネイリング邸に身を寄せてからランタンは毎日風呂に入っているが、リリオンと湯船を共にしたことは片手で数えるほどしかなかった。リリオンが一番多く湯船を共にしているのはリリララだろう。レティシアや、シュアが面倒を見てくれることもある。
「わたしのこと、いやになっちゃった?」
「ううん。ただちょっと恥ずかしいと言うか」
「……どうして?」
リリオンと風呂に入ることが今さら恥ずかしいわけではない。
流石のネイリング邸と言っても二十四時間風呂を焚いているわけではなく、風呂に入るためには適当な使用人にまず一声掛けなければならず、つまりランタンが恥ずかしいのはリリオンと一緒に風呂に入ることを色んな人たちに知られるということだった。
教育の行き届いているネイリングの使用人たちであるが、彼ら彼女らも噂ぐらいはするし、ランタンとリリオンの関係性を全て把握しているわけではないので、面白可笑しく、そして少し下世話な話のネタにもする。
そしてリリオンはその下世話さをまだ理解できず、恥ずかしさを共有することが出来ない。どう説明していいかとランタンは口籠もって、けれど結局諦めた。
心に素直に従えば、リリオンに機嫌を直してもらいたいし、不安をなくしてやりたいし、一緒に風呂にも入りたいかといえば、まあ嫌ではないことは確かだ。
ランタンはやけくそになって一番良い浴室を使えるようにしてもらった。それは大浴場と言って差し支えない広々とした浴槽と、蒸し風呂が併設されている。正直なところそこを使わせてもらうのは、こんな時でもないと心苦しいほどに豪勢な風呂である。
どこか骨を思わせる冷たい質感の白木と鏡を組み合わせた脱衣所でランタンは衣服を脱ぎ捨てた。素足に触れる多孔質の床材、こちらは本当に骨材で、柔らかい質感と吸水速乾性、そして滑り止めも兼ね備えていた。リリオンが片足立ちになって、下着を足から抜いているがまるで転びそうにない。
こんな下着は持っていただろうか。あまりじろじろ見るものでもないので一瞬ちらりと視界に入っただけだったが、淡い桃色のレースに見覚えはなかった。
「おまたせっ」
「――待ってないよ。っていうかドレスそんな風にしていいの?」
リリオンはタオルで胸を隠すように、ランタンの背中を自らの身体に押し当てた。ランタンは少しだけどきどきしながら、ぐるぐるに丸められて脱衣籠に投げ込まれ皺だらけになったドレスに目をやる。
「いいのっ、うふふ、ランタン、ランタンのはだか」
「はだか、じゃないよ」
リリオンは鏡写しになったランタンの身体を見て、にんまりと眦を下げた。前後で身体を重ねると肌の色の違いがよくわかった。二人とも白い方ではあるがランタンの身体はほのかに暖色を帯びていて、リリオンの身体は透けるようだ。
「お風呂の前のにおい――あれ?」
髪から耳の裏に鼻を擦りつけて、そのまま首筋へ、そして勢い余って背中まで滑り落ちたリリオンは肩甲骨の間に顔を押しつけたかと思うと不可解そうな声を上げて、いっそう鼻息を荒くした。
食べられる物かどうかを獣が確認するように、激しい息遣いが背筋を撫でる。
「ちょっとくすぐったいよ」
「お薬のにおいがする」
れろ、と。
「んっ」
滑った舌が肌を舐めた。ランタンは跳び上がってリリオンから離れると、振り返って少女の裸身を睨みつける。
「苦い……、ランタンやっぱり怪我したの?」
「怪我って言うか、汚された気分だ」
ランタンが冗談を呟くには低い声で言うと、リリオンは慌て、ごめんなさいと縋り付いた。自分が舐めたところを指先で必至に拭い、摩擦の痛みとくすぐったさにランタンは少女の手を取って浴室へと向かった。
宝石のようなタイル張りの浴室には、二人で浸かるには大きすぎる浴槽が広がっている。壁に備えられた水龍の彫刻からしとどに湯が吐き出されて、それでいて浴槽の縁には表面張力が保たれている。一塊の大きな湯の粒が浴槽にそっと置かれているようだった。
むわっとした、それでいて心地良い湯気が二人の肌に触れた瞬間に水滴に変わった。ランタンは額に張り付いた髪を掻き上げ、手桶に湯を汲んで肩から浴びた。熱めの湯が肌を流れて、淡い桃色の帯を担いだように身体が色づく。
「あ、リリオン。髪留めどうしようか、これお湯につけても大丈夫なやつかな」
隣に座ったリリオンに湯を浴びせようとしたランタンは、少女の髪留めを見て呟く。この輝きはメッキや磨いた真鍮ではないだろう。それはおそらく金細工であり大粒の紅玉が三つも並んでいる。
「温泉だとくすむんだっけ? 金は平気なのかな」
「これでお風呂入ったことあるよ」
「僕と?」
「ううん、レティシアさんと」
「じゃあ大丈夫か」
ランタンはリリオンの首筋からざばりと湯を浴びせてやった。そして二人揃って湯に浸かった。すると縁で保っていた表面張力が崩れて、洗い場のほうへと湯が流れていく。ほとんど気付かない程度だが、洗い場の床はすり鉢状を形成しているようだった。
「うー、あぁ」
湯の熱さが骨身に染みる。どこかに傷口が開いているんじゃないかと錯覚させられるような、痺れる熱さだった。
ランタンは唸りながら肩まで、リリオンは鳩尾の辺りまで身体を沈めて一度止まった。湯が熱いのだろう。向かい合い、ランタンの投げ出した足を膝立ちになって跨ぎ、左手でランタンの肩を掴んで、口を半開きにして目を瞑っている。
ランタンははっとして目を伏せ、そして更に瞑った。真っ黒い視界の中で瞼を閉じる寸前に見たリリオンの膨らみが浮かび上がった。
探索者としての動体視力が恨めしいような、そうでないような。
「んー、ふうう、はあ。あついね、ランタンの身体の方がちょうどいいわ」
どうにかぺたんとランタンの太股に座ったリリオンは、ランタンに身体を密着させた。
少女の肋骨が肌に触れず、脂肪の柔らかさの中にこれからの成長を予感させる蕾の硬さがあった。
「ランタン、顔真っ赤」
「……リリオンもね」
湯の熱さにもうのぼせたのだろうかリリオンは首から耳まで赤くなっていた。
「もう降りて、そういうことするから一人で入りたくなる」
「けち」
ランタンはどこに手を触れていいのかわからなくなって、肩を押せばいいだけなのに、赤ん坊を持ち上げるみたいに少女の脇に手を差し込んで隣に移した。
リリオンは恥ずかしそうに、大人しく隣に収まった。
「くしゅぐったい」
「くしゅぐったいですか」
「……いじわる」
ランタンはひひひと笑って、まだ残る恥ずかしさを押し流すように手足を伸ばしたり揉んだりした。治癒魔道というものは不思議だ。怪我は治ったが、筋肉痛が残っている。
これも筋肉や神経の炎症、つまりは損傷の筈なのにあえて避けたかのように痛みがある。
「ランタン、身体痛いの? やっぱりギルドで何かあったの?」
「ちょっとテスさんに稽古を付けてもらったんだよ。久しぶりに会ったから」
「テスさんに!? いいな、いいな、わたしも教えて欲しい!」
「厳しかったけどね」
リリオンは心底羨ましそうにぱたぱたと足を動かし湯を掻き回したかと思うと、膝を抱えて身体を揺らした。そしてランタンにもたれ掛かって、猫のように身体を擦りつけてくる。
いつも甘えたがりのリリオンだが、今日は特にそれが強い。
「リリオンは身体痛いところない?」
「大丈夫よ。だってランタンに、置いて行かれちゃって大人しくしていたもの。んー、んふふ」
元気が有り余っていることを伝えるように、リリオンは汗に触れた頬をランタンの頬にくっつける。ランタンは避けるように身体を傾けて、それでもリリオンが追いかけてくるのでざぼんと潜ると風呂底を潜行した。
「ぷはっ」
霧噴くように深呼吸して、ランタンは犬のように首を振った。少し離れた場所でランタンを逃がしたリリオンが膝立ちになっている。追いかけては来ない。
「リリオンって、泳げる?」
「わたし、泳いだことない」
「ここまで泳いでおいで。ほら、手をこうやって三角形にして、槍みたいに。それで身体の力を抜いて浮かべば、あとは底を蹴るだけだから。……顔浸けるの、なんで怖がってんの? 顔洗うのと同じだよ」
リリオンは顔を強張らせ、鋭角な二等辺三角形に腕を何故か頭上に伸ばし、胸も脇も露わにしたままぎこちない深呼吸をした。ランタンが目を逸らしながら、ほら、と勢いづけるとようやく顔をつけて恐る恐る底を蹴った。
丸い尻がぷかんと浮かんで、のろのろと水の抵抗にどうにか抗うように近付いてくる。長い腕がぴんと伸びていて、それは助けを求めているようにも見えた。
勢いが少し足らないか。
ランタンは手を伸ばして指先を取ってやる。リリオンはばしゃんと飛沫を上げて顔を上げた。
「はあっ、ふう、ふう、ふー、どうだった!?」
「泳ぎが下手なイカって感じ」
リリオンは褒められているのか馬鹿にされているのかわかりかねるような複雑な顔をした。ランタンが笑ってやると、リリオンもつられて笑った。
「ちょっとぎこちなかったけど上等だよ、初めてにしては」
「やった!」
探索に続いて、またリリオンの初めてに立ち会ったのかと思うと少し感慨深い。リリオンはそんなランタンの隙を見逃さずに引き寄せた。
どこぞの悪趣味な女主人のようにランタンを腿の上に横座りにさせ、腰に腕を回してへへへと頬を緩めている。ランタンが膝を撫でてやると嬉しそうに笑った。
「膝とか、肘とか痛くない?」
「だから大丈夫よ。どうして?」
「ほら、リリオン背が伸びてるでしょ。成長痛ってのがあって背が伸びると関節が痛くなったりすることがあるんだよ」
「ランタンは――えっと」
口籠もったリリオンをランタンは半眼に睨んだ。
「言いたいことがあるならいいな」
「……成長痛はあった、の?」
「ない、よっ!」
ランタンは八つ当たりするようにリリオンの頬を引っ張った。リリオンはふにゃふにゃ言いながら涙目になっている。浴室にあはははとランタンの無邪気な哄笑が反響している。
「痛いのはほっぺだけか。じゃあ安心だね」
「ランタン、ひどい。それに痛いのほっぺだけじゃないよ」
「うそっ、どこか痛いところあるの?」
ふとランタンが真面目な表情になると、リリオンは真面目な顔でこくんと頷いた。
「あのね」
「うん」
「――おっぱいがちょっとちくちくするの」
ランタンはびっくりしてリリオンから飛び退いた。水辺に潜み獲物を狙う鰐のように鼻の下まで湯に浸かって戸惑いを露わにしている。そんなランタンにリリオンは赤ん坊のように這い寄って、赤ん坊のような無垢な瞳で不思議そうに目を覗き込む。
「どうして?」
それは、どうして痛いところを撫でてくれないのか、という問いかけらしいがもちろんランタンには答えられるはずもない。ランタンは目の下まで湯に浸かって、ぶくぶくと気泡を吐き出す。
「――おらあっ、喜べっ、あたしが背中流しに来てやったぞ!」
沈黙を破ったのはリリララで、ランタンはちょうどいいタイミングで現れた彼女を立ち上がって大いに歓迎した。
「ばっか、見えてるよ!」
リリララはメイド服を腕まくりし、スカートの裾をたくし上げて腰に挟んで止めている。掻き毟った傷跡のほとんど見られない腕を伸ばして、ランタンのそれを指差した。
ランタンは慌ててしゃがみ込んで遅れてやって来た立ちくらみにふらつき、側に居たため水しぶきをたくさん浴びたリリオンは後ろにひっくり返り、頬を赤らめたリリララは腰に手をやって溜め息と共に呟いた。
「……迷宮でも見たけど、急にだとびっくりするじゃねえか、くそっ。なんで平気なんだよ、リリオンは」




