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カボチャ頭のランタン  作者: mm
05.Sunrise
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 竜種の素材で作られた装備は、探索者の一つの到達点である。

 その入手難易度の高さから一般に流通することは少なく、素材の物理耐性、魔道耐性はともに一級品だが、つまりはとんでもなく強固であるそれの加工は難しい。前述の希少性と相まって、それをまともな武器防具に加工できる職人は限られている。

 竜種素材の装備とは、竜種殺しの証と呼べた。

 腰に下げるだけでも所有者の魔精を奪う魔剣、万物流転はそもそもとして蔵に保管するべき宝剣である。それを御すことはレティシアが自らに課した試練であるが、だがだからといって衰弱覚悟でそれを腰に差すわけにはいかない。

 レティシアは失った愛剣の代わりとなる、剣を求めた。実用に耐えうることは第一で、自らの雷の魔道の補助としての役割と、儀礼や式典などの催し事にも使えるようにと注文をつけていた。

 過去には装飾を唾棄し、実用一辺倒だったグランだが、老いて頑固になると言うよりは柔軟性を増したようである。髭を揉みながら、ほうほうなるほど、と頷いてレティシアの意見を聞き入れていた。

 ベリレは長尺棍ではなく槍を所望した。一人遊びで寂しくないようにとエドガーの用意した玩具からはもう卒業するようだ。槍か、とランタンは思う。身長があると、やはり長物がよく似合う。ベリレはただ強い槍を所望した。

 全てお任せします、と言ってグランを喜ばせていた。

 そしてリリオンは、グランに尋ねられてランタンの顔を窺った。しばらく妙な沈黙があり、急に椅子を蹴って立ちあがるとグランにこそこそと耳打ちして、ポーチをごそごそと漁って丁寧に折り畳まれたメモ書きを渡した。

「ははん、なるほど、そうか。おう、わかった。なるほどなあ」

「なるほどなあ、ではなく」

 呆気に取られたランタンが口を挟んだ。ランタンだけが眉を顰めていて、他の誰もリリオンの行動を不審がっていなかった。ランタンは少し腹立たしい疎外感に視線を彷徨わせる。

 そんなランタンに、リリオンははにかんだような表情を向ける。それはランタンが時折浮かべる物事を誤魔化したり、隠し事をしたりする時の曖昧な笑みである。

「ランタンには、ないしょ」

「なんで?」

「なんでも」

「なに頼んだの?」

「剣」

「え、それは言っちゃうんだ。内緒じゃないの?」

「ないしょよ。うふふ」

 訳がわからなかった。

 ランタンは迷子の子供のようにきょろきょろして、レティシアあたりは何かを知っているような感じがしたが、結局問い詰めることを止めた。リリオンも隠し事をしたい年頃なのだろう。

 リリオンは楽しげに天井を見上げた。空惚けるようにも、つんと鼻を高くして自慢げにしているようにも見える。唇の端がにんまりと上がる。その動きを追うようにランタンは少女の赤い耳朶を見て、顎の輪郭を視線でなぞった。

 大人のような横顔だ、とランタンは思う。

 綺麗な(おとがい)に見とれていると、眼球の勾配を滑り落ちるように淡褐色の瞳が動いて視線が絡まる。

 瞬き一つ。

 大人のような横顔が、自分で秘密にしているくせに、けれどその秘密をばらしたくてうずうずするようなもどかしさを隠しきれず湛えた。

 その実まだまだ成長途中なのだが、一目見ただけでは成熟したように錯覚させる肉体と、それに内包される幼さ。交わりきらぬその二つが、得も言われぬ色香を漂わせた。

「で、坊主は戦鎚と――」

「まだ何も言ってないですけれど」

「お前の爆発、少し見せてもらっていいか?」

 グランはランタンを無視して席を立ち、皆がそれに続いた。ランタンはリリオンに肩を揺すられて急かされるように立ち上がり、悔し紛れに余ったお茶請けを口に放り込んだ。確かに欲しているのは戦鎚だ。

 応接室は、そのまま地下に備えられた広い空間へと続いた。

 空気が冷たい。四方を囲む壁がずいぶんと厚く、様々な計測器が並んでいる。足元は濃い色の板張りと土間が一対三ほどの割合で分かれていた。土間の土はさらさらしていて白い砂浜のようだったが、そう深くないところに固い地盤があるのが感じられる。

「あれ、魔道なんだってな」

「……みたいですね」

「意外と溜め込むだろ、坊主って。だからああ言いう形で発現したんだろうな」

「さあ、どうでしょう」

 グランは予め用意しておいたらしい、一振りの棒をランタンに手渡した。長さは五十センチ、直径は三センチほどの八角形で、握りの部分から先端へ掛けて幾何学的な溝が掘られている。ランタンはそれを握ると、癖になっているのか、つい振りの感じを確かめた。

 金属のようだが軽すぎる。靱性はあまりなく、乾燥させ過ぎた木のような固い脆さを想像させた。

「前にお前に作ってやった戦鎚、あれの素材が自前だったよな。ちょうどいい物質系の迷宮があったから」

「ええ、そこの最終目標のですね。自律鎧ウォーフレームの、核鉄かくがね、と呼ぶんでしたっけ?」

 それは人で言うところの仙骨にあたる部品だ。極滑らかな球体で、上半身と下半身の動作を繋ぐ役目を果たしていた。人体の限界を超える高速機動の基点として存在し、大腿骨と背骨の役割の骨格部品に挟まれていた。激しい摩擦に晒されて赤熱していたが、変形はほとんど見られない。

 戦鎚の先端はそれの削り出しだ。

「あれの融点が大体二千五百度、沸点だともう少し高くて三千なんぼだな。それをさらに加工して難燃性と熱変形への抵抗を高めてあるから、理論上は四千度近くに長時間晒されても形状を保持する筈なんだ」

 グランは髭を揉んで、ううむ、と唸る。

「俺が相手にしてきた探索者は腕力に物言わせる輩が多いが、レティシア嬢のように魔道に精通する人物も少ないわけじゃない。その中でも炎熱の使い手は多いが、こんな事は初めてだ。あの戦鎚が魔道用に作ってないとしても」

 それが嬉しいようだった。唸り声はくぐもった笑い声に変わって、グランはついに肩まで揺らして笑う。

「どんなもんか、見せてくれよ」

「でも」

「知ってるよ。爆発を起こせるのは肉体の延長、だろ。それは魔道の補助だ。肉体の延長ってのは、魔精の通しやすさの比喩だろう。前の戦鎚は、物理耐久度を高められるだけ高めたが、そっちの方は疎かだったからな」

 物理と魔道の両立は、その相乗効果も相まって値段を等比数列的に高めていく。

 当時のランタンには、あるいはランタンですら、その両立は躊躇われるほどだった。魔道という確信がなかったからこその躊躇いかもしれないが。

「威力を見るわけではなし、ほどほどにな。まあ、それを壊してくれても構わんが」

 グランが用意した対象物にランタンは棒、いやこれは短杖か、を振り上げる。

 久し振りだな、と思う。

 ネイリング邸で爆発能力を使用するわけにも行かないので、探索後からずっと使ってこなかった。ランタンがそれを使わずとも温かい風呂がそこにはあるし、半ズボンを履かせようとしてくる貴族令嬢はいるが、暴力でもってそれを強制してくるわけではない。

 使えるだろうか、という不安は杞憂に終わった。これはすでにランタンを構成する一要素であった。

 叩き付ける打撃力で対象を破壊するのではなく、あくまでも爆発によって対象を破壊せしめる。

 掌から剥き出しになった血管が、棒の刻まれた溝と癒着するように魔精の流れがスムーズだった。それが理解できるのは迷宮内部での、リリララの教示の賜だろう。

 溝を流れた魔精は先端から外界へ溢れ、それは衝撃力と熱量に変換されて対象に叩き込まれる。足元の砂が舞い上がった。砂粒が目に入って痛い。そんな目をぐしぐしと擦りながら、力の行使の滑らかさに違和感を覚えた。

 力は使えた。

 だが願った威力よりも、現実に巻き起こったそれの威力が少し弱い気がする。爆発は威力を高めるのは容易だが、弱めるのは難しい。基本的には願った威力よりも、少し強いのが常のことだった。

 擦って赤くなった目で、手にした短杖を見た。熱に炙られて変形している。

 これの所為だろうか。爆発の発生の仕方も戦鎚の時とは違った。戦鎚の時は鎚頭を包むように爆発が発生したが、これは杖の先端、その先の空間に発生した。ランタンは幾つもの対象物に爆発を放ち、結局違和感は拭えなかった。

 衝撃による変形、熱による変形。

 ヘコんだもの、引き千切れたもの、砕けたもの、焦げたもの、焼失したもの。

「例えば、探索者証とか」

「あ?」

 ランタンが呟くと、熱も冷めやらぬ対象物を拾い上げるグランが振り返った。

「僕らは探索者になる時、これは絶対に壊れないと教えられます。魔物に食べられたってこれだけは、魔物の腹の中からそのままの形で出てくるって。――まあ壊れましたけど。でもかなり保った方だと思う」

 ランタンは蝋燭の炎を吹き消すように、杖の先端に息を吹きかけた。微かな白煙が揺れて、嗅覚に触れる骨の焼けるような匂いが遠ざかっていく。

 ランタンの言葉にグランが困ったように頭を掻いた。

「ありゃ探索者ギルドの専売品だ。無断加工は咎がある。――それにあれはそういう意味でなくとも加工できない。不壊ってのはあながち間違いじゃないんだよ。大型の機械式ハンマーに掛けてもびくともしなかった、――らしいからな」

「したことあるみたいな物言いですね」

 グランは困ったように頭を掻いたまま、視線を逸らした。探索者ギルドに関係深いエドガーや、迷宮貴族ネイリング家令嬢の前では濁さなければならないことも多いのだろう。若気の至りか、それともその探究心が未だにあるのか。

 研究室じみた真新しい工房を思い出して、ランタンは思わず苦笑した。

「でも輪っかにしてあるじゃないですか」

「してあるんじゃなくて、あれはあの形で産出されるんだよ。固すぎて形状加工は不可能だ」

 円鉱石とか、輪状結晶とか呼ばれるものらしい。

「じゃあ装備品には出来ないのか」

「……探索者狩りでもして数集めたら声かけてくれ。冗談だからな」

 加工不能と呼ばれるほどの強固さと、魔道を付与(エンチャント)させることの困難さから、探索者ギルドが占有しその技術を確立、秘匿するまでは屑石として名高かったし、今でも価値のある鉱石ではないらしい。

 あれは探索者を探索者たらしめ、そして同時に監視や管理をするためだけのものである。

「魔道、魔道ね。たしかにこれはそうか」

 グランは爆発を受けた対象物、耐魔道性能を高めた物に目を向けて小難しい顔をした。

「爆発を生み出すのか」

「今さら、何を言ってるんですか」

「確認だよ。ほらこれ、熱と衝撃による損傷がほとんど同じぐらいにあるだろ? もしも魔道が熱のみを生み出している場合は、衝撃はそれに付随する、魔道とは無関係の熱膨張に過ぎない。もし熱を発生させるだけ、高熱の炎を生み出すだけならば耐魔道性能を高めたこれは衝撃により破砕されるが、熱による損傷は軽微になる。そりゃ単独で探索できるわけだ。威力、――熱量が増えれば、魔道でない衝撃波も伴うわけだからな」

 グランが感心したように独り言じみて呟く。ランタンはグランの説明を自らのものにすべく噛み締めながら、それを踏まえてやってみようと杖を掲げた。だがグランが慌ててそれを取り押さえる。

「店を壊す気か、ったく。相変わらず危なっかしいな」

 感心一転、呆れたようにグランが叱りつけ、ランタンは渋々と言った様子で杖を下げた。

「――いやしかしグラン殿は、魔道に関しても深い知見をお持ちなんですね」

 レティシアがランタンの手から杖を取って、懐かしむように表面を撫でた。それは魔道の補助としては馴染みのものなのかもしれない。レティシアは、リリオンが羨ましげにそれを見つめていることに気が付く。杖を受けるととリリオンはぱっと笑った。

 リリオンは深呼吸を大きく二回。意識を集中するも、だが杖はうんともすんとも言わない。

「そのようなことを詳しい奴からその昔、聞かされたことがあるだけで。坊主これが出会った時から物知らずなので、つい思わず。いや、浅学のひけらかし、お恥ずかしい」

 グランはランタンを指差し、その手で狭い額をぴしゃりと叩いて照れたように大きく笑った。ランタンはリリオンを慰めながら拗ねたように唇を曲げた。

「昔ほど物知らずじゃないですよ。最近は勉強もさせてもらっているし」

「お、そうか。そら、良いことだ。前は迷宮にしか興味なかったからなあ」

「そんなことは」

「あるだろ」

 グランは杖を片手に首を傾げるリリオンをちらりと見て、意味深に笑った。

「じゃあ、さて考え方だけじゃなく、身体の方も変わったか確かめるか」

 グランは柏手を打つみたいに手を叩き、驚きに肩を竦ませたリリオンから沈黙を保ち続ける杖を取り、そしてそれを指揮棒代わりに壁に並ぶ計測器を差した。グランが何か言う前にランタンは視線を逸らしながら呟く。

「僕はいいです」

「ダメだ」




 かつてリリオンは自らの探索装備に、ランタンとの近似を求めた。

 それはきっとランタン以外の手本を知らなかったからだろうし、少女の目に焼き付いた強さの象徴でもあるランタンへの憧れであったのだと思う。

 そんなリリオンはレティシアからスカートをプレゼントして貰ったように、探索者としての自我に目覚めつつあった。

 レティシア、リリララ、エドガー、ベリレ。

 自我の芽生えは各々の特性に特化した探索者たち、彼らと多くの時間を触れ合ったからであり、あの激闘の最下層で命に触れる直撃を喰らったからでもある。

 ランタンの装備はあくまでもランタンの嗜好や戦闘姿勢に特化したものであり、リリオンにとっては悪い手本である。あれは激情に駆られながらも冷静に死との距離を測り、その淵のぎりぎりにまで足を踏み入れられるランタンにのみ許される装備だった。

 それほどの危険に、探索者は足を踏み入れてはいけない。

 そこの見極めはランタンの特殊な境遇がはぐくんだ歪な特性である。

 リリオンは防具に身を包む決意をした。

 なんと言うことのない探索者としては当たり前のことである。けれどそう言ったことの、一つ一つの積み重ねがリリオンの変化をランタンに実感させた。

 武器に続いて、防具ももちろん特注品だ。リリオンのためだけの装備を作るには、リリオンの身体情報が必要になる。リリオンはグランに言われるがまま素直に計測に応じ、ついでにとエドガーに嗾けられてベリレも測ってもらい、ランタンは最後まで抵抗したが結局は現実を目の当たりにすることになった。

「そんなに拗ねないで」

「拗ねてません」

「ランタンの背もきっと伸びるわよ。それにそのままだってランタンは素敵よ」

「そんなに気にすることか?」

 予想通りに二メートルを超える数値を叩き出したベリレの何気ない言葉にランタンは唇を歪め、一九〇センチにあと五ミリ足らなかったリリオンの慰めを素直に受け止めることが出来なかった。

「別に、気にしてないし、四捨五入すれば僕も二メートルだし、今日はたまたま調子が悪かっただけだし、成長してるし」

 自分の目線の高さが変わっていないことは理解していた。けれど実際に数値で見せつけられると、少しショックだ。

「二ミリな。ちょっと髪伸びたからかな」

 ふて腐れるランタンにグランが止めを刺した。

「何をこんなに測ることがあるんですか。前はそんなことしなかったのに」

 身長ばかりではなく、胸囲、腹囲、胴長、股下なども細かに計測されたし、装備に求めることなども執拗に聞かれた。

「防具を作るんだから当たり前だろ。流石にサイズが判らんまま作ることはしたくねえよ」

「でもグランさんは目が良いじゃないですか。測らなくたってできるでしょ?」

「お、褒めてくれてんのか? まあ、自慢じゃねえけど、一目見りゃだいたいわかるよ。この探索者は強いとか弱いとか、金払いが良さそうだとか渋そうだとか。――ランタンは成長してるよ。もう目だけじゃ測りきれなくなったからな」

 そう言われると言い返せなくなってしまうし、昔から知っている人に言われると嬉しいものだ。

「……どうも」

 けれどやっぱり大きくなりたい。

 ベリレとリリオンが並んでいるのを見ると、昔はただの劣等感だった小躯が、微かな嫉妬心に変質していくような感じがした。二人とも背が高いので並んでいる姿は絵になるのだ。

「……ベリレってさー、昔からでかかった?」

「普通だと思うけど、……背が高くなり始めたのは調練に参加させて貰うようになってからかな? すごく厳しいんだぞ、知ってるか? みんな朝から汗でどろどろになるまで――」

「ふうん、そうか。ベリレ、今、朝の調練でてるよね。それのこと?」

「まあ、そうだけど。え、まさか」

 ランタンは、なるほどそうか、と呟きながら背伸びをしてみた。背が伸びる()でも送っていたのか、リリオンがランタンの頭に手を翳していたのでそれにぶつかる。

「わあ、――ごめんなさい。ランタン、いい子、いい子」

「やめろ」

 頭を撫でてくる手を振り払い、ランタンは二人の側から逃げ出した。だが二人とも何故だかランタンの後ろを付いてきた。リリオンが一歩前に出て横に並ぶと、ベリレも逆隣に並んだ。

「ランタン、朝練に出るのか? 本当か? 明日から行くのか?」

「わたしもっ、わたしもランタンが行くなら、わたしも行きたいっ」

「あー、もうっ、階段で横に並ぶんじゃない。ほら、一列になる!」

 ランタンを先頭にしてリリオンとベリレが続き、何故だかレティシアたち三人も一列に並び直して階段を上がった。

 特注の装備の概要は決まったので後はグランの腕に任せ、ある程度、形になったら再び店を訪れる手筈になっている。完全特注品の、複数注文となると完成までに一月(ひとつき)はみなければならない。

 一級品の竜種の素材の中でも、最高位の多頭竜である。その加工の手間といったらこれほどの物はそうない。グランだからこその一月である。

「……なんか騒がしいな」

 応接室から工房まで戻ってくると、店の外が俄に騒がしかった。

 ランタンたちが乗ってきた馬車を取り囲むようにして人が集まっている。

御者は手綱を握ったまま前に進むも後ろに戻るも出来ずに、ただ馬が暴れ出さないように懸命に宥めている。

 護衛で付いてきた一人の騎士と馬車で待機していたリリララが群衆を落ち着かせようとしているが、多勢に無勢は如何ともしがたいようだった。

 ただの一般人の集まりならば、やりようもあっただろう。だがその群衆は、どうも探索者の群れであるらしい。

 リリララはあくまでも冷静を装っているが、眉間にうっすらと皺が寄り始めていて、赤錆の瞳が血のような剣呑さを帯びつつあるのが見て取れた。

「困りましたね」

 ランタンが窓の外を見て呟くと、レティシアとエドガーが揃って肩を竦めた。この二人はこういった事態に慣れているようだった。

 窓の外に群れる探索者の一人と目があった。探索者は、あ、の形に口を開いて、叩き破ろうとするような勢いで窓にへばり付いた。

「――居たあっ! ランタンだ。エドガーさまも居るぞ!」

 それをきっかけに馬車を取り囲んでいた他の面々までが窓にへばり付く有様である。

「すまんな、迷惑を掛ける」

「いや、良い宣伝になりますよ。どうします? 裏から出ますか?」

 エドガーはグランの申し出に少し思案したかと思うと、どうする、とランタンに決定権を委ねた。

「表から出ましょう。裏に回ったって、後回しになるだけですから」

 探索後からずっと引きこもっていたのは、このような混乱が予想されたからだ。

熱狂は直に冷めるだろう、だがそれが冷めるのをランタンは待とうとは思っていなかった。そもそも人に囲まれるのは慣れている。その対応には不慣れであったが、もうそうは言っていられない。これは良い機会だ。

「少し懐かしいかも。探索者ギルドにも最近行ってなかったし。ほら、堂々とする、悪いことなんてしてないんだから、ってね」

「うん、覚えてるよ」

 ランタンが冗談めかして言うと、リリオンだけが納得したように頷いた。ランタンは気合いを入れるには優しく、ぽんっとリリオンの尻を叩く。リリオンは小さく跳ねて、懐かしむように目を細めながら叩かれた尻を撫でた。

「試着室あるんだから、どうせならあのスカート履かせてもらえばよかったね」

「一番最初は、ランタンに見せてあげるの」

「じゃあ速いとこ帰らないと」

 ランタンとリリオンが揃って靴を鳴らした。爪先の鱗がりんと澄んだ音色を奏でる。

「さあて、行くか」

 ランタンはリリオンを伴って先頭を行った。

 探索者たちは店の中に入ってこないだけの分別はあるようだった。夏の暑気と工房からの廃熱と人々の体温が綯い交ぜとなって蒸し暑い。

店を出ると、おおお、と地鳴りのような歓声が響いた。圧倒されそうになるその音圧も、竜種の咆哮や凱旋時の歓声を思い返せば涼風も同然だ。

 ランタンは軽く手を上げて歓声に応えた。

「こんにちは。こんな暑い日に集まってなにしてるの? 迷宮の方が涼しいでしょ、地下だし。働きなよ」

「いきなり、つれないこと言うなよ。だってお前、全然ギルドに顔出さねえじゃねえか。労ってやろうと思ってたのに」

「ほんとう? うわあ、いらない。ねえ?」

 ランタンは名も知らない探索者に声を掛けると、戯けるように嫌そうな顔を作ってリリオンに同意を求めた。

「えっ、わたし、わかんない!」

「ほら、いらないって」

「言ってねえじゃん! ったく、酷えなランタン」

「だって、ほら、ああいう美人さんに労って貰ってるもん。毎日、今さらおっさ、――おじさまに労われても」

「今おっさんって言おうとしてないか?」

「――ほら、営業の邪魔になるから散れ散れっ!」

 名も知らぬ探索者を無視してランタンは号令を掛けたが、ランタンのそれも悲しいかな無視されてしまった。

 レティシアが騎士団への入団を求められて困っていた。さらには物凄い勢いで求婚されていて、物凄く困っていた。ある程度は慣れた様子であしらっているが、いやに押しの強いのが何人か居る。リリララが間に割って入った。

 そしてエドガーの方は屈強な探索者たちが子供のように目を輝かせて、なぜだか自己紹介をしていた。彼らは英雄に自分が何者であるかを知ってほしいようだ。そして自分がエドガーをどのように憧れていたかを。

 エドガーはほんの短く一声掛けるだけで彼らを満足させ、更なる憧れを抱かせていた。

 そしてベリレも何だかんだと声を掛けられている。すごい身体だな、どこかの探索班に入っているのか、ならうちの探索班に入らないか、なんて台詞がランタンの耳に届いて何とも懐かしい気持ちになった。

 ベリレは、自分は探索者ではない、と堂々と断っている。

「しかし、ランタンもだいぶ感じ変わったな」

「僕の何を知ってるんですか」

「ちょっと触っただけですげー怒ってたじゃん、尻とか。うわあ、ランタンと握手しちゃったよ。仲間に自慢してやろ」

「握手ぐらいはしますよ。あとで手を洗えば良いだけだから」

「ほんっと酷いな、お前。前は怒っても、もっとおどおどしてたのに。くそう、あれ好きだった奴も多いんだぞ――って、痛えな! 押すなよ!」

 ランタンが適当に愛想を振りまいていたら、探索者が背中を押されたらしく振り返った。

むっとした顔つきで、だが不意に脂が下がった。

「――ちょっと、通して。わあ、本当にランタンさまだわ!」

 それは女だった。

 不自然なほど大きな胸を揺らして、くるくるの巻き毛で、いかにも女を意識させるようなしなを作って、胸を寄せるように手を組んで嬌声を上げた。ちょっと化粧が濃くて、かなり濃い香水の香りがする。

ランタンはあまり得意ではないが、探索者たちが口笛を吹いて囃し立てるような女だった。

「私にも、握手してくださあい!」

 握手というよりも、抱きしめるように両手を広げて女が言った。探索者たちが香水の匂いに釣られるように、ただでさえ密集しているのに更に密集した。

 ランタンは後ろに下がろうとしても、下がれなかった。

 背中にリリオンが触れる。女からランタンを守るように、肩に触れた。

 女の香水は、ぴりっとした刺激的な匂いだ。

「握手――」

 ランタンは女の両手をするりと避けて、その不自然に大きな胸を鷲掴みにした。にこやかだった女の表情が一変し、探索者たちが大きな声で囃し立てた。

 柔らかいことには柔らかいが、偽物だ。

 ランタンは胸を鷲掴みにした右腕を高々と突き上げた。女の衣服が破れ、掴みやすそうな程良い大きさの胸が露わになった。

 ランタンの右手の中には、液体で満たされた革袋があった。注ぎ口を閉じる赤い宝石は火精結晶か、あるいは火の魔道を封じた魔道具だろう。ならば液体は可燃性のものである。

 魔精の流れが感じられる。そう、遠くはない。遠隔操作で、宝石に刻まれた魔道式が起動する。

 勘のいい探索者たちが事態に気が付いた。群衆の外側は蜘蛛の子を散らすように離脱。内側は防御姿勢が六割、迎撃姿勢が三割。発動前にランタンごと、というような一割に少し満たない者たちを視線で牽制する。

 みっともないからおどおどするな。この程度。

 宝石に火が灯り、着火。

 革袋の中身は爆燃性の液体と、威力を高めるための気体。香水はそれらの匂いを隠すため。

 ランタンは爆炎が自らの右手を包み込んだ瞬間、それを飲み込む更に巨大な爆発を天に放った。

 それは巨大な火山の噴火に似て、そそり立った巨大な火柱が熱気や音の一切合切を青空の果てに吹き飛ばした。吹き荒れるような上昇気流に、ランタンの髪がばさばさと翻った。

 自爆特攻を掛けようとした女は零れた胸を隠すこともせずに、鋭い視線でランタンの顔を睨んだ。

 ランタンは女を見返し、だが反射的にその焦茶の目はそっぽを向いた。

 女はあっという間に探索者たちに取り押さえられてしまった。


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