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カボチャ頭のランタン  作者: mm
04.Value Of Life
105/518

105 迷宮

105


 竜種は完全な生命体だ。

 遥か過去、神話の時代。

 竜種は巨人族と対をなす食物連鎖の頂点だった。人々にとってその巨大な生き物は、ただ見上げることしかできない存在だった。時に暴虐の限りを尽くし天に住まう神にすら歯向かう悪神として、時に巨人族の脅威から人々を守護する守り神として畏怖や信仰を集めることすらあった。

 だが人の身では決して届かぬ高みに居たはずの竜種は、いつの日か魔物に成り下がった。

 探索者、いや力を生業にする者たちにとってはそれを討伐することが誉れになり、またその素材で作り上げた装備に身を包むことは喜びになった。触れることもできなかったはずなのに。

 それはやはり巨人族の衰退の原因たる、迷宮の出現と時を同じくする。

 巨人族は人に連なる生き物だ。だから迷宮に湧出することはない。巨大な人型の魔物が出現しようとも、それは巨人族ではなかった。

 だが迷宮に出現した巨大な爬虫類型の魔物は、竜種だった。竜種は迷宮に湧出してしまった。

 ああこれは魔物なのだ、と人々は理解してしまった。

 竜種は完全なる生命体だった。

 それ故に寿命のない生き物だった。外因がなければ死ぬことのない無限の生命力は、その強靱強固な肉体のおかげで不死と言って差し支えなく、悠久の時を生きた竜種の知性は人を上回っていたらしい。文明を築いたとも、人に言葉を授けたとも、そう言った伝説は枚挙に暇がない。

 だが今の竜種に人語を操るものはない。

 それは原生の竜種と、迷宮生の竜種が交雑した結果だと言われている。竜種は知性を失い、そして不死性も失った。その事に気が付いたのは交雑の進んだ第一世代が老年に達した時だった。

 かつての竜種は己の最盛期に成長を止めた。だが交雑により箍が外れた。永遠の寿命は永遠の成長だった。

 骨格が広がり、肉が増え、鱗が厚みを持ち、どんどん巨大になっていく竜種はついに自重を支えきれなくなった。そして死んでいった。身動きが取れず、ただ内包する生命力を消費するだけになった肉の塊は、それが餓死なのか圧死なのかはわからないがとにかく死んだ。

 そうやって死んでいく内に、竜種は寿命という概念を獲得してしまった。

 大老エンシェント多頭竜ヒュドラ

 よくぞまあここまで育ったものだ、と思う。

 あるいは老いた状態で迷宮によって生成されたのか。自らの力では満足に移動することもできない巨大な緑の塊は、時折迷宮が発生させる異常個体であるのかもしれない。

 小山のような胴体は重なった幾億もの鱗が、下品なスパンコールのドレスを想像させた。表面には鱗が、内面には皮下脂肪が付着した全魔物中で最高の強度を誇る竜皮が、それらのあまりの重みに溶け出したように弛んでいた。

 それはまさしくドレスのスカートのようで、脚を覆い隠すどころか裾を地面に引きずっている。

 引きずっているのはスカートの裾ばかりではない。その下にある脚が自重に持ち上がらず、肥え太った腹も地面にべったりと着いていた。

 絶えず響く地響きは裾を引きずる音であり、足を引きずる音であり、腹を引きずる音であり、接地した腹を通じて奏でられる内臓の蠕動音(ぜんどうおん)なのだろう。

 ならば、とリリララが一瞬の余裕を消費して、どてっ腹に風穴を開けてやる、と中指を立てた。

 スカートの中に黒くて固くて極太で、それでいて先細りなものが生成されたが全くの無意味だった。

 蠕動音には一切の変調がなく、()()が砕ける音もなかった。腹下のあまりの硬さや重さで、いきり立つどころから、隆起することなく粘土のように拉げた。

 一体どれ程の歳を重ねたのか、きっとエドガーよりも何倍も年寄りなのだろう。

 鱗の一枚一枚がランタンの掌よりも大きくて、数え切れない年輪が刻まれている。

 さっき罅を入れた鱗はどこだっただろうか。

 ランタンはリリララが作り出した、最大で高さ十五メートルにも及ぶ足場を駆け上がる。

 どこでもいいか。砕いた鱗なんて、もうすでになくなっているだろうから。

 多頭竜に限らず、二個以上の頭部を有する魔物は往々にして生命力が高かった。一つ潰しただけではまず間違いなく生きている。頭部の数だけ命がある、なんて台詞は複頭種の厄介さを戒めるための定型句だが、こと多頭竜(ヒュドラ)にかんして言えばそれは戒めではなく侮りだった。

 初手、エドガーが四つの首を、そしてランタンとリリオンで一つの首を刎ねた。そして継続した戦闘の中でエドガーの刎ねた首の数はすでに八つを大きく超えている。今もまた、一つ。

 だと言うのに多頭竜の胴体から伸びて探索者に襲いかかる首は六、――七、そして。

 首を刎ねたその断面から溢れた血は、重油のごとく粘性を帯びている。

 どっく、どっくと心臓の巨大さを想像させる緩慢な鼓動に合わせて墨ほども黒い青い血が溢れるのはものの数秒だけだった。血は外気に触れていっそうの粘性を帯び、やがて断面に表面張力の限界を当たり前のように超えて珠になる。

 真っ黒い、漆黒の珠。卵みたいに丸いそれは、滑らかな表面をぶくぶくと泡立たせた。

 まるで海が沸騰してやがて生命が誕生するように。

 瞬き一つ。

 黒い卵を突き破って白い骨が生まれ、白い骨は赤い肉を纏い、神経が蔦草のごとく絡まった。

 それは異様な光景だった。

 神経に血管が寄り添い、黒い卵は殻を剥離させるのではなく小さく萎む。造られたばかりの血管内部に流れ込んだのだ。真っ黒い血液は解放された血管の先から溢れては首を再生させた。

 肉の赤さが脂肪の白さに隠され、脂肪の白さが竜皮の緑に隠され、若草色の竜皮はあっという間に年老いてささくれ立ち、ささくれは暗い緑の鱗と化した。

 そして地面に落ちる頭部と、瓜二つの頭部が再生していた。

 再生した首と元からある首を区別するものは血に濡れているかどうかだけだった。そして血が乾き、用済みの瘡蓋のようにそれが剥がれ墜ちると区別するものは何もなくなった。

 永遠の成長。恐ろしいまでの生命力。そんな言葉では到底足りないほどの再生能力。

 本当に百万回殺さなければ死なないのかもしれず、百万回では足りないとランタンは理解させられた。

 まだ首を刎ねて十秒に満たない。だと言うのに頭部は当たり前のように再生し、記憶が連続しているかのように当たり前に襲いかかってくる。

 火球を一つ吐き、ランタンがそれを躱すと移動方向を見計らっていたのか逆側から巨大な頭部が襲いくる。

 元の頭部と再生した頭部は瓜二つだったが、八つの首にはそれぞれを区別しうる差があった。

 一本角、四本角、角無し。一際目の色が赤い紅眼(あかめ)、やや青みを帯びる青眼(あおめ)。眉間の鱗が()い三ツ眼。火球を多用することで口唇が焼けた黒口。上顎の牙が鋭く伸びる剣牙。

 ランタンが相手をしているのは黒口と三ツ眼の二つの首だった。

 ランタンは左から襲いかかってくる三ツ眼の噛みつきを無理な挙動から踏み切って辛うじて躱した。踏み切りの直前、ランタンの足元が突き上げるように隆起した。地上でリリララがランタンの無理さを目で、あるいは耳で見ていたのだ。リリララによる補助がなければかなり危なかった。

 ランタンは身体のすぐ傍をぞぞぞっと通り抜ける太い首に戦鎚を叩き付ける。攻撃しているのに、腕に伝わる反動が無視できぬほどの痛みをもたらす。

 厚さが一センチ以上もある鱗を幾つも砕いた。脂肪も肉も潰して、首の骨に致命的な損傷をもたらした。だが胴体から繋がったままのそれには一瞬にして生命力が注がれる。すなわち再生。

 三ツ眼は唸り声こそ漏らしたものの何も変わらず首をくねらせている。ランタンは叩いた反動で三ツ眼から距離を取った。一旦足場を離れて、地上に降り立つ。

 そのすぐ近くにエドガーの刎ねた四本角の首がずどんと落ちてきた。

 そしてそれは未だに生きている。切り離されたことにも気が付かぬように瞬きを繰り返し、見つけたランタンを威嚇するように牙を噛み鳴らし、どうにか襲いかかろうと身を震わせた。

 だが首から切り離された頭部は無力である。

 もう少し頸部が長く残っていれば蛇のように襲いかかってきたかもしれないが、それを警戒して頭部のみを落とすようにとエドガーから厳命が下っていた。

 ランタンはその影に身を隠した。臆したわけではない。

 四本角を黒口の火球が焼いた。そして三ツ眼が突っ込んできて、黒口も自ら放った火球を追うように迫ってくる。

 最下層の広大な空間を噎せ返るほどの魔精でいっぱいにした多頭竜は、どこまでも貪欲で狭量だった。

 自ら以外の命を許さないその本能は、母胎である胴体から切り離された頭部を他者だと認識している。

 ランタンはそれをぎりぎりまで引きつけて、最小の回避行動を取った。

 黒口と三ツ眼が同時に四本角を喰らった。あまりの勢いに四本角はあっという間もなく見るも無惨な姿になり、黒口と三ツ眼は互いの鼻先をぶつけてそれでもごりごりと四本角を咀嚼している。

 回避行動はたった一歩の離脱。血に濡れ、ぶつけた衝撃で鱗の割れた鼻面。黒口の赤い瞳がガラス玉のように無機質で、そこまでの距離はランタンにとって必殺の間合いだった。

「うっ――」

 戦鎚を両手に構え、腰を落とした脇構え。反転と同時に一歩踏み込み、腰の捻り、脇を開き、肘を突き出すようにして戦鎚が加速する、折りたたまれた肘が伸び、瞬間炸裂した爆発に戦鎚が速度を上げる。その加速はランタンが制御できぬ速度だ。

「――らっあ!」

 止まろうとすれば速度に身体がねじ切れる。戦鎚に身を委ねて、ただ全力で振り抜くのみ。

 戦鎚はランタンの敵をよく知っていた。誰よりも長くランタンの傍にいる相棒は、吸い込まれるように黒口の瞳に突き刺さって止まらなかった。眼球を破裂させ、そのまま脳にまで達して黒口は悲鳴を上げる暇がない。

 ランタンは身動きの一つすら許さなかった。

 加速の爆発に冷めやらぬ戦鎚が頭蓋骨の内側で再び爆発し、ランタンはその反動で戦鎚を引き抜くと今度は三ツ眼を狙った。大きく一歩踏み込み。狙いは眼球ではなく、鱗のない眉間。ランタンが肩を捩り、腕ごと手首を返すと鶴嘴が三ツ眼の眉間に突き刺さる。そして間髪入れずに爆発。

 ランタンは黒口と三ツ眼の上顎から脳までを爆発四散させたが、舌打ち混じりに距離を取った。下顎が丸ごと残っている。黒く焼け焦げた断面が血によって洗い流され、骨が、肉が。

 ほとんど不死と言って差し支えのない多頭竜を殺しきるためには、その生命力を削らなくてはならない。

 生命力の源はおそらく心臓と思われるが、例えエドガーの剣技を以てしてもそこに届かないことはすでに証明されていた。心臓を一突きにできない以上、生命力は地道に削っていかなければならなかった。

 何の代償もなくあれほどの再生能力を発揮することは不可能だ。

 肉体を再生させるには相応の生命力や魔精を消費する。そして再生させる質量が多ければ多いほど、そしてその部位が複雑であるほどに生命力の消費量は増大していく。

 割れた鱗をくっつけたり、折れた骨を修復したり、単純な切り傷を貼り合わせるなどはそれほどの負担とならない。つまり打撃攻撃は効率が悪かった。それがベリレが中、後衛に置かれた理由の一つであり、ランタンが前衛に配置された理由でもあった。

 必要な攻撃は多頭竜の肉体を欠損させる攻撃だ。

 切れ目を入れるだけではなく、すっぱりと首を切り落とす必要がある。

 直径一メートルにも及ぶ野太い首が多頭竜の最も細い部位であった。

 そして首を刎ねると必然的に肉体で最も複雑な器官である脳を初めとした、眼球や延髄というような再生困難な部位を欠損させることとなる。

 ランタンの戦鎚は多頭竜に対して不利な武器であったが、爆発能力はその不利を覆すだけの破壊力があった。

 しかしそれの行使にはかなりの危険を伴う。

 多頭竜の強靱強固な鱗の集積はランタンの爆発を以てしても内側まで破壊を通すことは困難だった。まず戦鎚を内側に潜り込ませる所からはじめなければならない。

 ランタンは瞬く間に黒口と三ツ眼の脳を破壊した。八回。ランタンが効率よく破壊した、脳を欠損させた回数である。

 ようやく八つ首多頭竜一回りといったところで、エドガーの破壊個数からは大きく水を開けられていた。

 二刀を抜き放ったエドガーは八つの首の内、一本角、四本角、紅眼、剣牙を完璧に引き寄せ続け、時折ランタンが相手をする二頭や、リリオンとベリレが相手をする青眼や角無しを巻き込んで、最大六頭を相手にすることもあった。

 初手、不意を突いたとは言え一瞬で四つの首を刎ねた技量はやはり並ではない。

 それは刎ねられた多頭竜自身が充分に実感しているのだろう。多頭竜はエドガーを最大の脅威と見なし、それに割けるだけの戦力を割いていた。

 エドガーは四振りの竜骨刀を所有して最下層に赴いた。

 そして今はエドガーは二刀流で、腰に帯びるのは一刀しかない。

 エドガーは四つの首を刎ねた直後、間髪入れずに多頭竜の胴体に斬りかかった。あわよくば仕留めようとしたのかもしれない鮮烈な一撃だった。

 しかしエドガーの一刀は多頭竜の一張羅(いっちょうら)を斜めに切り裂いて火花を散らした。圧倒的な超絶技巧を誇るエドガーですら、多頭竜の耐久力の高さの前では力に頼らざるを得なかった証明だった。

 ドレスは斜めに深々とした傷口を露出させたが、切断されることはなかった。どれ程にぶ厚い鱗と脂肪の積層なのだろうか。

 エドガーは見る間に再生される傷口を見るや、竜骨刀を根元まで深々と突き刺し、捩り、力任せて横振った。

 そして折った。探索者の至宝たる竜骨刀を。

 探索者の誰もが息を呑む光景だった。

 ランタンが爆発で射出した液体金属は肉の内で冷え固まり、出血に押し出されるように全て排出された。だが竜骨刀は多頭竜の肉体に埋まったままで、刀身は肉の内で今も無視できぬ痛みを与え続けているのだと思う。その痛みがよりいっそうエドガーを無視できぬものにしている。

 エドガーは方向転換もままならぬ多頭竜の真正面に立っている。回避行動は最小限で、襲いくる首々を次々に刎ねては多頭竜の攻撃の半分以上を常に引き受けていた。

 墨を撒いたように血で地面は濡れて、食べ残しの頭部が周囲に散らばり、その中で剣を振るうエドガーはまさしく修羅である。盗み見ることすら憚られるようなぞっとするような恐ろしい目付きだった。

 エドガーから見て右側でランタンは戦い、左側でリリオンが構えている。

 リリオンが相手をするのは青眼と角無し。

 青眼は時折エドガーにちょっかいを掛けているが、角無しはリリオンに執心している。

 エドガーのいる右方からの攻撃はほとんどなかった。だがリリオンは上方、正面、左方の三方向に限定された角無したちの攻撃を防いでは、しかしなかなか攻撃に転じることができないでいた。

 リリオンの類い希なる膂力や足腰をもってしても、一撃で体勢が崩された。防御する度に盾が悲鳴をあげ、足元が滑る。反撃は一目見て手打ちとわかるような無理な挙動から放たれる。

 常ならば防御即攻撃に転じることができるリリオンも、攻防の移行に数秒の時間を必要とした。

 そして多頭竜の首は当たり前だが絶えず動き続けていた。一瞬で、一撃でその首を両断しなければ半ばまでに埋まった刀身ごと身体を引きずられてしまう。攻撃に転じる勇気を振り絞っても反撃の一刀が中途半端。鱗を割っただけで跳ね返されている。

 そんなリリオンの補助を仰せつかったのがベリレだ。

 ベリレはリリオンに襲いくる二首を鎖で打ち付け、首を括り、暴れうねるそれを力尽くで抑え込もうとしている。

 リリオンの死角へと回り込まないようにと、最高速度で盾に激突しないようにと鎖をぎしぎしと鳴らしながら長尺棍を釣り竿のように引き続けていた。

 眉間には深く皺が寄って、鼻の穴が膨らんで、荒い呼吸に額が真っ赤に染まって血管が浮いていた。

 結局、三週間に渡る探索の中でリリオンとベリレはあまり仲良くならなかった。

 ベリレはランタンへの対抗意識から、その仲間であるリリオンにもつっけんどんな対応ばかり取っていた。

 そして今ならば対抗意識からばかりではないことは明白だ。

 ベリレは思春期丸出しで、女の子にどんな態度を取ればいいのかわからなかったのだ。年下の女の子なんだから優しくしてやればいいのに、リリオンは黙っていればランタンよりもずっと大人っぽくて綺麗なものだから、きっとベリレは恥ずかしがっていたに違いない。

 それにベリレは今まで一番年下だったのだ。下の子にどう接すればいいのかわからなかったのだろう。

 そしてリリオンは年相応の素直な女の子だった。

 優しくしてくれる人にはべったりと懐いて、そうでない人には少し怖がって距離を取る。

 ベリレは身体も大きいし、彫りの深い顔つきはランタンよりもよっぽどに大人びている。声は凜々しい低音で、筋肉がこれでもかと言うほどにもりもりで、いかにも探索者らしい大男だった。

 リリオンは過去の経験から、その類いの男性に対して苦手意識がある。恐怖に負けることはなかったが、立ち向かおうとするがあまりにベリレに対してつんとして接する。

 リリオンとベリレは間にランタンを挟んで会話をすることはあっても、二人っきりで言葉を交わすことは滅多になかった。コミュニケイション不足からか、戦闘直後の二人の連携はぎくしゃくしていた。

 だがそれでもどうにか持ち堪えているのは個々人の基礎能力の高さと、年上たちのさりげない手助けのおかげだ。

 エドガーは言うに及ばず、リリララの魔道はここぞという時にリリオンの周囲に壁を作り、柵を作り、立入禁止の鉄条網を張り巡らせて執心の角無しを近づかせなかった。

 そしてレティシアの雷撃はベリレを襲おうと大回りに迂回する青眼を感電させ、鎖が引き負けそうになった瞬間に盛大に雷条をばらまいて体勢を立て直す時間を稼いだ。

 二人と真反対にいるランタンは、あの子たちに何もしてやれない。

 だが高さ十五メートルの足場で多頭竜を叩きのめすその姿こそが何よりも二人をかき立てるものだった。

 爆音が鳴り響く度に多頭竜の命が一つ消し飛ばされる。轟音は二人の背中を前へ前へと焚きつけて、かっと最下層を光で満たす爆炎は多頭竜が吐き出す暗い炎とはまったく種類の違う、明るい輝きだった。

 リリオンは素直な女の子だった。

 ベリレは誠実な男の子だった。

 ベリレはランタンに負けじと戦闘に没頭し始めた。

 エドガーに叩き込まれた技量の十全を発揮して、年不相応の恵まれた体格を誇るように力が鎖の隅々にまで行き渡った。前衛で多頭竜の恐怖にほんのちょっと腰の引ける少女の姿は、ベリレに男としての自覚を与えたのかもしれない。

 エドガーに与えられた役割、リリオンを守り助けるという責任を全うするためならばきっとベリレは何だってする。そう言った責任感が確信を持って反対側のランタンにまで感じられた。

 ランタンにまで感じられたその思いを、リリオンが感じられぬはずがない。

 そしてリリオンは優しさを受け取るだけでは我慢ならない女の子だった。

 優しくされたら、それに応える。リリオンはベリレのことをすっかりと信用して、がちがちに盾を構えるのを止めた。小さく息を吐き出して、輝きに照らされた表情が探索者の勇敢さに染まる。

 ベリレの鎖が青眼の目を削って行動を制限し、リリオンは角無しの突進に盾を柔らかく構えた。

 突撃を真っ正面に受け止めるのではない。角度を付けて衝撃を逃がした。ベリレの鎖が角無しの鼻面にぐるぐると巻き付いて顎門は閉ざされ、巨大な頭部が盾の上を誘導されるように滑った。

「よしっ!」

 高音と低音。言葉が重なった。

 リリオンは盾で鱗を削るように長身を屈めてその下に潜り、瞬間跳ね上がった大剣が角無しの、鱗を削がれた首に深々と突き刺さった。そしてベリレに引っ張られる角無しは突進を止めることができない。リリオンはただ柄を一生懸命に握り締めて最適な角度を保つことだけに集中した。

 大質量の慣性と、ベリレの牽引力によって角無しはその首を切り裂く。始点から斜めに三メートルほどを一瞬で駆け抜けて角無しの首が切断された。

「次をっ!」

「おうっ!!」

 解けた鎖が目を再生させた青眼へと奔った。再生したばかりの瞳を再び狙った鎖は躱されて、しかしその首に二重三重に鎖が巻き付けられる。青眼がベリレを狙って火球を吐こうと顎門を開き、その中にレティシアの雷撃が飛び込んだ。生成途中の火球が暴発して青眼の舌が黒く焼ける。怯む。

 ベリレは一気に青眼を引き倒した。隕石のように地面に向かう頭部にリリオンが大剣を構えた。

 右下から鋭角に振り上げられた大剣は下顎、舌、上顎を抵抗無く両断した。そして振り上げられた大剣を、リリオンは体当たりするように踏み込んで目一杯に振り下ろした。

 頭頂から右目を裂くように脳を破断して、袈裟懸けの勢いのまま身体が回る。

 リリオンとベリレの視線が思いがけず交わり合って、リリオンはベリレに微笑みかけた。ベリレは面食らったように辿々しく頷き、次の獲物に視線を投げ飛ばした。

 それは照れ隠しのようにも見えたが、戦闘で顔はすでに真っ赤になっていたので赤みを増したかは不明である。

 幼い二人の探索者は次第に息を合わせて、戦いの中でみるみると成長している。早熟な体格は幼い精神に振り回されがちだったのに、気がつけぬほど自然に心と身体の齟齬が失われていく。

 二人はその体格と、重量級の装備から地上でのみ戦っている。

 反面ランタンはその小さな身体に見合った身軽さと器用さから、平均して地上十二メートルあたりで戦闘行動を行っていた。前衛の三名で八つの首を上下左右に分断するためだった。

 足場はリリララが用意してくれた特別製。それは垂直に立ち上がった棒であったり、斜めに迫り出す帯であったり、壁から突き出た突起だったりして、ランタンの周囲は前衛彫刻の森のようになっていた。それらは多頭竜と同じく破壊と再生を繰り返していた。

 足場は多頭竜の行動を阻害する障害物でもある。もっとも強度的には何の障害にもなりはしない。

 必要なことはランタンを常に高所に置くことにあって、そのためにこそリリララは足場を脆く作っている。地の魔道は固く、大きく、複雑な形状を生成するほどに必要する魔精の量が増大していく。多頭竜の再生と同じだった。

 高品質の足場を作るより、低品質の物を次から次に作る方が安上がりというわけだ。

 にしたって、とランタンは思う。

 地上十メートル超、珍しく誰よりも高い位置にいるランタンは多頭竜の背を越えてリリオンとベリレの姿をはっきりと視認できる。リリオンを守るように出現した鋼鉄の壁はリリララが作ったもので、それはしっかりと障害物の役割を果たした。

 ちょっとこっちにも強度を回してくれたらいいのに、とはまったく思わない。あたりまえだ、そんなことを思うはずがない。

 ――二人とも一生懸命だ。

 戦闘が始まってからずっとランタンはリリオンに注意を払っていた。

 それはもう癖になっている心配だが、意識を占める心配の割合が少なくなっていった。

 同時にランタンの殺傷効率が高まっていく。気が付けば黒口と三ツ眼ばかりではなく、エドガーの方から四本角がランタンの方へと向かってくることが多くなってきた。

 ランタンは踏み込みに砕けた足場を放棄して次の足場へ。そこに着地したのは百分の一秒で、次に飛び移ったのは三ツ眼の首だった。そして避ける。

 黒口がランタンの影ごと三ツ眼の首を噛んで、更にそこに四本角が襲いかかってくる。多頭竜は一匹の生物であるが、八つの首がそれぞれに独立した脳を有しているせいでこういったことをたまに起こす。そしてそれを見逃すランタンではなかった。

 躱し、落ちる。

「真っ直ぐ上に」

 小さな囁き。だがリリララの兎の耳はその声をはっきりと聞いている。

 ランタンは鎚頭に掌を当て、鶴嘴を上に向けた。どん、と衝撃は真下から生み出された足場が靴底に触れたからだ。ランタンはそのまま突き上げられて、三つの首が絡み合うその中心に鶴嘴を突き立てた。掌で押し込み、肩も使って、そして一気に立ち上がる。

 爆発は足元と鶴嘴の二つからほぼ同時に発生した。

 衝撃に足場が氷のように砕け、三つの首が爆炎に引き千切れ、ランタンは反動で肩を脱臼した。

 ぐ、と喉奥が妙な音を立てる。

 爆炎が三ツ眼の食道を通り抜けて眼窩と口腔から炎が溢れていた。

 それを見ながら落下し、受け身を取って、すぐに立ち上がった。一匹殺し損ねていた。

 重なった一番上にいたのだろう、三ツ眼は風穴の空いた喉を再生しながらランタンに襲いかかる。その再生途中の肉に雷撃が突き刺さった。

 雷撃による感電は一秒と半分。ランタンは半秒で体勢を立て直し、残りの一秒で雷撃の残滓が残る喉笛に鶴嘴を振るった。肩は使い物にならない。柄を目一杯に握って、腰を捩り身体ごと振り回す。その勢いで肩を嵌める。その痛みを押しつけるように爆発。今度こそはっきりと引き千切った。

 間髪入れず跳躍。再び足元から突き上げられて、ランタンは再び地上十メートルに戻ってきた。

 戦闘の全貌を把握する。ほとんど望み通りに進められている。

 だが、それはいつ崩れてもおかしくない危うい均衡の上に成り立っているものだった。

 後衛二人がもう何本目かの魔精薬を飲んだ、それでも顔色が戻らない。

 ベリレの鎖の棘が所々無く、鉄輪が幾つも伸びかけて千切れそうだ。

 リリオンの大剣が無数の刃毀れを起こしている。

 そしてエドガーが肩で息をしたのを見逃さなかった。

 ――忌々しいあの巨体にはまだどれ程の生命力が残っているのだろう。

 ランタンは先端を失ってやや垂れ下がった三つの首の、その奥に見える多頭竜の無防備な背中を睨んだ。

 そして跳んだ。


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