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カボチャ頭のランタン  作者: mm
04.Value Of Life
104/518

104 迷宮

104


 背後を振り返って、天幕が消えるとエドガーが口元まで覆うように巻き付けたマフラーをふいとずらした。

 そうすると息がはっきりと白く、エドガーは口元に結露した呼気の湿気を掌で拭う。

 ランタンも亀のように縮込ませた首をゆるりと伸ばして、引っ張り上げた外套から露わになった首筋に触れる冷気が肌を粟立たせた。

 魔精の失われた大気の冷たさは、また同時に大気の薄さでもある。ここまでくると迷宮は魔精で形作られているのだと、嫌が応にも理解させられた。足元の金属は腐食したかのように錆が浮かび、胸一杯に吸い込んだ冷たさは虚無を吸い込んだようである。

 地面を創り、大気を創り、魔物を創る。

 命の源か、とランタンはぼんやり思う。

「寒いですね」

「ああ、この歳になるとこの冷えはさすがに堪えるな」

「若くても堪えますよ。指がじんじんします」

 腹に入れた温石が心臓のように暖かい。

 ランタンはまるで空腹に喘ぐように自分の腹を擦っている。妙に、といっても年相応なのだがその姿には子供っぽさがあった。

 ランタンのそんな様子にエドガーは僅か頬を緩める。

 視線を向けられたランタンは憐憫に笑うようだと思った。ひもじそうにでも見えたのだろうか。温石に手を温めて、その温もりを頬に当てる。痩せた頬がふにゃりと溶けて、柔らかさを取り戻した。

「どうかしました?」

「悪かったな、こんな所にまで連れてきてしまって」

 老人と二人歩く味気なさを、ベリレを筆頭に多くの探索者にそれを言ったら烈火のごとく怒られるだろうが、ランタンは感じていた。

 誰にも繋がれることのない左手が、少女の暖かな体温を思い出して寒さに(かじか)む。

 あの子も連れてこればよかった。きっと暖かいはずだ。そう思った。

 エドガーが苦笑した。まるでランタンの心を読んだように。

 寂しがる子供に向けるような視線を受けてランタンはむっとして唇を突き出す。大人ぶりたい子供が子供扱いされたとき、きっとこんな顔をする。そう言う生意気そうな顔だった。

「僕を連れ出したのは、そんなことを言うためですか? この後に及んで」

 斥候としてランタンを一人連れ出した不自然さはどうしたってある。

 戦闘前に最終目標(フラグ)の姿を自らの目で確認する作業は、例え霧越しであったとしても必要なことだ。

 こうしてエドガーとランタンがまず確認して、その次に例えばベリレとレティシア、リリララとリリオンと言ったように分割して送り込むメリットは少ない。

 エドガーは万が一の魔物の出現や魔精の減少を理由にしたが、前者はランタンですら()()と確信できるし、後者は魔精薬でどうにでもなる。

 最終目標を確認せずに最下層へ赴くなど、無鉄砲なランタンですらする気が起きない愚行である。今どれ程リリララを温存しようとも、結局は今魔精を減らすか、後で魔精を減らすかの違いでしかない。結局、体調回復にかかる時間に明確な差異はない。

「もしかして僕と二人で、最終目標をやっつけちゃいますか?」

 ランタンがくすくす笑いながら言うと、エドガーは呆れた声を出す。

「ああ、それもいいかもしれんな。だがきっとリリオンが怒るぞ」

「怒られるだけで、あの子に危険がないならそれでいいですよ」

 ちらと見たランタンが微笑んでいて、エドガーは年甲斐もなく恥ずかしがるように頭を掻いた。老いて色の抜けた白髪は、この冷たさの中にあって削り出した氷に見えた。

「おじいさまも、結構心配性なんですね」

「年を重ねればそれなりにな」

「ふふふ、全然、こういうことに慣れていないじゃないですか。まだ誰も死んでいないのに」

「だからこそだよ。お前はどうだ」

 ランタンは頷く。

「慣れるわけはないですよ。だってまだないですもの――」

 嘘。

「――その経験。僕は手を下す側ばかりですから」

 よく知っている。失うことの怖さは、まだその痛みを得ていないからこそ、いっそう恐ろしいものだった。

 たった一人で迷宮を探索していたときには、まったく考えることもなかった失うことの恐怖をランタンはリリオンと出会って知った。

 自分の命に価値など無い、そんな風に思って探索をしたこともある。それがやがて死にたくないと思うようになった理由をランタンは知らない。だが命を賭けて当然と思えるような出会いは、確かにあった。

 暖かさを失いたくない。

「ランタン」

「なんですか?」

「お前には随分と助けられた」

「どうしたんですか、藪から棒に」

 しみじみとエドガーが呟いて、ランタンは驚き目を瞬かせる。

「俺はこの歳になっても不器用だ。英雄だ何だと言われて、ただ剣を振るうことだけで人々を導いてきたつもりだった。……ベリレは随分とお前に懐いたな」

「そうですか? 会ったときからずっと小生意気ですけど」

「あっはっは、俺にもヴィクトルにもあんな姿はなかなか見せん。拾った頃からずっとな。あんな風に噛み付くのは、それはきっとお前が優しいからだよ」

「どうだか。――侮っているだけでしょう、あとでとっちめてやろう」

「手柔らかに頼むぞ。最終目標戦の前に負傷者が出てはかなわん」

 エドガーはくつくつと笑って、子熊のことを思い浮かべているのか優しげに目を細めた。

 この人はベリレと語らうとき、自分がどれ程に優しく笑うか無自覚なのだろう。あるいはだからこそベリレがあれ程に懐いているのかもしれない。

「大丈夫ですよ。あの子はなかなか強いから。ご存じでしょう?」

「ああ、それもそうか。だが懐いているのはベリレばかりじゃないだろ? リリララもお前に心を許している。あれもなかなか気むずかしい娘だ。出自が出自だから、家中に敵も多くてな」

「おや、ヴィクトルさんは絶対なのでは?」

「表向きはな。だがヴィクトルに、それにレティシアにもだが、心酔する家臣は多い。それが過ぎるが余りにリリララを排除しようとする者もいる。ヴィクトルが傍に置いたり、レティシアに付けたのは自分たちの存在があれを守る盾になるからだ。乱暴な言葉遣いは――」

「強がりですかね」

「それもある。だが過去との繋がりが、今もリリララにはあるようだ。あれを見ているとあえて忘れないようにしているんじゃないかと思う」

「それは別に、普通ですよ。過去はどうやっても付いてきますよ」

 過去の多くを忘れている自分がそんなことを言ったのが面白くて、ランタンは堪えきれずに笑ってしまった。

「ああ、そうだ。それとどうやって向き合うかだ。リリララは過去を振り返るとき、歯を食いしばっていた。ヴィクトルの前でさえな。探索は男女の仲を縮めるというが――」

「経験談ですか?」

「一般論だ、――お前との距離は随分と近い。ヴィクトルよりも、もしかしたらもっとな。リリオンにはわからんではない。あれは気むずかしくも面倒見は良いからな」

「ええリリオンも甘えちゃって。魔精の使い方を教えて貰えるって喜んでますよ」

「だがお前には頼りきっているだろう? 乱暴な言葉遣いはすっかり照れ隠しになって、過去との繋がりは地が出ているに過ぎん。可愛らしくなったものだよ」

「もともと可愛い人ですよ。耳とか尻尾とか。でも気が楽になったのなら男冥利に尽きますね」

「レティシアもそうだ。ヴィクトルの(かたき)を取ること以外に、あれを慰撫するものがあるとは思わなかった」

「時間はかかるかもだけどレティシアさんは結局自分で立ち上がれたと思いますよ。そうでなくても支えてくれる人は多いみたいだし。僕は繋がりがないから、好き勝手にしただけです」

「かもしれん。だが本懐を果たさずとも、あれは救われた。このまま帰ってもいいぐらいだ」

「じゃあ帰ります?」

 身も蓋もないランタンに、エドガーは冷えて硬いランタンの髪に指を通した。かさついた老人の掌が、乱暴に頭を揺らした。ランタンはされるがままにしている。

「そんなこと、少しも思っていないだろう。リリオンが言っていたじゃないか。それとも女の前で強がったか?」

「帰らないですよ。強がりでも何でもなく」

「リリオンを危険に晒すかもしれないぞ」

「ええ、承知しています。でもネイリング家お望みの宝剣を持ち帰らないことには、庇護が得られませんからね。リスクを負う価値はある」

 ランタンははっきりと言い切った。頬に笑みを浮かべながらぽつぽつと続ける。

「僕は貴族への対抗手段を持ちません。だけど今を頑張れば、リリオンがこれから過ごす日々の不安が一つ取り除かれる。そのためには何でもしますよ。リリオンは、……ううんリリオンだけじゃない。僕も、貴方方も危険に晒されるのはいっしょです。探索者になったからには、迷宮にきたからにはしかたのないことでしょう」

 それに、とランタンは息を白く吐き出す。

「いざとなったら僕がどうにかします」

 戦場では誰もが頼り、その背を見つめる大英雄エドガーを前にしてランタンは強がりでもなく言い放った。

「命を賭ける価値はある」

「リリオンを随分と愛しているのだな」

 その問いかけは何だか奇妙だった。

 枯れた老人の口から愛などと言う言葉が紡がれるとはランタンは露とも思わなかった。

 ランタンは肩を震わせて笑って、堪えきれぬように口元を押さえる。白む息が掌を満たし、隙間から溢れた。

「愛してますよ、あの子のこと」

 言い切ってしかし悪戯に笑う。

 ランタンの見せるその笑みは、百戦錬磨の大英雄すらを煙に巻くような得も言われぬ意地の悪い魅力がある。

 エドガーはふっと寒さが和らいだような気がして、しかしランタンの笑みから視線が外せなかった。

「リリオンだけじゃない。おじいさまも、レティシアさんも、リリララさんも、ベリレも、シュアさんに、ドゥイさんだって。僕は皆のこと僕は好きですよ。こんな得体の知れない僕を、ふふふ、おじさまの力を以てしても過去の見つからない僕を頼ってくれる。皆々(みんなみんな)、僕が守ってあげますよ」

 大きく目を見開いたエドガーは、やがて静かに眼差しを閉ざして頷いた。

「そうか」

「はい、それに地上に待ってくれる人もいますから、命は賭けますけど僕はちゃんと勝ちますよ。今まで通り」

地上(うえ)に……? ああ、あの引き上げ屋の娘か。気が多いな」

「ミシャだけじゃないですけど」

 もう一人のおじいさまであるグランも、その娘のエーリカには家まで探してもらっている。

「……刺されんように気をつけてな。迷宮で命を繋いでも、地上で果てては元も子もないぞ」

「何を想像していらっしゃるのかわかりませんが、まあ気をつけます」

 エドガーは軽く肩を竦める。

「辛くはないか? 頼られることは」

「んー、嬉しいですよ」

 自らの回りをくるくるくっついてくるリリオンを煩わしいと思ったことはない。

「ねえ、おじいさま?」

「なんだ」

「おじいさまは僕のことを探索者ギルドを使って、調べられたんですよね?」

「ああ」

「それ、嘘でしょう」

 ランタンはそう告げた。

 エドガーは空惚けるでもなく、ただぴくりと眉を動かしただけだった。

 ランタンが爆発を斬られたあの日、首筋に垂れる血を舐めたリリララはその耳元に囁いた。

 ――エドガー様は嘘を吐いている。

 戦闘中の会話を、あの爆音の中の言葉でさえ聞き取ったリリララ自慢の兎耳はエドガーの嘘さえ聞き取って、それをランタンに教えた。

 エドガーが探索者ギルドを使ってランタンを調べているのではない。探索者ギルドがエドガーを使ってランタンを調べているのだと。

「――まあ、それは僕の推測なんですけど」

 リリララの名を出さずに、平気な顔で嘯いたランタンは楽しそうだった。

「でも、いいんです。胡散臭いって自覚はあるから。でもね、そんな僕を頼ってくれて、優しくしてくれる。僕はそれがたまらなく嬉しい。こんな風に頼ってもらって、それに応えなきゃ男に生まれた意味がない」

 ランタンの雌雄の区別も曖昧なはずの顔貌に浮かぶのは、いつしか悪戯な笑みから、凜々しい男の笑みへと変わっている。にっと笑った唇から、吐息よりも白い歯が零れた。

「おじいさまは辛かったですか? 英雄としての日々は」

「……どうだろうな、半々かな。重く思ったことは多いが、同じだけ良かったと思う。俺はどうにかここまでやって来たから、そう思える。だがランタン、お前はまだ十五だろう」

 ランタンの年齢を倍にして、さらに倍にしてそれでもエドガーの年には届かない。

 かつて老人が英雄と呼ばれ始めたのは、二十歳を超えてのことで、十五のエドガーは荷車を牽いていた。ただ先を行く探索者を憧れの眼差しで追いながら。

 ランタンはすでにその背に視線を背負う立場なのかもしれない。

「――ああ、おじいさま、それで僕を連れ出してくださったんですか。ありがとうございます」

「頼られている間は、気が抜けないだろう。と思っていたのだが余計な世話だったみたいだな。俺とはものが違うようだ」

「そんなことはないでしょう。それに、まだあまりその自覚はないだけかもしれません。十五歳の子供だから。でも、今はその方がいいでしょうね」

「ああ、――ああ、そうだな」

 二人は立ち止まる。

 眼前に積乱雲のように濃く、鉛のように重々しく、全容を把握できぬ程に巨大な魔精の霧。

 ついに辿り着いた。

 おおおおお、と唸り声に似た地響きが足元を揺らした。




 探索者たちは全員、最終目標の確認を済ませた。陣営では帰路に必要な食料を残し全てを調理し、絶えず火に掛けられ続け、いつだって暖かい料理を食べることができた。

 好きなときに好きなだけ身体を動かし、飯を食い、眠り、語らう。

 来たるべき戦いに備えて、ひたすらに意識を研ぎ澄ました。

 そんな最中、ランタンとリリオンは二人っきりで霧の前までやって来た。

 冷たい手を繋いで、二人揃って鼻や耳を赤くして、悴んだ白い息を吐きながら。

 絶えず奪われゆく魔精。奪われてなるものか、とランタンは大気中の魔精を身体に取り込むように深呼吸して、身の内に流れる魔精を意識する。呼気から血管に取り込まれ、心臓に辿り着き全身に運ばれる。

 ランタンはどんっと足元を爆炎で熱し、外套を外すと地面に敷いた。そしてリリオンは素早くランタンを自らの外套の内に取り込んで、地面に座り込んだ。

「ランタン」

「んー?」

「ランタンは(あった)かいね」

「リリオンだって、暖かいよ」

 少年は背中を押し返す膨らみに少し戸惑い、少女はその脂肪の厚みがもどかしいかのように強く少年を引き寄せる。やがて穏やかな心臓の鼓動が背中を叩く程になって、ランタンは自らの肩に顎を乗せる少女にこつんと頭をくっつけた。耳が触れあう。

「でも耳は冷たい」

「ランタンこそ」

 しばらくそうやって身体を温め合って、最終目標をぼんやりと眺めた。

「大きいね」

「うん。……あのね、ランタン」

「うん?」

「……巨人族も、これぐらい大きいのよ」

「へえ、そうなんだ」

「大きくて、怖い。皆、怖かった。ママだけが、優しかったわ」

「うん」

「ママは皆よりも、小さかったけど、わたしぐらいの歳で、もっと大きかったって」

「じゃあリリオンは半分の、半分ぐらいかな。どれぐらい大きくなるのか楽しみだね」

「ほんとうに、そう思う?」

「うん。でも大きくならなくてもいいよ。どんな風になっても、楽しみだ」

「……あは、うれしい。わたしもランタンの――」

「大きくなるから。まだ成長期だし」

「もう、わたし何にも言ってない。でも今のままでもいいのよ。ランタンはすてき」

 リリオンは頬を擦り合わせて、それからランタンの冷たい耳を唇にとらえた。

「わたし、大きくなりたいって思った。ママみたいに強くなりたいから。でもランタンを見たとき、同じぐらい、ランタンみたいになりたいって思ったの。こんな風に優しくって、強くって」

「強さに大小は、……まああんまり関係ないよ」

「大きいのは、怖い。わたしは巨人族の皆より、強くなりたい。知ってる? 巨人族は、大きいから迷宮には潜れないの。だからわたしは探索者になりたかった」

「そっかあ、――これと同じぐらいの大きさなんだっけ?」

「うん、……もうちょっと小さいかも」

「じゃあ、こいつをやっつけて、さっさと強くなろう。僕ももうちょっと強くなりたいし」

 ランタンはリリオンの凍えた髪を撫で、そっと身体を離すと、外套の下でもぞもぞと身体の向きを変えた。少女の項に指を這わせて、そこに引っ掛かる首飾りを手繰り寄せる。胸に抱いていたそれは少女の温もりがあり、それを手に握り締めると魂を吹き込むように口付ける。

「一緒に強くなろう。――そうすればもう、()()()()も怖くないでしょ?」

「うん」

「怖くなくなったら、次は可愛く思えるよ」

 ランタンはリリオンの襟ぐりを引っ張って、首飾りをその中に放り込んだ。

 そして大きな少女を抱きしめて、目一杯に温めてやった。




 迷宮探索から十九日目。二週間と五日。殆ど予定通りの折り返しだ。

 探索班八名は、皆一斉に魔精薬を服用して天幕を出た。

 ドゥイはいきる輓馬のように筋肉を膨らませて、武者震いに身体を震わせる。純朴そうな男の顔にはびきびきと血管が浮き出て、荒々しく吐き出した息ばかりではなく、すでにその身から熱気を白く迸らせていた。

 シュアがその背を落ち着かせるように撫でてやって、合間合間にばちんばちんと荷車と連結する音が響いた。ドゥイは空の荷車の動力源と化した。

「さあ最後の確認だ。初手は手筈通りに。あの巨体を内包する空間は相当広い。的を散らすことは必要だが、分散しすぎるのもよくはない」

 何度も何度も話し合った作戦を確認する。誰もが真剣な顔つきでエドガーの言葉を聞いていた。英雄の声には不安を払う力強い響きがある。

「リリララは何があろうと後衛に徹せよ。戦型全てを見て、行うべきは攻めではなく守りだ。魔精薬は全部飲みきるつもりで常に余裕、余力を保て」

「あいさ」

「ベリレの役目は中衛での拘束。前衛に上がるのは鎖が保たなくなってからだ。我慢だぞ」

「はい、全力をもって当たらせていただきます」

「レティシアは攻撃と防御の両方だ。敵相手だが、冷静さは忘れるな。お前の雷撃は殺すためではなく、行動を牽制するためのもの。攻守の要を任せるぞ」

「はい、ここまで支えてもらいましたからね。今度は私が支える番です」

「そしてランタンとリリオン。前衛だ。思いっきり暴れろ。(けつ)は俺が拭く、何も気にすることはない」

「やだ、おじいちゃん。お(しり)だなんて」

「っていうか僕らだけ雑じゃないですか?」

「はっはっはっ、お前らに俺の言葉は不要だろう」

 エドガーの言葉に、誰もが笑った。緊張と緩和。探索者たちはから緊張が程良く抜ける。

「こんな土壇場で逢い引きするぐらいですからね。ったくいい根性しているぜ」

「うむ、私も誘ってくれていいじゃないか」

「暢気だな」

 リリララがそんなことを言って、次々に文句を言われるのでランタンとリリオンは顔を見合わせて笑った。

「頼もしいことだ」

 確かにどんな言葉を投げかけられても、二人は平然としているのかもしれない。

「皆、どんな姿であっても戻って来てくれれば私が絶対に救います。ご武運を」

 シュアが深々と頭を下げて、探索者たちはドゥイに連結された荷車に乗り込んだ。

 僅かでも体力の消耗を防ぐために、霧の前までドゥイに送ってもらうのだ。ドゥイはその後、再びこの場所まで戻り、シュアやその他の荷物を霧の前まで運び、姉弟二人はそこで陣営を構築する。探索者が戦いを終えて帰ってきたとき、その肉体を癒すために。

「じゃあ行ってきます。帰ったらマッサージをよろしく」

「わたしがしてあげよっか?」

「なに、止めでも刺すつもり?」

「ひどいわ、もうっ! ねえ、シュアさんわたしにもマッサージ教えてください。帰ってきたら、絶対!」

「ああ、ぜひ。ではお嬢様方も、行ってらっしゃいませ」

 シュアは緊張に硬く強張った頬を隠すように再び頭を下げて、弟の尻を引っぱたいた。そして持ち上げたその顔には彼女の持つ生まれながらにしての慈愛の表情があった。

「ドゥイ行けるな?」

「おうっ!」

 足を踏み鳴らすその一歩が戦士を送り出す太鼓の音色のようで、姉に送り出されたドゥイは猛然と走り出した。探索者でもなんでもない男の牽く荷車は、探索者でも出せないような速度に、あっという間に最高速度に達した。

 車輪が地面を削り取るような嘶きを上げ、それは正に摩擦熱の轍を生み出した。あるいは轍は、ドゥイが通り過ぎる前から生み出されたようにさえ思える。

 探索者たちは揺るぎなく進む。戦いの中へ。

 ドゥイの熱量に炙られたように冷え冷えとしていた迷宮路を通り過ぎる探索者たちの身体が俄に熱を帯び始めた。

 服用した魔精薬が、肉体に、血に、意志に、魂に溶け込んで彼らの顔には尽く笑みが浮かぶ。

 圧倒される程の魔精の霧が、その不吉そのものの濃淡を露わにして探索者たちは荷車から飛び降りた。誰も彼もが躊躇うことなく霧に向かって一直線に駆けだした。

「頑張ってくださいっ!」

「応とも! ――さあ殺すぞ!」

 エドガーの言葉に、探索者たちは獰猛に応えた。

 各々の武器を手に持って、鞘を払い、手首を回し、胸の前に抱き、前に突き出す。

 応援を背に受けて、霧の中に先陣を切ったのはエドガーである。そしてリリララが続き、後は一塊の意志そのものだった。

 押し返すような感覚すらある真っ白い霧の中を一息に駆けて突き抜けると、そこには息苦しさすらある熱が篭もっていた。肌に大気が張り付くのは湿気ではない。はっきりと感じ取れる魔精の対流は、最終目標が食い残し溢れたものだ。それは大気に飽和し、きらきらと銀砂を撒いたように光っている。

 それは探索者の肉体にすら好影響を及ぼすもので、事前にエドガーからその可能性を聞かされていたランタンたちは、眼前の威容を見上げるように胸一杯に息を吸い込んだ。取り込まれた魔精に、力が湧いた。

 十六の瞳。八つの首。

 それをはっきりと確認することもなく、視界の一切が炎に包まれた。

 最終目標(フラグ)――大老(エンシェント)多頭竜(ヒュドラ)

 鎌首を持ち上げるその威容は、十五メートルは下るまいという巨大さだった。

 その八つの顎門の奥は、あるいは地獄に繋がっているのかもしれない。

 地獄が溢れた。吐き出されたのは黒煙混じりの大炎で、それは大気を焼失させ探索者たちに襲いかかる。

 エドガーは竜骨刀を両の手に構えていた。竜殺しの大英雄の、年老いて痩せた背中がベリレを上回る厚みを持った。

 それは膨れあがった剣気による錯覚にすぎない。

 だが下方から、交差して切り上げられた二刀の生み出した剣閃は噴火したような気流を発生させ大炎を上方に逸らした。

 その一瞬にリリララが両の手を地面に突き、大地に祈りを捧げるように叩頭した。

 多頭竜とエドガーの間に、分厚く高大な壁が出現した。

 初見の材質。不思議な色合いを帯びた金属は、多頭竜の超重量も沈まぬ超鋼材。

 リリララの顔が一気に色を失い、吹きつけられた炎は完全に遮断されて壁の表面が赤熱する。余波の熱が探索者たちの身体を炙り、喉を焼かれないように息を止めた。

 再びエドガーが刀を振るった。それは瞬く間に壁に数百の切れ目を入れて、ランタンがその壁を崩さんとするように跳びだした。足元から振り上げた戦鎚が内壁を(こす)り上げ、間髪入れずに爆発が追従する。

 大炎をも上回る大爆発は壁を破壊し、数百の弾薬として撃ち出した。金属の塊が炎を散り散りに引き千切りその中を突き進む。塊は白熱して流体金属と化した。

 燃える金属の液体が多頭竜の八つの雁首を驟雨のごとく打ち付けて、分厚く強固な鱗を侵徹(しんてつ)し、内部を焼いた。傷口から真っ赤な炎が溢れ、それを消火するように黒くすらある血が噴き出す。

 それによって流体金属は冷え固まった。竜の肉体内部に楔を打ち込んだように。

 大炎は払われ、壁も消え失せ、仁王立ちになっていたのはレティシアだった。

 紅い髪が雷精に逆立ち、その顔つきは竜種のそれに他ならない。貴様とは格が違うのだ、と多頭竜に告げるような表情が浮かんでいる。美しい緑瞳が、雷光を反射して黄金に色を変えた。

 全身に纏った紫電がレティシアの咆哮を合図に迸り、それは誘われるように多頭竜の肉体に埋まった数百の金属を媒介して、竜の巨体を内側から蹂躙する。

 聴覚の閾値を遥かに超えた、叩き付ける震動としてしか認識できない悲鳴が地揺れを巻き起こしたが、ベリレはそんなものをものともしなかった。ベリレは負けじと吠えて、その声の力強さは誰の耳にも聞こえる。

 一時の行動不能を、棘鎖が永遠とも思える時間に引き伸ばした。目一杯に伸ばされた鎖は、八つの首を一纏めに結びつけて、師に倣うようベリレの背中が膨れあがった。こちらはまさしく現実として。

 遥か頭上にあるそれを地面に引き倒して、叩き付けた。

 リリオンが盾を構えた。大剣は抜かず、両手を交差させるように盾を前面に押し出して真っ直ぐに駆ける。

 銀砂の中を、銀の髪が棚引いた。流星そのものだった。

 リリオンは一纏めになった多頭竜の顔面に体当たりをして、決して負けることはなかった。鱗が粉砕されて宙に舞い、肉が押し潰れて骨が折れた。

 多頭竜は吹き飛ぶ己の首に身体を引き摺られるように、尋常ならざる超重量がずるりと半回転した。

 多頭竜はリリララから、身体ごと視線を逸らした。

 棘鎖は引き絞るように解け、ずたずたになった首をエドガーが刎ねた。

 竜骨刀は瞬く間に八つの内の半分を両断し、残った四つの内の一つを追撃に駆けたリリオンが抜き打ちに半ばまで切り裂く。

 半端に繋がった切り口に戦鎚を突っ込んだランタンが、爆発によってそれを強引に引き千切った。

 初手は、ほぼ完璧。

「さあ、百万回殺してやろう」

「うん! 百万回やっつけてやるわ!」

 ランタンのその言葉は、つまり多頭竜がまだ死んでいないことを告げるものだった。


来月2月は一度も更新できません。

3月は更新いたします。

申し訳ありません。

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巨人族が想定以上に大きそう
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