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カボチャ頭のランタン  作者: mm
04.Value Of Life
102/518

102 迷宮

102


 休養といってもだらだらするばかりではない。

 探索者たちの肉体を慰撫した魔道拵えの風呂場は解体された。

 四方を囲む壁は切り破られて、天井をすっ飛ばし湿気を抜いて、残り湯を洗濯に使いきる。ベリレの棘鎖を洗濯紐代わりに洗った衣服を吊すと、ランタンの爆熱が洗濯物をぱりぱりに乾燥させた。風呂場の役目は果たされた。

 リリララは乱暴な仕草で湯垢が吐血痕のようにこびりつく兎人魚を湯船の縁から引っ剥がした。

 兎人魚の(はらわた)がずるりと抜き取られた。

「うわあ」

「お宝でも探すか?」

「……さすがに引きます」

「ああ、言って後悔した。もう二度と言わないからそんな目で見るな」

 兎人魚の内部に組み込まれた浄化装置は造りだけが単純な、無駄に高機能な濾過器のようだった。

 まず砂利ほどの大きさに生成された金属粒から始まり、刻んだ布、炭に竜骨といった多孔材、竜の髭を解した高密度極細繊維が層をなしてぎっしりと詰め込まれ、そして竜の内臓壁から作り出した急拵えの浸透膜で覆ってある。

 それらにこの世の全ての汚れがこびりついているような気がした。

 さすがに探索の汚れをこれでもかと積載した探索者を清めたのだから、その腸は酷いものである。

 ランタンもリリララも一目見てげんなりと顔を歪めた。リリララの冗談も笑えぬ汚らわしさだった。目に見えぬ肉体の汚れも、集めてしまえばこれほどのはっきり目に見えるようになる。

 その汚れは恥ずかしいものなので、ランタンが責任を持って臭気の一つも残さず燃やし尽くした。

「しかし器用なものですね」

「まあ、昔取った何とやらだ。泥水なんて飲めたものじゃねえからな」

「大変だったんですね」

「ああほんとになあ、今が夢みたいだよ」

 リリララは湯船の猫足を蹴手繰りながら、ふと思い出し笑いをした。

「昔さ、レティに泥水の話をしたら、お嬢の野郎なんて言ったと思う?」

「さあ、なんて言ったんですか?」

「なんで泥水なんかを飲むんだ、美味いのか? ってよ。もう大げんかだよ。あの世間知らず、本気(まじ)で言いやがったから質が悪ぃよ」

「そりゃ酷い。ほんとお姫様なんですね、レティシアさんって」

「なあ、ひっでーだろ。その後も知らないんだから仕方がないだろ、とか言うんだぜ。もう想像力ってもんがないんだよ。貴族ってのはよう」

 だらだらと二人が話していると、シュアやリリオンと洗濯物を畳んでいるレティシアがじっとりと二人を睨み付けた。なぜなら壁が取り払われているので二人の会話を遮る物など何もないのだ。冴え冴えとした緑の瞳から向けられる眼光は刺し貫くほどに鋭いが、二人は気にもとめない。

「おい、悪口が聞こえてるぞ。せめて聞こえないところで、……いや、それもやめてくれ」

「別に悪口じゃないですよ」

「ああ、ひどい言いがかりだ。こうやって無垢な一般庶子を火刑台送りにしたりすんだよな、貴族は」

「……どう聞いても悪口だろう」

 ものすごく疲れたようにレティシアが呟いて、しかし二人は顔を見合わせて悪びれることもなく肩を竦めた。

「いいえ、レティシアさんはとっても想像力が豊かになったなあ、っていうお話ですよ。ねえリリララさん、褒めてますよね」

「うんうん、そうだぞレティ。まさかレティがあんな事を考えていたなんて、完全に私の想像力を上回ったよ」

 悪意だけの会話を悪意もなさそうに意地悪く語り合う二人にレティシアはがっくりと肩を落としてリリオンに慰められている。リリオンはランタンの顔を見ると、幼子を叱るようにめっと口を動かした。どうにもまだお姉さんぶりたいようである。

 ランタンはつんとそれを無視して、今度はリリオンをレティシアが慰め始めた。それを見るシュアの眼差しが母親じみていて何だかおかしかった。

 二人は無駄話をやめてランタンは湯船にこびりついた湯垢などを綺麗に拭き落とし、リリララは魔道によって四つの猫足に細工を加えていた。まるで異形の猫を火刑台に張り付けにでもするように、猫足に穴が空けられている。

「ベリレー、油の用意は?」

「できたぞ」

「……せっかく風呂に入ったのに、手がべたべただね。僕に触らないでね」

「……」

「触るなってっ! もうっ」

 煮溶かして精製した竜脂の上澄みを持ってきたベリレは、無言でランタンに手を伸ばした。いつもならその手を払うランタンも、せっかく生成した竜脂を台無しにしてはいけないので、慌てた様子で逃げ出すばかりだった。無言のベリレはただ勝ち誇ったように唇を歪める。

「むかつく」

「ふん、何とでも言え」

 しゃがみ込んで猫足の穴に竜脂、上等な機械油を塗り込むベリレの背中にランタンは座った。筋肉の発達した背中は代謝がよいのか熱っぽく、とても広々としているのだが張りがあるは丸みがあるはでどうにも座り心地は悪い。この背に背負われる長尺棍は、今は物干し竿から釣り竿へと役割を変えた。

 たっぷりの竜脂がぐらぐらと煮立っている大鍋に長尺棍は立てかけられ、解かれた棘鎖が脂の中に投げ出されていた。高温の竜脂で棘鎖を煮て、付着した血肉の汚れを焼き落としているらしい。ついでに鎖の動きも滑らかになるのだと言うから一石二鳥で、当たり前だが何も釣れない。

 あの長尺根に比べたらランタンなど何と柔らかく軽いものだろうか。

 だと言うのにベリレは無言で立ち上がり、ランタンは滑るように振り落とされた。ベリレはランタン見下ろしてやっぱり鼻で笑った。

「蹴るなよっ」

「ちょっと尻尾を撫でただけだよ。風呂入ってふわふわになったね」

 そんなことを言うランタンの脇で、リリララが己の尻尾を確認している。リリララの形の良い尻にも、ふわふわした丸い尾がついている。ランタンはそれに手を伸ばして、結局触らなかった。根性無し、とリリララが呟く。

 レティシアに慰められていたリリオンは自分の尻を確認して、何も生えていないので拗ねたように唇を尖らせた。そんな様子に、あとで撫でてやろうとはランタンは少しも思ってはいないはずである。

「ドゥイさん、持ち上げるから車輪付けて」

「え、あ、ラン……できるのか?」

「中入ってないからね、軽いですよ」

 ドゥイがリリララの作り出した長い軸を持ってきて猫足の穴に差し込む、二つの足に掛けられた軸は車輪を取り付けるためのものだ。ランタンは金属造りの湯船を軽々と持ち上げて、ドゥイが大急ぎで車輪を取り付け、リリララが外れないようにそれを固定した。車輪の表面には磁性体を集めてあり、つるつると滑りやすい金属の地面でも空転することはない。

 目の前で竜種を蹴散らしたこともあるランタンだが、苦もなく湯船を上げ下げするランタンにドゥイは(おのの)くような視線を向けた。こんなに小さいのに、という呟きは聞かなかったことにしてやろう。

「ほう、立派なものだな」

「でしょう? ほら、やっぱり持って行って正解ですよ。この迷宮は地面が平らだから、サスもいりませんし」

 荷車の整備を買って出て、もう久しくそんなことはせずに済む身分なのだろうに異様に手際の良かったエドガーは、三台目の荷車を見て感心したように呟いた。

 使い終わった湯船ははっきり言ってしまえば荷物であり、それも持ち運ぶことの利点は少ない。総金属造りの重量は中々のもので、置いておくには安定感があって良いが動かすとなると重荷である。

 しかし湯船である。風呂である。

 探索中は多少の不潔を我慢をするランタンであるが、それは迷宮内ではどうにもならないという諦めから来る我慢でしかなかった。迷宮風呂を知ってしまったランタンに、それを諦めることはできないのである。

 二週間ぶりの風呂はリリオンの成長も相まって少なからず甘美なものであり、けれどランタンはリリオンが眠っていることをいいことに、たった一人で朝風呂にも入った。のんびりと一人足を伸ばすことは、少女の柔らかさとはまた別の幸せであった。

 それを幸せに感じたのはランタンばかりではなく、湯船を持ってく事に難色を示したエドガーもである。久々に師弟水入らずで浸かった風呂は満更でもなかったらしく、またシュアやドゥイの非探索者たちの精神的な負荷も随分と和らいだようだった。

 それに何よりもレティシアとリリララは、それはそれはふやけるほどに長々と二人で風呂に籠もっていた。

 一体どのような会話をしたのかはわからないが、風呂上がりのレティシアは泣き顔をすっかりと洗い流していて、しかし二人揃ってはれぼったい眼差しをしていた。

 レティシアはそれでも洗い髪の湿った色っぽい雰囲気を振りまいて主にベリレを困らせていた。レティシアから全ての哀しみが洗い流されたわけではないが、それでも随分と楽になったのは確かだった。リリララに髪を乾かされている様子は、リリオンに負けず劣らず幼い雰囲気があった。隣ですっかり乾いたリリオンの髪を梳りながら、ランタンはそう思ったのである。

 風呂は良い。

 しかし実際問題、風呂は迷宮ばかりではなく地上ですら嗜好品の類いなのである。

 まして水精結晶があるとは言え水分は重要で、毎日毎日風呂に入るわけではないし、入れるわけでもない。

 大迷宮は攻略に一ヶ月以上かかるだろうと推測される迷宮を指し、探索は二週間の折り返しを迎えた。当初の見立てで、竜系大迷宮の攻略の必要日数は二ヶ月以内だろうと推測されているし、実際の進行も順調に進んでいる。

 行きの休養日は多くてもあと二回、エドガーの予測では最下層まで一週間かからないだろうとの事だ。そして帰りの休養は最低限になるので悠長に風呂に浸かっている暇などはない。

 使うかもわからない湯船をドゥイに引かせる意味はあるのだろうか。それにリリララの魔道を駆使すれば、風呂など掃いて捨てるほどに作り出すことができる。そういったことも地の魔道の利点である。

 が、何故湯船を荷車に改造したかというと何だかんだと皆それを気に入っているというのが一つ。ランタンは言わずもがなで、リリオンはランタンと一度風呂に入り損ねたことがたいそうご立腹のようだった。

 そしてもう一つの理由がある。

 湯船の中に毛布を敷き詰めて、リリララは湯船の底に沈むようにして横たわっている。滑らかな湯船の内側はなんとも居心地がよさそうで、実際に居心地が良い。

 それはつまりこの湯船がそれだけ繊細に作られたことを意味する。そして繊細な作業は地の魔道にとって何よりも魔精の消費を促す要素であり、これを再び作り出せというのは酷というものだった。

 休養日中に武器防具、それに荷車の整備などの諸々を終わらせて、探索者たちは身体を癒し、しかしリリララの疲労は風呂をもってしても一昼夜経っても完全に抜けてはいない。

 枕元に重湯のように魔精薬が用意されている。

「……ランタンも、いっしょに寝るか?」

「もれなくあの子も付いてきますけど」

「どの子?」

 毛布に埋まりながら億劫そうに視線を向けたリリララをランタンが覗き込んでいると、ランタンの背中にのし掛かるようにリリオンも湯船の中を覗き込んだ。二人の影を浴びたリリララは、けれど眩しそうに目を閉じた。

「甘えん坊のこの子だよ、もう重い。重くなったね」

 ランタンは背後に手を伸ばして、旋毛に顎を乗せてくるリリオンの頭を捉えて髪をくしゃくしゃにする。きゃっきゃと笑い声を上げたリリオンの髪が、ざらりと垂れてリリララの頬を擽った。

 白銀の髪を一房手に取り、リリララは意地悪くそれを引っ張る。

「やだ、もうっ。ランタンみたいなことするのね」

「そんな意地悪しないよ」

「もうちっと大きめに造るんだったな」

 リリララは大きな欠伸をして、ぎゃあぎゃあとうるさい二人を追い払った。

 かくして探索は再開する。




 迷宮を下るにつれて竜種は相手にならなくなった。幼竜と言うべきか、出がらしのような竜種は蜥蜴だ蛇だと言うよりは、なんだかもう蚯蚓なのではないかと思わせる貧そうっぷりである。あるいはランタンたちの竜種への慣れも、そう思わせる一因であるのかもしれないが。

 本来迷宮は下るにつれて魔物は強くなるはずなのだが、最終目標による迷宮内の魔精減衰の影響が、ついにこのような強弱の逆転現象を引き起こした。リリララの回復の遅さも、そのせいだろう。

 それに舌打ちをしたのはエドガーである。

「目論見が外れたな」

 とそれは何度目かにもなるこの老探索者が口にした愚痴である。

 若い探索者に竜種との戦闘経験を積ませることをエドガーは考えていたらしい。どうにも過保護が過ぎるところもあるのだが、自らが後方に控えることが多かったのは、ランタンとリリオン、そしてベリレの成長を促すためだというのが大きな理由である。

 だが嬉しい誤算で上層に出現する竜種程度ではランタンやリリオンの相手にはならず、ランタンに触発されたかベリレもエドガーの予想を超えてよくやったそうである。エドガーに褒められて、ベリレは嬉しそうにしている。

 しかし苦戦を予想された下層がこの体たらくである。

 エドガーは予定をあらためて、自らも戦闘に加わり探索者たちの戦闘連携を強化することに方針転換したらしい。

 だがランタンたちだけでも鎧袖一触の竜種相手に、さらにエドガーが加わってしまうとそれも捗るものではない。連携を取るまでもないということは喜ばしいことだが、その状況を作り出している最終目標の存在は、それゆえに連携が必至であることは間違いがなかった。

「しかし、これはヴィクトルが帰らぬのも無理からぬことではあるな」

 言葉はほとんどランタンにしか聞こえないように小さな声だった。エドガーはランタンよりも余程優しい。レティシアの耳には何も届いていないようだった。

「これは余程の難敵だぞ」

「まあ大変」

 脅かすように言ったエドガーにランタンは棒読みに応えた。そのふてぶてしさにエドガーは頼もしそうに笑う。そして一瞬ちらりとレティシアを見て、咳払いを一つこぼした。

「前に言いかけて、言えなかったことがある。これまでの竜種から読み取ったこと」

「ああ」

 レティシアさんが頭を冷やしに席を立った、とはランタンも口にはしない。

「最終目標のことだ。最終目標はヴィクトルと隊長格四名をもって討ち取れなかった相手である」

 エドガーが滔々と語ると、ランタンとリリオン以外がごくりと唾を飲んだ。

「あるいは同じ相手ではないかもしれない。だがこの現状を考えると、脅威がそれを下回ることはないと思われる。決意を固めた早々に水を差すようで悪いが、不安ならば帰還するのも一手であることは確かだ」

 そう言いながらも、聞きながらも探索班の足は止まらず、一定のペースで歩き続ける。

「ねえ、ヴィクトルお兄さんと隊長さんってどんな人たちですか? 強さがわからないと、なんとも」

「でも隊長なんて凄いわ、だってテスさんと同じよ!」

「うわあ、それは強そうだ。帰るか」

「そんなこと思ってないでしょ、もうランタンったら」

 たちまち顔をげんなりさせたランタンと、かんらかんらと笑ったリリオンにふっと張り詰めた場の空気が緩んだ。

「そうだな隊長格は、ネイリング家騎士団一個中隊を任せられる。中隊がおよそ百名前後。それだけの探索者を纏める立場にあるわけだから、戦力だけで階位が決まるわけではないがもれなく甲種探索者だぞ。ちなみに中隊が十二個、それを四つに分けて三個大隊としている。つまりは約千二百名の探索者兼騎士、それの内の上位二十位には入っているな、隊長格は全員」

「ふうん、よくわかんない。っていうかそんだけの軍事力を常時保有するって、ネイリング家ってお金持ちなんですね」

「そうかな?」

「危険がないときは訓練がてらに探索に行かせているからな。食い扶持を自分で稼いでくれるから、それほど飼うのは大変じゃないぞ」

 レティシアはぴんときていないようで、代わりにエドガーが答えた。

「金銭的にはそうですが。ですが隊員間で揉め事は絶えませんから、隊長たちは大変ですよ。シュアが胃薬の在庫管理に胃を痛めていますよ」

 レティシアは真面目な顔で言って、ランタンにはそれが冗談なのか本気なのかわからない。取り敢えず曖昧に微笑んで、小首を傾げておいた。

「単独でも普通の竜種程度ならわけなく圧倒できるだろう。最終目標もものによっては単独撃破可能だろうが……、このあたりは経験の差でランタンが上回るかな」

 つまり特殊な経験を抜きにすると、戦力はランタンと同等かそれ以上と言うことなのだろうか。もっとも戦闘に最も大切なのは、その経験の差でもあるのだが。ランタンは再び、ふうん、と少しばかり面白く無さそうに呟いた。

「じゃあヴィクトルお兄さんは?」

 ランタンはあえてはっきりとレティシアに聞いた。

「お前ちょっとは気を使えよ」

 すると毛布の中に沈んでいたリリララが、いつも何か湯船の縁から顔を覗かせて妙に良く通る声で呟いた。リリララは大人しく寝ているものだと思っていたので、ランタンはびっくりして肩を振るわせ、レティシアは苦笑をこぼしなら、まあまあ、とひょっこりと立ち上がった兎の耳を宥めた。

 振り返った顔つきは、血の気が戻っている。ランタンとリリオンがその様子に笑いかけると、リリララは心配掛けたとでも言いたげに肩を竦める。そして赤錆の瞳でレティシアを遠慮がちに窺った。

 ヴィクトルを失った痛みは、決して消えぬものだろう。しかしそれを後生大事に胸に秘めると、この貴族のお姫様はまだぐだぐだと落ち込むのではないかと思う。笑い飛ばせとは言わないが、昨日の今日で気持ちの上向いている今、それを口にすることは難しくはないだろう。

「兄は強かったよ。隊長たちでも比肩するものなし、と言えるほどに。相性の関係で苦戦することはあってもね」

 その脇ではベリレが腕組みをして誇らしげな顔つきで頷いている。まったく強さがわからない。ランタンは唇を曲げて、そういえば、と大熊に尋ねる。

「ベリレはお兄さんに、構ってもらってたんでしょ? 感想は? おじいさまと比べてどう?」

「……比べられはしない。どちらも尊敬すべき、目指すべき人だった」

 そう言ったベリレにレティシアが相好を崩した。ランタンはますます唇を曲げた。強さというものは口で説明できるものではないが、幾ら何でも酷いと思う。

「ありがとう。ふふ、ベリレこそ兄さまと兄弟のようだったよ。ベリレほど大きくはないが、兄もがっしりとして頼もしい感じで。二人並ぶと壮観だったな」

「お兄ちゃんは、レティシアさんには似てないの?」

 ふとリリオンが無邪気に尋ねた。

「似ていなかった。顔は、どうだろうな。私は優しそうに思えるが――」

「ごつい老け顔だ。むさ苦しい」

「――リリララにはそう見えるみたいだな。しかし老け顔だなんて、大人びて見えるだけだよ。ベリレもそうだな、ますます兄に似てきたんじゃないか?」

「へえ、じゃあベリレもリリララさんの好みの顔なのかな?」

 ランタンは振り返ってベリレの凜々しい顔つきを見つめた。

 ランタンの瞳よりも濃い焦茶色の髪に、丸い熊耳。眉が濃く、彫りが深く、唇が少し厚くて口が大きい。リリララに背を背けていることをいいことに、さも嫌そうに唇を歪めている。

「ざっけんな!」

「……なんだよ」

 しかしリリララが怒鳴ると、拗ねたように呟く。

「あたしは別に顔に惚れたわけじゃねえし、そもそも惚れてねえよ。感謝と尊敬だ!」

「ふうん、残念だねえ。ベリレ」

「うるさいっ、別に残念じゃない」

 ランタンが慰めるように手を伸ばすと、ベリレは半ば本気でその手を叩き落とした。ランタンが大げさにその手を振って歩くと、リリオンが手を伸ばしてランタンの腕を掴まえる。叩かれてじんと痺れる手は熱を持っていて、リリオンの手をひんやりと感じた。

「で、ベリレとリリララさんの尊敬を一身に集めるぐらいだから、よっぽどお強かったんですよね。レティシアさんみたいに魔道を使ったりしますか?」

「嗜み程度だな。やろうと思えばやれただろうが、それよりも肉体の強化を好まれたな。ベリレほどの巨体で風のように突き進む兄を止められる者などなかったよ」

「大将が前衛か。なんというか……」

「ランタンみたいね」

「それはどういう意味かな?」

 ランタンはリリオンの手をぽいっと放り投げようとしたが、事前に察知したリリオンはぎゅっと指を絡めて放さなかった。そんな二人を横目に見ながらレティシアはぽつりと呟く。

「負かせるのはエドガー様ぐらいのものだったか」

「あ、そこはやっぱり越えられませんか」

「まあ稽古でなら、何本か取られたことはある。身体の使い方が獣じみて上手かったな。まさに体格の良いランタンと言ったところか。あれも普通の相手なら人だろうと魔物だろうとまず負けないだろうな」

「へえ、おじいさまから。それは凄い。でも実戦なら?」

「――負けるかよ」

「ですよね」

 負けず嫌いの探索者の血がうずいたのか、エドガーはランタンの疑問を一言で斬って捨てた。

「単体で()()()な竜種を圧倒できる人間五人か。でもそれなら現状と大差有りませんよね。人数的には一人多いし。全員、とりあえず竜種は一人で狩れますし。まあ尻尾巻いて逃げ帰るのは、姿を見てからでも遅くはないと思いますよ。僕は行くからには最終目標を()りたいですけど」

「わたしも!」

 ランタンが平然と言ってリリオンがそれに追従した。だがエドガーも含めて皆なにやら難しい顔をしている。

 それは帰らぬ者たちの武勇を身を以て知っているからだろう。その差異が、ランタンとリリオンの二人と彼らを隔てる壁でもある。

「お前はヴィクトル様の強さを知らないから、そんな風に言えるんだ」

「そうかもね。でもじゃあどうする? 逃げ帰る?」

「……そんなことは言ってないだろ」

 ベリレが呻くように呟く。

「だがヴィクトル様を負かせたのはエドガー様ただ一人だ」

 それとこの奥にいる魔物もね、とランタンは霧の奥深くに住み着くその生き物に思いを馳せた。その生き物の戦った男たちのことを。

「だから」

「だから、なに」

「なにって、お前」

「おじいさまは実戦ならヴィクトルさんに負ける気はしないんですよね」

「ああ」

「じゃあ僕とは?」

 ランタンが尋ねるとエドガーは答えなかった。

「僕は負ける気はないよ。たとえおじいさまであっても」

 ランタンははっきりと言い放って、戦鎚をくるりと回した。

 稽古を付けてもらった、その場で勝てる気はしない。

 だが命の取り合いなら絶対に勝てるとは言わないが、負ける気もない。

 それがランタンの偽らざる気持ちだった。

 何せランタンは寝ても覚めても命の取り合いをしてきたのだ。

 膨大なるエドガーの経験にははっきりと劣るのだが、それでも未知の魔物、格上の魔物に立ち向かった経験はそこいらの探索者では相手にならない。何せ大抵の探索者はランタンのような無謀を積み重ねる間もなく死んでしまうのだから。

 湯に磨かれたランタンの身体は探索者とは思えぬほどに滑らかだ。古傷の一つもなく、まるでそれが売りの女のようで、だがその肉体に刻まれた数えきれぬ痛みの記憶はありありと思い出せる。痛みは生きている証拠だ。

 死地にあって命を繋ぐことこそがランタンの本分とも言えた。そして探索においては生きてる限り負けじゃない。

 血と汗で購ったランタンの探索者としての資質はエドガーを黙らせるに足るものであったらしい。

「大戦力のおじいさまでしょ? それに僕――」

 ランタンは平然として言う。

「そんな僕を助けてくれるこの子もいるし。いざとなったら、ほら」

 ランタンはレティシアの腕に触れた。

「全部、一人で終わらせてくれるらしいお姉さんがいますからね」

「もう、ランタン意地悪言わないの」

 レティシアの顔を覗き込んだランタンを窘めるように、リリオンは外套を引っ張って小さな身体を抱きかかえた。

「頼りにしてますよ」

 ランタンは微笑み、レティシアは真剣な顔で頷いた。

「勝てないかもしれない。だからって逃げてたら探索者なんてやってられないよ」

 エドガーは核心を突かれたようにはっとして、呆気に取られたような自嘲をこぼした。

「おろせ」

「やだ」

 まるで遠い過去に先輩探索者に教えられたことを、少女に抱っこされるまったく探索者に見えない子供に教えられたように。


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