深淵
やっとリディア登場。
自分の心が分からない。
いままでもらったあの人からの言葉の数々が胸を締め付ける。
でも私はたぶん一生、「彼」を、心の片割れを忘れることはできないから。
だから、傷つける前にあの人から離れなければ、なのに・・・。
どうしてあなたはこんな私を守ろうとしてくれるのですか?
私はあの人の優しさに甘えてる。分かってる。
でもなら、どうして離れることができないんだろう・・・。
リディアは朝起きてすぐにソファに座り一人考えていた。
「いままで」のこと、「これから」のこと。
そして自分の心も。
(分からない)
胸が苦しかった。
ここはアシュレーの家。ワグナー家の領は王都から少し離れたところにあるが、ここはワグナー家が王都に所有する、別宅だ。そのため、王都で近衛騎士をしているアシュレーとその使用人しか、この家にはすんでいない。
今リディアはアシュレーの館に世話になっていた。
アシュレーは今頃、もしかしたらシュバルツにもうあっているのだろうか。
そう思うとリディアの心は悲鳴を上げる。
きっとアシュレーはあのことを言うのだろう。
シュバルツは一体どう思っただろうか。
わたしは今二人共にひどいことをしている。
まだ、忘れられない人がいるのにアシュレーと婚約した。
シュバルツにあわなくて良いようにアシュレーを利用した。
胸が痛むと同時に、リディアは安堵していた。
これで、今すぐにシュバルツにあわなくても良くなった。
しかしいずれはあわなければならなくなるだろう。
だからこれは単なるリディアの悪あがきに過ぎない。
でもリディアは恐ろしかったのだ。
6年かけてやっと封じ込めた思いが、シュバルツにあうことで開かれそうで。
(やっと、忘れることができそうだったのに)
嘘だ。
シュバルツのことを「愛して」しまった日から、シュバルツのことを忘れた日など一日もない。
あの日、両親が亡くなりリディアにはシュバルツしかいなくなった。
あの日から、リディアの恋は始まったのだ。
いちばん驚いたのは自分。
いちばん嫌悪したのは自分。
だってリディアとシュバルツは正真正銘、双子の兄妹なのだから。
そしてシュバルツも・・・そう思っていた。あの「別れの日」がくるまでは。
別れの日、シュバルツはリディアを一人おいていった。
シュバルツだけは、両親が亡くなってシュバルツだけは、ずっと一緒にいられると思っていたのに。
そしてリディアは大きな勘違いに気づく。
リディアが勝手にシュバルツもと思っていただけで、事実は違うことを。
シュバルツにとってリディアはただの「妹」でしかない。
なんと馬鹿だったのだろう。なんでありもしないことを夢見ていたのだろう。
自分は一人だ。
もう、自分を守ってくれる人はどこにもいない。
優しくほほえんでくれた両親やシュバルツさえ、もうここにはいないのだ。
リディアは一人暗く冷たい世界に落とされた。
自分で、一人で生きていけるようにならなくちゃ。
自分のことは、自分で守れるようにならなくちゃ。
もう誰も、自分を助けてくれる人はいないのだから。
そうしてリディアは一人剣を取った。
もう誰も失いたくない。自分も、大切な友達も、失いたくないならば。
自分が、強くなれ。
でも現実は、あまくはなかった。
リディアは今も、ミリアによって、アシュレーによって守られている。
それがたまらなく心苦しい。
自分に守ってもらう価値なんてない。
自分はなんて無力で卑怯なのだろう。
リディアは自分が許せない。憎い。
馬鹿な勘違いをした自分も、6年たった今でも変わらず無力な自分もたまらなく憎く、許せなくて。
そしてこうやってうじうじと悩んでる自分も、嫌い。
ミリアみたいになりたかった。明るくて、だれからの好かれて。そして何よりも、ミリアには周りを動かす力がある。
それが何よりもうらやましかった。
そんなことを考えていたら、知らず知らずの間に手を力一杯握りしめていたらしい。
そっと、誰かに手を包まれて、リディアは顔を上げる。
そこには、彼女を心底心配そうに見つめる彼の姿があった。
いつも、なにがあってもリディアを守ってくれた存在。
でもリディアは彼に何も返してあげることはできない。
だから。
(私から逃げて、アシュレー)
リディアの頬を一筋の雫が伝った
<第八話、終>