婚約破棄された夜、冷酷公爵は私だけを離さない
夜会の空気が、一瞬で凍った。
「エレノア・フォン・リスティア!! お前との婚約を破棄する!!」
高らかに叫んだのは、王太子アルベルト。
シャンデリアの灯りが揺れる中、貴族達のざわめきが広がっていく。
私は静かに扇を閉じた。
「……理由を伺っても?」
「理由など決まっている!! お前は冷酷で、愛情もない女だからだ!!」
はぁ?
いや、待ちなさいよ。
どの口が言ってるの、この男。
私は笑いそうになる口元を必死に抑えた。
だって、つい昨日まで王都の高級宿で、子爵令嬢ミレイユと抱き合っていたのを知っているから。
しかも、隠す気ゼロ。
従者まで呆れてたわよ。
「アルベルト様ぁ……エレノア様みたいな怖い女じゃなくて、わたしみたいな可愛い女の子の方がいいですもんねぇ?」
甘ったるい声を出しながら、ミレイユが王太子の腕にしがみつく。
うわ、見てるだけで頭痛がする。
「そうだ!! 私は真実の愛を見つけたのだ!!」
真実の愛。
便利な言葉ねぇ。
不倫の免罪符にでもなると思ってるのかしら。
「……承知しました」
「なっ?」
私が即答すると、逆にアルベルトが固まった。
なんで驚いてるのよ。
「婚約破棄を受け入れます」
「ま、待て!! もっとこう……泣くとか!!」
「なぜ?」
「えっ」
いや本当に、なぜ?
困惑している王太子を見て、周囲も微妙な顔になっている。
そりゃそうだ。
誰がどう見ても浮気した側が悪い。
「ただし」
私はゆっくりと顔を上げた。
「王家より贈られた宝飾品、土地、契約書類、全て返還していただきます」
「なっ……!?」
「あと、私の名誉を傷付けた件についても正式に抗議いたします。証人は十分おりますので」
アルベルトの顔色が真っ青になった。
そう。
私は最初から知っていた。
この男が馬鹿だってことも。
ミレイユが金と地位しか見ていないことも。
全部。
全部知っていて、ただ耐えていただけ。
リスティア侯爵家のために。
でも――もう終わり。
「では、ごきげんよう」
踵を返した瞬間。
「――随分と面白いものを見せてもらった」
低い声。
空気が変わる。
貴族達が一斉に道を開けた。
そこにいたのは、黒髪の男。
氷の公爵。
レオンハルト・ヴァルディア。
戦場では“黒氷”と呼ばれる英雄だった。
「レオンハルト公爵……」
「王太子殿下。随分と醜悪な茶番でしたね」
「き、貴様!!」
アルベルトが怒鳴る。
でもレオンハルトは気にした様子もない。
ただ、まっすぐ私を見た。
「エレノア嬢」
「はい」
「あなた、行く場所は?」
「……ありませんわね」
実家は王家との関係を優先するだろう。
私は既に切り捨てられた後だ。
「なら、来ますか」
「……どこへ?」
「私の屋敷へ」
ざわり、と会場が揺れた。
え。
ちょっと待って。
「私が保護しましょう」
いやいやいや。
何を言ってるのこの人。
でもレオンハルトは真顔だった。
「ちょうど、妻を探していた」
さらっと爆弾を投げるな。
「……公爵様」
「嫌ですか?」
その瞬間。
なぜか少しだけ、不安そうな顔をした。
氷の公爵が。
それを見た瞬間、私は吹き出しそうになった。
「ふふっ」
「……?」
「いいえ。嫌ではありません」
むしろ。
王太子なんかより、ずっとまともそうだ。
◇
「なんでぇ!? なんであの女が公爵様に気に入られるのよぉ!!」
翌日。
王都中に噂が広がった。
婚約破棄された令嬢が、公爵に溺愛されている――と。
ミレイユは発狂していた。
「アルベルト様!! なんとかしてください!!」
「う、うむ……」
だが王太子も余裕がない。
なぜなら。
「王太子殿下」
冷たい声が響く。
レオンハルトだった。
「不貞の証拠を陛下へ提出しました」
「……は?」
「加えて、横領、賄賂、軍費流用についても」
空気が凍る。
アルベルトの膝が崩れ落ちた。
「な、なんでそれを……」
「あなた、舐めすぎなんですよ」
静かな声。
でも、そこにある怒気は本物だった。
「エレノア嬢を傷付けた時点で、私はあなたを許す気はありません」
その言葉に、私は目を見開いた。
レオンハルトは私の前では穏やかだった。
けれど今の彼は違う。
完全に敵を見る目だった。
「ひっ……」
ミレイユが怯える。
「あと、あなた」
「えっ」
「エレノア嬢のドレスを盗んで売りましたね?」
「な、なんで!?」
「調べました」
終わった。
ミレイユの人生が終わった音がした。
◇
「……公爵様」
「なんです?」
「やりすぎでは?」
「全然」
即答だった。
怖い。
この人、敵に回しちゃいけないタイプだ。
でも。
「あなたは優しすぎます」
「え?」
「本来なら、もっと怒っていい」
レオンハルトが私の髪を撫でる。
大きな手。
熱が伝わる。
「あなたはずっと耐えてきた」
「……」
「だから今度は、私が守ります」
心臓が跳ねた。
ああもう。
なんなの、この人。
反則でしょう。
「……公爵様」
「レオンでいい」
「じゃあ、レオン様」
「うん」
「私はそんなに可愛げのある女ではありませんよ?」
「知っています」
にっこり笑われた。
「そこが好きだ」
無理。
勝てない。
◇
数日後。
アルベルトは王太子の地位を剥奪された。
ミレイユも社交界から追放。
全て終わった。
「後悔してるか?」
庭園で、レオンが聞いてくる。
「何をです?」
「王太子を捨てたこと」
私は少しだけ考えて。
笑った。
「まさか」
風が花を揺らす。
「むしろ感謝しています」
「感謝?」
「婚約破棄されたから、あなたに会えたので」
一瞬。
レオンが固まった。
その後、耳まで真っ赤になる。
あ。
この人、照れるんだ。
「……反則だな」
「どちらがです?」
「全部だ」
そう言って、彼は私を抱き寄せた。
強く。
逃がさないみたいに。
「エレノア」
「はい」
「愛している」
その言葉は、驚くほど真っ直ぐだった。
もう二度と。
偽物の愛なんていらない。
私は彼の胸に額を預け、小さく笑った。
「私もです、レオン様」
夕暮れの庭園で。
ようやく私は、幸せになれた。




