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三話 魔女、誕生

 東宮の女官や宦官たちからの視線も冷ややかだった。玉蟲ユーチォンは廊下の隅をとぼとぼと歩く。でも、足取りとは逆に心はほくほくと暖かかった。


 輝海フゥハイからもらった菓子の存在だ。あとで小蟻シャオイーにあげることを考えると心が弾む。


 「まぁ、毒蟲だわ。祟りで蝗害を起こすなんて…死してなお迷惑な一族だわ」


 「確か、ズー一族は先帝陛下に呪詛を行って謀叛の罪に問われたとか…」


 「私は占いで宮廷を乱したと聞きましたよ」


 女官たちの笑い声が、玉蟲に突き刺さる。蝗害なんて操れるものじゃない。巫覡の一族という肩書が大袈裟に一人歩きしているに過ぎない。会ったことはないけれど、自分の家族が悪様に言われるのは、気分の良いものではなかった。


 聞こえないふりを続けようとした時、扉が開いた。輝海の部屋からだ。女官や宦官たちは一斉に頭を下げるので、玉蟲もそれに倣う。


 「皇太子殿下、お部屋から出てくるとは…。何かご用でしょうか」


 近くにいた宦官が笑みを浮かべながら尋ねる。先程まで玉蟲を虫けら同然に見ていた瞳とは大違いだ。


 「お水が欲しくて」


 「飲み水でございますね。それでは鍾乳石や玉から垂れた貴重な水をご用意いたします」


 貴重な石などから垂れた水は健康に良いとされた。輝海の飲み水は贅沢なことに、全て鍾乳石などを流れた水を使っている。地下水脈から湧き上がる井戸水でも、雨水を溜めたものでもない。


 「あと、僕はね。朱一族は毒蟲だったかもしれないけど、使い方を誤らなければ益虫にもなったと思うんだ」


 輝海の言葉に女官たちの顔が青ざめる。聞かれていたのだと悟ったのだろう。「それじゃ、お水よろしく」と輝海は微笑んで部屋に引っ込んだ。


 女官たちは玉蟲を見て、小さく呟いた。


 「皇太子殿下に庇ってもらって…奴婢のくせに」


 玉蟲にしか聞こえないくらいの囁くような声だ。玉蟲はさっさとこの場を離れた方がいいと判断して、歩みを早める。外苑に出て、門まで後少しというところまで来た時、宮の方から女の甲高い悲鳴が聞こえた。


 「何?」


 もしかして、輝海が倒れたのではないかと、玉蟲は足を逆方向へ向けた。輝海は無理して歩き回ると、熱を出してよく倒れた。以前、人気のない書庫で書物を読み漁っていた時に倒れたことがあって、しばらく誰も気づかなかったことがあった。


 それからは、誰かが輝海の近くに必ずいるようにと皇帝から厳命されている。


 「輝海様!」


 玉蟲は慌てて宮に引き返す。しかし、悲鳴が聞こえたのは輝海の部屋からではなく、女官たちが休む小部屋からだった。東宮の中苑の竹林の中には東宮付きの女官たちが住う宿舎がひっそりとある。そこに人が集まっていた。


 「星星シンシン! 星星!」


 一人の女官が床に倒れている女官を揺さぶっている。倒れている女官の名前は星星というのだろう。目を開いて苦悶の表情で亡くなっている。


 「私は医者です。退いてください!」


 玉蟲は人混みをかき分けながら、死体に近づく。星星の名前を呼んでいた女官が、玉蟲の顔を見て「毒蟲…」と怯えた。


 「蟲の近くに死骸あり。まるで死を運んできたようだな」


 宦官が玉蟲を見ながら怯え半分と嘲笑半分の歪んだ笑みを向けた。玉蟲は星星の手を取り脈を見る。全く反応がない。肌は青白く蝋のようで生きた人間のものではない。


 「…亡くなっています」


 玉蟲がそう告げると、星星の名前を呼んでいた女官が泣き叫んだ。


 「あんなに健康だったのに。どうして…!」


 突発的な発作による病死のようにも見える。玉蟲は箸を使って産みつけられた蝿の卵を摘んだ。


 「見つけました! 蝿の卵ちゃんです。死後数時間から一日で蝿は産卵します。どなたか、この方を最後に見た方はいらっしゃいませんか?」


 玉蟲が野次馬たちを見渡すと、おずおずと女官が手を挙げた。


 「昨日の夜に見たわ。たしか、戌の刻だったかと…」


 「わかりました。この方は夜中から朝方にかけて亡くなられたのですね」


 玉蟲の言葉に星星とずっと呼びかけていた女官が涙ながらに事情を説明する。なかなか朝になっても起きてこないので、声をかけたが返事はなく、一度は諦めて仕事についたものの、やはり気掛かりでもう一度起こしに来たのだという。


 「そうしたら、亡くなられていた…と」


 「昨日はあんなに元気だったのに。病気なんてする子じゃありません」


 玉蟲はあらためて星星の亡骸を見た。突発的な心臓発作の場合、胸を掻きむしるようにして亡くなっていることが多いのだが、星星は手足を伸ばしたまま亡くなっている。まるで寝台で眠りについた時のままのようだ。


 玉蟲は誰も現場に触らないように忠告し、自分の部屋から蜚蠊ゴキブリを持ってきた。そして部屋に放つ。


 「ひぃぃ! 何をするんだ」


 見物に来ていた者たちは一様に悲鳴をあげて、女官の中には気絶する者もいた。蓬莱ポンライほどに肝が小さいらしい。


 「蜚蠊ちゃんたち。わずかな違和感を探しておくれ」


 蜚蠊は金属や鉱物臭に反応する性質がある。 湿った鉄・酸化金属のある場所を好む種ももちろん玉蟲は飼っている。


 蜚蠊たちは一ヶ所に集まった。何の変哲もない床であるが、そこだけ拭き清められたかのように綺麗だ。血がついていた可能性がある。


 玉蟲は蟻たちを連れてきて、菓子を砕き、蟻に食べさせる。蟻を死体の上に放つと頭の上に登っていく。蟻は糖や蛋白質に反応する。蟻たちは星星の結われた髪の中へと消えていった。


 玉蟲は頭上に結えられた髪を解くと、百会穴付近に鉄針が刺さっていた。熱されて金槌が何かで強く押し込まれたのだろう。それが頭蓋骨にまで達していた。


 「蟻が集まるのは頭だ。ここから、甘い匂いが漏れている」


 それは頭部から漏れる脳脊髄液と腐敗臭だろう。星星は突然死したのではない。殺されたのだ。部屋の卓の湯呑み茶碗の底に残っていた茶葉から、麻酔に使われる細辛の精油が香った。細辛の地上部分は毒だが根は薬になる。根から抽出した精油を使うと体の一部が痛みを感じなくなる。


 「細辛の精油を茶に混ぜられて、星星は痛みを感じなかった。だから、悲鳴をあげることができなかった。眠っている時に襲われて…気づいた時には死んでいたんだ」


 玉蟲の言葉に、皆が固まる。皆がこれは悲鳴なき殺人であると気づいたのだろう。そして先程まで蟲に対する恐怖の目だったが、疑惑の目になっていった。


 「東宮に勤めるものたちを全員集めてください」


 そうは言ったものの、玉蟲には今この場にいる野次馬たちの中に犯人がいると思っていた。なぜなら、犯人は現場に帰ってくるから。犯人は飛び散ったわずかな血痕を綺麗に拭き取った。


 人間の目にはこれで誤魔化せただろう。しかし、血の臭いを嗅ぎ分ける蟲がいたなんて思いもしなかっただろう。昨夜から朝方にかけて、輝海のそばに付いていなかった者たち全員に犯行の機会がある。


 集められた人々に向かって、玉蟲はハエを放った。突然、蟲をけしかけられて、特に女官を中心に悲鳴が上がる。しかし、蝿は一直線に一人の宦官の元へ集まった。「蟲の近くに死骸あり。まるで死を運んできたようだな」と言った者だ。


 「血は拭えても、匂いは染みる。その余韻を、彼らは嗅ぎ分ける」


 蝿は血液や体液を高感度で検知し、人間が気づかない微量の血痕でも誘引される。玉蟲は蝿が集った宦官に向けて、にやりと笑った。


 「血を洗い流したはずなのに、残念でしたね」


 その様子を見た誰かがぽつりとつぶやいた。


 「魔女だ…」


 まるで蟲を操る魔女だと皆が思っただろう。蟲を操れるのならば、蝗害を巻き起こすことも可能なのではないか。皆の胸の中に生まれた疑惑を、玉蟲だけが知らない。




***



 犯人であった宦官、フェイは星星の恋人だった。後宮で流行っている闘蟋で多額の借金を背負い、星星がいつか後宮勤めの年季が明けたら慎ましやかな家を買おうと貯めていた給料を使い込んだ。


 彼らは宦官と女官で菜戸さいこという夫婦関係だった。星星は慧もまた、家を買う資金のために必死に働いていると思ったのにまさか闘蟋で借金を負っているなんて知らなかった。


 星星は慧に別れを告げ、慧も一旦は引き下がったが、まだあの女は金を貯めているはずだ…という思いと恨みが合わさり、今回の悲鳴なき殺人を思いついた。


 「闘蟋のせいで、殺人って。闘蟋の火付け役は玉蟲でしょ。何か思うことないの?」


 小蟻シャオイーが壁にもたれながら話しかける。玉蟲は今日も、蟋蟀コオロギの厳選をしていた。


 「私は蟋蟀の血統を厳選してるだけ。勝手に盛り上がってるのは、賭博をしている人たちだから」


 玉蟲は交配表の続きを書いている。小蟻へのお土産の菓子を蟻にやってしまったことを謝ると「そういうことじゃないよ」と呆れられた。


 「玉蟲、今あんたね、白衣の魔女って呼ばれてるのよ」


 小蟻がため息を吐いた。


 「どうせなら、白衣の医女って呼ばれたかったなぁ」


 頬杖をついて、玉蟲はそう溢した。


 「…でも、蟻を使って事件を解決したんでしょ。私、何だか自分の名前が誇らしくなったよ」


 小蟻は呆れながらも笑った。毒蟲にも益虫にもなる。その言葉が、どれだけ玉蟲を救ったか。小蟻も自分の名前が好きになってくれてよかった。だって、蟻は踏み潰される存在じゃなくて、こんなにも可愛いのだから。

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