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二話 女医、玉蟲

 菊花茶で肌のきめを整え、真珠粉を肌に塗りひまし油でまつ毛と眉毛に艶を出す。植物から出した色素を手巾につけて頬と唇に血色を出す。頭には摘んだばかりの生花を差す。


 磨かれた銅鏡を覗き込みながら、芙蓉フーロンは微笑んだ。


 「やっぱり美容も玉蟲ユーチォンにお願いしてよかったわ」


 内側から発光するような白樺の精のような白さ。それでいて水蜜桃のように頬は血色があり、艶がある。皇后、芙蓉は美容のための鍼を玉蟲に頼んでいる。


 化粧水を染み込ませた美人膜パックも、芙蓉のお気に入りだった。


 「皇后様のお気に召してよかったです」


 玉蟲は鍼を鞄にしまいながら微笑んだ。玉蟲は紅脚艾ホンジャオアイと言うヨモギの一種を使い灸治する。鍼灸療法を主にしている。


 「そうだ、玉蟲。輝海フゥハイのところにも寄って行ってちょうだい。あなたに会いたがっていたから」


 玉蟲は「わかりました」と頭を下げると房室へやを出た。女官たちが玉蟲を見ながら、ひそひそと話す。


 「奴婢のくせして、皇后陛下に気に入られて…」


 「本当なら、ここ鳳凰宮ほうおうぐうの敷居を跨ぐことすら許されないのに」


 皇后の身の回りに侍るのは良家の娘たちだ。宮仕えとして経験を積む、花嫁就業の一環のようなものらしい。彼女たちは皇后付きを示す、小ぶりな牡丹の造花を一輪ずつ頭につけている。

 

 華やかな牡丹、その生花は皇后しか身につけてはいけぬ決まりであり、金の簪と鳳凰の髪飾り、そして牡丹。それは皇后の権力を表していた。


 といっても、当の皇后、芙蓉はあまり大ぶりな花を好まず、小さな花をいくつも散らして頭に飾るような装いを好む。


 玉蟲は女官たちの陰口を聞こえないふりをした。そういったやっかみには慣れている。皇后や輝海のお付きの女医をしていれば嫉妬されることも多い。


 以前、部屋に肥溜めから持ってきたのであろう堆肥をぶちまけられたことがあったのだが、蟲にとっては最高の環境になった。小蟻シャオイーが異臭に気づき、悲鳴をあげて玉蟲を風呂に入れ、蓬莱ポンライは部屋の状況を見て気絶した。


 「いっぱい卵が産みつけられてて、よかったのになぁ」


 玉蟲は堆肥ぶち撒け事件を思い出しながら呟いた。流石に臭いまま皇后や皇太子の治療にあたることはできないので、部屋は掃除して玉蟲は体を消毒した。


 でも、もし許されるのならば玉蟲は本当に蟲のように生きたい。誰にも疎まれることなく、自由に。蛹にくるまって眠り、羽化したい。しかし、後宮に生きる官婢としてそれは許されない。


 「どうせなら、同じ奴婢でも外に出してくれたらよかったのに」


 官婢は皇帝の持ち物だ。先帝は玉蟲を奴婢として生かす条件として、自分の目の届く場所に置くことにしたのだ。


 回廊を歩き、外に出て朱色の橋を渡る。輝海が住むのは東側、東宮とうぐうと呼ばれる場所だ。さながら黄金の雲が浮いているかのように、屋根が続く。石畳を叩くようにして歩きながら、玉蟲は東宮にたどり着いた。


 正殿では、窓辺に几を動かして庭を眺めながら輝海が詩を誦じていた。寝台から起き上がれているので、今日は体調がいい日らしい。


 「輝海様、定期診察のお時間です」


 窓に向いていた視線が、玉蟲の方へ向いた。


 「もう、そんな時間か」


 輝海の顔色は悪くはなかった。ただ日に当たらないせいでそこらの美姫より肌が白い。芙蓉が真珠の粉の白粉を薄く重ねて、白さを保っているのに、輝海はそれすらいらないくらいだ。


 昔、玉蟲は輝海の肌の白さを白磁のようと褒めたことがある。しかし、輝海は「女の子に対する褒め方みたいで嫌だ」とむくれたのだ。可愛い弟を揶揄っているみたいで、玉蟲は楽しかった。今思えば幼い頃の玉蟲は命知らずとも言えるほど身分に無頓着だった。


 それもこれも、皇帝と皇后、そして輝海が寛大だったからだ。


 「お土産です」


 そう言って玉蟲は自身が調香した蚊取りの香と、季節の花を差し出した。外にあまり出られない輝海には、外に咲いている野花をお土産にしていた。本当はもっと綺麗な花をあげたいのだが、玉蟲には庭園の花を摘む許可がない。


 だから、石畳の隙間に生えた雑草とも言える名もなき花を贈る。輝海は玉蟲も照れるほどに喜び、野の花には不相応とも言えるほどの玻璃の花瓶にいけるのだ。


 「玉蟲にもお土産だよ。ほら、食べて」


 輝海は花を受け取りながら、嬉しそうな笑みを浮かべて几の上にある菓子を差し出した。花の形をした小麦粉を練った麵麭パン曲奇餅クッキーの間のような菓子で、蜂蜜と生姜と肉桂シナモンを混ぜた液体シロップに漬けられている。


 油で揚げているから、外側はさくっとした食感だが、中からは蜂蜜が溶け出してしっとりしている。じゅわっと喉が焼けるような甘味が広がる。 

 

 「小蟻にもあげたいな…。持って帰ってもいいですか?」


 玉蟲の言葉に、輝海は頷き紙で包んで持ち帰れるようにしてくれた。奴婢が甘いものにありつけるのは稀だ。寛大な主人のおこぼれくらいしかない。


 玉蟲は輝海の顔色を見て、脈を見て、舌を見て…と一通りの診察を終え常備薬を補充した。輝海の生まれながらの虚弱体質を改善するのは、玉蟲の煎じた薬でないと効果がない。否、他の典医たちが同じ材料を煎じても効果は一緒なのだろうが、輝海が飲みたがらない。


 「やっぱり玉蟲の薬が一番効くよ」


 幼いころから、薬を飲み続けなければふせってしまう輝海に玉蟲は飲みやすいように花の蜜を加えた丸薬や、温めた羊の乳などを用いた。それから、輝海は「自分の主治医は玉蟲だ」と言うようになってしまった。


 「私は薬を煎じる時に、愛情を込めてますからね」


 玉蟲は茶目っけたっぷりにおどけて見せた。輝海が冗談だと笑ってくれると思った。


 「玉蟲の薬が特別なのは、愛情だったんだね」


 笑い飛ばしてくれると思ったのに、輝海は神妙に頷いた。納得しているようだ。


 「今のは、笑うところですよー」


 うけると思った冗談が不発だったので玉蟲は照れが襲ってきた。


 「本当に玉蟲は僕を気遣ってくれるってわかるんだ。蚊取りの香や四季折々の植物を、持ってきてくれる。僕はこれで季節を感じることができるんだ。ほら、昔に蛍を持ってきてくれたことがあっただろう」


 輝海は懐かしそうに目を細めた。ある夏の日に、玉蟲は洗濯池などの水場から蛍を大量に乱獲して、輝海の部屋に放った。夜の薄暗い部屋に輝く蛍たちはまるで星空のようだった。


 少しの間、蛍の幻想的な風景を楽しんだ後、輝海は蛍は水辺でないと生きられないから帰してやってほしいと頼んだ。玉蟲は出来るだけ全てを回収して水辺に帰したが、取りこぼした数匹が、翌日死骸となって見つかり女官に大層怒られた。


 「嬉しかった。いつか、本当に群生している蛍を見にいきたいんだ。あと、海も見てみたい」


 窓の外で揺れる木の葉が擦れる音が聞こえる。輝海は宮からあまり出られない。都には大きなかわはあるが海はない。輝海は自分の名前についた海という字の由来を気にしている。いつか見てみたいと思うほどに。


 「いつか…見れるよ。だから、少しは外に出て外気と日光に当たること。私はね、太極拳で健康を保ってます!」


 玉蟲は笑顔でそう言うて、体を円を描くように動かした。輝海は眩しいものを見るように笑った。


 「一緒に見よう」


 輝海の何気ない一言が、玉蟲に重くのしかかった。身分の差を超えることはできない。こんなに近くにいても、玉蟲と輝海の間には巨大な壁が聳えている。でも、輝海の願いを叶えてやりたいと思った。


 壁がなんだ。壁があるなら、あまりの美味しそうな香りに修行僧ですらお寺の塀を飛び越えて来ると言われる佛跳牆ぶっちょうしょうというスープでも作って飛び越えればいい。玉蟲は希望を持つように能天気にそう思った。

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