レモンティーはおとなの味
「それじゃあ、3人ともいい子にしてるのよ」
「夕方には、帰ってくるからな」
そう言って、ママとパパは出かけていった。今日は、ママとパパの結婚記念日。ママたちは、2人っきりで町にあそびにでかけるのだ。
おるすばんをするのは、はるき、まや、もえはの3人きょうだい。はるきは3年生で、まやは2年生。もえははまだようちえんの年中さんだ。いつもけんかばかりしている3人だけど、今日はちょっぴりおとなしい。だって、ママとパパにとっても、3人にとっても、今日はとくべつな日なんだから。
実は、3人だけでおるすばんをするのが、これがはじめてだ。いつも、パパがでかけているときはママがいて、ママがでかけるときにはパパがいた。おばあちゃんやおじいちゃんが来てくれることもあった。ママたちはいつも、子どもたちが食べるおやつの数をしっかり数えていたし、ゲームはたった1時間しかさせてくれない。
だけど、今日は3人しかいないのだ! ママたちがげんかんから出ていって、車にエンジンをかける音が聞こえてくると、まずもえはがぴょんぴょんジャンプしながら、大声でわめいた。まやは妹にとびついて、そのままじゅうたんの上をぐるぐると転げ回る。はるきはパパが消していったばかりのテレビをまたつけて、音の大きさをリモコンでうんと上げた。
はるきがアニメを見ていると、転がるのにあきた妹たちがやってきて、そばに座った。
「ね、ね、これから何する?」
まやがはるきに聞いた。
「ゲームしたら、おこられる?」
はるきは首をふった。
「おこられないよ。だって、ママもパパもいないんだから!」
「何してもいいの!?」
「何してもいい!」
きゃあっともえはがさけんだ。うれしくってたまらないらしい。もえはは、はるきにだきついてせがんだ。
「ゲームしよ、ゲーム!」
「いいよ」
もえははまだ、ゲームのルールをよくわかっていない。はるきとまやがゲームをしているのを見物しながら、さけんだりおどったりするだけだ。だけど彼女にとってはそれがたのしいらしい。
まやがゲームソフトをたくさん持ってきて、はるきともえはの前にぶちまけた。はるきは、台所にあったおかしの袋をてあたりしだいにあけて、ジュースのペットボトルを開けた。あっというまに居間がちらかったけれど、おこる人はいない。まやは、じゅうたんの上にねそべっておかしを食べた。はるきはソフトをケースからとりだしては、てきとうなケースにもどした。(これをやると、パパにひどくおこられるのだ)もえはテレビの画面にうんと近づいて、流れるアニメにあわせておどった。
12時になると、よく行くおべんとう屋さんが、お昼ごはんを持ってきてくれた。もえははオムライス、まやがハンバーグ、はるきはからあげ弁当だ。ほかほかのお昼ごはんを食べた後、まやが言った。
「ゲーム、もうあきちゃった。何かちがうことしてあそびたいな」
「いいよ。なにする?」
「おにごっこ!」
もえはが手をあげていった。
「3人だけでおにごっこしても、つまんないよ」
「じゃあ、人生ゲーム!」
もえははそう言うけれど、人生ゲームのあそびかたを彼女はしらないのだ。
「プロレスやろう」
はるきが言うと、まやともえはがすぐに首をふった。
「はるきがいたくするから、プロレスはやだ!」
「おひめさまごっこやりたい!」
おひめさまごっこなんか、はるきはごめんだった。
まやが、ぽんと手を叩いて、言った。
「じゃあ、お客さまごっこをしない?」
「お客さまごっこ?」
まやは目をきらきらさせて、はるきともえはに教えた。
「ママとパパに、お客さまがくるでしょ。あたしがお客さまになりきって、「おしうり」をするから、はるきともえはがことわるの」
まやはママがよく使う「おしうり」ということばを、意味もよく知らずに言った。
「じゃあ、オレがパパってこと?」
「もえはがママ?」
「そう!」
はるきよりも先にもえはが「やる!」と立ち上がった。
さて、パパやママや、お客さまになりきるのなら、ぴったりのかっこうをしなくっちゃ。3人は、階段を上がって、ママたちのねる部屋に向かった。部屋はかぎがかかっていたけど、かぎをかくしてある場所はちゃんと知っているのだ。
ドアを開けると、つんと変なにおいがした。パパのにおいだ。パパがおうちをでかける前に、だっこをしてもらうといつもこのにおいがする。
ママとパパの部屋は、きちんと片付いていた。おふとんは押し入れにしまってあるし、たたみの上には何も落ちてない。はるきたちの部屋は、よくおもちゃのかけらやぬいぐるみが転がってるのに。
部屋の中には、押し入れと本だな、ママがおけしょうをする机、そして洋服がぎっしりつまったたんすがある。3人はくっつきあって、どきどきしながらたんすを開けた。
中には、色とりどりのワンピースが何着も、カーテンのようにゆれていた。ワンピースのすべすべしたてざわりをたのしみながら、まやともえはは自分が着る服をえらんだ。はるきは、パパが仕事に行くときに着ている、青いジャケットをはおって、ぶかぶかのズボンをはいた。ベルトをぎゅっとしめても、まだズボンはずり落ちそうになる。
まやがえらんだのは、むらさき色のワンピースだった。スカートがすきとおっていてきれいだと思ったのだ。もえはは、この前のおばさんの結婚式で、ママが着ていたピンク色のドレスを頭からかぶった。手をそでに通すことができなくて、じたばたした。
「ひっかかってる、ひっかかってる!」
笑いながら、はるきとまやが助けてくれる。無事にドレスを着ることができたもえはは、兄と姉のまえでくるりと回った。
「ママみたい?」
はるきたちは手をたたく。
「ママみたいだよ」
「うーん、でもね、何か物足りないかも」
まやは、ママのおけしょうをする机のひきだしをあけて、真珠やビーズのネックレスを取り出した。
「ママは、きらきらのアクセサリーつけてる」
そう言って、もえはの首に、大きなガラス玉のネックレスをつけてあげたのだった。
はるきともえはは、居間にもどってくると、ソファに座ってお客さまを待った。そこにドアをノックする音がする。
「こんにちはー、せいめいほけんのやまだです」
まやの声は、よく家にやってくるお客さまにそっくりだった。笑い転げるもえはとはるき。まやは、床をひきずるワンピースのすそを何度もたくしあげながら、居間にしずしずと入ってきた。
「どうも、こんばんは!」
とはるき。
「お茶もってきましょうね」
と、もえはは立ち上がるふりをする。
「あっ、いいえ、おかまいなくー」
まやはお茶をことわって、用意した紙の束をはるきたちにさしだした。
「最近どうですか、おからだにおかわりはありませんか?」
「おかわりなら、毎日してます」
と、ごはんが大好きなはるきが答えた。
「そうなんですね~。では、おこさんたちがおおきくなったときにおかねをどうするか、かんがえてますか?」
「かんがえてない!」
もえはがきっぱりと言った。
「そんなあなたに、ぴったりのプランがあるんです」
まやは、真っ白な紙を1まいずつならべてみせた。
「こちらはですね、お金をたくさんもらえるほけん。こちらは、おやつをたくさん食べられるほけん。3つめは、ゲームをたくさんできるほけんです!」
「まあすてき!」
もえはがはしゃぐ。
「待って、もえは。だまされちゃだめだよ。このほけん屋さんは、「おしうり」をしようとしてるんだ」
「あたし、もえはじゃないもーん」
ママになりきったもえはがはるきに答える。
「今すぐ買ったら、なんと、ティッシュがたくさんと、おもちゃがもらえます!」
「買います!」
はるきは口をとがらせた。
「もえははママになれないよ。ママは、ほけん屋さんにだまされないもん」
その時、ほんもののチャイムがピンポーンとなった。
はるき、まや、もえはの3人はとびあがるくらいびっくりした。だれかがやってきた。ママとパパが帰ってきたんだったら? ふと我に返ると、居間はしっちゃかめっちゃかにちらかっている。
もう1回、チャイムがなった。3人はおそるおそるげんかんに行き、カメラをのぞいた。そして、口をそろえてさけんだ。
「ひろとお兄ちゃんだ!」
家の中に入ってきたのは、ひろと。はるきたちのいとこで、中学生だ。去年まで、はるきたちと同じ小学校にかよっていた。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「おばさんに、たのまれたんだ。もえはたちが心配だから、あそびにきてって。おそくなってごめんね」
はるきたちは顔をみあわせる。なんだ、やっぱり、3人だけでおるすばんするんじゃなかったんだ。
「それにしても、すごいかっこうだね」
はるきのスーツ、まやともえはのドレスを見て、ひろとが言った。
「お客さまごっこをしてたの」
「あたし、ママの役!」
ドレスのまま、もえははとびはねた。居間に入って、ひろとは目を丸くする。ちらばったおかしのくずとゲームのソフト、つけっぱなしのテレビ、なぜか白い紙。
「……ここで、お客さまごっこをしてたの?」
「うん!」
ひろとはしばらく何かかんがえていたけど、やがてにっこり笑って3人に言った。
「いいこと思いついた。次は3人がお客さまになって。ぼくがおもてなしをするよ」
思いがけないことばだったけれど、3人はすぐにさんせいした。
「じゃあ、1回外に出てね。ノックをして、入ってきて」
「はーい」
ろうかに出て、3人がドアをたたくと、中から「どうぞー」と返事があった。
「おじゃましまーす!」
ドアを開けたはるき、まや、もえはは、びっくりしてその場に立ち止まった。ひろとがじゅうたんの上にひざをついて、4つんばいで動き回っていたのだ。
「ああ、こまった、こまった」
ひろとはぶつぶつとつぶやいている。
「なんでこまってるの?」
もえはが聞くと、ひろとはようやく顔を上げて、3人を見た。
「あのね、このじゅうたんの上に、だいじなたからものを落としちゃったんだ。だから探しているんだけど、見つからないんだよ」
みれば、床はソフトやおかしの袋で足のふみばもない。これではたからものも見つかりっこないだろうとまやは思った。
「たからものを見つけてくれたら、とびきりおいしい大人ののみものを、ごちそうするんだけどなあ」
ひろとがそうつぶやいたのを、もえはは聞きのがさなかった。
「あたしが、みつけてあげる!」
「あ、あたしも」
「ぼくも」
さあ、ここからはきょうそうだ。まやは自分がもってきた紙をかたづけた。もえははソフトを箱に入れて、テレビの下に押し込んだ。はるきは、おかしのくずをそうじ機できれいにして、袋を捨てた。
そのうち、もえはが大声をあげた。
「あった!」
もえはの手の中にあるのは、赤いビー玉だった。ころんと手のひらに転がすと、赤くてちっちゃなかげがおどった。
「お兄ちゃん、たからものって、これ?」
「そう、それ!」
ひろとはビー玉をもらって、ポケットにいれた。
「3人とも、ありがとう。お礼に、おいしいのみものをいれてあげる」
「やった!」
3人はわくわくしながらソファに座って待った。台所をかりて、ひろとが何か用意している。やかんでおゆをわかす音や、食器を取り出す音がした。
「お待たせ!」
そう言いながらひろとが運んできたのは、おぼんにのせた4つのカップだった。きれいなもようが入った、お客さま用のカップだ。
テーブルにおぼんを置くと、カップの中身がよく見えた。真っ赤なのみものから、白いゆげが上がっている。
「これ、なあに?」
「紅茶だよ」
「やけどしないように、少しずつのむんだよ」
ひろとははるきたちに忠告した。おぼんの上には、カップ以外にものっているものがある。うすく切ったレモンだ。そのレモンをひょいとつまみあげて、ひろとが言った。
「これを、お茶の上でぎゅーっとしぼるんだ。そしたら、レモンティーになるんだよ」
ひろとがレモンを指でしぼると、うす黄色いなみだみたいな水がカップの中に落ちた。
「これ、おいしいの?」
「おとなは、これが好きなんだ」
「ママとパパも?」
ひろとはにっこりとうなずいた。もえはがおそるおそるカップを持ち上げて、口をつけた。
「あちっ」
「ちょっと冷ましてから飲もうか」
はるきとまやは、思いきってカップをぐいっとかたむけた。
「すっぱーい!」
「なんか、ちょっとにがい……」
まやが舌を出し、顔をしかめた。
「お兄ちゃんのうそつき。ちっともおいしくない!」
「そうかな?」
ひろとはすました顔で、レモンティーを飲んだ。
「この味が分からないなら、みんなはまだまだ子どもだね」
何だか悔しくなったはるきは、一気にレモンティーをのみほした。口にすっぱさがのこる。でも、なんだか頭がすっきりしたような気がした。
「おかわり、ある?」
ひろとがいれてくれた2はい目の紅茶に、さっきよりもたくさんレモンをしぼる。すっぱいレモンティーを飲んでいると、パパやママに近づいた気がした。




