0 落ちた
――おお、光を見よ、力を見よ、すべての源泉たる炎を見よ――
――その足下に人の群がるとき、炎はすべてを灰塵と帰すだろう――
聖典第四章『炎と嫉妬』
第七節より出典
◆ ◆ ◆
天に最も近く、それでいて冥府に最も近いとされる火山、ヴェルサ火山。
その火口へ向かって少女が歩いていた。
長い髪を後ろへ流し、手を祈るように握っていた。
色白で幼少の子供が遊ぶおもちゃの人形のようで、息をのむような美しさだった。
少女の両脇にはすでに司教や護衛騎士たちが列を作ってその姿を見守っていた。その目はどこか悲しげで、それでいて期待をかけているような―
そういう目だった。
騎士たちは小声で互いに話しかけて、この荘厳とも異常とも呼べる雰囲気をなんとか中和しようとしていた。
「溶岩に落ちるとは...火炙りと同義じゃないか?いったいどんなもんだろう...」
「さあ、でもこれで神様の下へゆけるなら、幸せじゃないか?」
(火炙りの何処が幸せだ。火炙りの痛みも知らないくせに...)
その静かな喧騒から逃れるように、ただ一人、大柄な少し肥った上体を持った、とても人間が振り回せるとは思えないような大剣を背負った男だけが少し離れた場所から全体を見回すように静観していた。
男は右手にでけぇ酒瓶をもって、ことあるごとにラッパ飲みする。あんな乱暴な呑みかたでよく潰れないものだと、騎士たちからは半ば呆れられていた。
少女は火口のすぐそばに立ち、姿勢を正して、深く息を吸い、吐いた。
下を覗きこむと、煮えたぎる溶岩の渦がいくつも形成されて、悪魔の口のように少女には思えた。
ついさっきまで鳴りを潜めていた司教が、口を開き、
「ああ、炎の神よぉ、ただいまより『火の儀』をおこない、あなたさまぁのための従者を送り出さん。然ればこそぉ、我らにその祝福と恩寵をぉぉ!」
と、一度聞けば誰もが忘れられないであろう粘着質な甲高い声で叫ぶように祈った。その姿に合わせて、取り巻いていた騎士たちも祈りのポーズをとった。
少女はその声にあわせ、震えるような足取りでその身を燃やそうとする地獄の門である溶岩へ身を委ねようとした。
が、あと一足長といったところで立ち止まった。
少女はうつむいたままいたが、この静寂に包まれた特異な空間では少女のすすり泣くような息づかいはよく届いた。
フン!と鼻をならした司教が
「されば、ワタクシがその勇気を押して差し上げよう。」
司教が一歩歩み出て、申し出た。
「いえ...」
少女はか細い声で応じ、
「フューイ、こちらへ。」
一人の若手騎士を呼び寄せた。
騎士は小柄で、大柄な者が多い騎士たちの中では埋もれてしまいそうだったが、なぜかその存在感はどの騎士よりも大きく強く、その一挙手一投足ごとに空気が震えるような凄みがあった。
「姫様...」
「私は...あなたを信じていますから。」
司教たちは、この伝統を汚す者が現れるとは、ついに想像しなかったらしい。特にこのくそ真面目な騎士が、まさかそんな行動をするなどとは。
「離れろ!近付いたら斬り捨てる!」
騎士が姫の背後にまわりがっちりとその腕を掴み、剣の切っ先をありありと見せつけるように喉元へ当てた。
瞬間、騎士たち、司教たちは氷ついたように動かなくなり、動揺を隠しきれないようだった。
青い顔をした司教が
「フューイ・メッケル!血迷ったか!お主、聖なる儀式を愚弄するか!」
と割れるような声で叫ぶ。
「姫君一人を犠牲にして享受される平和になんの意味がある!」
と応ずる。
どよめきの中から、先ほどから遠目に儀式を静観していた大柄な男が酒の臭いをプンプンさせながら歩み出てくる。
「フューイ...」
「アレックスさん...」
途方もない眼力でにらまれた。
「それは、覚悟あってのことだな?」
鋭い目線を差し向けられたフューイは一瞬ひるんだように見えたけれど、すぐにその目に再度闘志をみなぎらせた。
「まいったね。キミにまともに反抗されたら70人は死ぬことになる」
周囲からどよめきが聞こえる。
「...まともに反抗されたらだが」
フューイの周囲にはベテランの騎士が百人は備えていた。
アレックスの巨体から周囲に異常な殺気が放たれた。
「キミは王命に背いた。それは決して許されることではなく、死ぬまで追っ手はやってくるだろう。キミたちの命を狙いにね」
「それは俺も例外ではない」
「いまなら、一度の過ちですむ。...これ以上俺に決断させないでくれ...」
「それでも、ぼくの意志は変わりません」
そうはっきりと、宣言した。
「わかった。では...」
フューイはいま姫君を前に抱えている。盾にされれば厄介ではあるが、後ろは火口で崖だ。そう簡単に剣は振れないはず。
そう考えたのが間違いだった。
「では、皆さんしばしの別れです。」
フューイは後ろの虚空へ体重を預けた。
「おい!待て!!」
アレックスの制止も虚しく、フューイは姫とともに火口へと堕ちていった。
(本当に、これでよかったのかな...)
その虚ろな意識の中でフューイは何を考えていたのだろう...




