第8話 追憶と追手
霧の森を抜けて三日。
セラとユリウスは、南の小村にたどり着いた。
村の人々は彼らを旅の夫婦と勘違いし、
温かな食事と宿を分けてくれた。
けれど、穏やかな時間は長くは続かない。
「……ユリウス、馬の足跡がありました」
セラが息を切らせて戻ると、
ユリウスの表情が一瞬で引き締まった。
「追手か」
その声は低く、鋭い。
青い瞳が炎のように揺れる。
「ここに留まるのは危険だ。
森を越えて、国境を目指す」
「でも、ユリウス……」
「大丈夫だ。おまえを離さない」
その言葉にセラは頷くが、
胸の奥に小さな不安が残った。
* * *
夜。
森の奥で、ふたりは焚き火を囲んで休んでいた。
ユリウスは剣を膝に置き、静かに空を見上げている。
「……どうして、あのとき私を助けてくれたんですか?」
セラの問いに、彼は少しだけ微笑んだ。
「最初に会ったとき、
おまえが花を抱えて城門の前に立っていたのを覚えている。
あのとき、誰よりもまっすぐに空を見ていた。
――その瞳を、手放したくなかった」
セラは小さく息をのむ。
「私なんて、ただの花売りです」
「違う。
おまえが俺の世界を変えた。
それだけで、王冠よりも価値がある」
彼の声は優しく、けれどどこか切なかった。
そのとき――
森の奥で、乾いた枝の音が響いた。
ユリウスは即座に立ち上がり、剣を抜く。
「セラ、後ろに下がれ」
闇の中から、鎧をまとった数人の兵が現れた。
月明かりを反射する紋章――それは王国軍のものだった。
「第一王子ユリウス・ルーヴェン、
王命により、あなたを拘束する!」
兵士の声が森に響き渡る。
セラの心臓が跳ねた。
「やはり来たか……」
ユリウスの目が鋭く光る。
だが、彼は剣を構えながらも、後ろのセラに声をかけた。
「セラ、俺の言う通りに動け。
絶対に離れるな」
「ユリウス……っ」
次の瞬間、剣戟の音が夜の静寂を裂いた。
火花が散り、鋼の光が弧を描く。
ユリウスの動きはまるで舞うように美しく、
そして、必死だった。
けれど敵の数は多い。
一人、また一人と押し寄せる兵士。
ユリウスの肩を刃がかすめ、血が滲む。
「ユリウス!」
セラが駆け寄ろうとしたその瞬間、
兵のひとりが彼女の腕を掴んだ。
「離してっ!」
必死にもがくセラの瞳に映ったのは、
ユリウスの青い瞳――
それが、まるで何かを覚悟したように光った。
「セラ……逃げろ!!」
「いや、イヤです! 置いていけません!」
「俺を信じろ! 必ず追いつく!」
ユリウスの声に、セラは涙をこらえて頷いた。
そして森の奥へと駆け出す。
背後で、剣がぶつかる音が響く。
炎の光が、ユリウスの背中を照らしていた。
* * *
セラが森を抜けたころ、
空には灰色の朝が広がっていた。
振り返っても、ユリウスの姿はない。
ただ、風の中に彼の声が残っているような気がした。
「必ず、追いつく――」
セラは胸に手を当て、小さく微笑んだ。
「信じています、ユリウス」
その瞳に宿る光は、
もはや恐れではなく、強い願いの炎だった。




