第3話 秘密の花園での約束
王宮で花の手入れを任されてから、もう数日が経った。
セラ・フローレンは朝から晩まで花と土に向き合い、
そのたびに、どこかから視線を感じる。
――やっぱり、見ている。
そっと顔を上げると、少し離れた回廊の影に
青い瞳の王子――ユリウス・ルーヴェンが立っていた。
白い制服に風が流れ、金糸の刺繍が光を反射する。
まるで絵画から抜け出したような姿なのに、
視線だけは、ひどく真っ直ぐで。
「……そんなに見つめられると、落ち着きません」
つい口をこぼすと、ユリウスが小さく肩を揺らした。
「俺が見たいものを見てはいけないのか?」
「へっ……?」
「おまえが花に触れると、空気まで柔らかくなる。
……それが面白いと思っただけだ」
表情こそ冷たいのに、声がどこか優しい。
それが余計に胸に響く。
「殿下は……やっぱり、ずるいです」
「ずるい?」
「だって、そんな言い方をされたら――」
言葉の続きを飲み込む。
頬が熱くなって、目を合わせられなかった。
そんなセラを、ユリウスはしばらく見つめていたが、
やがて小さくため息をついた。
「……ついてこい」
「え?」
「少し、見せたい場所がある」
* * *
辿り着いたのは、王宮の奥にある誰もいない中庭。
石の壁に囲まれたその空間には、
ひときわ美しい花が咲いていた。
「……青い、薔薇?」
「ああ。王家の象徴だ」
ユリウスが静かに答える。
青い薔薇――それは、“奇跡”の花。
存在しないはずの色を咲かせる特別な花だと、セラは知っていた。
「きれい……。まるで、夢みたい」
「この庭を知っているのは、限られた者だけだ。
本来なら、おまえをここに連れてくることも許されない」
「えっ……では、なぜ……?」
ユリウスは少しだけ視線を伏せた。
「理由は……自分でもよく分からない。
けれど、おまえになら、この花を見せたいと思った」
その言葉に、胸がぎゅっと締めつけられる。
青い瞳の奥に映るのは、冷たさではなく、
まるで花のように儚い温もりだった。
「セラ」
初めて“殿下”ではなく、名前で呼ばれた。
「……っ」
驚いて顔を上げた瞬間、
彼の指がそっと自分の髪に触れる。
指先が花びらを撫でるように、優しく。
「おまえに触れると、王子としての自分が消える気がする。
それでも……今は、構わない」
距離が一気に近づく。
息をするのも忘れてしまいそうだった。
青い瞳がすぐそこにあって、
世界中の音が、遠のいていく。
「殿……ユリウス様……」
「名前を呼べ。俺のように」
低く甘い声。
セラの唇が震える。
「……ユリウス、さま」
その瞬間、ユリウスがふっと微笑んだ。
ほんの一瞬、少年のように柔らかく。
「そう。……その声が、好きだ」
頬に残る彼の指先の温もり。
青い薔薇の香り。
胸の奥が、痛いほどにときめいた。
* * *
その夜、セラは眠れなかった。
名前を呼んだ時の彼の微笑みが、何度も何度も蘇る。
「……ユリウス様」
小さく呟いた名は、
夜風に溶けて、静かに消えていった。




