第1話 「青い瞳の王子」
ルーヴェン王国の首都――白い城壁と花々が咲き誇る王都レーヴ。
その片隅に、小さな花屋の娘、セラ・フローレンは暮らしていた。
朝の空気はまだひんやりしていて、石畳の通りに朝露が光る。
セラは花かごを抱え、いつものように市場の一角に店を広げた。
「お花はいかがですか? 朝摘みのバラですよ!」
柔らかな声とともに、彼女の笑顔は市場の誰よりも明るい。
白いエプロンの裾が風に揺れ、髪に結んだリボンが陽に透けた。
平凡だけれど、花に囲まれた日々は、セラにとって何よりの幸せだった。
――その日までは。
市場のざわめきが、ふと変わった。
人々がざわつき、通りの先を振り返る。
「見て! 王宮の紋章入りの馬車よ!」
「まさか……殿下がいらっしゃるのか?」
白馬がひづめを鳴らし、光を反射して近づいてくる。
群衆が左右に分かれ、静かな緊張が流れた。
その先頭に立つ青年を、セラは見た瞬間――呼吸を忘れた。
陽光を閉じ込めたような髪。
そして、何より印象的だったのは、その青い瞳。
深い湖のように澄んでいて、見る者の心をすべて映し出すようだった。
「……きれい……」
思わず漏れた呟きは、誰の耳にも届かない。
青年――いや、王国第一王子、ユリウス・ルーヴェン。
完璧な立ち振る舞い、冷ややかに整った顔立ち。
まさに“青薔薇の王子”と呼ばれるにふさわしい存在。
そんな人が、自分などに関わるはずがない――
そう思った瞬間。
「そこの、花売りの娘」
「え……?」
ユリウスの視線が、まっすぐセラを射抜いた。
心臓が一瞬止まったように感じる。
人々が道を開け、彼がセラの前まで歩み寄る。
「その花……貸してみろ」
「は、はいっ……!」
慌てて花束を差し出そうとしたセラの手を、
ユリウスの手が包み込んだ。
その瞬間、世界の音がすべて遠のいた。
「……冷たいな」
低く、少しだけ優しい声。
王子の指が、セラの手の甲をなぞる。
その動きは穏やかで、それなのに心臓が跳ねるほど近かった。
「おまえのような手で、花を守っているのか」
「えっ……ええ、まあ……」
声が上ずる。まともに顔が見られない。
けれど次の瞬間、ユリウスがふっと口元を緩めた。
「悪くない」
「え?」
「おまえの花、香りがいい。……それに、手が柔らかい」
セラの顔が一気に熱くなる。
何を言われているのかも分からなくなって、ただ目を瞬いた。
「な、なぜそんな……」
「別に。ただの感想だ」
そう言って、ユリウスは少しだけ悪戯っぽく笑う。
その笑顔は、王子としての冷たさとは違う。
少し意地悪で、でもどこか温かい――
“本当の彼”を垣間見たような気がした。
セラは胸の奥がくすぐったくなって、視線を落とす。
けれどユリウスは、手を離さない。
「……花売りの娘。名は?」
「せ、セラ……セラ・フローレンです」
「セラ、か」
王子の口から自分の名が呼ばれた瞬間、胸が跳ねた。
その響きが、まるで魔法のように優しかった。
ユリウスはその名をひとつ呟き、
すっと彼女の髪に手を伸ばした。
「……花のような名だな」
「っ……」
指先が髪をすく。
その仕草は優しく、それでいて、どこか危険なほど甘かった。
彼の青い瞳が、ほんの少しだけ笑う。
「おまえ、王宮の花園に来る気はあるか?」
「え……?」
「この花の育て方を、直接見たい。おまえと、花を」
セラは何も言えず、ただ立ち尽くした。
その青い瞳に吸い込まれそうになる。
ユリウスは、そんなセラを見つめながら、
ゆっくりと指先を離した。
「……楽しみにしている」
そして、王子は馬に乗り、去っていった。
残されたセラの手には、彼が最後に触れたぬくもりが、まだ残っていた。
「な、なに、今の……? 夢みたい……」
頬に触れると、熱い。
鼓動がまだ落ち着かない。
見上げた空は、青く澄みきっていた。
まるで――あの人の瞳のように。




