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ちゅんちゅんと窓から聞こえる小鳥の声に柔らかに差し込む朝の日差し。朝に相応しい爽やかな空気の元、ごそりとベッドの上にこんもりと山になっているシーツの塊が動いた。もぞ、もぞと何度か動いた後、ぴたりと動きを止めて数秒。
「……はっ!!」
それまで芋虫のように蠢いていたとは思えないほど俊敏にシーツを跳ね除け、朝一にしては部屋に響き渡るほどよく通る声を出してシーツの塊、基ルイは飛び起きた。
急に起きがったことでするりと肩から落ちていったシーツを反射的に目で追ったルイが見たものは一糸纏わぬ自分の体。
「あ、あわ……あわわわっ……!」
文字通りあわあわと慌てふためいたルイが混乱のままベッドから離れようとすれば、鈍く痛む腰と何やらあらぬところから主張してきた強烈な違和感。
ピシッと固まったルイは、そのままなるべく負担をかけないようにベッドへと横たわってボソリと呟く。
「ヤッ……ちゃっ、た……?」
ルイにしてはかなり砕けた表現をしてしまうほどに衝撃が強い。放心状態と言ってもいいほどのルイはそのまま頭で考えていることを全て口から出ていく。
「い、いや、ちょっと待って、落ち着いてルイ。一回、一回冷静になって、そう、冷静に、一旦。ええっと……えっと、何だっけ……確かアーノルドがこの部屋に来て、それで……。」
『今日はね、ルイを抱きに来たんだ。』
「うわあっお!?」
記憶の糸を手繰り寄せていたルイの脳裏に唐突によぎったアーノルドのその言葉。思わず素っ頓狂な声を上げたルイは飛び起きてしまい、その勢いで腰がビキリと痛み悶絶することとなった。
ひとしきり自分の腰を撫でたルイは、9割方確定してしまった昨夜の出来事に顔を赤く染めたり青く染めたりしながらも、何度か残りの1割に縋り付くべく、その続きを思い出す。
確か、それで……。
「は?」
「うん?」
アーノルドの言葉にポカンと口を開けたルイは思わず間抜けな声を出してしまう。
そんなルイに微笑みながらこてんと首を傾げて、尋ね返したアーノルドは至って当たり前のことを言ったとばかりに堂々としていたから、てっきりルイは自分が彼の言葉を深読みしてしまったのだと思った。
「あ、もしかして抱き枕的な?だったら別に押し倒さなくても先に言ってくれればちゃんと断るのに。あれ……でも、アーノルドって人肌がないと寝れなかったっけ?」
「先に言っても断られるんだ。いいや?別に一人で寝られるけど。」
「自分を閉じ込めてる人と一緒に寝るわけないでしょ。……ん?じゃあ、抱くって……え?」
勘違いしてしまったことを少し頬を染めて恥入りながらも、努めて明るい声でアーノルドへと問いかけるルイ。
そんなルイの質問をバッサリと切り捨てたアーノルドは、なぜだかそれまでの貼り付けたような微笑みを崩して心底楽しそうに笑っていた。
「多分ルイが考えていることは合ってるよ。俺はね、ルイとセックスしにきたの。」
「セッ……!?」
直接的な言葉を使われて思わずルイは頬を赤くする。
かつては婚約を交わしていたこともあったから、ルイだって全くの無知ではない。しかし、婚約者として詰め込む知識が半端じゃなく多かったルイはそう言った閨事のことは後回しにしてしまっていたため、大した知識は無かった。
しかし、ひとしきり恥ずかしがった後、静かに混乱する。ルイは確かにアーノルドからそう言った好きではないと先日言われたのだ。告白もしてないのになぜか振られたような気持ちになったあの会話をルイはいまだに鮮明に覚えている。
「え、な、何で……?アーノルド、この前僕のことそういうふうに見てないって言ってたのに!嘘ついたの……?」
「嘘じゃないよ。ルイのことは好きだけど、恋愛的に好きなわけじゃないよ。……でも、別に抱こうと思えば抱けるっても言ったよね?」
言っていた。
確かに、アーノルドは別にキスできないわけでも抱けないわけでもないと言っていた。
言っていたが、あれはものの例えというやつで、まさか本当にできるとは思っていなかったルイは目を見開くことしかできない。
「な、なんで……?」
思考が完全にショートしてしまったルイは、絞り出すようにしてかろうじて声を出す。怖いとか逃げないととかを考えるよりも先に、どうしてという気持ちが強かったルイは壊れたおもちゃのように疑問を繰り返すことしかできなかった。
こんな状況でもなお笑みを浮かべていたアーノルドは、ルイの疑問に少し考えるようなそぶりを見せた後、無邪気な子供のように答える。
「逃げないようにするため、かな?」
「……え?」
「流石のルイもここから逃げるのは難しいと思うけど、明日の卒業パーティーに万が一でも出られないように一応抱き潰しておこうと思って。」
「一応!?」
その言葉と共にするりとアーノルドの手がルイの寝巻きの中に入り込んでくる。肌触りがいいワンピースタイプの寝巻きではその手の侵入を拒むこともできず、むしろ少し体を動かしてしまったことでぺらりと裾が太ももの半ばまで捲れてしまった。
「ちょ、ちょっと、まって、アーノルド……!」
下半身がスースーすることに気づいたルイは、必死にアーノルドへと縋り付くようにして手を止めようと慌てる。
「大丈夫、すぐ終わるから。起きたら全部終わってるから、安心して。」
「終わってたら困るんだけど!?」
ぽんぽんとテンポよく会話を交わしながらも止まらないアーノルドの手をルイは今更ながらに焦り倒し、モゾモゾと抜け出そうとするが、元々ルイよりも体格が良く力もある彼に乗りあげられている状態では、身じろぎをするだけで精一杯だった。
そこまで思い出したルイはだんだんと顔が青くなっていくのを自覚しながらも、恐る恐る記憶を探っていく。
……えーと、確か、それでもアーノルドが止まってくれなくて……それで……。
ルイの混乱などほっぽりだして好き勝手に動くアーノルドの手が身体中を弄って、さあ、今から本番となった時、ルイの中で何かが弾け飛んだ。
まあ要するに、単純な話、ルイの涙腺が崩壊した。
この歳になって全力で泣き叫び、手足を振り回して全力の駄々をこねた。
もしかしたら生まれた時よりも泣いたかもしれないと思うほどあんまりに全力で泣き叫んだため、ところどころ記憶が曖昧ではあるが、流石のアーノルドもそんなルイを無理やり襲うことはしなかった。
それなりにあらぬところまでベタベタと触られた気もするし、何やらよからぬものを押し付けられた様な気がするが、最後までしていないのでルイの中ではセーフとした。
恥もへったくれもなく泣き喚いた様な気がするが、自分の中の大事なものを守ることができたので、ルイはこの涙も無駄じゃないと自分を慰めた。
それでも恥ずかしさやら、いろんなところを触られたショックやらが無くなるわけではない。ほとんど確定していた9割の事象の残りの1割を引き当てることができたことを喜びながら、シーツに丸まってルイはベットの上をもんどり打って転がる。ごろんごろんとひとしきり転がりまわったルイは、やがてむくりと体を起こした。
起きてしまったことはしょうがない、それよりも今日は卒業パーティー当日である。どうにかして開催される夜までにここを逃げ出さないといけない。
一旦昨夜のことは隅に置いておいて、ルイはここから逃げ出すことに集中することにした。そうでもしないといろんな感情がごちゃ混ぜになって、アーノルドの思惑通りここから逃げられない、なんてことにもなりかねなかったためである。
さて、どうしようと考え込みながら、とりあえず一旦服を着るべくベッドから降りたルイは、ふと違和感を覚えた。それは今まであったものが無くなったような、体の一部がどこかに行ってしまったような、そんな喪失感。
不思議に思ったルイは、その違和感を確かめるべく自然に視線を下へと落とした。
そして、驚きに目を見開く。
「……鎖が、ない。」
皮肉にもこの数日ですっかりルイの足に馴染んでいたベッドへと感情に取り付けられた足首の鎖。
それが、外れていた。




