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「……何?」
ミカエルの言葉に眉を顰めたカミルが、射抜くような視線で彼を見つめる。しかし、ミカエルはその視線を受けても怯むどころかどこか馬鹿にしたように笑う。
「信用できないって?でも、現状あんた達はおれの言うことを信じるしかないと思うけど。違う?」
「……悔しいですが、否定はできません。ですが、なぜルイと対立しているはずのあなたがそれをわたくし達に教えようとしているのですか?」
エミリーが拳を握りしめながら、心底悔しそうにミカエルへと問いかける。その質問に、先ほどまでの笑顔を消し去り眉に皺を寄せた表情をしたミカエルが、なんとも偉そうに口を開いた。
「は?おれがいつあんたらにタダで教えるって言ったわけ?」
「……何が望みだ。」
この短時間でミカエルが噂とはずいぶん違い、一筋縄ではいかない人物であることを実感したカミルが、どんなとんでもない要求をしてくるのかと警戒しながら彼へと尋ねる。しかし、そんなカミルの予想に反してふっとそれまでの人を小馬鹿にしたような表情を消して真面目な顔をしたミカエルはまっすぐにカミルを見返して情報の対価をこう告げた。
「……ルイを卒業パーティーに参加させること。あと、チョーカーを探し出して。」
「暇だなあ……。」
一方その頃。
カミルとエミリーがミカエルと校舎裏で対峙し、何やら画策していたことなどつゆ知らず、ルイは相変わらず足首を拘束されたままごろんと極上のベッドへと寝転んでいた。
相変わらずふわふわと優しくルイの背中を受け止めてくれるベッドに脱力しながら、ぼーっと天井を見上げる。
結局あの日以来アーノルドがルイの部屋を訪ねてくることはなく、話し合いをすることも、かと言ってチョーカーを返してくれることもなく、ルイは怠惰な日々を送っていた。
そして気づけば卒業パーティーを明日に控えた今日。
ここ数日ですっかり馴染んでしまったこの部屋で相変わらずルイの呼びかけに応じることもなく、常に無言で身の回りの世話をしていたメイドから久しぶりに声をかけられた。
「ルイ・コレット公爵令息様。夕方ごろ、殿下がこの部屋にお越しになります。ご準備を手伝わせていただきます。」
「え?ああ、うん、よろしく……?」
急に声をかけられたことに咄嗟に反応できず、何とも曖昧な返事を返したルイ。
しかし、テキパキと風呂に入れられて、この部屋へと来た初日ぶりにいろんなものを塗りたくられて艶々になったルイは、窓から沈む太陽の光を浴びてはっと我に返る。
何やらされるがままにもみくちゃにされたが、あのメイドは夕方にアーノルドがルイの部屋を訪ねると言っていた。卒業パーティーを明日に控えた今、彼を説得できるのは今日が最後のチャンスになる。
何とかして、この部屋を出ることを目標にしてふんすっ!と気合を一人で入れていると、ガチャリと音がして扉が開く。
「ルイ。」
真っ先にルイを見て蕩けるような笑みを浮かべたアーノルドは、スタスタとルイの元へと足取り軽く駆け寄りストンと隣に腰を下ろした。
ギシッとベッドが軋んだ音が何だかやけに耳をついてしまい、モゾモゾとアーノルドから距離を取ったルイは、そっと彼の顔を盗み見る。
数日前にお世辞にもいい別れ方をしなかったアーノルドであったが、今の彼は先日の暗く濁るような瞳をしておらず、ただただルイを見つめてニコニコと微笑んでいるだけであった。そのことにホッとしながら、おそるおそるルイは口を開く。
「あの、アー」
「ねえルイ、来るのが遅くなっちゃってごめんね?俺は王位なんか継がないのに、やけに仕事だけ無駄に多くて……なかなか時間が取れなかったんだ。ルイが好きそうな本も置いてはいたんだけど、俺がこなくて退屈だったよね……。本当にごめんね。」
何やら既視感がある被せ方をしてアーノルドが一方的にルイへと話しかける。
とっても反省していますと言うような顔をしているが、本当に反省しているならルイのことを軟禁なんかしないでほしい。
何だか、勝手に気まずくなっていたこっちの方が気にしていたみたいで癪だったルイは、彼にしてはつっけんどんな言い方で返事をした。
「別に、アーノルドが来ても来なくても僕には関係ないもん。ここにいる限り、君がいてもいなくても僕はきっと退屈だったよ。だから早くここから出してほしいんだけど。」
ツンとミカエルを参考にして顎を上げたルイは、ふいとアーノルドから顔を背けながら横目で彼の様子を伺う。
ルイの様子に、ますますしゅんと縮こまったアーノルドは申し訳なさそうに見えても決してルイのことをここから出すとだけは言わなかった。
「ごめんね。でも、明日さえ終わればとりあえず足首の鎖は外してあげるから、それまで我慢してほしいな。」
やはりこの男、どこか考えが歪んでいる。
簡単に解放してくれるとは思っていなかったが、この数日何もすることができずに悶々と過ごしていたルイは何だか泣きそうになってくる。だけど、アーノルドの前でだけは泣きたくなかったルイは唇をかみしめて涙を堪えた。
何か気をそらせる話題を、と考えたルイが震える声を必死に抑えてアーノルドへと話しかけた。
「本……。」
「うん?何だい?」
「本、何で、僕の好きなものが分かったの?」
思い返してみても、アーノルドとそんな話をした記憶がルイにはなかった。その証拠に、アーノルドとの会話であれば大抵は覚えているルイはアーノルドの好みをよく知らない。
初恋に溺れてアーノルドに夢中でいた頃は気づきもしなかったが、改めて彼の婚約者であった時のことを思い出すと、何とも冷めた婚約関係であったなと今になってルイは思う。確かにまめにお茶会を開いて、贈り物もしっかりとしてくれたアーノルドであったが、その内容は何とも薄っぺらく、当たり障りないものであった。
恋は盲目だとはいうが、盲目に加えて猪突猛進気味であったルイは、彼から手紙や贈り物がきただけで自分に好意があるのだと勘違いし、会うたびに何て自分のことを思ってくれている婚約者であろうと馬鹿みたいに感動していた。
この1年間で親しい友人を二人も得ることがルイは、アーノルドとの関係がどんなに味気ないものであったかを実感していた。
だからこそ、アーノルドがルイの好きな本を知っていたことに驚いた。それも彼の思い込みなどではなく、本当にルイが好んで読んでいる本ばかりだったことにも。
そんな些細な疑問であったが、アーノルドはなんてことないように話す。
「何でって……ルイが言ってたからだよ?たしか、初めての顔合わせの時にぽろっと言ってたかな。なぜだかあんまり詳しく話してくれることはなかったけど。」
その言葉にルイは心当たりがなくて首を傾げる。
記憶の糸をたぐるように思い返して、しばらく考え込んでいたルイはあっと声を上げる。
「え、まさか、あの一瞬口を滑らせた時のこと言ってる?あんな昔の本当に一言だけつい言っちゃったこと覚えてたの?」
「?滑らせたのかは分からないけど、ルイはちゃんと言ってたよ。好きな本のこと。」
記憶の端っこにかろうじて引っかっているくらいのそんな当の本人すら忘れていたほんの些細な話だったはずだ。
アーノルドと話していて、楽しくてつい猫を被ることを忘れてしまったルイがぽろっとこぼした話。その時好きだった作家の新作が発表されたことを何の気無しに言ってしまったのだ。
すぐに、そんな幼稚な本を読んでいるなんて王族の婚約者や、公爵家の令息としてふさわしくないとハッとしたルイは慌てたように話を切り替えたのを思い出した。
「で、でも、そんな昔のこと……僕の好みが変わってるかもしれないでしょ。」
「でも、ルイはまだ好きだったでしょ?ふふ、図星って顔してる。ルイはそんな簡単に好きをやめるような人じゃないって俺は知ってるから。だから、ルイの好みが変わってないことなんてすぐ分かるよ。」
そう言って微笑むアーノルドになぜだかむずむずとした気持ちを抱いたルイは泣きそうになっていたことなんかすっかり忘れて、じとーっとアーノルドを睨む。
そんなルイの視線などさらりと受け流して笑うアーノルドに何だかイラっとしたルイはちょっと乱暴に話を変えた。
「今日は何しにきたの。」
「今日のルイはいっぱい俺と話してくれるね。嬉しいなあ。」
「……誤魔化さないで。そんな嘘つかなくても、君がわざわざ僕とこんな話をするために来てないことぐらい分かってる。」
「嬉しいのは、本当なんだけど……。」
そう言って、困ったように笑ったアーノルドはそっとルイの肩を押した。突然押されたことに踏ん張ることもできずにぽすんと仰向けにベッドへと沈んだルイは目をパチクリと瞬かせる。
天井に施された美しい彫刻に感動する暇もなく、ルイの視界にキラキラと輝く金髪とルビーの瞳が映り込んだことに既視感を感じながら、ようやくアーノルドに押し倒されたことにルイは気づいた。
そして、ルイの上に乗り上げたアーノルドが内緒話をするみたいに顔を近づけてルイの耳元で囁いた。
「今日はね、ルイを抱きに来たんだ。」




