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「分かった。」
「ええ、言われずとも、必ず。」
深く頭を下げたベスへと当然とでも言うようにかけられた言葉にパッと顔を上げた。そこには力強く頷く二人の姿があり、ベスは瞳が潤み涙がこぼれ落ちそうになるのを唇を噛み締めながら堪え、もう一度深く礼をして踵を返した。
遠ざかるその背中を見つめていたカミルとエミリーだったが、すぐに切り替えるように二人で顔を合わせ一つ頷き、ひとまず情報収集のためにその日は各々帰路に着いた。
そして一夜明けた次の日。ルイが学園へと来なくなってから3日目のこと。
卒業パーティーを3日後に控え、次第に授業も少なくなってきたカミル達は空き時間となった午後にいつもの校舎裏へと集まっていた。昨日ベスから情報を得た二人は、膠着状態だった状況が進展したことに喜びを浮かべることもなく、逆にどこかどんよりとした空気が纏っていた。
どこか落ち込んでいるようにも見えるエミリーが重い口を何とか開くが、それに答えるカミルもどこか浮かない表情をしていた。
「カミル様、何か情報は掴めましたか?」
「……いや、ほぼゼロと言っていいな。色々と探ってみたが、ここ数日で王城に誰かが長期的に滞在している様子も無かったし、かと言って罪人として捕まった囚人の中にルイの名前は無かった。……王城にいることは分かっても、どこにいるのかがさっぱりだな。」
「わたくしも同じようなものです……。うちの商会のツテを探りましたが、王城ということもあり、あまり大々的に聞くこともできず……。それに、わたくしが聞くことができるのはせいぜい城に運び込む商品くらいが関の山です。ましてや、第三王子殿下の私的な行動など……探ることもできませんでした。」
そう言ってため息を吐き、がっくりと肩を落とす二人。
たいした情報を得られないだろうとは覚悟していても、これほどまでにうまくいかないとは思っていなかった二人はかなり落ち込んでた。しかし、いかんせん今回は相手が悪かった。王族が相手となっては、情報を持っているものなど口の固いものしかおらず、1日で調べることができる情報などたいしたものでは無い。
あれだけベスに向かって自信満々に啖呵を切ったものの、状況は依然として厳しいものであった。
「せめて、もう少し王城に詳しい人がいれば……。」
「そうですね……。それに、まずそもそもルイが起こした騒動についてもあまり詳しい情報を得られていません。当事者の一人でもあるミカエル・アーギュストは今日も来ていませんでしたし……。」
「……やっぱり、手続きなんか飛ばして、直接あの王子に聞きに行くか?」
遅遅とした状況の進展に痺れを切らしたようにカミルがそう言って、ぐちゃぐちゃと頭を掻き混ぜる。もともと、考えるより行動派なカミルは、こういったちまちまとした情報収集にすっかり飽き飽きとしており、どこか据わってしまった瞳はエミリーが頷けばすぐにでもアーノルドへ突撃していきそうな雰囲気を纏っていた。
「か、カミル様、もう少し辛抱してくださいまし!わたくし達が不敬罪で囚われてしまえば、誰がルイを助けるのですか!?」
そんなカミルの様子に慌てたようにストップをかけるエミリー。しかし、そんな彼女も理性ではカミルのいう手段がいかに愚かな選択であることかを理解しているが、感情の方はもういっそ捕まることを覚悟した上で突撃した方が手っ取り早いのではと思い始めていた。
ルイのことを助けることもできず、かと言って彼を助けるための情報が今この瞬間に集まることもなく、そのことに対する鬱憤と歯痒さが二人の中で爆発した瞬間だった。
「そもそも!何なんだあのミカエルとかいう男は!あいつがいなければルイがこんな目に遭うことも無かったんじゃないか!?あのクソみたいな王子のお気に入りだかなんだか知らないが、あいつは偉くも何ともないだろ!」
「ええ、ええ!カミル様のおっしゃる通りですわ!せめて学園に来ていれば、この手で搾り上げて情報を吐かせますのに!ああ、もう、本当にルイの助けになるための情報すら渡さないで、何が王族のお気に入りかしら!!」
そうして爆発した不満やストレスはこの騒動の中心の一人であるミカエルへと向かった。前々からルイと何かと悪縁のあるミカエルへといい印象は持っていなかったが、ここに来て情報の一つも探ることのできないことに激昂する。
言いがかりに近い怒りであり、しまいには自分で何を言っているかも分からなくなりながら、それでも何とか胸のモヤモヤを誤魔化すために声高に話し合っていた二人の間に、不意に第三者の相槌が挟まった。
「いや、ほんとそれな。」
「「え?」」
何とも軽い相槌ではあったが、突然会話に差し込まれた知らない声に二人はそれは大層驚いた。
見事に重なった困惑の声と共に、知らない声の持ち主の方へと錆びたブリキ人形のようにぎこちない動きで振り向いた二人は、驚きで見開いていた目をさらに限界まで丸くした。
ふわふわと柔らかそうな銀髪に新緑のペリドットのような瞳。女性であるエミリーよりも小柄で華奢なその体格に、庇護欲を掻き立てる幼い顔立ち。
いつもであれば天真爛漫な笑みを見せている印象の強いその整った顔の頬あたりに、今は大きなガーゼを貼り付けているその少年は、先ほどまで二人が声高に非難していたミカエルであった。
誰にでも手を差し伸べる儚い天使のような人物であると噂されていたはずのミカエルは、二人の目の前で偉そうに腕を組み、ツンと気位の高い猫のように顎を上げていた。 カミル達を見下したように振る舞うその態度は、その痛々しい白いガーゼとは裏腹に儚さなどかけらもない、何ともふてぶてしいものであった。
「み、ミカエル・アーギュスト……様。」
やけに開きにくい口を無理やりこじ開けて、かろうじて振り絞ったような声で彼の名前を呼ぶエミリー。
「ああ、ミカエルでいいよ。」
そんなエミリーの固い声に気にした様子もなくそう軽く返したミカエルに、ハッと我に帰ったようなカミルが彼を警戒しながら問いかける。
「……学園を休んでいると聞いていたが。」
「うちの後見人が休め休めってうるさくて。軽く軟禁状態だったんだけど、あんまりにうざったかったから、逃げ出してきた。」
ふてぶてしい態度ではあったが、存外素直に二人からの問いかけに答えていたミカエルだったが、ことも無さげに言ったその内容にエミリーが驚いたように口を覆う。
「逃げ……!?大丈夫なんですの!?」
「ん?いや、まあ、バレたらお咎めなしってわけにはいかないかな?でもどうせルイの作戦が失敗したら全部リセットなんだから、あんなとこでおれが大人しくする必要なんてないし。」
何やらカミル達にはよく分からないことをぶつぶつと呟きながら、対して気にしていないように軽々と家から逃げ出してきたと言ったミカエルに二人は驚く。
しかし、何はともあれ、今1番会いたかったと言っても過言ではなかった人物がのこのこと目の前に現れたことに、二人は素早くアイコンタクトを交わし、居住まいを正す。
あくまで自然に、先ほどの罵詈雑言を謝りながらルイに対する情報を引き出す。
そう考えて、獲物を狙う猛禽類の目つきをしたエミリーが、さっと淑女のカーテシーをミカエルへと行いながら粛々と口を開いた。
「お初にお目にかかります、ミカエル様。わたくし、ハートベル男爵家のエミリー・ハートベルと申しますわ。先ほどの無礼な発言の数々、心よりお詫び申し上げます。」
そう言っていかにも沈痛そうな表情を浮かべたエミリーがルイの情報を引き摺り出すべく、さらに畳み掛けようとしたその時。彼女の発言を遮るようにしてミカエルが声を上げた。
「あー、いいから、そういうの。」
「……そういうの、と申しますと……?」
「だから、そういう思ってもないこと言わなくていいって言ってんの。どうせおれもルイのことについて二人に話しに来たんだから、そういう腹の探り合いみたいなの時間の無駄。」
何ともあっけらかんとそう言ったミカエルに、カミルとエミリーは呆気に取られる。あまりに事前情報と目の前の人物の様子が違いすぎることに驚きながらも、彼の口からルイの名前が出たことによって何とか取りこぼさないように話を聞いていた。
「分かってるみたいだけど、今ルイは王城にいる。アーノルドに連れられてね。
それで、単刀直入に言うけど、おれはルイが王城のどこにいるか知ってる。ついでに、助ける方法についてもね。」
そう言ってにっこりと笑ったミカエルは確かに顔だけ見れば天使のように可愛らしかったが、どこか毒々しい色を含んでいた。




