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あの後、カミルと何を話したかルイは覚えていない。何だか色々なことを言っていた気がするが、気づいた自分の部屋のベットに寝転がっていたため、何ともあやふやな記憶である。
ぼーっと天井を見つめながら、先程の言葉がずっとルイの頭の中をぐるぐると回っている。
カミルが国に帰る。
分かっていたことのはずだ。彼は他の国から友好のためにこの国へときた留学生で、いつかは自分の国へと帰ることなんて最初から分かっていたはずだ。
だけど、この一年一緒に過ごしてきたカミルはずっとルイのそばにいてくれると、そう何の根拠もなく思ってしまっていた。
そんなはずはない、彼には帰るべき国がある。
好きだと言う前で良かったとルイは思う。あの時、カミルに先に話をしてもらって良かった。
きっとルイがカミルのことを好きだなんて言ってしまったら、カミルは苦しんでしまっただろうから。顔はなんとも迫力がある作りをしているのに、その心根が誰よりも他人思いであることをルイは知っている。
だから、好きだとカミルに言わなくて良かった。
心からそう思っているはずなのに、なぜか天井がぼやけて見える。重力に従って水滴が米神を伝う感覚にようやくルイは自分が泣いていることに気づいた。
「あれ、何でだろ。」
拭っても拭っても流れる涙にルイは困ってしまう。
何も永遠の別れというわけではないだろう。これまでのように毎日顔を合わせることは出来ないかもしれないが、手紙を交わすことはできるし、国交がうまくいけばお互いの国を行き来できることだってそのうちできるかもしれない。
永遠の別れではない。
でも、ルイはカミルのそばで生きていくことは出来ない。
ルイはコレット公爵家の人間である。そして、かつては王族の婚約者であったルイが容易く他国に行くことができるかと言われればどうにも難しい。
そのうち国が繋がりを強めたい他国へと嫁ぐか、そうでなくとも王族お気に入りの貴族との縁談が用意されるであろう。
権力には義務と責任が伴う。父親からそう言われた時から、ルイは出来うる限りの義務と責任を果たしてきたつもりである。優遇されているからこそ、コレット公爵家は他の貴族よりもしがらみが多い。
今更、全てを投げ出してカミルと一緒に生きていきたいなんて、とてもじゃないけどルイには口に出すことができなかった。
「すき、だよ……カミル」
本人には伝えられなかったルイの恋心がこぼれ落ちる。ポロポロと止まらない涙と共にうわ言のように好きだとカミルへの愛を溢れさせる。
泣き疲れて気絶するように眠ってしまうまで、ルイの秘めやかな恋心はポロポロと溢れ出していた。
こうして、ルイは人生で二度目の失恋をした。
「ルイ、おはようございます!昨日はどうでしたの?何か進展があり、ま……ルイ……?」
次の日泣きすぎて鈍く痛む頭を抱えながら何とか意地で学園へと向かったルイは、朝一に教室を訪れ、昨日のことを明るく尋ねてきたエミリーが一目見て分かるほどに目を赤く腫らしていた。
誰がどう見ても泣きましたと分かるその目元に最初は明るかったエミリーの声が段々と尻すぼみに小さくなっていき、最終的には疑うような心配するような潜めた声に変わっていった。
いつものルイであれば、段々と表情が暗くなっていくエミリーに気づいて、何かしら誤魔化すように笑ってみたりするのだが、今日は上手く笑顔も作れなくて、公爵令息が聞いて呆れるほど下手くそな作り笑いで、昨日の話を説明していった。
時々、不自然に言葉に詰まってしまい、非常に聞き取りにくかったであろうルイの話に最後まで真剣に耳を傾けていたエミリーは次第にその顔色を青くしていった。
「そんな……カミル様が国に帰るですって?わ、わたくし、とんでもないことを……!ごめんなさい、良かれと思ってお二人でお祭りを回ってもらうように仕掛けたのですが……。そんな、こんなことになるなんて……。」
今にも泣きそうなほど顔を歪めるエミリーに力無く首を振ったルイは昨日からずっと考えていたことを話す。
「ううん。エミリーのおかげで僕は自分の気持ちに気づけたんだ。僕はこの気持ちを見て見ぬ振りし続けなくて良かったって本当に思ってる。だから、エミリーが謝ることなんてないんだよ。」
ルイの言葉に顔を覆って頷くエミリー。優しい彼女はこれ以上ルイへと気を使わせないように決して涙を見せなかった。その様子にルイは優しい友人を持ったことを噛み締めながら、一つ提案をする。
「……でも、もし、エミリーが僕に申し訳ないって思ってくれてるんだったら、一つ約束してよ。」
「っええ、何でも……何でもお約束しますわ。」
「来年はエミリーも一緒にお祭りに行こう。」
その言葉に顔を覆っていたエミリーが思わずルイの顔を見つめた。案の定少しだけ彼女の目元は赤くなっていたが、その瞳から涙が零れることがなかったことに安堵しながら、祭りを回りながら思っていたことを話す。
「カミルと2人で回るのももちろん楽しかったんだけど、ふとした時にあれはエミリーが好きそうだなとか、エミリーだったらこんな時なんて言ってたかなって思ったんだ。……だから、来年はエミリーも一緒に3人でまたお祭りに行こう?」
「……ええ、行きましょう。来年は3人で。」
そう言って力強く彼女が頷いてくれたことに満足したルイは、へにゃりと笑みを浮かべる。何とも情けない笑顔ではあったが、昨日から泣いてばっかりだったルイが久しぶりに心から笑うことができた時であった。
そんなふうに静かな、けれど固い決意を2人で固めていた時、渦中の人物がふと2人のそばへと寄ってきた。
「ルイ、エミリー、おはよう。……どうした?2人とも目が真っ赤だぞ。まさか……誰かに泣かされたのか?おい、言ってみろ、誰にやられた?」
ルイとエミリーの顔を見るなり、挨拶の次に存在もしない誰かへの殺意を高めるカミルに彼らは思わず顔を見合わせて、次の瞬間ふふっと同時に笑い出してしまう。
そんな2人の様子を目の当たりにしたカミルはすっかり混乱してしまっている。何せ泣いていたと思えば、次の瞬間にはなぜだか顔を合わせて笑っている。全く状況が掴めないと言わんばかりのカミルに、少しだけ意地悪な気持ちが湧いたルイはわざとらしく泣き真似をしながらカミルを仰ぎ見る。
「そうなんだ。僕たち酷いことされて、泣かされたの……。その人の名前はカミルって言うんだけど。」
「お、オレか?」
自分の名前が出てくるなど思いもしなかったとばかりに戸惑い焦った様子のカミルをルイの茶番に気づいたエミリーがルイの話に乗っかるようにして追撃する。
「ええ、わたくしたちカミル様に泣かされましたの。カミル様ったら酷いですわ。帰るならもっと早くお話ししてくださればいいのに。」
よよよ、とこちらもわざとらしく顔を手で覆いながら泣き崩れる演技をするエミリー。茶番ではあるが、内容が内容だけにやめろと言うこともできず、カミルはもごもごと口籠っていた。
「いや、その……それは本当にすまない。……言い訳にはなってしまうが、オレが3人でいる時の居心地の良さを手放し難くてな……。つい、言い出すタイミングを先延ばしにしてしまった。」
そう言って、体格のいい体を一回りも二回りも小さくするようにしてがっくりと項垂れるカミル。
その様子に少しだけ溜飲が下りたルイは、パッと泣き真似をやめるとカミルへと向き直る。
「まあ、その気持ちもわかるから、今回はこれで勘弁してあげる。でも、カミルとなかなか会えなくなるのが寂しいってことも本当だからね。僕は君のこと友人として本当に大切に思ってるんだから。」
自分で言った言葉に自分で傷つきながらそれでもルイはカミルの友人としての顔を崩さない。
本当は今にでもカミルへの恋心を彼へとぶちまけてしまいたい。友人のままではなく、カミルのそばにずっといることができる関係になりたい。
それでも、自分の国へと帰る彼に余計な荷物を持たせないことをルイは昨日失恋の痛みに泣きながら誓ったのだ。
ルイは初めてカミルの前で猫をかぶった。
ただの友人として彼が帰ってしまうことを寂しがってみせた。
「……ところで、カミル様はいつお帰りに?まさか明日だなんて言いませんわよね?」
そんなルイの悲痛な姿に見ていられないとばかりに口を出したのはエミリーであった。さりげなく自分へと視線を向かわせながら、自然な動きでルイとカミルの間に立つ。
「流石にそんな急には帰らない!……3週間後にこの学園で卒業パーティーがあるだろう?」
その言葉にエミリーの背後でルイはドクンと心臓を一つ大きく鳴らす。
「その次の日にソアレへと向けて出発することになっている。」
どうやらこの世界は、どうしても繰り返しを終わらせたくないらしい。




