日記03「倉本くんの謎③」
土曜の昼、駅前のロータリー。
空は薄曇りで、湿った風がビルの隙間をすり抜けていく。
僕とエリカは並んでベンチに座りながら、行き交う人の波をじっと見つめていた。
エリカの手にはなぜか双眼鏡。
真剣な顔で改札を観察しているけれど、どこから調達してきたんだ、これ。
「……本当に、来るのかな」
僕がそうつぶやいた、その瞬間。
「――いたっ!」
エリカの声が弾けた。
「えっ、どこ?」
「改札のとこ。緑のパーカー着てる人!」
言われた方向を見れば、確かにいた。
私服の高校生らしき男子。髪型も輪郭も……まるで倉本くんそのもの。いや、本人にしか見えない。
「んん〜?」
エリカが小さく首を傾げる。その“倉本くん”は改札前で立ち止まり、右手でスマホを操作していた。
そして――左手で口元を抑えた。
「……あれ?」
エリカの声が低くなると同時に、彼女は立ち上がった。
「またか」と思いながら、僕もあとを追う。
そして彼女は、例によって迷いもなくその“倉本くん”の腕をがしっと掴んだ。
「わっ……!」
倉本くんは突然の接触に驚いて振り返る。そして――なぜか、僕らを見て明らかに困惑した表情を浮かべる。
エリカは真剣な目でじっと顔を見つめた後、いきなりにっこり笑って言った。
「初めましてっ! 私、海堂エリカ! あなたの名前は?」
……自己紹介? いきなり? 状況がまったく飲み込めない。
「えっ……久瀬、です」
倉本くんだと思っていたその人物は、反射的にそう名乗った。
久瀬――?
いや、どう見ても他人の空似には思えない。似すぎてる。
そんな僕の思考をぶった切るように、エリカが追撃する。
「名字じゃなくて、名前の方っ!」
「……晴哉。久瀬 晴哉です。で、あなたたちは?」
彼が名乗った瞬間、エリカは目を輝かせた。
「やっぱり! 倉本くんの兄弟だよね!? どっちが兄で、どっちが弟なの!?」
状況についていけてないのは、僕だけじゃなかった。
目の前の久瀬晴哉くんも、完全にフリーズしてる。
「……とりあえず、落ち着けるとこに行こう。君も、それでいい?」
僕が声をかけると、彼は戸惑いながらも小さくうなずいた。
「……う、うん。わかった」
※ ※ ※
駅近くのカフェに入り、ようやく腰を落ち着けた僕たちは改めて自己紹介を交わすことにした。
「えーと……久瀬 晴哉、17歳です」
「雨宮直央です。で、こっちが――」
「海堂エリカですっ! さっきはごめんなさい、ちょっと興奮しちゃって!」
彼――久瀬くんは、隣県にある高校に通う3年生。わざわざ電車を乗り継いで、この街までやってきたのだという。
「一応確認だけど……倉本朔真くんって、わかる?」
僕の問いに、久瀬くんは少しだけ視線を落とし、左手で口元を抑えた。
そしてゆっくり顔を上げて、はっきりと告げた。
「うん。……倉本朔真は、僕の弟なんだ」
やっぱり……! ここまでそっくりなんだ、納得できる。
だけど、倉本くんに兄弟はいないはず、そもそも名字が違う。ということは……。
「――倉本くんって、養子……ってことなのかな?」
僕の言葉に、久瀬くんは静かにうなずいた。
「うん。僕たちは双子なんだけど、幼い頃に両親が事故で亡くなって……それぞれ別々の家庭に引き取られたらしいんだ」
また口元に手を当てながら、久瀬くんは淡々と語る。
「それを知ったのは、ほんの最近。まさか血の繋がった兄弟がいるなんて思ってなくて……知った瞬間、もう居ても立ってもいられなかったんだ」
「それで、街まで探しに来たんだね。――先週、茉莉花が声をかけたのも、君だったんだ?」
「うん。あのときは、期待と不安で頭がいっぱいで……
突然見知らない子に声をかけられて、“弟に間違えられた”って気づいた瞬間、とっさに逃げちゃったんだ」
そう語る久瀬くんの顔には、今もまだ迷いと戸惑いが浮かんでいる。
――だけど、真相はとてもシンプルだった。
倉本くんの兄を、倉本くんだと勘違いしていた。
それだけの話。でも、名字が違う、兄弟はいないはず――そんな先入観が、余計に謎を深めてしまっていた。
「にしてもエリカ、顔、めちゃくちゃ似てたのになんであのとき“倉本くんじゃない”って気づいたの? しかも兄弟って断言してたし」
僕の疑問に、エリカはふふんと鼻を鳴らして、にんまり笑う。
「ふっふっふ~。それを今から披露しようじゃないか、ワトソンくん!」
自信満々に胸を張り、エリカは少し大袈裟に語り出した。
「まずね、久瀬くんは右手でスマホを持って、左手で口元を抑えてたでしょ?」
「……それが?」
「倉本くんは、逆なの。左手でスマホ、右手で口を抑えるクセがあるの。つまり、利き手が逆!」
「あ、確かに言われてみれば、倉本くんって、左利きだ」
「そ!そして久瀬くんは右利きなのかなって。だから、“あれ?”って思って近づいて……ほら、顎先。久瀬くんにはないけど、倉本くんには小さなホクロがあるよね?」
そう言われて、改めて顔を見ると――確かに、ない。
……正直、倉本くんにホクロがあったか自信はないけど、エリカが言うのならそうなのだろう。
「でも、それだけじゃ“兄弟”だって断言できないでしょ?」
「できるよ!」
エリカはにっこり微笑んで、決定打を告げる。
「名前だよ。“久瀬 晴哉”くんと、“倉本 朔真”くん。
“晴”と“朔”――太陽と新月。空の昼と夜、光と影。まるで真逆。でも、空の中でふたりはひとつ」
「……!」
「しかも“哉”と“真”、響きも似てるでしょ? せいやと、さくま。
似てるようで違う。だけど、最初から“ペア”として名づけられたように感じたの」
エリカはまっすぐ久瀬くんを見て、静かに言った。
「……それって、きっと、お父さんかお母さんがふたりを“ひと組”として大切に思ってたってことだよね」
久瀬くんは驚いたように目を見開いたまま、やがて――ゆっくりと、微笑んだ。
「そっか……僕たちは、紛れもなく兄弟で。……そして、両親に愛されてたんだ」
そうつぶやいた久瀬くんの口元は、いつものように左手でそっと覆われていた。
そのせいで表情までは読み取れなかったけど――
でも、声にははっきりと、熱があった。心の奥から滲み出た、確かな“あたたかさ”。
「倉本くん……弟に、会っていく?」
僕がそう尋ねると、久瀬くんはそっと首を横に振った。
「いや……朔真は、このことをまだ知らないかもしれない。
だったら、いま無理に会うのはやめておくよ。今年は受験もあるし、落ち着いてからでいい。
元気でやってるんだよね?」
「うん! 倉本くん、元気にしてるよ! 塾にも通って、勉強すっごく頑張ってる!」
エリカが明るく答えると、久瀬くんは――ほんの少しだけ、笑った気がした。
「……そっか。それだけわかれば、もう十分だよ。ありがとう。
朔真には……このこと、内緒にしててくれる?」
「うん、わかった!」
エリカが即答すると、久瀬くんはふっと目を細めた。
だけどその横顔は、どこか寂しそうだった。
本当にこれで、いいのか――?
そんな疑問が胸の奥に芽生えた、そのときだった。
「……全部、知ってるよ。――晴哉」
突然の声に、僕たちは一斉に顔を上げた。
その声の主――
そこには、倉本朔真くんが立っていた。