日記02「倉本くんの謎②」
放課後。
僕とエリカは、倉本くんが帰ってしまう前に話を聞こうと、廊下を小走りで駆け抜けていた。
「この教室で合ってるよね?」
「うん、たしかこのクラスのはず」
目当ての教室に着いて中を覗くと、ちょうどホームルームが終わったところで、生徒たちがわらわらと帰り支度を始めていた。
「直央くん! 倉本くんいる!?」
「いるよ。ほら、真ん中の列の後ろから二番目――あそこ」
見ると、ちょうどその席でリュックを背負いながら立ち上がる男子生徒がいた。
「よかった~っ! さ、行こっ!」
エリカは勢いよく教室の中へ突撃。
僕も慌ててその後を追いかける。
「倉本くん、初めまして! 私、海堂エリカ! 困ってることがあるんでしょ!? 私たちで力になれること、あるかなっ?」
「え? か、海堂さん? ど、どうしたの急に……!?」
――まるでロケットスタート。いや、猪突猛進? 天真爛漫?
とにかく、エリカは自分の勢いだけで倉本――倉本朔真くんに話しかけていた。
「ちょっと待ってエリカ、落ち着こう?」
僕が慌てて間に入りながら、倉本くんに頭を下げる。
「ごめんね倉本くん。ちょっと聞きたいことがあってさ」
「う、うん。……でも、二人してどうしたの? それにしても海堂さんは相変わらずだね。そろそろ僕の顔、覚えてよ?」
「あっ……ごめん、つい興奮しちゃってて」
エリカが照れくさそうに笑う。
実は僕たち、選択授業でたまに一緒になることがあって、倉本くんとはちょっとした顔見知りだった。
「で、聞きたいことって?」
倉本くんは特に気分を害するでもなく、いつも通りの穏やかな口調で問い返してくれる。
「あのね!んんーー!」
再び暴走しそうなエリカの口を手でふさぎ、僕が倉本くんと話す。
「先週の土曜日、茉莉花が駅前で倉本くんに声をかけたって言ってたんだけど……そのとき、少し様子がおかしかったって。なにか、あったのかなって」
「え……?」
倉本くんは右手で口もとを抑えながら一瞬考え込んで、それから小さく首を傾げる。
「その日、一歩も外に出てないよ? 一日中、家にいたんだけど。見間違いじゃないかな」
「……ほんとに、一日中?」
「うん。その日はめちゃくちゃ暑くて、外に出たくなかったし」
――おかしい。倉本くんの様子は嘘をついてるようには見えない。でも、茉莉花の勘違いだったとしたら……いったい誰を見たんだ?
本当に、そんな都合よく“そっくりな人間”なんているだろうか。
どこかで、何かを見落としてる……?
「僕、塾あるから。そろそろいいかな?」
倉本君は、また右手で口を軽く抑えながら、左手でスマホを操作し予定を確認しつつ、そう声をかけてきた。
「あ……ごめんね、ありがとう。もう大丈夫だよ」
軽く手を振って、倉本くんは帰っていった。
僕はその場でしばらく考え込む。倉本くんは一人っ子。兄弟はいないはず。じゃあ、茉莉花が見たのは――
「……っ!?」
そこでようやく気づいた。ずっと、エリカの口を手でふさいだままだったことに。
「ご、ごめん……!」
慌てて手を離すと、エリカはぷくーっとほっぺを膨らませて、冬眠前のシマリスみたいになっていた。
「直央くんのバカ……。せっかく名推理を披露しようと思ったのにっ!」
「ほ、ほんとごめんって! 帰りにアイス買ってあげるから……」
「ほんと!? じゃあハーゲンダットね! 直央くん、大好きっ!」
単純で助かる――と思う反面、
そんなふうに無邪気に「大好き」なんて言う彼女に、また少しだけ、複雑な気持ちになる僕だった。
※※※
放課後のひととき。
僕とエリカは、家の一階――つまり、我が家が営んでいる小さな喫茶店『アンサンブル』のカウンター席で並んで座っていた。
「で、さっきのことだけど……」
そう切り出すと同時に、スマホを開いてRINEを確認する。さっき茉莉花にメッセージを送っておいたのだ。
――『あれは絶対に倉本くん! 間違いないから!』
返ってきた返信は、力強く断言する一文だった。
「うーん……やっぱりそう言うよね」
倉本くんと話したあとも、頭の中で何度も状況を反芻した。
けれど、結局のところ、結論は出なかった。
一方のエリカはというと――
「ふむ、ドッペルゲンガーかもね。あるいは裏の組織が送り込んだ影武者……!」
「いや、無理あるって。さすがに」
僕がツッコむと、エリカは口をとがらせる。
「え~、だって倉本くんって一人っ子なんでしょ? だったら、すっごく似てる人と間違えたって可能性もゼロじゃないじゃん?」
「そう思いたいけどね。……でも、茉莉花は“絶対に倉本くんだった”って言ってるんだよ」
僕はスマホの画面を見せながら言う。
「ふむむ……じゃあ、決まりだね!」
エリカは突然、ぴょんっと立ち上がった。
「明日は土曜日っ! 駅前にまた来るかもしれないし、張り込みしよう! 名探偵の基本、それは地道な調査っ!」
「え、ちょっと待って、それってもう決定事項になってる感じ?」
「なってるよ! 探偵っぽいし、やるしかないでしょ!」
僕の意見を聞く前に話は勝手にまとまり、明日の予定が“強制ミッション”として確定してしまった。
「……わかったよ。じゃあ、茉莉花に何時ごろ見たのかだけでも確認して――」
「バカだなぁ、直央くんは!」
エリカが満面の笑みで僕を指差す。
「いつ来るか分からないから、朝から晩まで張り込むのが探偵ってものでしょ!」
「……ホントに?」
僕が視線を向けると、エリカの青い瞳がまっすぐ僕を射抜いた。
その瞳は、空よりも澄んでいて、迷いのない“やる気”で満ちていた。
「……はぁ。わかったよ。そこまで言うなら――とことん付き合う」
「やった! ありがとう直央くん! 一緒にがんばろうねっ!」
嬉しそうに笑うエリカを見て、僕もつられて微笑む。
なんだかんだで、こういうときの彼女の勢いは悪くない。
「じゃあ、私ちょっと部屋戻るね! 晩ごはんのとき呼んで~」
「うん、わかった。でも何しに?」
「日記! いつものとは別に、事件用の記録も書かなきゃだから先にまとめとくのっ!」
そう言い残すと、エリカは僕の返事も聞かずに階段を駆け上がっていった。
その後ろ姿を見送りながら、僕はふと――エリカのあの笑顔を思い出す。
無邪気で、まっすぐで、なんでもないことに本気になれるその姿が、なんだか少しだけ、眩しかった。