第9話 ダメ王子根性を叩かれる
「明日のスケジュールを説明しますからよく聞いてください」
きりっとした顔でアルゲオが話始めたが、一人締まらない男がいた。誰あろう、エドワードである。アゼンハルンの領主と会食をしたまではよかったが、その後アミナリ山脈にあるトンネルの入り口がある街にたどり着き、馬から降りた時にエドワードは自分の尻に大きな違和感を感じた。もう日が落ちてしまっていたため、宿を選ぶ余裕がなかっため(アルゲオの作戦なのだが)、空いていた安宿に泊まることになったのだ。一度部屋に入りベッドに腰かけた途端、エドワードは悲鳴を上げた。なぜならとんでもなく尻が痛かったからだ。慣れない乗馬を丸一日、しかも早駆けで行ったため、安物の蔵がエドワードの柔らかい尻に深刻なダメージを与えたのだ。要するに、エドワードの尻は真っ赤になっていた。皮がむけていないだけましなのだが、それでも王族で王子様のエドワードの尻が真っ赤なのはいただけない。食堂で食事をあきらめ、もとい、王族なので警戒して部屋で食事をとることにした。
そして現在、エドワードの尻には濡れタオルがおかれ、一応手当てがなされている。安宿なので、ベッドは二つしかなく、そのうち一つをエドワードが占拠している状態だ。もう一つのベッドにアルゲオとサムエルが並んで腰かけている。
「アミナリ山脈のトンネルを一気に抜け、ルクスール地方に当日中に到着をします。トンネル内の休憩所で昼食をとりますから、宿に弁当を頼んでおきました」
「どんな弁当なんだ?」
ベッドにうつぶせで尻を丸出しのエドワードが聞いてきた。
「宿が作ってくれる弁当ですからね。丸パンにチーズと肉が挟まれたシンプルな物でしょう。果物が付いていれば豪華でしょうね」
エドワードが説明したものこそが、庶民の食べるサンドイッチである。食べやすいようにスライスしたパンに彩を考えて具材をはさんだサンドイッチは、高級な食べ物なのだ。エドワードは、ここでようやく庶民の味を知るのであった。
「アリミナ山脈のトンネルは警備の関係で通行証が一人一枚購入が原則になっています。しかも、購入は日の出ている時間だけなので、行商人たちが日の出前から列をなしています。そこで重要なのがエドワード様、あなたの身分です」
アルゲオにはっきりと言われ、エドワードは嫌な予感しかしなかった。それはいわゆる悪手なのではないだろうか。そうとしか思えない。しかし、アルゲオのその宣言を聞いても、サムエルは何も思わないのか、黙って頷いている。
「身分をひけらかそうというのか?悪評が立つじゃないか」
今更なのだが、王都だけではなく、地方に来てまでお貴族様王族様をする勇気は今のエドワードにはなかった。
「何をいまさら、あなたの悪評なんて、とっくの昔に王都中を駆け巡って地方にまで回ってもはや昔話のいきです」
喜んだらいいのか、悲しんだらいいのか、よくわからない感情がエドワードの心に沸いたのは事実だ。だがしかし、そんな気持ちを口にする前に、サムエルが口を開いた。
「トンネルの入場手続きは一般と貴族、馬車と馬で分かれているんです。馬車より馬の方が移動が速いですし、貴族は一般より多くのお金を支払うんです。ほら、貴族の移動って大人数でしょう?」
そんなことを言いながら、サムエルの目はどこか落ち着かなかった。自分の言っていることの矛盾に気が付いているからだろう。なにしろ目の前にいるエドワードは腐っても王族で王子様なのに、護衛兼世話役兼執事が一人しかいないのだ。おまけに役人は書記官のサムエルただ一人。
「悪かったな、ひとりしかいなくて」
エドワードがむっとした声で応じると、そこにすかさずアルゲオがフォローに入った。
「この人数には理由があるんですよ。二人とも、よく聞いてください」
コホン、と咳ばらいをしてアルゲオが説明を始めた。
「まずですね。今回、ルクスーク地方の慰問が簡単に許可どりできたのには理由があるんです」
書記官であるサムエルは何となくだがわかっていた。
「ご存じの通り女王陛下はご高齢です。慰問や政務などで地方に長時間かけて馬車への移動が難しくなっています。その代理をしているのが王太子であるアンドリュー殿下です。しかし、王太子でありますから政務があります。どうしたって移動に時間のかかる地方への慰問より海外への訪問が優先されます。そうなると、地方での公務は王族の方々が引き受けることになります。王位継承権第二位はグリフィス公爵です。しかし、公爵は宰相なのでそちらの仕事が優先されます。第三位はオリヴィア・ベネット公爵。続いてイーヴィ様、エルシィ様、エレシア・グリフィス公爵令嬢、ミリー・ベネット公爵令嬢と、女性が続きます。わかりますか?王位継承権が一桁の王族はエドワード様、あなたを覗いて女性しかいないのです」
「ああ」
もちろん知っている。知っているからこそ調子に乗っていたのだ。王位継承権の順位で行けば上に姉がいるが、どうせどこかに嫁に行くだろう。そう考えて余裕で構えていたのだ。いずれ王太子である父が国王になった時、自分が立太子できる。そう思っていたからこその自堕落な生活だった。次男の娘であるエレシアと結婚すれば盤石だと考えていたのだ。まさかそのエレシアに引きずり落されるとは思ってもいなかったのはエドワードにとって大誤算、いや、詰めが甘かった。
「馬車の移動は時間がかかります。まして女性は身の回りの世話をする人員や、護衛が大勢必要になります。それだけで費用がかさみます。しかし、どんなに費用が掛かっても、慰問における経費は一律、出向される王族の方にしか支払われません。つまり連れていく人員にかかる経費は自腹なんです。護衛の騎士は王族専用の第一騎士団から出されますが、その費用は王族全体の経費から支払われます。年間行事で女王陛下や王太子殿下が海外訪問の予定があれば、先に費用が抑えられてしまうんです。そうなると残った費用の奪い合いです。無駄に経費を使ったとなれば、そこを叩かれてしまうんです。だから、護衛の費用や馬車の手配、宿泊する宿代はほぼ自腹になります。そうなると、地方への慰問は赤字なんですよ。実質赤字、大赤字です。慰問で支給する援助品より莫大なお金が必要になるんです。だから誰もやりたがらない。いい人アピールは王都から近いところで行うだけになるんです。そうなると、地方の孤児院への慰問はなくなり、役人が支給品だけをつけ届け、帳簿を確認するだけになってしまうんです。そうなると、地方の領主は不満に感じますよね。自分たちは蔑ろにされている。ってね」
アルゲオの説明を聞きながら、サムエルは何度も頷いていた。つまり本当のことなのだろう。書記官だから、紙の上の真実だけを処理してきたのだろう。
「だからこそのエドワード様、あなたなんです」
突然名前を呼ばれ、エドワードの体がびくっと揺れた。そのはずみで尻の上の濡れタオルが落ちてしまった。」
「もう、汚い尻を見せないでください」
そう言いながらアルゲオは濡れタオルをエドワードの尻に乗せなおし、手当の魔石を乗せた。この魔石はあくまでも手当で、治癒ではない。ちょっと足をくじいたとか、食べ過ぎてお腹が痛いとか、その程度に使われる手当の魔石である。真っ赤になったエドワードの尻の上に乗せているのは、まあ、ほとんど気休めである。
「汚くなどない。俺の尻は綺麗だ。柔肌なんだぞ」
乗せられた手当の魔石の具合を確認しながらエドワードは文句を言ったが、内容が情けないことに変わりはなかった。
「わかりますか?エドワード様。女性はなにかと制約がかかるんです」
「制約?」
はてさて、制約とは何のことだろう。
「女性は常に身の潔白を証明しなくてはなりません。未婚の女性ならなおさらです。常に自分の傍近に侍女を侍らせておかなくてはなりません。就寝時も部屋の入り口に最低一人は騎士を立たせておかなくてはなりません。わかりますか?ルクスーク地方に最短で行けるトンネル、未婚の女性王族は使えないんですよ」
それを聞いてエドワードは驚いた。
「え?一日で抜けると言ったじゃないか」
「ええ、馬でなら。ですよ」
確か、トンネルの中には休憩所もあると聞いた。それなのに使えないとはどういうことなのだろうか。
「馬車では中にある休憩所に付くのは夜になります。トンネルは安全のため一方通行ですから、逆から入ってきた馬車とかち合うことはないのですが、トンネルは一般人も使います。休憩所は貴族と一般人で分けられてなどいないのです。貴族が家族で利用する分には問題はありませんが、独身女性が一人で利用するのなら、どうやって身の潔白を証明しますか?まして、トンネルの中の休憩所は街ではありません。簡易の休憩所です。馬をつないで休むだけの場所なんです。そんなところで、馬車から降りていない、馬車に誰も乗せていない。なんて、どうやって証明するんですか?まして、大所帯でそんなところに休憩されたら、一般人に迷惑です。ただいるだけで騎士は恐怖の対象にしかならないんですから」
かいつまんでの説明だったが、さすがにエドワードでも理解ができた。要するに王族が楽をするな。遠回りをして金をばらまけ。というのが世間の声なのだ。
「だからこそ、男で王位継承権のない王子のあなたの出番なんです。王位継承権がありませんからね、多少無茶をしても咎められることはありません。なによりあなたの評判は落ち切っていますから、トンネルを馬で疾走しても呆れられるだけです」
ごもっともすぎて、いや、事実なんだが、納得は出来るのだが、こうまではっきり言われてしまうと、なんだか悲しくなってしまうエドワードなのであった。